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第三十四話 星と太陽が殺し合い、赤い輪が生まれた

 コインブラとバハールの戦争――通称、ヴァルデッカ継承戦争から三年の月日が経った。この間、世はまさに怒涛の如く動いていた。



 反乱を起こしたコインブラ州は南北に分割して統治されることとなり、南はウィルム、北はガディスが太守として任命された。ゲンブやギヴ、カームビズといった親グロール派と見做されていた州には、大方の予想に反して目立った罰が与えられる事はなかった。

 ベフナムから皇帝の座を受け継いだアミルは、勝利の勢いのままに、ムンドノーヴォ大陸への遠征――“暁光作戦”の実施を宣言。コインブラとリベルダムを出発拠点とし、大船団を結成。各州より兵十万と物資を集め、ムンドノーヴォ大陸南東部を目指し出発した。アミル自ら総大将となり、前線の指揮官は元帥へと昇進したファリドが任じられた。ちなみに、戦費の負担は、コインブラ、ゲンブ、ギヴの州に重く課せられることになった。先の戦いの意趣返しは、ここで行なわれたのだ。

 帝国軍が上陸した大陸南東部は、アミルの想像以上に容易く制圧が終了した。ムンドノーヴォ大陸の主教であり、大陸を名目上統治している星教会に対する不満が大きい地域だった事もある。この地の領主達は、己の権力拡大の好機と見るや、率先して鞍替えし勝ち馬に乗ろうとした。十万という大軍を前に、死を覚悟に抵抗しようという者などほとんどいなかったのだ。


「この新たな土地の獲得は、暁光作戦における第一歩に過ぎぬ。この程度で止まることなど有り得ぬ!」


 アミルは降伏した領主達を統合、新州ヴェルダンを設け、更なる支配圏の拡大を目論んだ。太守には現地の有力領主のリゲル、大陸宰相としてエルナーズが派遣された。エルナーズは難色を示したが、アミルは一蹴して強引に送り込んだ。リベリカ大陸には、彼の居場所はもうなかったのだ。

 ちなみに、先帝ベフナムは望み通り研究に没頭する日々を送っている。暁計画に続くものを作り出すという名目で、アミルに多額の資金をつぎ込ませて。その代わり、アミルの行動には決して口を挟まず、政治に二度と関わらないという約定を交わしてはいる。念願かなったベフナムは退位以来、表に出てくることは一切なくなった。


『太陽帝を超える者』


 ムンドノーヴォで新領土を獲得し、更に新州の樹立まで成し遂げたアミルは、ホルシード建国以来の名君と讃えられた。いや、それを超えた初めての皇帝とも呼ばれるほどになった。リベリカの民は歓喜し、これから来るであろう輝かしい未来に夢輝かせた。資源、人員、金銀財宝、奇跡の品々。これらが大量にもたらされるだろうと期待したからだ。

 確かに、貴金属や財宝、希少な鉱石、そして大陸からの亡命者などは頻繁にやってきた。だが、期待されていたほどの資源がもたらされる事はなかった。大陸全土を潤すには程遠い。現地では未だ戦いが続いており、本国に大量に送るほどの余裕はない。輸送にも経費と人手が掛かるのだから。

 


 己の権威が失墜しかねない事態を星教会が黙って見ているはずもない。彼らは異教徒を打ち払うための討伐軍を編成して直ちに派兵。教会連合軍とホルシード帝国軍の間で、激しい戦闘が勃発した。最初の会戦では多くの犠牲者がでることとなったが、両者深入りを避けたため勝敗はつかなかった。急遽召集された連合軍はまとまりを欠き、また帝国軍もファリドの指示により防備に徹したため戦線は徐々に膠着。両者決定打を欠いたまま戦は長期化の気配を見せ始めた。


「暁光作戦を円滑に進めるため、第二次暁計画の強化兵を送り込み、大陸における支配圏を更に拡大する。まやかしを用いる邪教の集団を打ち倒し、この地の民に太陽の威光をもたらすのだ!」


 アミルは軍事費を増大させ、第二次暁計画を実行。短期で強引に生産された兵一万を、ヴェルダン州へと送り込んだ。更に大陸北東部にも兵五万を送り、新たな州の設立を目指す二方面での攻勢を計画した。――第二次暁光作戦の開始である。

 星教会側は、大陸技術を駆使してヴェルダン州奪還のため攻勢を掛けるも、暁強化兵の前に苦戦を強いられる。切り札とされた大陸技術は、思うように数が揃わなかった。そして、人間離れした暁強化兵の能力は、大陸でも十分な威力を発揮した。


「奇妙な技術を用いるようだが、我らの前に敵はなし。邪教徒どもを打ち払え!!」


 ファリド率いる黒陽騎の強襲により有力領主数人が討ち取られると、守勢に徹して拡大の阻止に努めざるを得なくなる。必死なのは権威を守りたい星教会だけであり、領主達は自分の土地が無事ならそれでよかったからだ。そこに民の意志は一切存在しないが。



 しかし、大陸北東戦線においては状況が異なった。


「――全軍突撃。田畑を荒らす屑共は一人残らず皆殺しにしろ。絶対に生かして帰すな」

『応ッ!!』


 異国の者に故郷を奪われてなるものかと、住民が率先して義勇兵に参加。さらに白カラスの旗を掲げた星教会所属の騎兵隊も加わり、凄まじい逆襲を展開。帝国上陸兵は為す統べなく打ち破られた。長い航海で疲弊しており、直ぐには戦える状態ではなかったことが最大の敗因だ。地元領主の協力を得られた前回とは、状況が全く違ったのだ。転進を余儀なくされた北方方面の船団は、ヴェルダン州に上陸し合流。南東部の維持、拡大へと方針を転換した。


「今は力を蓄えねばならぬ。だが、余は決して諦めぬ。二つの大陸を征服し、太陽帝に勝る名声を勝ち取ってみせる! 世界に太陽は一つ、我がホルシードこそが支配者となるべきなのだ!! そのためならば、どれだけの犠牲も惜しむまい!!」


 思うように遠征が捗らぬことに、若きアミルは焦っていた。初めて味わった挫折ともいえる。まるで、乾いた砂漠に水を撒き続けているかのような錯覚にも囚われていた。今していることが、最早リベリカ大陸に栄光をもたらすことはないと、頭では理解してしまっていたのだ。

 だが、皇帝は失敗を認めるわけにはいかない。失敗を認めることは、弱みとなり、権威の低下につながる。だから、絶対に続けなければならないのだ。一部の家臣が進言する、遠征中止、撤退などという選択肢は、もはや有り得なかった。


 結局、第二次暁光作戦は、ヴェルダン州の死守という目的は達成したが、新領土の獲得には至らなかった。帝国の攻勢が止まった瞬間でもある。状況は痛みわけに思えるが、そうではない。敵対する星教会側はひたすら戦力増強に努めるが、帝国側は兵を船団により派遣する必要がある。現地で徴兵するにしても限度がある。しかもいつ裏切るか分からない、信頼できない兵たち。だから、リベリカ大陸で兵を育てて逐一送り込まなければならない。結果として軍事費は更に増大、それは民への税と労役として重くのしかかることとなった。


 不満の高まりを抑えるため、アミルは帰還を決定する。これ以上、リベリカ本土を放って置くわけにはいかないという判断だ。その際、大陸での捕虜を、人的資源としてリベリカに連行。奴隷階級に落とす事で、民の不満の解消を図った。一部の人間は満足したが、これは大した成果をもたらすことはなく、むしろ後の火種を抱え込むことにつながった。

 そして、大陸からはもう一つのものが持ち込まれていた。人の精神を破壊する“咎草”だ。どこから持ち込まれたのかは分からないが、一部の貴族だけではなく、ホルシードの兵や将にまでそれは蔓延し、最早取り返しのつかない者まで現れる始末。取締りを強化するほど闇市場では高値がつき、需要は留まることを知らない。アミルはこの事態への対処にも苦慮させられることになった。

 この時、領土は帝国史上最大の版図となっていたが、その土台は確実に揺らぎ始めていた。


 徴兵されて大陸に送り込まれた者は未だ帰らず、働き手が減ったため収穫量の減少に直結。各州の太守はその対応に頭を悩ませる。民は掌を返し、現皇帝アミルへの不満を急速に募らせていった。

 アミルはこれらの不満分子を抑えるため、帝国最強と名高いファリドを召還せざるを得なくなる。不穏な動きを見せるギヴとゲンブの近隣、ホルン州へ派遣して睨みを利かせるためだ。ここは大陸北部に当り、いざとなればロングストーム州と合同でギヴやゲンヴに攻め入ることもできる。中央から北にそびえる防壁のようなものだ。


 このように、帝国の統治には暗い影が差し始めていたのだが、まだ暴発までには至らなかった。確かに不平不満は渦巻いてはいたが、遠征さえ軌道に乗れば、今までの投資は帰ってくると領主たちは楽観視していたからだ。アミルや新宰相ミルズが大陸の状況を上手く喧伝した賜物なのだが。







 ――だが、それを待ってなどいられない、危機的状況にある州が二つあった。先の戦から未だ立ち直れない、南北コインブラの両州である。

 

「……ウィルムめ。いずれ、こうなると分かっていながら、私を嵌めたのか。このような荒地に私を押し込めておきながら、一切援助を寄越そうとはせぬ。あの二枚舌の薄情者めがッ!」


 片足を失ったガディスが報告書を破りながら、一人愚痴る。ここは北コインブラの居城、エベール。復興の拠点として、ガディスが意気揚々と築城しようとしたもの。資金は、アミルから援助金が送られるはずだった。ペリウスの政策を引き継ぎ、少しずつ商業と農業を発展させようともしていた。だが、外壁だけで工事は止まり、とてもではないが城と呼べる代物ではない。以前の寂れた町の光景は今も残っている。その理由はたった一つ、金がないからだ。アミルの言った援助金などというのは、ただの空手形であった。


(まともな城を持つこともできぬとは。太守など名ばかりではないか!)


 南北分割の際、豊かな都市は全て南部に持っていかれてしまい、北部には寂れた町、鉱山、更には荒廃したロックベルやボルボなどが割り当てられた。ウィルムが有利な方を取るというのは、仕方がないとガディスも一旦は思った。だが、これはあまりにも酷だ。金もなく、それを作り出す土台もない。確かに太守にはなれたが、この状況を打破する手段などあるはずもない。


(私にどうしろというのだ。この有様をなんとかできる者など、世にいる訳がない)


 ならばとにかく金を寄越せとウィルムに詰め寄るも、こちらにもそのような余裕はないと一蹴される始末。皇帝アミルからは遠征費の負担を求められ、ガディスは苦境に立たされた。

 最後の手段として、ガディスは税を払えない民に、鉱山に派遣し採掘に当たらせる労役を課すことにした。金脈が見つかれば、たちまちにこの苦境から脱出できる。亡きグロールが追い求めた夢を、皮肉にも裏切ったガディスが引き継ぐ結果となった。

 働き手を取られた北コインブラ民の不満は一層溜まるが、金脈は出ない。重労働に耐え切れず、脱走する者が続出。更に、鉱山での崩落事故が多発し、死者まで出始めていた。


(鉱石に衝撃を加えたら破裂しただのと、鉱山監督官はくだらぬ妄言を述べて誤魔化しを図る。兵は俸給がなければ食っていけぬと、任務を放棄する者までいる。陛下だけではなく、味方からも見捨てられた私は、一体どうすればいいのだ?)


 大規模な反乱が起きていないのは、先の赤輪軍の敗北の記憶があるからだろうが、それを上回る憤怒が蓄積しつつある。もうガディスには止めようがない。


「金脈さえ、金脈さえ見つかれば全ては上手くいくものを。そうすれば立て直す事ができるものをッ! なぜ、なぜ、見つからぬのだ! 神が私を見捨てたというのか!! あのグロールのように!」


 追い詰められたガディスは精神的に衰弱していく。統治を遠縁の部下に丸投げし、ひたすら部屋に篭る日々を送った。家臣の殆どは北部出身者、更にシンシアやエルガーといった旧グロール派の者までいる。

 南部出身、そして裏切り者のガディスには、まさに針のむしろだったであろう。近頃は、刺客が放たれたと言う噂まで流れ始める始末。脅えるガディスは、身内以外は誰も近づけなくなった。治安は更に悪化した。

 



 では南コインブラはというと、こちらも悲惨である。アミルの覚えを良くしたかったウィルムは、多額の遠征費を志願して捻出。リベルダムと共同で出発拠点になることを名乗り出た。ウィルムの頭には、十万の大軍で一挙に大陸を席巻。捕虜と大量の資源を獲得し、投資分はそれで釣りが来るほど賄えるだろうという皮算用があった。

 グロールの意志を残すため、恥を偲んでウィルムの臣となったペリウスは、今は身の丈にあった政治をすべきと何度も注進するも、それは聞きいれられなかった。大陸遠征という帝国史に確実に残る偉業を目の当たりにし、武官出身のウィルムは自制心を失っていたのだ。なんとしても後世に名を残したいという野心と欲望に囚われてしまった。


「……ペリウス。陛下からの返事はまだなのか?」

「残念ですが、未だありません。おそらく、今回も黙殺されていることかと。今の陛下は金一粒でも欲しいところでしょう。我らだけ容赦してくださるとはとても思えません。むしろ、徹底的に絞りつくすつもりなのやも」

「これ以上の負担は、我が州にはとても無理だ。いくら民を絞ったところで、最早血しか出ないであろう。ないものはないのだからな!」

「……はい」

「陛下はこの事態をどう考えているのか! 我らに死ねと言っているに等しいではないか!!」


 激昂するウィルムを、ペリウスが冷たく見据える。


「太守。私は遠征前に何度も申し上げたはず。我らの身の丈にあったことを為すべきだと。だが、貴方は無理をした。陛下に見限られるのを恐れて。これがその結果です。現在の惨状は、決断した貴方と、止められなかった我ら家臣一同の責任です」

「……私が、間違っていたというのか? アミル様に――陛下に忠実に従った、この私が間違っていたと」

「コインブラの責任は貴方が最も負わなければならない。貴方は望んでその地位を奪い取ったのだ。逃げる事は決して許されませんぞ」

「あの時、大義は間違いなくアミル様にあった! グロールは何も考えずに戦を仕掛けたのだから! 彼奴は民のためではなく、自尊心を守る為に攻め入ったのだ! 違うか、ペリウス!?」

「確かに、グロール様が選択を間違えられたのは確かです。我らは命を賭してでもお止めするべきでした」

「そうであろうが! 私は正しい行いをしたまでのこと。それを奪い取ったなどと、どの口がほざくのだ!」

「……太守。苦しむ民にとっては、そんなことはどうでもよいのです。グロール様は既に亡く、今は貴方が南コインブラの太守なのだから。どうか、民のために力を尽くして頂きたい。それができぬのであれば、今すぐその地位を退かれるが宜しいかと。ただし、楽隠居できると思われますな」


 太守の地位を退けば、ウィルムに待つのは破滅のみ。アミルにより失政を追及されての死か、それとも民達からの復讐の刃か。


「…………」


 ウィルムは目を背ける。反論できずに黙るしかない。ペリウスを無礼討ちすることも可能だが、そうなれば文官たちが黙っていないだろう。ウィルムが太守になって気付かされたのは、使える人間の少なさだ。ウィルムに従った者のほとんどは、己の利益だけを追い求め、州のために力を尽くそうなどという者は殆どいなかった。

 彼らを信じられなくなったウィルムは、早々に権力を剥奪。自分の身内を要職につけ始める。己の意に沿う政治を行なうためには仕方なかったと自分を納得させるが、やっていることはあのグロールよりも酷いという自覚があった。


「今更泣き言を吐くなど、我らには許されません。今はできることから手をつけ、一つずつ対処いたしましょう。まずは、疫病の拡大を阻止すべきです。栄養状態を回復させれば、更なる疫病の蔓延は防げます。遠征用に蓄えている物資を解放すべきです。そして、労役から民を解き放ち、税を下げるのです。時間稼ぎにすぎませんが、応急処置にはなります」

「……それは、できぬ」

「陛下の意に背くことを恐れていては、状況を回復させることなど不可能ですぞ!! 惨状は貴方も理解しておられるはずだ!」


 ペリウスの言葉は正しい。だが、できない。ウィルムの後ろ盾は、アミルの信任に他ならない。それを失えば、太守の地位を失うだろう。後釜はいくらでもいる。


「……駄目だ。やはり、それだけはできぬ」


 ペリウスが疲れ果てたように溜息を吐く。金がなければどうしようもない。何度も説得し、翻意を待つしかない。なんとしても、ウィルムの目を覚まさせなければならない。現実を直視させ、自らが破滅しようとも民を救わせるのだ。何千、何万という命がそれで助かるならば安い物だ。


(ゲンブに、泣きっ面に蜂という言葉があったが、今がまさにそれであろうな)


 大陸との船団の往来が続く南コインブラ、リベルダムでは原因不明の疫病が発生。肉と臓腑を腐らせていくそれは『腐肉病』として恐れられた。健康な者ならば治癒力がおいつくのだが、不健康な者は回復することなく死んでいった。栄養状況が悪い南コインブラは被害が深刻だった。


「太守、北コインブラ州より急使が参りました!」

「北からの物資の催促ならば、ないと言って追い返せ。奴の愚痴はいい加減聞き飽きたわ!」


 ガディスからの使者は、そのすべてが物資の要求だ。北が苦しいのは分かっているが、どうすることもできない。そんな余裕があるならば、自らの州の復興に使うだろう。


「そうではありませんッ! 北コインブラ山岳地帯において、反乱が勃発! 赤輪軍を名乗り、ガディス様の居城エベールに向かい侵攻中! 至急救援を求むとのことですッ!」

「せ、赤輪軍だと? あの赤輪軍が、また現れたというのかッ!?」


 ウィルムは目を剥く。かつて、アミルの策によって強引に引き起こされた反乱軍。グロールを破滅へと追いやった第一歩だ。奇しくも同様の状況がウィルムにも訪れてしまった。しかも名前も同じ赤輪軍。これは何の因果だろうか。


「反乱軍の規模は! 一体誰が率いているのか!」


 ペリウスが大声で問い質す。


「はっ! 赤輪軍大将はグロールの遺児エルガー・ルートウイング! 更に、一万を越える民衆が行動を共にしております! その勢い凄まじく、とても止められぬとのこと。彼らは北コインブラの兵まで取り込み、日に日に勢力を増しているようです!」

「間違いなく、若君が、反乱軍を率いているのだな?」


 ペリウスの問いかけに、兵が頷く。

 エルガーは今は亡きグロールの遺児。この三年の間は、北コインブラの屋敷で静かに暮らしていたはずだった。彼の面倒を見ていたのは、北コインブラ千人長シンシア・エードリッヒだ。何かを企むことは、容易に考えられたこと。だが、ガディスはそれを見逃してしまった。精神を病み、気づくことができなかったのだろう。自室に篭りっきりだという話は、こちらにも流れていた。


「はっ、間違いありません! 赤輪に天秤の紋章を記し、旗印としているようです。コインブラを逆臣から奪還し、悪政から民を救うと号令をかけている様子!」

「……なんたること。太守、いかがいたしますか。反乱は止めねばなりませんが、我らにも増援を送る余裕はとてもありませぬ。マドレスを手薄にすれば、反乱に同調する者が決起するやもしれません」


 ペリウスは疼き始めた己の本心を何とか隠す。本当ならば、エルガーの下で戦いたい。今はウィルムに仕えているが、本心では唾棄すべき相手だ。だが、武力で政治を覆すというやり方は、ペリウスにはできない。それがまかり通る世の中にしてはならないという信念がある。だから、今はコインブラの臣として、マドレスの民のためにできることをする。


「至急ロイエを呼び出し、カナン街道の守りを固めさせよ。ガディスには悪いが、北コインブラの面倒は見れぬ。だが、放置もできぬだろう。陛下に、直ちに討伐軍を編成して寄越すようにと、使いを出せ!」


 ウィルムが気力を振り絞り、指示を出す。頭を抱えたいところだが、州の最高指導者にはそれは許されない。


「はっ。直ちに手配いたします!」


 ペリウスが了解すると同時に、別の使者が飛び込んでくる。その顔はひどく青褪め、身体が震えている。


「――た、大変です!! 一大事でございます!!」

「今度は何事か。落ち着いて己の任務を果たせ!」

「ゲンブ州が帝国に対し独立を宣言、ロングストーム州に侵攻を開始! 時を同じくして、ギヴ、カームビズの両州も独立を宣言、ホルン州に侵攻! 既に戦闘が始まっている模様!!」

「な、なんだと?」


 唖然とするペリウスを尻目に、使者は最後の言葉を吐き出した。


「リベリカ大陸北西部の三州が、ホルシード帝国に対し反旗を翻しましたッ!!」

「…………」


 それを聞いたウィルムは、書状を手から落としてしまった。再び乱世が訪れる。凄まじい嵐となり、確実にこの南コインブラも巻き込まれる。崩れる体を兵に支えられるのを感じながら、ウィルムは亡き主の最期を思い出していた。


(一体、これから帝国はどうなるのだ。コインブラはどうなるのだ。そして、私は、どうなるというのだ。……もう、私には分からぬ)

 

 


 ――赤輪軍本陣。

 エルガーにより率いられる赤輪軍は、様々な身分、出身の者が集まってできた軍隊である。面子を見れば、旧コインブラ軍人、白蟻党、ムンドノーヴォから亡命してきたイル教徒、そして半数を占める北コインブラの民兵である。

 怒りに燃える彼らの士気は高いが、錬度や武装の面では話にならない。統一された行動など期待することもできない。軍隊として機能しそうなのは、シンシア率いる兵と、白蟻党、イル教徒たちであろうか。


「エルガー様。目標としていた砦は自ら門を開き、守備兵は我らの味方に加わりました。作戦は至って順調です!」

「そうか。決して、区別することなく扱うように。降ったのならば、我らは目的を共にする仲間だ。惜しまずに食料を与えてやれ」

「御意」


 エルガーは、奇怪な紋章の入った緑ローブを纏う男、イルヴァンに命じる。この男は、ムンドノーヴォ大陸に見切りをつけ、率先して亡命してきた男だ。大陸で弾圧され続けた彼らイル教徒は、ひたすら反撃の機会を待ち続けていた。今こそその時と判断したらしく、全ての財産、教徒を連れてコインブラへと亡命してきた。だが、先遣した教徒たちが奴隷階級に落とされたと知るや身を隠し、己を売り込む相手をひたすら探し続けていたという訳だ。

 そして、その相手に選ばれたのがエルガー。財産と大陸知識を与える代わりに、教徒の安全、そして布教の自由を確約させた。イルヴァンの娘イルムとエルガーの婚約がその証である。イル教徒は千人程度だが、彼らのもたらした財産によって反乱軍は決起できた。そして、大陸からもたらされた食料“キュロス芋”と禁忌の植物“咎草”が、飢えで喘ぐ北コインブラ人を救う事になった。

 エルガーは、いずれ禍根となることを承知で、布教の自由と咎草の栽培を認めた。問題があろうとも、それを受け入れざるを得ない台所事情だったのだ。


「――若君」


 兜を取ったシンシアが跪き話しかける。


「いい加減、若君はやめてくれ。私は赤輪軍の総大将なのだから。部下に軽く見られるようでは、全軍の士気に関わる」

「も、申し訳ありません」


 顔を赤くするシンシア。その忠誠は父グロールの時から変わりない。だが、苦しい生活でその顔はやつれている。


「……それで、用件は」

「はっ、なんとか、全ての兵に武具を行き渡らせました。また、規律の遵守も伝え、破った者についてはみせしめとして処刑いたしました」


 反乱に参加するものには、ならず者や傭兵崩れも多数いる。彼らは戦いに慣れているが、直ぐに略奪に走る。だから、しっかりと制御するためにも規律は徹底させなければならない。


「それでいい。かつての赤輪軍と同じ轍を踏めば、我らは直ぐに見捨てられる。略奪する者に容赦はするな。敵と同じものとして厳しく処断せよ」

「はっ!」

「それと、斥候を密に放ち、エベール城から決して目を離さないように。ガディスがやけを起こして、突撃してくる可能性がある。あれは、最近精神を病んでいるらしいからな。何をしてもおかしくない」


 エルガーは淡々と命じると、返事を待たずに席を立った。


「城への降伏勧告は、どういたしますか?」

「その必要は全くない。その気があれば、向こうから降ってくるであろう。当然だが、無条件降伏以外呑む気はない。全ては奴が招いた結果だ。命を以って償わせろ」


 エルガーは表情を変えずにシンシアに答える。

 グロールが死んだ後、エルガーはひたすら己の鍛錬に打ち込んだ。そして、怒りの感情を表に出すことをしなくなった。我慢することを決意したのだ。

 万が一にも反乱を疑われれば、ガディスによって討たれる可能性があった。己の本意を心の奥底に沈め、ひたすら機会を待ち続けた。闇討ちできる機会は何度もあったが、エルガーは堪えた。それでは、ガディスしか仕留められない。


(……本当に、本当に長き屈辱の日々であった)


 アミルの遠征の不調、ガディスとウィルムの失政、イルヴァンたちイル教徒の合流、そしてゲンブとの協力関係の樹立。これらを満たすまで、エルガーはひたすら屈辱に耐えて生き続けた。エルガーは15歳。あれからたったの三年だ。だが、とても長かった。

 実際のところ、赤輪軍の反乱はゲンブに利用されているようなものだ。ゲンブはロングストーム州の奪還が目的であり、コインブラがどうなろうと知ったことではない。だが、多少の支援によって、南から攻められることがなくなるのであればと、彼らは喜んで物資を送ってきた。コインブラで騒乱が起きている限り、ゲンブはロングストームのみに対象を絞ることができる。

 しかも、旗頭となるエルガーは15の若造。壮年のシデンから見れば、ひよっこもいいところだろう。制御するのは容易いと舐められている。能力、経験、器量、エルガーは全ての点でおいて今は劣っていると自覚がある。

 それらを全て承知の上で、エルガーは決起した。彼らがそうするように、こちらも最大限利用してやるつもりで。


(コインブラを奪還するためならば、私はどんなことでもする。そう決めたのだ)


 腹心には、平民出身のナッジや、白蟻党のバルバスといった面々を加える事で、グロールの復讐戦という臭いを消そうと心がけた。民は貴族同士の争いになど興味はない。己の怒りを分かってくれる相手に、力を貸す。故に、自分は纏め役に徹し、私心を捨てなければならない。

 決起をより確実なものとするために、イルヴァンの娘と婚約することすら頷いてみせた。全ては、コインブラ奪還のためだ。イル教徒からの信用を得るためには止むを得なかった。だが、その甲斐あって、決起に必要な物資は予想以上の速度で集まったのだ。


「間もなくです、父上、母上。コインブラを、逆臣どもから必ず取り返して見せます。……力を貸せとは言いませぬ。どうか、見守っていて下さい」


 父と母、そしてウィラ島に流されたノエルの顔を思い浮かべた後、エルガーは軍務へと戻った。

 

 



 

「進めッ! 赤輪軍の同志たちよ! 悪逆の者共から我らの故郷を取り戻すのだ!! 同胞の血を啜って生きる害虫共を根絶やしにしろ!!」

『応っ!!』


 ――赤輪軍の大攻勢が始まった。蝗のように広がり続けるそれは、北コインブラを一挙に席巻。抵抗した領主は即座に討ち取られた。だが、かつての赤輪軍と異なり、大人しく降った者は何の咎めもなく許された。同じコインブラ人から奪う事は厳禁とされ、それを破った者は、怨敵ガディス、ウィルムと同罪として即座に処刑されていく。

 寄せ集めの軍隊だったが、なんとか規律を保つことには成功していた。それは、バルバスやナッジたち平民出の指揮官の努力、そして最低限の食料があったことが最大の理由であろう。人は限界まで餓えたときに、思考を失い獣となるのだ。


 北コインブラ太守のガディスは、反撃に打って出ることもなく、ひたすら居城にこもり続けた。近隣の州に援軍要請を送るも黙殺され、もはや打つ手はなくなった。家臣を遠ざけ、家族すらも近寄らせず、裏切りに脅える毎日を過ごす。

 そしていよいよ、赤輪軍は北コインブラ州都、エベール城にたどり着こうとしていた。防御はないも同然、一撃で落す事が可能とエルガーたち首脳部は見ていた。


「……エルガー様。いよいよですな。ここまでは問題ありません。民からの支持も得られております。我らは私欲での反乱ではなく、民達の代弁者として受け入れられました」

「ああ。だが、本当に肝心なのはこれからであろう。南のウィルム、そして帝都のアミルがどう動くかだ」

「御意にございます。……エルガー様」

「何だ」

「ことがなった暁には、我々との約束をお忘れなきよう。ここは、我らの最後の居場所です。我らには最早逃げ場所も財産もありませぬ。それを失うぐらいならば、全てを道連れに死を選ぶ覚悟にございますぞ。どうか、我らイル教徒を、お救いください」


 イルヴァンが僅かに興奮した様子を見せる。聞くところによれば、彼も厳しい弾圧を逃げ延び、地獄を味わってきたらしい。まだ40だというのに、髪は抜け落ち、顔はやつれて老人のような外見だ。それだけ苦難の日々を送ってきたという事。この血を吐くような言葉は、嘘ではあるまい。エルガーが約定を破れば、全てのイル教徒が刃を向けてくるに違いない。彼らの信心の深さは、エルガーも認めるところだった。


「もちろん分かっている。前も言った通り、私は約束を破らぬ。我が友、ノエル・ヴォスハイトがそうであったようにな。お前達を裏切ることは、絶対にない」

「……その言葉を聞き、心より安心致しました。無礼なことを申しあげた事、どうかお許し下さい。私は心弱き人間、それ故、神の救いに縋って生きてまいりました。いや、我らイル教徒全員がそうでありましょう。人間を信じるということに、まだ慣れていないのです」

「……構わん。疑いを抱いたならば、直ぐに問いに来るが良い。私も嘘偽りは述べぬ。味方同士の疑心暗鬼は、何も生み出さぬと知っているからな。イル教徒たちにも、心配は一切無用と伝えよ」


 エルガーはそう述べ、天幕を出る。この休息が終わり次第、エベールを包囲して総攻めが始まる。ガディスは降伏の決断をしなかった。ならば、報いを受けさせるまで。


「エルガー様!! 大変ですッ! エベール城の様子がおかしいんですッ!!」


 民兵たちの纏め役、槍遣いのナッジが大声と共に駆け込んでくる。元はいわゆるはみ出し者だったが、シンシアとバルバスの教育のお蔭で多少は矯正された。苦しいときでも常に明るく、誰が相手でも物怖じしない性格で、民からの信頼も篤い。彼は民の代弁者として、常に遠慮なく本心を述べてくる。そんなナッジを、エルガーは武官ではなく文官の資質を見出している。民の心を掴む才能というのは、中々得がたいもの。


「落ち着け、ナッジ。様子がおかしいとはどういうことか?」

「もうすぐシンシア隊長も戻ってきますが。城の旗が、北コインブラのものじゃないんです! ありゃ何かあったに違いありません!」

「なんだと?」


 ガディスの居城エベールには当然北コインブラの旗が上がっているはず。紋章は、勿論ガディスのものだ。それがないということは何かが起こったということだ。

 エルガーはどこか心が浮き立つのを感じる。それを必死に抑えながら、ゆっくりと歩を進め始める。

 そして、馬を駆るシンシアが凄まじい速さで引き返してくると、慌てた様子で報告してくる。


「ほ、報告いたします! 北コインブラ州都、エベール城は既に陥落しております!! 上がる旗は二槌の紋章! ノエル・ヴォスハイトのものです!!」

「ノエルだと。それは間違いないのか!?」


 エルガーが念を押す。


「はっ、間違いありません! ノエルの奴が帰ってきて、見事に城を陥落させたのです! ご覧ください! あのお調子者、気楽にラッパなど吹いております!」


 心から嬉しそうな笑みを見せるシンシア。エルガーは城が見える場所まで駆け、遠眼鏡でそれを確認する。

 城の楼閣には二槌の旗。城壁で勝ち鬨を上げている兵は、南コインブラの軍装を着ている。だが、彼らはコインブラ天秤旗を掲げてはいない。あるのは間違いなく二鎚の旗、その隣にはこれも二対の銛の旗。どこの紋章かまでは分からない。


「どうやら、城は完全に制圧されているようですな。守備兵は白旗をあげておりますが、一応警戒させておきましょう」


 冷静なイルヴァンの声。だが、エルガーの耳には最早何も入らない。


「ノエルが、あのノエルが、私との約束を守りに帰ってきたのか」

「はっ。おそらく、ウィラ島の兵を纏めてやってきたのでしょう。あいつは何故か人望がありますから。手勢で強襲し、落として見せたのかと」


 南コインブラからの援軍と偽り、城に入り込んだのかもしれない。ノエルならば、それぐらい簡単にやってのけるだろう。


「……シンシア。私は、まさに百人力を得た気分だ。そして本当に、嬉しく思う。ああ、父上がおられたら、きっと心から喜んだ事だろうな」


 エルガーは、亡き父の顔を思い浮かべてしまった。後悔を顔に貼り付けたまま、首を落とされたグロールのことを。目に、熱いものが込上げてくる。だが、泣いてはいけない。指揮官の涙は、凶兆とされている。


「それは、本人に伝えるのが良いかと。さぁ、我らもエベールに乗り込みましょう!」


 シンシアが促すと、エルガーは目元を拭って、強く頷いた。


「……ああ、そうだな。急いで向かうとしよう。――全軍、エベールに入城するぞ!! 北コインブラは解放されたのだ!」

『はっ!』


 兵達から勝どきが上がり始める。それを止める必要は何もない。喜びの声を上げる兵と共に、陥落したエベール城へと歩き始める。未完成のまま落ちた城を見上げる。太陽の陽射しを浴びながら、ノエルは不機嫌そうな副官と一緒に勝利のラッパを吹き続けていた。

南西→南東でした。

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