第三十五話 憎悪を糧にして
――北コインブラ州都エベール城。
謁見の間では、縄で拘束されたガディスが跪かされている。ガディスの顔には殴られた痕があった。その縄を握っているのはノエルだ。
エルガーは今すぐノエルに声を掛けたくなる気持ちを押し込め、ガディスを睨みつける。コインブラの将の地位にありながら、父グロールを裏切った怨敵。ウィルム同様、幾ら憎んでも足りない相手だ。
「裏切り者に相応しい姿だな、ガディス」
「エ、エルガー、貴様、このような真似をして、ただで済むと思っているのか? 自分が何をしたのか、お前は理解しているのか!?」
「無論だ。悪政を敷く愚かな者共から、コインブラ奪還を図る。それ以外に、何があるというのだ」
「ば、馬鹿なことを。グロール同様、貴様は愚か者だ!」
「父の名を出すな、下郎が! ……貴様に大人しく仕えているとき、私がどれだけの屈辱を覚えていたか分かるか? その場で喉を掻き切りたくなったことも何度もある。いっそ死んでいたほうがマシだと思えるほど、屈辱と汚泥に塗れた日々だった。――全てはこの日を迎えるためだ」
「す、すぐに他の州から討伐軍がくる! 貴様らはお終いだ! お前の父同様、逆賊として死ぬ事になるのだ! だ、だが、今ならば、まだ慈悲もあろう。分かったならば、大人しく降伏するのだ!」
必死に虚勢を張るガディス。だが、その身体は小刻みに震えている。将だった頃の威厳、容貌は見る影もない。完全に自信を失った痩せ衰えた老人がいるのみ。今考えている事は、いかにして助かるかということだけだろう。
エルガーは侮蔑を浮かべ、一笑に付す。
「ガディス、貴様の当てにしている援軍など来ない。いや、来れないと言った方がいいか」
「……な、何を言っている」
「今、この大陸で何が起きているか知っているか? 全て教えてやるから、その衰えた頭で良く考えてみろ」
エルガーは沸き立つ怒りを押さえ、敢えてガディスにコインブラの状況を教えてやることにした。ゲンブ、ギヴ、カームビズの三州が独立を宣言し帝国に戦を仕掛けたこと。ガディスが頼みとしているバハール軍、そしてホルンに滞在している黒陽騎は動けないこと。当然帝都から援軍がやってくることもない。そして、南コインブラには動けるだけの余裕などない。
つまり、お前は見捨てられたのだと、エルガーは冷たく切り捨てた。
「――そ、そんな馬鹿なことが。帝国に対し反旗を翻すなど、とても信じられぬ!」
「全て事実だ、直ぐに分かる。帝国は、荒れ果てたこの地にまで、兵を向ける余裕はないということだ」
エルガーが言い切ると、ガディスは愕然として肩を落す。
騒がしい足音と共に、謁見の間へナッジが現れる。シンシア、バルバスと共に、城の制圧任務に当っていた。賊には降伏しないと、一部が抵抗する構えを見せていたためだ。彼らは、以前の赤輪軍の悪行を覚えているのだろう。
ゆえに、ナッジたちには、出来る限り説得で投降させるよう命令を与えた。余計な血を流す必要はもうない。ガディスに忠誠を誓う者など、北コインブラにいないことは分かっているのだから。説明すれば、誤解は解けるという確信があった。
「エルガー様。抵抗していた兵たちが、我らの傘下に入ると誓いました! 辛いのは向こうも同じだったみたいで、話が早かったですよ! 人間、話せば分かるもんですね!」
「良くやったな、ナッジ。後は、こいつの処分だけだ」
「……お願いがあります、エルガー様。処刑は、俺にやらせてください。こいつのせいで、俺の親父や弟がッ!」
ナッジが腰の剣に手を掛けると、ガディスの顔が青褪める。
「少し待て、ナッジ。……ノエル、お前の意見を聞きたい。お前は、この裏切り者をどうするべきだと思う?」
エルガーは問いかけた。何か、言いたそうな顔をノエルが浮かべていたから。
会話をするのは本当に久しぶりとなる。マドレス港での別れから三年は過ぎただろうか。自分は成長し、ノエルも背が大きくなった。ノエルの、何か悪戯を考えていそうな特徴的な表情が、少女の面影を残している。
「あれ、処刑するんじゃないの?」
「そのつもりだったが、何か考えがあるなら聞かせてくれ。赤輪軍のためになる選択を、私はしたい。お前も、考えがあったから生け捕りにしたのだろう?」
ノエルが慈悲を掛けて生かしておいたとは考えにくい。だから、何かしら利用価値があるのではないかと思ったのだ。
「許せないならとっとと殺した方がいいと思う。でも、今は生かしておけば、次の役には立つかな」
「お、おい! まさか見逃すつもりかよ! こんな奴生かしておいたって、何の意味もない! まさか、仲間に加えようってんじゃないだろうな!?」
激昂するナッジ。今にも剣を抜き放たんばかりの勢いだ。
「そうじゃなくて。若君が死ぬ程憎んでる相手を許したなら、降伏しようと思っている人は安心するでしょ? ガディスとウィルムの裏切りはコインブラの人なら皆知ってる。そんな人間が許されたなら、きっと自分も大丈夫だって思うはず。だから、殺さない方法も一応あるってこと。でも、どうするかは若君に任せるね」
ノエルが鉄槌を弄りながら説明する。次というのは、南コインブラを攻めるときだ。どちらにつくか悩んでいる領主、兵たちの説得にこれほど効果的な材料はない。ガディスでさえ許されたのだから、きっと自分も助かると判断するに違いない。
問題は、自分の感情がそれを許そうとはしない点だ。一刻も早く首を叩き落したい。そしてその首を父と母の墓前に捧げたい。そのために、自分は今まで屈辱に耐えてきた。この北コインブラの人間も同じ思いのはず。――だが。
「ガディスよ。一族郎党皆殺しにされるのと、私の駒として死ぬまで働くのと、貴様はどちらが良い?」
「……わ、私を、許してくださると言うのですか? グロール様を裏切った、この私を。――お、おお、神よ!」
「勿論、お前は恥辱に塗れた日々を送る事になるだろう。だが、お前と一族は処刑はしない。いつか、汚名を返上できる日が来るかもしれない。それを踏まえたうえで、答えろ。生死は、お前に決めさせてやる」
「こ、今後は、わ、若君、いや、エルガー様のために働きます。命を懸けて働くと誓います! ですから、どうか、どうか命ばかりはお助けを!」
「……そうか。良く、分かった。だが、しばらくは蟄居を命じる。当然だが、地位も剥奪する。これからについては、私の指示を待て。よからぬ動きを見せた瞬間、貴様の首だけでなく、一族の命もないと思え!」
「は、ははっ! ありがとうございます!」
縄につながれたまま、ガディスは平伏した。身体を震わせ、顔には安堵の涙を浮かべながら。
「全然納得いかねぇ! あの糞野郎を生かしたなんて知ったら、皆怒り狂うぜ! あの野郎の裏切りで、前の戦いのときに何人死んだと思ってるんですか!! ここらの連中は、心底ぶっ殺してやりたいって思ってるんですよ!」
「それを説得するのが、お前の役目だ。任せるぞ、ナッジ」
「エルガー様! 俺が納得できないことを説得できる訳がないでしょう!! あまり無茶を言わないでくださいよ!」
エルガーは思わず頷きそうになり、苦笑する。自分の本心も彼らと同じ。だからナッジを説得できそうな材料が思い浮かばない。
「良いか、ナッジ。我らには余計な戦いをしている暇はないし、その余力もない。それは、分かるな?」
「そ、それは分かりますが! だからってあんな糞野郎を許すなんて!」
「怒りを堪えるだけで死人が減るのならば、それが最善手ということだ。それに、奴と一族の地位は剥奪し、領地は全て没収する。蓄えた財産は民へと全て配らせる。再起を図るなど、二度とできぬようにな。これならば、説得材料になるのではないか?」
安寧な生活など与えるつもりは全くない。生きていることさえ地獄だということを、後で思い知らせてやるつもりだ。民の不満が高まった場合の、生贄にもできる。
許して生かすというよりは、殺すのを保留しているに近い状態だが、それを正直にナッジに教えるつもりはない。隠し事のできない性格だからだ。何より、本当にガディスを八つ裂きにしたいのは、誰でもない自分である。だが、勝利のためならば一旦復讐の刃をしまうことぐらいは何でもない。
「……それなら仕方ありませんが。でも、やっぱり納得できませんよ。ったく、俺が一番乗りだったなら、問答無用で首を刎ねてやったのに! それもこれも、この赤毛女のせいだ! 俺たちが来る前に殺しておけばよかったんだ!」
ナッジがノエルを指差す。向けられたノエルは、なんのことか分からんとすっとぼけている。
「えっと、誰の事かな?」
「赤毛はお前しかいないだろうが!! いきなり城を陥落させちまいやがって! いや、それは別にいいんだけど、なんか納得いかねぇ!」
憤りのぶつけ場所がないナッジが、頭を掻き毟っている。直情的な性格のため他人と衝突しやすいが、根は善人だ。後で反省して謝ることのできる度量もある。民たちもそれを良く分かっているようで、悪い評判は聞かない。何を考えているかが分かりやすいからだ。
「ナッジ、少し静かにしろ。城の者に余計な怯えを与えたくはない。余計な諍いを起こすことは控えろ」
「わ、分かってますが! あー、ちょっと外行って頭冷やして来ます!」
騒がしいナッジは一旦おいておき、エルガーはノエルに向き直る。相変わらずの見事な赤毛に、一瞬目をとらわれる。
「……本当に、久しぶりだな、ノエル。たった三年だというのに、とても懐かしい気がする」
「うん、若君も久しぶり。元気そうで良かった! ちょっと見ない間に、言葉遣いが偉そうになったね」
全く遠慮のない言葉遣い。そしてシンシアと同じく、若君呼ばわりだ。だが、何故か止める気はしない。むしろエルガー様と呼ばれる方が、違和感がある。示しがつかないのは理解しているが。
「何故、ここにいるんだ?」
「何故って、約束を守りに来たんだよ」
「……それは分かるが、どうやってこの城を落としたのだ。」
「まずはゲンブにウィラ島の皆と上陸したの。こっそりこっちに進入した後、南部の援軍を装って一気に城を制圧。城壁はつくりかけで全然役に立ってないし。思ったより簡単に落せちゃった」
あははと笑うノエル。エルガーは相変わらずの調子に、思わず苦笑すると、手を差し出す。
「……良く帰ってきてくれた。だが、これからが本番なんだ。良ければ、このまま力を貸してくれると、嬉しい」
「勿論いいよ。頑張って取り返そうね!」
差し出された手を、エルガーは強く握り締めた。あの頃とは、自分は大分変わってしまった。既に婚約者もいる。もう引き返す事はできない。だが、ノエルの幸せそうな顔は相変わらず。それが近くにあるのであれば、それでいいと思う。
自分の本心を隠し、エルガーは次の戦いに向け考えを切り替える。そう、次が肝心だ。
「あ、まだ、鉄槌持っててくれたんだ」
「私の宝物だからな。大事に使っている。お前のように、鉄槌で戦うことは出来ないが」
エルガーは長剣と鉄槌を常に持ち歩いている。重くてかさばるが、何故か力が湧いて来る気がする。
「そっか。じゃあ、まだお揃いなんだね。私は使いすぎて、ちょっと欠けちゃったけど」
ノエルは誤魔化すように笑みを浮かべる。だから、エルガーもつられて笑った。
自分は色々と変わってしまった。だが、ノエルは変わっていない。背は伸びたが、内面は昔のままだ。だから、それが嬉しかった。
――エベール城、会議室。
場にはエルガー、シンシア、イルヴァンといった首脳陣、そしてバルバス、ノエルなどの指揮官たちが参加している。新たに味方に加えた文官達は、後始末に奔走している。彼らの殆どが北部出身であり、ガディスとその縁者たちが一掃されたことでやる気を取り戻したようだ。職務放棄するというのもどうかとは思うが、今までのガディスの所業を考えれば気持ちは分からなくはない。
バルバスとシンシアはノエルに話しかけたくて仕方がないようだが、ひとまずこれからの方針を決めなくてはならない。エルガーは、後でゆっくりと話してくれと前置きした後、話を切り出す。
「第一目標であったエベール陥落の達成、ここまでは順調にこれた。全ては皆の働きのおかげだ。……心より感謝する。本当に、ありがとう」
エルガーは皆を見回した後、頭を下げた。
「おめでとうございます!」
「赤輪軍の被害も少なく、民たちも我らを歓迎してくれております」
ナッジ、シンシアが祝意を述べると、イルヴァンがそれに続く。
「エルガー様、まことにおめでとうございます。我らイル教徒も、心から祝福させていただきます」
「イルヴァン、お前達の支援は忘れてはいない。いずれその働きに報いるつもりだ。教徒にもそう伝えよ」
「ありがたき幸せ。……エルガー様、鉄は熱い内に打てと申します。北コインブラの民達に、我々の統治方針を示すべきと存じます」
イルヴァンの進言に、エルガーも同意する。民達は、新しい指導者が何をしてくれるのか、固唾を飲んで見守っているはずだ。それが期待に沿うものでなければ、評価は一瞬で翻る。民意というのは、そういうものだ。
「まずは鉱山で労役を課されている者達の即時解放、そして税率の引き下げを行おうと思うが、何か意見はあるか?」
率先して行なうべきであり、実行しやすいものを述べる。それで時間を稼いでいる間に、状況を改善する政策を実行するのだ。これには時間が掛かり、何より難しいのも分かっている。一朝一夕でなんとかなるようならば、ガディスとて苦労はしていない。今日中にも、イルヴァンと文官達を集め、限られた金と物資をどこにつぎ込むかを相談しなくてはならない。
民の支持こそが、エルガーたち赤輪軍の命綱。エルガーには、民を強烈に惹き付ける力はないと自覚している。できることから着実に行い、民の信頼を損なわぬことが肝要だ。
「全く問題ありませぬ。それと、あの鉱山には、金はないと断定してしまったほうが宜しいでしょうな。あれに余計な労力を注ぐくらいならば、土地を耕したほうが遙かに有意義です。直ちに鉱山地帯に兵を派遣し、鉱夫たちを解放させましょう」
「その件は白蟻党にお任せを。あの辺りは俺たちが一番詳しい」
「ならばバルバスに一任する。それと、疫病に罹った者も働かされているという話だ。症状が重い者には咎草を配布しろ。……だが、決して与えすぎるな」
「はっ!」
咎草には病を治す効力はない。だが、鎮痛作用に優れる薬草だ。苦しんで死ぬよりは、安楽の内に死なせてやりたい。そう思い、エルガーは命令を与えた。
赤輪軍は、咎草を裏で商人達に流し、リベルダム、バハール、ホルンといった敵対州に高値で流している。疫病を予防する奇跡の薬草だと謳って。山岳地帯で栽培可能なため、赤輪軍の貴重な資金源となっていた。
何故敵対する州にのみ流しているかというと、精神に害を為す中毒性があるからだ。長期に渡り服用すると、確実に廃人化するであろう。止めたくても、身体が咎草を求めるようになる。そして、いずれ死ぬ。気付いたときにはもう助からない。恐らく、彼の州では多くの者にその症状が出始めていることだろう。
度を過ぎれば、薬は毒となる。それを承知で、エルガーは栽培し、大量に流した。イルヴァンから、地獄に落ちる覚悟はあるのかと何度も確認されたうえでだ。彼の大陸では禁忌の植物とされているらしく、イル教徒たちも手を出すことを控えている。
(死んだ後、魂がどうなろうと構わない。大事なのは、今なのだ)
そう、大事なのはコインブラに暮らす者たち。それを救うためならば、他がどうなろうと知ったことではない。最初に奪っていったのは帝国の連中だ。
「そして次が最も重要な問題となる。我ら赤輪軍が、いつ南コインブラに攻め入るべきかということだ。コインブラを統一しなければ、赤輪軍の勝利とは言えまい」
エルガーの問いに、皆が沈黙して考え込む。気持ちとしては、勢いにのって攻めかかりたいところだが、民兵たちには疲れも見える。何より、足元がまだ固まっていない。順調に北コインブラを解放できたのだから、焦ることもない。武官、文官たちの考えは大体このようなものだろう。エルガーも内心ではそう考えている。
約一名は、何故悩んでいるのか心底不思議そうな顔をしているが。
「エルガー様の仰る通り、南北コインブラの統一は避けては通れぬ道です。ですが、最低でも三カ月は統治に専念すべきかと。我らは勢いだけでここまで進んでまいりました。故に、一度の敗戦が命取りとなります。ここは一旦足を止め、兵の訓練を徹底して行なうべきです」
シンシアの言葉に、居並ぶ武官たちが頷く。そして、文官を代表する形で、イルヴァンも続く。
「シンシア殿の意見に概ね同意ですが、私は半年は必要と存じます。この地はひどく荒れ、人々も疲れ果てております。幸いなことに季節は春、内政に専念すれば秋の実りがそれに答えてくれます。収穫を待ち、増強した力をもって南へ攻め入るが得策かと。決して、慌ててはなりませぬ」
シンシア、イルヴァンの慎重策に反論はあがらない。皆、納得したように頷いている。
「……ノエル、お前には別の意見があるようだが。私に遠慮は要らない、考えを率直に聞かせてくれ」
エルガーが話を振ると、ノエルはにっこり笑って頷いた。
「確かに、準備を整えるのは大事だけど。そんなに待ってたら、相手も防御を固めちゃうよね。だから、行くなら今すぐがいいよ。今だったら、多分、突くだけでマドレスは落せるから」
ノエルの言葉に、場がざわめく。
「失礼ながら、何を根拠にそう言われるのか。確かに、エベールは貴方の奇襲で落せました。だが、南はそう上手くはいかぬはず。貴方の武勇は確かに素晴らしいが、それだけで戦に勝てると思われますな。今は、地盤を固める時です」
イルヴァンが反論すると、それに他の者も続こうとした。だが、それら全てを遮り、エルガーが強い口調で述べる。
「――よく、分かった。私はノエルの意見を支持する。それで、兵はどれだけ必要か」
「五千もあれば十分かな。南の領主たちは脅せば、直ぐに降伏してきそうだし。まともに戦えそうなのは、マドレスの兵くらいじゃないかな。ま、従わなければ、全部潰していくよ」
「よし、南コインブラ攻略は、全てお前に任せる。お前のやりたいようにやるといい。あらゆる責任は、私が取る」
「うん、分かった。――じゃなくて、分かりました!」
ノエルが元気に敬礼する。エルガーが会議の終了を告げようとすると、イルヴァンが慌てて詰め寄ってくる。
「お待ち下さいエルガー様! 一体何を考えておられるのです! 急ぐことはないと、私とシンシア殿が説明申し上げたではないですか! 貴方の決断には、我ら赤輪軍の命がかかっているのですぞ!!」
「それは十分理解している。だが、私の父は、ノエルの言葉を無視したため無残な最期を遂げた。だから、私はノエルの言葉を常に信じる。あの日から、そう決めているのだ」
「それは重々承知しておりますが、今は状況が異なります! ノエル殿の言葉がいつも正しいとは限りますまい。これでは、味方同士の足並みが乱れてしまいますぞ!」
「お前たちを信用していないのではない。ただ――」
「ただ?」
「……いや、なんでもない。だが、ノエルの言葉もあながち間違いとは言い切れぬであろう。敵の防備が薄い今こそ、最大の好機とも言えるはずだ」
「しかし、危険すぎます。ここで博打にでる必要は全くないのです。やはり、私は賛成できません。第一、たった五千で落せるとはとても思えません」
「イルヴァン。ノエルが今もバハール人に恐れられるのには、それなりの訳がある。それを、お前もすぐに理解するだろう。だから、ここは私を信じて従ってくれ」
「……御意」
イルヴァンは引き下がると、もう何も言うことはなかった。ただ、ノエルを忌々しげに睨み付けていた。
――エベール城、兵舎。
赤い鎧を脱いだノエルは、腕を伸ばして休息していた。ちなみに、リグレットもなにやら書類をまとめている。
そこに、二叉槍を持ったバルバスと、しかめっ面のシンシアが現れる。それに気がつくと、ノエルは諸手を挙げて歓迎した。
「あ、シンシアにバルバスじゃない。久しぶり! また会えて、本当に嬉しい!」
「隊長、会いたかったですぜ!! 白蟻党の連中も喜んでますよ!」
「……実に、三年ぶりか。相変わらず元気そうで何よりだ」
「ね、驚いた?」
得意気なノエルに、シンシアは苦笑する。
「当たり前だ。本当に、お前は風のように突然現れるな。神出鬼没とは、よく言ったものだ」
「まぁ、悪名高い鬼だからね。それより、シンシアは疲れた顔してるね。少し痩せたのかな?」
「本当に、色々あったのだ。少し前まで、北コインブラは地獄と呼ぶに相応しい状況だった」
「でも、無事で良かったよ。ずっとウィラ島で心配してたんだ。もちろん、バルバスのこともね」
そう言うと、バルバスが目元を拭いながら、近寄ってくる。そして二叉槍を丁重に手渡してきた。
「おかえりなさい、隊長。アンタは、絶対帰ってくると信じてたんだ。ほら、これはアンタが持つべき槍だろう」
「うん。どうもありがとう。やっぱり、この槍が落ち着くね。他のはいまいちだったし」
ノエルは二叉槍を確かめるように何度か握る。やはり、馴染む。久々の再会に、槍も喜んでいるのだろうか。少しだけ熱を帯びている。
「隊長がいない間に、こっちも色々あったんだ。話せばえらく長くなるんだが」
白髪頭を掻くバルバスの肩を、ノエルはばしばしと叩く。
「ね、子供ができたんだって? 私、聞いちゃった!」
「な、なんでそんなことまで知ってるんです!?」
「あはは、カイに聞いちゃったんだ。ね、今度会わせてくれる? どんな子なのかなぁ。早く一緒に遊べたらいいよね!」
ノエルが片目を瞑ると、バルバスの顔が赤くなる。
「あ、ああ、是非見てやってくれ」
「それで、名前はなんていうの?」
「それは、会ったときのお楽しみって奴にしときましょうぜ」
照れ隠しで鼻を掻くバルバス。本当は今知りたいけれど、後での楽しみが増えるのも良いと思った。
「ずるいなぁ。でも、その方が楽しみができていいかも」
「本当は名付け親になって欲しかったんだが。まぁ、隊長の名前にあやからせてもらいましたぜ」
バルバスがそこで言葉を切り、ノエルの後ろへと目を向ける。心底嫌そうに。
「……この糞眼鏡はまだ生きてやがったのか。あーあ、再会の嬉しさが半分になっちまったぜ! 気を利かして姿を隠してろってんだ!」
「三年経っても全く変わらぬ下品な顔と口調。本当にがっかりだわ。崩落事故にあって死んだかと思ったのに」
「この糞アマッ! てめぇこそ疫病で死んでりゃ良かったんだ! そうか、性根が腐ってる奴には罹らないのかもな!」
「アンタは脳が腐ってるから、絶対に罹らないでしょうけど」
「ああっ!?」
以前と同じ光景に、シンシアは思わず吹き出している。ノエルも見ているだけで楽しいので、気持ちはよく分かる。このやりとりは、なんだか落ち着く。本人達はそうは思ってないだろうが。
「それで、ノエル」
「なに?」
「……何故すぐ南に攻め入るなどと強行策を進言したんだ。言い方は悪いが、若君はお前を盲信してしまっている。何か考えがあるなら、是非聞かせてくれ。他の者を説得して、動揺を落ち着かせたい。新参のお前への風当たりが強くなるとも限らない」
真面目な顔に戻ったシンシアが尋ねてくる。相変わらず苦労しているんだなぁとノエルは思った。だから、ノエルはいいよと言って、全部説明することにした。シンシアを苦しめる為に帰ってきた訳ではない。
「こっちの状況は当然苦しいけど、兵の数はまとまってるよね。士気もそれなりに高いみたいだし」
「それはそうだ。ここを目指して進軍してきたのだからな。そして、復讐に燃える者も多い。……怒りや恨みは力になるからな」
「うん。逆に、南コインブラは、マドレスに守備兵がいるくらいで、今はほとんど分散しているはず。それが集まる前に一気にマドレスを落とすのが一番早くて、被害も少ないと思うな」
確かに、地盤は脆く、一度の敗北が致命傷となるだろう。だが、脆いからこそ攻める好機でもある。南は確実に動揺している。下手に安定してしまえば、攻めにくくなってしまう。今は、急戦策が最も効率の良い手段だ。それをやり遂げる自信が、ノエルにはある。
「……なるほど、お前の考えは分かった。だが、そんなに上手く行くのか? 確かに我らの士気は高いが、戦慣れしていない者ばかりだぞ。統率の取れた行動などまず無理だ」
「だから、先遣隊で勝負をつける。私とウィラ島の皆、白蟻党とシンシアの隊がいれば大丈夫かな。後ろの人達は、数合わせみたいなもの。大きく見せるためのね。勝って見せるから、何の心配もいらないよ」
ノエルは胸を張って自信を示した。今なら勝てる。長期戦になればなるほど、不確定要素が増えてわからなくなる。だから、今が良い。
「……えらく大きく出たな」
「だって、三年も時間があったからね。どうやってマドレスを落すか、リグレットと一緒に考えまくったんだ。ね?」
「……まぁ、他にやることもなかったので。ウィルムの屑を潰すためなら、これに付き合うぐらいは我慢するわ」
そっぽを向いて誤魔化すリグレット。エルガーが兵を密かに集め、決起の機会を狙っているという情報は、シデンから聞いていた。物資の援助などはゲンブが行なっていたからだ。
それを聞いたノエルは、エベールとマドレスを陥落させる方法を徹底的に考える事にしたのだ。暇そうなリグレットと一緒に。
ノエルの見る限り、ウィルムとリグレットは思考が良く似ている。嫌がるから言わないが、仮想敵としては最も最適だったのだ。他人を貶めようとする陰険さと自己顕示欲が強い。自分の欲望のためならば、手段を選ばぬ性格。リグレットにはそれに卑屈というものまでくっついている。
それでも、ノエルにとっては大事な友達である。リグレットが言うには違うそうなのだが、ノエルがそう思っているからそれで良いのだ。
逆に、ウィルムには借りがあるので、必ず叩き潰す。これも大事なことだ。絶対に忘れてはいけない。
「大体のことは考えてあるよ。もう声が枯れ果てるまでやり合ったから。だから、リグレットとも仲良くなれたんだけど」
「概ね合っていますが、最後だけは間違っています。貴方と仲良くなどなっていません。大きな勘違いです」
「えー、ひどいな。最後は一緒に釣りをしたり、泳いだりして遊んだのに」
「うるさいわね。余計なことは言わないと約束したでしょう!」
「……ちょっと待て。一体、お前達はウィラ島で何をしていたんだ? 監視つきの軟禁状態にあると聞いていたのだが。何故そんなに自由にしていられたのだ!」
呆れ顔のシンシア。バルバスは愉快そうに笑っている。
「あはは、それは最初だけだよ。途中から皆と仲良くなってね。釣りをしたり、訓練したり、船にのったり、海賊をやっつけたり。色々あって面白かった!」
「か、海賊だと?」
思わず面食らうシンシア。
「そう。私が連れて来た中にも元海賊の人がいるよ。他にもこっそり抜け出してゲンブに行って美味しい物食べたり、ギヴに行って綺麗な絵を見たり、カームビズに行って偉そうな人のお説教を聞いたり。実は結構忙しかったんだよね」
「……待て。だから、何でそんなに自由に行動しているんだ! お前は島流しにあっていたんだろうが! どれだけ私が心配したと!」
「あはは。本当は直ぐに連絡したかったんだけど、こっちに来て、もし見つかったら全部台無しになっちゃうし。ほら、私の噂って結構流れてるじゃない。だからごめんね、シンシア」
「……もういい。お前が無事でいたならば、それでいいんだ」
「シンシアも無事で本当に良かった。それでこれからだけど、リグレットがこれでもかというほど粘着質に考えぬいたから、きっと上手くいくよ。色々考えたけど、短期決戦が一番だって結論になったし。……ね?」
と、リグレットに話を振るが、全く聞いていないようだった。顔が少し紅潮し、目が潤んでいる。しかも、身体が小刻みに震えている。島にいるときも、たまにこういう症状に陥っていた。
「……ふふふっ、もうすぐ、もうすぐよ。今頃、あいつら慌てふためいているに違いないわ」
「あーあ。また始まっちゃった」
「……リグレット殿は、どうしたのだ?」
「ん? 一種の病気かな。気にしないでいいよ」
青白い顔でぶつぶつと独り言を呟いている。自分の世界に行ってしまったようだ。バルバスは気味悪そうにそれを眺めている。
「ふふ、あの糞虫、こんな手勢で州都を落としてやったら、さぞ悔しがるでしょうねぇ。だって、マドレスは堅城だもの。それがこんな寄せ集めに短期間で落とされたらどんな顔をするのかしら。――ああ、本当に楽しみ。このときの為に、私は生きてきたようなものだもの。うふふふっ」
リグレットが危険な笑いを浮かべる。ノエルにとってはいつものことなので、特に気にしない。大体10分もすれば帰ってくる。
見ないことにしたらしいシンシアとバルバスは、とりあえず納得したようだった。
「とにかく、分かった。しっかりと考えた上ならば、問題はない。思いつきでないということを、確認したかっただけだからな。皆にも伝えておこう」
「ありがとう、シンシア」
主張を押し通せば、反発を招くことをノエルは学んだ。今回も、きっとそうなったのだろう。だから、ノエルはシンシアを頼りにするつもりだった。いらぬ敵愾心を緩和させておけば、余計な敵を作ることもない。
一番心配だったのは、エルガーの説得に失敗した場合が問題だったが、これもすんなりといってしまった。最悪、ウィラ島の手勢を率い、進軍しながら強引に味方を増やしていく事まで考えていたからだ。やっぱり、晴れの日は色々と上手くいくから素晴らしい。
「ここだけの話だけどね、南を直ぐに攻める事にした最大の決め手があるんだけど、聞きたい?」
「……あまり聞きたくない気もするが」
「じゃあいいや。もう決まったことだしね」
「ちょっと待て。一応聞いておくことにする。……それで、その決め手とは一体なんなのだ」
シンシアが真面目な顔をして、話を聞く姿勢をとる。ノエルは腰に手を当てて、自信満々に言ってのけた。
「勿論、今日の天気が良かったからだよ。お日様の光を浴びてたら、よーし、今すぐ攻めに行こうって感じに――」
「この、大馬鹿者がッ! あのときから全く成長していないではないか!!」
シンシアの三年ぶりの拳骨が落ちてきた。痩せてしまったシンシアの拳は、以前よりも軽く感じてしまった。多分気のせいだけれど。ノエルは嬉しい気持ちと、悲しい気持ちが入り混じった良く分からない感じを覚えた。
でも、皆、生きてて本当に良かった。これで、約束も守れる。一緒に遊んだり、騒いだり、戦ったりできる。三年間、ずっと我慢してきた甲斐があった。
ノエルは、二叉槍の手触りを確かめながら、そんなことを思った。
「……ところで。お前は、背が伸びたみたいだな。それと、前よりもずっと女らしくなった」
「本当? それはありがとう。えっと、シンシアは白髪が増えちゃったね」
シンシアが何だか泣きそうな顔をしていたので、ノエルは元気付けようと軽口を飛ばす。
「……ああ。北は酷い状況だったからな。沢山の死も見てきた。この状況では、とても全てを救えなかった」
「えっと、本当は白髪なんて生えてないから、大丈夫。シンシアはまだまだ若いし綺麗だよ」
「ふふ、お世辞も上手くなったな。……コインブラを無事奪還できたら、お前に言わなくてはならないことがある。それまでは、港での約束は、待ってくれないだろうか」
「うん? なんだか良く分からないけど、いいよ」
辛そうなシンシア。ノエルは敢えて気がつかないふりをした。シンシアは頭が固い。だから、ノエルに剣を向けたことをいまだに拘っているのだろう。過ぎたことはもうどうでもよいのに。だが、今いっても聞き入れはしないだろう。だから、後回しとする。こういうことは急いでもあまり効果がないと、ノエルも勉強したのだ。
「…………本当に、すまない。だが、今は、戦わなければならないんだ」
「ね、ねぇ、元気だしなよ。ほら、お日様を浴びると、きっと元気になるよ。私もそうだったから!」
「……ああ、そうだな。晴れた日は、お前はいつも元気だった」
「この三年で、仲間も一杯増えたんだよ。紹介するから一緒に来て! ついでにお日様の光を浴びに行こう!」
ノエルはシンシアの服を掴むと、無理矢理外へと連れて行く事にした。シンシアはなんだか萎れているので、新鮮な水と日光が必要だろう。早速井戸に行って、水をぶっかけてやろうと心に決めた。
実行したらやっぱり元気になった。ノエルの頭にはコブが一つできてしまったが。
現在のノエルの年齢は17~19です。
まだ完結していないのに20以上にしたら、タイトルが……ということで。
子供と大人の中間点。島にいる間に色々な面で成長しました。