表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/48

第九話 太陽に形はあるか?

 軍属となったノエルには十人長の地位が与えられた。シンシアから借りていた軍服はそのまま貰えることになったので、上機嫌でミルトたちに見せびらかしていた。既にノエルにとっては大事な宝物の一つである。


 一方のミルトたちはというと、反乱が収まるまでという条件つきで兵として参加することになっていた。今の状況では村に戻るのは難しいと判断し、ならばこのまま軍に参加して給金を稼ごうと考えたのだ。命を懸けるだけあって、それなりの金は貰う事ができる。命の対価としては安いことも確かではあるが。

 反乱軍撃滅を目指すコインブラ軍は南部からの招集を行なっている最中で、兵達が慌しく移動を行なっていた。再編成が終わり次第ロックベル奪還に向かうと、既に指揮官を通じて各員に通達されている。


 ちなみにノエルと義勇兵たちは、ひとまずシンシアの指揮下に置かれることとなった。碌に訓練も受けていない小娘を引き受けようなどという物好きは一人もいなかったのだ。いわゆる雑兵ならともかく、十人長となると末端ながら指揮官として扱わなければならない。面倒な上、戦力として計算できない人間を引き受ける者などいる訳がない。

 シンシアも彼らをどのように扱うかで頭を悩ませたが、とりあえずは比較的危険の少ない任務を与えることにした。流石にいきなり最前線に立たせるほど薄情な性格ではなかった。


「――というわけで、私が皆を纏めることになりました。これからはノエル十人長、もしくは隊長と呼ぶように。簡単にいうとミルトの十倍偉いからそのつもりで私を敬ってね」


 十人長の軍服を身につけたノエルが偉そうにふんぞり返っている。仕草だけなら千人長並だ。

 座りながらそれを見上げるミルトたちは、わけが分からないといった顔をする。


「……お前が軍に入ることになったのは聞いたけどさ。なんでいきなり十人長なんだ? おかしいだろ」

「太守からのご褒美」

「悪いが意味が分からん」

「ま、とにかくそういうことで私が隊長だから。隊長には失礼がないように。分かったら返事を――」


 シンシアへの態度を棚に上げて、好き勝手なことを言うノエル。


「いきなりお前を敬えって言われてもなぁ。無理言うなよ。というか、一番失礼な口を利いてたのはお前じゃないか」


 と、ミルトが言うと、村の者も同調する。


「大体、なんでお前が隊長なんだよ。騎士でもなんでもないのに、平民女が隊長だなんておかしいだろ」

「だって十人長だからね。さっきも言ったけど、ミルトの十倍偉いんだよ。ね、凄いでしょう」

「全然そう思わないぜ。シンシア様はなんか威厳があるけど、お前には全くないし」

「そんなに威厳ないかなぁ」

「いくら軍服着てたって、その口調と態度で全部だいなしだぜ」

「あらら」


 ノエルはふんぞり返るのを止めて、がっかりしている。


「……というか、馬鹿なこと言ってないで、大人しくシンシア様を待ってようぜ。その方が話も早いだろ」


 ノエルが自分より強いというのは認めるが、誰かを率いて戦うというのは無理だろう。先日まで共に獣を追い回していたのだから。短い間とはいえ一つしかない命を預けるのだから、もっと頼りになる上官にお願いしたいところだ。赤輪軍でいうネッドやゲブのような戦闘経験が豊富な人間に。


「シンシア百人長は出陣の準備で忙しいから、私たちみたいな新兵に構っている時間はとてもないって。急がしそうにあちこち駆けずり回ってたよ」

「なら暇になるまで待機してればいいだろ。俺たちはどうせ数合わせみたいなもんだし、お前だって名前だけの十人長なんだから」

「うーん。それじゃあ、私の言うことはどうしても聞いてくれない感じ?」

「悪いがそういうことだな。そもそも、俺たちは正規兵じゃなくてただの村人だし。剣や槍の訓練なんてしたって、何の得にもならない。俺たちも適当にやるから、お前も適当にやってろよ。死ななきゃいいんだ」


 欠伸をしながらミルトは答える。反乱軍を抜けたとはいえ、別にコインブラ州のために戦うつもりもない。そのための訓練なども真っ平ごめんだ。どうせ直ぐに抜けるつもりなのだから。適当に動き回って報酬だけ貰えればそれで良い。自分の本職は狩人なのだ。


「ミルトの言う通りだな」

「賛成賛成」

「あーあ、多分こんなことになると思ったんだ。という訳で、とっておきのお宝を使うことにします」


 そう言うと、ノエルは眼鏡を掛け髪を纏め始める。いきなりの奇行にミルトたちは思わず戸惑う。

 暫くすると、先程とはガラリと表情を変えたノエルが居丈高に腰に手を当てている。


「本当は使いたくなかったけれど、仕方がないね」

「な、なんだよ」

「この大陸に存在するどの州においても、軍隊では階級が絶対だ。上官への口答えは決して許されない。その足りない頭にしっかりと叩き込んでおけッ!」

「い、いきなり眼鏡を掛けたと思ったら、何を言いだすんだお前は。もしかして、どこかで頭でも打ってたのか?」


 シンシアのような威圧的な軍人口調で語り始めるノエル。どこぞの青年士官のような口ぶりで、舐めた口を聞こうものなら即座に叩きのめされそうだ。

 そう、まるでシンシアを相手にしているようだった。女で年若いとはいえ、逆らえない何かをシンシアは持っていた。自分たちにはない何か。迫力や威厳とでもいうのだろうか。それがノエルから発せられている。


「言葉遣いは、それで良いのか? 訂正するなら今の内だ。口で言っても分からない奴は、身体で覚えさせる。それでも分からない奴は最早救い様がないということ。かつて私はそう教わった。最後の確認をするけど、言葉遣いはそれで良いんだな?」


 ニヤリと笑いながら、腰から鉄槌を取り出すノエル。リズムを刻むように、掌へと打ち鳴らしている。鉄槌には赤い染みがついており、それが何かなどとは今更言うまでもない。

 その鈍器が敵兵に振り下ろされたのを目撃しているミルトたちは、恐怖で思わず顔が強張る。ノエルは軽そうに弄んでいるが、この鉄の塊をつけた棒は、分厚い門扉を叩き潰す威力がある。頭部に炸裂すれば、潰れた果実のようになってしまう。そうなったのを実際にみたのだから間違いない。

 ミルトは背筋を正して慌てて言葉遣いを正す。


「も、申しわけありません、ノエル、隊長」

「――宜しい。それではこれから我々が遵守すべき軍規について説明するね。軍規に反した場合、新兵とはいえ容赦ない処罰が下ることになるんだ。“俺は村人だから”なんていう腑抜けた言いわけは通用しない。理解してくれた?」

「は、はい」

「声が小さいッ! それと了解するときは敬礼も同時に行うように。“貴方の言葉を、この私の足りない頭で完全に理解しました”と、言葉と身体でしっかりと表現するようにね」

「わ、分かりました!」


 背筋を正し、見よう見まねながら敬礼を行うミルト。他の者も慌てて立ち上がり敬礼を行う。次に睨み付けられたりしたらたまったものではないと。


「よーし、それじゃあ、これから一緒に頑張ろうか。ミルトたちが軍にいるのは少しの間だけど、死ぬ時は一瞬だしね。死んだ後に悔やんでも意味がないから、今できることは今やっておいた方がいいよ」


 眼鏡を外して穏やかに微笑むと、くだけた敬礼をしてみせるノエル。


「――え?」

「意外と上手くいったかな。流石はシンシア方式だね。新兵への効果は抜群だ」

「……い、今のは、全部演技だったのか?」

「うん、全部シンシアの真似だよ。目つきを鋭くして、偉そうに喋るの。でも、緊張すると舌が回らなくなるんだよね。で、似てた?」

「あ、ああ。本物の軍人みたいだったぜ。あー、というか、別人みたい、でした」


 演技や真似などという生易しい物じゃない。あれは本物の殺意だった。死にたくなければ命令を忠実に実行しろという脅し。

 例えこれが本物の戦場だったとしても、ミルトは命令に従い敵陣に突っ込んでいっただろう。逆らえば死ぬと分かっているのだから、従うのは当然だ。

 先程の残像がまだ脳に残っているので、敬語を使うか判断に悩む。いきなり豹変しないとも言い切れない。


「やったね。この眼鏡を掛けると頭が良さそうに見えるんだよね。偉そうにするときはこれを掛けることにしよう」


 眼鏡を布に包み丁重に懐へとしまうノエル。慣れた手つきで、纏めた髪を解いている。


「もしあの時逆らってたら、どうするつもりだった、のですか?」

「それは勿論、ぶん殴ってたけど。言葉で分からないなら、その方が早いし。教育ってそういうものでしょ」


 口元を歪めて獰猛に笑う。眼鏡を掛けていないのに、先程と同じ威圧感が一気に赤毛の少女から溢れ出す。

 それを見たミルトたちは一つ心に決めた。軍にいる間は、ノエルに逆らわないようにしようと。下手に怒らせて、挨拶代わりに鉄槌を振るわれては堪らない。よくよく考えれば、既に数名のバハール兵を屠っているのだから。まだ人を殺したことがない自分たちとは違うのだ。


「えーと、それでは以下のことを守るように。軍隊ではとても大事なことだからね。破ると最悪死刑になるから、各自気をつけようね」


 ノエルは軍規の書かれた紙を取りだして説明を始める。

 シンシアから敬礼の仕方と軍規ぐらいは伝えておけと言われていたからだ。

 細かく色々と書かれているが、ノエルが伝えるのは三つだけ。命令には従う、勝手に逃げてはいけない、仲間を裏切ってはいけない。

 当たり前のことだが、実戦で守るのは難しい。特に二つ目の、逃げてはいけないだ。劣勢になれば自然及び腰になり、危機が迫れば人間は我先にと逃げ出してしまう。

 それが連鎖して隊列は崩壊し、やがて潰走に繋がっていく。故に、指揮官は兵の士気を保つためにも常に勇敢で平然とした振る舞いをしなければならない。

 昔、ノエルが嫌という程叩き込まれたのと同じこと。こんな紙を読むまでもなく覚えている。


「内緒だけど、うっかり破っちゃったら逃げた方がいいよ。座して死を待つなんて、馬鹿馬鹿しいよね」

「……そんなこと言って、いいんですか?」

「最後の最後くらい自分で考えた方がいいよ。命令に従うか、従わないか。戦うのか、戦わないのか。生きようとするのか、それとも違うのか」

「…………」

「私は、そうすることにしてるんだ。あの日、そう決めたから」


 そう言って、ノエルは微笑んだ。



 ――どんなに楽しい時でも、あの日、あの場所を思い出すと、ノエルの気分は暗くなる。皆の顔を思い出してしまうから。思い浮かぶのは彼らの笑顔ではない。穴にうち捨てられた亡骸、腐肉がドロリと剥がれる感触、鼻に突き刺さる臭い、冷たい雨。

 そういうときは、空で燦々と輝く太陽を眺める。目に光が差し込み、網膜が焼ける。そうすることで、思考をゼロに戻すことができる。ノエルにとって、太陽はなくてはならない一番の宝物だ。手に取ることはできないけれど、好きなだけ見ることができる。それで十分だった。


「これで大体終わりかな。ま、私たちの仕事は剣を振るうことじゃなくて、当分の間は別のことなんだけどね」

「それは一体どういうことなんですか?」


 敬語で質問し始める村の若者。すっかり部下としての在りようを躾けられてしまっていた。それだけではなく、畏怖の感情も湧き上がっている。


「他の部隊に合図を出す大事な役目だよ。シンシア隊長が後で色々と教えてくれるってさ。どうやるのか楽しみだね」

「……そ、そうなんですか。てっきりいきなり前線に立たされるのかと思ってました」

「役立たずを前に出しても、死体が増えるだけじゃないかなー」


 笑顔で残酷なことを言うノエル。


「た、確かに、俺たちが前に出ても、役に立つとは思えないですし」


 それなら死ぬ危険も少なそうだと、ミルトたちはほっと息をつく。死にたくないし、まだ人を殺したこともないのだから。できればこのまま反乱が終わってくれと心から祈っている。

 人を殺すというのはどういう気分なのだろうか。ふとそんなことを思ったが、ノエルに聞けるわけもない。少なくともノエルがやらなければ、自分たちは死んでいたのだから。

 そんなことを悩んでいるとは露知らず、


「そういえば、結局敬語を使うことにしたんだ。本当、全然似合わないね。ほら、皆さっきから口が歪んでるよ」


 ノエルがつんつんと頬を指でつつくと、ミルトは身体を捻って嫌そうな顔をする。


「……お前がそう言ったんじゃないか。それに、お前だってシンシア様のことを、ちゃんと“隊長”って呼んでるだろ」

「うん、人前では隊長と呼べって怒られたからね。上官に不敬な真似したら、本当は制裁の上に独房行きだって」


 自分は気にしなくても、他の士官が良い顔をしないとシンシアから忠告されたのだ。友達に迷惑をかけるのは嫌だったので、ノエルは演技をすることにした。人の真似をしたり、従う振りをするのは得意だ。あの場所にいたときは常にそうしていたから。


「まぁ、軍にいる間は我慢するさ。えーっと、ノエル隊長」


 同年代の女に敬称をつけなければいけないことに違和感を覚える。だがまた豹変されても困るので、できる限り気をつけようとミルトは決心していた。


「うん、それが良いよね」


 短く言うと、休憩にしようと告げて、ノエルは座り込む。そのまま目を瞑り、気持ち良さそうに日光を浴びている。

 これ程までに呑気な軍人は他にはいないだろう。いたとしたら、馬鹿か大物かのどちらかだ。そんなことを考えつつ、ミルトも地面に腰を下ろした。

 そして、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。今を逃したら、もしかしたら永遠に次の機会がないかもしれないから。


「……なぁ」

「敬語、もう飽きたんだ」

「今だけだ。後でちゃんと直す」

「そっか」

「お前はどうして軍に入ったんだ? 正規兵になっちまったら、反乱が収まっても村に帰れないんだぞ。下手したら、死んじまうかもしれないのにさ」


 ミルトの問いに、ノエルは目を見開き太陽に手を翳す。


「シンシア隊長、それに若君と約束したから」


 シンシアとは一緒に幸せを探そうと。エルガーとは、偉くなったら幸せをお裾分けしてくれるという約束だ。

 あの村も嫌いではないが、ノエルの望む幸せが手に入るようには思えなかった。


「やっぱり、あんな寂れた村で一生を過ごすのは嫌か?」


 ミルトが近くの草を毟って口に含む。他の者たちも黙って話に聞き入っている。


「ううん、ミルトもキャルもいるから嫌いじゃないよ。村での暮らしは本当に楽しかったし。でも」

「――でも?」

「私一人なら、あそこで良かったんだと思う。でも、私は一人じゃないから。皆の分まで絶対に幸せにならないといけない。たとえ叶わなくても、最後まで頑張らなくちゃいけない。だから――」


 ノエルはそこで言葉を切る。


「それは、ここでなら見つかるのか?」

「それは分からないよ。でも、私が人より少し得意なのは、戦うことぐらいだし。仲間を一杯作って、勝ち続けて、偉くなる。教えてもらった方法を一番満たせそうなのは、ここかなって思ったの。私はでき損ないの屑で、馬鹿だから、他に思いつかなかったんだ」


 ノエルは呑気な表情で自らを卑下する。本気でそう思っているかは分からない。


「死ぬ危険があることは、分かってるよな?」

「仕方ないよ。世の中って、そういうものだろうし」

「……そっか」

「うん」

「でもさ、俺たちの中で、お前だけ十人長になれたんだからさ。でき損ないの馬鹿なんかじゃないだろ」

「そうかな?」

「保証してやるよ。しっかり頼むぜ、ノエル隊長! 俺たちの命が懸かってるんだからな」


 ミルトが励ますように肩を叩いてやる。小さな身体だが、その肉付きは獣のように引き締まっている。ミルトの声につられて、村の若者たちも「そうだそうだ!」と激励の声を上げた。戦意の欠片もなかった若者達だったが、話を聞いている内に感情が昂ぶっていた。別にコインブラへの忠誠などないのに。死ぬのは今も怖いはずなのに。だが、まるで惹かれるかのように、ノエルから目を離せないでいた。今は、やけに眩しく思える。


「勿論! 皆が無駄死にしないように精一杯頑張るね!」


 強く頷くと、ノエルは立ち上がった。太陽の日差しがノエルの背中を強く照らす。

 ノエルの顔を眺めていたミルトは、思わず眩しそうに手を翳す。

 ――その瞬間、ノエルの背後に小さな黒い影が見えた。一つや二つではない。数十、いや、数百だっただろうか。影たちは身体を震わせて喜んでいるようにも見える。

 思わず目を閉じて、もう一度開けた時には、黒い影は完全に掻き消えていた。


(今のは、気のせいか?)


 ――私は一人じゃない。

 ノエルの言葉が、ミルトの頭の中で冷たく響き渡る。村の若者達は先ほどと同様に、夢現の表情で見つめている。ミルトには、何故だかそれが薄ら寒く感じられた。

 

 


 軍の倉庫から、太鼓やら銅鑼やら角笛を受け取ったノエルたちは、コインブラの港へとやってきた。

 最初は練兵場で練習していたのだが、他の部隊の迷惑になるから他でやれと言われたためだ。下手糞すぎて士気が下がると、シンシアに苦情が寄せられていた。


「……確かに、これはひどいな。うん実に耳障りで不愉快だ。相手の士気を下げるには効果がありそうだが」


 正直な感想をシンシアは述べる。


「やっぱり適当じゃ、駄目ですよね。何回鳴らすとか、強弱の加減がどうも覚えきれなくて」


 ミルトが枹を握りながら肩を落す。


「当たり前だ。進軍、突撃、停止、後退、退却。これらの合図が、兵たちに確実に伝わらなければ意味がない。つまり、この馬鹿者のようなやり方では何の意味もないということだ」


 シンシアがノエルの頭を小突く。ノエルは痛いと目で訴える。ついでに、ぷおーという力の抜ける情けない音が鳴る。

 ノエルが口に咥えているのはラッパだ。コインブラの海軍はラッパを愛用しているが、陸で戦う兵たちはあまり使うことはない。奏でるのに技量と経験が必要なのが主な原因だ。角笛と太鼓で合図を行なうのが主流である。


「技術のいるラッパは止めて、素直に打つ楽器にしたらどうだ。要は伝わればいいのだから、それに拘る必要はないだろう」


 シンシアが説得するが、ノエルは首を横に振る。

 どことなく歴史を感じるこのラッパをノエルは気に入った。それに格好良い。頬に空気を溜め込んで、全力で吹き鳴らす。が、やはり上手くいかない。


「まぁ、ラッパに憧れる理由も分からんではないが。花形だからな」


 隣から響くぷおーという音を無視してシンシアは話を続ける。


「……実は、昔の伝記で見たのだが、昔のコインブラには軍楽隊というものがあったそうなのだ。様々な曲目を奏でながら優雅に行進していたらしいぞ。さぞ壮麗だったことだろうな」


 大陸が統一される前の話だ。溢れるほどの金を抱えていたコインブラは、文化レベルも高い水準にあった。数々の音楽家や芸術家を輩出しており、その流れが軍隊にも波及していった。重厚な鎧を着こみ、演奏にあわせて行進する兵たちの姿は、見るものを圧倒したという。

 シンシアの話に、ノエルが食いつく。


「それって凄く楽しそうだね。ね、皆で歌いながら歩いていくの?」

「うむ。兵に恐怖を忘れさせ、戦意を高揚させながら敵に向かわせるのが目的だったらしい。勇壮な旋律と共に全員が一糸乱れずに歩を進めていくのだ。戦わずして敵に敗北を悟らせるという狙いもあったとか」

「それは、なんというか凄いですね。でも、そんなに上手いこといくんですか?」

「いや、残念ながら完全に失敗した。演奏中に敵の奇襲を受けて散々な目に遭ったようだ。しかも僅かな敵兵相手にな。兵の半数以上に楽器を持たせて備えを怠れば、そうなるのも当然だろう。それ以降、軍楽隊というものは廃れてしまったようだ」


 輝かしいコインブラの汚点の一つ。各国の兵法書には失敗例として必ず記される逸話だ。“金はあっても、人はなし”を裏付けるもの。コインブラの弱兵ぶりを示す歴史は他にも数多く残されている。どれもこれも惰弱ぶりを嘲るものだ。


「でも楽しそうだよね。見てみたいしやってみたいな。きっと格好いいよ。ね、シンシアもそう思うでしょ?」

「実戦で悠長に演奏している暇があるとは思えんがな。それに、矢が飛んでくる中で、呑気に演奏などしていられるわけがない。悪いが、私は全くやりたくない。お前がやる分には止めないから好きにしろ」

「分かった。ね、ミルトはやりたいよね。いつか一緒に行進しようよ」

「……シンシア様、ノエル十人長に余計なことを吹き込まないでください。馬鹿なので本気でやりかねません」

「うむ、すまない。馬鹿だから本気にしてしまうな」

「悪口が全部聞こえてるんだけど」

「無論、知っている」


 抗議するように、ノエルはぷおーとラッパを吹いた。

 


 ノエルたちはそれから半日以上、ぶっ続けで練習に取り組んだ。シンシアは途中で己の職務があると戻って行った。

 ラッパを吹きながら、ノエルはコインブラの港を眺める。潮の香りが鼻をくすぐる。

 時折交易船や漁船が出港し、その度に誇らしげなラッパが吹き鳴らされる。下手とはいえ、軽やかな旋律が奏でられると、思わず心が弾んでしまう。

 なるほど、やはり音楽は楽しいし気分が明るくなる。昔軍楽隊というものを考えた人も、きっとそう思ったのだろう。

 人気の少ない市場の方から、ミルトたちが戻ってくる。彼らは腕が疲れたといって休憩すると言っていた。

 見たところ食べ物や、衣服などを支給された俸給で買っていたようだ。


「まだやってたのか。いい加減諦めたらどうです?」

「まだまだ諦めないよ。それはご飯?」

「ええ、隊長のも買っておきましたよ」


 ミルトがパンを投げてくる。ついでに袋に入っている魚の揚げたものも。


「ありがとう」


 一つ摘んで食べてみる。とても塩辛かった。その気分を篭めてラッパを吹いてみる。先程よりいい感じに音が出た。


「それと、これはおまけです。十人長になったお祝いに。それと、ちょっとした謝罪かな」

「謝罪? 何か悪い事してたっけ?」

「あー、なんでもないです。とにかく、貰ってください。俺の気持ちの問題だから」


 そう言うと、ミルトは可愛らしい魚の刺繍が入った小物入れを手渡してきた。


「…………」

「黙ったりして、どうしたんです。気に入りませんでしたか?」

「ううん、そんなことない! なんだか、一気に宝物が増えたなーって思って。今、ちょっと幸せだなって思った」


 ノエルは白い歯を見せて、心から上機嫌に微笑んだ。

 今まで絵本と不思議な槍だけだったのに、両手で持ちきれない程に集ってきた。

 腰にぶら下げた凄い鉄槌、シンシアから貰った眼鏡に軍服、そしてミルトに貰った小物入れ。それにこのラッパ。


「ほら、眼鏡持ってただろ。それを入れるようにどうかなって思って。懐に入れてたらなんかの拍子に割りかねないし」

「なるほど、ミルトの言う通りだよね。ありがとう!」


 早速小物入れに眼鏡を入れてみた。丁度良い大きさで、すっぽりと入ってしまった。魚の刺繍がいい味を出している。目が微笑んでいるのがとても素晴らしい。ノエルはそう思った。


「ごほん、ではミルト隊員への感謝の印として、このラッパで今の気持ちを演奏したいと思います」

「……あまり嬉しくないんですが」

「じゃあいくよ!」


 ちょっと幸せを感じた今ならなんだか上手く吹けそうな気がした。肝心なのは切っ掛けと心構えなのだ。

 両目を瞑って息を整える。船の出港ラッパが聞こえてきた。それに合わせて、ノエルも息を吐き出し始めた。

 軽やかに、そして高らかに。ノエルのラッパが響く。寄せては返す波の音。出航ラッパは海を連想させる旋律だ。

 聞きほれていたミルトたちだったが、折角なので手に持っていた太鼓と銅鑼を合わせてみる。

 ノエルの演奏につられたのか、初めて皆の呼吸が一つになる。シンシアも太鼓判を押してくれるであろうでき栄えだ。

 一つの高波が波濤となり、寂れていた港に昔の賑やかさが一瞬だけ戻ってくる。

 コインブラの港は、常に出航ラッパが響き渡る海の街だったのだ。人と船が行き交い、商人たちは品物を演奏に合わせて忙しなく運び入れていく。

 漁師や市場にいた商人たちは昔の栄華に暫しの間耽っていた。

 ようやく疲れたノエルが演奏を止めると、ミルトたちも手を止める。同時に、周囲から拍手が浴びせられる。数は多くはないが、皆心から満足したと言わんばかりに全力で手を打ち鳴らしていた。


「ノエル軍楽隊の初演奏は大成功だね」

「いつから軍楽隊になったんだ? いや、なったんです?」

「ついさっきかな。名付けてノエル軍楽隊」


 得意気な顔で親指を立てるノエル。これを選んで大正解だったと、ノエルは軽快にラッパを回転させた。

 音楽は吹いても聴いても楽しいし、皆に力を与えてくれる。不思議な魔法のようなものだ。


「ね、いつか本当に軍楽隊作りたいね」

「コインブラの汚点を抉ることになるから、止めた方がいいんじゃないですか?」

「立派な旗を掲げて、ラッパを鳴らしながら行進したいな。きっと楽しいよ。同じ旗の下で皆で戦って、一緒に生きたり死んだりするの。それって、きっと仲間以上の存在だよね」


 掲げるのはノエルが大好きな太陽の旗が良い。ホルシード帝国の軍旗のことではない。あれはただの紛い物に過ぎない。完全な偽物だ。

 ノエルが望むのは本物の太陽だ。太陽を形で表すのはとても難しい。一見すると丸のように見えるが、そうではない。あれは光の塊なのだから、丸じゃない。光には形がないから、丸じゃない。

 では光はどう表現すれば良い。線だろうか。いや、ただの線では物足りない。全然足りない。ホルシード軍旗には丸と陽射しを現す十字の線が入っているが、あんな物では駄目だ。

 旗に塗るのは赤色だ。橙でも良いけれど、どうせならノエルの髪の色と同じ、赤が良い。全員が真紅の旗を持って行進する。それを上から見たらどう見えるだろう。


「……ま、まぁ、楽しいかもしれないですけどね」

「でしょ。だから、その時はミルトたちも一緒にやろうよ」

「……俺は反乱が終わったら軍を抜けるっての。殺しを仕事にするのはごめんだ」

「それは残念」

「お、俺たちはついていきます!」


 俺も、俺もと後に続く村の若者達。ミルトは一歩離れてそれを見ている。


「やった! じゃあ立派な軍楽隊ができたらミルトに見せにいこう!」

「おう!」

「ああ、俺も楽しみにしてるよ。って、これも約束の内に入るのか?」


 ミルトが期待するような目でノエルに確認する。だが、ノエルは困ったように首を捻る。

 ノエルはできないことは約束しない主義だ。約束を破ると幸せになれないから。


「うーん、私一人じゃできないから、約束は無理かも。でも頑張るね」

「そうか、まぁ忘れなかったら頼むぜ。……って、そろそろ戻りますか? シンシア様に訓練の成果を見せたら驚きますよ」

「そろそろ良い時間だもんね。よーし、それじゃあ突撃ラッパ! ノエル隊、突撃開始ッ!」


 ノエルは小刻みにラッパを鳴らすと、いきなり駆け始める。ミルトたちも慌ててそれに続いていった。

十人長ノエル(眼鏡つき)


頭が良さそうに見える。ラッパも吹ける。

眼鏡は、普段は割れないよう大事にしまっている。


得意技

・抗議のラッパ

・突撃ラッパ

・起床ラッパ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ