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第三十八話 右手に剣を、左手に天秤を

 マドレス制圧後、数日遅れてエルガー率いる赤輪軍が悠々と入城した。民、そしてコインブラ兵達の歓声に迎えられて。ウィルムに比べれば、まだグロールの方がマシだという思いが強かったのだろう。そのグロールの息子であるならば、自分達にそれほど非道なことはするまい。だから、民達は列を組み、老若男女が万歳を叫びながら歓迎した。

 エルガーは、やりきれない思いを堪えつつ、それに手を振って応える。


「……イルヴァン。今、私が何を考えているか分かるか?」

「御意。心中、痛いほどお察しいたします。我らも大陸を追いやられた身にございます。人の心とは、うつろいやすいもの故」

「この者どもは、拍手と歓声で父の死を祝福していたのだ。私は、あの光景を決して忘れぬであろう。こやつらの頭には、一切残っていないのだろうが」


 エルガーが顔を歪める。


「日々を生きるために彼らも必死なのです。どの大陸においても、それは変わりませぬ」

「……ああ、もう二度とは言わぬ。ただの愚痴だ」


 エルガーは疲れたように溜息を吐いた後、仮面を被り笑みを浮かべた。

 



 謁見の間、玉座に座るエルガー、その両隣にはイルヴァンとノエルが控える。左で列をなすのは赤輪軍の者たち、シンシア、リグレット、ナッジなどだ。

 右側にはエルガーに仕えることを選んだ武官や文官たちが並ぶ。降伏した者にはロイエやペリウスなどがいる。他にもエルガーにすると懐かしい顔ぶれたちだ。彼らがどのような思いでここにいるのかは、知る由もない。シンシア、リグレットを除けば、南北出身者が左右で対峙する形となっている。案の定、敵意の混じった視線が行き交っている。


(南北の溝は更に深まっている。なんとか融和させていかなければならないが。父上も、さぞ苦労されたのであろうな)


 亡きグロールの苦悩を思い出し、エルガーは目の前で跪かされている裏切り者を見下す。

 縄で拘束され、兵によって槍で押さえ込まれているのは、先の太守ウィルム・グランブル。口惜しそうな顔で、エルガー、そしてロイエとリグレットを睨みつけている。この状況に至っても、まだ気力は残っているらしい。


「久しぶりだな、ウィルム」

「エルガー! 貴様、情けで生かしておいてやったというのに、恩を仇で返すか!」

「裏切り者の癖に、どの口がいうのかしら。その面の皮の厚さだけは天下無双ね。実力は伴ってないみたいだけど」


 リグレットが進み出て、ウィルムの背中を蹴り付ける。


「――ぐっ。リ、リグレット、憲兵の役目を放棄するに飽きたらず、父を見捨て悪鬼に魂を売るとは! その罪、万死に値するぞッ!!」

「うふふ、アンタを陥れるためなら、何だろうが売り渡してやるわよ。貴方のその顔、見たくて見たくてたまらなかったの。これが最後だからもっと喚いていいのよ? 喚けば喚くほど、その見苦しい最後が歴史に残るんだもの」

「――き、貴様という奴はッ!」

「それにしても、たったの二日でマドレスを落とされるなんて。あの、堅牢を誇るマドレスがたったの二日! 前代未聞、驚天動地の出来事じゃない。まさに無能の証明よねぇ」

「だ、黙れ!! 裏切り者さえいなければ、こんなことには!」

「自分の足元も見えてなかったってことでしょ。そんな様でよくも将や太守なんてやっていられたわね。ウィルムの名は愚将の象徴として、永遠に名を残すことになるわ。嗚呼、“元”娘として死ぬ程恥ずかしいわぁ。ねぇ、少しでも恥を知っているなら、今すぐ舌を噛んで自決しなさいよ。――ほら、早く死ね」


 リグレットが、ウィルムに罵声を浴びせつける。ウィルムは血管が切れそうなほどに怒りを露わにする。


「お、おのれっ! どこまで私を愚弄するつもりだ!!」

「そうそう、それよ。私が見たかったのはその顔よ! ――ああ、幸せすぎて、もう死んでしまいそう!」


 リグレットが口元を押さえて、込上げてくる笑いを堪えている。しばらくそうして震えた後、ノエルへと向き直った。


「うふふ、幸福も度を過ぎると、身体の毒になるみたいね。ねぇ、知ってました、ノエル隊長?」

「私は知らないけれど。えーと、なんか皆引いてるから、その顔はやめたほうが良いんじゃないかな」

「うふふふッ! そんなこと、もうどうでもいいのよ。ねぇ、見て、この糞虫の悔しそうな顔ッ! 本当に、たまらないわ。記念に絵に残しておきたいくらい! 誰か、城下に行って絵師を呼んできてくれないかしら! そうだ、これが最後になるんだから、アンタも何か言ってあげなさいよ」


 ノエルが窘めようとするが、リグレットの滑らかすぎる口は止まらない。強引に前へと押し出されたロイエは、顔を逸らし、口を真一文字にしている。


「……父上」

「ロイエ、何故このような小童に尻尾を振った! 自分が何をしたのか分かっているのか!? お前を待つのも、私と同じ破滅なのだぞ! 何故そこまで考えぬのだ!」


 激昂するウィルムに、ロイエはようやく向き直る。


「……全て承知の上です。しかし、この国のために、私はできるだけのことをしたい。たとえ身を滅ぼすとしても。それが私にできる唯一の贖罪です」

「この戯け者がッ! ここでこやつらに屈すれば、いたずらに争いを広げることになると何故わからんのだ! これで戦が終わると思っているのか!!」

「……争いの火種を生んだのは貴方です、父上。かつての太守グロール様は、少なくとも民のことを考えておられました。貴方は、欲望に溺れて足元が見えなくなっていた。我らの言葉に一切耳を貸さず、無謀な遠征にのめりこみ、残されたのがこの惨状です」

「私は私欲に囚われてなどいない! 遠征はいずれ軌道に乗り、必ず我らに富をもたらしてくれた!」

「私にはそうは思えません」

「第一、帝国が――アミル陛下がこのまま黙って見ていると思うか! 直ぐにでも大規模な討伐軍がやってくるだろう! 結局、お前らがしたのは戦禍を呼び寄せただけだ! 救いようのない愚か者共がッ!」


 激しく言い募るウィルム。エルガーが手で合図すると、槍兵がウィルムの体を再び押し付ける。


「いい加減に口を慎め。お前は敗者なのだから。ウィルム、貴様の罪は真に許し難い。アミルの愚かな計画に同調し、民に背負いきれぬ重税と労役を負わせた罪。軍備の増強にかまけて疫病と飢餓の蔓延を放置し、為政者としての義務を放置した罪。こうなったのも全て自業自得だ。このうえは潔く罪を受け入れたらどうなのだ」

「黙れ小童が! 貴様がやりたいのは、グロールの復讐だけであろうが! そんなことで国を治められると思うか!」

「お前に言われてはお終いだろうな。父、そして民の期待を裏切って座り続けた太守の椅子は、居心地が良かったか?」

「――くッ!」

「愚かなガディスはお前に騙されたようなもの。だから、あれには生きる事だけは許してやった。生きて民の恨みの的になってもらうという大事な仕事が残されているからな。お前には死ぬ事で民の怒りを鎮めてもらうとしよう。その血を以って統一コインブラの礎となれ」


 ガディスを生かしたのは、慈悲からではない。北部は貧しく、復興までにはかなりの時間が掛かる。それまでには、民の不満を向ける生贄が必要だ。その役目を、ガディスに負ってもらうだけ。ある意味では、死ぬよりも厳しいだろう。だが、精神を病んでいるガディスは気付かない。もう、死ぬ気力すらないだろう。骨の髄までコインブラの役に立ってもらう。

 だが、ウィルムは殺す。絶対に殺す。この男を生かしておいては、反乱が終結した事にならない。ウィルムの血をもって、南北コインブラは統合され、赤輪軍の乱は終了するのだ。何よりも、腹心の身でありながら父を裏切ったこの男を、生かしておける訳がない。絶対に殺す。


「ま、待て。いや、しばし待たれよ! 私は万の兵を率いたこともある。来るべき帝国との戦いでも、必ず役に立つはず。私を殺せば、貴方の反乱は、父の復讐だったと見做されるだけだ」


 口調を丁重なものに変えて、一転して命乞いを始めるウィルム。なんとしても助かろうという意図が透けて見える。その哀れな様を見て、周囲の兵、家臣たちが苦笑する。これが、かつてのコインブラの将、そして太守まで登り詰めた男の末路なのだ。


「だからなんだと言うのだ。貴様の戯言や命乞いなど、聞きたくもない」

「……私もガディス同様、生かしてお使い下され。私とてコインブラのことを思っての行動。ただ、道が違ったのだ。決して私欲で貴方のお父上を裏切ったわけではない。太陽神に誓って言える。どうか、冷静にお考えください。私を殺すのは、いつでもできるはずだ!」

「だから、今殺すと言っているのではないか。何の問題があるのだ?」

「わ、若君!」

「――黙れ下郎がッ! 仮にも太守の地位にあったものが見苦しい! あの日、我が父は潔く死を受け入れたぞ。お前も少しは見習うがよい! 誰か、この下郎をさっさと刑場へ連れて行け!!」


 エルガーが合図すると、槍兵が強引に立たせる。もう顔どころか、声も聞きたくない。本当ならば、一族全員皆殺しにしたいところだ。だが、そうすればリグレットも連座することになる。だから、ウィルムだけに留める。これが復讐ではないという証のために。


「ま、待て! どうかお待ち下さい! 私はリベルダムの太守とも誼を結んでいる。生かす価値はあるはず! 若君、ここはコインブラのため、私を用いるのです。私を活かせば、統治は円滑に行なえますぞ! 恨みは何も生み出しません。そう、寛容こそが太守に必要な能力なのだ! 人を活かさなければ、コインブラの復興など――」


 もがいて必死に抵抗するウィルムに、ノエルが近づいて話しかける。


「ねぇ、もう諦めなよ。多分、このマドレスに貴方の味方は一人もいないから。人間、諦めも肝心だよ」

「だ、黙れ悪鬼が! 若君、私は、コインブラのために働いたのです! 私欲でグロール様を裏切ったわけではない! ええい、離せッ! 私は、汚名を背負ったまま死ぬ訳にはいかないのだ!」

「ここまで見苦しいと、逆に清々しいね。ちょっとだけ面白いとおもっちゃった」


 ノエルが誰にも聞こえないように小言を漏らした。

 実をいえば、ロイエと一緒にリグレットの下につけたら、ちょっとだけ面白いかなとも考えたが、直ぐに絶対にありえないと考え直していた。どうみても上手く行かないし、周りに不幸をもたらすことになる。絶対にここで殺すべきである。それだけは断言できる。エルガーが助けると言ったりしたら、この場でウィルムの頭をかち割ってやるつもりだった。


「離せ、愚か者共がッ! 私は太守なのだぞ! 貴様ら、こんな真似をして後でどうなるか分かっているのか!! 私に触るな!」


 ウィルムは最期まで騒いで抵抗したが、槍兵に数回殴打された後、強引に外へ連れ出されていった。

 エルガーたちもその後に続く。処刑は、グロールと同じくマドレスの大広場にて執行される。既に民達には告げているため、あのときと同じく見物に押し寄せてくる。首を断頭台へと載せられたウィルムに、民達が石を投げつけ罵倒する。何も変わっていない光景に、エルガーは絶望しそうになる。


 執行人はノエルだ。流石に鉄槌で頭を砕くのは野蛮すぎるということで、エルガーが自分の剣を渡している。長剣は慣れないようで、何回か宙で振り回し確認を行なっている。それを見た民達が、赤髪の悪鬼だとどよめいた後、歓声をあげる。敵にすると恐ろしいが、味方ならば心強いことこの上ないのだろう。

 エルガーは最後の言葉をウィルムにかけるために、近づいていく。


「他のグランブル家の者は、逆らわなければ手は出さん。安心して死ね」

「……まさか、グロールと同じ末路を辿る羽目になろうとは。くくっ、私は、どこで間違ったのだろうか。もしや、グロール様を裏切ったのは、間違いだったとでもいうのか? アミル様に賭けたのは間違いだったと。私には輝かしい栄光が待っていたはず。確かに、太陽の輝きが見えたのだ。それが、何故だ」

「さぁ、どうなんだろうね。ただ、運が悪かっただけかもしれないよ。世の中、そんなもんだから仕方ないね」


 上段で剣を構えたノエルの言葉に、ようやく観念したウィルムが苦笑する。


「……運か。やはり、お前は、敵対せずに取り込んでおくべきだったのだろうな。まさか、ここまで、私の邪魔をするとは。本当に、最後まで目障りな小娘であった」

「あはは、最初から私のこと嫌ってたもんね。全然話もしてないのに、ひどいよね」

「何故か、嫌な予感がしたからだ。お前が私を破滅に追い込む、そんな予感がした。だから、さっさと排除して殺しておきたかった」

「そっか。実はね、私も貴方の頭をずっとかち割りたかったんだ。いつも私の邪魔をするし。とっとと殺しておけば、多分もっと上手く行っていたかなって」

「くくっ、お互い、考えていた事は同じだった訳か。そして、最後に勝ったのはお前だ。実に無念だ」


 観念したウィルムが両目を閉じる。


「ノエル、そろそろ良いだろう」

「そうだね。じゃ、そろそろ殺すね」

「……若君。このようなことを言える立場ではありませんが、どうか、コインブラを――」

「ノエル、やれッ!」


 エルガーの命令と同時に、ノエルの剣がウィルムの首を断ち切った。血飛沫が上がり、前に置かれた桶に、ごろんと転がり落ちる。主を裏切り、太守の座を掴んだ男の哀れな最期だ。


『売国奴が死んだぞ!』

『エルガー様万歳!』

『グロール様万歳!』

『我らのコインブラ万歳、万歳!!』


 空虚な歓声がエルガーの耳に入ってくる。実に不快だが、態度に示してはならない。民達は新しき指導者に期待している。決して感情を露わにしてはいけない。


(……復讐は、終わったのだ。ガディスは捕らえ、ウィルムは殺した。裏切り者は、もういない)


 エルガーは思ったより、嬉しくない事に気がついた。もっと何か、万感の思いがこみ上げて来るかと思ったが、そんなことはなかった。観衆たちは堰をきったかのように喚いて喜びを露わにしている。その勢いが増すにつれ、エルガーは暗澹とした思いがつのって行く。

 ノエルに目を向けると、剣を振るって血糊を払っている。


「これで、父上は喜んでくれただろうか。母上は安らかに眠ってくれるだろうか。……本当に、良かったのだろうか」

「自分で選んだんだから、気にする事ないよ。この人だけは殺さなきゃ皆納得しなかったし。もし生かしておいたら、絶対によからぬことをしでかすよ。私の宝物全部賭けてもいいかな」


 ノエルが差し出した剣を受け取り、鞘へと納める。


「……ああ、そうだな。お前の言う通りだ」

「それにほら、まだまだやることはあるよ。頑張らなきゃいけないのはこれからだよね」


 ノエルが背中をぽんと叩いてくる。エルガーは頷くと、城へと向かい歩き出す。途中、ロイエ、リグレットとすれ違った。ロイエは天を仰いで、感情を押し殺している。それに引き換え、リグレットは涙を流しながら幸福そうに笑っていた。

 

 


 ウィルムの処刑を見届け、再び会議室に集った面々。やるべきことはたくさんある。だが、何から手をつけていくべきか。


「コインブラの領主達の動向はどうか」

「表立って反抗する動きを見せる者はございませぬ。地位を保証してやれば、抵抗はいたしますまい。領地を持つウィルムの縁者に関しても、一旦は見逃すべきかと存じます。体制が整い次第、首を挿げ替えましょう」

「よし、調整についてはイルヴァンに任せる。ペリウスと相談の上、適切に処遇していくように。不満を述べるようならば、ウィルムと同じ末路を辿ると脅しておけ」


 コインブラ制圧の報せは、すぐに全土に広がっていくだろう。今後どうなるか分からぬゆえ、態度を保留する者は多いだろうが、抵抗すれば兵を向けられる。帝国への忠誠を見せて、果敢に戦うような貴族はそうはいない。領地を安堵してやれば、とりあえずは大人しくしているはずだ。


「御意。エルガー様、まずは軍の態勢を整えるべきです。赤輪軍の目標はひとまず達成できました。村に戻す者は戻し、働き手を増やすべきかと。その上で、軍を再編いたしましょう。これは直ちに行なうべきです」

「北部には代官を置き、内政に専念させるべきです。できれば、北部の事情に通じている者が宜しいかと」


 イルヴァンに続き、投降したペリウスが意見を述べる。エルガーは南コインブラの武官、文官をそのまま採用することにしている。粛清などという無駄なことをしている暇も余裕もない。使える者は擦り切れるまで遣い潰す。そうでなければ、コインブラを破滅から救うことなどできない。落ち着き次第、改めて人材は集めていくつもりだ。


「よし、防御に必要な人間を残し、民兵たちに関しては村に戻すようにせよ。赤輪軍は解散することになるが、その魂は旗印として未来永劫残り続ける。イルヴァン、彼らにはできるかぎりの報酬を渡し、当面は暮らせるようにいたせ」


 統一コインブラの紋章は、コインブラの天秤と赤輪が重なったもの。悪政を敷いた暴君を討ち払ったという象徴となるのだ。


「御意」

「若君、いえ、エルガー様。一つだけお聞かせ下さい。なぜ、そのような多額の資金を、赤輪軍がもっているのでしょうか? 北部は貧しい土地、そのような収入を得られる訳がありません。一体、如何にして?」

「いずれ、お前にも報せるつもりだ。だが、まだ話すことはできない。目の前に民を救える金がある、今はそれで良いではないか」


 言葉を濁したエルガーに、疑念を抱きつつもペリウスは引き下がった。確かに、今はそうするしかないのだから。


「分かりました。しかし、落ち着き次第、必ずお聞かせください。コインブラの復興こそ、我らの使命。グロール様も、それを望んでおられるはずです」

「……ああ、分かっている」


 エルガーは生返事をすることしかできなかった。実態を知れば、ペリウスは確実に激昂する。エルガーが敵対州に咎草を流して得た利益なのだから。他州の民を不幸に陥れて得た金と同じこと。清廉なペリウスの理解を得るには時間が必要だ。

 それに、今咎草を捨てる余裕はない。既に、貴重な収入源となってしまっている。咎草の栽培で利益を得ている農民も納得するまい。イルヴァンの、言葉が頭に過ぎる。


『咎草は禁忌の植物。用いた者と作り出した者に、安らぎと苦しみを与えます。最後に待ちうけるのは、地獄。その覚悟が、本当におありか?』


 イルヴァンとイル教徒は、種と栽培方法は伝授してくれたが、栽培には一切手を貸そうとしない。手を出したものがどうなるか、骨身に染みて分かっているようだった。使用するだけではなく、栽培した者にも害をもたらすと分かっているのだ。

 事実、エルガーはこれを手放せない。それは、末期の咎草中毒者と同じことではないだろうか。


(……いずれ、何とかせねばなるまい。だが、今はまだ駄目だ。金がなければ、復興を成し遂げることなど不可能だ)


 エルガーは、一瞬だけ過ぎった破滅の光景を追い払うように、言葉を振り絞った。


「北部の代官はナッジ、お前に任せる。補佐には慣れた者をつける故、精一杯励め!」

「へっ。お、俺ですか!?」

「そうだ。文官たちの言葉をよく聞き、民たちのためにできることをやれば良い。お前ならば、北部の民達も何かが変わると信じてくれるはずだ。勿論、できるだけの支援も行なっていく」


 逡巡するナッジだが、エルガーが本気だと知ると今までにない真剣な顔で頷いた。苦難の道だが、彼ならやり遂げるだろう。

 本当ならばペリウス辺りが適任だが、南部出身者のため反発が強い。かといって、ガディスの下にいた武官に任せる訳にはいかない。


「コインブラ南部については、税を低くし、困窮している者に施しを行なえば現状の不満は抑えられるでしょう。無理な徴兵がないと分かれば、彼らが反乱を起こすこともありますまい」

「よし。それについてはペリウス、お前が担当せよ。南部の状況は、お前が最も詳しいはずだ。思う通りにやって構わぬ」

「畏まりました」

「……それで、エルガー様。州都を二つ陥落させた以上、南北コインブラの統一はなったと言えると思います。今後、エルガー様はどのような存在として、民達をまとめていくおつもりでしょうか」


 エルガーの今後の地位について、イルヴァンは聞いているのだ。今までは赤輪軍総大将と名乗っていたが、今後はそういう訳にはいかない。王として君臨するのか、それとも新たな体制を作るのか。


「しばらくは、統一コインブラ国の代表として統治を行う。これからについては、我々を支援してくれたゲンブ公などと相談して決めねばならぬ。恐らく、反旗を翻した者と共同で帝国に対峙していく方針になるだろう。故に、彼らも独立は宣言したが、王国の樹立などは未だ宣言していないのだ」


 無論、帝国の傘下に収まるつもりなどない。最早ヴァルデッカ家の一員などとは毛ほども思っていない。だが、国王になりたいという気持ちもない。

 決起前に、ゲンブの使者からは腹案をある程度は聞いている。いずれにせよ、コインブラ奪還が上手く行かなければ全ては皮算用。先のことまで詳しく打ち合わせている余裕はこちらもなかった。ここまで早く事が終わるとは思っていなかったこともある。主導権はゲンブに持っていかれるのだろうが、それも仕方ないとエルガーは考えている。


「承知いたしました。では、ゲンブのシデン様に使者を派遣し、コインブラの奪還、そして統一がなったことを報告致しましょう。おそらく、彼らの戦いも佳境を迎えているはず」


 ゲンブはロングストーム州奪還のため、凄まじい猛攻を加えていると報せが入った。孤立無援のロングストームは為す術なく、各砦や都市が陥落し、既に州都まで追い詰められているそうだ。逆に、ギヴ、カームビズは劣勢のようだが、詳しい情報は入っていない。


「えーと、ちょっといいかな?」

「何だ、ノエル」

「うん、大事なことを忘れているんじゃないかと思って」


 先ほどから何かを言いたそうだったノエルが、手を上げて話に割り込んできた。


「そんなに慌ててどうしたというのだ。意見があるならば遠慮なく言うがよい」

「うん。また私に兵五千貸してくれるかな。ちょっと行って、バハール軍を叩いてくるから。ウィルムの援軍に来ているはずだったでしょう」

「お待ち下さい、ノエル殿! マドレスが落ち、ウィルムが処刑された以上、目的を失った彼らは撤退しているはず。それに、斥候を出し状況を調査してからでも遅くはありません。こちらから手を出して、余計な戦いをする必要はありませぬ。何より、連戦続きで兵は疲れているのですぞ!」


 イルヴァンが懸念を表明する。エルガーもその意見には賛成だが。


「バハールの人は勇敢って評判でしょ。だから、絶対こっちに向かってるよ。一戦もせずに帰るなんてありえない。あわよくば、どっかの街を攻め落として橋頭堡にするつもりかも。そうさせないためにも、有利な場所で迎撃するのが良いと思う」


 空振りに終わっても、それはそれで構わないと、ノエルは続けた。


「ならば、我らイル教徒が主力となり迎え撃ちましょう。兵は私にお預け下さい。何より、ノエル殿の隊は、マドレス攻略で最も疲弊しております!」


 イルヴァンが机を叩いて強調する。そして、こちらに訴えるような視線を送ってくる。言いたいことは分かる。ノエルに活躍させすぎると、統一コインブラ内で軋轢が生まれるということだ。ノエルの指揮の下、北コインブラ州都エベール、更に南コインブラ州都マドレスを一手に落としてしまったのだ。飛び入りの新参だが、戦果は飛びぬけて圧倒的。民、兵達からの評価も、ノエルが圧倒的なものだ。エルガーよりも指導者にふさわしいのではないかなどと、兵が述べていることも知っている。

 だから、バランスをとるためにも、自分を行かせろとイルヴァンは言っているのだ。これ以上は見逃す事はできないと。


「全然疲れてないから大丈夫だよ。皆、お日様を浴びれば元気になるし」

「失礼なことを申すようですが、貴方に決定権はありません。エルガー様、貴方が統一コインブラの指導者なのです。全ての決定権は、貴方にあります。ノエル殿でも私でもありません。どうか、正しきご判断をお示しください!」


 イルヴァンが強く促すと、エルガーは決断した。


「分かった。今回も、全てノエルに任せる。必要な物資、兵を連れて行け。他に注意することはあるか?」

「エ、エルガー様ッ!」

「えっとね。リベルダムの海軍が近づいてるかもしれないから、一応警戒したほうがいいよ。こっちは脅しに過ぎないと思うけど。試しにロイエに任せてみればどうかな」

「……ロイエにか? 流石に危険ではないのか?」


 エルガーがロイエに視線を向ける。裏切るかもしれぬと言葉には出さないが、父を殺されたのだからそう考えてもおかしくはない。


「大丈夫だよ。裏切れるような状況じゃないし。それに、船の扱いには長けてるみたいだから。きっと、名誉を回復する為に必死に働くと思うよ。ここで疑って使わないなら、使える場所なんてどこにもないよ」


 確かに、父を裏切りこちらに差し出して見せたロイエが、今更リベルダムに降るとは考えにくい。そんなことをすれば、せっかく助かった一族の者を皆殺しにされる。エルガーへの忠誠はないだろうが、義務は確実に果たすであろう。何より、ロイエの率いる兵はほぼ無傷である。


「なるほど、理に適っている。全てお前の言う通りにするとしよう。それで、出陣はいつにするつもりだ?」

「明日、陽が昇ると同時にここを出ようかな。迎え撃ちたい場所があるんだ」

「良く分かった。これで我らの方針は決定した。バハール軍迎撃にはノエル、リベルダム海軍にはロイエを向かわせる。――会議は以上で終了とする! 各自、全力を尽くして統一コインブラのために働いてくれ!」

『はっ!』




 皆が退出していき、会議室にはエルガーとイルヴァンだけが残された。その目には、怒りと不審がありありと浮かんでいる。


「エルガー様。何故、ノエル殿の意見をあれほどに重用なされるのです! お二方がご友人同士であるというのは、私もよく理解しております。しかし、兵達の中には、ノエル殿こそ指導者に相応しいと公言する者までいる有様。ここで、立場をはっきりさせなければ、統一コインブラの統治は上手くいきませんぞ!」

「それは、ノエルが信用ならないと言っているのか?」

「そうではありません。ノエル殿の代わりに、私を重用しろと言っているのでもありません。家臣たちの功績のバランスをとらなければならぬと申し上げております。確かに、ノエル殿は並ぶ者のない猛将なのでしょう。しかし、一人を贔屓し続ければ他の者が面白くありません。それが積もれば、エルガー様に叛意を持つものもいるでしょう。コインブラの紋章である天秤が如く、人の上に立つものには公平な判断が求められまする」


 エルガーは、それは良く分かっていると頷く。ノエルの意見をそのまま採用したとき、不満そうな武官、文官がいたのは分かっていた。その殆どが、南コインブラで仕えていた者たち。北部の平民出身のノエルが相変わらず気に入らないのだろう。未だにそんなことに引き摺られているのかとも思うが、長い歴史の積み重ねは、一朝一夕で改まるものではない。そういった者たちを纏め、少しずつ改善していく能力こそが、統一コインブラの指導者には求められる。

 ――だが。


「今回もノエルに任せる。我が父グロールは、ウィルムの讒言によりノエルを遠ざけ、その結果死に追いやられた。私はその轍を踏む気は全くない」

「私が私欲から讒言をしていると仰せですか! 我らイル教徒、貴方に財産、技術、そして命すらも捧げたではありませんかッ! 今更我らの忠誠を疑われるというのですか!」

「お前を頼りにしているのは確かだ。そして、これから大いに報いていくつもりでもいる。だが、ノエルを排除するつもりは全くない。ノエルの行動を遮るつもりも一切ない」

「……エルガー様、何故そこまで拘られるのです。是非、お聞かせいただきたい」

「あいつの言葉に従って滅ぶのならば本望だからだ。お前達に愛想をつかされ、寝首を掻かれたとしてもだ。私の命は、かつてノエルによって救われたもの。彼女を信じた結果、何が起ころうとも悔いはない。喜んで運命を受け入れよう」


 エルガーは、反論を許さぬ勢いで断言した。

 民たちが太陽神を、イルヴァンがイル教の神を信仰するように、エルガーも信じているだけだ。かつて自分を救い、父を見捨てず最後まで戦い続けてくれた女のことを。かつて交わした約束を忘れず、再び帰ってきてくれたノエル・ヴォスハイトのことを。

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― 新着の感想 ―
[良い点] イルヴァンの理屈は十分に分かるけどエルガーのとてつもない熱量の感情論というか宗教というか信念あるいは信頼が突き抜けていて気持ちがいいですね [気になる点] イルヴァンがこれで仕方がないと納…
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