最終話 私の幸せ
ノエルの救出に成功したシンシアは、直ぐに後退して軍医を呼んで治療に当らせる。
ノエルの右肩の怪我はかなり酷く、出血も激しい。おまけに火傷もしている。だが、軍医の話では命は助かるだろうとのことだった。少し安堵したシンシアの腕を力強く掴み、意識が朦朧としているだろうノエルが話しかけてくる。
「ぜ、全軍に、攻撃命令を。好機は今しかない。直ぐに、攻撃命令を――」
「分かっている! すでにシデン殿が前線の指揮を引き継いで攻勢を掛け始めた! 各諸侯にエルガー様もだ! お前は黙って回復に努めていろ! ここまで来て死んだりしたら許さんぞ!」
「……うん、分かった」
「自分ごと火計に掛けるなど、無茶ばかりして! 一体何を考えているんだ!! 何故私に黙ってこんな真似を!!」
「……ごめんね」
シンシアに一言だけ呟いたあと、ノエルは眠るように目を閉じた。体力の限界が来たのだろう。煤がついたその頬を、雫がとめどなく伝っている。水に濡らした布巾でそれを拭った後、シンシアは戦場へと視線を向けた。
真っ赤に燃える夕焼けが、戦場を照り付けている。赤旗を掲げた大軍が、平原を駆けていく。白布の部分は太陽の色を帯びて、赤に変化してしまっているのだ。赤き軍団が、赤に染まる草原を前へ前へと進んでいく。
(……まるで、太陽の旗だな)
――赤は太陽、白は人民。自らの血を流し、連邦旗は赤に染まった。ノエルがこの光景を見たら、果たして何を思うのだろうか。そんなことを考えてしまったシンシアは、一度息を吐き、再び指揮を執る為に前線へと向かっていった。
――戦場中央で突如として立ち上った煉獄に、バハール兵は、悪鬼の恐怖を思い出していた。そして、その後に連邦陣から湧き立つ声。連邦軍総督ノエルの生還、黒陽騎指揮官ファリド元帥を討ち取ったとの大歓声。
事実、連邦本陣を強襲した黒陽騎はほとんど帰らず、人の焼ける臭いが風に乗って戦場を漂っていた。
士気の上昇著しい連邦軍は、夜が訪れる前に総攻撃を開始。帝国軍も負けじと迎撃に当るが、士気低下の影響は目に見えて現れていた。何より、己の右腕であり、最も信頼していたファリドの死は、皇帝アミルを激しく動揺させた。指揮系統の乱れにより、各将は連携が取れず、徐々に後退を始めていく。敵の勢いを止めることができない。傾いた流れを押し戻せる切り札を、アミルはすでに失っている。
そして、遂に右翼の陣が突破され、連邦兵が側面から中央本陣を脅かし始めると、帝国兵は完全に恐慌状態に陥った。指揮官の戦死報告が次々と飛び込んでくる。ここに至り、アミルは敗北を悟る。
「……これまでだ。殿を残し、全軍を撤退させる。トルド、ベスタは放棄。戦線を都市キャデルまで縮小する」
「しかし、陛下。それでは――」
トルド、ベスタの放棄は、バハールの支配圏の大半を敵に渡すのと同義。都市キャデルは確かに防御は固いが、規模でいえばベスタとは比べ物にならない。
「ベスタには、これだけの軍勢を支えるほどの兵糧は用意されてはいない。勢いづく敵を前に篭ったところで、長くはもたぬ。ならば、ここは犠牲を最小限に抑えて後退し、直ちに立て直しを図るのが最善。……急ぎ伝令を出し、民、兵、物資、財宝、あらゆるものを運び出せ! 出来る限り連邦に渡さぬようにせよ!」
「は、ははっ!」
参謀が走り去ると、天幕の外に控えていた武官達が慌しく動き始める。
「まさか、私が、ここまでの完敗を喫するとは。……ファリドは、何故敵の誘いに乗ったのだ」
アミルはそう呟いた後、力なく椅子に腰掛ける。今は、怒りを覚えるよりも、喪失感の方が大きい。初めての完敗、そして、ファリドの戦死。アミルの精神を打ちのめすには十分だった。
敵の罠だったのはファリドもわかっていたはずだ。様子を見るのであれば、他の隊を行かせれば良かっただけの話だ。たとえ一部の黒陽騎が暴走したとしても、ファリドが突撃しなければ大した被害はなかったのだ。だが、ファリドは行った。自分の命に初めて背き、自らの意志で強襲を掛け、死んだ。アミルの心には空虚なものしか残っていない。
(ファリドは悪鬼と直接決着を付けたかったのだろう。それが何故かは、もう分からぬ。……奴の、最初で最後の命令違反となったか)
そして、かつてアミルが見逃してしまった悪鬼、ノエル・ヴォスハイトはまだ生きている。これからも、あの鬼は連邦軍総督として、アミルの前に立ちはだかり続けるだろう。対帝国の尖兵として、生きている限り。それを打ち倒せるはずだった男は、もういない。
「――く、くくくっ。余が、あのとき殺す事を決断していればッ! 全ては、余の甘さが招いたことではないか!!」
これだけではない。この敗北は全て、自分の油断、慢心が生んだものだ。
アミルは己の決断を心から悔やみ、唇から血が滲むほど噛み締めた。湧き上がる恐怖を誤魔化すために。あの煉獄の悪鬼はアミルの命を狙う為に戦場に立ち続けるであろう。アミルが死ぬまで、永遠にだ。
連邦の指揮を引き継いだシデンは、追撃の手を緩める事無く、夜通しの強行軍で兵を進めた。降伏した者は全員命を助けると触れを出し、出来る限り抵抗を少なくする働きかけも行なう。無論、抵抗するものには容赦はしない。
アルトヴェールで敗北したことを知ったトルド領主は、降伏勧告を受け入れ開城。シデンはバーンズに働きかけを行なうよう依頼し、ベスタの調略を任せた。返答は、一週間の猶予を貰えれば、無血開城を行なうというものだった。シデン、そしてバーンズたち連邦指導者はこれを受け入れた。
そして、約束の一週間後、連邦軍はベスタに入り、赤白二色の連邦旗を高らかに掲げた。その隣には、ノエルの二槌旗も上がっている。
このアルトヴェール会戦は大陸の勢力バランスを一変させた。リベリカ連邦はただの寄せ集めなどではなく、既にホルシード帝国に匹敵する戦力を持つと、力でもって証明して見せたのだ。それは同時に、帝国、そして皇帝アミルの権威が著しく低下したことを意味する。
各帝国領の不穏な動きに対処するため、アミルは連邦に停戦を持ちかけた。偉大な皇帝が、反乱した逆賊に書状を送り、停戦を願い出たのだ。これは、リベリカ連邦を交渉相手として正式に認めると言うこと。それほどまでに、アミルは追い詰められていた。
一方のリベリカ連邦も、戦が続いていたため疲弊していた。一挙に帝国を叩くべしと言う強硬な意見もあったが、勝利の立役者、重傷から回復したノエルが停戦を受け入れた方が良いと意見を述べると、指導者達はそれに同意した。
停戦条約が結ばれ、西バハールはバーンズを指導者として連邦の一員に改めて加わる事となった。州都は先の会戦で無血開城させたベスタである。統治者は同じバハール人であることから、残った民達はそれほど不満を見せることはなかった。
召集された諸侯会議で、今後の方針について尋ねられたノエルは、現状維持を提案。
「敵にはいてもらった方が色々と便利だよ。憎む相手がいると、人間はやる気がでるでしょう? 敵がいなくなれば、勝手に作り出すんだから、いてもらった方が良いよ」
無理をして統一したところで、直ぐにボロが出るに決まっている。現にその兆候はちらほらと見えるのだから。憎む矛先を用意して置いた方が、今はやりやすい。
「しかし、追い詰められた者は何をするか分からない。我がゲンブには、窮鼠猫を噛むという言葉がある。手を緩めず、一気に止めを刺すべきではないか? 」
「そんな体力が果たしてあるかなぁ。帝国は私達と停戦しても、ずっと戦い続けなくちゃいけない。自分の招いたこととはいえ、本当に大変だよね」
「……しかし」
「大丈夫。ここは慌てず、ゆっくり行こうよ。まだまだ、先は長いんだから」
シデンの懸念に、ノエルは大丈夫だと笑って自信を示した。
今の連邦はひたすら国力回復に努めれば良い。もうこちらから大きな戦を仕掛ける必要はない。逆に、帝国は常に脅えていなくてはならない。各州の独立の機運の高まり、連邦の再侵攻、そして、ムンドノーヴォ大陸に築いてしまった新領土の防衛に。難題は山積み、同情したくなるほどだ。
ノエルは、今後の連邦の方針として、独立を求める勢力の支援に徹すべきと提案した。帝国との戦いの矢面に立つ必要はない。その州の民が本当に独立を求める場合に限り、軍事支援を行なうのだ。それはノエルの総督府が担当する。諸侯会議での議論は白熱したが、最終的にはノエルの意見が通った。ノエルの意見に、エルガー、シデン、バーンズが賛意を示したためだ。
無理矢理に今の帝国領を制圧したところで、連邦の利益にはならないとノエルは考えている。大陸を制圧したところで、新たな支配者の地位を巡って、連邦内で再び戦いが起こりかねない。ならば、このまま帝国には存在してもらった方が都合が良い。
「……なるほど。不平、不満、恨みなどの負の感情、そして大陸の厄介事は全て帝国に押し付けるわけか」
「今まで良い思いしてきたんだし、それくらいしたって良いでしょ。あっちが反省して善政を敷いてくれれば、もしかしたら私たちと良い関係になれるかもしれない。そうしたら、リベリカ大陸には平和が訪れるかもしれないね」
ノエルは絶対に無理だと分かった上で言った。彼らが善政を敷くためには、大陸遠征を諦めねばならない。だが、かの地を放棄すれば更に皇帝の権威が低下する上、星教会からの逆襲に脅えることになる。連邦は彼の地の指導者と一応の誼を結んでいる。つまり、挟撃の形になってしまうのだ。それを避けるためにも、帝国はあの新領土を防壁として支え続けなければならない。それがどこまで続けられるかは知ったことではない。体力に限界を迎えた州は独立を図り、連邦はそれに協力して迎え入れるだけのこと。
時間の経過により、状況は変化するであろうが、その時はその時だ。
「ま、私達は私達で頑張ろうか。どこもかしこも、ボロボロだからね」
諸侯会議を終えた後、ノエルは部下を連れて、バルバスや戦死者たちの墓を建てた。こんな石碑に祈ったって意味はないのかもしれないが、彼らをずっと忘れないでいるための、証のようなものだ。
バルバスには妻と幼い子供がいたので、ノエルは総督府に来ないかと誘った。妻子はこれを受け入れた。
現在、総督府はバハールの中央、トルドに置かれている。ベスタにも近く、東バハールにも睨みを利かすことが出来る要衝だ。総督府の兵5万はそのまま農作業に従事させることとし、まずは西バハールの復興に力を注ぐこととした。
とはいえ、ノエルがトルドの領主になったわけではなく、それを手伝っているだけだ。内政はトルドの領主が主体となっている。何かがあれば総督府は移動しなくてはならないので、これが良いとノエルは言った。定住したい者は自由にするようにと兵達には告げてある。
暫く身体を休めながら、ノエルは肝心なことをやり残していたのを思い出した。シンシア、カイ、リグレットにお願いして、ノエルは、総督の最初で最後の我が儘を聞いてもらう事にした。
帝都フィルーズから少し離れた場所に、木々に覆われた教会がある。そこでは、忌まわしい人体実験が行なわれている。今までは捕虜、孤児、捨て子などを用いて強化兵とされていた場所だ。だが、現在はかつての皇帝ベフナムの、狂った欲望を満たす為だけに存在する牢獄となっていた。
狂気の実験が繰り返された結果、研究は一定の成果を挙げていた。ベフナムは人間の老化速度を低下させることに成功していたのだ。別の命を犠牲とすることで、自らの寿命を僅かに引き伸ばす。大陸からつれてこられた者は、アミルですら知らぬ間にその多くが材料として費やされていた。暁計画を更に強化するという“天陽計画”などは全て虚言、ベフナムの不老不死を完成させるための総仕上げであった。
これほどまで上手く隠蔽することができたのは、監視役たる宰相ミルズがベフナムに協力していたためだ。彼は元々太陽帝の残した遺産を調査し、手に入れたいという野望を持っていた。暁計画の成功によりそれが実在することを確信、ベフナムに取り入るために、宰相となってからはあらゆることを融通するようになった。最終的に、全ての成果を奪い取るためにだ。
「ミルズ様。成人男性の材料が尽きてしまいました。いかがいたしましょうか。子供で代用しますか?」
「ああ、直ぐに手配しますよ。大陸からいくらでも連れてこれますからねぇ。そのためにも、陛下には遠征を続けていただかなくては。フフ、精神が焼ききれるまであのお方には皇帝の座についていただきますよ」
不老不死は間もなく完成する。ベフナムには成果は渡さず、ミルズがそれを奪い取る。そして、機を見計らい選ばれし人間で帝国を奪取。そのまま大陸を席巻すれば良い。慌てる事は何もない。あの秘法が完成すれば、時間は無限である。
「――ん?」
ミルズの耳に、異音が入ってくる。下の階、教会の入り口あたりからだ。この教会は強固な壁で完全に覆われており、地下は5階層にわたり実験棟が設けられている。警護には暁計画で製作された精鋭が配置されており、野盗がつけいる隙は絶対にない。
「ミルズ様! 敵襲です! あ、あ、あ――」
「なんです。落ち着いて喋らないと、分かりませんねぇ」
「悪鬼が、悪鬼ノエルが――」
兵士の頭が叩き割られる。脳漿がミルズの顔に降りかかる。頭を失った兵がくずおれると、そこには赤の鎧を身につけた女、連邦軍総督ノエル・ヴォスハイトが口元を歪めて立ち尽くしていた。
停戦交渉に立ち会ったミルズは、顔を知っていた。あのときは連邦の指揮官に相応しい凛としたものだったが、今の表情は、獰猛な狼が獲物を前に舌なめずりしているかのようだった。手には、赤錆が目立つ鉄槌、そして鉄釘が何本も握られている。
「こ、これはこれは。まさか、連邦の英雄たるノエル閣下がこのような場所にお越しとは。本来であれば盛大に歓迎しなければならないところでしょうが。……事情はよく理解できませんが、連邦とは停戦が結ばれております。いずれにせよ、これは協定違反となりますぞ」
驚きを押し殺しつつ、ミルズは柔和な表情を維持しようと努力する。
「お忍びってやつだね。今、帝国領はどこも混乱しているでしょ。だから、潰すなら今しかないと思って。バレないように来たから、心配しないでいいよ。停戦はこれから暫くは続くと思うし」
「つ、潰すとは穏やかではありませんね。だ、第一、何故貴方がこの場所を知っているのですか。ここは、帝国でも極限られた者しか知らぬはず!」
「ね、知りたい?」
「え、ええ」
「貴方には教えてあげない。だって、教えても直ぐいなくなるんだから、時間の無駄だもんね」
ノエルが慌てて逃げようとしたミルズの首筋を捕らえ、地面に押し倒す。抵抗しようと必死にもがくが、凄まじい力で身動きができない。
「どうせ、またろくでもない研究してたんでしょ? 続けられると皆が迷惑するだろうし、ここで死んでもらうね」
「ま、待って、ちょっと待ってください! こ、こ、ここの研究は、不老不死を実現するものなのです。いいですか? 完成はもう間近なのです。もちろん貴方にも成果を差し上げます! だから、私を殺すのは待ってください! それに私は帝国宰相なのです! 利用価値は大いにありますよ!」
「うーん、別にいらないかなぁ。ずっと生き続けるなんて、途中で飽きちゃったら地獄だし。それに、今は結構楽しいから、それだけで十分かな。後、貴方の力は別にいらないしね。性格の悪い人が二人もいると、私も大変だから」
ノエルは笑いながら、ミルズの頭に鉄釘を押し当てる。
「や、やめて。おい、やめろ! やめて――」
「えいっ」
掛け声と共に、ノエルは鉄釘を三本、ミルズの頭に一気に叩き込んだ。念のために、首の骨も折っておくことにした。痙攣するミルズの身体を、窓から外に放り投げる。まだ怪我は治っていないが、これくらいは問題ない。
両手を叩いて埃を落としていると、シンシア、カイ、リグレット、そして白蟻党の兵たちがやってきた。
「総督。教会の制圧は完了しました。抵抗しやがったやつらは全員ぶっ殺しておきました」
新しく白蟻党の親方になったゴランが報告してくる。まだ慣れていないようだが、仕事をこなそうと必死に努力している。
「結構強かったんじゃない?」
「腕っ節は確かに大したもんだが、動きが素人同然だ。毒刃をくれてやったら楽勝でしたぜ」
「流石は白蟻党だね」
「ありがとうございます! バルバスの親方の名は俺たちが残さなきゃいけませんからね」
ノエルが肩を叩いて褒め称えた後、シンシアが話に入ってくる。
「ここが何なのか、私にはさっぱり分からんが、どうも良い施設ではなさそうだな。血の臭いが凄まじい」
「うん、直ぐに燃やした方が良いよ。跡形もなく焼き尽くさなきゃ」
「地下に、50人ほど子供が囚われていたが。彼らはどうする?」
「とりあえずトルドに連れて行って、それから決めさせよう。街に残りたいって言ったら、私が面倒みてもいいしね」
ノエルの言葉にシンシアが目を丸くして驚く。リグレットはまた始まったと面倒くさそうに舌打ちした。子供の避難やそのあとの世話を手配するのは彼女の役目になるからだ。
「……珍しいな。お前がそんなことを言い出すとは」
「まぁ、ちょっとね。他には、何にもなかった?」
「うむ。ノエル殿の話していた、黒い石というのは存在しなかった。それに、先帝ベフナムの姿もだ。まだ周囲を捜索させたほうが良いならば、兵を残していくが」
カイの提案を、ノエルは少し天井を見上げて考えた後、遠慮しておくことにした。どうやら、もう問題はなさそうだから。
「いや、いいや。もう大丈夫みたい」
「しかし、禍根になる恐れがあるならば、探した方がよいのではないか? それがしだけ残っても構わんが」
「大丈夫だって。皆、新しい玩具が来たって喜んでるから。それじゃ、燃焼石を仕掛けて、全部燃やしちゃおう。書類とか薬とか死体とか。この世に痕跡を残す事無く、綺麗さっぱり吹き飛ばそう」
「そこまでやるのか? 目立って、すぐに追っ手が掛かるぞ」
「うん、ごめんね。でも、皆に見てもらわなくちゃいけないから、盛大にやらないといけないんだ」
「そこは白蟻党にお任せを。俺たちが安全な場所に逃げた頃に吹き飛ぶように細工しますぜ。もちろん、効果は問題ありません。帝国のやつら、尻が吹っ飛ぶくらい驚くでしょうぜ」
「それは楽しみだね。それじゃ、準備して高台の方に行こうか!」
ノエルが教会を襲撃したのと同時に、地下に篭っていたベフナムは隠し通路を使って避難を開始していた。万が一に備えるのは、当たり前の事。ベフナムはこれを守る事で、皇帝の座を勝ち取った。梯子を登り、井戸の蓋を開ける。ここは教会の墓地に通じる通路。表で待機しているであろう襲撃者は気付く事はない。
(何者か知らんが、ここに目をつけるとはな。まさか、アミルの手の者か? 何を考えているかは知らんが、馬鹿な真似を)
追い詰められたアミルが、天陽計画を自らの手におさめる為に実力を行使してきたのかもしれない。ベフナムは身内を真っ先に疑っていた。どちらにせよ、暫くは身を隠す必要がある。そして、隠しておいた資金、物資を使って研究所を再建し、研究を続ける。既にこの身体は老化を極端に遅らせることに成功している。恐らく寿命は三倍程度伸びているだろう。これは幼児の実験によるものだが。
ベフナムの手には、不老不死を実現するための鍵、黒の秘石が握られている。太陽帝ベルギスの残した帝国の秘法――太陽の遺産。これさえあれば、ベフナムは再び支配者に返り咲く事ができる。
「くくっ、連邦が支配圏を延ばそうが、帝国が滅びようが一向に構わぬ。私さえ生きていれば、いくらでも再建してくれるわ。くくくっ、そう、大陸の支配者は私だけでいいのだ!」
ベフナムが笑いながら墓地を抜けたところで、動きが止まる。いや、止められてしまった。何かが、足に絡まったようだ。植物かもしれない。
「糞ッ、なんだというのだ!」
ベフナムが足元を見ると、肉片のこびりついた死体、その骨の見える腕が、足を掴んでいる。その身体に群がる蛆虫が、実に醜い。その眼孔は虚ろで、何も映してはいない。悪臭が鼻を突く。
「な、なんだ! なんなのだこいつはっ!!」
それから逃れようと、必死に足を動かすが、死体の手をどうしても解く事ができない。止むを得ず手を使って引き剥がそうとしたとき、黒の秘石を落としてしまった。慌ててそれを拾おうと身を屈めたとき、ぬかるんだ地面から無数の腕が這い上がってくる。
「ひ、ひいっ!!」
それらはベフナムの身体にまとわりつき、地中に引き摺り込もうとする。黒の秘石は、その中の骨の手によって、バラバラに粉砕されてしまった。ベフナムの野望がいともあっさり潰えた瞬間だ。だが、絶望はまだ終わらない。
ケタケタと笑う子供の声が、ベフナムの脳に直接響いてい来る。――遊ぼう、遊ぼう、遊ぼう、僕達、私達が飽きるまで、ずっと遊ぼう。お前にはその責任がある。自分の所業を思い知れ――と、ベフナムをからかい、そして鋭く弾劾する声が。
「ふ、ふざけるなっ! 化け物共め、私は皇帝なのだ。私は皇帝なのだぞ!」
『元皇帝のくせに往生際が悪いな』
一際低い声を放つ、生首。骨に抱えられて、それが喋りかけてくる。かつて人体実験に使ったフレッサーとかいう若者だった。非常に健康で、首だけになっても生きていたので記憶に残っている。最後は、ベフナムが薬の投与をやめた事で死に至った。その時の脅える様子は、ベフナムの嗜虐心を強く満たしてくれた。そのフレッサーが、今目の前にいる。ありえないが、現実にいる。
「違うッ! お前達のような亡者ではない! わ、私は生きているんだ!」
『お前もこれからそうなるんだよ』
そう言うと、朽ち果てた死体たちはベフナムを一気に地中へ引きずり込んだ。他の小さな身体の死体の群れは一度地上に出ると、教会が炎上するのを満足したかのように眺めた後で、自ら穴へと返っていく。そして、再び静寂が訪れた。
ノエルは教会を見下ろすことのできる高台で、炎が燃え盛るのを眺めていた。シンシアたちも同じだ。リグレットはこれからどう撤退するか頭を悩ませている。余計な荷物が50人ほど増えてしまったからだ。
「あそこは、一体なんだったんだ?」
「ふふ、なんだろうね。でも、潰せた事は連邦にとってもいいことだと思うよ。総督として相応しい仕事を成し遂げたって感じかな」
「……言いたくないならば構わない。どう見ても、碌な場所じゃなかったからな」
「そうだね。糞みたいな場所だったよ」
ノエルは大きく伸びをする。
「これから、どうするつもりだ。まだ、総督を続けていく気はあるのか?」
シンシアは不安そうだ。ちょっと前にノエルが、飽きたら総督を辞めると発言して以来、元気がなかった。ちょっとした冗談だったのだが、効き過ぎてしまったようだ。今更嘘でしたなどと言ったら、顔を殴られそうなので誤魔化す事にした。
「まだまだやることは一杯あるからね。それに、新しい家族も50人増えそうだし」
「まさか、またヴォスハイト家の人間を増やすつもりか!」
「いいじゃない。減るもんじゃないし。同じ姓の人が増えれば、家族が増えたみたいで楽しそう」
「そう言って、既に千人を越えているぞ。全部名前を言えるのか?」
「勿論。言ってあげようか?」
「いや、また今度にしてくれ。時間がないし、リグレット殿に睨まれる」
実際に睨んできていた。舌打ちの音も聞こえる。
「……あーあ」
「どうしたんだ。妙な溜息なんかして。厄介事は燃え尽きたのだろう」
「私は、幸せを手に入れられたのかなって」
「違うのか?」
「分からないな。できれば、目に見える形で欲しかったんだけど」
「相変わらず無茶を言う」
シンシアは苦笑する。
「でも、何が幸せなのか分かったから、後で手帳に書き加えておく事にしよう。誰にも見せないように、総督以外閲覧厳禁の宝箱にしまわなくちゃ」
「おい、私にも教えてくれる約束だろう!」
「私が死んだら見て良いよ」
「不吉なことを言うな!」
久々に拳骨を頂いた。
「それじゃ、天気も良いし、総督府に帰ろっか! きっと、皆首を長くしてまってるよ」
「上手く話を誤魔化したな」
「総督府には、性格の悪い人がいるからね!」
「ちょっと、それは私のこと?」
「リグレットなんて一言も言ってないけど」
「目がそう言ってるのよ。大体、なんで私がこんな苦労を!」
「うわー、陰険眼鏡が追いかけてくる! 皆、逃げろー!」
ノエルは子供達を連れて、森に手配されている荷馬車目掛けて走り出した。リグレットは顔を真っ赤にして追いかけてくる。それに続き、護衛しなければとカイ、シンシア、白蟻党の面々も駆け始めたのだった。
この後、ノエルには功績としてバハール内で領土が与えられる事となった。個人ではなく、あくまでも総督領としてのものだが。領主は総督府の一員として迎えられる事となった。
総督府直轄領となった都市トルドを拠点とし、帝国に睨みを利かせつつ、遊びと仕事に全力を尽くした。
再び起こった帝国との戦では先陣を切り、前線で戦って戦って戦い抜いた。当然、勝つこともあれば、負けることもある。沢山の仲間が死に、沢山の敵を殺し続けた。それでも、ノエルは皆の命を背負って、戦い続けたのだ。結果としては、連邦は支配圏を延ばす事はあっても、削られることはなかった。
『今ならば帝国を滅ぼし、我々が大陸の支配者になれる』などと、驕りはじめた国主たちに脅し紛いの警告を与え、総督としての責務をしっかりと果たし続ける。支配者になったりしたら総督の仕事はもっと大変になるというのも少しはあったが、大陸全住民の命を背負うのは流石に無理だと音を上げたというのが本心だ。人間には、できることとできないことがある。それを見極めるのも大事なことである。だから、ノエルは仲間や友達を頼り、あまり無理をしなかった。
補佐してくれるのは、いつもの面々。それに加えて、大量に増えたヴォスハイト家の者たち。ノエルは全員の名前を覚え、得意、不得意を把握し、適正な仕事を振り分けていった。もちろん、自分が楽をするためである。勝手に決めた誕生日には、総督の解任動議を自ら出して、シンシアに叱られることを恒例行事にすることを心がけていた。皆で騒いで楽しむ事ができるからだ。都市を挙げての大祝賀祭である。この日ばかりは、真面目な人間、陰険な人間も楽しく騒ぐ。
もちろん、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、悲しいこと、辛いことも沢山あった。幸福と不幸は表裏一体なのだ。それは天気と同じ事である。自分にできるのは、できるだけ楽しい時間が多く過ごせるように頑張るだけだ。それでも、長い時間の間には、上手く行かない事はある。
たとえば、コインブラ統一から十年後に起こってしまった咎人の乱だ。乱で戦傷を負ってしまったエルガーの早すぎる死、悲しみ癒えぬイルムの中毒死、その息子ノルンの国主就任。後見人にはイルヴァンと、ペリウスが就任した。
エルガーの死に際、ノエルはその痩せ細った手を取り、最後を見届けることになった。何かを必死に語りかけようとしていたが、それが何だったのかは今も分からない。ノエルは形見として、鉄槌を受け取った。こんなことは望んでいなかったのに、宝物の鉄槌が戻ってきてしまった。二つの鉄槌を握り締め、ノエルは誰にも見られないように泣いた。
ノエルはエルガーの遺志を実行するため、徹底的な咎草の排除を開始した。製造に関わっていた民の抵抗は激しかったが、コインブラが自ら撒いた種を、全て刈り取ったのだ。その苛烈さは、まさに悪鬼さながらであったという。
ノエルの総督在任中、何度か帝国を滅ぼす事ができる機会があった。既に大陸の6割を制覇しているのだ。側近や目付け衆も、今こそ滅ぼし大陸に平和を取り戻すべしと訴える者も多かった。だが、ノエルは敢えて和平を結ぶことを強調し、決着を避ける方針を採り続けた。帝国を滅亡させたとしても、今度は内部で争いが起こることが目に見えているからだ。人間は敵を作り出さずにはいられない生き物である。これが、沢山の人間を見続けてきたノエルの結論だ。ならば、生かさず殺さず、帝国には仇役として存在し続けてもらえばよい。いずれ破綻する時は来るのだろうが、連邦民の“平和”な時間を長引かせることは自分がいる間はできる。それが総督を引き受けた際の約束だ。できることはやらなければならない。
「帝国を滅ぼし、連邦が大陸の支配者になったとして。本当に、平和はやってくるのかな」
ノエルが自分の考えを国主たちに打ち明けると、これに正面から反論できる者はいなかった。現に歴史は何度も繰り返している。現在の優勢を維持しつつ、一種の拮抗状態を保つほうが利益が大きい。国主の中には、野心を隠していた者もいるが歴戦のノエルを敵に回すほどの度胸はない。総督府の軍勢は、いまや連邦の主柱と呼べる程の存在になっているのだから。
連邦成立から十年後、繰り返されていた戦に仮初の終止符が打たれるときが訪れた。都市レーヴェにおいて、連邦、帝国間で平和条約が結ばれたのだ。連邦代表はノエルが、帝国側からは五代皇帝がそれぞれ条約を承認。この日をもって、第一次リベリカ戦争はひとまず終結した。
――帝国は大陸星教会との間でも停戦交渉を開始。教会側との交渉は難航するかに思われたが、賠償金の支払いにより長く続いた遠征は一応終結する。何故話がまとまったのかは簡単な話だ。既に、帝国はほとんど大陸での影響力を失っている。ヴェルダン州は、現地の者により支配されている状態なのだ。帝国の遠征というよりは、単なる領土争いに陥っているのが現状である。
再度の余計な介入を防ぎたい星教会、負の遺産を早く解消したい帝国の利害が一致しただけの話。大陸での戦いは、今も続いている。
――リベリカ連邦の歴史を語るとき、最初に名前が挙がるのが初代総督ノエル・ヴォスハイトである。彼女の足跡は、ノエルが自称50の誕生日を迎えたところで突如として終わりを迎える。公式に死亡が発表され、総督領にて大々的な葬儀が行なわれたのだ。
死因は、シンシアの子供と遊んでいる最中に心を患って死んだ、パンを喉に詰らせて死んだ、うっかり足を滑らせて頭を打って死んだ、木の上で居眠り中に落下して死んだ、川辺で寝ていて何故か溺れて死んだ等々。
いや、実は死んでなどなく、どこかで今ものんびりと暮らしている、名を変えてムンドノーヴォ大陸に渡った、最後の約束を果たすため世界を渡って旅に出た、などという話も残されている。どれもこれもうそ臭い話ばかりだが、ノエルを慕う者達の間では、まことしやかに囁かれ続けた。
だが、いずれにせよ、ノエルはあの日以来、表舞台から完全に姿を消したのだ。総督府、ノエルの自室には山のような宝物が残されており、その中でも厳重に封印された宝箱は一際人々の目を引いた。生前より、幸せになる方法は一番頑丈な箱にしまってあると皆に話していたからだ。
残された者は、何とかしてそれを見ようとしたが、どうしても開く事ができなかった。鍵師を呼んでも不思議と開ける事ができない。破壊しようとすると、槌の方が壊れてしまうほどの頑強さ。仕方なく、残された者達はノエルの遺品としてそのまま回収、現在はリベリカ連邦の至宝として、錆びた二本の鉄槌と共に厳重に保管されている。
中に何が入っているのかは、シンシア・エードリッヒ総督補佐とリグレット・ヴォスハイト総督府憲兵長が貴重な証言を残している。
『あの中にはノエルが書き残した手帳が入っているんだ。幸せになる方法が記されているらしいが、詳しくは分からない。いつか教えてくれるという約束だったのだがな。……まぁ、答えはあの世で尋ねる事にしよう。私にも、答えが分かった気がするのだ』
『いい? あれは馬鹿が遺したくだらない悪戯なの。気にするだけ無駄無駄。苦労して開けたってどうせ、“はずれ”とでも書いてあるに違いないのよ。……開ける方法が分かったら直ぐに教えなさい。これは命令よ』
いずれにせよ、ノエルという人物は多くの謎を残してこの世を去った。彼女はどこの生まれだったのか、何故あれほどの武勇を持っていたのか、何故兵たちから強い信頼を得る事ができたのか、彼女の愛用していた二叉槍は一体どこへ消えたのか、何故歳を取っても若々しい姿のままだったのか、最後はどのようにして死んだのか、遺体は何処に眠っているのか、何故ヴォスハイト家の人間を増やし続けたのか、そして、彼女は一体なにを成し遂げたかったのだろうか。
今なお歴史家たちは、数多くいるヴォスハイト家の始祖、ノエル・ヴォスハイトの足跡を追い続けている。彼女には実の子供はいなかったが、ヴォスハイト姓を継ぐ者を、老若男女、人種を問わず一万人も残していった。彼らの子孫も、また連邦のために戦う戦士として、総督府の歴史を紡ぎ続けている。それが、ノエル・ヴォスハイトの思いを繋ぐ唯一つの方法と信じて。
作品について思うことは、活動報告で色々と書きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




