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第五話 陰鬱な雨

「さてと」


 そう言ってノエルが振り返る。顔に付着した血痕を袖で拭うと、シンシアの下へと近寄ってくる。


「――くッ」


 シンシアは迫り来る恐怖に、思わず後ずさりする。この少女が次に何をするつもりなのか全く予測できない。何をしでかすか分からない恐ろしさは、いかんともしがたい。ノエルが浮かべている無邪気な笑みが、どこか異質なものに見えてならない。

 死ぬのは怖くない。ずっとそう思っていた。賊を斬り殺したこともある。だが、このように“死”というものを直視させられたことはない。

 無残な姿となったネッドたちの屍を見ると、死への恐怖が嫌でも湧きあがってくる。


「考えられる選択肢は三つ、かな」

「……な、何がだ?」


 死体を恐る恐る凝視していたミルトが、声を絞り出す。

 ミルトは死体を見るのは初めてだった。当然ながら人を殺したこともない。命のやりとりになったのも今回が初めてだ。だから、あまりの展開の速さに頭がついていっていない。助かったことへの安堵よりも、今の状況を理解するだけで精一杯だ。


「これから私たちはどうしようかって話だよ。ミルトにも大いに関係あるんだから、ぼーっとしてないで一緒に考えてよ」

「……と言われてもな。このまま本隊に戻ればいいんじゃないのか? ロックベルに向かってるのは分かってるんだから」


 ミルトが首を捻る。


「それが一つ目の選択肢だよね。ただ、それを選ぶと、かなり面倒なことになると思うな」

「どうしてだ?」

「――さてここで問題です。ネッド隊長を殺したのは誰でしょう」

「……お前だな」

「どうして私たちは殺されそうになったの?」

「俺たちが、ネッド隊長がバハールの人間だって聞いてしまったから。……噂が広まると厄介だから、口封じにって」

「それを戻ってありのままに喋ったら、私たちはどうなる? 首領のリスティヒ様は許してくれるかな?」


 ノエルがおどけながら話を続ける。それが演技なのか、それとも地なのかは判断できない。

 三人の人間を殺したばかりだというのに、いつも通りに飄々とした口調だ。緊張感というものを欠片も感じられない。


「……ネッド隊長の言ってたことが本当だとしたら、多分、いや絶対に殺されるな。なんかマズそうな内容だったし」

「そうだよね。だから、本隊に戻るのはあまり良い選択じゃないよね」


 ノエルは大きく息を吐くと、先ほど同様シンシアの横に座り込む。

 シンシアは顔を強張らせて離れようとするのだが、ノエルがマントを掴んで離さない。


「で、二つ目は色々なことは考えず、そして気にしないで、とっとと村に帰って寝る。これが一番簡単だね」

「うーん。そいつは確かに楽っぽいな」


 悪くはない。元々反乱に加わることに積極的ではなかった。不満はあったが、剣を取って立ち上がろうとまでは思っていなかった。

 ならば、何もなかったことにして帰っても問題はない。脅されて仕方なく参加したのだから。


「ただし、後続の反乱軍に見つかったら酷い目に遭うかも。行軍の流れに逆らって村に戻らなくちゃいけないから、すごい目立つしね。で、私たちのことはゲブって人が知ってるから、見つかって捕まったりしたら、絶対にネッド隊長のことを訊かれるよね」

「……ちょっとというか、かなり危ない感じがするな。見つからないようにって言っても、俺は他の道なんて知らないし。村に帰るのも駄目なのかよ」


 村以外には近くの山にしか行ったことがない。街道を通らずに村に戻ろうとしたら、道なき道を行かなければならない。金も食料もそれほどないのだから自殺行為に他ならない。

 かといって街道をそのまま遡れば確実に鉢合わせる。


「うーん、困ったね」

「もったいぶってないで早く三つ目を言えよ。それがお前が考えてる最善の方法なんだろ?」

「うん。それはね、このシンシアと一緒に、太守の妻子の護衛に就くの。この反乱は多分上手くいかないから。だったら、勝ちそうな方についてご褒美を一杯もらった方が良いよね」

「――なッ」


 ノエルの言葉にシンシアがぎょっとする。それはそうだろう。今まで敵として自分を捕らえようとしていた人間が、今度は味方になるなどと突然言い出したのだから。


「あのな、お前は簡単に言うけどさ。俺たちは反乱軍なんだぞ。下手したらそのまま斬首だ。俺は嫌だぞ」

「私たちは脅されて仕方なく参加しただけだし。しかも率いているのは別の州の人間だった。ちゃんと話せば分かってもらえるんじゃないかな。それに、このまま反乱軍にいても、多分幸せになれないよ」


 いつになく冷淡な口調で断じている。日頃の頭の悪そうな発言からは全く想像できない姿だ。自分の気が動転しているからそう思うのかもしれないが。


「うーん」

「嫌ならミルトは好きにしていいよ。私は行くから」

「わ、分かった。じゃあ、三つ目にするしかないな。でも、その女の人がうんって言わなきゃどうしようもないよな」


 置いていかれるのだけは嫌だと、ミルトは慌てて同意する。


「その時は簡単だよ。シンシアの首をさくっと落として、私たちは逃げるだけ」

 どこぞの猛将のようなことを言い放つと、シンシアの正面に回る。

「というわけで、私たちの安全とご褒美を約束してくれるなら、貴方を助けてあげる。どうかな?」

「……利さえあらば、たちまちに裏切るというのか。この薄汚い賊めらが、恥を知れッ!」


 シンシアは不快気に吐き捨てる。落ち着きを取り戻したらしく、騎士としての威厳も戻ってきている。

 ノエルは腕力はあるらしいが、ひどく卑しい人間だという印象を強く抱いていた。先程遅れを取ったのは不覚だが、二度と負けはしないと戦意を漲らせていく。


「幸せになるためだから仕方ないよ。皆、そのために戦ってるんだから。……で、もう一度訊くけど、約束するなら助けてあげる。時間がないから、聞くのはこれが最後だね」


 ノエルは、先程殺した兵士の手から鉄槌を拾い上げる。それをシンシアの頭部に優しく当てると、どうすると無表情で問いかけた。

 否と言えばどうなるかは簡単だ。鉄槌は振り下ろされ、頭部が砕けた哀れな死体が一体増えるだけ。

 極めて冷徹な脅迫に、漲っていた戦意がたちまち霧散してしまった。よくよく考えると、悪くない取引でもある。シンシアは強引に自分を納得させた。


「わ、分かった。約束する。お前達の命は私の名誉にかけて保障する」

「約束だよ」

「あ、ああ」


 シンシアは視線を逸らして答えた。ここは一旦やりすごし、応援を待って拘束すれば良い。そう考えた。

 だが、ノエルは全て見通しているかのような口調で念を押してきた。顔を血で汚れた両手で抑えこみ、視線を逸らすことを許さないと言わんばかりに。


「約束を破ったら、絶対に許さないから。だから、よろしくね?」


 ノエルは白い歯を見せて、満面の笑みを浮かべた。


 ――セブテム要塞、隠し通路の出口付近。要塞内部から掘られた坑道は、森にある自然の洞穴へと繋がっている。

 倉庫から、太守の妻子を伴い脱出したコインブラ兵たちは、洞穴から外に出た所で奇襲を受けていた。

 ネッドが予め伏せておいた反乱軍50名程が槍を向けて取り囲む。

 出会い頭に矢の一斉射撃を受けてしまい、既に数名が絶命している。更には、護衛対象である太守夫人のサーラが右腕に矢傷を負ってしまった。

 反乱軍の数は約二倍、素人交じりで統率が取れていない故、つけ込む隙はある。だが、守りながらの戦いで思うように攻勢に出られず、場は見合ったまま膠着してしまっていた。


「剣を捨てて降伏しろ! そうすればグロールの妻子の命は保障してやるッ!」

「黙れ賊共がッ! サーラ様とエルガー様は、我らの命に代えてもお守りする! 全員、一層奮起せよ!」


 怒声を上げながら槍で牽制しあう両軍。反乱軍も積極的には弓を使えない。妻子はできるだけ生かして捕らえろという命令だからだ。それに、待っていれば要塞からネッドたちがいずれは駆けつける。慌てる必要はなかった。

 そこに洞穴から赤い布を右腕に巻いたノエルとミルトを含めた数名。そして拘束された状態のシンシアが現れた。


「シンシア隊長!」

「シンシア様、そのお姿は一体!?」


 兵たちの呼びかけに応えず、俯いたままのシンシア。それを見て反乱軍の兵長がほくそ笑む。ようやく頼みのネッドが来てくれたらしいと。

 ここにいる反乱軍の中で、バハール人は自分を含めて二名。要塞にはネッドを含めて三名いた。戦力として確実に頼りにできるのはこの面子だけだ。他は頼りない雑兵ばかり。だが、前後を取り囲み、更に人質の確保に成功した以上、敵も戦意を失う筈だ。

 拘束されている女の身なりを見る限り、隊長格に間違いないと判断する。


「待ってたぜ! その女は敵の指揮官か?」

「はっ、コインブラ軍百人長、シンシア・エードリッヒであります! ネッド隊長のご助力により、拘束に成功しました!」


 ノエルが右腕を胸の前で折りたたみ、完璧なホルシード式の敬礼を行なってみせる。発言もいつものような舐めた口調ではない。

 反乱軍の兵長は思わず呆気にとられるが、直ぐに気を取り直す。ネッドが何か指導をしたのかもしれない。あの男は意外と気さくで、面倒見が良いところがあるからだ。仮にも反乱軍なのだから、敬礼を教え込むのはどうなのだろうと思うが、深く気にする必要はないだろう。


「へっ、ガキどもが少し見ない間に立派になりやがったな。それはネッド隊長に教わったのか?」

「はっ、色々とご指導いただきました! ネッド隊長はもうすぐ到着すると思われます!」

「そうかそうか! それじゃそのまま抑えといてくれ。おら、その女騎士様を殺されたくなきゃ剣を捨てろ!!」

「――くっ」


 コインブラ兵たちは逡巡するが、最早これまでと剣を捨てその場に座り込んでいく。挟撃の態勢になってしまい、勝ち目が完全になくなったからだ。下手に抵抗して、妻子の命を道連れにするわけにはいかない。


「よーし、てめぇら、武器を回収して縛っていけ! 動けねぇようにきつくだぞ! 反抗したらぶっ殺せ!」

「は、はい」


 兵長が命令すると、縄を持って反乱軍の若者たちが近寄っていく。手がおぼつかないらしく、上手く縛り上げることができない。


「ったく、情けねぇな。縄一つ使えねぇのかよ。俺が手本を見せてやるよ」

 兵長は身体で庇っているサーラを引き剥がし、エルガーの頭を掴みあげる。

「何をするのかッ!」

「や、やめなさいッ!」

「離せ、この無礼者め!」

「おーおー、お坊ちゃまがいきがりやがって。いいか、生まれの良さだけで偉いと思い込んでるのがこの糞ガキだ。一人じゃ何もできねぇくせによ。あー、本当にむかつくぜ!」

「エルガーを離しなさい!」

「うるせぇんだよ!」


 身体を蹴り付けられたサーラが苦悶の声を上げる。


「――は、母上ッ」


 エルガーが助け起こそうとするが、手は届かない。兵長は口元を歪めると、エルガーの髪を引っ張り上げる。


「殺しはしねぇから安心しろ。今のところはだがな」


 哄笑すると、頭を小突いた後で縛り上げていく。エルガーは悔しさから涙を浮かべるが、どうすることもできない。


「……しかし、ネッド隊長は遅いな。そういや、残りの連中はまだ要塞にいるのか?」

「そのことで、ご報告したいことがあります!」

「なんだよ。そういうのは早く言ってくれよ。隊長に後で怒られるのはこの俺なんだからよ」

「はっ、本当に申しわけありません!」


 ノエルは返事をした後、兵長の下へ近づいていく。エルガーが悔しそうな顔で睨んで来るが無視をする。

 兵長の正面で再び敬礼する。


「えいっ」


 そして後ろに隠し持っていた鉄槌を、流れるような動作で思いっきり振り下ろした。

 兵長は断末魔を上げることもできず、その場に崩れ落ちた。兜には大きな窪みができており、手足が小刻みに痙攣している。

 喉下を右足で踏みつけ止めを刺す。死に損ないの抵抗ほど恐ろしいものはない。きっちりと始末しなくてはならない。ノエルが昔教わったことだ。


「――な、なに」

「ミルトッ!」


 ノエルが声を発するが、ミルトは立ちすくんだまま身動きできない。

 予定ではノエルが一人を潰し、その隙を突いてバハール人の兵をミルトが殺すという段取りだった。だが、いざその時になると動くことができなかった。


「――え、あ、あ」


 ノエルは舌打ちすると自分で仕留めようと動き出すが、その前に白刃が振り下ろされていた。


「……戦場で迷うのだけは止めておけ。こうなりたくなければな」


 シンシアは剣を振るって、血糊を払う。倒れたバハール人は右肩から見事に断ち切られている。シンシアは拘束されていたわけではなく、ただ赤布を後ろ手に巻きつけていただけだった。

 剣を掲げると、周囲の反乱軍に対して宣告する。


「私はコインブラ軍百人長のシンシア! 大体の事情はノエルから全て聞いている。今投降すれば全てを不問にする! このまま私に従うか、もしくは大人しく反乱軍を去れ!」

「う、うるさい! 俺たちはお前らの言うことなんて!」


 一瞬の沈黙の後、勇敢な若者が罵声を飛ばす。彼は反乱軍に自ら身を投じたからだ。


「何の訓練も受けていない者が、我ら正規兵に敵うと思っているのか! 死にたくなければ武器を捨てよッ!」


 シンシアが一喝して、素手で若者の槍を叩き落す。

 気迫で押されてしまった反乱軍の者たちは、ようやく槍を降ろし始める。シンシアの部下たちは直ぐに立ち上がり、得物を拾って戦闘態勢を取る。


「これから事情を説明する。どうして反乱が起こったのかもだ。その後は自分で考えろ。だが、反乱に参加するというのは本来なら大罪だ。脅されたなどという言い訳が、最後まで通用するとは思わないことだ」


 そう告げた後、推測を交えた反乱の経緯の説明を始める。コインブラの兵士たちは怒りから、時折激昂している。

 シンシアの話を聞き終えた別働隊の者たちは、半信半疑ながらも反乱軍を抜けることを全員が選択した。

 脅された者だけではなく、自分から反乱に参加した者も、結局は上の人間に利用されているだけだと教えられてしまったからだ。

 殆どの人間が故郷に戻ることを選択したが、ゾイム村の一行と一部の物好きは、シンシアに付き従うことを選んだ。

 形式としては、コインブラ太守から受けた恩義に報いるため、戦線に加わった義勇兵という扱いになった。

 当然誰もそんな殊勝なことは思っていない。形は大事だよねとノエルが他人事の様に欠伸をすると、シンシアのこめかみに血管が浮かび上がった。


「サーラ様、お怪我は――」

「私は大丈夫です。矢の傷は大したことはないようです」

「この度の失態、なんとお詫びすればよいか」

「貴方のお陰で助かったのです、胸を張りなさい。それに、もとはといえば身の安全を図ろうとした我が父、バレルの責任です。恥じ入るのはむしろ私の方です」


 サーラがはっきりと告げる。娘だけでなく、孫にあたるエルガーまで抑えようとしたバレル。

 本来ならば責められて当然の行為だが、同情できる点もある。身内がいなかった場合、グロールが即座に増援を出したかというと怪しいものだ。そう疑われる程、家臣たちからの信頼を損なってしまっている。

 不敬に当たるので口に出しはしないが、善政を敷いているとはとても言い難い。


「……直ちにここを離れて身を隠しましょう。夜になったら暫し休息を取り、その後は最寄の詰所を目指します」


 本当ならば近くの村に寄り、馬車を調達したいところだが、反乱軍に肩入れしていないとも限らない。


「貴方に全てお任せします。エルガーだけは死なせるわけにはいきません。足手まといになるようなら私は捨てていってください」

「母上、何を仰るのです!」

「エルガー、貴方はこのコインブラを継ぐ人間です。自分勝手に死ぬことは許されないのです。それを忘れてはいけません」


 諭すように告げるサーラ。


「若君、ご安心を。お二人は必ず私がお守り致します。全員、死力を尽くす所存です」


 シンシアは直立不動で敬礼した後、部下たちに命令を下そうとする。


「ね、ね、あれが太守の子供なんだって。“若君”なんて呼ばれてさ。あんなに小さいのに、凄い偉そうだよね」

「おい、聞こえるぞ!」

「私も偉くなりたいなぁ。そうすれば幸せになれるんだもんね。ね、ちょっと偉そうにしてみていい?」

「だからやめとけって! ……というか、お前は前から偉そうだっだぞ」

「そうかなぁ。じゃ、私も太守になっちゃおうかな」


 馬鹿なことを呑気に呟くノエルを、射殺すような視線で睨みつけるシンシア。

 一瞬排除するかと考えるが、却下する。先ほどの手際を見ても、素人とは思えない。いきなり敵の指揮官に近づいて、鉄槌をお見舞いするなど、鋼鉄の心臓を持っていないと無理だろう。相手は最後まで殺気を感じることができていないようだった。

 先程交わした約束を違えたりしたらどうなるか。シンシアはあまり想像したくはなかった。鉄槌がこちらに飛んでくる想像を無理やり振り払う。


「そこ、余計なことを喋るな! 準備して直ちにここから移動するぞ! ……それと、コインブラ義勇兵になった者は腕の赤布を外しておけ! 目障りだ!」

「はっ、了解しました!」


 ノエルは元気に返事をしておいた。

 

 

 セブテム要塞から少し離れた場所。目立たぬように森の中を進んだため、あまり距離は稼げていない。

 太陽が姿を隠し、夜の帳が下りたので一旦休息をとることになった。

 兵たちはともかく、サーラの体力の消耗が著しいからだ。徒歩で足場の悪いところを進むことになれていないゆえ、無理もない。


「シンシア様、火は起こしても宜しいでしょうか」

「良くはないが、今はやむを得ないだろう。警戒は怠るなよ」

「ね、ね、火を起こすの?」


 ノエルが気軽に話しかけてくる。まるで友人にでも接するかのように親しげだ。先ほどまで敵同士だったことは既に記憶の彼方らしい。


「……上官への敬語は止めたのか? 私が言うのもなんだが、演技しているときの言葉遣いと敬礼だけは立派なものだったぞ」

「色々と疲れるしね。それより、火を起こすなら私に任せてよ。私、凄い宝物持ってるんだ。なんでも、奇跡の品とかいうらしいけど」

「奇跡の品? そんな高級品を、なんでお前がもっているのだ」

「へへ、拾ったんだ」


 そう言うと、火を起こす準備をしている兵たちのところに駆け寄っていく。

 いきなり二又の槍を取り出すと、地面に突き立てた。


「……何の真似だ?」

「見ててね。本当に凄いから。いくよ――」


 ノエルが軽快に指を鳴らすと、槍の先端から炎が迸る。組まれていた木に燃え移り、そのまま勢いを増していく。

 あまりに理解しがたい光景にシンシアは目を疑う。槍から火が生じている。見間違いではない。


「どういう、ことだ」

「この槍、先から火が出るの。名付けて不思議槍。本当に不思議だよね!」

「馬鹿な、いくら奇跡の品とはいえ、そんなものは聞いたことがない! 一体どういう仕掛けになっているのだ!?」


 近寄っていって、槍の柄に手を掛けるが、


「熱ッ!」


 凄まじい高熱で、握ることなど到底できそうもない。他の兵たちも試しにと触りだすが、皆一様に小さな悲鳴を上げた。


「私以外が触ると火傷しちゃうみたい。どうしてだろう。本当に不思議だね」

「何が不思議か! まるで意味が分からん! 呪われているんじゃないのか!」

「失礼な。大事な宝物だよ」


 先端、もしくは長柄そのものに油が染みこんでいるのか。突き刺した拍子に摩擦で着火したと推測するのが常識的だ。だが、ノエルの言葉を聞く限りでは自由自在に炎を出せるらしい。荒唐無稽も良いところだ。


「その槍、そんなことできたのかよ。俺も全然知らなかったぞ」


 付き合いの長いミルトも唖然としている。


「凄いでしょ。へへ、私の宝物だから、絶対にあげないよ」

「確かに凄いとは思うが、火傷するくらいならいらねぇよ。持てなきゃ何の意味もねぇ」

「後、不思議な絵本もあるけど、暇つぶしに一緒に見る?」

「それはキャルと読んでてくれ。無事、村に帰れたらな」


 ミルトはお手上げとばかりに首を横に振っている。


「……本当に訳が分からない。持ち主に似て実に理解し難い。一ついえるのは、今はどうでも良いということだろうな。お前については、考えるだけ馬鹿馬鹿しい」


 ノエルはご機嫌に薄汚れた本を読んでいる。横目で眺めたが、紙が皺だらけで読み取ることができない。

 シンシアは疲労が増してきたので、更なる追求を諦めた。今はこちらに害が及ばなければ良いと割り切ることにして。

 逆に考えれば、立派な戦力である。出会ってから、既に4人もの人間を殺しているのだから。

 下手をすれば、その中の一人になっていたのだから全く笑えない。水で喉を潤した後、もやもやとした物を吐き出すように嘆息した。


「なぁ、ノエル」

「うん?」

「シンシアって人は、百人長なんだよな? それってどれくらい偉いんだろうな」

「十人長より偉いよ。千人長より偉くないけど」

「いや、そりゃそうだろうけど」


 そんな会話が聞こえてきたので、良い機会だと説明してやることにする。偉そうに咳払いをした後で。


「ゴホン。……軍というものには当然ながら階級がある。これはコインブラだけではなく、他の州も同じだ。ホルシード帝国に共通する制度となっている」


 まずは末端の兵士。それに戦の際に徴兵されてきた人間はこれに当る。兵長という役職もあるが隊を指揮するというわけではない。

 指揮を行うようになるのは十人長からだ。そして百人長になると騎士の位が与えられ、上級百人長、千人長、上級千人長と続いて行く。率いる兵は原則としてその階級の人数が割り当てられる。とはいえ、百人長が五百名指揮することも珍しいことでもない。

 どの州も指揮官の育成には苦労しているのが現状だ。大規模な戦など、ここ最近は起こっていないのだから当然ではある。

 ちなみに万人長は将軍と呼ばれ、コインブラではウィルムとガディスの両名がその地位にある。州の最高指揮官には太守が位置し、彼らを統括するのが皇帝だ。

 シンシアが二十という若さで百人長の地位にあるのは、実力ではなく世襲によるものだ。今は亡き父が将軍の地位にあったからこそといえる。本来ならば女の身で騎士になることはあり得ない。兄が病で早世したため、家名を残す名目として騎士と家を継がざるを得なかった。

 当然、それに見合う実力をつけるため、シンシアは厳しい鍛錬を行なっている。ガディス、ウィルムの両名と、引退した父は友人同士だったということもあり、特別目を掛けられてもいる。同僚から陰口を叩かれることも少なくないが、それに負けぬようシンシアは努力を続けていた。


「ということは、今の俺たちはただの兵士ってことか」

「もっとひどい兵士以下の存在だよ。どうでも良い使い捨ての駒だからね。――その偉大なる名前は義勇兵。あはは、残念だったねミルト」

「お前も同じだろ」

「それもそうだね」


 耳に痛い言葉を簡単に言ってのける。実際その通りだからシンシアも口を挟めない。

 今ノエルたちが命を落としたとしても、名前が残るわけでもなく、家族に特別な手当てが付くわけでもない。


「残念なのはお前もだろうが! 第一、俺は義勇兵になんてなったつもりは――、あ、いえ、すみません」


 兵に睨みつけられたミルトが萎縮する。


「……気にするな。この馬鹿以外は、言葉遣いを無理することはない。慣れていないだろうからな。私とて、義勇兵に対して理不尽に厳しくはしない」

「あ、ありがとうございます!」

「怒られちゃったね」


 くすくすと笑うノエル。読んでいた絵本は閉じて、大事そうに腰に提げた布袋にしまっている。


「お前のせいだろ!」

「……あーあ」

「な、なんだよ突然」

「雲が出てきたね。綺麗なお月様が隠れちゃった」

「……確かに。こりゃ火が消えたら真っ暗だな。逃げるにはその方が良さそうだけど」


 つられる様に空を見上げると、雲が漂い始めている。もしかしたら雨が降るかもしれない。

 見つからないように動くには好都合だ。気配を掻き消してくれる上、敵の足も鈍る。まさに恵みの雨といえよう。

 だが、そうは思わない人間もいるようだ。


「雨の日は良くないことが起こるんだ。いつもそうだった。だから、私は雨が嫌い」

「そういうもんかな。お前が雨が嫌いだってのは顔を見りゃ分かるけど」

「うん。特に、夜の雨は最悪なんだ。私にとっては生き地獄みたいなものかな」

「大げさな奴だな」

「本当のことだから、仕方がないよ」


 ノエルはそう言うと、水分を含んだ手拭で顔を拭き始めた。汗と汚れが取れると、気分爽快とばかりに一息ついた。

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