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第三十七話 幸福を掴んだ女

 ロックベルを発ったノエル率いる六千の軍勢は、カナン街道を西進し一路マドレスを目指す。勇敢な貴族が自らの兵を率いて無謀にも突撃してくるという事態もあったが、ノエルは軽く撃退してその兵を吸収した。愚かな貴族は、リグレットの指示により火炙りの刑に処された。


「立場が逆になるというのも、変な感じだね」

「まさか、慣れ親しんだマドレスを攻めることになろうとはな」


 そう、この進路はかつてリスティヒが率いた赤輪軍と同じなのだ。異なるのは、南コインブラ軍が迎撃に現れなかったこと。勢いに乗る赤輪軍と、正面から衝突するのは分が悪いとウィルムは判断したのかもしれない。マドレスで篭城し援軍を待って挟撃を図るのが狙いだろう。

 攻城戦においては、兵の数が同数ならば守備側が圧倒的に有利だ。更に守っていれば、バハールやリベルダムからの援軍も見込める。城下の民の犠牲は避けられないが、指揮官としては正しい判断だろう。


「ウィルムはやっぱり篭城の構えか。リグレットの言った通りだったね」

「当たり前です。あの男が討って出るなどという博打をする訳がありません。むしろ、民を人間の盾にすることも厭わないでしょう。」

「それは言いすぎではないのか。ウィルム将軍――いや、ウィルムは敵とはいえ、太守なのだ。自らの民にそのような真似を」

「シンシア様。いい加減、敬称をつける癖を改めたらどうなんです? あれは敵なんですから。ああ、身内の私に遠慮されなくても結構ですよ」


 リグレットが嫌味を交えてシンシアに注意する。一言、二言多い癖は相変わらず直っていない。ノエルは面白く聞いているが、敬遠する人が多いのは当然だ。ウィラ島の皆は、まぁそういう性格なのだろうと受け入れてくれたが、殆どの人間は敬遠する。これでも少しだけ棘が取れたのだが、誰もそうは思わないらしい。バルバスが声を大にして『前と変わってねぇどころか、悪化してやがる!』と叫んでいた。


「ああ、すまない。リグレット殿の言う通りだ。ウィルムは憎むべき敵。以後気をつけるようにする」

「それでいいんです。なに、心配はいりません。あらゆる事態に備えてあります。あの寂れた島でひたすら考えぬきましたので」

「私とリグレットで兵棋演習をやってたんだ。えっと、千回ぐらいやったっけ」

「1257回です。ちなみに、貴方がイカサマをした回数は124回ですね」

「戦っている時に、大地震や、雷の雨が降るとか、竜巻が起こるとか、そういうこともあるかなーって」

「ある訳あるか、この馬鹿ッ!」

「あはは、また怒ってる。指揮官が怒るとろくな事がないんじゃなかったっけ?」

「アンタが怒らせているんでしょうが!」


 怒り出したリグレットを放っておいて、シンシアに今までやってきたことを説明する。いわゆる暇つぶしに。

 ウィラ島にいたとき、ノエルとリグレットはいかにしてコインブラを奪還するか考えていた。それはもう三年間、みっちりと考えて考えて考え抜いた。ノエルは釣りとか泳ぎとか漁とか遊びに忙しかったのだが、リグレットは負の感情丸出しでひたすら机に向かっていた。

 北コインブラをいかに落すか。万が一落せなかった場合の対処は。落せた場合、南コインブラにはいつ攻め入るべきか。討って出てきた場合、篭城してきた場合、城を放棄して逃げ出した場合。それぞれどのように対処するのが最善か。ゲンブ州からもたらされる情報をもとに、計画に修正を加えていく。

 ちなみに、ウィルムが討って出てきた場合は、散々おびき寄せた後、海上から奇襲を仕掛けるつもりだった。ウィラ島の皆は、出番がなくなったと残念がっていた。


 ノエルにとっては、考えるのも楽しい遊びの一つだったが、リグレットはそうではなかったようだ。目元にくまをつくり、髪がぼさぼさ、時折奇声を上げながら深夜まで考え抜いていた。全ては、憎むべき父――ウィルムへの復讐のために。たまたま起きてしまったノエルは盛大に拍手をして褒めてあげたのだが、凄まじい舌打ちを頂いた。


「……そこまで考えていたとは。赤輪軍の方針は、ほどんど若君とイルヴァン殿が計画を練り上げたものだ。……ただ剣を振るうだけの自分が恥ずかしくなる」

「役割分担も大事だよ。皆が考えて勝手に行動するようになったら、軍がバラバラになっちゃうでしょ」

「確かにと思ったが、お前が言うな。自分で考えて勝手に行動しているではないか」

「あはは、私はいいんだよ」


 ノエルは舌を出して誤魔化した。すると、シンシアが小突くフリをして、小声で話しかけてくる。


「ところで、リグレット殿との関係はどうなんだ? 以前よりは良好に見えるが」

「友達じゃないけど、大事な友達なんだ。いないとなんだか物足りないし。かけがえのない副官だね」

「……そうか。良く分からないが、良かったな」


 シンシアが呟くと、隣でわざとらしい咳払いが聞こえる。リグレットだった。


「くだらないことを言っていないで、シンシア様に今後の方針を説明されたらどうです」

「そうだね。えーと、マドレスは力攻めで短期間で落すよ。じゃなきゃ急戦の意味がないしね」

「……それは、流石に無理があるだろう。マドレスに篭っている敵は少なく見積もっても五千はいる。各地から兵をつのっているから、更に増えているはずだ。多分、一万はいるぞ。それに引き換え、我らは六千だ」

「数だけなら不利かもね。それでも城に篭ったってことは、正面きって戦いたくないんだよ。士気なんてないようなものかもね」


 ノエルは密偵からの報告で、大体の状況は掴んでいる。熟練の兵は遠征でこの地にはいない。即席で数だけは揃えたのかもしれないが、劣勢に追い込めばすぐに瓦解するだろう。いてもいなくても同じようなものだ。


「それに、マドレスは二つの壁に囲まれた堅城。城下町を囲む外壁を突破しても、本城を囲む内壁が備わっている。港があるから、兵糧攻めも通用しない。無策で攻めかかれば、こちらの被害は凄まじいぞ」


 シンシアが懸念を示すと、リグレットが鼻で笑う。さすがのシンシアも怒ったようで、顔を赤くして睨みつけている。


「何がおかしいのかリグレット殿! 私はありのままを話しているつもりだが!」

「そんなこと、今更説明されるまでもなく分かっていますよ。私も一応、コインブラの軍人だったので。どこぞの白髪猿じゃあるまいし、しっかりと考えているに決まっているでしょう」

「そうそう心配いらないよ。リグレットは性根が捻じれてるからね。相手の弱みを見つけるのが本当に得意なんだ」


 舌打ちの後、リグレットが咳払いをして話し始める。


「……ゴホン。馬鹿のことはさておき。既に手は打ってあります。我々がマドレスに到着すると同時に、策は発動するでしょう」

「策、だと? もう、何かやってあるというのか」

「それは見てからのお楽しみ、ってやつだね。ヒントは、バルバスと白蟻党がいないことかな。うーん、皆、一体どうしたんだろうね。もしかして、散歩かなぁ」


 きょろきょろと周囲を見回してから、棒読み口調でおどけてみせる。


「さっき、お前が警戒に出したのでは……」

「敵を騙すには、まず味方からってね。それじゃ、マドレスに向かおうか!」


 ノエルは兵から旗を借りると、馬の上で元気に振りかざした。ノエル隊行軍歌が聞こえてくる。もう皆覚えてしまったようだ。天気も良いし、実に良い感じである。

 

 


 

 ――南コインブラ州都、マドレス城前。

 城壁には南コインブラ兵が隙間なく立ち並び、こちらに向かい弓を向け構えている。普通ならば、投石機、攻城櫓、破城槌を用意して攻めかかるのだろうが、そんなことはしない。時間もかかるし、住民達に犠牲もでる。後の事を考えると、速攻で落としておきたい。リグレットと一致した考えだった。


「策があるのは分かったが、どうするつもりだ? まさか、今から投石機を用意する気では――」

「まぁ、見ててよ。シンシアもきっと驚くよ!」


 突撃陣形を敷いた六千の赤輪軍、その前方に単騎で躍り出るノエル。全員の目が集中する。既に弓の射程内。敵の指揮官が剣を掲げて、発射する態勢を整える。

 ノエルは馬上から二槌の旗を地面に突き立て、突撃ラッパを全力で吹き鳴らした。

 ――その瞬間。南方面の城壁が轟音とともに吹き飛んだ。そして、城壁内から吹き鳴らされる突撃ラッパ。城壁には、二槌の旗が上がり、雄叫びを上げた兵士達が、弓兵に襲い掛かる。


「な、何事だ!?」

「――よし、突入しよう。リグレット、全軍に合図を」

「言われなくても分かってるわよ!」


 リグレットが突撃ラッパを吹き鳴らす。敵同様呆然としていた兵たちが、慌てて命令にしたがい進軍を開始していく。


「ま、まさか、今のはバルバスと白蟻党か!?」

「そういうことだね。ほら、ウィルムは兵を掻き集めて城に篭ったって言ってたでしょ。その時に、もぐりこませたんだよ」

「潜りこませた?」

「こっちも寄せ集めだけど、それは相手も同じ。いきなり兵が増えたら、誰が敵か見抜くなんてまず無理だもんね。多分、こっちにも密偵はいるんだろうけど、失う物はあちらの方が大きいかな?」


 ノエルは城門に陽動のため一隊を進め、崩壊した南城壁には主力を突撃させる。城壁にいた弓兵達は、内部からの攻撃で混乱状態にある。いまなら、城門に圧力を掛けられる。無理攻めではなく、相手の目を逸らすためだ。守備兵すべてを南城壁に配置されては、なんの意味もない。


「こんな策を用意していたとは。しかし、城壁はどうやって」

「燃焼石っていうんだけどね。鉱山の崩落事故の原因だよ。後で見せてあげる」

「そうか、これでカルナスを……」

「でも、もう二度と通用しないかな。多分、こんなに上手くいくのはこれで終わり。だけど、出し惜しみしてても仕方ないもんね。――さ、私達も行こう」

「そうだな。よし、いくぞ!」


 ノエルとシンシアも、手勢を連れて南城壁に突入を開始した。リグレットはその場に留まり、あるものの設置にとりかかる。コインブラにおけるノエルの悪評の源、火炙りの処刑台である。それを百個、城に見せ付けるように設置し、大きな薪に火をつける。

 これを目撃してしまった城兵たちはたちまち動揺し、雪崩をうって潰走しはじめた。指揮官ですら剣を投げ捨て我先にと逃げていく。


 先の戦いにおいて、ノエルは最後までバハール軍に抵抗を見せた。そして、グロールを裏切り攻撃を仕掛けてきた貴族連中を、大量に火炙りで処刑している。その話は尾ひれがついて、コインブラだけでなく近隣の州にまで流れていた。コインブラの悪鬼は、かつての恨みを忘れず、復讐のときをウィラ島で待ち続けていると信じられていたのだ。

 その、ウィラ島に封じられているはずの悪鬼が、いきなり目の前に現れ、しかも処刑台まで用意してみせた。次に火炙りにされるのは、お前らだという脅し。効果は覿面であった。


「やめて欲しいって言っても、聞かないんだよね。絶対に有用な策だって」

「……敵兵が本物の悪鬼を見たような顔をして逃げていったな。驚くほど、効果抜群のようだ」

「楽に勝てるのはいいけど、本当に複雑なんだよね。私は城壁を吹き飛ばすだけで良かったと思うんだけど」


 何が嫌かというと、子供たちが脅えてしまって、遊んでくれるようになるまで時間がかかるということだ。近づいただけで泣き叫ばれるというのは、中々堪えるものである。


「まぁ、いいではないか。お前も言っていたが、要は勝てば良いのだ」

「他人事だと思って」


 ノエルが膨れていると、剣戟鳴り響く城下から、部下を率いたバルバスが豪快に笑いながら近づいてきた。


「隊長、上手くいきましたぜ! いやあ、景気良くぶっとびましたッ! まさに気分爽快、大爽快って奴で!」

「親方ときたら、在庫の燃焼石半分以上つかっちまって! 後で困るって言ったんですが!」

「失敗でもしたら白蟻党の名折れだろうが! 任された仕事は絶対に成し遂げる、それが職人ってやつだろう!」


 ふんぞり返るバルバス、ノエルは手を叩いて褒め称える。


「大手柄だね、バルバス。後で手作りの勲章を上げる!」

「へへっ、ありがとうございます! あ、できたら、ゲンブの酒もちょいと頂けたら」

「もちろんいいよ。バルバスや皆のために取ってあるから。後で大宴会だね!」

「ありがとうございます! よーし、野郎ども! 一気に城下を制圧するぞ!」

『おう!!』




 マドレスの内側から猛攻を加え、ノエルは城門を奪取。城外の兵を城下へと入れることに成功した。城下町にある教会に本陣を移し、散発的に抵抗を見せる守備兵の制圧に掛かった。住民達は戦いに巻き込まれることを恐れ、住居に篭ったままだ。避難しようにも、彼らに行く場所はない。ノエルは全住民の安全を保証するとともに、一切の略奪の厳禁を命じた。

 ノエルの攻勢はまだ止まらない。隊列を整えさせると、港と本城へ向け進軍を開始した。

 ――が、流石に落ちなかった。確かに勢いはあるのだが、守りを固める敵を崩せるほどではない。兵の顔には疲労も目立つようになってきた。バルバスは燃焼石で、本城を吹き飛ばすことを提案してきたが、ノエルは却下した。


「同じ戦いで、同じ手は使わない。それを利用する手はあるけれど、今回はやらない。それに、燃焼石がもったいないもんね」


 まだ在庫はあるとはいえ、本城を囲む内壁を吹き飛ばすとなれば相当の量が必要となる。今後の戦い、一番重要な戦いに備えてとっておきたい。それに、あれは若君とシンシアの大事な城。家のようなものだろう。できれば、形をとどめたまま占領したい。できればだが。

 どうしても無理なら、盛大に吹き飛ばす事にする。綺麗さっぱり、後腐れなく。城内の人間も皆殺しにしてしまおう。ウィルムに近しい人間が殆どだろうから、あまり気にする事もない。


「しかし、あの様子じゃ本城を落すにはかなりかかりそうです。ウィルムの野郎、守りをがちがちに固めてやがる。まともに攻めたら死人の山ですぜ」

「うーん、戦争だから仕方がないんだけど。でも、無駄な犠牲は少なくしたいよね。最低でも港は落せると思ったんだけど」


 ノエルの計算では、すでに制圧できているはずだった。いくら練り上げても、計画通りには進まないものだと改めて認識した。

 現在はシンシア率いる隊が攻勢を掛けているが、敵がかなりの抵抗を見せている。狭い通路に障壁を築き、少ない兵で効率的に守っているのだ。兵糧、そしてリベルダムの援軍が来るかもしれない大事な軍港。なんとしても死守したいのだろう。だからこそ攻め落としたいのだが。


「私がちょっと行って落としてこようか。犠牲は出ると思うけど、戦争だから仕方ないし」


 犠牲がでるのは止むを得ない。できるだけ減らすのは当然だが、恐れるあまり目的を達成できなければ意味がない。指揮官に必要なのは、最小限の犠牲、最大の効率で目的を達成すること。

 死んでいった兵の命、意志は全て背負っていくつもりだ。だから、出来る限り前に出て行きたい。当たり前だが、死ぬつもりはない。


「貴方は一応指揮官なんですから、あまりほいほい動かないでください。目障りなんで」


 リグレットがしゃしゃりでてきた。さっきまで外にいたのに、いつの間にか中に来ていたらしい。


「でも、時間を掛けてるとまずいよ。分かってるとおもうけど」

「それは勿論です。時間を掛け過ぎればバハールからの援軍が到着します。それに、追い詰めすぎると、ウィルムは何をするか分かりません」

「あの臆病者が何をするってんだ。ただ城に篭ってるだけじゃねぇか」

「もしこのまま攻勢を掛けて、バハールの援軍が来る前に落ちると判断したら。あの糞虫は確実に城下に火を放ってくるわよ。多分、密偵を赤輪軍に忍び込ませてるはず。住民を装っている可能性もある。で、阿鼻叫喚の大混乱に乗じて逃げだすっていう寸法ね。運良く私達が焼け死んでくれれば万々歳」

「おい、まさか、そこまではしないだろう! てめぇんとこの民じゃねぇか!」

「この首を賭けてもいいわよ白髪猿。私なら絶対にやる。私がやるということは、あの糞虫もやるってことよ」

「おいおい、すげぇ説得力だな。思わず感服しちまったぜ。ぐぅの音もでねぇや」

「それはどうもありがとう。有難くて涙が出そうよ」


 売り言葉に買い言葉。いつもの応酬が繰り広げられる。


「褒めてねぇからな。誤解されてると、俺も気分が悪い」

「それも知ってるわ」


 軽蔑した視線を向けるバルバスに、口元を歪めて答えるリグレット。眼鏡がいい感じに輝いている。折角なので、ノエルも眼鏡を掛けてみた。リグレットが呆れたような視線を送ってくる。


「で、どうしますか。ノエル閣下。指揮官として、適切な命令をお与えくださいませ。今より偉くなりたいならですけどね」

「では、リグレット参謀。貴官の思うようにやりたまえ。何か考えがあるのだろう? 全責任は私が引き受けよう。このノエル・ヴォスハイト、逃げも隠れもせぬ」


 ノエルは偉そうにふんぞり返って指示を出した。言葉遣いは偉そうなのだが、本人がふざけているので、周囲の兵からは笑いが漏れる。中には、ノエル閣下万歳と叫んでいるお調子者もいた。


「ちょっと、馬鹿共が調子に乗るからやめなさい! これ以上の馬鹿はいらないのよ!」

「ひどいな。自分が最初に閣下って呼んだくせに」


 ノエルは遺憾の意を表明しておいた。


「私はいいのよ。馬鹿じゃないから」

「そうかなぁ」


 疑問を呈したノエルを、リグレットがきつく睨みつける。それを宥めるように、白蟻党の兵が話しかけてくる。


「あの、考えって結局何なんです? 俺たちに協力できることがあれば喜んでお手伝いしますが。隊長のためなら何でもやりますよ!」

「ふん、残念ながら、今度はアンタたちの出番はなしよ。アイツと話せるのは私くらいでしょうからね」


 手を邪魔臭そうに振るリグレットに、バルバスが口を挟む。


「……あ? アイツって誰のことだよ。まどろっこしい、とっとと教えやがれ」

「マドレスの港を守っているのは、南コインブラ将軍のロイエ・グランブル。一応、私の弟にあたる人間ね。まぁ、因縁の相手ってことよ」





 ――その日の夜中。マドレス港。

 ロイエは夜も守備に就く兵に声をかけながら、即席で作られた天幕へと向かう。この港を守るのは、ロイエが将軍になってから手塩にかけて育てた兵たちだ。装備も充実させ、十分な報酬も与えている。州の状況は非常に苦しかったが、もしものときに備え精鋭を作り出したのだ。大陸に送り込もうとする父を説得したのもロイエである。いずれ、確実に反乱が起こる事が分かっていたからだ。


「……しかし、堅城を誇るマドレスがたった一日で外壁を破られるとは。コインブラの恥辱の歴史に、新たな1ページを加えてしまったということか。父上もさぞ怒り狂っていることだろうな」


 ロイエは自嘲する。こんなはずではなかったのだ。グロールさえ排除すれば、コインブラは良くなるはずだった。だが、現実はどうだ。あの頃よりも悲惨ではないか。見返りの少ない遠征に人と金を取られ、残ったのは荒れ果てた領地ばかり。しかも、帰還した兵たちから疫病が蔓延。貧しい者達を中心に、大きな被害を被っている。栄養状態が悪いものほど、死にやすい。裕福な貴族はほとんどが死に至らないため、住民達の憎悪は著しく悪化した。


(……シンシア殿は、きっと若君と共に赤輪軍にいるのであろうな)


 ロイエは、騎士道精神に溢れる女騎士を思い浮かべる。幼馴染の彼女は、ロイエの誘いを断り、敢えて貧しい北コインブラへと赴任した。エルガーの世話をするためである。裏切り者に仕えるという恥を押し殺したのは、亡き主グロールへの恩を返すためだったのだろう。彼女は自分の道を選び、歩いている。

 それに比べ、ロイエはひたすら父ウィルムの言いなりに動いてきた。そうしなければ、リグレットのように見捨てられる。見捨てられれば、今の地位を失ってしまう。だから、そうしてきたのだ。輝かしい未来を手に入れるためならば、自分を押し殺すぐらい訳はない。そう思ってきた。


(だが、それがどうだ。この有様が、本当に私の望んできた未来だったというのか)


 ロイエは苦戦を伝えてくる報告書を握りつぶすと、乱暴に投げ捨てた。

 そこに、挨拶を述べてから部下が入ってくる。


「ロイエ様。……その、お客人がお見えになっておられますが」

「この非常時に客だと? 馬鹿な、お前は何を考えているのだ! 状況を考えろ!」

「しかし、既に話は通っているからと申されて。……お客人は、その、リグレット様でございます」

「姉上だと――」


 その言葉の途中で、憲兵服に身を包んだリグレットが遠慮なしに入り込んでくる。相変わらずの不機嫌そうな表情。肌は色白、目元には黒いくま。鋭い目つきが、人を刺す。陰険な性質は全く変わっていないようだった。


「久しぶりね、ロイエ。ああ、今は将軍なんだっけ?」

「姉上、まさか生きていらっしゃったとは。父上からは、死んだと聞かされておりましたが」

「アンタたちの没落を見ないで死ねる訳がないでしょう?」

「本当に、相変わらずなようだ。しかし貴方と約束した覚えは、全くありません。私は忙しいので、今すぐにお引取り願いたいのですが」


 ロイエが外を指差すが、リグレットは鼻で笑うのみだ。


「今したってことにしておきなさい。良い? 姉の言う事は常に正しいのよ。アンタはいつまでたっても私の下なの。それは未来永劫変わらない」

「ははは、その鼻もちならない性格も相変わらずだ。人の癇に障ることばかり仰られる」

「アンタこそ、まだアイツの操り人形のままみたいね。ねぇ、人形の生活は楽しい?」

「その糸を切られ、ウィラ島に捨てられた方に言われたくはありませんな。私はこうして将の地位を手に入れたのです。無論、満足していますよ」


 ロイエの言葉に、リグレットは余裕の笑みを浮かべる。


「ふふふ、私は捨てられたんじゃなく、機会を窺っていただけよ。だからこうして、ここに帰ってきた。そして、馬鹿なアンタたちを追い詰めているって訳」

「島での優雅な暮らしには飽きられたのですか? 悪鬼とやらと幸せに暮らしていたはずでは。二人で一生篭っていれば宜しいものを」


 リグレットは、名目上はノエルの監視役としてウィラ島に滞在していた。実際は、ウィルムが厄介払いのために追い払ったのだが。だが、ノエルとリグレットは帰還し、マドレスの城攻めに加わっている。つまり、最初からリグレットは監視などするつもりはなかったのだ。どうやったのかは知らないが、ウィラ島駐在のコインブラ兵まで懐柔したらしい。


「……うるさいわね。あの馬鹿のことはどうでもいいのよ」

「今の姉上は、悪鬼の子分という訳だ。ははは、実に愉快です。貴方には、グランブル家の者としての誇りはないのですか?」


 嘲るロイエ、それに鼻を鳴らすだけで答えるリグレット。その態度が一々苛々させる。その余裕綽々の顔を全力で殴ってやりたくなる。今なら、ウィルムが遠ざけた気持ちも分かるというものだ。


「ふふ、誇りなんていらないわ。アンタたち、そして私を馬鹿にした奴等を見返す事ができるなら、悪魔にも魂を売ってやるわ」

「悪魔ではなく、悪鬼でしょう。貴方のご主人様は」

「……うるさいわね。だから、あの馬鹿のことはどうでもいいのよ」

「その馬鹿に付き従っているのは何故か、聞いても宜しいですか? この愚弟、実に興味が湧きます」

「あれは馬鹿でお調子者でお節介で餓鬼だけど、話が分かる。それに、実行する力も持っている。どこぞの糞虫どもよりも、遙かにマシなことだけは確かね」


 リグレットが真剣な顔で言い切った。ロイエは少し驚く。ここまではっきりと言い切る姉の姿を見たのは初めてだったからだ。


「……それで、ご用件は。まさか、挨拶に来て下さった訳ではないでしょう。それとも、こちらに味方してくれるとでも言うのですかな?」

「ふふっ、話は簡単よ、ロイエ。グランブル家の者を助けたいなら、私達に内通しなさい」

「何を馬鹿なことを。私はこの南コインブラの将軍なのです。冗談も休み休み言って頂きたい。今斬り捨てなかったのは、貴方に情けを掛けたにすぎないのですよ」


 ロイエが一蹴しようとすると、リグレットが見下した視線を送ってくる。懐かしく思える侮蔑の視線だ。負の感情を露わにすることに関しては、大陸に並ぶものはいないかもしれない。


「笑わせてくれるじゃない。将軍なんて名前だけでしょうに。実権はウィルムが全て握っているんでしょ? だから、アンタはこれだけの兵しか指揮できないのよ。コインブラ軍を統括すべき将軍のくせにね。本当に情けないわねぇ」

「…………」


 リグレットの言葉は正しい。ロイエは将軍になったが、万の兵など率いたことなどない。精々、三千程度である。軍事も内政も父が行い、ロイエは言われたことをただ実行するだけ。もちろん、この状況を打破するため、ペリウスと相談して意見したこともある。聞き入られたことは一度もなかったが。


「アンタが裏切るしか、グランブル家を残す手はないわ。ウィルムには当然死んでもらうけど」

「何を言われても無駄だ。父上を裏切るなど、貴方のような卑劣な真似はできぬ!!」

「今のままだと、アイツに連座して全員処刑することになる。当然、降伏した奴も含めてね。外に作った処刑台で盛大に焼き殺してあげる。アンタたちを憎んでいる者は大喜びするでしょうねぇ。知ってる? グランブル家の人間がどれだけ恨まれてるか。あの怨嗟の声を聞いたら、きっと発狂するんじゃないかしら」


 リグレットが歌うように罵倒する。


「あなたもグランブル家の一員だろうに!」

「追い出しておいて勝手に仲間に入れないで頂戴。私はグランブルなんて家は捨てちゃったのよ。もういらないでしょ、こんなもの。裏切り者の象徴じゃない」


 その言葉にロイエは絶句するしかない。最早グランブルの名に価値などないと、リグレットは簡単に言い放ったのだ。それは貴族としての地位を捨てること。かつての姉からは想像できない。どれだけ父に責められようとも、家を出ようとはしなかったし、できなかった。それだけ、貴族としての地位は重い。


「本音を言えば、アンタが断ることを望んでいるのよ。そうすれば糞虫どもを皆殺しにできるでしょう? 処刑の指揮はもちろん私が執るわ。全員簡単に死ねると思うなよ? 私を見下したグランブルの縁者共は全員覚えている。絶対に一人も逃さないわ。老若男女、一人残らず皆殺しよ」


 リグレットが狂気を孕んだ笑みを浮かべる。おそらく本気だろう。いや、間違いなくこの女はやる。ロイエが断ることを望んでいるのがひしひしと伝わってくる。それなのに、わざわざこのような誘いをかけてきたのは、恨み骨髄の自分とウィルムに屈辱と恥辱を与えるためだ。ロイエが受ければ、手柄にもつながる。

 いっそここで斬り殺すかとも思うが、それは同時にグランブル家が根絶やしにされるということでもある。いずれにせよ、リグレットの願いは達成される。


「私が、ここで貴方を捕らえるとは考えないのですか? 私がその気になれば、貴方を殺すこともできる」

「本当に馬鹿ねぇ。命が惜しけりゃこんなとこに来ないわ。私を殺せば、あの鬼が絶対に復讐をしてくれる。それは間違いない。私が死んでもお前達を道連れにできるのなら、何の問題もないわ」


 リグレットは身体を震わせて愉快そうに笑っている。愉悦と狂気が混ざりあった目で。今の言葉に偽りがないということが、ロイエには分かってしまった。ここでリグレットを殺せば、悪鬼の手により恐ろしい災厄が降りかかるだろう。


「……姉上、我々が降伏し、この港を明け渡せば宜しいのか? それで、本当に、一族の者を助けてもらえるのか?」

「それだけじゃ全然足りないわ。助かりたかったら、怒りに燃える民を説得できる働きをしないとね。そうじゃなきゃ、とても許されないわよ。だって、アンタは憎むべきウィルムの愛息なんだからさ」

「……一体、何をしろと仰るのか」

「簡単よ。――マドレス本城に入り、太守のウィルムを捕らえて無血開城させろ。それが条件よ。こちらに矢の一本でも放ちやがったら、約束は反故。カルナス城塞の悪夢をここで再現してやる」


 笑みを消し、顔を近づけて脅迫してくる。ロイエはその迫力に思わず震えが走ったが、即座に拒絶する。


「じょ、冗談ではない! そのような卑劣なこと、この私がッ!」

「できるわよ。アンタは裏切り者の息子じゃない。簡単簡単。もしやらないなら、糞虫共々皆殺しにするだけ。猶予は今から、明日の正午まで。それまでは、弟想いのこの姉が、本城までの道を開けておいてあげるわ。私の寛大な処置に感謝して頂戴」

「……で、できない! 将の地位にある私が、降伏するだけでなく、父を捕らえて差し出すなど!! そんな不忠なことを出来るわけがないッ!」


 首を激しく横にふるが、リグレットは逃避を許さない。ロイエの髪を乱暴に掴み、上から歪んだ笑みを向けてくる。


「良く考えなさいよ、ロイエ。明日の午後には、総攻めが始まるの。あの悪鬼に情けなんてものはない。城にいる者は全員皆殺し。悪鬼の機嫌を損ねるのだから、もしかしたら城下まで焼き尽くされちゃうかも。それを、アンタがちょっと頑張るだけで助けられる。間違いなく貴方は英雄よ。嗚呼、なんて素晴らしいのかしら。自慢の弟を持てて、私も鼻が高いわぁ」


 早口で捲くし立てるリグレット。白々しい言葉がロイエに突き刺さる。


「あ、姉上ッ!」

「ま、私はどっちでもいいわ。時間は少ないけど、よぉく考えなさい。それが大人への第一歩でしょう?」


 リグレットは言いたいことは言ったとロイエを解放すると、踵を返して天幕を出ようとする。


「……姉上。さぞかし、ご気分が宜しいのでしょうな。いつも貴方を見下していた我らを、ようやく見返す事ができるのだから!」

「――ええ! 本当に、本当に生きてて良かった!! 今、私は最高に幸せよ!!」


 勢いよく振り返ると、リグレットは心から幸せそうに、そして満面の笑みを浮かべた。



 翌朝。マドレス本城が何の前触れもなく開門した。白旗を掲げ、武装を解除した兵達が門より現れる。マドレス本城の天秤旗は降ろされ、赤輪軍と二槌の旗が掲げられる。武器を捨て降伏するという証だ。

 困惑する赤輪軍の兵を掻き分け、リグレットがノエルを伴い入城した。誇らしげに、胸を張りながら。リグレットの復讐が成った瞬間でもある。白蟻党がラッパと銅鑼を盛大にならすと、ようやく兵達は勝利を認識することができた。

 攻城開始から僅か二日。南コインブラ州都マドレスは陥落。太守のウィルムは捕らえられた。マドレスの住民達は、ウィルムの悪政から解放されたことに喜び、赤輪軍の勝利を祝い、大いに騒ぎ始めた。

 ノエルはつまらなそうな目で、それを眺めた後、マドレス城内へと入っていった。

主人公より先に幸福をゲットした女。

彼女の私的イメージ。

カクト、キョユウ、ナガサカチョウカンサイ

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