第3話 もやしっ子走ります
鼻歌混じりに歩いていると、後ろからとんっと肩を叩かれた。びっくりして振り向くと、槙田さんの顔が至近距離にあった。
「うわっ!?」
更なる衝撃に、思わずのけぞった。
「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃない」
槙田さんは、ちょっと傷ついたー、とか言いそうな目で下を向く。
「いやいや、振り向いたら目の前に顔があったんだもん……」
あ、そうか。と槙田さんはうなずく。いやいやいや。
「っと、湊川さんと槙田さんじゃないですかー」
わたしが頬を赤く染めていると、坂井さんと再び遭遇。
「あ、坂井さんおはよー」
微妙な空気が砕かれた……様な気がする。坂井さんナイス。
「今日は湊川さんとよく会いますね」
「え、ゆかりんと坂井さんて今日なんかあったの?」
なんかあったっていうか。
「コンビニでたまたまばったり会ったんですよー」
なるほどなるほど、とうなずく槙田さん。ていうか、あんまりここで時間を浪費するのもまずいんじゃないだろうかと。腕時計をチラ見すると、さすがにそろそろ残り時間がピンチになていた。階段がね……、さりげなく時間を食うんだよね……。
「とりあえず、教室行かない? ずっとここにいたら遅刻しちゃうだろうし」
あんまりずっとここにいて遅刻しても面白くないし。まだわたし、こっちに転校してきてあんまり日が経ってないから変な噂みたいなの流されたくないし。
なぜか高さを感じる階段をのそのそと登って、教室を目指す。相変わらず遠いなぁ……。
「ここの階段って、なんか高くない?」
そう? と槙田さん。あれか、慣れってやつか。
それにしたって、ちと階段高くない? 昨日は一気に上がらなかったからあんまり高いように思わなかったんだけど。
慣れちゃいましたからねぇ……、と坂井さんが呟いた。住めば都、まさにそれ。やっぱりわたしが慣れてないだけなんだろう。そうしておこう。じゃないと、自分が貧弱なパイロットになってしまう。ぐぬぬ。
「だ、大丈夫大丈夫、私たちも最初はちょっときついなぁって思ってたから! ほんとだって!」
槙田さんたちが言う最初は、入学したての中学一年生なんだよね。今のわたしは、華の高校二年生なんだよね。体力的に全然違うんだよね。
ちょっとつらくなった。
ま、まあでも、慣れてきたらその辺も分かるだろうから……!
教室の戸を開け、時計をちらっと見る。おぉ……ギリギリだった。鞄を机に置いたと同時にチャイムが鳴り、階段の恐怖が今になって押し寄せてくる。多分、みんな慣れちゃっただけで実際長いよ、多分。
席に着こう、とイスを引くタイミングで先生が教室に来る。タイミングがいいのか悪いのか。
「みんな席付いてー。ホームルーム始めるぞ」
教卓の上に出席簿を広げ、わたしたちと紙とをかわりばんこに眺める。
「体調悪いやつとかいないか? いたら手ぇ挙げて」
さらっと教室中に視線が巡った。
「みんな体調大丈夫ってことでいいな? 上でげーげーやったりとかはやめてくれよ?」
教室がどっと湧いた。さすがに、上空でげーげーやっちゃう人はいないんじゃ……。
その分なら、みんな大丈夫だろうと先生は言って、朝のホームルームが終わる。
昨日と違って、今日はすんなりと更衣室まで行ける。耐Gスーツも自分に割り当てられたロッカーに突っ込んであるし、大丈夫だと思う。フライトスーツだって忘れてないし。
制服からフライトスーツに着替え、対Gスーツを着ける。いつになってもこれがきつい。身体を締め付けて失神やらなんやらを防いでくれるんだけど、苦しいものはやっぱり苦しい。
昨日は火事場の馬鹿力で何とかなったけど、今日は厳しいな……。
えいやこらせっと制服を着た女子高生から飛行服一式を身につけた戦闘機パイロットに変身する。戦闘機なんて乗らないけど。
戦闘機乗りたいなー、とか考えながらホークを眺める。……よくよく考えたらこれって軽攻撃機にも使えるんじゃ。
やっぱり戦闘機パイロットだった。
やっぱり戦闘機だったか。いや、そうだよね。ホークだもんね。
……と一人悩んでいると槙田さんがわたしの顔を覗き込んできた。
「ねーねーゆかりん? 変なこと考えてる?」
「ある意味ね」
槙田さんは怪訝そうな顔をした。まーまー、そうカリカリしなくても。
「いや、なんかゆかりんて目を離すとナニするか分からないし」
「んなわけないって。そりゃ、誘われたらホイホイついてっちゃうかもだけど」
「逆の意味で危なかった!」
もし、「ヘイ彼女ー、ちょっと戦闘機飛ばしてかない?」とか誘われたらホイホイ付いてっちゃわない?
「それ、付いてったらイーグル・ドライバーになっちゃうエンドじゃない?」
「それはそれで、ハッピーエンドな気がする」
それ、ゆかりんくらいじゃない? って言われた。いやいや、そこにおんなじ香りを漂わせてる子がいるじゃない。それも、多分イーグルよりファントムを飛ばしたがりそうな子が。
と思いながら坂井さんをチラ見する。
そういえば、坂井さんが第二世代機あたりの戦闘機で向かってきたらイーグルに乗っていたとしても勝てる気がしない。なんでだろう。
「あー、坂井さんならゆかりんと同じで戦闘機飛ばせたら幸せな人種だわね……」
槙田さん、そんな蔑むような目で見ないで。いろいろ削られる。
あ、でもちょっといいかも……じゃない!
「みんな着替えるの早い……。ていうか何やってるの?」
月島さんの救援がきた……気がする。
「いや、ちょっと槙田さんがあらぬ疑いをかけてきて……」
とりあえず、このままだと自動的にわたしが悪い結論になるだろうから先手を打っておく。どうしてこうなったんだろう。
「違うって、ゆかりんは知らない女の人に誘われたらホイホイ付いていっちゃうらしいんだよ」
月島さんが吹き出した。
「待って、それはずるいって笑っちゃうって」
完全に笑いの壷に入っちゃったらしい。ヒィヒィいいながら笑ってる。月島さんには通じたらしい。
予想外の方向に話が回り、焦る槙田さん。かわいい。
ここで発言がまったくない坂井さんをちらっと見ると、頭の上にハテナマークが三つくらい浮かんでいるように見えた。あれ? 人の引き出しって結構予想外なんだね。
と、新しい発見。前の学校だと規律が厳しくて、ちょっとしたユーモアも通じにくかったからすごく楽しい。
ちょっとしたジョークが通じるなんて……。って、槙田さんんあ!?
「こんにゃろ、人がちょっと心配してたのを冗談で返したんだでしょ! そうなんでしょ!」
ほっぺた引っ張るなー! ひねくりまくるなー!
「人をからかって! この!」
ちょ、ちょちょちょ! それ以上はまずいですよ! 後ろ、後ろ!
「槙田ー、なんかお前ら二人だけチャイム鳴ってもこないなーと思ったらそんなことしてたのかー」
先生これはですね、とか言っても多分言い訳するなって叱られるパターンだ。実際わたしたちが悪いわけだけど。ていうか槙田さん、人の優秀まじめイメージぶっ壊しちゃってくれてどうするんですか。
そうかそうか、飛行機飛ばすのよりも二人でいちゃいちゃする方がいいのかー。って先生誤解してるんじゃ……。
「先生、わたしは飛行機飛ばしたいです! 槙田さんが邪魔しなかったら今頃自分が乗るべきの機体のコックピットに収まってたはずです!」
「ほうほう、槙田は?」
先生は何か企んでそうな顔のままうなずいた。ていうか、槙田さんはどう返すんだろうか。
「先生、私は湊川さんを一発殴ってから飛行機に乗りたいです! なんかいろいろひどいんだもん!」
「よし、二人とも学校の敷地周り二周してこい!」
んなアホな!
「あ、服はそのままでいいぞー」
先生はそれだけ付け足して、みんなの方に行ってしまった。
「あー、そんなアホな……。どうしてこうなっちゃうかなあ……」
がっくりと頭を垂れるわたしを見て、槙田さんは半笑いを浮かべて背中を叩いてきた。痛い。
「大丈夫だって、学校の敷地周りって飛行場になってるところは含まれないんだよ」
思わず、は? と聞き返してしまう。どういうことよそれ……?
「学校の校舎とグラウンドが敷地で、飛行場は一応別なんだって。入学する時に説明された」
てことは、二周するとだいたい一六〇〇メートルくらいになるのかな。
「結構ちっちゃくない?」
うん、と槙田さんはうなずきながらスタートダッシュを決めてくれた。ちょっと、置いてかないでって。
わたしも遅れまいとロケットスタート。走るのは……あれ? 自分の中だと普通に走れるように思ってたけど実際どうなんだろう。
と思って追いかけるけど、全然追いつけない。そんな……。槙田さん速すぎる……。
わたしはこの学校で貧弱な身体の持ち主なんだろうか。貧相なだけじゃなくて貧弱とかもうダメすぎる。
一六〇〇メートルくらいならかっ飛ばしてもバテない……はずだから槙田さんに追いつくべくかなりペースを上げている。ちょっとずつちょっとずつ距離が縮まっていく気はするけど、それにしても速い。
……ていうか、これ罰で走らされてるのにわたしはなんで競争意識を芽生えさせてるんだろうか。まあいいや。
なんにせよ、できるだけ速く済ませてしまった方がいろいろと都合がいいような気がするから自己ベスト更新を目指す勢いで駆け抜ける。ハーネスがすごい邪魔に思えてきた。
(湊川ちゃんは別にもやしっ子では)ないです。