プロローグ
転校初日。今日から担任の先生になるであろう人に連れられて、中部女学院高等部の廊下を歩いている。慣れない景色に、きょろきょろと目が泳いでしまう。
「湊川、緊張してるか?」
「は、はい」
目に映るものが今までと違うし、これからクラスメイトとなる子たちと今日初めて顔を合わせるんだから緊張するよ……。
先生はすたすたと歩いていってしまうから、うっかりぼーっとしていたら置いて行かれそうになってしまっていた。あ、ヤバい、と思ったら「あぅ」と小さく声が漏れてしまった。深呼吸、深呼吸……。
新鮮な空気が身体に取り込まれたような気がして、緊張が少しほぐれた。よし。
「おーい、ちゃんと着いてこいよ」
よし。とか言ってる場合じゃなかった。ほとんど完全に置いてけぼりを食らいそうになってる。
「着いてこいよ、じゃないですよ。先生速すぎです」
別に速すぎる訳じゃないけど、何となく文句を言ってみた。苦笑いでさらっと済まされたけどまあいいや。
……あれ、さっきまで緊張してたのがどっか行った。
わたしが組み込まれる教室には、すぐに着いた。
「んじゃ、ちょっと待ってろ」
先生はそう言って、わいわいやってる教室に飛び込んでいった。って、戸閉めちゃうんですか!
「はい静かにー」
先生は一発で教室のざわめきを鎮めてしまった。今日からこのクラスに転校生が来るぞー、と先生の声が漏れ聞こえる。
と思ったら、すぐ後にがらりと戸が開いた。
先生がひょいひょいと手招きをしているので、わたしは教室に足を踏み入れる。すると、教室がどよめいた。……なんで?
「自己紹介してくれ」
先生はそう言った。うぅ……緊張するよぉ……。
「えと、湊川ゆかりと言います。三沢航空学園から転校してきました。え、えーと、よろしくお願いします!」
そこまで言い切ったら、誰かがぼそりとかわいいって呟いたのが聞こえた。あれ、わたしって女子校に転校したんじゃなかったっけ。さっきのかわいいって呟きから教室が再びざわざわし始めた。プロポーズしちゃおうかな、とかも聞こえてきた。この学校、いったいどうなっているんだろうか……。なんだかだんだん怖くなってきた。
「今日は欠席いないから、空いてる席が湊川の席な」
ひどい説明を見た。先生、面倒くさがりかなんかだと確信。で、なんで席が廊下側最後列なんだろうか。普通、こういう時は窓際の最後列って相場が決まってるってお姉ちゃん言ってたよ……。
割り当てられた自分の席に着くと、先生が諸連絡を始めた。それを聞いても、何がなんやら分からないから誰かの真似をしてどうにかしよう。ま、まだこの学校に来たばかりで知ってる人いないし!
でも、完全に聞き流しちゃうとアレだから一応聞いておいた。この建物の固有名詞をいわれてもピンとはこなかったけど。どこに何があるのかさっぱりだ。
「今日の飛行実習、みんな忘れ物はしてないな? あー、湊川は耐Gスーツ用意してあるから授業前に飛行教官室に取りにきなさい」
先生のその一言でわたしの脳みそが急にフル回転し始めた。教官室ってどこだろう。
ま、行ってみれば分かるかな。そう思っておくことにする。
一時限目から、いきなり飛行実習だったとは。飛行教官室ってどこにあるの……。多分、飛行場のほうにあるんだろうと見当をつけて、みんなについて行ってるけどなかったらどうしよう。
ドキドキしながらの教室移動、周りは仲のいいグループで集まってわいわいやってる。みんな、誰が最初に話しかけるか駆け引きでもしているんだろうか。ちらちらと視線を交わし合ったりしてるし。
あー、誰か話しかけてくれないかなぁ……。
こういう時に、緊張して最初の一歩が踏み出せない自分が嫌になる。
はぁ、と溜息が漏れてしまった。多分だけど、今ので周りはもっと話しかけにくくなってしまったに違いない。
負のスパイラルにはまって、一人勝手にテンションが落ちて行ってしまう。
だから、ちょんちょんと肩をつつかれて飛び上がりそうになった。
「あー、湊川さんだっけ? 飛行教官室ってどこか分からないよね?」
振り返ると、ナニが大きくて、茶色いボブカットが揺れる美少女が。
「え、えーと……」
混乱醒めやらぬまま、一気に聞かれてどう返事すればいいのやら……。
「さやか、湊川さん困ってる」
「だってさー」
茶髪の子と、その隣にいた黒髪の子がなんか言い争いを始めそうな雰囲気になった。
「え、あ、あの……」
でも、気が引けてしまう。あぁ、自分がもどかしい!
「あ、そういや私たち自己紹介してなかったっけ。私は槙田さやか、よろしくねっ」
……なんというか、完全にノリがアイドルなんですが。ばっちりウィンクまでされたって困るよ。
「……あー、もう。そのノリが相手困らせてるんだって……。月島佳奈って名前だから、好きに呼んでいいよ」
これまた、返答に困る自己紹介をしてくれた……。
「……えーと、これからよろしくお願いします?」
「……なんで疑問系?」
槙田さんから突っ込まれたけど、まあいいや。
「まあいいや、とりあえずゆかりんて呼んでいい?」
「う、うん」
よっしゃ、と槙田さんはガッツポーズ。好きな男子に告白してオッケーもらった女の子じゃあるまいし、そこまで喜ぶものなのかな。
「それより、早く行かないと時間が……」
月島さんが時計を見てわたしたちを急かした。
みんなが案内してくれたおかげで、教官室に無事たどり着くことができた。のはいいんだけど……まさか一分で着替えるはめになるとは……。
「今日の実習は、みんな喜ぶと思うぞ。編隊飛行だ!」
えー、と周りからブーイングが飛んだ。
みんなそんなに編隊飛行嫌いなの? ときょとんとしていたら槙田さんにびっくりされてしまった。
「そんじゃあ、四人一組を作ってー」
先生が指示を出すと、みんなぱらぱらと分かれ始めた。
「ゆかりんて、もしかして編隊飛行嫌いじゃなかったりするの……?」
「うん」
編隊飛行なんて、航空科の小型コースなら基本的な技術だと思ってたんだけど、ここだと違うんだろうか。
「こっちじゃ、みんなアクロバット中心にやってるから、単機で飛びたがるからね……。ゆかりんはどんな風に飛んでたの?」
どんな風に飛んでいたか……かぁ。
「たいていは、四機で編隊組んで飛んでたなぁ……。密集編隊組んだり、逆にばらけて組んでみたり」
月島さんが、こっちを見て信じられないと言うような表情を見せてくれる。どこまで単独飛行したいんだろう……。
転校して早々、面白い違いを発見できて楽しい。
「そういえば、去年はアクロの全国大会で優勝したんだっけ」
「そうそう、ゆかりん知ってたんだ!」
「前にいた学校でも、アクロがすごい強いって聞いてたから……」
おー、と槙田さんが目を輝かせた。
「アクロって、どうにも注目度低いからさー。ほら、エアコンにみんな目が行っちゃうじゃん?」
あー、納得。あっちのほうが派手だしね……。
それをいうと、月島さんが「そうそう、だからエアコンをやってないこの学校はへ」と言って槙田さんにチョップを食らった。月島さんは何を言おうとしていたんだろう。
「佳奈ってば、ゆかりんに転校早々変なこと吹き込まないでってば」
それより、今三人しかいないんだけど大丈夫なんだろうか。
「後一人、誰か一緒に飛んでくれる子いないかなぁ……」
槙田さんがぐるぐるとあたりを見渡すも、誰も寄ってこない。
「あっちゃー、ゆかりんがいるからみんな遠慮しちゃってるなぁ……。いつもだったらコンマ数秒で一組作れるんだけど」
コンマ数秒で一組作れちゃうだけのコミュニケーション能力があるのに、なんで今そんな遠慮がちになっちゃってるんだろうと、ものすごく気になってしまう。
「……さやか、後ろ」
月島さんが槙田さんの肩をちょんちょんとつついた。槙田さんの後ろに誰かいるのだろうか、と見てみると、癖っ毛の女の子が槙田さんに話しかけていた。
「えーと、誰だっけ……」
すっとぼけたことを言う槙田さん。月島さんがずっこける。クラスメートを覚えていないのか、クラスメートに覚えてもらえないのか。おなかの辺りがもにょもにょする感覚に襲われた。
「坂井です、坂井しおりですよ!」
槙田さんは、はっと思い出したような表情をした。何となく月島さんを見ると、誰だっけ……と考えこんだまま帰ってきていない。さっきずっこけたじゃん……クラスメートくらい覚えておいてあげてよ……。
「あー、その……もしよかったら一緒に編隊組みません? 余っちゃって……」
「こっちもちょうど一人足りなかったから、こっちからお願いしたいくらいだよ」
満面の笑みで槙田さんが坂井さんを引き入れた。これで四人揃ったから、何も心配ないや。
と思っていたら、月島さんが槙田さんに何か耳打ちした。
直後、槙田さんが顔を真っ赤にしながら月島さんを蹴っ飛ばした。
「わ、私だって編隊組むくらいだったらちゃんとできるもん!」
あ、苦手なんですね分かります。
「大丈夫ですよ、編隊飛行なんてリード機を見てたら着いていけますから!」
「さやかの場合、それ以前の問題だから……」
あ、坂井さんのフォローを月島さんがとどめを刺しにいった。槙田さんが、佳奈ひどい……と言い残して崩れ落ちていく。
「よし、みんな分かれたな。じゃあ、飛行機に乗っていけ」
みんな、そこらへんのホークに乗っていった。
ホークかぁ。飛ばしたことないけど、向こうでタロン飛ばしてたし、飛ばせなくはない……はず。あ、ゴスホークに乗せられたこともあったっけ。じゃあ、大丈夫かな。
タロンに比べて、まるっこくて小さなジェット機のコックピットに身を沈めると、今時の流れに逆らうようなアナログ計器がずらりと並んでいた。アナログな機体を主に飛ばしていたし違和感はない。むしろなじんでいるくらい。
ただ、空母で運用できるように改造されたゴスホークとは飛行特性も変わってくるだろうし、そこがちょっぴり不安だ。
上がってみたら、なんてことはなかった。ゴスホークより軽くてローパワーな感じがするけど、普通に飛べる。
月島さんに先頭を飛んでもらって、槙田さんがその右翼後方へ。わたしは最後尾についたので、みんなの機体がよく見える。ちょっと先には、先生が乗ったホークも見える。くるり、と視線を巡らせると他のホークがいっぱい目に飛び込んでくるから迫力を感じた。距離はあるけど、やっぱり数があると違うなぁ。
ゆるーりと月島さんが右に機体を傾け始めたから、それについていくように操縦桿を右に倒した。
それにしても、槙田さんがふらふらと飛んでいるのが怖い。それに比べて、坂井さんはパシッと位置を決めて飛んでいる。うまいなぁ。……と、旋回が終わった。
キャノピー越しに見える、海岸線は複雑で何がなんやら。ただ、平坦なのよりも覚えやすいからいいか。あ、中部国際空港。
ちらちらと地形を観察しながら、目立つランドマークを確認して行く。後で、地図と照らし合わそう。
景色を楽しんでいたら、再び月島さんが旋回を始めた。今度は左旋回。今度も、坂井さんはピシッと位置が決まっているのに槙田さんがふらふらと……。
編隊を組んで、先生について行ってその辺をくるくると飛んでいたら、順々に編隊を組んだまま着陸するように言われた。え、四機で編隊組んだまま降ろすの?
右前方の槙田さんの動きに注意を払いつつ、決められたパターンを周回して順番を待つ。学校の飛行場の周りをぐーるぐる。時折、空港のほうに飛んでいく旅客機に目を奪われつつ、ぐーるぐる。着艦の順番待ちをするエヴィエイターもこんな感じなんだろうか。
先生が適当に順番を割り振って降りていってるけど、うまくいかずにゴー・アラウンドをやらかすところもあるから待ち時間が長い。と思っていたら、いつの間にかわたしたちの番が回ってきていた。
「次は月島のところな」
「了解。……さやか、頼むから一発で決めてよ。――あ」
月島さんが、ぼそりと呟いたのが聞こえてきた。
多分、先生は大爆笑しているだろう。月島さんが、照れからか少しうわずった声で管制塔に着陸許可を求める。
着陸許可が下りたので、距離を詰めながらトラフィックパターンに乗った。
月島さんが管制官と細かくやり取りをしている。わたしたちはそれに着いていくだけだ。月島さんの機体をしっかりと見て、編隊を崩さないようにしながら計器も見て、進入角を合わせていく。あっちこっち見なきゃいけないから、編隊着陸が一番苦手なのに……。
ただ、タロンよりスピードは遅いし、落ち着いて飛ばせるだけの余裕があるから大丈夫。
滑走路がじわじわ近づいてくる。ふわりと機首を引き起こして、後輪から接地させた。月島さんに追突しないように、うまく減速させながら前輪も接地させると、ちょっとした安心感が湧いてきた。後は、みんなと速度を合わせて機体を止めるだけ。
「はぁ、無事帰ってこれた……」
槙田さんが疲れきった表情でぼやく。
「さやか、こっちは後ろから突っ込まれないか冷や冷やしてたんだぞ……」
同じように、月島さんも疲れきっている。元気なのは坂井さんだけだ。
「湊川さんて、三沢航空から来たんですよね? 確か、去年エアコンで準優勝した時のエースでしたっけ」
「あれ? 坂井さんにそれ言ったっけ……」
私の記憶の中だと、まだ誰にもそれは言ってなかったはず。エアコンやってたってことすら言ってない。
競技空中戦、通称エアコンは戦闘機を用いてその名の通り空戦技術を競い合うスポーツだ。最新鋭の兵装シミュレーターが搭載され、実際に飛行機を飛ばすコンバットフライトシミュレーターと言われることもある。
「だって、天下の三沢航空のエースパイロットですよ、一目で分かっちゃいました!」
「あーあー、あんまり大きな声で言われると恥ずかしいってば……」
ほおが熱い。わたしの顔は真っ赤になっているはずだ。
「あ、すみません……」
坂井さんは、ちょっぴりしおれてしまった。槙田さん、「ゆかりん耳まで真っ赤だー」じゃないよ。
「あ、そんなに気にしなくてもいいよ」
割と、本気で落ち込んでしまっているからあわててフォローに回る。
「……はい、次から気をつけます」
無性に罪悪感にかられる。なんなんだろう、この……。
もやもやして、ただ苦笑いするしかなかった。