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第四話 嘘つき狐を殺せ

 本隊と分かれ別働隊に編入されたノエルたちは、数十年前に放棄されたという砦を目指して歩いていた。

 別働隊の指揮官は狐目のネッド。口元を歪め、上機嫌な様子で先頭を進んでいる。

 若者たちは、重量のある弓と剣、それに慣れない防具に苦戦しながらも必死についていく。

 目的地は森の奥にあるということで、視界を遮る木々を潜りぬけ、でこぼこの地面に足を取られないように進まなければならない。体力は嫌でも消耗させられる。

 ミルトは大きく深呼吸した後、滴り落ちてくる汗を拭う。普段は山の中を駆けていると言うのに、足が痛みを訴える。独特の緊張感、慣れない武装が体を重くしている。

 その一方、ノエルは欠伸をしながら余裕といった様子で歩調を合わせている。 


「……おい、お前は、なんでそんなに余裕なんだよ。女の癖に、色々とおかしいだろ」


 息をつきながらミルトは話しかける。気を抜けば座り込んでしまいそうだった。


「これぐらいなんともないよ。ミルトたちが運動不足なんじゃないのかな」

「いや、絶対にお前がおかしいんだ。ほら、周りを見てみろよ」


 平然としているのは、ネッドと付き従う五人の兵士、それにノエルだけ。

 他の数十名は死にそうな顔をしており、今にもぶっ倒れそうである。疲労がありありと見える。


「倒れそうなのは今まで普通に暮らしてた人たちかな。ネッド隊長の周りにいる人たちは、こういうのに慣れてる感じだね。もしかしたら、どこぞの軍人だったりして」


 なるほどと頷きそうになったが、それだとノエルが元気なのはおかしい。どこからどう見ても軍人になど見えない。能天気で規律の欠片など全く見えない女だ。


「……それは合ってるかもしれないが、お前が元気な理由にはなってないぞ」

「えーと、私は特別だから。お日様が出てればいつも元気一杯だね」


 白い歯を見せてにっこりと笑いかけてくる。

 思わず見とれそうになったが、それを隠すように溜息を吐いて首を横に振る。


「……あー、お前と話してたらなんだか疲れてきた」

「それは大変だね」

「お前のせいだろうが!」

「ね、ところでフレッサーとクラフトはどうしたの? ずっと姿が見えないけど」

「ああ、あいつらならロックベルに向かったよ。先陣を切るとか言ってやがった。フレッサーの馬鹿が強引にクラフトを連れてったぜ」


 クラフトは嫌がる素振りをみせたが、血気に逸るフレッサーに連れていかれてしまった。普段から子分扱いされているので、逆らえなかったらしい。

 先程知り合ったゲブから、街に行けば美味しいことが待っていると散々聞かされていたようだ。今度は奪う側にまわってやると、欲望に目を輝かせていた。クラフトも最後は似たような目をしていた。

 彼らはロックベル攻撃隊の先鋒隊に志願するらしい。ミルトは制止したのだが、フレッサーは聞く耳を持たなかった。

 ちなみに他のゾイム村の若者たちは、別働隊に加わっている。


「そっか。それじゃあ仕方ないね」

「……何が仕方ないんだ?」

「ううん、別に」

「なんだよそれは。もったいぶりやがって」


 睨みつけるが、ノエルの興味は既に別のものに移っていた。


「あ、もしかしてあれじゃない? あの苔と葉っぱで一杯の汚い建物。それっぽいよね」


 ノエルが指で示した方向に目をやる。少し開けた場所に、苔で覆われた石造りの砦がそびえ立っていた。

 攻め寄せる敵を跳ね返すべき重厚な防壁は至る所が崩れ落ちている。これでは篭った所であっと言う間に陥落させられてしまうだろう。

 こんなところに一体何しに来たのか、ミルトたちにはまだ何も知らされていない。


「――お前らはここで待ってろ。俺たちが様子を見てくる。絶対に静かにしてろよ?」


 ネッドが声を押し殺して告げると、五名程が身を伏せ砦に近づいていく。周囲を警戒しながら、目を凝らして様子を伺っている。地面や瓦礫をくまなく調べているようだ。


「一体何があるのかな。誰か凄い人が隠れてたりして」

「……こんなボロくて汚い所にか?」

「だから誰も探しに来ないと思ったのかも」

「なるほどなぁ」

「私ならこんな所に隠れないけど。だって、ここまで来られたら直ぐに見つかっちゃいそうだし、逃げられない」


 ノエルはそう言って興味なさそうに木の幹に寄りかかる。

 場所は目立たない所にあり、身を隠すには居心地は良さそうだが、中を調べられたら直ぐに分かってしまう。


「じゃあお前ならどこに隠れるんだ?」

「うーんそうだね、例えば穴の中なんかどうかな」

「おい、モグラや蟻じゃないんだぞ。そんな所じゃ長く身を隠せないだろうが」

「穴だって色々な種類があるんだよ。墓穴にだけはもう入りたくないけど」


 “もう”という言葉に違和感を覚える。まるで一度は入っていたかのようだ。聞き返そうとしたが、当のノエルは目を瞑ってしまっていた。会話を続ける意志はないらしい。

 ミルトもそれ以上聞くことを止め、腰を下ろして体力回復に努める。待機している者たちも黙ったまま俯いている。

 そのまま暫く経った後、ネッドたちがようやく引き返してきた。


「よーし、全員俺の話を聞け。俺たちがロックベルに向かわず、こんな小汚い場所にわざわざ来た理由を説明するぞ」


 言葉を一度切り、ニヤリとほくそ笑んでから再び話始める。


「目的はただ一つだ。ロックベルから逃げ出した、グロールの妻子を捕らえるためだ。ここで拘束に成功すりゃ、この戦いの勝算はかなり高くなるぜ。敵さんの大事な身内を人質にできるんだからな」

「で、でも、本当にこんな場所にいるんですか? どう見てもただの廃墟にしか見えないんですが」


 一人の若者が恐る恐る尋ねると、ネッドが自信ありげに頷く。


「ここに来るまでは俺も半信半疑だったがな。それがどうだ。よーく調べてみるとここ最近の間に出入りした痕跡がある。誤魔化そうと細工はしてあるが、間違いない、確実にここにいる」

「は、はぁ」

「おいおい、何を気の抜けた返事してやがんだ。これからが本番なんだぜ? 俺たちの手でビシッと捕らえるんだ。そうすりゃ褒美はがっぽり、懐はホクホクだ。当然抵抗するだろうから、気合入れていかねぇと、簡単に死ぬぞ」

「わ、分かりました」

「びびってないで、元気出せよ? 戦いは気合だからな」


 ネッドは若者の背中を強く叩く。そして、全員を見渡した後、冷たい口調で告げた。


「女と子供は殺さずに捕らえろ。抵抗したら半殺しくらいは構わん。他の奴は容赦なく殺せ。ビビって止めを躊躇するんじゃねぇぞ」

「や、やっぱり、殺すんですか」

「殺さなきゃお前が殺されるぜ。それでもいいなら好きにしな。お前の骨は拾わねぇからよ」


 ネッドが念を押すと、若者たちは顔を強張らせながら頷いた。


「砦の内部を虱潰しに探せ。隅から隅まで徹底的にだ。倉庫や天井裏も見逃すなよ。んで、見つけたら直ぐに味方に連絡しろ。俺は入口で中の連中が逃げ出さないように見張ってるからよ。……って、おい、聞いてんのか、そこの姉ちゃんよ」

「うん、もちろん聞いてるよ。私も頑張って探すね」


 ノエルが適当に返事をする。ミルトは思わず焦ったが、ネッドは特に気にしていないようだった。


「捕まえることができりゃ俺たちが一番手柄だ。俺がちゃんと大将に報告するから褒美は期待していいぜ。おら、分かったら返事をしろ!」


 中で隠れている者を威圧するようにネッドは大声を張り上げる。それに全員が続く。


「分かりましたッ!」

「よーし、それじゃあ行くぜ。この小汚ねぇボロ砦を制圧して、グロールの妻子を拘束するッ! 突入開始ッ!!」


 ネッドが剣を抜き放ち、砦目掛けて進んでいく。その後に続いてミルトたちも駆け出していく。

 ノエルも背中の二股の槍を抜き放つと、ゆっくりと最後尾でついて行く。

 途中でふと空を見上げてみる。雲が出てきているが、まだまだ太陽は健在だ。それを確認すると、ノエルは上機嫌で足を速めていった。





 朽ちた砦――セブテム要塞に篭る若き騎士シンシア・エードリッヒは苦悩していた。

 シンシアの任務は、都市ロックベルに里帰り中の太守の妻子――サーラとエルガーの両名を護衛することだ。だが間の悪いことに、その最中にコインブラ北部で反乱が起こってしまった。

 反乱軍は勢いを増し、北部方面から州都マドレスを目指して南下してきている。その進路の途中にあるのが滞在していたロックベルだった。

 シンシアとしては一刻も早く太守の妻子を州都へと連れ戻りたかったが、ロックベルを治めるバレル伯爵がそれを認めなかった。

 娘であるサーラの身を案じたというのもあるだろうが、一番の理由はこのまま見捨てられるかもしれないと恐れたのだ。そのようなことをバレルが言うはずはないが、シンシアはそう判断している。

 故に、シンシアは妥協案として、確実に戦場になるであろうロックベルではなく、この放棄されたセブテム要塞へ避難させることを提案したのだ。この案には、流石のバレルも渋々ながら従った。

 そして州都へ使いを出し、身を隠している間に迎えを来させるための手はずも整えた。シンシアができるであろうことは全て行ったつもりだ。

 後は州都マドレスからの援軍と合流し、ロックベルから反乱軍を追い返せば済むはずだったのだ。


(……ここまでは何の問題もなかった。だが、まさかこの場所を知る者がいるとは!)


 地図から削除され、地元民でも存在を知らぬ者が多いセブテム要塞。北部からやってきた反乱軍がここに押し寄せることはありえないはずだった。

 例え知っている者がいても、ここに来る理由は全く存在しないのだから。


(それが何故だ!?)


 腕に赤い布を巻いた男たちが、砦を取り囲み、門を打ち破って侵入してきたのだ。

 シンシアを合わせて、妻子の護衛は僅か二十名。押し寄せてきた反乱軍の数は百程度だろうか。負けるつもりはないが、妻子を庇いながらの戦いとなると分が悪い。

 万が一にも彼女たちを危険に晒すわけにはいかないのだ。彼らはヴァルデッカの姓を持つ貴き者、捕らえられれば反乱軍の士気は嫌でも上がるだろう。


(サーラ様とエルガー様を捕らえるのが目的なのだろうが。しかし、あまりにタイミングが良すぎる。まさか、我が軍に内通者でもいるというのか?)


 数々の疑問は浮かんだが、ゆっくり考えを巡らせている時間はなかった。

 シンシアは応戦せず、倉庫の奥に作られた隠し通路から脱出することを決断。妻子を逃がした後は自分は留まり、時間稼ぎの囮となるつもりだった。

 倉庫の扉と近くの壁には襤褸布を貼り付け、簡単だが偽装工作も行ってはある。騙しきれるとは思わないが、暗い場所なので時間は稼げるはずだ。


「シンシア様、やはり扉が錆び付いており、入口が開きません!」

「ならば鉄槌を使って打ち壊せ! 早くしないと奴らはここまで押し寄せるぞ!」

「りょ、了解しました!」

「布を巻きつけ、できるだけ音を立てないようにしろ! 急げッ!」

「はっ!」


 シンシアが檄を飛ばして兵を叱咤する。奥で身を寄せ合うサーラとエルガーの顔は青褪めている。

 ご心配には及びませんと強がりたいところだが、無責任な言葉をかけることはできない。

 兵たちが、布を巻きつけた鉄槌で床に設けられた通路の入口を打ちつける。鈍い音が倉庫の中で鳴り響く。予想よりも大きい音に思わず顔を顰めるが、どうしようもない。地下のこの付近に敵がいないことを祈るだけだ。

 見守る兵士たちも息を押し殺しながら、手にした得物を握り締めている。饐えた臭いが鼻を突く。

 倉庫の扉に先程開けた僅かな丸い隙間から、外を伺う。暗くて様子が分からない。

 倉庫の外には大部屋があり、そこには多少の光が上の階から入っているはずだった。先程までは見えたのだから、この状況はありえない。


「……何だ? 誰か、明かりをくれないか」

「これでよろしいでしょうか」

「助かる」


 松明の明かりを隙間に翳しながら、もう一度外の様子を伺う。


「…………ッッ!!」


 シンシアは小さな悲鳴を上げ、思わず扉から飛びのいた。先程から暗闇だと思っていたものは間違いだったのだ。

 それは人間の目だ。シンシアが覗く前からずっと扉の前から中の様子を伺っていたらしい。襤褸布で覆われた扉、そこに開けられた小さな穴から。

 つまり、扉一枚を隔てて敵と向かい合っていたことになる。シンシアの身体が恐怖で粟立つ。身構えていなければ、間違いなく悲鳴を上げていた。鳥肌が立っているのが嫌でも分かってしまう。


「シンシア様、どうなされたのです?」

「――そ、外に、外に誰かいるぞッ!」

「あはは、みーつけた」


 どこか楽しげな年若い女の声が聞こえてくる。続いて扉をトントンと軽く叩く音が響く。中にいることが完全にバレている。

 木製ではあるがかなり頑丈な造りなので、扉は簡単には破られないだろう。だが、このままではまずい。扉を叩く音が、段々強くなってきている。ドンドンと鈍い音が響き、衝撃が部屋の空気を揺るがし始める。


(……どうすれば良い。このままだと応援を呼ばれてしまう。やはり、私が討って出るしかないか)


 シンシアは決断し、後ろで不安な表情の兵士たちに命令する。


「この敵は私が始末する! お前たちはサーラ様と若君を守り抜け! 私が出たら何があってもここを開くな!」

「し、しかし!!」

「ならば、私もお供しますッ!」

「ならん、我らの任務を忘れるな! いいな、直ぐに扉を閉めるんだぞ! 私のことは気にせず、急ぎ脱出しろ!!」


 剣を強く握り、重い扉を一気に開け放つ。目の前にいた人間が驚いたような声を上げて後ずさる。

 その隙を突いて扉を乱暴に閉める。中から施錠される音を確認する。部下たちは命令に従ったようだ。

 警戒しながら敵の様子を伺う。見た感じ、この若い女だけのようだ。血の様に赤い髪が妙に映える。


(若いな。まだ十代半ばといったところか。しかし、反乱に参加した賊を見逃すわけにはいかない!)


 子供を殺すことに多少の躊躇を覚えるが、直ぐに覚悟を決める。


「……ここにいるのは、お前だけか?」

「うん。見つけたのは私だけ」

「……そうか。なぜここが分かったんだ?」

「だって、そこの場所だけ、壁布に切れ目が入ってるから。よく目を凝らせば何かが隠れてるって分かるよ」


 シンシアが背後に一瞬目をやる。確かに、扉が閉められるように入れた切れ目が確認できる。しかし、この薄明かりでは遠くから判別するのは難しいだろう。

 この女は見かけによらず中々の観察力の持ち主らしい。それが命取りになるかもしれないのだから、不幸としか言いようがない。


「お前も反乱軍に属しているのか?」

「うん、一応ね。えーと、蝗の群れじゃなくて、赤輪軍って言うらしいよ。名前だけは立派だよね、うん」


 赤髪の女が呑気に笑いながら頷く。武器は二叉に分かれた長い槍。身に着けているのは皮製の胸当てだ。腕には赤い布が巻きつけられている。やはり赤輪軍を名乗る反乱軍に間違いない。覚悟を決める。


(可哀想だが、死んでもらうしかない。見逃してやれる程の余裕は、今の私にはない)


 油断を誘うために名前を尋ねる。これが最後の会話になるだろう。


「……私の名はシンシアと言う。良ければ、お前の名前を聞いても良いか?」

「うん、いいよ。私の名前はノエル――」


 呑気に話し始めるのと同時に、シンシアはノエルの首目掛けて必殺の一撃を放つ。まだ戦う態勢になっていない少女の首目掛けてだ。名誉を重んじる騎士としてはあるまじき振る舞いだが、妻子の命が最優先だ。それに相手は賊、体面を気にしてはいられない。

 左足を力強く踏み込み、歯を食いしばって両手で右斜めから全力で振り下ろす。

 鈍い衝撃が伝わると同時に、甲高い金属音が鳴り響く。


「――いきなりなんてずるいな」

「わ、私の一撃を受け止めただとッ!?」


 繰り出した剣撃は二叉の槍、その穂先で完全に受け止められていた。握り締めた両手がひどく痺れる。

 ノエルの顔が呑気な笑みから獰猛なものへとたちまち変わっていく。凝縮された殺意がにじみ出ているのを肌で感じることができる。

 今まで戦ってきた中でも、これほどまでのものは初めてだった。


(こ、こいつ、ただの賊ではないというのか!?)


 思わず及び腰になりそうになるが、気合で堪える。


「貴方を倒さないと、この中のお宝は手に入らないみたいみたい。だから、私も全力で行くね?」

「黙れ、愚かな賊めがっ! 我が正義の剣を受けよ!!」


 返答の代わりに斬撃を放つ。体格はこちらの方が上回っているのだから、強引にいけば押し潰すことができる。相手は槍なので、射程の差は肉薄することで埋めるしかない。

 そう判断したシンシアは、防御を捨てて素早い連撃を繰り出していく。


「死ねッ!」

「うわわっ、結構早いね」


 胴への斬撃が長柄で捌かれる。反動を利用して、回転しながら逆胴に薙ぎいれるが、後方に飛び退かれてしまう。

 槍持ち相手に、剣の自分が素早さで負けてしまっている。シンシアの頭に血が上っていく。


「このっ、ちょこまかと小賢しいッ!」

「ね、段々息が上がってきてるけど大丈夫? 少し休憩したらどうかな」

「私を嘲るつもりかッ!!」

「そういうつもりはないけど」


 ノエルは受けるばかりで攻撃を放とうとはしない。槍の柄で刃を受けきり、軽快な足さばきで距離を詰めさせない。

 一方のシンシアは完全に翻弄されてしまっている。剣筋が徐々に荒くなり、動きも徐々に鈍りはじめている。


「はあっ!!」

「おっとっと」


 先程から誘い込まれているような錯覚を覚える。恐らくそうなのだろう。ノエルは隙をわざと見せ、そこに打ってくると予測しての回避を行っている。

 ならばとフェイントを入れ、下腹部目掛けて素早く突きを入れる。惜しくも、刃の先端は右胴を掠めた。

 そのカウンターで、シンシアの腹部に強烈な蹴りが突き刺さっている。勢いを乗せたぶんだけ代償は大きい。


「――ッ!!」


 背中を貫かれたような激痛が走り、思わず苦悶の声を上げる。鎧が意味を成していない。堪えきれずに口から胃液が溢れ出る。

 苦痛で震える膝を石突きで薙ぎ払われ、強制的に態勢を崩されてしまう。

 慌てて立ち上がろうとしたところに、槍の穂先がシンシアの顔面に突きつけられた。

 鋭利な二つの先端が、両目に至る寸前で静止している。

 動きを止めて、息を呑む。少し突き出されるだけで、シンシアは顔面を貫かれて死ぬ。


「動いたら殺す。女は殺しちゃいけないらしいけど、私は殺す。だから、ね、大人しく剣を捨ててくれる?」

「――こ、断るッ! 賊相手に、コインブラ騎士の名誉を汚すわけにはいかぬッ!」


 どうすることもできないが、降伏だけはありえない。騎士の名誉と誇りに掛けて賊の言葉に従うわけにはいかない。

 否と大声で吐き捨てると、ノエルは困ったような表情を浮かべる。


「どうしても?」

「当たり前だ! やるならとっととやれ! 私はコインブラに殉じる!」

「あーあ、困ったな。面倒だし、本当に殺しちゃおうか。見つからなかったことにしちゃえば、誰にも怒られないし」


 片目を瞑り首を傾げているノエル。隙が生じたと判断し、腕に力を入れたところで鋭い視線が向けられる。


「ねぇ、動くなって言ったでしょう。四肢をへし折られたくなかったら大人しくしてて。半殺しまでは許可されてるんだから」

「くっ!」

「とりあえず、それは邪魔だから捨ててもらうね。うっかり油断して、突き刺されたら嫌だし」


 槍をぐるりと回したかと思うと、握っていた剣が弾き飛ばされる。あまりの早業で対応できなかった。

 最後の抵抗と、腰から短刀を抜き放とうと試みるが右手を痛打される。


「な、なんたる無様か! こんな賊、しかもこんな女子供にしてやられるとは!」


 実力で負けたことを認めることができず、シンシアは捨て台詞を放つ。


「そういう日もあるよ。次は勝てるといいね」

「き、貴様という奴はッ! 私を愚弄するのもいい加減にしろッ!!」


 激昂したシンシアが立ち上がったところで、階上から若い男が降りてきた。


「お、おい。なんかとんでもない怒鳴り声が聞こえてきたけど、何かあったのか? ――って、なにしてるんだお前は!」

「ミルト、いいところに来たね。ちょっとこっちを手伝ってくれる? シンシアって名前の女を見つけたんだけど」

「ほ、本当かよ! まさか、お前が戦って捕まえたのか?」


 警戒しながらミルトが恐る恐る近づいてくる。


「今勝ったばかりだよ。ほら、早く手伝って」

「わ、分かった」

「長めの縄なんか持ってないよね?」

「あー、手持ちにはないな。誰か持ってる奴を探してくるか?」

「じゃあこの赤布を使って後ろ手で縛ろうよ。ないよりはマシでしょ」

「お、おう」

「離せっ、この賊どもが! 私に汚らしい手で触れるな!」


 シンシアは抵抗するが、槍の穂先が向けられているのでどうしようもない。

 ミルトによって、後ろ手に縛り上げられてしまった。

 今できるのは中にいる者たちが無事に逃げられたことを祈ることだけだ。


「くそっ」

「これで完了だね」

「……ところで、この女騎士は、本当にお前に負けたのか? 一応騎士なんだろ?」

「そうだけど」

「…………なんだかなぁ。お前に倒せるぐらいだから、騎士ってのも案外大したことないのか?」


 ミルトという名の青年が無遠慮に見下ろしてくる。こんな素人の娘相手に負けたのかと言わんばかりの、呆れたような視線だ。

 シンシアの顔が恥と怒りで赤く染まり上がる。だが、何を言っても言い訳になるので歯を食いしばる。


「結構強かったから、ミルトだったら死んでたかも。多分最初の一撃で真っ二つだね。或いは、すぱっと首を刎ねられてるかも」

「う、うるせぇな。俺は剣なんてほとんど使ったことないんだから――」


 ちょんちょんとミルトの首を突き始める。つーとそれを横に走らせると、ミルトの背中に鳥肌が走った。


「やめろっての! それより、どっかに子供もいるんだよな? ……あれ、女の名前はサーラじゃなかったっけか」

「この扉の向こうに隠れてるみたい。蹴破るのは大変そうだから、ネッド隊長に報せた方が楽だよね」

「よし、じゃあ俺が報せてくる。お前はこの女騎士様を見張っててくれよ」

「皆には内緒にしないと駄目だよ。私たちが見つけたんだから。大勢になったらご褒美が減っちゃうからね」

「分かってるよ」

「じゃあ宜しくね。そうそう、ゾイム村の皆にはお裾分けするから大丈夫。独り占めはよくないよね」

「そりゃあ、優しいことで」


 ミルトが苦笑しながら階段を駆け上がっていく。場にはシンシアとノエルが残された。


「……それにしても、ここは暗くて嫌なところだね。かび臭いしお日様も見えないし」


 ノエルは槍を抱えて、シンシアの隣に座り込んだ。


「…………」

「…………」

「……ねぇ」


 沈黙に飽きたノエルが声を掛ける。

 シンシアは両目を瞑り、沈黙を貫いている。


「ね、シンシアは女騎士だけあって強いよね。さっきなんてお腹突かれるところだったし。危なかったよ」

「…………」

「ねぇねぇ、一つ聞いても良い?」

「…………」

「あはは、やっぱり駄目か。それじゃあ、仕方ないね」


 ノエルは少し悲しそうに笑って、勢いをつけて壁にもたれかかった。

 


「ネッド隊長、こっちです」


 暫くすると、三人の男を引き連れてミルトが戻ってきた。

 黒髪を面倒くさそうに掻きながら歩いているのは、ネッドと呼ばれた狐目の男だ。


「おう、姉ちゃん。偉そうな女騎士を見つけた上に、ぶっ倒したんだって? お手柄じゃねぇか」

「シンシアって名前らしいよ。この奥からいきなり出てきたの」


 ノエルが襤褸布で覆われた扉を指で示す。

 ネッドが頷くと、部下二名に扉を破壊するように指示をだす。


「よし、遠慮はいらねぇからぶっ壊せ。中には多分いねぇだろうが、一応警戒しながらやれ」

「はっ!」


 了解した部下たちが鉄槌を持って、扉に叩きつけていく。

 会話を聞いていたシンシアは顔を顰める。


(何故中に誰もいないなどと分かる?)


「実はよ、お前らには黙ってたんだがこの砦には隠し通路があるんだ。んで、中のネズミを追い立てるためにお前らを送り込んだのさ。秘密の出口には既に俺の手勢が待機済みってわけよ。全員で入ったと見せかけたのは偽装ってことだ」


 ネッドは砦の中に全員で入った後、予め指示を出していた人間を下がらせ、隠し通路の出口へと移動させていた。

 中で捜索にあたっていたのは、別働隊の半分程だ。ノエルも勿論知らされていなかった。


「な、何故貴様が隠し通路のことを知っている!?」

「へっ、なんでだと思う? 実に不思議だよなぁ。ま、太陽神のお告げってやつじゃねぇかな」


 ネッドが嘲るように口元を歪める。

 シンシアはその表情を見て、ようやく思い出した。自分はこの男を見たことがある。髪の色は茶から黒に変わっているが、間違いない。


「あれ、それじゃあ、私たちのご褒美はなし?」

「太守婦人とそのご子息を捕らえたのは俺の采配の賜物だからな。一番手柄は、当然このネッド様だ。ま、旨い飯くらいは全員に奢ってやるよ」

「ずるい」


 ノエルが口を尖らせる。


「そう、大人はずるいのさ。へへっ、お前には、少し色をつけてやるからそれ以上拗ねるな」


 上機嫌に笑い飛ばすと、ノエルの頭を撫でている。

 と、木片が散らばる音が室内に響く。倉庫に繋がる扉が、遂に破壊されてしまった。


「ネッド隊長、やはり中には誰もいません!」

「隠し通路の入り口を発見しました。ここから逃げ出したようです!」

「ご苦労さんだな。追う必要はねぇぞ。ちゃんと待ち伏せしてるからな。じゃあ、この女を始末してさっさと合流するか。梃子摺ってるかもしれねぇし」


 ネッドが大きな欠伸をした後、腰の剣に手をやる。


「……ネディケス?」

「…………あ?」

「貴様、かつてコインブラ軍にいたネディケスだろう! その特徴的な狐目と卑しい面構え、髪の色を変えても一目で分かるぞ!」

「誰なんだよ、てめぇは」


 ネッドが怒気を発するが、シンシアは怯まない。


「三年前、軍の金を持ちだし逃走した貴様を、私の隊は追っていたのだ! バハールに逃げ込んだところまでは掴んでいたものを」


 後一歩というところで、隣接するバハール州に取り逃してしまった。バハールにまで立ち入るのは政治的問題となるため、その後はウィルム将軍の手に委ねるという形で収まった。拘束する依頼は出してくれたようだが、解決には至らなかった。

 バハール軍に入ったという噂も流れていた。コインブラとバハールの極めて疎遠な関係を考慮すると、信じるに足る情報だった。


「あー、なんのことか分からねぇな。てめぇの勘違いだろ」

「黙れ! 十人長という地位にありながら、軍の金を横領するなど言語道断だ! 第一、何故貴様が反乱軍に参加しているのだ!? 民の代弁者を名乗るような殊勝な人間ではあるまい!!」


 深く溜息を吐きながら、目元を手で隠すネッド。見守るノエルとミルトは何がなにやら分かっていない。


「隊長、どうします?」

「何が、“どうします”なんだ?」

「いや、この女、さっきから余計なことをペラペラと」

「どうせ殺すんだから気にすることはねぇよ。ま、さっさと黙らせるに越したことはねぇがな」


 部下らしき男の言葉を聞き、シンシアは目を吊り上げる。どこかで聞いたような独特の訛りがある。そう、これはバハール訛りだ。コインブラ人とは違い、発音に癖がある。


「貴様、その訛りはバハールの……。ま、待て、なぜコインブラの反乱に、バハール人が加わっている!?」


 怒声を上げるのと同時に、頭の中に疑問が何個も浮かんでくる。


「あ、いや、俺はバハール人なんかじゃないぜ。全然違う。ねぇ、ネッド隊長」

「この馬鹿野郎が。そんなに動揺したら肯定してるのと一緒だろうが」


 ネッドはそれを見て、疲れたように首を横に振る。面倒くさいことになったという表情だ。

 シンシアは驚愕で目を見開く。


「まさか――」

「おいおい、それ以上はやめとけよ。何の罪もない、哀れな道連れを増やしたいのか?」


 剣を向けて脅してくるが、溢れ出す言葉は止まらない。


「この反乱の裏にはバハール軍がいるのか! コインブラの民たちを煽動したのは貴様らバハール人なのか!?」

「あーあ、全部言っちまったよ」

「こ、この卑怯者どもめが、恥を知れッ!」


 シンシアは歯を剥き出しにして怒鳴り散らす。自慢の金髪が逆立つほどの怒りを覚えている。


「うるせぇよ、馬鹿女が!」

「ぐあっ!」


 顔面に蹴りを入れられ、埃が積もる石床に倒れこむ。顔から血が流れるが、気にしてはいられない。真実が分かった以上、最後の最後まで戦わなければ、死んでも死に切れない。

 この情報を何としても太守グロールに報告しなければ。これはただの反乱ではない、仕組まれたものだ。


「てめぇの馬鹿な発言のせいで、死体が二つ増える羽目になったんだぜ? 本当に救えねぇ女だ」


 ネッドが手で合図すると、部下二名が剣を抜きノエルとミルトに近づいていく。

 ミルトは青褪めて後ずさりしていく。


「え、ど、どうして? 俺たちは仲間じゃ」

「悪いな、ノエルにミルト……だったか? この馬鹿女が余計なことを言ったせいで、お前らには死んでもらわなきゃならなくなった。恨むならそいつを恨めよ」

「どうしてです!? 俺にはなんのことか分からないし、それに絶対に喋りませんよ!」

「知られるだけでまずいこともあるってこった。噂ってのはよ、広まる時はあっと言う間だ。証拠なんてものは必要ない。信じるか信じないか、それだけだ。赤輪軍は所詮は寄せ集めの集団、何が切っ掛けで崩壊するか分かったもんじゃねぇからな」

「だから殺すんだ。大人って本当にずるいよね」


 ノエルが無表情で問いかける。ミルトとは違い、殺されることへの恐怖を伺うことはできない。


「そういうこったな。ご褒美がこんな形になっちまって、本当に悪いと思ってる。お前たちの墓はちゃんと作ってやるから、許してくれや」

「ま、待て!」

「てめぇの墓はねぇぞ。嬲って嬲って嬲りつくしてから八つ裂きだ。罪のないガキを二人も殺すんだから、当然の報いだろ」


 ネッドは吐き捨てると、やれと短く命じた。

 二つの白刃が薄暗い部屋で煌く。降りしきる赤い血飛沫。濃密な臭いがあっと言う間に充満していく。苔むした石床が赤黒いもので染まり始める。


「長話で思わず寝ちゃうところだったね」

「え、え、え?」

「ね、大丈夫、ミルト? 目がぐるぐるしてるけど」

「――お、俺は、まだ無事なのか?」

「無事といえば無事だけど、この人たちは首がなくなっちゃったね。ほら、これ見てよ」

「う、うびゃあああっ!!」


 目の前の惨状を確認すると、ミルトは奇声を上げて尻餅をついた。


「面白い声だね。ね、それってどこから出してるの?」


 ノエルが気楽に話しかけている。

 シンシアは何が起きているのか一瞬理解できなかった。

 男たちが剣を振りかぶった瞬間、ノエルが間をつめて、槍を一閃させたのだ。その軽い一振りで、男たちの首は刎ね飛んだ。残っているのは血を滴らせるだけの胴体が二体。


「……冗談にしては笑えねぇよな、この状況は」

「そうだよね。でも、仕掛けてきたのはそっちだし。仕方ないよね」

「……ったく、こんなところに化物がいるとはな。本当についてねぇ。ついてねぇよ。あー、糞ったれ、本当についてねぇ!!」

「私は化物じゃなくて、ノエル。ね、良い名前でしょ?」

「いやがるんだよ。この世界には俺たちの考えがおよばねぇ化物って奴がよ。いきなり、何の前触れもなく哀れな羊の前に現れやがるんだ。誰が作り出したのかは知らねぇが、因果なもんだぜ。――ったく、本当に迷惑極まりねぇぜ!!」


 ネッドが左手を前に突き出して、ノエルへと驚くべき速さで詰め寄ろうとする。左手は捨てるつもりなのだろう。まさしく捨て身の攻撃。それほどまでの決意で突撃したネッドを待ち構えていたのは、無慈悲な一撃。

 ――二又の槍の投擲だ。澱んだ空気を切り裂いて、鎧を貫き肉と背骨を抉っていく。


「グぇッ」


 呻き声と臓腑を撒き散らしながら、ネッドは側壁に磔けられた。下半身が引き千切られている。自分の惨状を見下ろすと、特徴的な狐目が絶望で見開かれる。幸か不幸か即死できなかったのだ。

 ノエルが鼻歌交じりに歩み寄っていく。ぶち撒けられた臓腑の上を優雅に歩きながら。ピチャピチャと跳ねる音が、やけに耳に残る。


「つ、つい、て、ねぇ。て、手柄を、狙って、来たっての、に」


 ネッドが掠れた声で愚痴る。こんなはずではなかったと。栄達と保身を求めてバハールに逃亡したのに、こんな結末に至るとは予想外も甚だしい。


「勝つ側についても幸せになれなかったね」

「あ、頭は、使ったが、む、無理、だった、な」

「ゲブの言ってたように、勝ち続けても駄目なのかな」

「さ、さぁな。せ、精々、気張、れ、よ。こう、なりた、く――」


 最後まで言い切ることなく、ネッドは事切れた。頭が力なくがくんと前に落ちる。コインブラを裏切り、バハールについた野心に溢れる男の呆気ない最期だった。

 ノエルは槍を壁から引き抜くと、ネッドの屍が床へと倒れこむ。その断面を見てしまったシンシアは思わず目を背けた。


(……これは、悪夢なのか?)


 助かったというのに、シンシアは生きた心地がまるでしない。次は自分の番だという気がしてならない。冷たいものが背中を伝う。

 何かを口に出そうと思うのだが、言葉にすることができない。口の中がひどく乾く。心臓が激しく脈動する。無意識に身体が震えてしまう。

 悪夢の元凶、返り血を浴びたノエルは真っ赤に染まっている。

 懐から手帳を取り出すと、筆で斜線を引いている。


「これは違ったと。やっぱり、幸せになるって難しいね。一人で探すのは、本当に大変だ」


 ノエルはそう呟くと、嘆息しながら手帳を閉じた。

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