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第三十三話 勝者に祝福を、敗者には死を

 シンシア隊は、ノエルが篭るボルボの街付近に到着した。外から見る限りでも、かなりの防備が固められているのが分かる。外周には水堀があり、城壁代わりとしては土嚢がかなりの高さに積み上げられている。この高低差では、備えがなければ攻め入るのは中々難しい。更に、各方面を見張る櫓まで築かれている。わずかの間に、寂れた街が戦闘用の要塞へと姿を変えていた。たなびく二鎚の旗印は、攻め入ろうとする者の戦意をさぞかし挫く事であろう。


(やはり、ノエルは徹底抗戦の構えか)


 シンシア隊は、ゆっくりと兵を前進させる。あまり急がせると、敵と勘違いされて弓兵の攻撃を受けるかもしれない。案の定、櫓にいた見張りに発見されたようで、警戒の鐘がけたたましく打ち鳴らされた。即座に土嚢の上にノエルの兵が立ち並び、弓を構えてこちらへと狙いを定めてくる。


「私は、コインブラ軍千人長のシンシアである! 私は諸君の敵ではない、どうか門を開けていただきたい!」


 前に進み出たシンシアは大声を張り上げ、隊が掲げるコインブラ軍旗を指し示す。しばらくすると、土嚢の兵達は安堵したように弓を下ろし、街の門が開かれる。

 シンシアは、兵にここで待機するように命じ、単身ボルボの街へと進む。シンシア隊の更に後方には、バハールの兵が五千人ほど控えている。もしシンシアが説得に失敗した場合、即座に包囲して攻めかかるつもりなのだ。バハール公アミルはノエルの、捨て身の戦いぶりを脅威と考えているらしい。何があっても野に放ってはならないと、強く厳命していた。


 シンシアが街に入ると、心から嬉しそうな顔を浮かべたノエルが、まるでそのまま飛び立ちそうな勢いで駆け寄ってくる。


「久しぶり! また無事に会えて本当に良かったよ! まさか味方とは思わなかったから、つい弓を向けさせちゃった。ごめんね、シンシア」


 早口で捲くし立てるノエル。シンシアは気にしないで良いと静かに告げる。


「この状況では当然のことだ。お前の行動は正しい。……私も、また会えて嬉しく思う」

「相変わらず、堅苦しいね! この街には、私より偉い人はいないから、気にしなくていいのに。ね、見て見て! 私もシンシアと同じように昇進したんだよ。ほら、千人長! これでようやくお揃いだね!」


 ノエルは千人長の階級証を見せてくる。白い歯を見せて楽しげに。


「ああ。こんなに早く並ばれるとは思っていなかった。流石は鬼と恐れられることはある。……本当ならば、祝いの言葉を述べたいところだが、そういう状況ではないのだろうな」


 重苦しい口調のシンシア。まだ一度も笑う事ができていない。いや、これから告げねばならぬことを考えると、とてもではないが笑みなど浮かべられない。

 ノエルはこちらの様子がおかしいことに気付いたようだ。笑うのをやめると、一瞬だけ悲しそうに目を伏せる。側にいるカイ、バルバス、リグレットも怪訝そうにこちらを見ている。


「ね、マドレスはバハール軍に包囲されているって話だったけど。あれは、ただの噂だったのかな?」

「…………」

「それとも、無理をしてここまで来てくれたのかな? もしそうなら嬉しいな。私ね、誰かに助けに来てもらったことってあまりないんだ」


 あははと、乾いた声で笑うノエル。ノエルは背負っていた二叉槍を地面に突き立てると、バルバスに目で合図して門を閉めさせる。おそらく、隙を突いて突入されることを警戒しはじめたのだろう。更に手を振り、土嚢の上に兵を並べさせる。


「流石に気付くか。お前は、本当に勘が良いからな」

「外にいるシンシアの兵のほかに、誰か隠れてるでしょ。もし援軍だったら嬉しいな。沢山の兵がいれば、マドレスに突入するのも楽になるよ。マドレスに入っちゃえばこっちのもんだよね」


 シンシアは、こうなったら嘘偽りなく告げるしかないと判断した。これ以上ノエルが何かすれば、バハール兵に交渉決裂したと勘違いされる可能性がある。


「ノエル。はっきりと言う。私がここに来たのは、お前を助けるためではない。お前に、投降を促すためだ」


 その言葉に、周囲にいた兵たちがざわめく。ノエル隊の戦意は高いらしく、誰もが不服そうな表情だ。しばらくすると、怒声や罵声が上がりはじめる。どれも降伏等するわけがないという類のもの。それはそうだろう。降伏を考えている者ならば、このように街を要塞化などする訳がない。作業の間に、とっとと逃げ出しているはずだ。

 ノエルはいきり立つ部下に手を上げて制止させると、一歩、大地を踏みしめるように近づいてくる。腰にはノエル愛用の鉄槌、二叉槍は地面に突き立てられたままだ。シンシアは万が一の不意打ちに備える。そんなことをするはずがないと信じているが、自分はまだ死ぬわけにはいかない。それは誰も救われない最悪の結果を招く。


「あはは、シンシアもたまには冗談を言うんだね。出会ってから、初めて聞いた気がするよ」

「……本当に残念だが、冗談ではない。太守はバハールに降ることを決意された。そして、未だ戦い続けるお前を説得する使者として、私が選ばれたのだ」


 シンシアが諭すように告げると、ノエルは地面を踏みつけて激昂する。


「降伏? 私が降伏なんてする訳がない」

「……ノエル」

「降伏なんて、絶対に私は嫌だよ。戦わずに死ぬなんて絶対に嫌だ。私はここにいる皆と、最後まで戦うって決めてるし」

「そうだ! 俺達はノエル隊長についていくぞ! 死んでもだ!」

「隊長と親方の武勇がありゃ、バハールの連中なんて屁でもねぇ!」

「俺達白蟻党がこの鉱山地帯に篭れば、何年でも戦えるぜ!」

「白蟻党だけじゃないぞ! コインブラ軍の力を見せ付けてやる!」


 ノエルの言葉に沸き立つ兵士達。


「ね? 皆こんなに元気一杯なんだ。だから、大丈夫だよ。シンシアも一緒に戦おう。まずはマドレスの包囲を突破して、太守と若君たちを助ける。あとはこの鉱山地帯に潜んで、好機を待つの。相手が音を上げるまで、延々と戦い続ければ、いつかは絶対に勝てるよ」


 ノエルが戦略を語る。本人も実現できるとは思っていないのだろう。どこか自信のない表情に見える。だが、負けだけは絶対に認められないというのは伝わってくる。実際、マドレスの突破は無理だとしても、ノエルが野に下りゲリラ戦を続ければ、バハールはかなり苦しめられることになるだろう。守備の薄い拠点を狙って、神出鬼没で襲撃に現れる鬼の群れ。それが実行できることは、幾つかの都市を陥落させたことで証明済みだ。


「……既に、マドレスは城門を開き、コインブラ軍は武装を解除した。最早、コインブラはバハールの支配下にある。太守は全ての罪と汚名を被り、死を受け入れることを決められた。全ては、民と将兵、そして若君と奥方を助ける為にだ」

「どうして最後まで戦わないの? マドレスに篭れば一年以上は持つのに! それに、私たちはまだ戦っているのに!」

「犠牲を最小限に抑えるためだ! いいか? お前がこれ以上抵抗を示せば、太守の決意が無駄になる。約束は反故となり、若君と奥方の命まで失われることになるのだ!」

「どうして。どうして私のせいになるのさ! 私は嫌だよ。降伏なんかして、無抵抗のままに殺されるなんて、死んでも嫌だッ!」


 ノエルは悲痛な声で叫んだ。子供のような言い分だが、ノエルにとっては認められないのだ。ノエルは負けていない。負けていないのに、降伏などできるわけがない。そう心の底から考えているのだ。


「バハール公との約定の一つに、全コインブラ兵の助命がある。お前が殺されることはない」

「あいつらの言葉なんて信じられない。それよりも、ね、このまま一緒に戦おうよ。きっと勝てるよ。凄い武器もあるんだよ。あれを上手く使えば、バハール兵なんて全員焼き殺せる。それでね、若君を助けるんだ。私達が一杯頑張って、次の将軍になろうよ」


 縋るように呟くノエル。その弱々しい姿に、シンシアは心が一瞬だけ揺らぐ。自分だって納得できているわけではない。だが、仕方のない事なのだ。これ以上の戦いは、誰も幸せになれない。グロールの最後の意志を尊重し、その妻子を生き残らせなければならない。


「悪いが、できない。私は、太守の決断を尊重する。マドレスが既に開城した以上、最早他の手段などあるはずもない。お前も命に従い、武装を解除して門を開け放てッ!」

「嫌だね。冗談じゃない。いくらシンシアでも、そんな命令、絶対に従わないよ」

「……そうか。ならば、仕方がない。この場で斬り捨てるまでだ!」


 シンシアは剣を抜き放った。周囲の兵も慌てて武器を構える。対するノエルは、まだ構えようとしない。全く理解出来ないと目を丸くして驚いている。


「シンシアは、まだ私の友達だよね? 私たちは、友達なんだよね? ね?」

「お前は私の仲間であり、一番の友だ。少なくとも、私はお前をかけがえのない友だと考えている」


 嘘ではなく本心だ。付き合いは短いが、これほどまで近しい付き合いをした人間はいない。ノエルがふざけて、それをシンシアが咎める。そんな時間をいつからか楽しいと考えるようにもなっていた。だから、本当は剣など向けたくはない。


「――だが、私はコインブラの騎士でもある。どうしても従わないというのならば、お前を斬るしかない。民の命を守るためならば、私は悪鬼になる」

「と、友達は、殺しあったりしないんだよ。だって友達なんだから。だから、剣を向け合うなんて、おかしいよ!」


 ノエルは震える手で鉄槌を構えた。


「シ、シンシア様、ここは落ち着いて話す時間を。隊長と戦う必要はないでしょう! そんな馬鹿な話はねえッ!」


 間に入ろうとするバルバスを、シンシアは睨みつけて威嚇する。


「悪いが、そんな悠長な時間はない。街の側ではバハール軍が交渉の行方を監視している。私がこのまま戻らなければ、直ちに総攻撃が始まるだろう」

「……もしも、もしも嫌だって言ったら、本当にシンシアは私を殺すんだ? それなら、どうして私を一番の友達だなんて言うのさ!? そんなのずるいッ!!」

「……お前を殺したら、直ぐに私も後を追う。友を一人だけ逝かせるようなことはしない。逆に、お前が私を殺したならば、それは仕方のない事だ。お互いに信念に基づき行動しただけのこと。決して恨みはすまい」

「そ、そんな――」


 絶望で顔を歪ませるノエル。目は虚ろになり、鉄槌を持つ手はがくがくと震えている。


「ノエル、これが最後だ。剣を捨てて投降するんだッ!」


 シンシアは、初めて殺意を篭めてノエルを睨む。激しく動揺するノエルは隙だらけであり、いつもの威圧感は全くない。今なら確実に仕留めることができる。この距離ならば周囲の兵が邪魔にはいっても、致命傷を負わせる事ができる。

 ノエルが本気になれば、シンシアに到底勝ち目はない。ノエルの返答次第では、やるしかないと決意を固める。


「……ううっ」


 ノエルは視線を彷徨わせた後、辛そうに呻いて力なくその場にくずおれた。


「シンシアは、本当にずるいね」

「……分かっている。お前を止めるには、これしかなかった」

「もしも、私がシンシアを殺したら、そして、若君が処刑されることになったら。私は一気に二つも約束を破る事になる。そんなこと私にはできない、できる訳がないッ! 本当に、本当にずるいよッ!!」

「……すまない」

「――ううっ、うあああああッ!」


 ――ノエルはくずおれたまま、子供のように体を震わせて泣き始めた。何がいけなかったのか、何が悪かったのか。ノエルには分からない。自分は精一杯頑張った。出来る限りのことをやった。笑われても、怒られても、見下されても、勝つために自分ができることを一生懸命にやった。

 それなのに、最後に待っていたのはこの結果だ。世界が理不尽だというのは心の底から分かっていた。でも、やっぱり悲しいものは悲しい。悔しいものは悔しい。そう思うと、ノエルは溢れてくる涙を止める事がどうしてもできなかった。


「…………また、雨か」


 シンシアは剣を納めると、頬に冷たい雫が落ちたのを感じる。ぽつぽつと音を立て始めた雨は、瞬く間に勢いを増した。豪雨の中、立ち尽くす兵たち、天を見上げるカイ、バルバス、口惜しそうに目を背けるリグレット。そして、擦れた声で泣き続けるノエル。くずおれたまま雨に打たれるその姿は、まるで誰かに許しを請うようなものだった。

 シンシアは自らが纏うコインブラの紋章が入ったマントを、ノエルへと被せる。そして、雫に濡れる赤髪を、そっと撫でてやることしかできなかった。

 



 ――悪鬼ノエル投降の報せは、近くのバハール軍へと直ぐにもたらされた。準備に二時間だけ待って欲しいとシンシアが告げると、渋々ながらもバハール指揮官は納得した。投降の証としてノエル隊から二鎚の旗が手渡された。部隊、そして指揮官の誇りであり、これを敵方に奪われるというのは、最も屈辱とされることである。バハール指揮官もそれを理解し、せめてもの情けと二時間の猶予をくれたのだった。


 少しだけ落ち着いたノエルは、カイとバルバスを呼び寄せた。そして、この豪雨に紛れて直ちに逃げるように指示をした。カイはゲンブの人間、ここで捕まれば厄介なことになる。そして、バルバスは元は賊である。両者とも下手をすれば死罪になりかねない。

 最後まで共をすると述べる両者に、ノエルは首を横に振った。そして、どうか逃げて欲しいと頭を下げた。特に、バルバスには約束を守らせて欲しいと、平伏までしそうな勢いだった。『罪に問われそうになったら必ず逃がしてみせる』、ノエルがバルバス、そして白蟻党とした約束だ。

 それを理解したバルバスは暫く逡巡したあと、僅かに頷いた。カイも、渋々ながら従った。


「それがしとの約束、覚えているだろうな」

「うん。ゲンブに遊びにいくって話。守れるように、頑張るね」

「……分かっているなら、良いのだ。貴官の無事を、心から祈っている」


 カイは足軽兵を率いて、北門から脱出。

 バルバスは白蟻党の面々を連れて、ボルック鉱山に一旦姿を隠す事に決めた。

 ――その別れ際。ノエルは愛用の槍をバルバスへ渡そうとする。


「ね、これを預かってくれる?」

「……なんのつもりです? 形見代わりなら、丁重に断らせてもらうぜ。アンタは、絶対に生きて帰るんだからな」

「また会おうねっていう誓いの代わりかな。私が持ってても武器は取られちゃうし。だから、ね?」

「……と言われても、俺にそれはもてませんぜ。他の奴だと火傷することぐらい、隊長だって」

「いいからいいから! 今は多分大丈夫!」


 ノエルが無理矢理に二叉槍を握らせる。熱さに備えるバルバスだが、火傷する気配はない。ノエル以外には握れないはずの呪いの二叉槍が、バルバスにも触る事ができた。だが、異常に重く、使いこなせるとは到底思えない。


「……重いな。やっぱり、俺には使えそうにありませんぜ」

「あはは、大変だろうけど頑張って。あと、もし、私が死んだら」

「隊長!!」

「もしもの話だよ。私が死んだら、その槍は海に捨てちゃって。そうしないと、大変だからね。それと、きっとまた会おうね」


 ノエルはそう言って笑うと、バルバスの肩を乱暴に叩いた。

 



 マドレスへと連行されたノエルは、足には枷、両手には厳重な縄を掛けられまるで罪人のような姿でアミルと対面することとなった。かつてグロールが座っていた城主の席には、今はアミルが腰掛けている。立ち並ぶのはファリド、ミルズを筆頭としたバハールの将。そして、ウィルムにロイエ、片足が義足になったガディスなどのコインブラを裏切った面々だ。


「ノエル・ヴォスハイトを連行致しました!」

「ご苦労」


 衛兵たちが槍で、ノエルの身体を全力で押さえつける。ノエルの恐ろしさは、バハール兵の間でも有名だ。カルナスの煉獄の話は、兵卒にいたるまで震え上がらせるほど。万が一を絶対に防ぐために、衛兵たちは必要以上の備えを敷いていた。


「お前が、悪鬼と恐れられしノエルか。随分、我らを梃子摺らせてくれたものよ。しかし、こうして見る限りでは、ただの娘にしか見えないが。……ファリド、この者に間違いないのだな?」

「はっ、間違いなく。この者は恐るべき膂力の持ち主です。黒陽騎でも、この者と渡り合えるのは数える程度かと。我が槍を受けて、この者は生き延びました」

「ふむ。ならば、バハールの将兵、そして我らについたコインブラ領主達を討ち取ったというのも事実なのだろう。その所業は、まさに万死に値する」


 アミルが興味深そうにノエルを見下ろす。押さえつけられたノエルは無表情で、特に感情を示す事はない。怒りを見せることもなければ、脅えて命乞いをすることもない。ただ、その場に跪き、静かに目を伏せるのみ。燃えるような赤髪のみが、ノエルの内心を示していた。


「……だが、私に仕えるならば、お前の犯した罪を全て許そうではないか。そして千人長の地位と、コインブラに領地を与えよう」


 アミルの言葉に、驚愕するウィルムとガディス。確実に死罪を申し渡されると考えていたからだ。


「お待ち下さい! この者は信用なりませぬ。本当に、何を考えているか分からぬ化物なのです。後の禍根を立つためにも、ここで始末しておくのが宜しいかと存じます」

「……私もウィルムに同意です。鬼に人の道理は通用しません。カルナスの行いを見れば、それはお分かりのはず! 鬼に殺された者たちの無念を晴らすためにも、厳罰に処すべきです!」


 ウィルムとガディスの自らを棚にあげた発言に、バハール側の武官が思わず苦笑する。どれだけ言い繕おうが、裏切り者は裏切り者。バハール武官たちの心情としては、この不義理な人間たちよりも、最後まで戦い抜いたノエルに同情する向きがある。多くの同僚を殺されたとはいえ、それは戦の習いである。恐ろしいという気持ちはあるが、この哀れな様を見れば、同情心が湧いてしまった。


「貴官らは何がおかしいのか? 私が何か間違ったことを言いましたかな?」

「ハハハッ、これは失礼。ただ、裏切り者の貴公が、信用なりませぬ、などと申されたので。堪えきれずに、つい」

「ククッ、鼻で笑いたくなるとはこのことでしょうな。その良く回る舌は、一体何枚あるのやら」


 バハール武官たちが強烈に罵ると、ウィルム、ガディスの顔が赤く染まる。


「だ、黙られい! 我らは正しき判断をしたまでのこと! 何より、私は陛下より太守代行の地位を任せられているのだ! 無礼は許さぬぞ!」

「ははは、我らバハール人は、そんな脅しには屈しませぬぞ」

「コインブラの両将は実に忠義深いお方ですなぁ! ノエル殿の潔さを少しは見習われると宜しい! 自決するというなら、手を貸して差し上げよう!」

「貴様、我らコインブラ軍人を愚弄するか!」


 罵りあう言葉の応酬が始まった。中には剣へ手をかけるバハール人までいる。もともと両州の仲は険悪なのだ。味方についたとはいえ、それがいきなり解消されることはない。一触即発になる両者に、アミルはやめろと片手で制する。


「見苦しい、双方とも大人しくせぬか。我らは共にホルシード帝国に仕える者、諍いが片付いた以上、争うことはない。そうであろう?」

「ははっ。失礼致しました!」

「も、申し訳ありませぬ」


 喧騒が静まり返る。ここで逆らいでもすれば、せっかく手にした栄光の機会を失いかねない。両軍の将ともにらみ合いながらも、口を慎む。

 アミルが目で合図を送ると、ファリドが頷いてゆっくりと歩き始める。


「ノエル殿、アミル様はいずれ栄光の地位に就く事になる。このお方こそ、最も多く人間を幸福に導いてくださるのだ。貴公の武勇をもって手伝ってはくれないだろうか? 私を見れば分かるように、働きには必ず報いてくださるお方だ」


 ファリドがノエルの側に片膝をつくと、丁重に勧誘する。確かに一騎打ちでは勝ったが、レベッカ以上の才を持つのは確かだ。力だけならばレベッカと同等かもしれないが、隊を率いる統率力を持っている。アミルのこれからには是非とも欲しい人材であった。

 何より、この見覚えのある赤髪に、ファリドはどこか心惹かれるものがあった。多分、そうなのだろうとも思う。あのときの表情、まず間違いなく、黎明計画で死んだはずの13番だ。


「……申し訳ありませんが、お断りします。私はエルガー様にお仕えするという約束があります。その約束を破ることはできません」


 ノエルが静かに、だがよく通る声でそう答えると、アミルはそうかと一言だけ頷いた。ファリドはノエルの肩を掴み、翻意を試みる。ここで、死んだところで、何の意味もないと。


「落ちついて考えるんだ。意地を通したところで、何も生み出さない」

「……お断りします」


 なおも説得を重ねようとするファリドを、アミルが遮った。


「確かに、約束を守る事は大事なことだ。無理強いする訳にもいくまい。だが、お前の罪をそのままにしておくこともできない」

「ならば、死罪をお申し付けください! この女は絶対にここで殺すべきです! 災いの元を放置してはなりませんぞ!」

「ウィルム殿、アミル様はグロール殿に全将兵の命を助けるとお約束された。それを貴公は反故にしろと仰るのか?」


 ファリドが反論する。その視線には敵意が含まれている。気圧されたウィルムが、一瞬怯む。


「し、しかし! こやつは、間違いなく悪鬼、それを野に放つなど、危険極まりない! それは貴官も理解しているだろう!」


 コインブラを次に治めることになるウィルムは、将来の敵になりかねない人間をここで確実に始末しておきたかった。何より、ノエルは自分に恨みを持っているだろう。真っ先に狙われるとしたら、自分。それを考えると、何としても殺したかったのだ。

 その心情を知りながら、参謀のミルズはある提案をする。その方が、将来面白くなりそうだからだ。


「ウィルム様のお気持ちも分かりますが。アミル様はいずれ偉大な座へと登り詰めるお方。その前に、約束を反故にするというのはいかがなものかと、私は思いますねぇ」

「ミルズ殿、約束よりも、今は将来の禍根を――」


 ウィルムの反論を、アミルは手で制する。最早コインブラで恐れる者などない。将来の禍根になりそうなグロールは叩き潰し、後は皇帝の座に登り詰めるだけなのだ。使えそうな駒を、わざわざ刈り取る必要もない。自分は若く、時間は沢山残っている。慌てる必要はなにもない。


「ミルズの意見、尤もである。くだらぬことで、我が名を汚す必要はない。むしろ、ここは寛大な心で許すべきだろう」

「しかし、罪をそのままにしておいては舐められてしまいます。フフフ、ここは流罪としてはいかがでしょうか。鬼が改心するまで、遠方の島に流すのです。そう、かのお伽噺のようにです」

「島流しか。それならば、妙な真似もできないだろうな」

「はい。それに、恐るべき悪鬼を従わせた者として、アミル様の名と寛大なお心は更に世に轟くでしょう!」


 ミルズの提案に、アミルは暫し考えた後、了解する。バハール武官達もそれが妥当であろうという表情を見せる。ノエルを恐れてはいたが、それ以上に裏切った分際で勝者面しているウィルム、ガディスに対する反発心が上回ったのだ。このようなことから、ノエルは幸運にも助命されることに決まった。

 ここで、アミルは生かすことを選択した。今までの方針、才ある者は活かし、自らの手駒とする方針を貫いたのだ。この方針で、自らの元には有能な人材が集まってきた。そして、これからも集まってくる。器の大きさを示す事は、人を率いていく上では重要なことだった。


「うむ、それが最善であろうな。ノエルよ、コインブラから南西にウィラ島という小さな島がある。お前はそこで太陽神に祈りを捧げ、己の所業を日々悔い改めるが良い。その贖罪の意志を諸人が認めた頃、私は同じ質問をもう一度するとしよう。お前の武勇、そのまま埋もれさせるには惜しい。私がその力を求めているという事だけは覚えておけ。厚遇は約束するぞ」


 ノエルは特に反論する事もなく、ただ分かりましたとだけ答えた。

 




 再び牢獄へと連れて行かれるノエルの前に、怒りの形相を浮かべるレベッカが現れた。供に黒陽騎をつれている。

 衛兵を強引に止めさせると、ノエルの腹に鋭い拳を入れ、くずおれたところに強烈な蹴りを何度も浴びせる。黒陽騎たちもノエルを囲み、罵声を浴びせながら蹴り付ける。

 衛兵は特に止めようとはしない。彼女はバハール最強を誇る黒陽騎の副将であり、逆らえば自分も巻き添えになる。

 レベッカは倒れ伏せたノエルの赤髪を掴み、顔を近づけて威嚇する。


「おい、負け犬。てめぇ、命惜しさにアミル様に尻尾を振りやがったな? アタシの兄弟を何人も殺りやがったくせに! 最後まで意地を見せて死ねよ! 死ね、今すぐ死ねッ!!」

「…………」

「この糞犬が、てめぇは言葉を喋れねぇのか? なら口がききたくなるなるまで、殴り続けてやろうか? ああっ!?」


 こめかみに鋭い一撃を入れる。それでも反応しないノエルに、レベッカは苛つきを隠さない。再び顔面に振りかぶった拳を入れる。倒れ伏せたノエルの頭部を全力で蹴り付ける。何度も何度も何度も何度も。


「レベッカ様、これ以上は死んでしまいますが、問題はありませんか?」


 黒陽騎が、最後の確認をしてくると、レベッカは口元を歪める。


「なぁに、逃げようとしたから始末したって言えば、誰も怒らないさ。ここでぶっ殺してやろうぜ。へへっ、てめぇの汚ねぇ死体は犬の餌にしてやる! 骨まで食ってもらえよな!」


 レベッカが腰の剣に手を掛けたところで、後ろから制止の声がかかる。その声色は冷静だが、あからさまに怒気が含まれていた。


「お前たちは何をしているんだ? 私は城下の巡回を命じておいたはずだが。何か、緊急事態でもあったのか?」

「ファ、ファリド様!?」

「こ、これは、その」


 慌てる黒陽騎たちを遮り、レベッカが進み出る。


「違うんだよ兄貴っ! アタシが仲間の無念を晴らしてやろうと思ってさ! 仇を放ってちんたら巡回なんかしてられるかよ! 大体、そんなくだらない仕事、雑魚どもにやらせてりゃいいんだ!」

「マドレスは陥落させたばかりで、反乱分子はまだ残っている。だから私は精鋭の黒陽騎に巡回を命じたんだ。アミル様の身を守ることが、くだらぬことと、お前は言うんだな?」

「こ、こいつを殺したら、すぐにやるよ!! それでいいだろうッ!」

「アミル様は、コインブラ全将兵の命を保障なされた。それを、お前たちは破ると言うんだな?」


 ファリドは、感情を篭めずに、二回確認を取る。レベッカは内心恐怖を覚えているが、兄弟たちの仇を取りたいという怒りが、それを上回った。


「じゃあ、兄貴はこいつを許せっていうのかよ!?」

「……私の命令を無視した罪、そしてアミル様に従わなかった反逆行為とを合わせると、死をもって償う必要があるな。本当に残念だ」

「あ、兄貴?」


 ファリドが懐から短刀を取り出すと、レベッカの足元に放り投げる。


「ほら、さっさと死ね。今すぐ自害しろ。前にも言ったが、命令を聞けない奴は必要ない。お前達は黒陽騎には不要だ」

「そ、そんな!」

「言い訳はいらない。自害しろ」

「ご、ごめんなさい! アタシは、アタシはこんなことで死ぬのはいやだよ!!」

「…………それで?」

「う、うう、わ、悪かったよ! もうしないから、許してくれよ兄貴! 本当の本当だよ!」

「分かればいいんだ。だが、次に同じ真似をしたら殺すぞ。ノエル殿はウィラ島に流されることに決まったのだ。手出しは一切無用! ……分かったらただちに任務に戻れッ!」


 ファリドが厳しく叱りつけると、黒陽騎たちは脅えた犬のように震え上がる。


「しょ、承知しました!」

「わ、分かったよ! ア、アタシは自害なんてしないからな! 絶対にいやだ!!」


 そう言うと、レベッカと黒陽騎は脅えた様子で走り去っていく。ファリドは短刀を掴み上げると、ノエルに詫びる。くずおれたままのノエルを立ち上がらせてやる。かなりの力で攻撃を受けていたはずだが、ノエルは特に堪えた様子はない。

 だが、顔には青痣がつき、口からは血が流れている。ファリドはそれをハンカチで拭ってやる。もしかしたら、骨が折れている可能性がある。


「大丈夫か? 治療が必要なら、直ぐに手配する」

「平気」

「本当に、すまなかった。レベッカも悪いやつじゃないんだが、激昂しやすい性質なんだ。まぁ、そうなるようにされたから、仕方ないんだが」


 ファリドの含みのある言葉に、ノエルが顔を上げる。


「そうなんだ」

「……一つだけ聞かせてくれ。君は、黎明計画という言葉に、聞き覚えはないか?」

「黎明、計画」

「帝都にある太陽の教会、そこで行なわれた、悲しい結末に終わった計画だ。もしかして、君は知っているんじゃないかと思って」


 ファリドの真剣な問いに、ノエルは少し考えた後、知らないと短く答えた。


「……そうか。妙なことを聞いて悪かった。だが、もしかしたら忘れているだけかもしれない。思い出したら、僕に教えて欲しい」


 ファリドが笑みを浮かべる。ノエルは不思議そうに首を捻った。


「…………」

「それと、先ほどの話に戻るが。アミル様は間違いなく、僕達を幸せに導いてくれる。僕はね、そう信じているんだ。君も、ウィラ島で少し落ち着いたら、よく考えてみてくれないか。アミル様のために剣を振るう事は、絶対に正しいということに気がつくはずだ」

「……うん、分かった。いつか、アミル様のために、剣を振るうよ。約束する」

「そうか! うん、本当に楽しみだ。君と一緒に戦える日が来ることを、心から願っている。その時は、もっとゆっくり話せるといいな」

「うん。そのときに、またね」


 そう言って笑うと、ノエルは衛兵に連れられてゆっくりと歩き始めた。ファリドはその後姿を見送った後、かつて特別な感情を抱いていたある少女を思い出す。やはり、13番に間違いない。生きていてくれて、本当に嬉しい。なぜならば、あそこにいた者は全員死んでしまったと思っていた。


(……でも、君は違うと言った。忘れているのか、忘れたふりをしているのか。いずれにせよ、君はこの世界にいるんだ。もう、どちらでも構わない。ああ、一緒に戦える日が、本当に楽しみだ)


 ファリドは黒陽騎としての仮面を一瞬だけ脱ぎ、無邪気な子供のように笑った。

 



 ――翌日、元コインブラ太守にして、皇帝ベフナムの子、グロール・ヴァルデッカに死罪が申し渡された。百に渡る罪状を自ら述べさせられ、アミルの前に跪いて惨めに慈悲を乞うという芝居を演じさせられた上で。処刑は即日執行されることとなり、マドレスの大広場に断頭台が用意された。興味本位で見物に訪れた住民達に、グロールは再び今までの行いを謝罪させられることとなった。今まで偉そうにしていた男が、ここまで没落したことに住民達は言い知れぬ優越感を抱き始めた。一人が罵声を投げかけると、たちまちそれが乱れ飛び、殺せ、殺せの大合唱となった。


「これが、無能の報いか。エルガー、サーラ、愚かな私を、許してくれ。……そして、ノエル、私は、本当に――」


 グロールが呟いた直後、鈍く輝く白刃が落とされ、首がごろりと桶に転がり落ちた。血が滴り落ちる首が処刑人の手により高らかに掲げられた。帝位継承戦争における、アミルの勝利を天へ示すかのように。

 その瞬間、マドレスの住民たちは拍手と大喝采を上げた。新しい時代への期待と、今までの不満を発散させたその声は、しばらくの間鳴り止むことはなかった。

 グロールの首は城門の前に晒されることとなり、マドレス周辺の民は憎悪を篭めて睨み付けた。没落を余儀なくされることとなったグロールに近い領主達は罵倒だけでなく、石まで投げつける始末。かつて、皇帝に最も近いとされた男の、哀れな最期だった。

 助命されたグロールの妻サーラは、夫の死を看取ることなく、昏睡状態のまま息を引き取った。ある意味では幸せな最期だったのかもしれない。後に残されたのはエルガーのみ。尊き一族の証たるヴァルデッカ姓は剥奪、母の旧姓ルートウイングを継ぎ北部の小さな街で蟄居することとなった。


「これからは、父の犯した大罪を償いながら生きていきたいと存じます。そして、陛下と帝国に忠誠を尽くすことを、改めて誓います」


 若きエルガーは父の処刑を見届けた後、アミルの前に恭しく跪いた。裏切ったウィルムとガディスにも、父の今までの愚行を謝罪し、これからはコインブラのために汗を流したいと殊勝に述べて見せた。――憎悪と復讐の刃を心に秘めて。父の死を笑った連中、父を陥れた連中に、いずれ、必ずしかるべき報いを与えてやると、怨嗟の業火を心に滾らせながら。

 



 ――ノエルが流罪先へと向かう当日。マドレスの港には見送りの人間が待ち受けていた。疲労が色濃いシンシア、沈鬱な表情をしたエルガー、そして平民の服で整列するノエル隊の面々である。


「ノエル、今は多くは語らない。本当ならば、合わせる顔もないのだ。……いつか、お前が戻ってきたときに、私はすべてを受け入れるつもりだ。その日まで、私は恥を晒して生き続ける。だから、必ず帰ってこい」


 シンシアは、ウィルムの誘いを断り、エルガーの側に仕えることに決めていた。辛い日々が待っているかもしれないが、それが自分にできる唯一の償いだと、シンシアは考えたのだ。


「そんなに落ち込まなくていいのに。別にもう怒ってないよ。ほら、若君の前なんだから、もっと明るくいかないと!」


 ノエルがおどけてみせるが、シンシアの表情は変わらない。これは駄目だと思ったノエルは、エルガーに話しかけることにした。


「ね、お父さんのこと、助けてあげられなくてごめんね。頑張ったんだけど」

「いや、ノエルは本当によくやってくれた。……処刑の前、父上が謝っていた。あの時、お前を信じていればと。本当に口惜しそうで、私はあんな父上の顔を、初めて見たんだ。そして、人の心底を見抜く力を身につけよと言い残し、父上は逝ったんだ」


 口惜しそうなエルガーに、ノエルは抱きつくフリをして、耳元で囁く。こうしていれば、別れを惜しんでいるように見えるはず。近くにはバハールの兵がおり、聞かれたら面倒だ。


「やられたら、やり返せばいいんだよ。そうでしょ? だって、私達はまだ生きているんだから」

「ノ、ノエル、一体、何を」


 顔が赤くなったエルガーに、ノエルは笑いかける。


「私は絶対に戻ってくるよ。その時こそ、約束を守るね。大丈夫、生きている限り、負けじゃないよ」

「……分かった。私も、精一杯鍛錬を積んで待ってる。だから、絶対に、帰ってきてくれ」

「うん。それじゃ、そろそろ行くね。シンシア、若君をお願いね。私が帰ってくるまで、元気でやっててね!」


 ノエルが敢えて明るく振舞って手を上げる。シンシアも少しだけ口元を緩めると、分かったと一言だけ呟いた。

 ノエルがバハールの船に乗り込む。足かせはされているものの、手は自由だ。見送る人達に元気一杯で手を振ると、ノエル隊の面々が隊列を組み始めた。


「ノエル隊長に敬礼ッ!! お帰りを、いつまでもお待ちしております!!」

「隊長、元気でやってください! 本当に待ってますよ!!」

「ノエル隊行進曲、演奏開始!!」


 出航に合わせて、どこかに隠していたラッパやら小さな太鼓を持ち出して演奏を開始する。まるでノエルの出陣を祝うかのように派手で賑やかである。近くを巡回していたバハール兵に発見されると、やめるように命令されて揉み合いになりはじめた。本当に楽しくて、面白い仲間たちだと、ノエルは彼らが見えなくなるまで眺め続けていた。




 完全に見えなくなった後、ノエルは船の上でひとりぼっちになってしまった。バハール兵達は、ノエルが悪鬼と呼ばれていたことを当然知っており、必要のない限り全く近づいてこない。話し相手もいない。聞こえてくるのは、海鳥の鳴声だけ。潮風が鼻について、あまり気分は宜しくない。


「あーあ、また一人か。なんだか、つまらないな。やっぱり、一人は寂しいね」


 皆は一緒でも、一緒に喋ったり遊んでくれたりする人間がいないのはつまらないものだ。ノエルは落胆して溜息を吐いた。


「それは、残念でしたね。どうやらお邪魔だったようで」


 寝転がるノエルの真上に、見覚えのある陰気な顔。卑屈な表情と舌打ちで現れたのは、黒い長髪をなびかせたリグレットだった。コインブラ憲兵の軍装を纏っている。


「あれ、リグレット、いたんだ。嫌われてるみたいだから、挨拶がないんだと思ってたよ」

「いたんだとはご挨拶ですね。大丈夫です、嫌いなのは間違いありませんから」

「憲兵の服着てるんだ」

「これを着ろと言われたからです。今の私の仕事は、貴方の監視役ですよ」


 ふん、と鼻を鳴らすリグレット。ノエルは起き上がると、不思議そうに見つめる。


「栄えある島流しに、私も付き合わされるってことですよ。あの男にとっては、体の良い厄介払いができるということです。不愉快ですが、従わないと殺されかねないので。疑われているのは事実ですから」

「そうなんだ」

「はい」


 素っ気無いリグレット。お別れができなかったので、ノエルは寂しかったのだが、一緒に来るつもりだったのだろう。ノエルは少し嬉しくなり、リグレットに話しかける。


「ところでさ、ウィラ島ってどんなところなの?」

「私の調べでは、島を治める長の館とそれなりの規模の漁村があるようです。歴史のある教会もあるので、貴方が反省するにはもってこいの環境です。つまり、私にとっては糞みたいに退屈な場所ということです」

「それは、残念だったね」

「全くです。まぁ、私は貴方の死に様を見届けなければなりませんから。勝手に死なれたら迷惑なのでやめてください」

「分かった!」


 ノエルは元気よく答えると、近くにあった大きな荷物袋を漁り始める。武器やら凶器になりそうなものは禁止されたが、それ以外の許可がおりたものは持ち込みが許されたのだ。持ち込んだのは、マドレスで買い集めた宝物に、遊戯盤、玩具、ラッパ、あと、密かに鉄槌も忍ばせている。船に積んであった工具箱に入れてくれるように、ノエル隊の兵にお願いしておいた。

 ノエルは荷物袋の中から白黒遊戯盤を取り出すと、リグレットの前に置く。


「なんです? 貴方は罪人なんですから、静かにしていてくださいね」

「暇だから遊ぼうか。先は長いんだって。後五日も船の上らしいよ」

「お断りします。後五日もあるのに、貴方の相手を今からしていたら過労死します」

「なんだ、負けるのが怖いなら仕方ないね」

「ふん、怖いわけがないでしょうが。いいわ、一回だけお相手しましょう」


 挑発に乗ったリグレットを相手に、白と黒の駒を二つずつ並べる。ノエルはこのゲームが得意である。今までの勝率は八割を超えるだろう。飽きてしまうと集中力が途切れるので、さくっと負けてしまうが。

 確かに、コインブラでの戦いは負けてしまった。だが、大きな視点で見ればまだ全然負けていない。なぜならば、ノエルはこうして生きているし、約束をしたシンシア、エルガー、バルバス、リグレットも生きてる。カイもゲンブへと戻っている。ならば、まだまだこれからだ。


「……貴方が指さなければ始まりませんよ」

「ちょっと考えさせて」

「一手目から考えるなんて、もしかして馬鹿なんですか?」

「もしリグレットが負けたら、もっと馬鹿ってことだよね」


 舌打ちするリグレット。ノエルは颯爽と白い駒を持ち上げると、勢いよく打ち付けた。

 本当の勝負はこれからだ。少しの間、休憩して、もっと強くなる。あの赤髪の男にも負けないくらい。


「……今思ったんだけど」

「なんですか?」


 駒を差しながら、面倒くさそうに応じるリグレット。


「私、雨の日は大嫌いなんだけどさ」

「知ってますよ。本当に子供みたいですからね。島にいる間に矯正してください」

「最低で最悪なことばかり起こるんだけど、よく考えると、あの日も雨が降ったけど生き残ったんだよね。今回も、きっと殺されると思ったのに、ぎりぎりで生き残れた。これって、びっくりだよね?」

「はぁ?」

「生き残ったってことは、運が良かったってことだよ。もしかしたら、雨の日も悪いことばかりじゃないのかなって」

「天気で人生が決まるなら、そんなに楽なことはないでしょう。馬鹿馬鹿しい」


 それもそうだねとノエルは答え、遊戯は進んでいく。結局、角を全部占領したノエルが、リグレットを圧倒して勝利した。にやけるノエルに、リグレットは舌打ちを連発する。そしてもう一度だと再戦を挑んできた。頭に血が上った相手をいなすのは、本当に楽である。これから当分負けはないだろう。


「でもさ、やっぱり晴れた日は気分がいいよね」

「今の私は、最高に気分が悪いわ」

「……次に戻ってくる時も、晴れてるといいなぁ」


 ノエルは、遠ざかるマドレス城を眺めながら、笑みを浮かべた。

 ――そう、戦いはまだ終わってなどいない。

私達の戦いはこれからだ!! ENDではなく、

もうちょっとだけ続くんです。

毎日更新ではないので、あまり慌てずにお待ち下さるようお願いします。

ちょっと書き足ししたいことも結構あるので!


Q:剣を振るうって約束しちゃったけど、アミルの家来になるの?


A:ノエルは約束は守りますが、詭弁を使います。17話の敵兵とのやりとりを参照。

子供の頃、こんなことありましたよね。

これあげる → 本当!? → 物を上に翳し、はい、あげた



・悪魔の声

もうここで終わりでいいじゃん。なんか纏まりもいいし、世の中、こんなエンド一杯あるやん? 次いこ、次!


・天使の声

全然終わってないやん。伏線も放りっぱなし、色々しっかりケリつけんとあかんで。


・死神の声

ご飯を食べてから考えよう。

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