第2話 最後の有人戦闘機の埃
坂井さんが戦闘機を見つけたらしい格納庫まで、わくわくしながら歩いていく。先頭をいく坂井さんも、心なしか足取りが軽い。
「そういえば、月島さんたちは部活してないの?」
ふと気になった。ずっと、槙田さんと一緒にアクロやってるもんだと思ってたし。
「アクロバットをやってるけど、今はオーバーホールしてる機体もあって、全員がいつも行っているわけでもないから今日は暇」
「そ、そうだったんだ……」
あまりにも力強く言うもんだから、ちょっと気押されてしまった。
「……てことは、雪奈さんも?」
「私だけじゃなくて、坂井さんもアクロバットをやってますよ」
てことは、わたし以外みんなアクロバットやってるんだ。
「さやかは編隊飛行だけが不思議とへたくそだからなぁ。でも、個人技だとトップレベルなんだぞ」
なぜか、やたらとトップレベルを強調してくる月島さん。いつもと違って、なんだか幼い感じがしてかわいい。
「ていうか、着きましたよー」
坂井さんがぴょんぴょんはねる。おぉ……とわたしたちは謎の歓声をあげながら格納庫に入っていった。
格納庫の照明をつけると、そこに待っていたのはすらりと伸びた銀色の胴体に、薄く鋭く短い翼を持ち、トレードマークのでっかいT字尾翼を備えた戦闘機だった。
「……美しい」
思わずそんな言葉がこぼれてしまう。
見とれてしまっていると、横で坂井さんが「これ、動くんでしょうか……」と呟いた。
……試してもいいのかな?
ゆっくりと機体に近づいていって、機首に手を触れようとしたとき、担任の先生がぬっと顔を出した。
「ヘイ、パイロットー! 触ってもいいけどさー。……あ、なんかごめん」
辺りの空気が凍りついた。
「……わたしたちは何も見なかった。いいね?」
月島さんから、思わず「あっ、はい」と返しそうになる迫力が漂っている。
雪奈さんが「さて、帰りますか」ときびすを返すものだから先生があわてて待ったをかけた。
「ちょっと頼みたいことがあるから帰らないでくれって」
頼みたいことってなんだろうか。もしかして……。
「エロ同人みたいな展開になるのは嫌だから帰ろう」
「ちょっと待てって! どうしてそうなる!」
月島さんまでもがくるりと後ろを向くと、先生が悲鳴を上げた。坂井さんは案の定、つぼにはまって笑い転げている。
月島さんたちは再びくるっと反転。「それで、頼みたいことって何なんです?」と雪奈さん。
「えーと、最近入学者数が減ってきていろいろとヤバいからエアコンを復活させたいんだけどどうだろうか。湊川が経験者だし、アクロバット部の一部門として始めれば、とりあえずはパイロットは確保できるから」
アクロバットで増やそうよ、そこは。あれか、農家の後継者がなかなかいないのと一緒でアクロバットしたいっていうパイロット志望者がいないのか。
この学校の特色を生かした人集めをしようにも、肝心のアクロバットに集客力がないとはなんと悲しいことか。ここは湊川ゆかり、一肌脱がねばなるまい。
「というわけで、まずは水着からか……」
「ちょっと待った、湊川。お前、なにするつもりだ」
「いや、学校のために一肌脱ごうと思いまして」
服は脱がんでよろしい、と先生からチョップを脳天にもらった。
ほんの冗談なのに……と呟くと、雪奈さんにすごい目で見られた。え、なんで。思いっきり冗談めかして言ってたつもりだったのに。
「てっきり、ゆかりが水着でグラビア撮って客寄せパンダになるのかと思った……」
月島さんも、完全に真に受けていたようだ。ていうか、ここ一応女子校だから。私が脱いだって誰も喜ばないから。
多分、喜ぶのは教員諸氏だろう。……やめよう、頭が痛くなってくる。
「あー、誰も得しない話はやめやめ。問題は、エアコンを復活させようとしたら戦闘機がいることだけど……」
うーむ、とうなりながら考える。とりあえず、一機は目の前にある。でも、それだけだと足りない。最低でも、四機は欲しい。となると……。
「先生、この学校って前はエアコンやってたんですよね? どこかに戦闘機がまだ残ってたりしませんかね」
さすがに、先生もそこまでは把握しきれていないようだ。探したらどこかにはあるだろう、という返事が返ってきただけ。このでっかい飛行場を探しまわるツアーが始まるわけですかそうですか。ていうか、機種によったらアクロバットに流用されてから放置されてるかも……?
フリーダムファイター系統、スカイホーク系統があったらそれはそれでドッグファイトが捗る。その可能性に賭けてみよう。
「よし!」
月島さんが、えー、みたいな感じでこっちを見てきた。お主、今からみんなで戦闘機狩りに行こうとわたしが提案しようとしたのを察したな?
「適当に格納庫を巡ったら一機二機は見つかるかもしれないから、行ってみない?」
坂井さんはがっつり乗り気になってくれた。雪奈さんも、なんやかんやで渋々ながらきてくれるっぽい。で、月島さんは帰って寝たいそうで。ごめんねー、もうちょっと頑張ってもらうよー。
今日回った結果、何のせいかも見受けられませんでした。南無三。
学校の寮の自室に戻り、ベッドにダイブする。
「うはぁ、疲れたー……」
転校初日からなかなかハードだった。飛んで、歩いて……。
でも、前の学校と違ってガチガチな校風じゃないから、多分やっていけるだろう。
ふぅ、と一息つくと、強烈におなかがすいてきた。
「何か食べよう」
冷蔵庫を開けて、何か入れてなかったか探ってみる。……うん、すっからかんだ。
学校の近くってスーパーの類いはあったっけ。なかったら、その時ってことで。
そんな楽天的な思考で戸を開き、外に出る。夜の空気がきりっとしていて心地いい。
「ヤッホー、ゆかりん」
のわっ!
「槙田さん、びっくりしたじゃない」
へへ、びっくりさせちゃった。と槙田さんが下をちろりと出した。その仕草、とってもかわいいんだけど、こっちはさっき心臓止まりかけたからね? のどから手が出るくらいにびっくりしたからね?
「ゆかりん、喉から手が出るのはまた違うよ?」
「うるさいっ」
おー、ゆかりん照れてるー、とか言いながらほっぺをつつくな。
そういえば、なんかカシャカシャとビニールが刷れるような音が。槙田さんの手元を見るとスーパーの買い物袋を提げていた。
「ゆかりん、今日買い物する暇なかったでしょ? だから、ゆかりんの分もついでに買ってきたよ」
おっと、さっき買い物に行こうと思っていたところだったら。
「ありがとう、すごい助かる」
あと、できればそろそろほっぺたつつくのやめて欲しい。
「さて、転校初日の夕飯は私の手料理ですよー。いぇい!」
と言いながら、槙田さんが作ってくれた料理がテーブルにずらりと並ぶ。わたしも手伝おうと思ったんだけど、槙田さんが「今日は私の後ろ姿だけ見ていてくれたらごちそうができるから待ってて」と言われたものだからね……? ええ、槙田さんのエプロン姿を堪能しました。
「すごい、めちゃくちゃおいしそう……」
槙田さんと二人、食卓を囲む。
何だ、この至福の一時は。
料理はおいしいし、今日はほんといい日だ。
「そういえば、ゆかりんて部活決めた?」
あ、確か先生が「エアコン復活させるぞー」って言ってたっけ。
それを伝えると、槙田さんが「あ、じゃあゆかりんはそっちやるんだね」と言った。
「あ、槙田さんもやらない?」
うーん、と槙田さんが首を傾けた。
「エアコンをやるって言ったら、編隊飛行をずっとやらなきゃいけない代わりに、ゆかりんと飛べるんだよね……」
しばらく考えさせて、と槙田さんは言った。
「あ、そういえば槙田さんて編隊飛行苦手なんだったっけ」
「……あんなのできるの、変態みたいにうまいパイロットばっかりだろうから変態飛行よ、変態飛行」
その理屈でいくと、みんな変態になっちゃうけどいいんだろうか。槙田さんも、一人で飛ぶことに限れば周りの追随を許さないレベルでうまいって月島さんが言ってたし、そこらへんも加味すると……槙田さんも変態じゃない?
と屁理屈を脳内でこねくり回す。
「そういえば、槙田さんていつも飛ばすのってプロペラ機?」
槙田さんはうなずいた。
「ジェットじゃさすがに、旋回半径が大きすぎて単機じゃ間が持たないよ」
槙田さんはそういって笑う。わたしも、よくよく考えたら変な質問だったなあ、と笑ってしまった。
「ゆかりん、結構変なこと聞いてくるね」
槙田さんは、心底おかしくて仕方ないと言わんばかりに笑い転げた。
槙田さんの笑いが収まると、二人で共同して後片付けをこなす。槙田さんがものすごく手際が良かったものだから、わたしはあんまり仕事してないけどね。
「あ、槙田さん、今日はいろいろありがと」
どういたしまして、とまぶしい笑顔で返された。あぁ、明日も頑張れそう。
「じゃ、また明日ー」
槙田さんが帰っていくのを見送る。明日がもう楽しみで仕方ない。
部屋に戻って、またベッドにダイブすると今日一日の疲れが一気に襲ってきて大あくびが出てしまった。
あ、やばい。せめてシャワーくらいは浴びておかないと。
わたしは眠い目をこすりながら、お風呂場のほうへ歩いた。
適当に温度調節のノブを回し、適温なお湯が出るようにする。これ、地味に時間かかるのよね……。
冷水が徐々にぬるま湯に変わり、ちょうどいい温度のが出るまでその変化を楽しむ。ぬるま湯に変わる瞬間が気持ちいい……!
適温のシャワーを浴び、適当に身体を洗ってパジャマでベッドに再びダイブ。
ふかっとした布団が心地いい。あぁ、これはすぐにでも夢の世界に行けそう……。
不意に目が覚める。ふごっ、と寝ぼけた声が出た。寝起きでぼやける視界を頼りに、いつもアラームを設定しているスマートフォンを探り出す。電源を入れ、時間を見た。
「うわ、いつもアラーム鳴らしてる時間だ……。ていうか、アラームセットし忘れてるってわたし、寝坊してたかもしれなかったじゃん……」
ぼそぼそと呟きながら、電池の残量を確認する。足りなかったら、学校に出かけるまで充電しておかないと……。
電池残量、一桁。充電器のケーブルを突き刺した。
「そうだ、朝ご飯何食べよう……」
髪を解いて、もそもそしながら考える。冷蔵庫の中って何があったっけ。待った、ご飯炊いてない。
手痛い失敗をしちゃった。行きにパンかなにか買って食べようかな。さて、菓子パンを衝動買いしないように闘わなきゃ。
……いや、買いにいって帰ってくるだけの時間はありそうだから買ってこよっと。コンビニが近くにあったはず。朝の散歩を楽しみながら、朝ご飯を買いに行こう。
白いティーシャツにオリーブのカーゴパンツ、とパジャマじゃない服という条件を満たしただけのラフな格好で部屋を出てコンビニに歩いた。これ、途中でみんなに会ったらすごい反応が返ってきそう。向こうでも横着してこの格好で町を歩いてたら、ばったり会った友達に「どこの軍人かと思った」って大笑いされたし。
あの時のことを思い出しながら、気持ちのいい朝を堪能する。いつもはこの時間は家でごそごそしているから、いつもよりひんやりした風が新鮮だ。
さわやかな気持ちでコンビニに入ると、坂井さんとばったり。
「わお、普段と違ったミリタリーな……!」
坂井さんが目を輝かせてこっちを見た。未だかつてない方向性の反応に、わたしの脳みそに衝撃が走る。今まで、みんなネタにして一緒に笑い転げていたのに……!
坂井さん、なかなか手強い。
「えーと、坂井さんも朝ご飯になるもの買いにきたの?」
「いや、これを買いにきました」
えへへ、とちょっと照れた笑みとともに、コンビニのレジ袋から雑誌を取り出してみせてくれた。
表紙をでかでかと飾る、古き良き時代のジェット戦闘機。機種は、セイバーだ。
「やっぱり、こういうの買っちゃうんですよねー」
「分かる分かる! わたしも、戦闘機のプラモデルとか見ると衝動買いしちゃう時あるし」
「ですよねー!」
坂井さんとわいわい盛り上がりながら、パンを選ぶ。
「湊川さんて、一番好きな機種ってなんですか?」
一番好きな機種かぁ……。なんだろう、あんまり考えたことなかったなぁ。
適当に、頭の中でくるくると戦闘機の情報を脳内再生する。これだってなったのが一番好きな機種……なはず。
「……セイバー、かな。」
特に後期型の無印セイバーなら、アフターバーナー付きでなおかつ軽く、昼間戦闘に限定すればかなりいい機体だった気がする。まー、その、なんというか。レーダー誘導ミサイルが積める戦闘機が相手だと泣けてきちゃうけど。
「セイバーですか! ……まさか、今週の表紙がセイバーだから……?」
「違う違う、セイバーって軽くておとなしくて、でもちゃんと期待に沿ってくれるようなイメージがあるからだよ」
あ、なるほど……。と坂井さん。
パンを買って、コンビニを出るまで坂井さんといろいろ話していたら、別れたあとにものすごい時間を溶かしてしまっていることに気付いた。
「あ、ヤバっ!」
駆け足で部屋に向かう。坂井さんも、時計を見て駆け出していた。
部屋に飛び込み、大慌てで制服に着替えた。大丈夫、髪とかはちゃんとしてある。鞄に教科書とかノートも入れてあるし……。
ふぅ、と一息ついて買ってきたパンをかじった。
口の中に淡い甘みが広がって、心が穏やかになる。さっきまで、焦っていたのがどこかへ飛んでいってしまった。大丈夫、時間に余裕はできている。
パンを胃の中におさめて、いざ学校へ、と部屋を後にした。
……おっと、鍵かけなくちゃ。
埃と湿気が天敵で、奴らと出会うたびに鼻水ずるずるです。