表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/48

第三十六話 悪鬼の進撃

 エベール城を出発したノエル率いる五千の軍勢は、まずは都市ロックベルの陥落を目標とした。その後は、カナン街道を通ってマドレスを目指すのみだ。

 道中の村々や屯所にはあらかじめ使いを送り、抵抗しなければ何もしないと安全を保証した。兵を率いているのがノエルと知ると、ほとんどの者は恐れを抱き抵抗を諦めた。抵抗した領主がどうなったかは、先の戦で証明済み。生きたまま火炙りにされてはたまらないと、服従の証として人質まで差し出してくる始末。リグレットの撒いた種が、ようやく実った瞬間だ。


 中には、剣を取って仲間に加わってくる物好きな連中もいた。志願してきた者すべてを受け入れ、ノエルは先へと進んでいく。

 そして、道中で志願してきた物好きたちの中に、ノエルは懐かしい顔を見つけた。


「――あれ。誰かと思ったらミルトじゃない。こんなところで、何してるの?」

「……ここに来れば、会えると思って。村の仲間と待ってたんだ」

「本当に久しぶりな気がする。ね、元気にしてた?」


 ノエルが背中を勢い良く叩くと、ミルトがよろける。三年分成長していたが、前よりも体は痩せてしまっていた。


「……あまり、元気じゃないな。ずっと鉱山で働かされててな。赤輪軍のおかげで、ようやく解放されたんだ」


 北コインブラの村々は、税が出せないのなら労役を果たせと命じられ、若者を鉱山へと連れていかれてしまっていた。グロールが既に見込みなしとして諦めた鉱山地帯、そう簡単にみつかる訳もない。終りのない労働と崩落事故で、何人もの命が奪われていった。逃げ出したところで、どうにもならない。村は村で貧困に喘いでいるのだから。まさに、ミルトたちは地獄の中にいたのだ。五体満足でいられただけでも、幸運と言える。


「そっか、それは良かったね。もう働かされなくて済むよ」

「……ああ、本当にな。あの赤輪軍に助けられるってのも、何か変な話だけど。前みたいに略奪はしていないみたいだし、エルガー様は信じてもいいのかもしれない。だから、俺たちも参加しようと思ってここに来たんだ」


 精悍な顔つきになったミルトが、使い込んだ弓を持ち、弦を鳴らす。周りにいるのも、多分ゾイム村の面々だろう。なんとなく、見覚えがあるような気がする。

 ノエル隊の中にも、元ゾイム村の人間はいる。先の戦で、帰ることを拒否した者達だ。彼らは白蟻党と行動を共にしていたらしく、ノエルのことを大喜びで迎えてくれた。軍楽隊を結成するために、一生懸命練習していたらしく、演奏は実に見事なものであった。


「うーん。でも、死ぬかもしれないよ? 勢いで来ちゃったなら、止めたほうがいいと思うけど。死ぬときは一瞬だしね」


 ノエルは難色を示す。痩せていて、戦えるようにはとても見えない。村で親切にしてくれたミルトには、死んでもらいたくはない。だからノエルは、「やめたほうがいい」と言い放った。


「お前達が来てくれなければ、あの鉱山で死んでいた。だから、この借りを返したいんだ。これから、南に攻め入るんだろう? なら、いくらでも人手は要るはずだ。手伝わせてくれ」


 北コインブラを制圧した赤輪軍のもとには、このような義勇兵が大勢押しかけていた。彼らの思いは一つ。コインブラを分割し、甘い蜜を吸っていた連中への復讐だ。特に、前の戦いで裏切ったガディスとウィルムに対する敵愾心は凄まじい。


「でもキャルはどうするの? 一人ぼっちになっちゃうじゃない」

「あいつはもう一人で大丈夫さ。俺がいなくても、村でしっかりと生活していた。……あいつ、あの絵本、まだ大事に持ってるぞ」

「何言ってるの。そんなの絶対に駄目だよ」


 ノエルは強く言い切った。一人というのは、本当に寂しいものだ。仲間が一杯増えた今だからよく分かる。今、一人で当てもなく彷徨っていた日々に戻ったらと考えると、実に恐ろしい。きっと耐えられず、死んでしまう。


「でも、俺は!」

「だって、一人は寂しいからね。キャルはきっと強がってるだけだと思うよ」

「俺たちはもう餓鬼じゃないんだ。いつまでも一緒にはいてやれない!」

「じゃあさ、ここに連れてくればいいよ。ちゃんと働いてくれれば、ご飯も出るし」


 反発するミルトに、ノエルは一つの案を提案してみることにした。ノエルも楽しくなるし、キャルも寂しくない。まさに一石二鳥だ。


「……いや、流石に戦いに巻き込むのは」

「大丈夫大丈夫。危なくなったら逃げちゃえばいいんだよ。そのときは、私が逃がしてあげるし。だから、ね?」

「う、うーん」

「嫌ならいいや。帰って、キャルと仲良く暮らせばいいよ。私もそれが一番だと思うし」

「……分かった。本当言うと、やっぱり一人にしておくのは不安だったんだ。後で迎えに行って来る」

「うん、それがいいよ。これで、また一緒に遊べるね! それに、今度はきっと上手くいくから大丈夫だよ」


 ノエルは笑うと、ミルトに手を差し出した。傷だらけの手をしたミルトが、それを握り返してくる。


「お前は、いや、ノエル隊長は本当に変わらないな。前より背は伸びたみたいだけど」

「あはは、ミルトは老けたよね」

「せめて大人になったと言ってくれ」

 


 しばらくして、ゾイム村に戻ったミルトはキャルを連れて来た。どうするか暫く考えた後、リグレットの手伝いにキャルをつけてやることにした。いわゆる、雑用係である。忙しい忙しいと、わざと聞こえるように言ってくるので、気を利かせてあげたのだ。教える手間が増えて、逆に仕事が増えたようだったが。たまには苦労するのもよいだろうという事で、ノエルは気にしない事にした。


「あの、ノエル姉さん。……リグレットさん、なんだか怒ってるみたいなんですけど」

「性格はイマイチだけど、慣れれば大丈夫。意外と面白いところもあるし。だから、色々と頑張ってね」


 ノエルはキャルの肩を優しく叩いた。リグレットが眼鏡を光らせながら、偉そうに腰に手を当てている。


「田舎者の小娘だろうが赤毛の馬鹿者だろうが、ただ飯を食わせる気はないわ。飢え死にしたくなかったら、精々頑張りなさい。私は無能な人間は大嫌いだから、そのつもりで」

「ね、面白いでしょ」

「あ、あはは」


 久しぶりに会ったキャルの笑顔は引き攣っていた。大変だとは思うが、何事も慣れである。


 それにしても、仲間が一杯増えたなと、ノエルは思う。

 今ノエルと行動を共にしている五千人の仲間は、本当に色んな人間たちが集まっている。

 ノエルが島流しにあったウィラ島の若者、それを襲いに来ていた元海賊、島にいたコインブラ兵たち。そして、おなじみの白蟻党。ノエルが百人長だった頃に部下だったコインブラ軍残党。あとは赤輪軍の民兵と、今仲間に加わったゾイム村の狩人たち。特徴的な陣傘を被っているゲンブの足軽まで参加している。カイが気を利かせて派遣してくれたのだ。


(本当に、沢山の仲間ができたし、それに、凄く世界が広がった気がするよ)


 島流しにあっている間、ノエルは色々な州へ足を延ばしていた。島には身代わりを置き、監視兵はノエルに通じていたので、大体なんとかなった。

 シデンの手配により、ゲンブからギヴ、そしてカームビズまで足を延ばし、色々な偉い人と話をした。どの州も状況は苦しいようで、いかにこれを打破するかで頭を悩ませていた。そのために、シデンを含む太守たちがノエルのことを利用しようとしているのはすぐに分かった。だが、ノエルはそれに乗る事にした。エルガーたちもこの計画に乗っているということが分かったからだ。

 捨て駒になるつもりは全くないが、目的のために協力できるなら仲間になれる。しかも、シデンは色々と親切にしてくれた。お礼をする気も少しはあった。

 だから、ゲンブ州がロングストームに攻め込んだとき、ノエルはウィラ島の兵を連れて、エルガーのもとに向かうことに決めたのだ。エルガー、シンシアとの約束を果たし、更に色々と便宜を図ってくれたシデンに借りを返す事ができる。


 シデンは、他にも何か企んでいるようであったが、悪いことではなさそうだったので放っておいた。カイがなにやら神妙な顔つきだったのが気になったが、何度聞いても口を割る事はなかった。ゲンブ人は武勇に優れるだけではなく、死ぬ程頑固なのだ。


「……しかし、変われば変わるものだな。あれほど民から支持を受けていたウィルム将軍――いや、ウィルムが、まさかここまで憎まれるようになるとは」


 ノエルが色々なことを考えていると、隣のシンシアが暗い表情で独り言を呟く。


「簡単なことだよ。何か嫌な事があったとき、それを押し付ける相手がほしくなるでしょ。お前が悪いんだってね。そんなとき格好の的があれば、誰であろうとそれに向かって石を投げる。人間なんて、そんなもんだよ」

「……分かったようなことを言うようになったな。どうやら、背が伸びただけではなく、内面も成長したらしい」


 小さく頷き感心するシンシア。ノエルは得意気に胸を張った。そして、眼鏡をつけて知性も強調して見せた。これをつければ説得力二倍である。


「この三年間、勉強したからね。面白いことも、面倒くさいことも。何事も、重要なのはバランスなんだよね」

「……うーむ。分かった様な、いまいち分からない様な」

「簡単に言うと、いつも晴れていても困るってこと。だから、嫌いな雨も、少しだけ私は我慢するようにしたんだ」


 晴れの日もあれば、雨の日もある。どっちにもならない曇りの日も。晴れだと気分が良いからといって毎日続けば、土地が枯れてしまう。逆に、雨ばかり続けば作物が腐ってしまう。つまり、バランスが大事である。

 ノエルとしては、晴れが七、雨が三の割合がベストである。晴れの日には土地を耕し、雨の日には不貞寝する。それだけで、世の中上手く回りそうではないか。


「確かにそうだが、なんだか至極当たり前のことのような気もするな」


 シンシアが苦笑する。

 だが、その当たり前ができなかったから、世の中苦しいのではないだろうか。他所の大陸に攻め入ったり、自分だけ財産を蓄えたりするから、色々なバランスが崩れる。一番不可解なのは、それが分かっているだろうに、いまだに続けている事だ。本当に理解出来ないが、リグレット曰く、人間とはそういうものなので、仕方がないらしい。


「まぁそうなんだけど。でもさ、雨を我慢出来るようになったのは凄いでしょ」


 苛々するのは変わらないが、顔に出すのはやめた。そのつもりだった。だが、島の子供達からは、雨の日は顔が引き攣っていて面白いと言われてしまった。一応舌打ちしておいた。


「別に凄くはないが、お前個人で考えると、凄いのかもしれん」

「つまり、島の上にも三年ってやつだね」


 ノエルは適当なことを言った後、周囲をきょろきょろと見渡す。


「そうだ、あの壊れかけの要塞、ちょっと行ってみる? あれってまだあるのかな?」


 シンシアと出会った要塞跡。なんだか見に行ってみたくなった。今はどうなっているのかとても興味がある。遊んでいる時間はないが、気になって仕方がない。


「まだあるだろうが、そんな時間はないぞ。第一、あんな廃墟にいってどうする気だ」

「想い出に浸るとか、探検するとか。色々やることはあると思うけど」


 眼鏡を触りつつ、策を打ち明けるように語るノエル。シンシアは前のように呆れた表情を見せてくれた。ノエルが好きな顔だ。困った奴だと思いつつも、しっかり教育してやろうというお節介な顔。そこには、どこか優しさのようなものを感じられるから。

 そういったことを見つけられるようになったことも、この三年間の修行の成果である。


「だから、遊んでいる場合じゃないだろう。これから私達はロックベルに攻め入るんだ。もっと緊張感を――」


 そこに、馬に乗った伝令が駆け込んできた。


「ノエル様! ロックベルが門を開け降伏いたしました! このまま街にお入り下さい!」

「うん、分かった。皆にも伝えてあげて。あと、マドレスからくる兵に気をつけるよう、バルバスに警戒させておいて。まずないと思うけど、奇襲してくる可能性もあるから」

「了解しました!」


 馬首を巡らせ、ロックベル降伏と叫びながらバルバスの隊へ向かっていく伝令。シンシアは動転している様子で、いきなりノエルに掴みかかってきた。


「おい、どういうことだ! まだ一合も交えていないというのに降伏してくるなど! しかも、あそこはウィルムの縁者が領主だったはずだ!」


 勿論ノエルも把握していた。まともにやりあえば、少なくない被害がでることも分かっていた。だから、降伏させることにした。死を前にすれば、自分の地位や立場など考えなくなる人間もいる。リグレットが縁者の性質を把握してくれていたおかげでもある。


「リグレットにお願いして、使者としてロックベルに行ってもらってたんだ。手段は好きにしていいから、とにかく降伏させてって。どうやら上手くいったみたいだね」

「リ、リグレット殿に?」

「うん。島にいる間に、舌打ちに更にキレは出たんだけど。それだけじゃなくて、脅迫する術を身につけたみたい。相手の弱みを握る事に、全精力をつぎ込めるようになったんだ。だから、前より更に陰険になってるよ」

「…………そ、そうか」


 完全に引いているシンシア。ノエルも独り言をぶつぶつ呟くリグレットの側にはあまり近寄りたくない。けれど、ちょっかいを出すと反応が面白いので、遠慮をしたことはない。反応が面白いので、癖になる。

 そういえば、前にリグレットを褒めてあげたことがある。『性根は全然変わらないけれど、前よりも黒い輝きが増したね』と。そうしたら、会心の舌打ちを頂いた。


「私って、悪鬼とか言われてるでしょ。だから、降伏しないとそれはもうひどいことになるとか言って、脅したんじゃないかなぁ。有名になるのも考え物だよね。これが有名税って奴なのかな?」


 いつもの仕返しとばかりに、リグレットはノエルの悪評を広めることを趣味としている。行く先々で、悪鬼の武勇談やら怪しげな噂を、資金を使って広めていくのだ。それがいずれ大きな収穫を得ると信じていたのだろう。ノエルとしてはかなり迷惑だったのだが。いつも脅えられるというのも、結構疲れるのだ。それに、ウィラ島の皆はいまだに悪鬼様としか呼んでくれない。親しみが篭っているのが救いではあるが、納得した訳ではない。


「……そう、なのかもしれんな」

「まぁ、余計な手間が省ければ、そんなのどうでもいいよね」


 ノエルは笑った後、手で合図をすると、兵を率いて歩き始める。目指すはロックベルの街。きっと中は廃墟のままだろう。直している余裕があったとは思えないし、ウィルムには直す気もなかっただろう。


「中は、相変わらずぼろぼろのままかな」

「ああ、そう聞いている。ウィルムは、皇帝の暁光作戦に注力していた。邪魔な北部や困窮する者たちを切り捨て、人、金、資源を大陸遠征に賭けたのだ。結果は、ご覧の通りだがな」


 他所の大陸に行きたいと思ったことはない。だけど、そこの人とは話をしてみたいかもしれない。ノエルはそんなことを思った。自分の世界が広がる気がする。そういえば、イルヴァンという大陸人がいたことを思い出す。折を見ていずれ話してみようと、ノエルは考えた。面白い話が聞けそうである。


「私は前の戦いで偉くなりたいなぁって思ったんだけど。偉くなるのも大変だね」

「偉くなれば、大きな責任が伴うことになる。それが、指導者というものだ」

「それもそうだけど、自分の選択一つで、皆まで巻き込んじゃうし。本当に大変だよね。命を背負わなくちゃいけない」

「……既に兵を率いている者がいう台詞ではないぞ。兵が不安に思うから、言葉に出すのは止めておけ」


 シンシアが頭を軽く小突いてきた。これも懐かしい感じだ。


「あはは、それもそうだね!」

「まったく」

「でもさ、偉くなれば、仲間が一杯増えるじゃない? それって、とっても楽しいことだと思うよ。だから、やっぱり私は偉くなりたいなぁ。もっともっと偉くなりたい」


 ノエルはラッパを取り出すと、以前よりも上達した腕前を披露してやった。曲目はノエル隊進軍歌。何度も練習したウィラ島兵だけが、その旋律にあわせて歌い始める。だが、いつの間にか馴染みのコインブラ兵たちが演奏を始めだした。これには、流石のノエルも驚かされた。最後は、全員で歌いながら行進することができた。――リグレットのラッパは相変わらずだったが。

 二槌の旗を旗を高らかに掲げ、ノエルは降伏させた都市ロックベルへと入った。

 

 

 ――南コインブラ州都、マドレス城。

 北コインブラ陥落の報が届いてから、僅か五日後。マドレス最後の防壁となるべき、ロックベルが降伏したとの報せが飛び込んだ。


「一度も戦わずに降るなど、それでもコインブラの軍人なのか! なんたる惰弱な連中だ!!」

「太守。今は、南コインブラです。戦えそうな兵は、ほぼ大陸に送り込んでしまいました。数は揃えたとはいえ新兵ばかり。軍人としての誇りなど、彼らにあるはずがありません」


 辛辣な言葉を吐くペリウス。ウィルムは怒りを篭めて睨みつける。自分に恨みと怒りを覚えているであろうペリウスを、敢えて用いているのは、民や文官からの人望があること。そして、その清廉な性格から決して裏切らぬと分かっているからだ。有能な人物を斬り捨てている余裕は、ウィルムにはなかった。


「ならば、裏切った兵どもには厳罰を与えると通達せよ。見せしめに、今回降伏した者の妻子を殺しても構わぬ! 歯止めをかけねば、軍が崩壊するわ!」

「ロックベルの領主は太守の遠縁の方でございました。まさか、一合も交えず降伏するなど考えるはずがございませぬ。降伏した兵達を責めるのであれば、太守の任命責任も免れませぬぞ。それでも構わないと仰るのですか?」

「……ぬう」


 ウィルムは返す言葉が見つからない。領主を任命したのは、他ならぬウィルムなのだから。

 かつての反乱時に、領主バレル・ルートウイングは賊の手にかかり死亡していた。南コインブラの太守の座を獲得したウィルムは、地盤を固めるため、将軍には息子のロイエを任命、近隣の主要都市には縁者を配置するようにしていた。一蓮托生の立場であり、決して裏切らぬという思惑からだ。だが、その期待は容易く裏切られた。命を惜しんで、こうも簡単に屈するとは思っていなかった。


「いずれにせよ、これでは、各砦、都市の防衛も当てにはできませぬ。ロイエ将軍を街道防衛から呼び戻し、マドレスにて篭城するが最善かと」

「ここに篭って、いずこの援軍を待てというのか? 賊を前にしながら、ただ守りを固めていろと」


 あまりにも弱気な戦略だが、討ってでるのはリスクが大きすぎる。信頼出来る指揮官は自分とロイエぐらいしかいない。必然的に自ら出陣することになるが、マドレスを空にするのは論外である。となると、篭城策しか残されていない。

 遠征に注力するあまり、信頼できる人間の育成を怠っていたツケが回ってきている。ウィルムは、今更ながら歯噛みする。


(武官と文官の育成、州を富ませ、兵を強くする。政治の基本を見失っていたとは。私の目は、いつから曇っていたのだ?)


 グロールを裏切ると決める前までは、確かに州だけのことを考えていたはずだ。いかに、民を豊かにし、故郷を富ませていくか。だが、野心が芽生えてからは、ただそれだけを考えて謀略を巡らせることに必死になっていた。念願叶い、太守に登り詰めてからは最早民の幸福など考えもしなかった。


「……しかし、この上は止むを得んか」

「はい。幸い、マドレスは先の戦にも巻き込まれず、堅牢な防御は健在。海から物資を引き入れれば、長期戦にも十分に耐えられます。それに、時間を稼げば、反乱軍は自壊する可能性もあります」

「よし、篭城策を取る。バハールには援軍要請、リベルダムには、海上より物資を寄越すように使者を送れ。渋るようならば、次はお前の番だと脅しても構わん!」

「承知しました」


 短く答え、ペリウスが下がろうとする。ウィルムは、その背中に声をかける。


「……しばし待て、ペリウス。お前は、赤輪軍に加わりたいとは思わないのか」

「どういう意味でしょうか?」

「とぼけるでない! 亡き主君の子が、その仇を討とうと立ち上がったのだぞ。お前はグロールに忠誠を誓っていたはずだ。そのお前が、どうしてまだここにいるのだ?」


 縁者でさえ裏切って降伏した。グロールを殺し、太守を奪ったウィルムをペリウスが許している訳がない。性格上、裏切るとは思っていないが、胸中に疑心が生まれ始めてしまった。だから、確認してしまったのだ。


「私は、武力を用いて打開するというやり方に納得がいかないのです。力で脅して、自らの正義を通す。これが当たり前の世の中になれば、それはまさに地獄でしょう。……今がまさにそうなのでしょうが。ゆえに、私は剣を持たぬのです。それはこれからも変わりませぬ。例え、誰が相手であろうとも」


 世の指導者には決して理解されないであろうペリウスの考え。だが、この男は皇帝を相手にしても諫言したことだろう。例え死ぬ事になったとしても。


「……そうか」

「ただし、心の奥底では、貴方を殺して若君に首を届けたい欲望がございます。それを、理性で必死に押さえつけているだけのこと。まことに申し訳ありませんが、二度と同じことを聞かれませぬようお願い申し上げます。……感情に囚われれば、何をするのか分からぬのが人間なのです」

「……あ、ああ、分かった」


 敵意の篭ったペリウスの視線に耐え切れず、ウィルムは目を逸らした。


(……こんなはずではなかったのだ。最初は、全て上手く行っていた。だが、なぜこうなったのだ。一体何が悪かった?)


 ウィルムが賭けた、大陸遠征は当初は順調だった。資源や貴金属も続々と届けられ、最後は大陸人までやってきた。新州ヴェルダンとの貿易も開始された。南コインブラには人が戻り、財政は潤い始めていた。民の支持も集り、グロールよりもウィルムこそが太守に相応しいと、ようやく皆が認めはじめていたのだ。

 それが急に一転した。大陸での攻勢が止まり、徐々に劣勢に陥っていった。欠けた器に水を注ぐが如く、人と金だけが遠征計画に費やされ、気付けば後戻りできる状況ではなくなっていた。今さら中止などすれば、アミルの不興を買い、さらには己の判断が過ちだったと認めねばならなくなる。力で地位を奪い取ったウィルムには、それだけはできなかった。

 北のガディスは更に酷い状況で、毎日援助を願う使者がやってくる。助けてやる余裕はこちらにもなかった。だから、見捨てた。それが、現在の状況を招いているのかもしれない。


(太守の悪政、赤輪軍の決起、ロックベルの陥落――。まさか、歴史は、繰り返すとでもいうのか)


 ウィルムの脳裏に、グロールの死に際が過ぎる。腹心であった自分に裏切られ、兵や民からは罵倒され、絶望の中で死んでいった。何故かその姿に、自分を投影してしまう。

 兵の話によれば、敵の一団を率いているのは二槌の旗を掲げるノエル・ヴォスハイトであるということ。いつの間にかウィラ島から逃げ出し、エルガーと合流していたようだ。監視役につけていたリグレットは、恐らく殺されたのだろう。だが、悲しいなどという感情は全く浮かんでこない。同情心も全くない。


「最後まで何の役にも立たぬ女であったわ。監視すら碌にできんとはな。しかしノエルめ、どこまでも私の邪魔をする。だから、あの時始末しておけと言ったのだ!」


 ウィルムは、ノエルを常に疎ましく思っていた。だが、基本的には手玉に取っている。武勇は多少優れるのかは知れないが、所詮は愚かな小娘にしか過ぎなかったからだ。現に、ノエルの暴走を阻止し、最後には讒言を用いて更迭にも成功した。恐れる事はないはずだった。だが、あれは窮地を常に生き延びてきた。そして、再びウィルムの前に立ちはだかってきたのだ。

 言い知れぬ不安が、ウィルムの全身をを包みこむ。


「――くっ!」


 背後に気配を感じ、振り向く。当然、何もいない。だが、そこに、何かがいたような気がしてならない。小さな黒い人影だっただろうか。まるで、子供がからかうように物陰へ隠れたかのような、そんな錯覚を覚える。


「馬鹿馬鹿しい! そう、私はコインブラの将だった男だ。それにくらべ、赤輪軍を率いるのはグロールの小倅、そして敗残の小娘に過ぎぬ。私が負ける訳がない。寄せ集めの軍勢など、一度崩せば脆いもの。我が手により必ず崩壊させてみせるわ!」


 ウィルムは自分に言い聞かせるように、声を張り上げる。そうしなければ、己の精神がもたない。


(……いずれは援軍もくる。このマドレスならば、それまでもたせることは容易。敵の攻勢を如何にいなすかが肝要となろう。全ては我が手腕にかかっている)


 バハールには、アミルの腹心で武勇に優れるバルザックが代官として配置されている。彼は現宰相ミルズから戦車兵を譲り受け、機動力で近隣の州に睨みを利かせる役目を負っていた。ということは、この反乱も必ず耳に入っているはず。使者を出す必要もなく、準備は整い出立しているはず。彼も自分と同じ歴戦の武人だ。判断には信頼が置ける。


 現在、マドレスには守備兵五千がいる。そして、街道を守っていたロイエも五千。更に近隣都市、砦から全て掻き集めれば総勢二万にはなるだろう。報告によれば、赤輪軍は一万程度らしい。マドレス城下を荒らされるのは避けられないが、身の破滅だけは逃れられる。乱を鎮圧した暁には、裏切り者を粛清し、失政の責任はガディスに擦り付ければ良い。死人に口なしだ。


(エルガーの小童めが。調子に乗れるのも今だけだ。勢いだけでは戦には勝てぬということを、このウィルムが教えてやる。そして、黄泉にいる父の元へ送ってくれようぞ!)


 ウィルムは湧き上がる恐れを振り払うかのように、指揮杖を床に叩きつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ