第八話 イカロスの夢
――コインブラ州都、マドレス城。
謁見の間にグロールの罵声が響き渡る。跪いたまま顔を赤らめているのは、ロックベル増援の指揮を執ったガデイスという中年の男だ。コインブラではウィルムと並ぶ地位にあり、堅実な戦法を得意とする熟練の武官である。
「このたわけめがッ! 何のためにお前を先遣させたと思っている! ロックベルを賊の手から守りきるためであろうがっ!!」
「恐れながら太守。我々は昼夜を徹して行軍したのです。これで間に合わなければ、誰であろうと陥落前にたどり着くことなどできませぬ」
ガディスは激昂しそうになる感情を必死に堪えながら弁明する。碌に指揮を執ったことのない若造に、家臣たちの面前で罵倒されたのだ。将としての誇りを傷つけられ、その顔は歪んでいる。その弁明がグロールの怒りに更に油を注ぐ。
「それが万の兵を指揮すべき将の言う言葉か!! 私が言っているのは、何故そのままロックベルを取り返さなかったかということだ! この失態、その良く回る舌で弁解できるというならば、してみるが良いッ!」
「では申し上げます。既にバレル伯爵は戦死し、街は完全に制圧されていました。しかし、不幸中の幸いにもサーラ様と若君はお救いできました。ここは一度退き、態勢を整えてから攻め寄せるが最善。連日の強行軍により兵も疲弊しておりました故、無理攻めは避けるべきと判断した次第」
ガディスが率いていたのは三千。ロックベルの反乱軍はおよそ五千といったところか。州都から強行したので疲労もあり、更に篭る相手を攻めるとなれば相応の準備もいる。しかも寄せ集めとはいえ、相手の方が兵力は上回っている。
堅実な指揮を得意とするガディスとしては、無理をしていたずらに兵を損耗したくなかったのだ。
それがグロールには消極的に見える。賊相手に後ろを見せた格好になってしまった。それが世間からはどのように思われるか。反乱を起されただけでも恥辱の極みだというのに、自尊心の強いグロールにはとても耐えられることではない。
「……なんたる惰弱な思考だ。お前のような将がいるから、コインブラ軍は弱兵などと侮られるのだ。良いかエルガー、このような腑抜けた老害は、決して見習ってはならんぞ!」
隣で居心地が悪そうに座っているエルガーに強く言い放つ。
12歳になったエルガーは、将来太守の座を継ぐ日のために時折こういった会議に参加させられていた。ガディスとは知らぬ仲ではないため、何と答えてよいか分からず、エルガーは言葉を濁すことしかできない。
一方、老害と罵られたガディスは、唾を飛ばして弁解しようとする。慎重策を採用したのは、決して己の保身を考えたからではない。
「太守、お待ち下さいッ! 私は決して臆病風に吹かれたのではありません! 確実に勝利するために――」
「次は私自ら兵を指揮する! 賊ごときに遅れをとる将など必要ない! お前は下がっておれ!」
「太守、それはあまりな!」
「くどいぞッ!」
「……は、ははっ」
グロールが言葉を遮り一喝すると、ガディスは唇を噛み締めながら一礼し、左右で整列している家臣たちの元へ戻っていく。怒りと恥辱でその体は小刻みに震えているのが見て取れる。
それを横目で見届けた後、ウィルムが一歩進み出て報告する。
「太守、サーラ様の護衛の任についていたシンシア・エードリッヒ百人長ですが。今回の件について報告したきことがあると。この場に呼び出しても宜しいでしょうか」
「うむ、構わん。すぐに呼べ」
グロールが頷くと、重々しい扉が衛兵の手によって開かれ、緊張した面持ちのシンシアがノエルを伴い入室してくる。
こういった会議は州の重臣のみが参加を許されるもので、シンシアも経験がない。最低でも千人長以上でなければ発言は許されない。太守に直接意見できるのは、軍のトップのガディスとウィルム。或いは役職に就いている文官たちぐらいなものだ。
そもそも太守のグロールと直接話すのも叙勲式の時以来なのだ。機嫌を損ねようものならシンシアの地位など軽く吹っ飛んでしまう。事情を説明するという名目だが、もしかすると妻子を危険に晒した責を問われる可能性もある。
穏やかなサーラ相手にも、最初は緊張していたほどだ。偉大なヴァルデッカ家の長子にして、かつては次期皇帝最有力と呼ばれていたグロールの視線を受ければ、否が応にも体は堅くなっていく。
左右に立ち並ぶ重臣たちの目を意識しながら、シンシアはグロールの前まで歩いていき、片膝を立ててぎこちなく跪く。斜め後ろにいるノエルも同じ姿勢をとる。どことなく楽しそうな雰囲気を感じるが、今はそれどころではない。
「シ、シンシア・エエ、エードリッヒ、ひゃ、百人長です。こ、此度は、サーラ様と若君を、護衛するという、た、大任を預かりながら、このようにぶ、ぶ、ぶ無様な失態を犯し――」
早口で捲くし立てるシンシアの言葉を、グロールは苦笑しながら遮る。
「待て待て。お前の責を問うつもりは全くない。サーラは手傷を負ったとはいえ無事に帰ってきた。我が息子エルガーもこの通り傷ひとつない。お前の働きぶりは、エードリッヒ家の名に恥じぬ見事なものだったと聞いている。――護衛の任、実に大義であった」
「――は、はっ、あ、あ、あ、ありがたきお言葉にございますッ!」
震える舌で必死に感謝の言葉を述べる。責任を追及される恐れがなくなったため、シンシアは心の中で一息つく。
「それで、私に直接報告したいことがあるそうだな。遠慮なく申してみよ」
「はっ、実は、えーと、その、セ、セピデフ要塞で、ノ、ノエルという者が、その、あの、あ、あれでして」
頭に纏めておいた言葉が脳内で飛び回り、口からわけの分からない言葉が溢れ出ていく。
重臣たちが苦笑いを漏らすのが分かってしまい、更にわけが分からなくなる。何故か視界が回り、立てた片膝ががくがくと震える。やはり舌が上手く回らない。グロールが眉を顰めるのが視界に入り、絶望で世界がぐるぐると回り始める。
見かねたウィルムが咳払いをした後、渋い表情で注意する。
「シンシア百人長、そのように緊張することはない。起こった出来事について、ありのままを太守に報告すればよいのだ。貴官は栄えあるコインブラ軍人にして、誇り高き騎士の地位にある。どのような時でも取り乱すことは許されぬぞ!」
「――は、はい、勿論であります!」
と勢いで返事をしたものの、頭の中は既に真っ白。一体何を言うのだったかなど完全にどこかへ行ってしまった。いつもならしっかりと練習するのだが、ノエルの着替えやら手続きやらでそんな暇がなかった。このようなことになるなら、しっかりと紙に書いておくべきだったと後悔する。煮えたぎる頭の中で必死に文章を纏めて行く。――全然纏まらない。
数秒、いや数十秒だろうか。怖いほどの沈黙が流れた後、シンシアの左肩を誰かが軽く叩く。思わず振り返ると、眼鏡を掛けたノエルが得意気に片目を一瞬だけ閉じた。
「恐れながら。シンシア様はどのように報告するべきかを悩んでおられるのです。しかし、これは絶対にお伝えしなければならぬこと。故に、私から述べさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「そなたは?」
問いかけるウィルムに、ノエルは敬礼した後答える。
「はっ、シンシア様に義勇兵として取り立てて頂きました、ゾイム村のノエルと申します。今こそ太守へのご恩を返すべきと、村の者を率いて馳せ参じました。便宜上、止むを得ず十人長の地位をお借りして隊を纏めておりました。分を弁えぬ勝手な振る舞い、どうかお許し下さい」
嘘八百を事実であるかのように言い放つノエル。シンシアは目を丸くするしかない。どの口がそんな言葉を言っているのかと。
事情を知っているエルガーなどは、口を開けたまま呆然としている。全くの別人にしか見えないのだから仕方がない。現れた当初はノエルと気付けなかった。特徴的な赤い髪とその表情で少々訝しく思っていたのは確かだが。やはり本人だということが分かり、完全に困惑してしまっていた。
「……それは構わんが、我がコインブラに義勇兵の援軍だと。俄かには信じられんが。今のは真の話か、シンシア」
疑わしげな表情のグロール。民からは全く人気がないということは自覚している。
そのグロールだけではなく、立ち並ぶ武官、文官全てが同じ表情だ。グロールが民の信頼を得ていないと言うのは周知の事実だからだ。
「は、はい。えーと、その、間違いなく本当です」
本当どころか、殆どが嘘ですと、心の中で詫びながら告げる。本当は賊の側にいた連中で、成り行きでこうなりましたなどと言えるわけがない。しかも、一騎打ちでこの少女に情けなく敗北し、危うく頭を潰されそうになりましたなどとは口が裂けても言えない。百人長がただの平民に負けたなどと世に広まったら、芳しくないコインブラ軍の評判が地の下まで行ってしまう。
よってシンシアは断腸の思いで大嘘をついた。基本的に嘘をつけない人間なので、顔が歪んで汗が滴り落ちていたが、幸い誰にも気付かれなかった。
「……なんということだ。我が州の民も、恩知らずな連中ばかりではなかったということか。今の話を聞いていたか、ウィルムよ!」
想像もしなかった援軍の存在に、グロールの表情が思わず緩む。民から憎まれているという自覚はあった。それを何とかしようと手を尽くしてみたが、全て裏目に出ただけのこと。グロールは気性は荒いが、民を虐げる暴君というわけではないのだ。有能であるかというと、それはまた別の話である。
「……はっ。太守の慈悲と善政の積み重ねが、少なくない民たちの心を動かしたのでしょう。このウィルム、感嘆の極みでございます。正しき行いを、太陽神は見ておられるという証左でしょう」
「太陽神の加護がないなどと陰口を叩かれ続けてきた私だが、これで少しは救われた気がするぞ。……それでノエルよ、一体どのような報告をシンシアは躊躇しているというのか。構わん、遠慮なく率直に申してみよ」
「――はっ、今回の反乱にバハール人が関与している可能性が高いということです」
「……なんだと?」
「それ故、シンシア様は逡巡しておられたのです。どのようにしてこの大事をお伝えすべきかと」
ノエルの発言で、場が一気に騒然となる。
グロールは一瞬顔色を失った後、血相を変えて捲くし立てる。
「バ、バハール人だとッ! この反乱の裏にバハール、いや、アミルの奴がいるというのかッ!?」
「――迂闊なことを申すな! バハールとの仲は疎遠とはいえ、共にホルシード帝国に仕える同胞ではないかッ! それがなぜ我等を陥れるようなことをしなければならぬ! ノエルとやら、冗談は休み休み言え!」
武官の一人が声を荒げると、文官が即座に反論する。
「しかし、我らとの関係を考えれば有り得ぬことではない! 以前より工作行為があったのは疑いようのない事実ですぞ!」
「――静まらんかッ! 太守もどうか御心をお鎮めください! ノエルといったか、お前がそう考えた根拠を述べよ! ここは太守がおわす公の場、今更嘘や冗談でしたでは済まされんぞ!」
ウィルムが周囲に向かって一喝した後、険しい表情でノエルを睨みつける。
「そ、それは、わ、私、私から報告をしますッ!」
シンシアが立ち上がる。場が騒がしくなったことで先ほどまでの緊張は取れ、冷静な思考ができるようになっていた。慎重に、だが間違いのないよう今までの経緯を説明する。
限られた者しか知らないセピデフ要塞に賊が押し寄せてきたこと。かつてコインブラに仕えバハールに逃走したネリディス十人長がその中にいたこと。バハール訛りの賊が数名いたこと。それを追求したところ激昂し、シンシアだけでなく部下まで口封じに殺そうとしたこと。
「……なんということだ。やはりどれもこれもアミルめの仕業かッ! 実の兄を姦計を用いて陥れようとするとは、何と下劣な! 誇り高きヴァルデッカ家の面汚しだッ」
「お待ち下さい! この者たちが申していることを鵜呑みにするのは危険ですぞ。バハールが裏にいるというのはただの憶測で、確かだという証拠は何もありませぬ!」
ウィルムが懸命に宥める。ノエルとシンシアの語ったことは全て真実なのだが、この段階で露見するのは看過できない。普通ならば容易くは信じないだろうが、このグロールだけは別だ。嫉妬と憎悪が募って本気で兵を動かしかねない。そう、怨敵がいるバハール州へ向かって猛然と。
コインブラ州の頭を挿げ替えたいという野心はあるが、この地を戦禍に巻き込むなど冗談ではない。ウィルムはコインブラ人であり、故郷を愛する心を持っている。それは皇帝への忠誠心と同等のものだ。
「確かな証拠だと? どれもこれも信じるに十分であろうが! あいつが今まで何をしてきたと思っている!」
リベルダム州と組み、コインブラから南方諸島との貿易利権を奪い取っていったのはアミルの仕業である。その上、あることないこと父のベフナムに吹き込み、心証を悪化させていったのもアミル。おかげで次期皇帝の地位は剥奪、残ったのは世の悪評だけだ。実の弟とはいえ、何度殺しても飽き足らないほどの恨みがある。
「太守、滅多なことは仰いますな。どこから陛下のお耳に入るか分かりませんぞ」
「私は皇帝ベフナムの長子、第一皇子のグロール・ヴァルデッカだ! 何故弟に遠慮せねばならぬ!」
「恐れながら申し上げます。確かな証拠が欲しいのでしたら、反乱軍首領のリスティヒを捕らえれば宜しいかと。確実に何らかの情報を知っているでしょう。――もしかすると、バハールの騎士だったりするかも」
地の言葉を最後に出しながら、ノエルが楽しげに口元を歪める。
自信に満ち溢れたその表情は義勇兵などにはとても見えず、策謀を巡らす参謀や軍師といったものが相応しい。眼鏡が照明に反射して鈍く輝いている。少女とはとても思えない程の威圧感がある。
思わず気圧されてしまったウィルムだが、
「一兵卒、いや平民ごときが差し出がましいことを申すな! バハール州は質実剛健、勇猛果敢で世に名高い地域。誇り高き彼らがそのような真似をするわけがなかろう! バハール公アミル様は言うに及ばずだ!」
「相手が誰であろうと、責任を取らせるのは当たり前のこと。リスティヒを捕らえて拷問に掛ければ事実は明らかになるでしょう。何の問題もありません。悪い事をしたら裁かれるのがこの世の道理です」
話し終えたノエルが再び跪く。
「確かにノエルの申す通りだ。リスティヒを捕らえれば全てはっきりする。これが事実なら然るべき報いを与えねば収まらん!」
「た、太守!」
「ウィルム、まずはロックベルを奪還するぞ。お前も私と共に来い。兵の編成は間もなく終わるな?」
「――は、ははっ!」
「ガディス、お前には州都マドレスの守備を任せる! 二度の失態は許されん、心して職務に励め!」
「か、畏まりました!」
ウィルムとガデイスが了解して敬礼する。
「シンシア、今回は実にご苦労であった。追って褒美を渡そう。これからもコインブラのために働いてくれることを望むぞ」
「もったいなきお言葉にございます!」
シンシアは深々と一礼する。内心はようやく終わったことへの安堵で満ち溢れている。このような空気はどうも合わないのだ。
「そしてノエルよ、見たところ中々の識見の持ち主のようだ。お前さえ良ければ、このまま十人長としてコインブラに仕えるが良い。無論、村に戻って元通りに暮らしても構わぬ。その場合は別に褒美は渡すつもりだ」
「はい、ありがとうございます」
「では本日は下がってよい。大義であった」
「はっ。……では参りましょうか、シンシア様」
眼鏡を外して表情を綻ばせると、シンシアに手を差し伸べる。まるで踊りにでも誘うような優雅な仕草で。
シンシアが顰め面でそれを取って立ち上がると、二人は敬礼して退出していく。
見送ったグロールは、先ほどまでの怒りを忘れて思わず吹き出してしまう。
「世の中には妙な娘もいるものだな。そうは思わないか、ウィルムよ」
「……はい。今までに見た事がない性質の人間のようです。長生きはするものですな」
「それに将軍のお前と堂々と渡り合うとは、度胸もある。中々知恵も働きそうではないか。実に面白そうな娘だ」
「しかし素性が分からぬ以上、決して油断なさらぬよう。あの女、ただの村人とは到底思えませぬ。しばらくは用心が必要かと」
「分かった分かった、お前のとりこし苦労だと思うがな」
相槌をうちながらも、ウィルムは内心で強く警戒する。ただの小娘と侮るのは容易い。だが、どうにも嫌な予感がしてならない。あの年不相応に達観した目は、まるで全てを見抜いているような気がするのだ。そう、ウィルムが変心していることも含めてだ。
五十年も生きてくれば、多少の勘も働くようになる。人を見る目も養われる。それが、激しく警鐘を鳴らすのだ。小娘の外見に決して騙されるなと。こいつは人の皮を被った何かである可能性が極めて高いと。
(しかし、幾ら策を見抜いたところで、十人長で何ができる。地位が伴わなければ頭が働こうとも全くの無意味)
不安を吐き出すように深く息を吐き、気を取り直す。
そう、いざとなればこちらに取り込んでしまえば良い。見た感じでは話の分かる人間のように思える。いわゆる実利を重視する策略家気質だ。この類の人間は、みすみす沈みかけの船には乗らないだろう。正義やら大義を重んじる輩よりは扱いやすい。
一番厄介なのは、憎しみと妬みに取り付かれた輩だ。話は通じず、余計なことばかりして事態を悪化させる。そう、例えば太守のグロールのような人間だ。
ウィルムはそんなことを考えながら、己の主を冷たい視線で眺めていた。
「――以上で会議は終了とする。皆の者、間もなく出陣ということを強く頭に入れておけ。次の戦、敗北は決して許されぬぞ」
解散を宣言すると、家臣たちが敬礼して静かに立ち去っていく。
一息つき、体調を崩しているサーラの下に赴こうとするグロールを、隣に座っていたエルガーが引きとめる。
「……父上、一つお願いがあるのですが。一生で一度のお願いです」
「どうしたエルガー、そのように改まって。それに、お前が私に何かをねだるなど珍しいではないか。一度と言わず、遠慮せず言うが良い。父にできることならばなんでも叶えよう」
太守から父親の表情になったグロールが、息子の方へ嬉しそうに身を乗り出す。
「先ほどのノエルがコインブラに仕えることになったら、私の部下に頂きたいのです」
「ノエルを、お前の部下にだと?」
「はい、他には何もいりません。あの者を私の部下にしたいのです。一生で一度のお願いです、父上」
エルガーが真剣な顔で願い出る。
何としても欲しかった。自分を捕らえようとする賊を鉄槌で叩き潰し、更に囮となって逃げ延びてみせる勇猛さ。
そして今の、別人と見間違うばかりの参謀のような姿。一体どちらが本性なのだろうか。どうしても知りたいと思った。
不覚にも、見惚れてしまっていた。脳天気な姿とは別人のようなあの仕草と容姿に。
「……それならば、そのように必死にねだるまでもない。お前の願いはいずれ叶うではないか」
「どういうことですか?」
「お前はこのコインブラを継ぐ男なのだ。いや、あわよくばこの帝国を治めることにもなろう。その時が来れば、全ての家臣はお前に仕えることになる。ノエルも含めてな」
「……はい」
「慌てることはない。お前は自分を鍛え、誰にも負けぬ立派な男となれ。その日が来るまでに、できるかぎりの障害は取り除き、繁栄の土台を築くつもりだ。全ての汚名と悪名は私が引き受けよう。……そう、このコインブラを真の意味で変えるのは、エルガー、お前なのだ」
グロールはそう言ってエルガーの頭を強く撫でる。覚悟と諦めが入り混じった表情で。
エルガーは「はい」と頷いた後、黙って父の手を受け入れていた。
「……どういうつもりだ。太守に嘘ばっかりつきおって! 下手をすれば罪を問われて牢獄行きだったぞ! しかもウィルム様に対して、あのような言葉遣いをするとは! お前は一体何を考えているのだ!」
強引に自分の部屋まで連行した後、シンシアはノエルを問い詰める。眉間には皺を寄せ、こめかみには血管が浮かび上がるほど怒っている。
「特に何も考えてないけど」
「開き直るな、この馬鹿者!!」
(本当に信じられぬ女だ! 太守の前だというのに、欠片も緊張しないとは!)
ノエルをどう紹介しようか必死の思いで悩んでいたら、いけしゃあしゃあと嘘を並べ立てたのだ。滑らかな口ぶりとあまりの堂々とした振る舞いで誰も疑うことはなかった。
ちなみにノエルは既に眼鏡を外しており、纏めていた髪も解いている。何かを思いついたらしく、悪戯っぽい笑みを浮かべると急に真面目な顔を作る。
「シ、シンシア・エードリッヒ百人長ですぅ。こ、此度は、サーラ様と若君をなんちゃらかんちゃら――」
シンシアの声色を真似て早口で捲くし立てるノエル。身振りまで真似て、緊張しているところまで見事に再現している。
「そ、それは私の真似のつもりか! この大たわけがっ!」
真っ赤な顔で軍服の胸元を掴み上げると、ノエルの顔が徐々に青くなっていく。からかうのに夢中で、逃げ出す算段は失念してしまっていた。
「く、苦しい。シ、シンシアが、こ、困ってるのを助けてあげようと思って、つい」
舌を出して誤魔化そうとするノエル。
「うるさいッ、なにが“つい”だ!」
「ぐ、ぐるじい」
ノエルが両手で降参のポーズを取ると、シンシアの怒気が霧散させられていく。怒ることに体力を使っていることが馬鹿馬鹿しく思えてきたのだ。
「……それで、お前はどうするつもりだ!」
「どうするって、何が?」
「だから、その、太守の言ったように軍に入るのか、それとも村に帰るのかということだ!」
そう言ってノエルを解放してやると、呼吸を落ち着けるために一息入れる。
そもそも義勇兵などというのはただの名目で、護衛の任務が終了した以上、ノエルたちはお役ご免だ。当然報酬は渡す。軍に入りたいなら、ノエルを含めて全員の話は通してやるつもりではある。
本音を言えばノエルにはこのまま軍に入って欲しい。色々と厄介で面倒で奔放過ぎる人間性ではあるが、武勇は本物だし、頭もそれなりに働くように思える。それなりにというのは、ふざけているだけなのか、それとも考えてからの発言なのか判別できないからだ。
本人に尋ねれば“頭の良くなる眼鏡”をつけているから、あのような態度を取っていただけと答えるに違いない。
はっきり言って、ノエルはよく分からない人間だ。だが、同じ女でもあるし、聞くところによれば年も4つほどしか離れていない。たまに調子に乗るが、性格もそんなに悪いというわけではない。どちらかというと、このまま残ってくれた方が良いかなとは思っている。
「うーん、どうしようかな」
「どうしようかなって、どっちでも良いのかお前は」
「幸せになれるんなら、別にどこでも何でもいいしね」
「……はぁ。もっと真剣に考えろ。自分のことだろう」
シンシアが呆れる。軍に入れば色々な制約はあるが、食べるのには困らない。反乱が収まれば比較的安定した生活を送れるだろう。無論命の危険はあるが。
「うーん」
「…………」
村に戻るなら戻るで強く引き止めるつもりはない。女の身で剣を取る苦労は自分が一番知っているから。
聞いた話だと、元々あの村で生まれたわけではなく、旅の途中で落ち着いたらしい。生まれはどこなのか聞いてみたが、答えてはくれなかった。良く分からないなどと、とぼけていたが。
いずれにせよ、ノエルならば上手いこと生きていくに違いない。この飄々とした少女はどのような状況でも気楽に笑っていそうだ。
「……ねぇ、シンシアは幸せになる方法って知ってる?」
ノエルが唐突に尋ねてくる。何を言うのかと鼻で笑おうとしたが、真剣な表情なので止める。
「幸せになる方法だと? それはまた、漠然としすぎていて難しいな」
「今まで聞いたのはね、良く食べて良く寝る、偉くなる、仲間や友達を作る、宝を一杯手に入れる、勝ち続ける。他にも一杯あったけど、違うかなってのも一杯あったし。良く分からないって人が多くて」
懐から手帳を取り出して確認している。
「うーむ、私とて、そんなことは考えたことがないから良く分からないな」
「じゃあ、シンシアは何のために軍に入ったの? 戦うのが好きだから?」
「別に戦いが好きなわけじゃない。家名を継ぎ、騎士としての名誉を守るためだ」
民を守ろうとか、州を守りたいとかそのような気持ちはなかった。当時は己のためだけだった。今は考えを改め、コインブラ州、そして民のために尽くしたいと心がけるようにしている。それが騎士というものだろうから。
「そうすると、幸せになれるの?」
「……いや、別にそういうわけでは、ないな」
騎士として軍に入らなければ家名を継げなかった。だから女だというのに軍に入り、剣など振るっている。
周囲から馬鹿にされたり、嘲りを受けても必死に訓練についていった。
誇りと名誉は守れたのかもしれないが、それで幸せになれたかというと別だ。
そもそも幸せが何なのか良く分からない。愛する人と結ばれ、子供を生み、温かい家庭を作ることか? ならば騎士になどならなくても良かったのではないか。何故自分は剣を持っているのだろうか。腕を組んで自問自答する。
「もしかして、シンシアも分からないの?」
「……うーん。幸せとはなんだろう。簡単なようでいて意外と難しい問題だ。すまない、やはり私には良く分からない」
「そっかー。じゃあ一緒に探そうか。皆で探せばきっと見つかるよ」
そう言ってノエルが手を差し出してくる。
「し、しかし、私とお前はまだ出会ったばかりだし」
「時間の長さなんて関係ないよ。大事なのは切っ掛けだよ、切っ掛け。前もそうだったしね」
さぁ早くと右手を揺すって催促するノエル。その手を見ながらシンシアは考える。
「……大事なのは切っ掛け、か」
「うん。あ、でも私はできるだけ勝たなきゃいけないからよろしくね。なんだっけ、そうそう常勝無敗ってやつだね。目標は大きくなくちゃ」
「じょ、常勝無敗とは大きく出たな。勝ち続けると言ったって、そんなに簡単なことではないぞ。そもそも常勝無敗なぞ、我らのような未熟者が気軽に口にして良い言葉では――」
「だからさ、一緒に頑張ろうよ。ね、シンシア隊長」
あまりの気軽さに思わず吹き出しそうになる。本当に脳天気な奴だ。やはりこちらが素で、先ほどの姿は演技だったに違いない。全てはあの眼鏡のせいだろう。本人もそう言っていた。
「――お前と一緒にか」
「そう。二人で常勝無敗を目指そう。まずは百勝将軍、二人合わせて二百勝部隊だね」
「…………」
白い歯を見せてノエルがおどけてみせる。
馬鹿馬鹿しいが、そんなに悪くないように思った。ならば、この手を取ることに何の支障もない。確かに、人数は多い方が見つかりやすくなるだろう。具体的に何をするのかは分からないが、要は友になりたいということだろうと理解する。
シンシアは一度頷くと、ノエルの右手を握り返した。上官と部下で、友になるのはどうかとも思うが、細かいことは気にしないでもいいだろう。ノエルはそういう人間のようだから。
「……よ、宜しく頼む」
「うん、一緒に勝ち続けて幸せになろう!」
まるでどこぞの物語の殺し文句のようだなと思いながら、シンシアは苦笑した。
そして、やるべきことを思い出す。言うならば、今が一番良いだろう。
「……ひとつ、言い忘れていたことがあった」
「何かあったっけ?」
「成り行きとはいえ、お前に助けてもらったのは事実。その、あれだ、あー、一応、感謝している。うん」
「あー、別に気にしないでいいよ」
「そういう訳にはいかない! 私は真剣に――」
「そっか。じゃあずっと気にしてていいよ。私は困らないし」
ノエルはにこやかに微笑むと、眼鏡を握り締めたまま外へと飛び出していった。
ノエルのお宝
ぼろぼろの絵本、二又の槍、血で汚れた鉄槌、シンシアから貰った軍服、頭が良くなりそうな眼鏡