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第四十五話 少女は変わり、少年は変わらなかった

 動乱続くリベリカ大陸が、ようやく収穫の秋を迎えた。物資の補充を終えたホルシード帝国は、アミルの号令の下、総勢12万を擁してバハール西部に向かい出陣した。バハール兵だけではなく、帝都、リベルダム、そして傘下にある東部の州から兵を募っての出撃だ。これは、バハール解放前線を壊滅させるだけの戦いではない。総督府を叩き潰し、そのまま反逆したコインブラを再び奪還するために揃えられた数である。皇帝アミルは後方に陣取り、実際の指揮は元帥のファリド・アラインが行なう。まさに、必勝を期した態勢だ。


 一方のリベリカ連邦も、ノエル・ヴォスハイト総督を総大将として帝国勢を迎えうつために出陣。アルトヴェール平原に陣を敷き、帝国軍を迎え撃つ態勢を取る。ゲンブからはシデン、統一コインブラからはエルガーが増援を引き連れて参陣。敵の脅威が緩和されたギヴ、カームビズからも兵が送られてきたため、当初の見込みよりも多い10万が揃う結果となった。

 帝国軍12万、連邦軍10万。ホルシード帝国が大陸を統一して以来、最大規模の戦いが今まさに始まろうとしていた。

 ――アルトヴェール会戦の幕開けである。

 



 前線での指揮を任せられたファリドは、南北に渡り延々と陣を張り巡らせると、まずは持久戦の構えを取った。対するノエルもそれに合わせて陣を展開。両軍が、平原上で直線で見合う形となった。ノエルが恐れていた、初手での黒陽騎の強襲はなかった。帝国も、いきなり博打をうつような危険は冒す事ができなかったのだ。ファリドは出鼻を挫くべしと提案していたが、アミルにより却下された。虎の子である黒陽騎を、序盤で失う事を恐れたのだ。

 両指揮官は主力を温存し、小兵力を繰り出しての戦いを繰り返す。この陣構えになった以上大きく動けば、必ず隙が出来る。そこを衝かれて突破されれば、致命傷となりうると理解しているからだ。


 剣が打ち合わせるように、両軍の小競り合いは続く。右翼が兵を増強して攻める構えを見せれば、すぐに応援がかけつけこれに対峙する。勢いに任せて先陣を撃破したところで、直ぐに後詰の隊がその穴を埋め、押し返すのだ。小規模同士の戦いでは決着はつかない。

 ファリドが騎兵の機動力を活かしての兵糧庫襲撃を狙えば、連邦の伏兵が待ち構えてこれを迎撃。それを追撃して深追いすれば、待ち構えた帝国の弓兵が散々に打ち払う。両軍、一進一退の攻防がひたすら続く。

 正々堂々と潔く突撃すべきという愚直なゲンブ武官もいたが、ノエルは一蹴して持久戦を貫く。今は、先に動いた方が、不利になる。相手は待ち構えて迎え撃つことができる。精神の削りあいは、延々と続いていった。

 じりじりと削られていく消耗戦は、開戦から一ヶ月に及んでも続いていた。アミル、シデンなども流石に音を上げ打開策を練り始めたが、ファリドとノエルはまだ動じない。遠眼鏡で相手の動きを一日中、観察し、兵の疲れ、士気などを綿密に調べる。

 だが、時機が近いというのはお互いに感じていた。どこで動くか、或いは相手を動かすのかが、勝負の分かれ目だ。それを見極めるため、両者は集中力を限界まで高めて、敵陣を睨み続けていた。

 


 ――そして二ヶ月目に入ったとき、ノエルは先に動くことを決断した。準備していた策をいよいよ実行に移す時と判断したのだ。


「総督府本陣を最前線に移動させ、橋頭堡となる砦の構築に掛かる。本陣護衛、及び作業員はリグレットが人選したものを当らせて。私の麾下の兵は、一時的に他の隊へ振り分ける」


 ノエルが何度目か分からない軍議の場で唐突にそう述べると、シデン、エルガーは驚きの声を上げる。

 狙いは単純、あえて隙を見せる事で、敵に喰らいつかせるというもの。かつて大陸を制した太陽帝ベルギスが得意とした策でもある。


「何を馬鹿なことを。対峙している状況での砦構築など聞いた事がない。無事に作業を終えたとしても、戦略的な意味など大してあるまい」


 防御力があるとはいえ、城とは違うのだ。戦意高揚にはつながるのかもしれないが、それに伴うリスクを考えればシデンの意見は正しい。


「そうだろうね。攻めてきてくださいと言ってるようなものだし」

「分かっているならば、考え直せ。お前は、連邦の象徴たる総督府の長なのだ。万が一にも討ち取られれば、士気は瞬く間に低下しよう。挑発が目的ならば、別の手段もある」

「シデン殿の言う通りだ! ノエルが最前線に出向く必要はない!」

「だからこそ私が行かなくちゃ。高い餌を用意しないと、血に慣れた獣は絶対に食いつかない」

「お前の言葉は理解できるが、成功しなければ崩壊の原因になる。第一、黒陽騎が喰らい付くとは限るまい。私が帝国指揮官ならば、他の兵を犠牲にしてでも様子を探らせるだろう。黒陽騎の投入など絶対にさせない。……ノエル、ここは慎重に考えるのだ」


 シデンが執拗に諌めてくるが、ノエルは首を横に振る。


「大丈夫。私が動けば、絶対に黒陽騎は動く。間違いない。そこで勝負をつける。今の総大将は私、これだけは絶対にやらせてもらう」


 いつになく強い口調のノエル。実際、膠着した状況を打開する手段をシデンも考えていた。ここまで危険度の高いものではなかったが、わざと隙を作るのも一つの手と考えてはいたのだ。


「例え誘き出しが成功したとしても、生半可な伏兵が通じる相手ではないぞ。黒陽騎は恐るべき相手だ……それとも、何か策でもあるというのか?」


 シデンの懸念に、ノエルは深々と頷く。


「勿論。厄介なファリドと黒陽騎のことは私に任せてくれればいい。総大将は今は私だしね。皆は、敵の様子をしっかり見て攻撃の機会を判断してほしい。敵に隙ができたら、何があろうと絶対に攻勢をしかけてね」


 ノエルは穏やかな口調で、そう告げた。最初からノエルが最前線に赴き、敵を誘い込む手もあった。だが、いきなりでは味方の反発が大きいと判断してやめたのだ。先ほどのシデンのように、何故危険を冒すのかという意見は必ず出る。そして、それでも自分の意見を押し通せば、味方同士の連携に亀裂が走るかもしれない。先のコインブラ・バハール戦争でのことをノエルはまだ覚えている。人を納得させるには、それだけの証拠か根拠が必要なのだ。

 だからノエルは待った。体力と兵糧が削れるだけの消耗戦で、敵と味方の精神が限界ぎりぎりにまで達するのを。ノエルは敵だけではなく、味方も観察していた。そして、今が動くときだと判断した。

 味方が音を上げ始めたということは、敵もほぼ同じ状況である。その状況下でノエルが危険を冒して本陣を前に出し、これ見よがしに砦を築き始めれば、何かしらの動揺を与える事ができる。

 そうすれば、ファリドは確実に動く。罠があると分かっていても、動かざるを得ない。これはノエルの挑発なのだから。放っておけば、臆病と誹りを受けるだけではなく、兵が失望して士気が下がる結果をもたらすだろう。

 そして、更に念を押すために、ノエルはバルバスに命じる。


「バルバス、投擲騎兵で敵の中央陣地に仕掛けて挑発を繰り返して。逃げられると確信できる距離からでいい。絶対に無理はしないように!」

「了解しました! 俺たち白蟻党にお任せを! へへっ、どうやら一番美味しい仕事を貰ったようですな!」

「――バルバス。もう一度言うけど、絶対に無理をするな。敵に痛打を与えるのが目的じゃなく、引っ張り出すのが狙いだからね。自分の仕事を、しっかりと理解するように」

「二度も言わなくても、しっかり分かってますよ! 俺にお任せ下さい、総督閣下!」


 ノエルはバルバスの答えを聞き、小さく頷く。

 シデン、エルガーは渋々ながら納得したようだ。もう反論することはない。あとは、相手の選択次第だ。



 ――だが、ファリドは頑として動かなかった。三日三晩、白蟻党の挑発を受けたが、ファリドは動くことを戒めたのだ。連邦軍は罵声を浴びせかけ、ラッパを吹き鳴らし、火と鉄片をばら撒く投擲弾を投げ込んできた。中央前線にいるレベッカたちは怒り狂っていたが、ファリドは待機を命じ続けた。


「なんで止めるんだよ! あの糞野郎どもをぶち殺せば、アタシたちは勢いがつくじゃねぇか! なんで亀みたいに篭ってなきゃいけないんだ! 騎兵の本分は進撃にあるって兄貴も言ってたじゃないか!!」

「それが敵の狙いだからだ。わざわざ見え透いた誘いに乗る必要はない」

「納得いかない! 大陸でもアタシたちは勝ち続けた! あの雌鬼には一度勝ってるんだ。脅える必要なんかない!」

「……隊列を乱すことは許さん。下がれ!」


 レベッカは近くの椅子を蹴飛ばして、自陣へと戻っていく。それを苦々しく見送るが、彼女の気持ちも分からなくはない。焦れているのは、他の兵も一緒だろう。敵はどうしてもこちらを動かしたいらしい。だからこそ、夜襲と見せかけて毎晩挑発行為を仕掛けてくる。戦闘本能だけが高められた暁強化兵、そして黒陽騎などは忍耐が限界に達しているようだ。


(……いつまでも眺めている訳にはいかないか。何らかの対処しなければ、士気が下がる)


 狙うのであれば、敵が油断したその時だ。ノエルの砦構築を許すわけにもいかない。あんなものに意味はないが、見逃せば帝国の兵が及び腰となる。罠があるのは見え見えだ。阻止するだけならば、捨て駒覚悟で兵を向ければ良い。だが、ファリドはその判断を保留していた。アミルからは、適当な兵をさっさと向けて企みを阻めと催促が来ている。アミルからの命令を保留したのは、ファリドにとっては初めてのことだった。


(……陛下のお考えは良く理解できる。だけど、ノエルは、できれば僕の手で討ち取りたい。そして、もう一度だけ、話を――)


 赤く染まった伝令の報告書に気付き、ふと空を見上げる。真っ赤に染まった空がそこにはあった。時刻は夕暮れ。

 ――その時、凄まじい爆音がファリドの耳まで届いてくる。そして、その後に続く悲鳴と、出撃を告げる角笛の音。


「……何事だ! 私は攻撃命令は下していないぞ!! 一体どこの隊だ!」

「申し上げます! レベッカ副将の隊が進撃を開始されたようです! 現在、敵騎兵隊に激しく追撃を仕掛けておられます!」

「馬鹿が、勝手な真似をッ!」


 ファリドは報告書を投げ捨てる。だが、とすぐに考えを改める。むしろ、今が好機なのかもしれないと。敵が痺れを切らして、深入りしすぎた可能性もある。それならば、動くのは今しかない。

 ファリドは片目を閉じて、考える。

 ――どうするのが良いか。何が帝国にとって、自分にとっての最善なのか。行くのであれば、ここで黒陽騎を投入し、敵騎兵を追撃、ファリドはノエル本陣を強襲する。万が一罠があったとしても、少数の伏兵ならば蹴散らすことができる。多勢だろうと、黒陽騎の突破力があれば生還は可能。

 ――そして、なにより。


(ノエルが、僕を誘っているんだ。これが、直接話せる最後の機会なのかもしれない。ならば、行くしかない)


 長い消耗戦でファリドの思考に僅かに乱れが生じていた。アミルの命令よりも、自分の意志を優先してしまった。本来の自分が現れてしまったのだ。

 今自分が仕掛ければ、彼女と直接相対することができる。いつもならば選ぶはずのない選択。皇帝に忠実であれというもう一人の自分が、やめろ、罠だと激しく警鐘を鳴らす。アミルも黒陽騎の消耗はさけよと厳命していたではないか。指揮官たるもの、武勇と蛮勇を履き違えてはならない。

 だが、その警告を無視し、ファリドは誘いに乗る事を選んだ。ファリドの生涯で初めて、自分の意志で選んだのだ。


「――よし、我らもレベッカ隊に続く! 目標は、連邦軍ノエル本陣! 黒陽騎出陣の角笛を鳴らせッ!!」

「はっ! 全員出撃だ! 逆賊共を一人残らず踏み殺せ!」

『応ッ!!』


 重低音が鳴り響き、中央陣地から黒陽騎が出撃を開始。赤く染まる平原を勢い良く駆け抜け、遠目に確認できる砦の土台を目指す。まだまだ砦を為すには程遠く、木材などの物資が放置されている状態だ。これで騎兵を妨げることは絶対に不可能だ。

 ファリドは黒陽騎の中団に位置したまま、槍を握り締める。掲げられているのは帝国の太陽旗。目指すのは紅白に分かれている連邦旗。その白地の部分が、夕暮れで染まり、まるで赤一色のように見えてしまった。


『……ノエル様のもとへは、行かせぬ』

「邪魔だ!!」


 騎兵を遮ろうとする、連邦歩兵と接触する。敵の動きは疲れているのか非常に緩慢で、たちまちのうちに数十人を討ち取った。


「このまま進めっ! 目指すはノエルただ一人! 奴を討ち取れば、この戦いは勝ったも同然だ! 逆賊共に黒陽騎の力を見せつけろ!」

『応ッ!』


 ファリドが鼓舞すると、全員が槍を掲げる。

 ――遠くの方で、爆音と共に火の手が上がるのが見えた。レベッカの向かった先だった。

 


 

 ノエル本陣。黒陽騎が向かってくるのを遠眼鏡で確認する。すでに歩兵と戦闘が始まっている。後数分も経たずにここまでたどり着く事だろう。


「……閣下。バルバス様が、戦死なされました。敵将を道連れに、投擲弾を使われた模様」

「……指揮は、白蟻党のゴランに引き継がせて」

「はっ!」


 バルバスは、挑発が効果を為していないと判断したのだろう。だから夜が訪れる前に敵陣に向かい、危険と知りつつ深入りした。その甲斐あってか、敵の騎兵、そして黒陽騎を引っ張り出すことに成功した。だけど、逃げ切れなかった。だから、死んだ。

 バルバスに任せていれば、いずれこうなると分かっていたのかもしれない。だけど、こうするしかなかった。

 悲しくなったノエルは泣きたくなったが、顔を歪めてなんとか堪える。今泣いたら、力が抜けていってしまうから。指揮官に泣く事は許されない。


「……閣下」

「うん。悲しむ前にやることはやらないとね。リグレットとカイに伝令を。ことが始まったら、絶対に容赦するなと厳命して。中途半端は、すべてが無駄になる。あとは、シデンと若君に任せるから」


 ノエルは立ち上がり、二叉槍を手に取る。そして伝令に、身につけていた鉄槌を渡した。


「閣下。これは……」

「うん。少しでも身軽じゃないと、あれには勝てない。なくすのも嫌だし。だから、預かっておいてくれるかな?」


 ノエルは鉄槌の代わりに短剣を腰に身につけ、そして待ち構えた。空は真っ赤な夕暮れ。だが、少しだけ滲んで見えたのは気のせいではないだろう。

 

 

 ――黒陽騎の蹂躙は続く。ファリドが馬上から槍を突き刺すと、連邦兵は口から血を吐き出して息絶える。あまりにも脆い。いくらこちらが精鋭揃いとはいえ、ここまで歯応えがないものだろうか。敵は、あの悪鬼ノエルの兵なのだ。ヤヴィツでの戦いより、弱体化している。


(なにか、仕掛けてくるな)


 ファリドの脳裏に嫌な予感が過ぎる。だが、攻勢が順調だと言うのに引き返すなど愚の骨頂。中途半端な攻撃は絶対に控えろと、あの場所で教わった。だから、それをファリドは守る事にした。

 騎馬の群れが敵兵をなぎ倒して砦の内部に入り、ノエル本陣への攻勢を開始した。積まれた木材を防壁代わりに剣を振るう連邦兵に襲い掛かる。作りかけの砦、その中央に二槌の旗印が高らかに掲げられている。連邦軍総督、ノエルの天幕だ。その中から、ノエルがゆっくりと出てくる。顔には笑みを浮かべて。


 ――その瞬間。砦目掛けて夥しい数の火矢が降り注いできた。ファリドは慌てて槍を回転させてそれを打ち落とす。黒陽騎もだ。これぐらいでやられるような者たちではない。犠牲になっているのは、むしろ連邦兵。その身体に火矢が突き刺さると、勢い良く燃え上がる。いや、燃え盛っている。人体を燃料として、炎の柱が次々と立っていく。それは砦の土台、物資などに燃え移り、更には死体にまで。これほどまでに飛び火の勢いが強いのは異常である。


「――な、なにが起こったのだ!?」

「や、やめろ、近づくな!」


 困惑するファリドの耳に、悲鳴を上げる黒陽騎の声が聞こえてくる。炎に巻かれた連邦兵が、微笑を浮かべながら、黒陽騎に抱きついている。油でも使っているのか、炎は黒陽騎の髪、身体に容易く燃え移り、炎の柱が出来上がった。

 その光景と同じものが、本陣のいたる場所で起こっている。馬は恐慌状態に陥り、主を地面へと落とし、それに向かって炎を纏った連邦兵が抱きつき、炎と化していく。ファリドが育て上げた精兵たちが、聞くに堪えない悲鳴を上げながら次々に死んでいく。

 気がつけば、砦を覆うように炎の円ができていた。砦の外枠と人間の死体を用いて築き上げた炎の壁。空にまで届かんばかりの勢いで、炎は燃え立っている。


「なんだ、これは。 ノエル、君は一体何を――」

「火計だよ。やっぱり、これが一番かなって」

「自らに火を掛けるなど、正気の沙汰じゃない」

「戦争に正気を求めるの?」

「そうじゃない。だが、これは間違っている。君は、自分の兵に死ねと命じたんだぞ!」

「うん、そうだよ。ね、なんで、皆が喜んで死んでいくのか、不思議でしょ? そういう薬を使っているから、皆、痛みを忘れているんだ。多分、そっちにも出回っていると思うけど」


 アミルを悩ませている咎草のことだろう。帝国領で蔓延し、被害をもたらしている毒草だ。あれには、強い幻覚作用のほかに、痛みを忘れ去れる効果もあるようだが。痛覚が麻痺し、自傷行為に走り死に至った者もいる。


「――それが指揮官のすることなのか。君は、君は自分の仲間を捨て駒にしたんだよ?」

「私が指揮官だからだよ。犠牲は少なくしなくちゃいけない。そして絶対に成功させなくてはいけない。それに、この人達は何もしなくても死んでいくんだから、同じこと」

「死んでいく、だと?」

「うん、もう臓腑が腐ってるからね。そうなったのは、貴方達が大陸から持ち帰った疫病が原因。だから、私は選択肢をあげた。私の策に協力してくれれば、残った家族の面倒を見るし、ヴォスハイト家の一員にしてあげるって。そうしたら、皆喜んで参加してくれたよ。あはは、私も最後に一杯家族が増えて嬉しかったかな」


 ノエルは降り注ぐ火の粉を払いながら、得意気な顔でそう述べた。外道の策と承知の上で用いたらしい。その顔には一切の迷いも後悔もない。


「……僕達を陥れるために、死兵を大量に用意し、自らを囮にしてまでこんな策を」

「黒陽騎も死兵みたいなものでしょ。だから、ずるいのはおあいこ。そして、ここは皆の命で作った火の輪の中心。私が考えた“火輪の計”。貴方達を焼き殺すためだけに考えたんだ。獣は、火が一番の苦手でしょう?」

「――火輪」


 砦が炎の円を描き、人間の命を糧に激しく燃え上がっている。連邦兵と黒陽騎たちは焼死し、最後に残されたのは黎明の化物二人。


「後は、貴方と私の決着をつければ全てが終わる。私はこのままでもいいんだけど、貴方はそういう訳にはいかないもんね」


 ノエルが二又の槍を向けてくる。我に返ったファリドも、急ぎ槍を構える。この火の手は決して収まることはないだろう。恐らくは、カルナス城塞を焼き尽くした燃焼石と呼ばれる物が使われている。――いや、それだけではないのかもしれない。何か、別の力が加わっているようにすら思える。


「――最初から、僕と相打ちになるつもりだったのか? この火の勢いでは、君も逃げ出す事はできないよ」

「友達に剣を向けるときは、自分も死ぬ覚悟がないと駄目なんだって教えてもらった。だから、私も貴方につきあってあげるよ。……本当に久しぶりだね、“8番”」

「は、ははっ。なんだ、分かっていたのか。それだったら、会ってくれても良かっただろうに。僕の手紙は見たんだろう、“13番”?」


 ファリドは苦笑を漏らす。


「行かないって返事は出したじゃない」


 そして、戦場で再会しようとも。思えば、これもノエルの誘いの一つだったのだろう。これしか、直接話す機会はないと、ファリドに植えつけるために。


「……それでも、僕は会いたかったんだ。もし、君が思い出してくれていたなら、他の道があったかもしれないじゃないか」


 実際には難しいだろうが。いや、その場で拘束してしまえば、或いは。そんなことを考えて、ファリドは苦笑する。だから、ノエルは来なかったのだと。


「本当にごめんね。私と貴方は友達だったけど、今は敵と敵だから。貴方は帝国で、私は連邦。交わることは絶対にない。そうでしょう、ファリド元帥」


 こうなることを避けたかった。だから、ファリドはウィラ島にいたノエルを何度も勧誘した。


「……どうして、こうなったんだろう。こんなはずじゃなかった。本当は、皆が幸せになれるはずだったんだよ。だから、僕は一生懸命頑張った。なのに、皆、全然幸せそうじゃないんだ。なんでなんだろう」


 先生の言葉通りに、ファリドは頑張ってきた。皇帝の言葉に、間違いはないのだから。すべてが上手くいくはずだったのに。

 ノエルは困ったように微笑む。ファリドは懐かしいその顔を見て、思わず見とれてしまった。


「ファリドは帝国の元帥だもんね。あれから一杯頑張ったんだね。本当に凄いと思う。皆も、喜んでるよ」

「……本当にそうかな? 皆、僕を恨んでるんじゃないかな。だって、僕だけがアミル様のもとで」

「大丈夫。皆怒ってないから。一杯頑張ったファリドをお祝いしてる」

「ははっ、君が言うと、なんだか本当に聞こえるな」

「だって、本当のことだからね。皆、私達の事をずっと見てたと思うよ」


 ファリドは、その言葉に少しだけ気が楽になるのを感じる。ずっと心の奥底に潜んでいた罪悪感。自分だけが生き残ってしまったという負い目。もし、ノエルの言葉が本当だったならば、どれだけ救われるだろうか。


「……今まで、休まずに必死で駆け抜けてきた。アミル様に仕える事が、皆の幸せになると信じて。でも、あまりうまくいかなかった。僕は何かを間違っていたのか。どこかで間違えたのか。ノエル総督、君なら分かるのかな?」


 ファリドが表情を緩めると、ノエルもそれに応じて肩を竦める。


「多分、目的は一緒だったと思う。でも、少し道が違っちゃっただけかな。きっと運が悪かったんだよ。だから、仕方がないね」

「……ああ、そうだね。本当に、残念だけど、世界はこういうものだから」


 両目を閉じて、深々と息を吐いた後、殺気を篭めてノエルを睨みつける。彼女は槍を構えているが、まだ殺気はない。


「僕は、アミル様のために死ぬ訳にはいかない。君を討ち取り、ここから脱出してみせる。たとえ瀕死になろうとも、僕が生き残れば、この戦いはアミル様が勝つ。英雄の君さえいなくなれば、流れは帝国へ傾くだろう」

「私も連邦軍総督だから、負けるつもりはないよ。ここで貴方を逃がすわけには、絶対にいかない。総督の代わりは他にもいるけど、貴方がいなくなれば、ここにいる帝国軍は総崩れになる。そして、頭を失った暁強化兵は弱体する。黒陽騎も維持できなくなる。相打ちになっても、差し引きでは私の勝ちになる。――だから、貴方にはここで死んでもらう」


 煌々と燃え盛る煉獄の中、ファリドとノエルは得物を構えて相対する。じりじりと灼熱が肌を焦がしていくのを感じる。これ以上は身体がもたない。ファリドはかつての友、仲間、そして今の想い人を殺す決意を固める。


(僕は、負けられない。どうしても、負けられない!!)


 ノエルを討ち取り、その首を持ってアミルのもとへ戻る。連邦の英雄、旗印のノエルが死ねば、連邦の士気は一気に下がる。そして、そこに全軍で突撃すれば一気に崩壊に追い込める。分岐点は、今まさにここにある。


「――行くよ、13番ッ!!」


 近くで炎の塊が弾けたと同時に、ファリドは熱風を切り裂いて、一気にノエルへ駆け始めた。ノエルの動きは、完全に見切っている。逆に、ノエルには自分の動きを見る事ができない。彼女の槍は自分には絶対に届かない。

 かつての練習のように、かつての一騎打ちのように。ファリドは、絶対に負けないのだ。


 後三歩で槍の射程に入る。ノエルは槍を構えたまま動かない。

 後二歩。ノエルは動かない。

 後一歩。ノエルは動かない。


 射程に入った。不可解な事に、ノエルは自ら槍を手放した。今更投降する気なのだろうか。だが、既に攻撃態勢に入っている。このままいくしかない。もう、止まることはできないのだ。



(――だが、本当に、それで良いのだろうか)



「――ッッ!!」


 ファリドは雑念を断ち切ると、足を踏み切り身体を捻り、生涯で最高の突きを繰り出した。数多の敵将を討ち取ってきた神速の突き。突き出した槍の先端は、獲物の身体を確かに抉っている。血飛沫が周囲に飛び散る。


「……く、くうっ」


 口から血を吐く。身体が急に重くなり、足が震えだす。何故か、手から力が抜けていく。脳に、焼けるような痛みが伝わってくる。

 自分の腹部を見ると、ノエルの左手が、短剣を突き刺していた。それは鎧の隙間から深々と突き刺さっており、ファリドの臓器を抉っている。明らかに、致命傷だ。生命維持に必要な臓器が激しく損傷している。

 これは、かつて、ヤヴィツ峠で使ったファリドの戦法と良く似ている。違うのは、攻撃を受けるまで引き寄せて、渾身の一撃を相手に食らわせたこと。

 ファリドの槍は、確かにノエルの右肩部を抉っていた。彼女の赤い鎧と髪は血飛沫で染まっている。だが、狙いは心臓だったはずなのに、何故か逸れてしまった。どうしてだろうか。最後に、どうしようもなく甘い自分が出てしまったのかもしれない。

 ノエルの手が、ファリドの背中に回される。左手に握られている短刀が、更に体内を深く抉ってくる。確実に止めを刺す為に。

 抵抗しようと思えば、できた。道連れにするくらいの力は残っている。だが、それはしない。ファリドもノエルの背中に手を回し、抱きしめる。血に塗れた抱擁になってしまったが、なんとなく嬉しかった。


「……僕が、最後に、躊躇すると、分かってたんだね?」

「本当にごめんね。これしか思いつかなかった。まともに打ち合えば、私は、貴方に勝てないから。私より、貴方の方が強い」

「――は、ははっ。よ、良く言うよ、13番」


 ファリドは、ノエルに覆いかぶさるようにして倒れた。そのまま転がると、二人はそこに並んで空を見上げる形になった。


「これが、あの時の、約束ってことかな」

「うん。苦手だけど、剣で勝負をつけようと思った。騙すようなことして、ごめんね」


 アミルのために剣を振るうという約束。そして、一緒に戦うという話。アミルの勝利のためではなく、敗北のために振るわれてしまった。完全な詭弁だが、怒る気にはなれなかった。13番ならば、仕方がない。そんな気がする。


「へ、変な所で、頑固なのは、相変わらずだね。そんなだから、先生たちに、いつも怒られたんだよ」

「そ、そうかな」

「そうだよ。君は、頑固だ」


 お互いに、苦笑する。


「これで、勝負は、引き分け、かな?」


 ノエルが息も絶え絶えに呟いてくる。炎の渦が、近寄っている。もう間もなく、二人を飲み込むことだろう。今考えると、先ほど長々と話してくれていたのも、時間稼ぎが目的だったのかもしれない。自分を確実に殺すためにだ。でも、今はどうでもよいことだ。最後に沢山話ができたのだから。このまま二人で死ぬのも、そんなに悪くない気もした。


「勝てる勝負を、拾えなかったから、僕の負けでいいよ。……君は、あの頃より、ずるくなったね。……いや、強くなったと言うべきなのかな」

「色々、勉強したから。それに、色んな人とも話をした。楽しいことも、辛いことも経験した」

「そう、なんだ。本当に、君が羨ましいな。あのときから、ずっとそう思ってたんだけどね」


 ファリドは本心からそう告げた。勉強したことと言えば、戦いに関することばかり。ノエルは本当に色々なことを勉強したのだろう。どうしたらそんなに自由に生きられるのだろうか。あの教会にいたときから、ノエルは自由だった。


「……やっぱり、焼け死ぬって、なんだか、熱そうだね。前も思ったけど」

「はは、き、君が仕掛けたくせに。それは、二回も火計に掛けられた僕の台詞だよ」

「そうだったね。今は、ちょっとだけ、後悔してる、かな」

「はは、本当に君らしいや」


 ファリドは呆れたように笑った。血がノエルの顔に吹きかかる。


「……皆も、許してくれるかな。これで、全部、終わりになっちゃう、けど」

「大丈夫、まだ終わっていないよ。全然、終わっていない。……僕が、終わらせない」


 ファリドは気力を振り絞り、立ち上がった。ノエルの二又の槍を拾い、炎の壁に向かって全力で放り投げる。砦の外壁が砕け散り、僅かだが隙間が見えた。その先に、ノエルの名を叫ぶ女騎士が見える。

 ファリドはその方角を確かめた後、ノエルの手を引っ張りあげる。


「……何をする気?」

「あれは、君の友達だろう? もう行きなよ。僕は、皆の所に、先に行っているから」

「駄目だよ、8番。私も――」

「さよならだ、13番。いや、ノエル・ヴォスハイト総督。君がその職務から解放された時、また会えるといいね。それなら、もう帝国も連邦も関係ない」


 ファリドは最後の力、全生命力を振り絞り、ノエルを先ほどの方角へと投げつけた。投げるときにノエルの身体から歪な音がしたが、それぐらいは我慢してもらおう。骨折してようが生きてさえいればどうでも良いではないか。そうすれば、皆の思いは受け継がれる。ファリドの思いも、きっと。

 なんだか残念な気がちょっとだけするのは、死の寸前でやっと手に入れた宝物を手放してしまったからだろう。でも、それも良いかと自分を納得させることにする。


「なんだか、疲れたな。でも、苦しくないのは、なんでだろう」


 力を使い果たしたファリドは、その場にくずおれた。炎が身体を包むのが分かる。熱くて絶叫してもおかしくないのだが、特に何も感じない。最後だけは、少し運があったのだろう。本当に良かった。

 炎に包まれながら、夕闇に染まる空を見上げる。見上げたつもりになった。もう何も見えない。アミルへの謝罪が一瞬だけ頭を過ぎる。でも、今まで本当に頑張ったんだから、きっと許してくれるだろう。それに、何が正しかったのか、どうすべきだったのかは、今の自分にはもう判断できない。考えたくない。後悔したくないから。


「……火輪の計、か。ははっ、やっぱり、それはずるいよ。だって、そんなこと、僕は、習って――」


 炎に巻かれながら笑みを漏らす。最期にファリドの脳裏に過ぎったのは、嬉しそうに勝ち誇る、ノエルの満面の笑みだった。

ノエルとファリドの目的は一緒でしたが、

生き方は正反対のものとなってしまいました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] お前は負けてるだろって思ったけど獣だからファリドが勝ってたら勝った判定なのかな
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