第四十二話 赤い誕生日
ゲンブ州、フレスノーへの出発前。ノエルはリグレットとバルバスから見送りを受けていた。リグレットはバルバスに引き摺られて無理矢理にである。残念ながら、彼らは留守番だ。
「で、お土産は何がいいかな。ゲンブには珍しい物が一杯あるよ。美味しい物もたくさん!」
「ははっ、何でも構いませんぜ。それより、無事のお戻りを願ってます」
「私はくだらない物以外ならなんでもいいですよ。まぁ、マドレスを落としたときの私の働きを見ていたなら、相当のものをいただけるとは思いますが?」
リグレットが天にも昇りそうなぐらいの得意気な顔をしている。一方、バルバスは物凄く嫌な顔をした。
「えっとね、じゃあ魚の干物でいいかな。焼いても美味しいし、お酒にも凄く合うんだよ。あー、思い出しただけで涎が」
ノエルが口元を拭うフリをすると、バルバスが嬉しそうに頷く。
「へへっ、そいつはいいですねぇ。あー、できたらで良いんですが、ゲンブ名産の酒も気が向いたら、また買ってきていただければ。いやー、ありゃ病み付きになりますぜ」
手で杯をつくり、酒を注ぐ仕草をするバルバス。
「分かった、一番良いのを買ってくるよ。皆、この前頑張ったもんね」
「ふん、食い物や酒に釣られるほど安い女じゃないわ。馬鹿馬鹿しい」
不機嫌そうに舌打ちするリグレット。こんなことを言っているが、一緒にゲンブに行った時、出された食事を残さず食べていたのをノエルはちゃんと見ている。自分用として、島にお土産で買って帰ったのもしっかりと見ていた。隠しているつもりなのだろうが、バレバレである。ちなみに、ゲンブとウィラ島では、料理の味付けにかなりの差がある。ゲンブは穏やかな味付けで、ウィラ島は香辛料が大量に使われる。両方とも美味しいが、リグレットはゲンブの料理が気に入ったようだ。
「そっか。それじゃあリグレットは何にもなしでいいね。残念!」
「……まぁ、どうしてもと言うならもらってあげないこともありません。余ったりしたら勿体ないですからね」
「じゃ、千匹くらいでいいかな?」
「ば、馬鹿じゃないの! 一人でそんなに食える訳ないでしょうが!」
「あはは、全部リグレットにあげるとは言ってないよ。今回は頑張った兵たちへのお土産。指揮官たるもの、ここぞというところで奮発しなきゃね。そうでしょう、リグレット参謀殿?」
ノエルが指でつんつんとリグレットの鼻を突いてやる。リグレットは顔を真っ赤にしてそれを振り払った。相変わらず反応が面白い。おかげで島にいる三年間は全く退屈しなかった。きっとこれからもそうだろう。
「……隊長。言おうか言うまいか悩んでたんですがね。この三年の間に、少しばかり性格が悪くなったんじゃないですか?」
「えー、そうかなぁ?」
「間違いありませんぜ。この俺の鼻は誤魔化されません。どうも、陰険な臭いがちらほら漂ってやがります。早く洗い流したほうがいいですぜ」
「うーん、誰かに似ちゃったのかも。一体誰なのかなぁ。なんだか心配になってきちゃった」
「へへっ、心配いりません! 隊長が出かけている間に、原因を探しておきますぜ!」
ノエルがとぼけると、バルバスものってくる。リグレットはキレのある舌打ちと共にマドレスに戻ってしまった。
「ま、冗談はさておき、本当に気をつけてくださいよ。全員、隊長の帰りを首を長くして待ってますぜ!」
『隊長、いってらっしゃい!』
『悪鬼様、どうか気張ってくだせぇ!』
「うん、じゃあ行ってくるね! コインブラは任せたから!」
ノエルは見送りの者たちに手を振ると、馬に飛び乗ってエルガーのもとに向かった。
ゲンブの州都から少し東にいったところに、城塞都市フレスノーがある。緊急時において、州都の盾となるために設計された堅固な拠点だ。ある程度は自給自足もできるため、長期戦にも耐えられる。前大戦時に陥落した要塞を、ゲンブ太守シデンが改めて作り直したものだ。来るべき独立の日に備えて。
ゲンブは、この数日の間でロングストーム州を完全に制圧することに成功している。彼の地は、元ゲンブ人が多い土地柄。ロングストーム軍は裏切りが続出。更に、戦力をホルンへ後退させることにしたようで、大した抵抗もなく占領することができた。シデンは、太守就任以来の悲願であった、ゲンブ旧領の奪還を遂に達成したのだった。
ゲンブの民たちは戦勝に湧き立ち、各都市や村落はお祭り騒ぎである。
だが、フレスノーだけは剣呑な雰囲気に包まれていた。得物を持った衛兵が隙間なく門、通路を埋め尽くし、城主の館周辺は虫一匹すら入れない程の警護態勢が取られていた。都市周辺は常に巡回兵が往来し、不測の事態に備えている。実際、帝国の密偵らしき者たちが数名捕らえられており、現在厳しい拷問に掛けられている。
それも当然で、今フレスノーにはホルシード帝国に対して反旗を翻した指導者たちが集っているのだ。今後の大陸の歴史を左右するであろう重要な会議が、これから行なわれる。帝国からすれば、なんとしても妨害、或いは一網打尽にしたいところであった。ゲンブ武官たちの働きにより襲撃計画は未然に阻止されたが、今なお厳戒態勢は続いている。
――そして、いよいよ諸侯会議が始まった。
館の会議室には円卓が置かれ、非常に重々しい雰囲気に包まれている。各指導者の側では参謀が書類と筆を持ち、付き従う護衛は常に剣に手をあて周囲の動向に目を光らせている。
参加した面々は次の通りである。ゲンブからはシデン、参謀のハクセキ。統一コインブラからはエルガー、ノエル、イルヴァン、そして護衛のシンシア。ギヴ、カームビズの太守も側近を連れて参加している。そして、バハール解放戦線を率いるバーンズ。良く日焼けしたその赤黒い皮膚は、一同の中でも一際異彩を放っていた。
(……まずい。眠くなってきた。でも寝たら怒られるし。……なんで一々こんなに話が長いんだろう)
分かりきったことでも、一々確認するのがこの会議のルールのようだ。議事進行はシデン。要点を纏めるのは上手いのだが、他の面子の話がくどいせいで、会議は順調に長引いている。隣のエルガーは、背筋を真っ直ぐにして、かなり緊張しているのが見て取れる。イルヴァンはこういった場に慣れているらしく、時折エルガーに分かりやすく説明してあげている。師匠と弟子みたいな感じである。
(ちょっと散歩に行ったりしたら、怒られるだろうなぁ)
段々退屈してきたノエルは、大きな欠伸をしようとして、シンシアに背中を抓られてしまった。シンシアは護衛役なので、席にはついていない。背後に恐ろしい鬼がいることをうっかり忘れていた。ノエルは慌てて背筋を伸ばし、真面目に聞き入るフリをした。
――三十秒で眠くなった。
諸侯会議は様々な懸案事項について話し合われ、喧々囂々の様子を見せながら牛歩で進んでいく。帝国への敵愾心、憎悪については共通している。足を引っ張ってやろうと考える者はこの場にはいない。だが、後々不利にならないためにも、執拗に確認しなければならない。だから、必要以上に時間がかかる。流石のシデンも、実際は辟易しているのだがそれを顔にだすことはない。
「――それでは、怨敵ホルシード帝国に対し、各州――いや、各国が一致団結して当るための運命共同体、“リベリカ連邦”を樹立するということでよろしいですな?」
『異議なし!』
シデンの問いに、指導者達が声を揃えて答える。
現在、ゲンブ州、コインブラ州などとされている地域は、独立を正式に宣言した上でそのまま国家に格上げ。連邦参加国は相互防衛を絶対遵守し、攻めて来る者には全ての国が団結して当ることが義務付けられた。つまり、連邦の樹立宣言と同時に、ホルシード帝国に対し自動的に宣戦が布告されることになる。
各国はリベリカ連邦という枠組みに入る事になるが、権力は現在の指導者がそのまま保持する。ただし、指導者の呼称は太守から国主へと変わる。方針に関わる重要事項については、諸侯会議を開催し、話し合いで意志を統一する。意見が割れた場合は、多数決により決定される。
敢えて帝国統一以前の王政としなかったのは、身内同士での争いを助長しかねないという配慮からだ。役職が国主になっただけで、実際は同じなのだが、国王陛下などと崇められているうちに、自らこそが大陸の支配者に相応しいと思い込む可能性があるからだ。
各国指導者が馬鹿馬鹿しいと一蹴できなかったのは、実際に起こったことで証明済みだからである。ゲンブとギヴは、過去に真にくだらない理由で戦に発展した歴史がある。コインブラも他人事ではない。
「それでは、連邦を象徴する旗については、民と太陽を表す赤白の二色旗に致しますぞ。これならば手間も掛からず直ぐに用意できる。異論はありませんかな?」
「それで良いかと。金が足りないのはどこも同じだ。敵味方が識別できれば、取りあえずは構いますまい」
「私もそれで問題ありません」
「わ、私もです」
エルガーが緊張しながら最後に賛成を表す。連邦旗は、赤白が縦で分けられた単純なものが採用された。白は人民、赤は太陽の象徴。空に輝く太陽は、皇帝の私欲のためではなく、全ての人民を等しく照らすということを表したもの。
――名目は立派だが、実際は経費削減が重視されただけ。各国は今までの遠征費の負担、今日に至るまでの戦いで財政は厳しい。意匠に拘っている余裕は一切ない。
「大陸については、星教会に親善大使を派遣し、状況を細かく説明する。イルヴァン殿の話によれば、向こうもそれほど余裕がある状況ではないとのこと。共通の敵を持つ同士、話は上手くまとまるかもしれん。強制的にこちらに連れて来られた者を、帰還させても良いかと」
イルヴァンから、大陸の情勢についての説明を受けた一同は、ひとまず誼を通じるべきという意見で一致した。下手に帝国と和平でも結ばれてしまうのはまずい。こちらの状況をしっかりと説明し、共に横暴な帝国に当るべしと訴えるのだ。最悪なのは、復讐に燃える大陸軍が、連邦領へと逆に侵攻をかけてくる事だ。それだけは絶対に避けなければならない。
「相手に疲弊を強いるためにも、アミルには遠征を続けてもらった方が色々と都合が良い。大陸の指導者の信頼を得るために、帝国船団の妨害くらいはしても良いかもしれませんな。脅しをかけるだけでも、帝国船団にはたまったものではありますまい」
「なるほど。それは実に良い考えですな」
「他にも、色々とできることがあるかもしれん。労力は少なく見返りは大きく、これが我らカームビズの流儀ですからな」
大陸について意見を述べ合う指導者たち。悠長な進行にいよいよ我慢の限界が来た者が、声を荒らげる。
「――失礼ッ!! 大変申し訳ないが、そろそろ本題に移って頂きたい! 正直に言わせてもらうが、旗や他所の大陸のことなどどうでも良いッ!」
「バーンズ殿、落ち着かれよ」
「落ち着いてなどいられぬ!! 今この時も、我ら解放前線は帝国の猛攻を今も受けているのだ! 連邦国主の方々には、是非とも援軍の派遣をお願いしたい! 私はそのために戦いを抜け出しここまで来たのですッ!」
バハール解放前線のバーンズが、円卓を叩きつけて主張する。悠長な会議に憤懣やるかたなく、今にも暴れだしそうな勢いである。だが、バーンズの烈火のような勢いとは異なり、バハール軍との戦いでは極めて劣勢に追い込まれていた。
バルザックがコインブラで戦死したのを好機と見て、解放前線はバハール西部の都市ラルドーを占拠して挙兵した。バハール州ではほとんどがアミルに忠誠を誓っているが、それでも不満分子は生まれるもの。彼らは不満を抱く人間を長い時間をかけて集め、ひたすら刃を隠し、時機を待ち続けていた。時にはアミルの小細工につき従ったこともある。
決起した解放前線は、ラルドー周辺は制圧できたものの、肝心の州都ベスタにはたどりつく事ができなかった。敵の増援の出現により、都市トルド攻略に失敗。ジリジリと兵と勢力圏を削られ、ついにはラルドー目前まで追い詰められていた。ここで挽回できなければ、全滅あるのみ。バーンズは、解放前線の命運をこの会議に賭けていた。故に、必死になるのも当然であった。
「バーンズ殿が焦る気持ちは良く分かる。私も、苦境にある連邦の同胞を助けたいという想いを心より抱いております。ですが、増援については少々お待ち頂きたい。連邦の各国には、我らギヴを真っ先に援助していただきたいのです。このままではギヴ領を滅茶苦茶にされてしまう。今ある領土の保持こそ、連邦にとって優先すべき命題ではありませんかな?」
「何を言われる! 貴公は我らを見捨てるおつもりなのか!」
「そうは言っておりません。ただ、優先順位があると言っているのです」
「ギヴ如きがたわけたことを申すな! 歴史あるカームビズの救援こそ最優先であろう! 我らはファリドの黒陽騎とまともにやりあわされているのだぞ! 一体どれだけの被害が出たと思っている!!」
「それは暴言にございましょう。ギヴとてファリド麾下の兵がやってきております。苦しいのは自分だけと思われないことですな!」
「貴様は誰に口を聞いているのだ! かつては我らの属国だった分際で! 自分の立場を弁えんか!」
「今は同じ連邦の同胞のはず。今は今、昔は昔という話ではありませんでしたかな!」
ギヴとカームビズの国主が睨みあう。帝国に支配を受ける前は、宗主国と従属国という間柄であった。そのため、両者は本来疎遠な関係だ。だが、厳しい税や労役を強制してきた帝国への敵対感情は同じである。だからこそかつての諍いを棚上げして手を結び、共に隣接するホルン州へと攻め込んだ。だが、両国共に戦いの経験はほとんどない。指揮官から兵にいたるまで、実戦というものを知らなかったのだ。待ち構えてひたすら防備を固める守備兵を破る事ができず。挙句には帝国一の精鋭、ファリド元帥率いる黒陽騎までやってきた。平野での戦いで大敗を喫した後はひたすら潰走。今では国境を破られ、領土を逆に侵攻されている。
帝国への一斉決起の結果、勝利を勝ち得たのはゲンブとコインブラのみ。他の国は苦境に陥っていた。主導権を握り、各国からの協力と援助をなんとか引き出したい、これが諸侯会議における国主達の本心である。
「まずは落ち着かれよ、各々方。仲間同士で憎しみ合えば帝国が利するのみ。かつての我らはその隙を太陽帝に衝かれて敗北、惨めな屈服を余儀なくされたことをもうお忘れかッ!」
シデンが一喝すると、場が静寂に包まれる。それをゆっくりと見回した後、息を吐いてから再び話し始める。
「皆様方の苦境、このシデン、よく理解しているつもりです。今こそ好機と見て檄を発した手前、責任を痛感しておるのです。……そこで、かねてより内々に提案していたことではありますが、リベリカ連邦独自の軍事組織――総督府を設立したいと考えております」
「……シデン殿、本気で作るおつもりだったのか」
国主たちが顔を見合わせる。確かに話には出ていたが、誰も本気で作るとは思っていなかった。そもそも、連邦樹立ですら夢物語であったのだから。詳細まで考えていたのは、決起の段取りを整えたシデンくらいであろう。ギヴ、カームビズは自らのことで精一杯であり、コインブラなどは国を奪い返さなければならなかったのだから。
「無論、真剣に考えておりました。連邦の最前線で帝国と戦う使命を帯びた者たちです。各国の精鋭をここに集めなくてはなりません」
「……それは、まぁ構いませぬが。先ほども言いましたが、我らには余裕はないのですぞ。出せる兵力は極めて限られる。そもそも、誰にその兵を任せて、一体どこに向かわせるおつもりなのか。それを聞かぬ限りは、一兵たりとも出せませんな」
ギヴの国主が疑問を呈す。自分達を助けてくれるなら、喜んで兵は出そう。だが、他国を救うためだけに人を出せと言うのならばお断りだ。それはカームビズ、解放前線も同じ。コインブラのエルガーだけは、シデンの考えが分かってしまったため、顔を顰めている。
「それは当然のこと。これから全て説明いたします。まず、被害の少ない我がゲンブが主力となり、総督府の設立に尽力するつもりです。そして、総督府はバハールの都市ラルドーに本部を置き、解放前線のバーンズ殿を支援させます。当面は、西バハール国の建国を目標とさせる所存です」
「ま、待たれよシデン殿! 我ら同胞を見捨て、支配圏を確立できていない地域に貴重な戦力を派遣されるおつもりか! 貴公は何を考えて――」
「我が話を最後まで聞かれよッ!」
激昂して立ち上がるギヴ国主を鋭く制する。シデンの殺気の篭った視線を受け、大人しく座らざるを得ない。
「私とて黒陽騎の脅威は十分に承知しています。それを承知で、何故バハールに戦力を向かわせるか。大陸の中心であるバハールを脅かせば、敵は絶対に黒陽騎をそちらに向ける。これは断言しても良い」
「……そう断言できる理由をお聞かせ頂きたい。我らは脅威を前にしているのだ。根拠がなければ納得できぬ」
「これは落ち着いて考えれば至極簡単な話。バハールは皇帝アミルの故郷です。アミルが頼りにする帝都の兵の殆どは、バハール人から構成されている。地理を見ても、万が一バハールを失おうものなら、帝国領に楔が打ち込まれる格好となります。この要衝は帝国の戦略上からも絶対に失うわけにはいかないということ。つまり、そこを鋭く衝けば、現在ギヴ、カームビズの両国が受けている脅威は確実に減るでありましょう」
「……なるほど」
「……確かに、言われてみればその通りだ。頭に血が上り、そこまで考えが至らず、本当に申し訳ない」
「私も戦には不慣れ故、そこまで考えが及びません。シデン殿、そして各々方、声を荒らげてしまったこと心から謝罪いたします」
ギヴ国主が素直に謝罪すると、カームビズ国主も続く。
「我らは共に帝国と戦う同胞です。そのようなこと、お気に為されますな」
「お心遣い、痛み入ります。それで、シデン殿。一体誰に総督府を任せられるおつもりか。ファリドと対峙させるには、かなりの猛者でなければ話になりませんぞ」
円卓に座る一同が、固唾を飲んでそれを見守る。総督に選ばれた指導者は、確実に連邦の主導権を握る事になる。リベリカ連邦の“顔”になるのだ。帝国における皇帝のようなもの。絶対的な権力はもたなくともだ。
本来であれば、指導者達は諸手を上げて引き受けようとするだろう。野心を持つものならば当然だ。だが、口を閉ざしたまま誰も動こうとはしない。
「念のためにお尋ねするが、この中で我こそはという方は、おられますかな? もちろん、武勇と統率力がなければならぬ。総督になられた方には諸侯会議での投票権をお渡しすることになるが、大きな責任も背負っていただくということになる」
連邦会議で多数決にもつれた場合の投票権は、主導権を握る上では喉から手が出るほど欲しいものだ。
だが、総督を引き受けるということは、連邦の“顔”になるだけではなく、“剣”と“盾”にならなくてはならない。そして、直ぐに待ち受けるのは帝国のファリドとの戦いだ。確実に激戦へと追いやられる。万が一敗北を喫すれば、全責任を押し付けられるだけではなく、命まで失いかねない。常に破滅が付きまとう役職だ。まともな神経では受けられない。
「……どうやら、おられないようですな」
シデンが場を見渡した後、確認する。一同は、このままシデンが引き受けるのだろうと判断した。ゲンブが総督府の兵の大半を出すならば、特に文句はない。何より、戦上手であり、ロングストームを短期に落としたという実績もある。これまでの段取りも整えた政治力も申し分ない。各国指導者も、今は仕方あるまいといった表情を浮かべる。勝たなければ話にならない。
「……では、僭越ながら私の意見を述べさせていただく。私は、諸侯らと面識があり、武勇、指導力に優れ、なおかつバハール人が最も恐れを抱く人物こそが最も相応しいと考えます」
その言葉を受け、場がざわめく。『シデンではないのか』、『誰に任せるつもりか』などと小声が漏れる。
「そ、それは一体?」
「あそこにおられる、ノエル・ヴォスハイト殿こそが、総督として最も相応しかろう。ゲンブは、彼女を総督として推薦する」
「……は、はははっ、シデン殿、冗談もほどほどに」
「そ、そうですぞ。いくらなんでも無茶が――」
ギヴとカームビズの国主が思わず嘲ろうとするが、慌てて口を塞ぐ。反射的に反対しようとしてしまったが、適任なのかもしれないと判断したからだ。
「――何故彼女が相応しいのか、皆様方もご存知だろうが、敢えて説明させていただく。総督府は設立され次第、直ちにバハールとの矢面に立つことになる。彼女は先のコインブラとバハールの戦争に参加、黒陽騎と戦った経験がある。そして、今回の決起においては、北コインブラのエベール、南コインブラのマドレスを陥落、更にはバハール代官にして将軍のバルザックの首をあげている。武勇と統率力は勿論、民からの評判も申し分ない。これほどの適任者が他にいるとは思えぬのです」
シデンの言葉に、複雑な表情を浮かべる一同。武勇はあるのかもしれないが、騎士とはいえ平民出の娘が自分達と同等の立場にあがることに、いまいち納得がいかない。だが、そんなことを言っていられる場合でもない。
「……シデン殿が推す理由は分かりましたが。彼女は女の身、果たして大軍を率いる事ができましょうか」
「これは異なことを。鬼に歳や性別など関係ありますまい。何より、大事なのは結果です。彼女は見事に功をあげてきた」
「そ、それは、そうですが」
「しかし、皆様方が心配だという気持ちも分かります。ゆえに、各国から目付け衆を派遣することにいたしましょうぞ」
「う、うーむ。それならば私としては問題はないが――」
「我ら解放前線は全く問題ありません。悪鬼ノエル殿の噂は、バハールの隅々まで広がっている。敵は確実に震え上がるでしょう。援軍を頂けるのであれば、実に頼もしい」
バーンズが強く頷く。悪鬼の恐ろしさを身を持って知っている一人だ。かつてバハール軍として参戦した際に、ノエルの戦い振りを目撃していた。
「先ほどから黙っておられるようだが、エルガー殿はいかにお考えか。ノエル殿は、コインブラの臣だ。貴公の同意がなければ、無理強いはできますまい」
シデンの問いかけに、途中からこの事態を予測していたエルガーは更に苦悩する。
「……わ、私は」
本音を言えば、大反対だ。絶対に嫌であると声を大にして叫びたい。何故コインブラ最強の武人であるノエルを手放さなくてはならないのだ。ノエルは疑いようもなくコインブラの臣である。将軍として、コインブラを共に立て直してもらいたい。そして、一緒に国を豊かにしていきたい。それが幸せにつながると、エルガーは思っていた。
だが、シデンの言葉も理解できる。連邦の同胞が敗退し、滅亡に追い込まれれば、いずれ火の手はコインブラにも及ぶ。再び四方を敵に囲まれて父と同じ最期を迎えるかもしれない。それは最も避けなければならないこと。
(私は、どうすれば良いのだ。ここでノエルを手放して、本当に良いのか? もう、二度と帰ってこないかもしれないのに)
手放したくないのは、ただコインブラのためだけではない。己の感情が多分に含まれていることを自覚している。そして、それがもう許されないという事も。自分には、イルムという婚約者がいるのだ。何かが起こることは、もうない。
既に、ノエルは自分の為に十分働いてくれた。約束はコインブラを奪還したことで果たされたのだ。後は、幸せになる方法を共に探すということ。それは、連邦のために自分とノエルが働く事でも成し遂げられるはず。
そう、自分を納得させようと努力する。湧き上がる感情を抑える為に。
(私は、ノエルをどうしても特別扱いしてしまう。分かっていても、止めることはできない。無理だ)
エルガーがノエルを重用しすぎることに、家臣たちの間で波紋を生んでいるのは分かっている。事情を察したペリウスがやんわりと釘を刺しにも来ている。後始末で忙しく、今は何も起こっていないが、今後とも続いて行くとは限らない。限度を超えれば、天秤は壊れてしまうのだ。この状況が、いずれノエルに不幸をもたらすのではないかという予感がある。
だから、エルガーは自分を強引に納得させた。絶対に手放したくない、手放すべきではない宝を、連邦に委ねる決断をしたのだ。後で、死ぬ程後悔することを理解した上で。
「…………ノエル」
「はい」
眠そうに目を擦っているノエルに、静かに声をかける。
目が多少赤い以外は、いつもと変わらぬノエルの表情。感情が零れそうになるが、必死に堪える。自分はコインブラの指導者なのだ。私心は捨てなければならない。民の為に尽くし、働き、死ななければならない。
「お前ならば、この大任、立派に成し遂げられると思うが、どうか」
「……でも、若君のために働くって約束はどうなるの?」
「連邦のために働く事は、コインブラ、そして私のためにもなる。我らはリベリカ連邦の民なのだから。それは、お前が総督の座についても、変わることはない」
「うーん、でもなぁ」
「お前はコインブラのために、十分に働いてくれた。亡き父、そして私の二代に渡ってだ。お前が幸福になりたいと今も思っているならば、この大任を引き受けるべきだと、私は思う」
エルガーが強く言い切ると、ノエルは小さく頷いた。
「うん、分かった。それじゃあ、総督を引き受けます」
ノエルが軽く返事をすると、エルガーは思わず笑ってしまった。やはり、緊張感の欠片もない。今まで苦悩していたのが馬鹿らしくなるほどである。どんな地位についても、彼女が変わることはないのだろう。少しだけ羨ましく思えた。
これではたまらないといった様子で、顔を顰めたシデンが口を挟んでくる。
「……少々待たれよ、ノエル殿。総督を引き受ける前に、我らと約束していただきたい。リベリカ連邦のため、そして民のために力を尽くすと。貴公が、仲間を大事にするように、民たちのことも守っていただきたいのだ」
「うん、分かった」
ノエルは頷いたが、シデンは納得しない。すでに、ノエルの癖を見抜いているからだ。約束は確実に守るが、守る気がない、どうでもよいことについては、『うん、分かった』と言って軽く流す。カイに調べさせたところ、貴方の話は分かったけど、特に守る気はありません、という意味とのことらしい。聞こえているということと同義なのだと。
それを思い出したシデンは、頭痛を堪えながらもう一度念を押す。
「それでは足りぬ。約束すると、はっきりと口に出して宣言していただきたい。これは大事なことだ。決して誤魔化される訳にはいかぬ」
「シデン殿、そこまでしなくてもよいのでは?」
「いや、これは是が非でもやらなくてはなりません。この者には、絶対に必要な儀式なのです。今後の禍根を断つためにも、今釘を刺さねばならぬのです」
ノエルとの交流で何回か痛い目に遭っていたシデンは、念には念を入れる。
ノエルは三分ほど腕を組んで悩んだ後、渋々といった様子で宣言した。
「――私が総督の地位にある間、リベリカ連邦で暮らす民のために力を尽くし、また、守っていけるように頑張ることを約束します」
ノエルは片手を掲げて、凄まじい棒読み口調で約束した。それを聞いた一同はとてつもない不安にかられたが、もうどうしようもない。気を取り直したシデンが場を上手く纏めたため、指導者達は不安に押しつぶされることだけはなかった。
――こうして、半日にも及んだフレスノー諸侯会議は終了した。
『四ヵ国及び勇士連合は、運命共同体、リベリカ連邦の樹立を宣言する。我々連邦は、人民及び大陸を私欲で疲弊させ続けた、ホルシード帝国に対して宣戦を布告する。また、連邦は対帝国の尖兵となる総督府の設立を発表する。連邦軍初代総督にはノエル・ヴォスハイトが就任する』
連邦に属する各国には大々的な触れと高札が出された。皇帝アミル、及び帝国の州にもこの情報は直ちに届けられた。
リベリカ連邦の樹立と、ホルシード帝国に対しての宣戦布告。そして、最も喧伝されたのは、初代連邦総督に平民出身のノエル・ヴォスハイトが就任した事だ。
連邦民は驚愕と共に、平民上がりの新たな英雄の誕生を喜びをもって迎え、帝国民は、恐るべき悪鬼の復活に心から脅威を覚えたのだった。
ノエル本人はというと、シデンが予め用意しておいた総督専用の鎧とマントを身につけご機嫌だった。連邦旗と同じ赤を基調とした鎧、そして白いマントには二槌の紋章が記されている。鎧には意味がなさそうな装飾が何個もついていて、なんだか格好良い。ノエルは新たな宝物の誕生を喜んだ。その勢いで、城壁へと駆け上り、フレスノーの住民の歓喜と祝福の声に両手を上げて応えたのであった。
「私がリベリカ連邦の総督かぁ。なんだか、凄い偉くなった気がする。ね、大将軍と、どっちが凄いかな?」
領地はないが、偉い事には変わりない。何か失敗すれば、直ぐに降ろされてしまいそうだが、そうならないように頑張れば良い。ノエルは前向きに考えた。
これだけ偉くなれば、皆も喜んでいることだろう。いつ生まれたのかはさっぱり分からないが、今日を自分の誕生日にしても良いくらいだ。それぐらい、なんだか嬉しい。
「……お、お前が、連邦軍初代総督。……私は夢でも見ているのだろうか」
「なら確かめてあげようか?」
ノエルが笑いながら拳を固めたので、シンシアは慌てて拒否する。本気とは思わないが、いつもの拳骨の仕返しを企んでいる可能性もある。
「い、いや、大丈夫だ。ちょっとだけ、眩暈がしただけだ。うむ、問題ない」
「きっと、皆驚くだろうなぁ。帰るのが楽しみだね!」
「……本当に、大丈夫なのだろうか」
「きっと大丈夫だよ。ほら、空を見てよ。凄い綺麗な夕焼けだよ!」
ノエルが指を差した方角を眺める。真っ赤に焼ける太陽が、山へと落ちていくところであった。だが、シンシアは別のものに目を囚われてしまった。凛とした顔で、夕焼けを見つめるノエルにだ。城壁に片足をかけ、得意気に腰に手を当てているだけだが、いつもとは別人のように見えてしまった。
全身に赤光を浴び、燃えるような赤髪を風に靡かせるその姿は、まるで御伽噺に出てくる英雄のようであった。
2月12日 ハッピーバースデー?




