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第四十一話 昇陽と落陽

 ホルシード帝国、帝都フィルーズ。

 会議室には、皇帝アミル、宰相ミルズ、そして文官たちが立ち並び、懸案事項について議論を交わしている。議案は、リベリカ大陸における反乱への対処、ムンドノーヴォ大陸遠征について、そして、暁をさらに強化した兵士製造計画――天陽計画の開始についてだ。


「……ミルズ様。恐れながら、申し上げます。そのような莫大な金、人員、資源が一体どこに存在するのでしょうか。ヴェルダンへ増派するだけでも、財政は困窮しているのが現状なのです」

「これはこれは異なことを。いいですか? なければ作り出す、あるいは絞り出せばいいのですよ。例えばコインブラですねぇ。ないないと言いつつ、我々帝国に歯向かう元気はある。これは解せぬことです。まだまだやり方が手緩い証拠ではないでしょうか」


 どこまで本気か分からないミルズが、おどけながら手を上げてみせる。


「宰相。彼らは死の寸前まで追い詰められた故、反乱を起こしたのです。もはや絞れるものなど、血しかありますまい。陛下、これ以上の軍備増強はいかがなものかと」


 慎重策を述べた文官に、異論が挟まれる。


「それでは、ヴェルダン州の維持が危うくなる。成功が見込めぬ新計画よりも、暁計画に資材は投入すべきです」

「いや、むしろヴェルダンの放棄も考えるべきだ。足元が揺らいでは、新領土に大した意味などあるまい」

「それは暴論だ。そんなことをしては、今までの投資が全て無駄になる。できぬことを無責任に発言するのは控えるべきだ」


 文官達が応酬を繰り広げるが、結論は纏まる事はない。いつもと変わらぬ光景だ。


「ならば、全て搾り取ってしまえばよろしい。彼らの犠牲によって、ムンドノーヴォ大陸の支配圏を延ばす。そこから物資を引き込み、帝国を豊かにする。何か間違っているでしょうか?」


 ミルズの言葉に一同が沈黙する。アミルは特に反応を示す事はない。つまり、現在の方針は維持するということ。となると、結局はミルズの案の実現を目指していくしかない。


「……ミルズ。天陽計画も良いが、第二次暁計画についてはどうなっているのだ。状況を知らせよ」

「追加分については既に完成しております。現在、大陸から連れて来た子供を第三次に向けて育成中でございます。その中から、イキの良いのを天陽計画に転属させたいと考えております。ベフナム様も、非常に乗り気でいらっしゃいましたよ。成功すれば、経費はより安く、肉体は更に増強されます。更に更に、忠誠心を与える作業が半分になるかもしれぬと」


 現在、強化兵士製造計画は、皇帝の地位を退いたベフナムが指揮を執っている。ひたすら教会の研究所に篭り、狂った実験を繰り返している。そして、それをアミルの命により統括しているのがミルズだ。ベフナムが勝手をしないようにする監視役を兼ねている。

 強化処置を行なわれた人間は育成所へと送られ、厳しい訓練と、教育という名の洗脳が行なわれることになる。この躾に手間取っているのが現状である。時間を削減できるのであれば、長期的に見れば利益の方が大きくなる。


(しかし、ここまで計画を私物化していたとは、少々想定外だった。噂では太陽帝の秘法とやらを隠し持っているようだが、案外、事実なのかもしれん)


 ミルズの話では、現在はベフナムなくしては暁計画の実行は不可能とのこと。鍵となるものを肌身離さず持っているらしい。下手に手を出し、雲隠れ、あるいは破棄されでもしたら元も子もない。

 この苦境を挽回するためにも、研究所を押さえて暁計画に全力を注がせたいのだが。皇帝の座に就いたアミルも、未だ黎明、暁の全容については理解していない。ベフナムが計画の詳細をこちらへ回そうとしないのだ。監視役に就けているミルズもあまり深入りできてはいないらしい。研究所の周囲は、ベフナムの息が掛かった強化兵たちにより固められている。気付かれずに襲撃するのは非常に難しいだろう。


(やはり、父上には早めに“病死”してもらうべきだったな。だが、父上も既に老齢。いずれは私が全てを受け継ぐ。ここまできたら、慌てても意味はあるまい)


 アミルとしては、ベフナムに余計な口を出されるよりは、研究所に篭っていてもらったほうが有難いと思っていた。流石に、即位直後に殺すのはあからさま過ぎると思ったのだ。ベフナムに忠誠を誓う人間から無用な反感を買いかねない。


「……父上が指揮を執る以上、新計画の成功は間違いないだろう。資金と物資はなんとかしよう。必要な人員は、大陸から更に連行する。エルナーズに連絡し、至急手配させよ」

「ははっ」


 アミルは命令を下した後、眉間を手でほぐす。遠征は予想以上に難航している。本来ならば、第二次遠征で大陸北東部を制圧している予定だったからだ。まさか、暁計画の兵を加えた部隊が撃退されるとは思っていなかった。それほどまでに、敵も本腰をいれてきたという事。これを跳ね返せば、こちらが主導権を握れる。あとは、どちらが先に音をあげるかだ。


 かの大陸を支配する星教会は、独自の兵力、領土は大してもっていないことが分かっている。神の権威をもって、領主達を名目上支配しているに過ぎないのだ。だからこそ、現在支配下にあるヴェルダン州は容易く落す事ができた。大陸南東部は信仰心が薄いらしく、領主達は利害で動く者が多い。アミルにとっては非常に動きやすい地域であった。


(ヴェルダン州の領土を広げつつ、強化兵を増産し送り込む。国内は一刻も早く反乱を抑える必要がある。みせしめのためにも、今回は徹底的な懲罰を行なわねばなるまい)


 ギヴ、カームビズの反乱には、ファリド率いる黒陽騎と十万の軍勢を当てた。現在、ファリドはホルン州境で戦闘に入っている。優勢との報告が入っているので、まもなくカームビズに攻め入ることだろう。

 ゲンブが奪還を図っているロングストームには、東部地帯から援軍三万を向かわせる算段だ。州都陥落前にたどり着けば、長期戦にもちこむぐらいはできるはずだ。


 コインブラで決起した赤輪軍は端から相手にしていない。だが、バハールのバルザックには、危急のときは援軍に向かうように伝えてはある。

 たかが平民になにができるというのかという思いは強い。第一、南北コインブラには合わせて五万の兵がいる。鎮圧するには十分な戦力である。小火はすぐに掻き消えるであろう。厄介なのは、ゲンブのみ。

 一部の家臣から上がっている、遠征中止などまったく考えていない。そんなことをすれば、皇帝の権威は一気に低下する。全ての投資は無駄になる。それは最悪の愚策だ。

 今やるべきは、彼の大陸を更に混乱の坩堝に落としいれ、そこに乗じるのだ。既に工作は始まっており、大陸各地に反教会の火種を植え付けてある。それが炎を纏い業火になるのも時間の問題。アミルはそれが焼き爛れるのを待ち、刃を突き入れれば良い。

 アミルは小さく息を吐いた後、本日の会議を終了すべく口を開いた。


「余の考えは纏まった。後程追って指示を出すゆえ――」


 と、そこに扉をノックする音が響く。会議中は、危急のときではないかぎり入室は禁止されている。つまり、何かが起こったということ。


「……入れ」

「失礼致します!」


 近衛兵が入室し、敬礼する。アミルは苛つきを堪えつつ、先を促す。


「一体何事か」

「はっ! 北コインブラ、及び南コインブラが反乱軍の手に落ちました! 敵指揮官はエルガー・ルートウイング、亡きグロールの長男です!」

「にわかには信じられぬが。ウィルムにガディスは一体何をやっていたのだ。まさか子供と農民如きにしてやられたのか?」


 アミルは心底呆れ果てる。赤輪軍が攻勢を掛け始めたという情報は入っていた。だが、まさかこの短期間で陥落させられるとは思っていなかった。これではバルザックの援軍など間に合うはずもない。たかが平民にしてやられるなど、軍人の恥さらしである。


「はっ、それが……」

「なんだ、早く言え」

「は、はい。赤輪軍には、ウィラ島から脱出したノエルの姿あり! 動揺したコインブラ軍からは裏切りが続出、反乱軍の勢いまさに怒涛の如しであったと」


 ノエル。悪鬼、ノエル・ヴォスハイト。アミルが許し、ウィラ島に流したあの小娘。その武勇を見込んで何度も勧誘したが、断り続けた愚かで頑固な女。それが、再び牙を剥き、かつての恨みを晴らさんと立ち上がったらしい。


「実に馬鹿な女だ。時勢を読む事が最後までできぬとは。バルザックに連絡し、直ちに兵を向かわせるように伝えよ。このような事態に備え、バハールには精鋭を配置してある。帝都からも討伐の兵を向けるゆえ、先に仕掛けて勢いを削がせるのだ」


 アミルの命令に、うろたえる近衛兵。


「何をしている。余の命令が聞こえなかったのか?」

「――バ、バルザック将軍は」

「バルザック将軍が一体どうなされたのですか? 実に気になりますねぇ。さぁ、早く言って下さい」


 ミルズが催促すると、近衛兵が目から涙を零しながら叫ぶ。


「バルザック将軍は、南コインブラ州、ヤヴィツ峠において戦死なされました! 将軍を討ち取ったのは、反乱軍ノエル・ヴォスハイト!」

「……バルザックが、死んだ、だと?」

「マドレスの救援に向かうため、騎兵と戦車隊を率いて先行された模様。そこへ敵の奇襲を受けた模様です! バハール兵の死傷者は千を越えております!」


 会議室が悲痛の声でどよめく。バルザックの戦死はそれだけ重い意味を持つ。彼は将軍というだけではなく、代官という立場でもあった。それが反乱軍、しかもかつてバハールを苦しめた悪鬼に討ち取られたとあっては、敵はいやでも勢いづく。


「報告致します! バハール西部の都市ラルドーにて、バハール解放前線を名乗る者共が反乱を起こしました! 現在、賊共は都市トルドに向かい進軍中ッ!」


 会議室に走りこんできた兵が、危急を告げる。


「…………解放前線」


 以前より不穏な動きがあったバハール西部。バルザックの死を好機と見て動いたのだろう。帝国に支配される前の栄光を取り戻そうという歴史の遺物、敗北を受け入れられない愚者の集りだ。今まで寛大な姿勢で臨んでいたのが仇になった。アミルは今までの慈悲が、この事態を招いたかと僅かに後悔する。やはり、徹底的に粛清を行なうべきだったのだ。


「陛下、これは一大事ですぞ!」

「どうなさいますか、陛下!」


 アミルは動揺を心の奥底に沈め、いつもの表情で命令を下した。自分は、リベリカ大陸の覇者なのだ。敗北は絶対にない。あってはならない。


「東部で準備中の三万の兵をバハールに派遣し、直ちに防衛に当らせよ」

「それでは、ロングストームが持ちこたえられませぬ!」

「ロングストーム将兵、民、物資は一時的にホルンへ退避させよ。そもそも、彼の州はゲンブ監視のために設立されたもの。土地自体に大した価値はないのだ。軍備が整い次第、改めて奪還すれば良い」


 ゲンブはかつての領土を取り戻すべく執念を燃やしているが、アミルから見ればそれほど価値のある州ではない。状況を考えても、突出する形になってしまったロングストームを守るのは至難の技だ。


「しょ、承知いたしました」

「ファリドと黒陽騎は、ホルン防衛に必要な戦力を残し、時機を見計らってバハールへ向かうよう伝えるのだ」

「しかしながら、ギヴ、カームビズの両州は如何なされますか? 攻勢をかけ、間もなく敵領に雪崩れ込むと元帥から報告が参っております」

「あのような惰弱な州はいつでも落せる。何よりも、大陸の要であるバハールは絶対に失うわけにはいかない。悪鬼を止めるには、再び黒陽騎の力が必要になるだろう。直ちに態勢を整え、逆賊を根絶やしにするのだ。今回は、全員撫で斬りにしてかまわん! 加担した者は一族郎党皆殺しにせよ!」

「ははっ!」


 アミルは忙しなく動き始めた文官達を眺めながら、唇を噛み締める。バハールが落ちれば、帝国の将兵、民に確実に動揺が走る。特に帝都の兵はバハール出身の者が多い。ギヴとカームビズは目障り極まりないが、解放前線などという賊を放置していく訳にはいかない。なにより面倒なのはゲンブだ。ロングストームは残念だが見捨てるしかない。バハールを防衛線とし、態勢を整えて一つずつ潰していく。


(しかしノエルめ、まさか助けてやった恩を仇で返すとはな。解放前線共々首を刎ね、バルザックの魂に捧げてくれる!)


 静かな怒りに震えるアミルに、相も変わらず柔和な表情のミルズが近づいてくる。


「陛下。一つだけ、試してみたいことがあるのですが」

「何だ。遠慮なく申してみよ」

「はい。コインブラとゲンブを引き離す策をちょっと試してみようかと。まぁ、難しいとは思いますが。失敗して元々、上手くいけば丸儲けというやつですねぇ」

「……離間の策か」

「はい。つきましては、エルガーおぼっちゃまを、ヴァルデッカ家に戻す許可を頂きたく。正式に、彼を太守にしてあげましょう。それを呑めばよし、呑まなければ民のことを考えず、戦を続ける暴君と言う流言をばら撒きます。事実、裏では臭いこともやっているようですし。元を辿れば、あのグロールの息子です。民の評価など、一瞬でころっと変わるでしょう」


 ミルズが蛇のような目をして、ニヤリと笑う。

 悪くない策だ。楔を打ち込めるか、評判を陥れるかの成果を得ることができる。失敗しても、使者の首が飛ぶくらいか。万が一頷きでもしたら、とりあえずは太守に据え置き、事態が収まり次第排除すればよいだけ。そこまで愚かとは考えにくいが、あの兄上の息子、何があるかは分からない。

 アミルは暫く考えた後、頷いた。


「お前の好きにして構わん。なんなら、兄上の名誉を回復してやるとも言ってやれ。喜んで飛びついてくるかもしれんな」

「有難き幸せ。この、帝国宰相ミルズにお任せあれ」

 

 


 

 ――マドレス城。

 城下では、バハール軍を完膚なきまでに打ち破ったノエル隊を、民達が狂喜乱舞で出迎える。民達が憎んでいるのは、自分達から税を搾り取っていたウィルム、そして遠征を繰り返すアミルに向けられている。つまり、皇帝の故郷の軍勢を打ち破ったノエルは、完全無欠の英雄なのだ。

 まるで皇帝を出迎えるような人混みを潜り抜け、ノエルは表情を変えずにマドレス城内へと入っていった。手には、あるものを持ったまま。


「……すっかり英雄だな。もう、コインブラでお前の名前を知らぬ者はいないだろう」

「どうでもいいことだよ。負ければ直ぐにいなくなる人達だし。大事なのは、苦しいときに一緒にいてくれる人。だから、前の戦いで最後まで一緒だった皆は、私の大事な仲間かな」


 謁見の間では、エルガーが嬉しそうな顔で出迎えた。隣のイルヴァンはどこか青褪めた表情だ。


「本当によくやってくれた。お前の働きで、統一コインブラは新たな出発を無事迎える事ができる」

「はっ、ありがとうございます!」


 ノエルは恭しく跪き、敬意を示す。親しき仲にも礼儀あり。ゲンブで習った言葉だ。友達を困らせたくなかったら、自分も努力しなければならない。


「北のエベール、そしてこのマドレスの陥落、更にバハール代官バルザックの討ち取り。コインブラの英雄と呼ぶことに、何の問題もあるまい。私としては、その働きに答え、お前に将軍の地位を与えようと思ったのだが……」


 エルガーはそこで言葉をとめる。もしかして、将軍になれるのかなと思っていたノエルは、ちょっとがっかりした。偉くなれば、自分の考えで行動しても、前のように邪魔されない。仲間も増える。

 もしかして、イルヴァンが止めたのだろうかと思って視線を向けると、私は全く知らないと、首をぶんぶんと横に振っている。本当に違うみたいだった。


「ゲンブのシデン殿より、お前を要職に就けるのは待って欲しいと、強い要求があったのだ。本来ならば干渉される謂れはないのだが、彼には今まで助けてもらった借りがある。そして、お前にとっても悪い話ではないらしい。だから、昇進の話はそれまで延期とさせてくれ」

「はっ、かしこまりました!」

「それでは、ノエル。こちらへ来い。これから招かれざる客を呼ぶ。私の側で、お前の意見を是非聞かせて欲しい」

「はっ!」


 ノエルは布に包まれた手土産を後ろ手に持ったまま、エルガーの横に移動する。丁度イルヴァンの対になるように。つまり、この二人は同じぐらいの立場にあると宣言しているということになる。ノエルはイルヴァンに手を振って笑いかけると、彼は引き攣った笑顔を浮かべて固まってしまった。


「それでは、気は進まないが“特使”殿を呼べ。リベルダムからの招かれざる客人をな」

「はっ!」


 衛兵が退出し、一人の男を引き連れて戻ってくる。かつて、グロールの元を訪れたリベルダムの使者、グリエルだった。厭らしい笑みを浮かべると、跪き礼をする。


「エルガー様、おひさしゅうございますな。いやはや、ご立派になられました。此度の勝利、心よりお祝い申し上げますぞ」

「その言葉、一応有難く受け取っておこう。だが、貴公は帝国に仕えるリベルダム州の人間。残念なことに、私とは敵同士になるな」

「ははは、そう慌てることはございませんぞ。……それにしても、勇敢だったお父上に良く似ておられる」

「グリエル殿、余計な言葉は聞きたくない。先に言っておくが、私は貴公のことを全く信用していない。父はそなた達の言葉に乗せられ破滅したのだからな。それを忘れたことは一度もない」


 エルガーは怒りを露わにしながらも、語気を荒げるのだけはなんとか堪える。

 それを見たグリエルは、自分のペースに持ち込めたことを確信する。交渉においては百戦錬磨の自信を持っている。相手は指導者としてまだまだ経験の浅い小僧。怒らせて、感情を混乱させたところで、急所を抉る。グリエルはこの手でグロールを引き込んだ。その子供もほぼ同じ性格の人間。もはや、赤子の手を捻るより容易い任務である。


「いやはや手厳しいお言葉。しかし、今日はかつての非礼をお詫びしようと、素晴らしい手土産をお持ちいたしました次第。きっと、喜んでいただけるものかと」

「…………なんだというのだ」


 訝しがるエルガー。グリエルは懐から一通の書状を取り出す。


「貴方の叔父上、皇帝アミル様からの書状にございます」

「貴様は私を馬鹿にしにきたのかッ!! アミルは我が父の仇ではないかッ!」

「ことを急いてはいけません。どなたか、この書状をエルガー様にお渡しいただけますでしょうか」


 イルヴァンが進み出て、グリエルから書状を受け取る。皇帝の印が押された、確かな書状。エルガーが中身を読めと、イルヴァンに目で合図する。

 イルヴァンが封を解き、一同に聞こえるように書状を読み上げる。


 ――南北コインブラにおける窮状は聞いていた。此度の行いは、民達の声に押された義挙であると心得ている。本来、コインブラの太守にはヴァルデッカの者がつくのが正当。不幸な諍いはあったが、それは今まさに正す事ができると認識している。ホルシード帝国四代皇帝、アミル・ヴァルデッカが告げる。南北コインブラの統一を認め、民の代弁者たるエルガー・ルートウイングをその太守に任命する。また、これを受領次第、エルガーはヴァルデッカ姓を名乗ることを許可する。これは直ちにグロールにも適応され、彼の者の名誉は回復されるであろう。


「……私を、太守にするだと?」

「はい。率直に申し上げれば、和平の申し出にございます。……いかがでございましょうか。悪くない条件だと思いますぞ。ゲンブは確かに強い、しかし、かつて太陽帝の前に無残に敗北したことを忘れてはいけません。此度も、ファリド元帥率いる黒陽騎が出向けば、以前と同じ結果を辿る事でしょう。これ以上の戦は、貴方に大義はありません。ただの復讐に過ぎなくなる。違いますかな?」

「なるほど。一理、あるのかもしれん」


 エルガーは興味を示したような表情を浮かべた。


「怒りの感情は一時のものです。今重要なのは、民を安らげ、国を豊かにすることでしょう。人の上に立つ者は、私心を捨てねばなりませぬ。恨みを捨てて再び帝国に属し、内政に専念するべきです。さすれば、貴方は偉大なコインブラの太守として名を残し、お父上もまた名誉を回復されることでしょう!」


 グリエルは演技ぶった身振りとともに断言した。


「グリエル殿の話は良く分かった。実に、素晴らしい内容だと思う。イルヴァン、お前はどう思うか」

「はっ。我らはエルガー様が選んだ道を共に進むのみ。どうかお心のままにお進みください」


 イルヴァンは回答を保留した。ここは自分の出番ではないと理解していたから。


「……そうか。では、我が友ノエルよ。グリエル殿の話をどう思ったか」


 こっそりと眼鏡をつけていたノエルが、笑顔を作る。エルガーはその変わりように噴出しそうになったが、なんとか堪える。


「とても素晴らしいお話だと思います。――まさに百害あって一利なし! グリエル殿の言う通りにすれば、再び破滅への道を進めることでしょう!」

「な、何を仰られるのか!」


 グリエルが声を荒らげると、ノエルは眼鏡をくいっと直して格好つける。そして、リグレットの真似をする。


「いい? 誰がどう見ても帝国は落ち目、落陽なの。子供じみた野望を抱いて他所の大陸に手を出して、足元を疎かにする愚かな皇帝だし。そんな人間に太守の地位を安堵されたって、なんの保証にもならないでしょう?」

「無礼ではありませんか!!」


 グリエルは交渉の基本を忘れて怒鳴ってしまった。あまりに目の前の女の言い様が癇に障ったからだ。自分を虫のように見下す目、耳に障る口調。どうしても堪える事ができなかった。一度線を越えてしまえば、もう戻ることはできない。グリエルはしまったと思いつつも、謝罪することができなかった。


「リベルダムも余裕がないのは皆知っているの。だから、皇帝にご褒美をもらいたくて、わざわざお遣いにきたんでしょう? だって、貴方のところも疫病やらなんやらで落ち目だものねぇ。あはは、皇帝の犬なのは前と全然変わらないみたい!」


 ケタケタとノエルが笑ってやると、エルガーたちもそれに合わせて笑う。グリエルは怒りで震えている。ついでに、誰の真似をされているか分かっているリグレットも怒っている。


「ぎゃ、逆賊共がッ! 貴様らなど、帝国が本気を出せばひとたまりもないのだぞ!」

「あらら。その逆賊を、太守、しかも偉大なヴァルデッカ家に戻そうとしてたんだ。皇帝は頭が悪いだけじゃなく、見る目がないのね。そんなところに戻るなんて、やっぱり有り得ないわ。エルガー様、そんな書状は燃やしてしまった方が宜しいかと」

「イルヴァン、跡形もなく燃やしてしまえ。心底目障りだ」

「御意」


 イルヴァンが蝋燭の炎にかざして書状を焼き尽くす。あっと言う間に灰になり、風に吹かれて姿を掻き消した。


「こ、後悔なされますな! いずれは、お父上と同じ末路を辿ることになりますぞ!」

「エルガー様、遠路はるばる来てくれたグリエル殿をてぶらで返すのもどうかと思います。お土産を渡しても宜しいでしょうか」

「構わんが。何を渡すつもりか」

「それは見てからのお楽しみで」


 ノエルが足元においてあった包みを取ると、グリエル目掛けて放り投げる。グリエルがつい受け取ってしまうと、その勢いで布がはらりと落ちた。

 ――それは、人間の首だった。


「ひ、ひいっ!!」

「私が討ち取ったバルザック将軍の首。偉大な皇帝陛下に届けてあげてくれる? きっと喜ぶから」

「ノエル、些か奮発しすぎではないか?」

「そうですか?」


 とぼけたエルガーに、ノエルも悪乗りする。グリエルは腰を抜かして立ち上がることができない。


「まぁどうでも良いことだ。――衛兵、特使殿がお帰りだ! その首共々城からたたき出せ!!」

『はっ!』

 


 グリエルが強引に追い出された後、エルガーは全員に告げる。


「もとより、あのような話を受ける訳がない。感情を抜きにしても、帝国に戻るなど有り得ん。再び搾取されるだけだ」

「……戦になるでしょうが、再び地獄にもどるよりはマシでしょうな。降りかかる火の粉は、払わねばなりません」


 ペリウスが同意する。先ほどまで黙っていたのは、これが芝居だと見抜いていたからだ。もとより、この状況で帝国に戻るなど悪手の中の悪手である。他の州が鎮圧され次第、確実に滅ぼされるだろう。


「エルガー様、今回の件は断られることを見越して使者を送ってきたと見るべきです。民の安寧な生活よりも、父の復讐を優先したと悪評を立てるためにです。工作任務を帯びた密偵は、恐らく潜り込んでいるかと」


 イルヴァンが険しい顔で懸念を示す。


「では、どうするのが最善だと思うか」

「無視すれば、相手の術中に嵌るのと同じ事。ならば、正直に民に打ち明けてしまうべきですな。高札を各都市に立て、今回の一件を大々的に知らしめましょう。民は疲れ、戦に嫌悪を示しているのは確かです。ですが、再び搾取される日々を回避するため、帝国の和平の申し出を断腸の思いで蹴ったという印象を与えてしまえば問題ありません」


 地獄を抜け出すために民達は剣を取ったのだ。次の戦を回避するために、再び地獄に戻るというのでは、なんのために立ち上がったのか分からない。だが、疲れている民たちは目先のことに囚われる可能性がある。だから、しっかりと対処をしなければならない。


「よし、この件の対処はイルヴァンに任せる」

「御意」


 イルヴァンが一礼して下がるのを見届け、エルガーは口を開く。


「……我らは勝利を得たが、共に立ち向かったゲンブ、ギヴ、カームビズといった同胞は今も帝国軍と戦っている。コインブラが疲弊しているのは事実だが、ただ見ているだけでは、再び帝国の侵攻を受けるかも知れぬ。そもそも、ゲンブなどの支援がなければ、決起も覚束なかったのだから。その恩は忘れてはならない」


 異論はあがらない。苦戦するギヴ、カームビズが陥落すれば、次に兵を向けられるのはコインブラの可能性が高い。制圧したばかりで、まだ防備の態勢を整えるには程遠いからだ。


「――そこでだ。帝国に対し共同で対抗する策を話し合う、“諸侯会議”が開かれる事に決まった。決定したのはつい先日、諸君らには黙っていてすまなかった。だが、万一にも漏れるようなことがあってはならぬ故だ」


 エルガーが告げると、一同がおおっとどよめく。各個ばらばらに戦っていた州が、協力体制を敷く事ができれば帝国と正面から戦えるだけの戦力が数の上は整う。帝国はすでにムンドノーヴォ大陸にも手を伸ばしているため、必然的に戦力は分散されている。状況は一気に拮抗するだろう。


「エルガー様、それは、いつ行なわれるのでしょうか」

「十日後、ゲンブ州のフレスノーと呼ばれる都市で行なわれる。帝国に反旗を翻した、または翻そうとする者が一同に揃うことになる。この大陸の歴史を変えるものになるかもしれん」


 エルガーは些か緊張した面持ちで述べた。この話をゲンブの使者から聞かされたとき、エルガーは身体の震えが止まらなかった。こんな若輩に、各諸侯と肩を並べるだけの器があるのか分からなかったから。だが、今はできると信じる。自分には強力な仲間がいる。そう信じて、重圧に押しつぶされないよう気張らなければならない。


「イルヴァン、そしてノエル。お前達にも来てもらう。イルヴァンには大陸人としての知恵を借りたい。そして、ノエルはゲンブ公直々の御指名だ。決して忘れたり、寝坊する事のないようにせよ」

「御意にございます。後世の歴史に残るであろう会議に参加させていただけるとは、このイルヴァン、光栄の至りです」

「はい、わかりました」


 感極まるイルヴァンとは対照的に、空返事をするノエル。


「ノエル、出発の日に寝坊しないと口に出して約束しろ。興味のないことだと、わざと忘れる悪癖がお前にはある」

「……前向きに頑張れるように努力はするつもりです」

「エルガー様。私が確実にたたき起こしますので、この者に関してはお任せ下さい」


 見かねたシンシアが進み出る。ノエルがとぼけた顔をしたので、一同に笑いが漏れる。エルガーの感じていた重圧も、なんだか霧散していくような気がした。良くも悪くも緊張感の欠片もない。


「――全く。では、シンシアも護衛に付き合ってもらうとしよう。諸君、これからが重要だ。より一層の働きに期待する!」

『はっ!』


 敬礼した後、ノエルはそそくさと逃げ出そうとして、シンシアに強烈な拳骨をもらう羽目になった。

 これにはエルガーも笑いを堪える事ができなかった。

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