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第三十二話 夢破れた道化の涙

 ヤヴィツ峠を離脱したノエル隊は、街道沿いのロックベルを経由してマドレスに帰還しようとした。だが、ノエルがマドレスに入城すると厄介なことになるとアミルは危惧、これを妨害することを命じる。黒陽騎はノエルの行く手を遮るように進軍、仕掛けてきたら迎撃し、深追いはしないという方針で妨害を行なった。消極的にも見えるが、自らを餌に敵を道連れにしようとするノエルを、アミルは強く警戒していた。万が一にも右腕であるファリドを失いでもすれば、完全なる勝利に傷がつく。既に大勢は決しており、わざわざ追撃する必要は全くないのだから。

 アミルはウィルムを先遣させ、グロールが篭るマドレスを包囲するように指示。リベルダム海軍と共に圧力を加え、最後通牒を飲ませるためである。拒否すれば総攻めを行なうつもりだが、できれば無傷で手に入れたいとも思っている。マドレスの港は、大陸の最西端。ムンドノーヴォ大陸遠征時はこことリベルダムが出発拠点になるはずである。人間、物資、施設などがそのまま使用できるのであれば、それに越した事はない。


 一方、マドレスを目指していたノエルは、この妨害により進路変更を余儀なくされた。兵は傷つき、八百までその数を減らしている。さらに、指揮官のノエルも手を負傷しているのだ。強行突破を図れるような状況ではなかった。

 やむなくマドレス入城を諦めたノエルは、ボルボの街を目指す事にした。マドレスの北部に位置するこの街は、未だコインブラの支配下に収まっている。とはいえ、コインブラに見切りをつけた領主はすでに全財産を持って逃げ出している。ボルック鉱山の金が枯渇してからは寂れ、戦略上特に重要な拠点でもない。バハール軍はわざわざこれを落そうとはしなかったのだ。北のゲンブも、未だ関所あたりで兵を留めている。偶然できた戦力の空白地帯といえた。


 道中、ノエルはコインブラから造反した領主や貴族たちに幾度となく襲撃されていた。アミルから警戒されているノエルを討ち取れば、莫大な褒賞は確約されたようなもの。皆、欲望に目をギラつかせ、慌てて掻き集めた100程度の兵を率いて意気揚々と正面から攻撃を仕掛けてくるのだ。


「兵も少ないのに、いつもいつも真正面から。そんなに私達は弱そうに見えるのかな?」


 腕組みをするノエル。同数に近い数がいるならば、正面からぶつかるのは愚策とは思わない。下手に奇襲を仕掛けて失敗すれば、大敗を喫する可能性もある。だが、明らかに劣勢のくせに、わざわざ負けに来るのはいまいち理解できない。


「いや、戦い方を知らないだけですぜ。我々を潰走中の軍と思って舐めているんですよ」

「ゲンブでは、落ち武者狩りとも呼ぶな。農民たちもが武器を取り、身包み剥いで首を取るのだ」


 潰走する兵を殺し、装備を奪う。上手く将の首でも取って差し出せば褒美を貰うこともできる。


「なるほど。でも、返り討ちにあってたら仕方ないよね」

「領主の仕事なんてのは、金儲けと接待に頭を使うだけですぜ。戦いなんてできる訳がねぇ」

「馬鹿ね。そんなのはただの偏見よ。有能な領主もちゃんといるわ」

「生憎、俺は見た事はねぇな。領主ったって、貴族だろ? 貴族には糞みたいな連中しかいねぇ。例えば、お前とかな」


 バルバスが鼻で笑うと、リグレットが口元を引き攣らせながら反論する。


「シンシア様も貴族よ。ちゃんと伝えておいてあげるわ」

「あの人は貴族でも立派な騎士だからな。へへっ、つまりは例外だ」

「そんな言い訳が通ると良いわね」

「さてと、そろそろいいかな。リグレット、退却ラッパ。皆、一旦逃げるよ!」


 そんな話をしながら、ノエルは兵を後退させ逃げているように見せかける。敵が勢いに任せてやってきたところを左右の伏兵で一網打尽。特に何の工夫もないが、仕掛けてきた領主達はこのやり方で完膚なきまでに叩き潰した。

 実戦経験もなく、まともに指揮を行ったことのない貴族連中などノエル隊の敵ではない。挟撃を受けるとたちまち恐慌状態に陥り、潰走を始める。ノエルは真っ先に逃げようとした偉そうな男を、馬に矢を放って叩き落し生け捕りにする。これも毎度のことだ。


「ま、待て。私はコインブラ建国以来の、由緒ある家柄――」

「余計なことは喋らないでいいよ。一番最初の人に色んな話を聞かせてもらったから。えーと、またやるんだよね?」

「はい。時間がもったいないから、すぐやります。ほら、こっちに来なさい」

「何をする気だ! や、やめろ! やめてくれッ!」


 リグレットは兵に命じて木杭に磔ると、泣き叫ぶ領主の足元に火を付ける。火は少しずつ領主の体に燃え移っていく。そして積み重ねた藁に引火すると、一気に燃え広がって領主の体を包み込んだ。捕虜の悲鳴と領主の絶叫が木霊し、嫌な臭いが風に乗って漂ってくる。しばらくすると、領主の声は完全に掻き消えた。

 捕虜は無力化した後、バルバスに任せて解放してやることにする。数カ月は戦えないことだろう。


「死にたくないなら、領地で大人しくしてればいいのに。どうして向かってくるんだろうね」

「強い方につくと、自分も強くなった気がするんでしょうな。ま、結果はこのざまですが」

「ふん、そろそろ隊長の悪名が広まりきる頃です。悪鬼ノエルに手を出すと、火炙りにされて地獄に堕ちると。愚か者が現れることもなくなる頃合でしょう」


 得意気な顔のリグレット。どうだ、と言わんばかりだ。


「うーん、良い方法だったのかは分からないな。襲撃は全然減らないし、なんか、私の悪名だけが広まっているような」


 ノエルは首を捻る。敵の襲撃が邪魔くさくなったノエルは、リグレットに何か良い方法はないか聞いてみた。これといった方法が思いつかなかったからだ。直ぐに思いついたのは、攻めかかってきた領主の街に襲い掛かり、全てを焼き討ちにすることぐらいだが、バルバスが怒るので言うのはやめておいた。

 『私に名案があります』と言ってきたのはリグレット。捕らえた領主を火刑に処し、自らの力を弁えない者の末路がどうなるかを、強烈に見せ付ければ良いと述べた。先に落とした街の領主で既に実践していたらしい。物は試しとやらせてみたが、特に敵の襲撃は減っていない。


「いえ、間違いなく襲撃は減ります。見せしめをしておけば、敵の士気が下がります。ですから、何の問題もありません」

「そうかなぁ。ただ、面倒なだけなような。毎回薪を用意するのも大変だよ」

「全く問題ありません」


 処刑の準備をしないリグレットが言っても、説得力はないなぁとノエルは思った。バルバスがこいつを火炙りにしたいと申し出てきたので、却下しておく。

 その次の日、近くの屯所から襲撃を受けた。屯所の兵長が裏切っていたらしい。軽く返り討ちにした

 その次の次の日。火炙りにしてやった領主の弟が、仇討ちと称して襲撃に来た。一突きで殺してやった。リグレットはこんなはずではと何度も舌打ちしていた。

 見せしめは確かに効果的だが、カルナスとは違い目撃している者は少ない。恐れを抱くのは、その街の住民と兵ぐらいか。彼らにより噂が広まるまでには、かなりの時間がかかるだろう。やはり、効果があるかは微妙なところだと、ノエルは内心思った。

 ノエルの視線を受けたリグレットは、「後のための布石です。千里の道も一歩からよ」と自分に言い聞かせていた。前向きで良い傾向だと、ノエルは褒めてあげた。代わりに会心の舌打ちを頂いた。

 


 そんなこんなで十日後、ノエルはようやくボルボの街へと辿りついた。領主は逃げ出して不在だったので、無人の館に勝手に居座る事にした。ノエルはまず、貧弱な街の防備を強化することを指示。住民に金を払い、丸太を切り出して乱杭の設置、堀を掘って多少は時間を稼げるようにした。

 何の構えもなければ、敵の騎兵がそのまま押し寄せてくる。ここを死守するつもりもないが、少数の黒陽騎に滅茶苦茶にされるような事態は避けたかったのだ。


「ね、街の人達は、どうして避難しないのかな?」

「この街に残っている連中は、すでに諦めているような奴ばかりです。その日暮らしで、先のことなど考えてはいません。今更行く宛もないでしょうし、好きなようにさせてやるのがいいでしょう」


 かつては黄金郷と呼ばれたボルボの街。その栄光に浸りながら、貧しい生活を送っているのがこの街の住人だ。再起しようという連中はすでに他の土地へと移り住んでいる。

 納得したノエルは、好きにさせることにした。そして、バルバスには防備を固めるのとは別の命令を言い渡す。


「燃焼石の製造ですか? そりゃまぁ、構いませんが。それなりに時間は必要ですぜ」

「それは構わない。でも、できるだけ沢山作ってくれる?」

「あんなもの大量に集めて、一体何を燃やそうってんです。……ま、まさか、敵に包囲されているマドレスを燃やすつもりじゃ――」


 城下に火を掛ければ、包囲している軍勢にも多少は被害を与えられるだろうが、それ以上にコインブラ人が死ぬだろう。というか、そんなことをする意味は全くない。


「違うよ! そんなことしたらシンシアと若君まで殺しちゃうでしょ。ちょっとこれを見てくれる?」


 ノエルは怒って否定した後、腰に提げていた小さな壺を取り出す。茶色い壺の蓋からは縄のようなものが出ており、それとは別に壺をぶらさげられるような紐がくくりつけられている。縄のようなものへ二叉槍の先端から火を灯して着火すると、紐をぐるぐると回転させ、遙か前方目掛けて勢いよく放り投げた。

 数秒後、爆音轟かせながら壺は破裂し、中から火の礫が地上目掛けて降り注いだ。幸い人はいなかったが、もしいたらひどい火傷を負っていることだろう。


「こ、こりゃすげぇ。あんなの喰らったら、敵は目玉飛び出るくらい驚きますぜ」

「というか、鉱山これ使って掘ったりしてたのに、どうして投げつけることを思いつかなかったの?」

「いやいや、あんな木に囲まれたところで、こんなもの放り投げたりしたら、ひでぇ山火事になりますぜ。なんで、外で使うのは厳禁にしてました。本気でコインブラ兵を殺そうとは思ってもなかったですし。それに、こいつは人を不幸にする可能性が高い。世に出すのは、極力控えるべきと思っていたんですよ」

「なるほど。それじゃあ仕方ないね」


 バルバスの慎重な意見に、ノエルも頷く。あまり乱用すれば、敵も訝しがって調査を始めるだろう。油と干草で誤魔化しているつもりだが、そろそろバレてもおかしくはない。ならば、そうなる前に壊滅的な打撃を与えておきたいところだ。


「で、こいつを沢山作るんですか?」

「うん。“まだ”人を殺せるような威力じゃないけど、こんなの降ってきたら驚くよね。これを使ってマドレスの包囲網を突破して、一気に中に入ろうかなって。他にも、挑発とかに使えそうだよね。寝てるときに投げられたらムカつくだろうし」


 ノエルはもう一つの壺を取り出し、バルバスに放り投げる。慌てて受け取るバルバス、中身は空っぽなので問題はない。

 ノエルは、マドレスがいよいよ包囲されてしまったと聞き、どうやって突破するかをずっと考えていた。なんとしてもシンシアのところに行きたいし、エルガーを守る為に戦わなければならない。約束を守らなくてはいけないからだ。

 迷惑そうなリグレットを強引につき合わせ、ひたすら考えを巡らせていたとき、閃いた。敵は火計を恐れているようだし、それを最大限利用するには燃焼石を活用するしかない。そして、ボルック鉱山はこの街から目と鼻の先。ノエルはこの壺をノエル式投擲弾と名付けることにした。命を受けたバルバスは早速ボルック鉱山に白蟻党を派遣し、燃焼石の採掘と製造を開始している。大量にそろえるとなれば、一ヶ月はみなければならない。

 ちなみに、その間にバハール軍の使者が訪れ、大人しく投降しろと居丈高にのたまってきた。ノエルは言葉と足を使って使者を一蹴してやった。それを見たノエル隊の兵は大歓声をあげ、何故かボルボの住民まで大喜びしていた。追い詰められているはずなのに、まるで悲壮感のない連中を見て、ノエルは満足そうに頷き、リグレットは舌打ちして深い溜息を吐いたのだった。

 




 それとは異なり、重苦しい雰囲気漂うマドレス城、謁見の間。病人のように青白く、心労で頬がこけてしまったグロールの下に、バハール側の特使としてウィルムが訪れていた。ウィルムの装束にはコインブラの紋章はなく、栄えあるホルシード帝国の太陽の紋章が付けられている。最早、コインブラの臣ではないと宣言するかのように。


「お久しぶりにございますな、グロール様。確か、トライス川以来だったと記憶しております。いやいや、ご無事でなにより」


 嘲るウィルムに、グロールが唇を噛み締めて激昂する。


「ウィルム、貴様、よくもこの私の前に姿を現せたものよ。恥を知っているなら今すぐ自決しろッ、この裏切り者めが!」

「軍の最高地位にある将たるものが、真っ先に裏切りを働くなど! ウィルム殿には騎士としての誇りがないようだ!」

「裏切り者め、恥を知れ!」


 家臣たちも罵声を投げかけ、非難の視線を向ける。その中の一人、シンシアも腸が煮えくり返っていた。


「自決などとんでもない。我が誇りと忠誠心はこの太陽の紋章が証明してくれております。正しき判断、行いをした証です。そして、我がグランブル家最高の栄誉でもある。恥じ入ることは全くありませんな」

「よくもぬけぬけとッ。ウィルム、此度のことは全て貴様の差し金ではないか! 我らを敗北に導き、挙句にはアミルに尻尾を振るなど! 貴様、一体いつから裏切っていたのだ!」

「ははは、“導く”とは異なことを。戦うと決められたのは貴方だ。そして、我が策を容れられたのも貴方だ。そう、この事態を招いたのは、最高指揮官である貴方の責任。責められる謂れはありませんな。ちなみに、いつからかは、貴方のご想像にお任せするとしましょう」


 鼻で笑うウィルム。シンシアはいよいよ我慢ならなくなり、剣を抜き放とうと手を掛ける。


「逆賊めが、そこに直れッ! この私が成敗してくれるッ!」

「ふむ、私を殺すというのか? シドニアの友だったこの私を。貴官には散々目をかけてやったであろうに。女の身でありながら、その地位にいられたのは全て私の根回しがあってこそ」

「黙れっ! 父がいれば、きっと同じことをしていたはず! この場で首をとり、死んでいった者への手向けとする!」

「気持ちは分かるが、少し落ち着かれよシンシア殿! 確かにウィルム殿は憎むべき寝返り者、しかし今はバハールの特使でもあるのだ! 和平交渉を進めるためにも、話は聞かねばならん!」

「し、しかし」

「控えられよッ!!」


 ペリウスの一喝に、シンシアはすんでのところで止まる。怒りで震える手を、歯を食い縛ることで何とか堪える。


「ククッ、今の私はコインブラ太守代行の地位にある。つまり、逆賊は私ではなくお前達なのだ。それをしかと心得ることだ」

「ウィルム殿、話を進めていただきたい。これ以上時間を無駄にすることはありますまい」


 怒りを堪えているのはシンシアだけではない。ペリウスとて同じ事。だが、どうしても交渉は進めねばならない。どういう条件が提示されているかはすでに分かっている。後は、グロールの判断次第。最後の判断は、主に任せようとペリウスは決めたのだ。


「バハール公アミル様が、和平を受け入れるために示した条件は三つ。一つは直ちにマドレスの門を開け放ち、我々と海上にいるリベルダムの船団の入城を認めること。その際、抵抗するような素振りを決して見せぬこと」

「……後はなんだ」

「二つ、全コインブラ兵の即時の武装解除、及び戦闘行為の停止。これはボルボに篭るノエル隊に対しても適応される。ノエルが投降しなければ、和平は絶対に受け入れぬとアミル様は仰られていた」


 ウィルムは、少し不服そうな様子で読み上げる。ウィルムとしては、首を差し出させるべきと主張したのだが、アミルはそれを退けた。それでは悪鬼は確実に野に下り、余計に面倒なことになるとして。


「……最後は?」

「三つ、乱の首謀者グロール・ヴァルデッカは、この一連の戦に関わる全ての罪を認め、潔く裁きを受けること。さすれば、妻子には手を出さず、全将兵の助命を許すと仰せだ。その目で、確認されるが良かろう」


 ウィルムが懐から書状を取り出し、グロールへと提示する。それを生気のない表情で確認すると、グロールは擦れた声で確認する。


「本当に、全将兵の命、そしてサーラとエルガーの命を助けてくれるのだな? 絶対に間違いないのだな、ウィルムよ」

「ええ、勿論ですとも。ククッ、貴方以外は全員助かりますぞ。ただし、貴方にはこの無益な戦を引き起こし、多くの犠牲者を出した張本人として死んでいただく。そう、ホルシード帝国に背いた愚かな逆賊という汚名は、貴方が一手に引き受けるのです。無能な貴方でもできる、最後の仕事ですな」

「…………」

「ですが、若君と奥方だけは確実にお助けすると、このウィルムが約束しましょうぞ。この約束は守りますので、ご安心なされよ」


 ウィルムが嘲りを浮かべながら告げる。無言のグロールに代わり、シンシアは声を荒げる。


「そんな馬鹿な! こんな条件を飲める訳がないッ! 確かに、戦を引き起こしたのはコインブラ、だが、そもそもの原因はバハールの謀略によるもの! せめて、公平な調査があってしかるべきです!」

「シンシア、もう良い」

「太守、貴方だけの責ではありません! これでは、死んでいった者も報われません!」

「……もう良いのだ。これ以上、無駄な犠牲を出す必要はない。死んでいった者には、私が赴き、許しを請う」

「太守!!」


 シンシアが思いとどまらせようとするが、グロールは決意を固めた表情を浮かべている。


「私が死ぬだけで、将兵の命を助けられるのであれば、それが最善だ。何より、連座するはずのサーラとエルガーを助けられるなど、本来ならば考えられぬ。……私は、アミルに降伏し、大人しく裁きを受けよう。これが、私にできる太守としての最後の仕事だ」


 グロールはそう言うと、力なく頷いた。既に死を受け入れ、誇り、自信、野心といったものは完全に喪失してしまっていた。


「しかし、ノエルはまだ戦っております。彼女は絶対に諦めません。若君のために働き、共に幸せを掴むことをノエルは約束しています。最後の最後まで、ノエルは抗うでしょう!」

「……ノエルには、本当に申し訳なく思う。彼女の最大の不幸は、仕えるべき主を間違えたことだけだ。全ては私の責任。本当に、本当に合わせる顔がない」

「まだ、戦いは終わっていません。マドレスは二つの城壁に囲まれた堅城、ボルボにいるノエルと協力すれば後一年は戦えます。最後まで徹底抗戦する覚悟を見せれば、もっと良い条件で和平を結べるはず!」


 ノエルは約束を絶対に破らない。それを知っているシンシアはグロールに再考を促す。まだマドレスには一万の兵がいる。マドレスは堅城、守備に徹すれば大軍で押し寄せられたとしても、一年はもたせることが出来る。その間に、交渉で有利な条件を引き出せば良い。


「シンシア、貴官は若い。亡き父シドニアに似て、実に勇敢だ。だが、ここで粘ったとしても、アミル様は絶対に譲歩することはない。無駄な抵抗で、一体どれだけの犠牲がでるか考えてみよ。確かに、マドレスは堅固な城だ。この無能が指揮しても半年程度はもつかもしれん。だが、民の犠牲は夥しいものとなるぞ。貴官は、それを受け入れる覚悟があるのか?」

「裏切り者が何を言うかッ! 貴方の卑怯な行いで、一体何人のコインブラ人が死んだと思っている!!」

「全てはコインブラの発展、そして民の命を守るためのものだ。死んだ者には気の毒だが、彼らのためにも戦いを早く終わらせたいと考えている。無論、遺族には後で十分な補償を行なうつもりでいる」


 ウィルムが諭すようにシンシアに語りかける。ウィルムはシンシアを気に入っており、こんな戦いで死なせるつもりは毛頭ない。どれだけ罵倒されたとしても、友の忘れ形見を害するつもりもない。


「よくもぬけぬけと! 私は絶対に納得できない!」

「冷静に考えてみるのだ。確かに、ボルボに篭るノエルと共同すれば、時間は稼げるかもしれん。だが、最早勝ち目のない戦なのは明白。それは前線にいた貴官が分かっていることだろう。最後まで戦い抜きたいという気持ちは良くわかる。だが、それは騎士として正しき判断なのか。一時の感情に流されず、よく考えてみるのだ!」

「……くっ」


 唇を噛み締めるシンシアに、顔を上げたグロールが告げる。


「もう良い、もう良いのだ、シンシア。貴官の、そして最後まで私に従ってくれた者たちの忠誠には心から感謝している。……ウィルム、アミルに全ての条件を承知したと伝えよ。我らは明日にでも城門を開け、兵の武装解除を行なう。シンシア千人長、ノエルの説得は貴官に任せる」

「……し、しかし、ノエルが従うとはとても思えません!」

「もしノエルを説得できなければ、そのときは私と妻子の命を持って償い、城兵の命乞いをすることにしよう。例えノエルが我が命に逆らったとしても、それは仕方のないこと。私はノエルに顔向けできる立場ではないのだ。決して責めはしまい」


 死人のように青褪めた顔で、小さく呟くグロール。最早戦う意志も、再起を図ろうという野心も残っていない。完全に諦めを受け入れてしまっていた。


「ククッ、実に素晴らしきご決断ですぞ、グロール様。今の決断は、貴方がコインブラの太守になられてから、最も素晴らしいものでしょうな。このウィルム、心より感服仕りました」


 ウィルムが口元を歪めて手を叩くと、グロールが口惜しそうに睨みつける。


「……ウィルム。私は確かに無能であったが、いずれ貴様にも、報いが訪れようぞ。それを、決して忘れるな」

「これは異なことを仰られる。最初に我々の期待を裏切ったのは貴方だ。いや、裏切られ続けたといっても良い。報いとやらを受けるのは貴方に他ならない。先ほども言いましたが、私が責められる謂れは、全くありませんな!」

「…………」

「貴方の不幸は、器もないのに太守に任ぜられてしまったことです。しかしご安心を。その不幸も間もなく終わる。後の事は、我らコインブラの人間にお任せあれ。必ずや復興を成し遂げ、かつての賑わいを取り戻して見せましょうぞ。貴方は墓の下で、それをゆっくりと眺めていると良い。ああ、若君と奥方には、どこぞの捨扶持で慎ましく暮らして頂きますのでご安心を」


 ウィルムは声を出して笑うと、押し黙るペリウスたちを一瞥し、堂々と謁見の間を退出していった。

 グロールもよろよろと立ち上がり、従者たちに肩を抱えられて退出する。家臣達も、もはや運命は決まったと諦め顔だ。

 納得いかないシンシアはしばらくそこに立ち尽くしていたが、やがて命じられた任務を果たすべく歩き始めた。先ほど、ウィルムを斬り殺すこともできた。そうすればさぞかし気分は晴れたことだろう。だが、その代償として数万の民の犠牲がでる。戦いは終わらない。

 ノエルならばどうしただろうか。多分、実行にうつしただろう。単純明快で分かりやすいのがノエルだ。本当なら、シンシアもノエルと共に戦い続けたい。だが、グロールはすでに心を決めている。無駄な犠牲をこれ以上出さず、そしてエルガー、サーラの命だけは助けたいという心境は痛いほど理解できる。


(仕方がない、か。本当に、理不尽でやりきれない世の中だ。……なぁ、ノエル)


 シンシアは大きく息を吐くと、一つの決意を固めた。



 交渉から一時間後、シンシアは自らの隊百人を連れてマドレスを発った。話が通っていたらしく、包囲が一時的に解けてシンシア隊は素通りすることができた。

 目的地は、北部ボルボの街――ノエルが篭っている、コインブラの栄光と凋落の象徴の街だ。

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