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第三十九話 人間か、英雄か、化物か

 マドレスでの会議が終わった後、イルヴァンは密かに使いを出し、とある人物を貴賓室に招いていた。城を制圧したばかりということもあり、使用している者は誰もいない。武官、文官たちも新たな任務に向けて忙しなく動いている。イルヴァンの行動に気付いている者は皆無であった。

 招いた人物というのは、コインブラの若き英雄ノエル・ヴォスハイト。

 イルヴァンは貴賓室の周囲に武装した教徒を配置、更に手練の暗殺者を天井裏に控えさせた。その数は三十人。誰も邪魔できる者はいない。


(エルガー様のノエル殿への妄信は、我らにとって危険すぎる。やりたくはないが、話次第ではノエル殿には消えてもらわねばならぬ)


 今が最大の好機だった。城は未だ混乱の最中にあり、制圧直後であればウィルム残党の仕業に見せかけることもできる。逆に、この機を除いては二度と手出しできなくなるだろう。かなり危険な橋を渡る事になるが、死人に口なしだ。とはいえ、誅殺されるリスクもかなり高い。だが、主導権を握られて磨り潰されるくらいならば、動いてから死ぬ。待ち続けて破滅することだけは回避する。博打に勝ち続けるくらいでなければ、イル教が再び勢力を伸ばすなど不可能だからだ。


 エルガーには、イルヴァンの娘のイルムを婚約者として認めさせている。大人しい娘で、イルヴァンの命令には忠実だ。政略結婚の材料として不足はない。何より、敬虔なイル教徒である。現在の苦しい立場を十分に理解している。愛だのという感情に惑わされることはないだろう。ノエルが現れるまでは至って順調だったのだ。

 見る限り、エルガーがノエルに対し特別な感情を抱いているのは間違いない。万が一約束が破られ、ノエルが正室として迎えられるようなことになれば、待つのは破滅だ。この大陸においてイル教徒はエルガー以外に後ろ盾はなく、逃げる土地もない。持ちうる財は全てエルガーに投資した。決起の準備を整える為に、少なくない犠牲も出している。何としても、この地で生存圏を確立するため、イルヴァンは若き指導者に賭けたのだ。それがようやく日の目を見ようというときに、横から奪われるなど冗談ではない。


(幾ら武勇が優れているとはいえ、不意を突けば必ず殺せる。英雄であろうが人間は人間なのだ)


 自分の力を過信しているのか、それともただの馬鹿なのか。どちらかは分からないが、ノエルは招きに即座に応じてきた。大陸の美味い酒があるから、良ければご一緒に如何かと誘いをかけただけで。断られた場合は、エルガーの件で内密に話したい事があるとでもいって、誘き出すつもりであった。それも断られた場合は、こちらを危険視している証拠。実力行使にでる覚悟は一応持っていた。


(いずれにせよ、まだ実行するかは決まっていない。できれば穏便にすませたいものだが)


 イル教徒の命綱は、新しく樹立された統一コインブラでの発言力を維持することだ。そうでなければ、太陽神教が大多数のこの地において、異教徒であり少数派の自分達は軽く呑みこまれてしまう。故に、目の前で酒をあおっている目の前の小娘、将来の政敵になりかねないノエル・ヴォスハイトの真意を確かめる必要があった。


「……ノエル殿、お気に召されましたでしょうか」

「うん、これ本当に美味しいね。こっちの変な果物も凄く美味しいし!」

「その酒はベルタワインと申します。マドレスのワインも中々の美味ですが、大陸の物はまた違う趣があるでしょう。そして、緑の果物はベルタメロンにございます。濃厚な甘味と芳醇な香りで、とろけていくような舌触りが特徴です」

「うーん、本当に大陸には色んな物があるんだね。行きたくなんかなかったけど、ちょっとだけ興味が湧いたかも。でも、遊びに行くにはちょっと遠いよねぇ」


 首を傾げながら、ノエルはスプーンでぱくぱくと食べていく。それを一気に流し込むように、ベルタワインを口に含む。貴族のマナーなどといったものは存在しないようだった。


「その二つをあわせれば、庶民が数年は暮らしていけるでしょう。それほどに希少な品々なのです」

「そうなんだ」

「ですが、ここまで気に入っていただけたのなら、我らも苦労して持ち込んだ甲斐があるというもの。……なにしろ、貴方はコインブラの英雄であらせられるのだから」

「コインブラの英雄?」

「謙遜なされますな。民の声をお聞きになられませんでしたかな? 暴君ウィルムを打ち倒した英雄と皆が褒め称えていたではありませんか。話を聞けば、皇帝アミルも貴方の武勇を恐れたという。これは是非ともお近づきになりたいと思い、お招きしたという訳です」

「そっか。凄いものを食べさせてくれてありがとう! イルヴァンは良い人なんだね」


 ノエルの邪気のない顔に、イルヴァンの毒が徐々に抜かれていくような気がする。もう少し言葉による牽制があると気張っていたのに、実に肩透かしの気分である。

 思わず苦笑した後、本題に入る準備を窺うことにする。話を遠まわしに投げかけても、理解されないような気がしたからだ。


「ははは、私が良い人かどうかは分かりませんが。上に立つということは、それだけ責任を抱えるということです。私の肩には全てのイル教徒の命がかかっております。ゆえに、武勇名高いノエル殿と親睦を深めたいと考えた次第。彼らのためならば、私は労力を惜しみませんぞ」

「そっか。私も仲間のためなら頑張れるし、そういうものかもね」


 ノエルがワインを飲み干したのを見計らい、イルヴァンは本題を切り出すことにする。まだ相手の性格については掴みきれていない。見目麗しいのは確かだが、淑女と呼ぶにはほど遠い。軍人としてみるならば剛毅と表すこともできるだろう。実際に、兵を率いて城を陥落させているのだから、腕も立つのだろう。だが、その内面は子供、精神的には未熟と評するのが適当だ。

 エルガーが惹かれるのも少しは理解できた。汚い物ばかり見せ付けられてきた少年にとっては、ノエルの純粋さはとても好ましく映ったに違いない。

 だが、政敵として立ちはだかるのであれば、例え子供でも容赦はできない。イルヴァンは、左手にグラスを持つ。これが落ちた時が、ノエルの命が潰えるときだ。暗殺や隠蔽といった工作は、イル教徒たちの得意中の得意。この技術を駆使してここまで生き延びてきたのだ。


「こんな夜分に、わざわざ女性である貴方をお呼び立てしたのは、ノエル殿の真意をお聞きしたかったからです」

「何が聞きたいのかな?」

「――率直にお尋ねいたします。ノエル殿は、我らイル教徒をどう思われますかな?」

「若君が頼りにしている仲間、そして私の味方でもある。イルヴァンは美味しい物をくれた良い人、って感じかな」


 特に緊張や警戒をしている様子はない。目の前にいるのが将来の政敵になりうるということすら認識していないようだ。


「ははは、これはありがとうございます。このイルヴァン、ノエル殿のような心強い仲間ができて嬉しく思っておりますぞ」

「あはは、私も大陸の人と話せて嬉しいかな。良い事尽くめだね」

「……では、もう一つだけお聞かせください。エルガー様と、我が娘、イルムの婚約についてはいかがお考えでしょうか。私の見る限りでは、エルガー様は貴方に特別な感情を抱いているようです。もしかすると、貴方も、と思いまして。勿論、余計なお節介というのは分かっております。しかし、婚姻というのは、真に愛し合う者同士が結ばれるべきもの。不幸な行き違いがあってはいけません」


 イルヴァンは、わざと試すような口調で問いかける。これで怒りの感情でも見せてくれれば分かりやすい。ノエルは、確実に敵対するだろう。女の嫉妬とは恐ろしいもの。時には国を滅ぼすようなことも行なう。


 この婚約については、赤輪軍のときから異論が出ていることは知っている。コインブラ旧臣たち、特にシンシアあたりが反発していたことも。彼女を除かなかったのは、障害になるとは思えなかったからだ。無骨で兵からの信頼も厚い女騎士。だが、政治力は欠けている。それは、婚約が実現したことがなによりの証拠。イルヴァンが逆の立場ならば、絶対に婚約など認めさせなかった。後の災いになるのが目に見えて分かるからだ。


 イルヴァンは、これからコインブラで勢力を伸ばし、イル教徒たちの生存圏拡大を目指さなくてはならない。イル教の布教活動も積極的に行い、信頼出来る味方も増やしていく必要がある。エルガーという強力な後ろ盾をもとにだ。お互いに利用しあうという利害だけの関係だが、それだけが投資した理由ではない。

 イルヴァンはエルガーの将来性に賭けたのだ。若くして地獄を見たあの少年は、何が何でも生き抜いて、目的を達成すると言う気概と執念がある。後は経験と知識さえ積んでいけば、立派な指導者となることだろう。


「それで、ノエル殿は如何にお考えかを、是非お聞かせいただければと」

「若君が結婚するって話は、シンシアから聞いたよ。新しい家族ができるってことだよね。皆、幸せになれるといいよね。――あ、結婚式には呼んでね? 私、結婚式に一度も出たことないから、近くで見てみたいんだ。美味しい料理に、楽しい音楽でお祝いするんでしょう?」

「そ、そうですな。こちらの式典がどのようなものかは存じませんが、我らの大陸では盛大に祝福を致します」

「そっかそっか。うん、本当に楽しみだね!」


 笑いながら、メロンを完食するノエル。赤髪を掻きあげると、美味しかったーと一息ついている。

 そこからは、嫉妬、あるいは敵意のようなものは一切感じられない。友の結婚を聞き、素直に祝おうというものにしか思えない。これが全て演技だとしたら、大した曲者である。

 イルヴァンは、一歩踏み込む事にした。問題なのは、政敵として立ちはだかるつもりがあるのかということ。取り込めるならば、それはそれで構わない。


「……ノエル殿。この荒れたコインブラを、豊かにしたいと願う気持ちは同じはず。今後は、より一層協力を深めていきたいのですが。貴方の武勇、我らイル教徒のもつ大陸の知恵。二つが合わされば、コインブラに必ずや良い結果をもたらすでしょう」

「ね、ムンドノーヴォ大陸って、なんか凄いものが一杯あるんでしょ?」

「え、ええ。まぁ、ここにはないものも多数ありますが」

「魔法を使う人もいるって本当?」

「……こちらでは笑い話に過ぎませんが、彼の地に、そう呼ばれる者達が実際にいるのは確かです」

「空も飛べるの?」

「そ、空は飛べませんが、炎を出したり、水を出したりはできるようですな」

「あ、私も炎を出せる槍持ってるよ! 今度見せてあげるね!」


 上機嫌に笑うノエル。イルヴァンもそれは楽しみですと愛想笑いを浮かべる。最後まで拍子抜けの交渉だったが、これはこれで良い結果と言えるだろう。イルヴァンは内心ほくそ笑んだ。


「うーん、魔法かぁ。別に行きたくないって思ってたけど、ちょっと考え直しちゃいそうだね。あ、これから協力していこうっていうのはいいと思う。仲間同士、一緒に頑張っていこうね!」


 ノエルが果汁でべとべとになった手で握手を求めてきたので、イルヴァンは丁寧に手を拭いてやった後、それに応じる。なんだか本当に子供を相手にしているようで、精神の疲労が増しているのを感じる。外見を見る限り十代後半、或いは二十は迎えているはずなのだが。精神年齢が幼すぎる。


(良く分からないが、警戒していたような相手ではないらしい。それならそれで良い結果だろう。無駄な血を流さずに済む)


「実に有意義な会話ができましたな。では最後に、ノエル殿と我らイル教徒の友好の証として、何か差し上げたいと思うのですが。ノエル殿は、何か欲しい物はありますかな? 金、希少な酒、貴金属、宝石、大陸の芸術品など。ご希望の物を揃えることができます。遠慮なく仰って頂きたい」


 あまりにも無茶な要求でないかぎりは受けることができる。若い男が欲しいというのならば、生贄として差し出すこともできる。“物”で釣れる人間は、非常に御しやすくて助かる。厄介なのは、意地や義理などといったことを重んじて動かない連中だ。


「えっとね。大陸の珍しい玩具が欲しいかなぁ。できればシンシアやリグレットと遊べるようなのがいいかな」

「…………は?」

「大陸には珍しいものが一杯あるんでしょ? あっちの子供達は、どんなもので遊んでるのか知りたいな」

「……な、なるほど。え、ええ、もちろん、ありますとも。後ほど、見繕ってお持ちいたします」


 思わず動揺してしまったが、イルヴァンは即座に了承する。これは予想以上の成果を得る事ができた。子供の玩具を渡すだけで、全てが上手くいったのだ。余計な投資は全くなく、見返りだけが大きかった。ノエルが政敵になることはまずない。万が一そうなったとしても、恐れるに足りない相手だ。


 そして、分かったことがある。この娘は、やはり馬鹿なのだ。精神が子供のまま、生まれ持った武力だけで生き抜いてきた。そうせざるを得なかったのだろうが。エベールやマドレスを陥落させた策を授けたのは、恐らくリグレット。あれが英雄の知恵袋だ。

 それならば全く問題ない。グランブル家の娘というだけで、蹴り落す材料は十分。邪魔になり次第、流言を撒くだけで死に追い込める。調べた限りでは、兵や民からの評判も著しく悪い。

 イルヴァンの思惑も知らず、ノエルは鼻歌交じりに立ち上がって、呑気に部屋を後にしていく。その後姿を一瞥し、イルヴァンは席に着く。合図を送る筈だったグラスにワインを注ぎ、勝利の美酒に浸る。


(いつもこうだと、実に有難いのだが。我ら敬虔な教徒を見放した神が、ようやく手を差し伸べてくれたのかもしれんな)



「――ねぇ」


 笑いを漏らそうとしたそのとき、背後からいきなり声をかけられた。

 ――呼吸が止まる。心臓が激しく脈打つ。


「……ノ、ノエル、殿?」

「私を殺したいなら、後三百人は用意した方がいいよ。三十人じゃ全然足りないから。相打ち覚悟で一気に焼き殺すのがいいかな。やるなら骨まで燃やすぐらいじゃないと、全員道連れにしちゃうかも」

「――な、なにを」

「あはは、イルヴァンは良い人だから、今回は見逃してあげるね。特別に、今回だけ。仲間を殺すのはやっぱり気が重いし。それじゃあ、次からは気をつけてね?」


 ノエルは笑いながらイルヴァンの緑のローブを優しく撫でた後、ゆっくりと扉を閉めて立ち去っていった。だが、その目が決して笑っていなかったことにイルヴァンは気付いてしまった。

 呼吸が乱れる。血の気が引いているのが分かる。身体の震え、そして流れる汗が止まらない。手にしていたグラスから、ワインが血飛沫のように零れていく。

 天井裏に潜ませていた暗殺者が、静かに現れる。そして、周囲に配置していた教徒達も入ってくる。皆、顔色は一様に青白い。


「……イルヴァン様。あの者、我らに気付いておりました。間違いありません。常に、こちらを見ているかのようでした。そ、それに、背後に妙な気配が」

「わ、私達もです。誰もいないはずなのに、背後に妙な気配が常にありました。我らは金縛りにあったかの如く、動く事ができず」

「……では、もしも、私が合図をしていたら?」

「確実に全員殺されていたでしょう。……イルヴァン様、あれは、化物です。我らを破滅へと追いやった化物が、この地にもいたのです! ――おお、神よッ!」

「…………な、なんということだ」


 イルヴァンはよろめきながら、机に両手をつく。自分はなんという恐ろしいことをしていたのか。危うく化物の逆鱗に触れてしまうところだった。今生きているのは、ただの幸運に過ぎない。


「イ、イルヴァン様、今後、ノエルの監視はどういたしますか? 監視を続行すれば、いつ気紛れで殺されてもおかしくありません」

「……イルヴァン様。今は、危険は避けるべきかと」


 脅えた様子の暗殺者たち。今まで順調だと思っていた監視が、全て見抜かれていたのだ。その首筋に、死神の鎌をつきつけられているのと変わらない。イル教徒は死は恐れていない、だが、恐怖という感情は限界を超えれば抑えるのは難しい。火に触れれば熱い、氷に触れれば冷たい。それと同じ事だ。限度を越えれば、理性は吹き飛ぶ。


「中止だ。全て中止させよ。今後、アレには絶対に手を出すな。間違っても、敵対したと取られるような行為をするな。……いいな?」

「は、はい、承知しました」

「幸いにも、アレは我らを敵視することはないだろう。我らのことなど、歯牙にもかけていないのだ。アレが何をしたいのかは分からんが、その前に立ちはだからなければ、巻き込まれることはあるまい。邪魔さえしなければ、大丈夫なはずだ」


 希望的観測を抱きつつ、イルヴァンはそう判断した。エルガーについて恋愛感情を持っている訳でもなさそうだ。どんな野望があるかは分からないが、コインブラを立て直したいという気持ちはあるらしい。とにかく、巻き込まれないことが重要だ。

 今回の件は、ノエルは見逃すと言った。恐らく事実だろう。次は、ない。


「あれは、間違いなく化物だ。我らイル教徒を破滅へと追い込んだ化物と同類。そして、大陸に死を撒き散らした、あの化物と同類なのだ。いいな、絶対に手を出すな。化物に、手をだしてはならぬ」


 イルヴァンは強く言い切った。他の教徒達も、恐れを隠そうともせずに頷いた。

 この世界には、“化物”がいる。そう呼ぶことしかできない、恐るべき者達が確かに存在するのだ。大陸にしかいないと思った化物は、こちらにもいたのだ。

 その脅威を、イルヴァンは幼き頃にこの目で見た事がある。決して手を出してはいけないこともだ。星教会を牛耳り、覇権に手を掛けていた父は、化物と相対して破滅して悲惨な末路を遂げた。その余波を受けて、イルヴァンたちの一派は大陸で異端と見做されてしまった。


 そして異端認定を受けたイル教徒を執拗に追いかけてきたのは、また別の化物だった。死神の如き鎌を備えた審問官の手に掛かり、再起を誓い身を潜めていた兄たちや親族は皆殺された。抵抗した教徒たちも全員殺された。幼きイルヴァンだけが幸運にも生き残ることができた。だから、化物の恐怖は身に染みて分かっている。アレには絶対に手を出してはいけないのだ。


(なんにせよ、私は助かった。助かった、助かったのだ。化物と相対したというのに、幸運にもまた助かったのだ! ――ああ、神よッ!)


 紙一重で命を拾ったイルヴァンは、再び神がくれた慈悲に心から感謝を捧げた。

 


 

 

 

 ノエルの部屋。心底不機嫌そうな顔をしているリグレットとともに、イルヴァンから贈られた玩具で遊んでいる。

 『星塔』という立体型の玩具だ。大小様々な部品で、複雑な構成で高く組み上げられた塔。そこから、順番に抜いていき、崩してしまった方が負け。一つから三つまで抜いて良い。相手を不利な立場に追いやっていくのが肝だが、返されれば自分の首を絞めることにも繋がる。いずれにせよ、崩壊はさけられないのが塔の運命。イルヴァンは『我々の成し遂げた偉業を忠実に再現したものです』と、どことなく暗い顔で語っていた。


「まだかなまだかなー。眠くなってきちゃった」


 大あくびするノエル。本当は全然眠くない。が、相手を苛々させることもこのゲームでは重要だ。案の定、リグレットのこめかみには青筋が走った。次にしかければとどめになりそうだが、敢えてここで止めておく。


「う、うるさいわね。少し黙ってなさい!」

「御意」


 ついイルヴァンの真似をしてしまった。とどめになってしまうかもしれない。


「黙ってろって言ったでしょ!」


 舌打ちするリグレット。指が震えている。ウィルムの死のことはもうどうでも良いようで、いつもの調子に戻っていた。今はロイエをいかにしてイビり抜くか考えているようだった。自分の直属にしてこれでもかと虐めるつもりらしい。残念ながら、それは叶わないのだが。エルガーは、リグレットの下につけるつもりは全くないようだった。わざわざ望んで軍内に不協和音を作り出す人間もそうはいないだろう。

 ちなみに、『幸せを手に入れたのなら、別に引退してもいいよ』と親切心から言ってあげたら、最高の舌打ちを頂いた。まだまだ一緒に遊んでくれるらしい。ノエルは嬉しかったので、礼を言ったら怒られてしまった。怒られたけど、こうして遊んでくれるので、ノエルとしては手放せない友達の一人である。


 それはともかく、全然手が動いていない。部品に手をかけたまま、微動だにしないのだ。これでは永遠に終りがこない。


「さてと、明日も早いから、これからは十秒制限をつけるね。十秒、九秒――」

「ちょ、ちょっと、いきなり卑怯な――」


 慌てたリグレットが部品を引き抜くと、塔は勢いよく崩れていった。派手な音とともに、部品が散乱してしまった。


「はい、リグレットの負け。それじゃ、負け犬は片付けをよろしくね!」


 勝ったノエルは伸びをした後、素早く寝巻きに着替えていく。ぐぬぬと呻くリグレットは放置して。ベッドに飛び乗って寝転がると、ひんやりとした感触がとても気持ちよかった。


「あー、布団が気持ち良いなぁ。すぐ眠れそう」


 どうやら、イルヴァンの頭はかち割らなくて済みそうである。エルガーとはこれからも仲良くしていきたいのに、義理の父をいきなり殺したりしたら、怒るかもしれない。あれだけ脅してやれば、普通ならば手を出してこないだろう。それでも同じことを繰り返したら、次は遠慮はしない。イルヴァンと仕掛けてきたイル教徒は全員殺す。


「うーん、ちょっと甘かったかな?」

「おい。いきなり時間制限なんて卑怯な真似をして、何が甘かったよ! この悪鬼!」

「あはは、リグレットは本当に面白いね」

「うるさいッ!」


 乱暴に片付けをするリグレットを眺めながら、ノエルはゆっくりと瞼を閉じた。次はシンシアや、エルガーと遊びたいものである。だが、皆忙しいので、遊んでくれるかは分からない。偉くなると、自分の時間が減るのは仕方ないのだろう。


(私はどこまで偉くなれるのかな。将軍になれたら、ちょっと格好いいかな?)


 将軍の鎧と立派な勲章を身につけ、偉そうにふんぞり返る自分の姿を想像してみた。陰険なウィルムの顔が浮かんでしまったので、ちょっとイマイチだった。では大将軍ではどうだろうかと想像すると、何故かシンシアの小言と拳骨が飛んできたので、ノエルはさっさと眠る事にした。


 夢の中でもリグレットが悔しそうに呻いていたので、一応慰めてあげた。


イルヴァン、紙一重でBADEND回避。

運の良さに定評があります。ここまでそれで生き延びてきました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あの作品の二人に追いかけられてここでまた3人目に出逢っちゃったら…それはもう悪夢でしかないですね。敵対は免れても死ぬまで恐怖から逃れられないと思うと恐ろしすぎますね…
[良い点] この人死神系少女2人から生存してるんだよなあって急に言いたくなりました
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