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第二十九話 真っ赤な城塞

 敵の追撃部隊を退けることに成功したノエルたちは、再びカルナス城塞へと戻った。グロールも無事だったが、完全に意気消沈しており、まともに立ち上がることすらできない有様だった。

 最も信頼していた将二人に裏切られた挙句、完膚なきまでアミルに叩き潰されてはそれも仕方ないとシンシアは思った。本音を言えば、このような状況でこそ奮起せねばならないのだが。

 それに引き換えノエルは邪魔臭いほど元気一杯だった。外ではあれほど疲労した様子を見せていたのに、戻ってきて一時間もすると、再びいつもの調子に戻っていた。


「……もう回復したのか? あれほど倒れそうな顔をしていたくせに」

「うん。集中すると本当に疲れるんだ。でも、少し休めば大丈夫!」

「しかし、一息つけたのはいいが、事態は最悪のようだな。良い報せが一切入ってこない。一体、どれだけの味方が残っているのかも分からん」

「シンシアも少し休んだ方がいいんじゃない? 幸せが逃げていきそうな顔してるし」

「既に逃げられた気分なのは確かだ」

「あらら」


(……現状を理解すれば、流石のノエルも暗澹とした気分になるだろうか)


 唯一の朗報といえるのは、マドレスは辛うじてコインブラの支配が効いているということぐらいだろうか。グロールへ諫言を繰り返していたペリウスが、反乱を起こそうとした者の拘束に成功していた。このような事態を、薄々は想定していたのかもしれない。

 逆に、悲報は山のように届けられた。まず、ウィルム、ガディスの息がかかっていたコインブラの領主達が一斉に造反した。コインブラの天秤旗を下ろし、恥ずかしげもなくバハールの三剣旗を掲げているらしい。

 次に、ゲンブなどの各州がバハール側に参戦していることが確定した。ゲンブとギヴは北方の関所を制圧し、兵を並べて進撃できる態勢を整えていると。南の海上には、リベルダム海軍が接近している。こちらにはロイエが同行しているそうだ。彼らが一斉に攻撃を仕掛けてきたら、堅城を誇るマドレスとはいえ、長くもちこたえるのは無理だろう。


「……ノエル、少し聞いてくれ」

「ん、何かな?」

「私の知る限りのことを、今の内に話しておきたい」


 シンシアは、これらのことを包み隠さずノエル達に話した。その上で、これからどうするかを話し合おうと考えたのだ。休憩していた者たちも、苦境は大体予想していたらしく特に驚いた表情は見せなかった。とはいえ、収集した情報を基に、未だ健在の拠点、造反した拠点、各州の動向を地図に記していくと、その顔は苦々しげなものに変わっていった。――唯一の例外を除いて。


「なるほどね。大体分かったよ!」


 ノエルの元気な声が響く。シンシアは面食らいながらも、話の本題に入ろうとした。


「それで、これからなんだが――」

「んー、胸に染み渡る! あと一杯だけ欲しいんだけど、まだ水は残ってるかな?」


 ノエルは水筒を一気に飲み干した後、お代わりを要求する。隣にいたリグレットが、自分は従者ではないと舌打ちしながらも、水を汲みにいった。


(本来であればリグレット殿を処罰すべきなのだろうが……)


 シンシアはリグレットの件については取りあえず黙認している。処罰すべきという声も内部から出ているが、今は他に優先すべきことがあるとシンシアが宥めたのだ。何より、ノエルにそのつもりがないのだから、尚更難しい。グロールも今は判断が下せるような状況ではない。この騒動が全て終わった後に考えれば良いことだろう。


(……無事に終わればの話だがな)


「本当は景気付けにお酒が飲みたいんだけど、流石にシンシアに怒られるから止めておくね」


 バルバスが腰に提げている水筒に目を向けているノエル。どうやら酒が入っているらしいが、わざとらしく「えへへ」などと笑っている。本当に先ほどまで死闘を繰り広げていた猛将なのか自信が持てない。もしかしたら夢だったのかもしれないが、シンシアは確かに生きている。


「ノエル、私の話をしっかり聞いていたか? 今がどういう状況かは分かっているんだろうな」

「うん、ちゃんと聞いてたから分かってるよ。別に、造反した領主達は気にしなくていいんじゃない。すぐに裏切るような連中は、状況が変わればまたひっくり返るよ。そんなどうでも良い連中よりも、バハールの大軍の方が厄介だよね」


 欠伸をした後、地図上に視線を走らせて行くノエル。途中、リグレットから水筒を差し出されると、今度はちびちびと飲み始めた。ふざけているように見えたが、しっかりと考えているようだった。


「……状況は刻々と悪化していくだろう。日が暮れると同時に、我らは太守をお守りしながらマドレスへ帰還する。カルナス周辺の街道、間道は乱杭などで封鎖したが、幾らも時間は稼げないだろう。闇に紛れて、一気にマドレスまで突き進むしかない」

「マドレスは落とされたらまずいからね。あそこは一番気合を入れて守らないと。でも、これから勝ちにもっていくには、どこかで勝負に出ないと駄目だよね」


 ノエルがマドレスに続く道、ライン街道を指差す。丁度山間の道となっている狭い地点だ。


「……まさかとは思うが、まだ勝てると思っているのか?」

「負けるために戦う人間なんていないでしょ。諦めたならとっとと逃げた方がいいし。死にたいだけなら別だけど」

「いや、そりゃそうですがね。いくら隊長が悪鬼だろうと、中々難しいですぜ。敵は五万以上、対する俺達は敗残の一万人だ。こんなボロボロな有様でまともに戦えるかどうか」


 バルバスが横槍を入れるが、ノエルは聞く耳を持たない。


「バハール軍だって、いつまでもあの大軍を維持してはいられないよ。だから拠点が何個落とされたって問題ない。後で取り返せば良いんだからね。最悪、マドレスが落ちても、生きてさえいれば戦い続けられる。この広いコインブラ州が私たちの城であり戦場なんだから」

「……流石は隊長、いつも前向きですな」

「くよくよしても仕方ないしね。だから、私はいつまでも戦い続けるよ。取られたら、いずれ取り返す。それだけかな」


 ノエルは地図の上に両手を広げると、各拠点に立てられた旗をなぎ倒していく。


「ふん、そう簡単には行きませんよ。相手も馬鹿じゃないんです。私達を確実に詰みに掛かってくるでしょう」


 リグレットの馬鹿にしたような声に、ノエルが反論することなく頷く。


「だから、なんとかして勝てる方法を探さないとね。さ、皆で考えよう!」

「……と、言われても、それがしの頭では些か難しいな。こういうことは、ハクセキ老が得意なのだが。しかし、正面から当るのが愚策というのは分かる」

「大軍を簡単に蹴散らせるような策がぽんぽん出てくりゃ苦労はないですぜ。だから俺たちは鉱山に隠れることにしたんだ」


 真剣に頭を捻りだす面々。嫌味を述べていたリグレットまで、悩み始めている。一体何があったのかは分からないが、ノエルとの仲は改善されたのだろうか。


(……と、そんなことを考えている場合ではなかった)


 今はやりとりしている時間はないと判断し、シンシアはとりあえず強引にノエルを連れ帰ることに決める。


「……すまんが、起死回生の策を練るのは一旦保留だ。今は太守をマドレスにお連れするのが最優先だからな。あそこは我らの生命線、一刻も早く戻らねば」

「うん、分かった。それじゃあ、ここでお別れだね。……次もまた無事に会えるといいね」


 ノエルは少しだけ寂しそうに呟くと、シンシアは眉を顰めて疑念を示す。自分は行かないと言っているように聞こえたからだ。


「何を言っている。他人事ではなく、お前も行くんだ。こんなところで孤立したら、確実に死ぬだけだ。置いていける訳がない」

「さっきシンシアが言ったんじゃない。あの封鎖じゃ幾らも時間を稼げないって。だから、敵に脅しをかけておかないと。あまりこっちを舐めると、酷い目に遭うってね。一回思い知らせれば、きっと慎重になるよ」


 ノエルがニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。先ほどまでの子供のような無邪気さは掻き消えている。


「待て。ならば、私の隊が殿となり時間を稼ぐ。お前には何度も助けられている。今度は私の番だ。私とて、死ぬ覚悟はとうにできている!」

「悪いけどそれは駄目だよ」


 ノエルが一蹴する。反論を許さないという威圧感がある。だが、シンシアも譲れない。ディルクに続きノエルまで殿を勤めさせるなどと、そのようなことは騎士として認められない。


「お前は我らを救ってくれた。それだけで十分な働きだ。今回は私に残らせてくれ。ディルク様を死なせ、更にお前を死なせることになっては騎士の名折れだ!」


 シンシアは勢いよく机を叩きつけて威嚇する。が、ノエルは全く動じない。獰猛な表情は再び穏やかなものに戻っている。


「ね、シンシアには太守を守る役目があるでしょう。それに、シンシアの疲れきった兵じゃ全然時間稼ぎにならないんだ。だから、ここは元気な私たちが残るのが一番良いんだよ。実は、ちょっと“考え”もあるしね」

「……し、しかしっ!」


 シンシアは激しく葛藤する。確かに、シンシア隊の兵は暫くは使い物にはならない。再び黒陽騎の脅威に晒されたとき、果たして剣を構えることができるかも怪しい。一度恐怖を知ってしまった兵たちだ。一気に総崩れとなる可能性もある。


「ま、また私にお前を見捨てろと、そう言うのか?」

「大げさな。ちょっとお別れするだけじゃない。大丈夫、また直ぐに会えるよ」

「…………」

「でも、太守を送り届けたら、今度は助けに来てくれると嬉しいかな。誰かに助けてもらうっていうのも、ちょっとは味わってみたいなー、なんてね」


 ノエルは「冗談だから気にしないで」とシンシアの肩を叩いた後、戦いの支度に向かっていった。



 トライス川で勝利を収めたバハール軍は、カルナス城塞に至る街道上で、障害物の除去を行っていた。乱杭を掘り返し、黒縄を断ち切り、時折仕掛けられている落とし穴を埋め立てる。どれもこれも騎兵には致命傷を与えうるもので、工作兵の護衛にあたっている黒陽騎の苛立ちは頂点に達しようとしていた。一気に勝負を決めるつもりで、全力の追撃を行なっていたのに、それが不発に終わったこともある。

 だが、一番の原因は、暁計画により生み出された仲間、兄弟とも言える存在が二十騎も未帰還だったからだ。既に何人かの死体が見つかっており、彼らがどうなったのを予測するのは容易だった。一人一人が剣の達人であり、人並みはずれた膂力の持ち主。それが二十騎も一挙に失う事になるのは、己の強さに自信を持つレベッカにとってあってはならないことだった。


「あー!! 本当にイラつくッ!! こんなところでチンタラしている間に、グロールの糞野郎が逃げちまうじゃねぇかよ! ったく、早くしろよっ、この愚図どもが!」


 黒陽騎副将のレベッカが、近くにいた工作兵を蹴り上げる。手加減しているものだったが、工作兵にとってはたまったものではない。悲鳴を上げながら、別の場所へ逃げていってしまった。


「てめぇ、待ちやがれッ! 作業を放棄するつもりかよ!」


 レベッカが追いかけようとしたところに、仲間の探索に当っていた黒陽騎が帰還した。


「……レベッカ様、行方不明だった兄弟たちが見つかりました」

「本当か! 無事だったか!?」

「いえ、残念ながら、全員死んでいます。帰還した兵の話によると、やったのは二鎚の旗の部隊だったと!」

「糞ッ、またノエルとかいう雌鬼かよッ! 畜生がッ!」

「本当に、無念です!」

「必ず仇を取りましょう!」


 涙を流す黒陽騎たち。レベッカも思わずつられそうになるが、必死に堪える。今は泣いている場合じゃない、なんとしても仇を討ち、無念を晴らさなければならない。こんな杭やら縄やら、姑息な真似をする屑どもにやられた無念はいかほどであったか。レベッカは大剣で乱杭を何度も何度も叩きつけて粉砕する。


「絶対に許さねぇッ! 悪鬼だかなんだか知らないが、八つ裂きにして豚の餌にしてやるッ!」

「レベッカ様、ノエルの二鎚旗は、未だカルナス城塞にあがっております。必ずや我らの手で討ち取り、兄弟の魂に捧げましょう!」

「当たり前だッ! アタシたち黒陽騎を舐めた事、絶対に後悔させてやるんだッ!」


 憤る黒陽騎たち。そこへ、偵察を終えたファリドも帰還した。槍は血で汚れている。逃げ遅れたコインブラ兵の掃討も行なっていたのだ。


「カルナス城塞の様子が少しおかしいようだ。旗はあがっているが、敵兵の姿が一切見えない。何か、企んでいるのかもしれない」

「罠があったら叩き潰すまで、そうだろ兄貴! アタシたちは騎兵だが、歩兵になっても最強なんだ。馬はただの移動手段なんだからな!」


 レベッカの絶叫に、ファリドは呆れ顔を見せる。


「おい、少しは考えるんだ。なぜ敵の姿が見えないのかを」

「考えてる暇があったら、落として確認すりゃいいじゃないか!」


 そこに、敵襲の叫び声が聞こえてくる。数本の矢が飛んできたくらいだが、作業は中断してしまった。時折、周囲に潜んでいる敵兵が、散発的に攻撃してくるのだ。追いかけても姿は見えない。木の上から適当に矢を放ち、素早く移動しているようだ。大きな被害はないが、邪魔くさいことこの上ない。殲滅するために兵をむければ、作業は更に遅れてしまう。


「ああ、鬱陶しい! さっきから何回も腑抜けた攻撃ばっかりしてきやがって! ぶっ殺してやる!」


 叩き落した矢を、何度も何度も憎々しげに踏みつけるレベッカ。ファリドはそれを見て、レベッカの胸元を掴みあげる。黒陽騎は確かに強いが、直ぐに激昂するという欠点がある。獣の性質に近いものがある。それを躾けるには、恐怖を適度に与える事だ。


「頭を冷やせレベッカ! もう一度言うが、なぜ敵がこのような真似をしてくるか考えろ。お前も副将なんだ、感情に身を任せるだけじゃなく、頭を働かせるんだ!」


 ファリドが厳しく睨みつけると、レベッカは顔面蒼白、涙目になる。


「わ、分からないよ! アタシは馬鹿だから、全然分からない! あのノエルとかいう奴は、アタシ達を小馬鹿にしてるに決まってるんだ!」

「ああ、その通りだ。だが、何故馬鹿にして怒らせにくるのか――そこまで考えろ。僕なら、確実に罠を仕掛けて待ち受ける。お前が怒って乗り込んできたところを討つためだ」

「これは、罠?」

「そういうことだ。一つ、勉強になったな」


 ファリドは胸元から手を離してやると、うなだれるレベッカの頭を優しく撫でてやる。飴と鞭、これが獣の教育には最も効果的だ。かつて、自分も教会でそう教育されたのだから、間違いない。ファリドはただ彼らと同じことをしているだけだ。


「いやいや、見事な教育方法、流石はアミル様が見込んだお方だ。フフフ、実に私好みのやり方ですねぇ」


 愉快そうに拍手しながら現れたのは参謀のミルズ。馬に引かせた戦車、その窓から体を乗り出している。


「これは、ミルズ様でしたか。お見苦しいところをお見せいたしました」

「いやいやいやいや。私の代わりに注意していただき、お礼を申し上げます。あのカルナスに迂闊に手を出すのは危ないと思いましてねぇ。特に名高い黒陽騎の武功に、僅かでも泥をつけてはと思い、自慢の戦車を飛ばしてやってきたのですよ」

「では、やはり罠があると」

「ただの勘で確証はありませんがね。執拗に誘いを掛けて来ているところを見ると、まぁ間違いないでしょうねぇ。ノエルとか言いましたっけ。あの悪鬼は誘いこんで、痛い目にあわせるという戦法を得意としているようで。偉大な太陽帝ベルギス様の真似をしているだけでしょうが、警戒するに越した事はありません。あんな猿まねに引っ掛かってはいけませんよ」


 ミルズは戦車から降りると、指揮杖をトントンと地面にたたきつける。


「ミルズ様は、どうするのが良いとお考えでしょうか。私としては、カルナスを無視するわけにもいかないと思いますが」

「無論、ファリド殿の仰る通りです! 目の上の瘤、後顧の憂いとなり得るカルナスの放置などありえません。しかも、あの城塞には悪鬼の旗が掲げられていますからね。あそこまで堂々とした相手を前に、こそこそと見ないフリをするなど、兵の士気に驚くほど関わりますよ」


 ミルズは哄笑しながら杖を振り、壊れた乱杭の破片を弾き飛ばす。


「……ですが。ですがですよ。考えなしに攻めて、ラインのベロッテ伯爵の二の舞を演じるのも愚の骨頂。ならばどうするかと言いますと。フフフ、アミル様と相談した結果、捨て駒を使う事にしました」

「……捨て駒?」

「ええ。何人死のうが、どうでも良い連中です。ただ飯を食わせるばかりではあれなので、少しはバハールのために役に立ってもらわないといけません。食い扶持が減る分、数が減った方がやりやすくなりますし。フフフ、こんなことを聞かれたら、彼らに刺し殺されそうですがねぇ。フフフッ!」


 哄笑するミルズ。それをファリドは感情を表さないよう気をつけて観察する。この優男の知恵は間違いないものだし、確かに役に立つ。参謀に必要な冷徹さも備わっている。だが手段を選ばないどころか、率先して行なうそのやり方は、いずれアミルの障害になりうる可能性もある。毒草は薬にもなるが、その本質はやはり毒なのだ。


「流石はミルズ参謀、見事な策と感服いたしました」

「フフフ、褒めても何もでませんよ? そうだ、終わったら勝利の美酒を用意してありますので。貴方も是非ご参加ください」

「承知しました」


 その時がきたら、真っ先に始末してやろうと心に決め、ファリドは満面の笑みで相槌を打った。

 



 ようやく障害の除去が完了した翌日、バハール軍は満を持してカルナス城塞へと攻め寄せた。


「進め、進めッ! 逆賊の篭るカルナスを一気に攻め落とすのだッ!」


 寄せ手はバハール軍に投降したばかりのガディスだ。コインブラ人の兵五千を率い、コインブラの旗が上がる城塞へとガディスは攻撃を命じる。現在の地位は、コインブラ太守代行補佐、ウィルムの副将扱いである。同列なのに待遇がことなることに納得がいかないガディスだが、アミルの決定に正面から逆らうわけにもいかない。ただ口惜しげに頷くほかなかった。


(だが、功をあげればウィルムに並ぶ、或いは逆転することも不可能ではあるまい。戦いはまだまだこれからよ)


 裏切るまでは葛藤の日々だったが、行動を起こしてしまえば大したことはない。むしろ、優勢な側につくことができて心から安堵する気持ちだった。それは兵も同じらしく、皆の顔は一様に明るい。士気は今までにないほど向上しているように見えた。


「これは逆賊を征伐する戦いだ! 我らは正しき選択を行なったまでのこと。決して恥じるな、我らこそが正義なのだ! 陛下の敵を打ち払え!」


 兵を鼓舞し、自らも堅く閉ざされた門前へと迫る。城壁からの反撃がないのを見て、ガディスは敵は逃げたという確信を持った。いたとしても、本当の少数のみだろう。でなければ、城壁から矢が撃ちかけられているはずだ。掲げられている二鎚の将旗を見る限りでは、あのノエルとかいう成り上がり者が守っていたようだが、既に旗を置いて逃げだしたらしい。


(己の隊旗を置いて逃げ出すとは、やはり下賎な成り上がりか。騎士の誇りなど欠片ほどもないようだ。やはり、グロールは見る目がない)


 少々の幸運で、ただの流れ者から百人長まで駆け上がったノエル。常に敵対視していたウィルムと異なり、ガディスは特に何の感情ももっていなかったが、邪魔をするならば話は別だ。経験の差というものを教えた後で、徹底的に叩き潰さねばならない。生憎、今回はその機会はないようだったが。


「コインブラ軍に悪鬼などいないことは、我らが一番良く知っている。皆の者、決して臆するな! 進めい!」

「おうっ!」


 一切の抵抗がない城門は容易く打ち破る事に成功。攻城梯子や、投石機など使う必要すらなかった。城内にもコインブラ兵の姿はないようだ。


(これほど楽な戦いはないな。ノエルの奴めに感謝してやりたいくらいだ)


 流石に同胞を殺す事には抵抗を覚えそうだったが、この分ならば問題はなさそうだとガディスはほっと息を吐いた。実際その時になれば、兵達は同胞へと剣を向けるだろう。自分もそうする。近しい身内ならばともかく、ただ生まれた州が同じというだけなのだ。所詮は他人の集り、軍隊という器にいれて強制的に仲間意識を植え付けてきただけのことだ。


「ガディス様、やはり敵兵の姿は見当たりません。ですが、かなりの量の物資が残されております!」

「この散乱ぶりから見るに、全物資を運んでいる暇がなかったのでは。相当慌てていたようで」

「よし、全兵を投入し物資を回収させるのだ。アミル様に捧げれば、我らの覚えもよくなることだろう。それと、城内の捜索は続けよ、どこに兵を潜ませているか分からんからな! 情報を聞き出すゆえ、出来る限り生かして捕らえよ!」

「承知いたしました!」

「……ふん、何がコインブラの悪鬼だ。グロールはえらくかっていたようだが、所詮は小娘。それが指揮官面しているとは、実に馬鹿馬鹿しい話だ!」


 ガディスは罵倒しながら、入り口付近で腰を落ち着ける。中に入らないのは、伏兵がいる可能性を考えているからだ。戦の後にはコインブラの統治に関われるという約定が為されている。自らの安全に、念には念を入れるのは当然だ。とはいえ、臆病呼ばわりされるわけにもいかないので、こうして自らも城内へと入ったという訳だ。


「こりゃ、すげぇな。おい、見ろよ。こりゃ本物の金だぜ」

「食い物も沢山だ。お、酒もあるぞ」

「他にもあるけど、なんだこりゃ。なんかの鉱石か?」

「そんなものほっとけよ。それより金目の物を探そうぜ。少しくらいは、ガディス様もお目こぼししてくれるかもしれねぇ。太守になれるってんで、最近機嫌がいいんだ」

「本当か!? そうなりゃ善は急げってな!」


 城内には兵糧や金塊が撒き散らしたかのようにばら撒かれていた。逃げる際の混乱でこうなったのだろうと、兵達は特に疑うことをしなかった。実際にはその兵糧や金塊に紛れて、奇妙な布袋が均等に配置されていたのだが。

 ガディス隊が完全に城塞に入ったのを見届けると、身を隠していた白蟻党の一人が合図を送る。すると潜んでいた者達が同時に火矢を放った。彼らは結果を見届ける事無く城壁から縄をつたって素早く逃走した。


「……おい、何か臭くないか?」

「こりゃ、煙じゃねぇか?」

「き、気のせいじゃねぇ、どっかが燃えてるぞ! 早く消せ!」


 それから数分の内に、カルナス城塞は一気にその様相を変える事になる。火の手が城塞内部の至るところから立ち上る。激しく燃え盛る炎が残されていた物資に燃え移り、予め撒かれていた油を燃料として更に勢いを強める。均等に配置されていた燃焼石に引火、破裂し、容赦なく犠牲者へと襲い掛かった。

 阿鼻叫喚の坩堝となった城塞、その脱出口は城門だけだった。仲間を押しのけ、必死に逃げ出そうとする兵士達。だが、恐慌状態に陥った兵達は冷静な行動をすることができない。押しつぶされ圧死する者、錯乱して同士討ちを行なう者、地面を掘って隠れようとして、煙に巻かれて窒息死する者。カルナス城塞が人間の焼ける臭いで満たされていく。

 そこで時間を取られている間に、カルナス城塞全てが炎で埋め尽くされた。真っ赤に燃える炎の城塞、焼死していく人間の悲鳴、その頂点には悪鬼の二鎚の旗。その煉獄の光景は、バハール兵たちの脳裏に強く刻まれることとなった。

 ようやく火が収まった時、ガディス隊の生存者は僅か五百人、死傷者数は四千を超えていた。ほぼ全滅と呼べる悲惨な有様だ。真っ先に脱出したガディスはなんとか生き残る事ができたが、崩れてきた瓦礫で右足を潰される重傷を負うこととなった。



「うわぁ、良く燃えてるね。作戦は大成功だ!」

「へへっ、上手くいったようです。あれじゃ、中の連中は一人も助からんでしょうな」

「ま、そうだろうね。うーん、それにしても良い眺めだなー。真っ赤な太陽と真っ赤な要塞、実に不思議な光景だね。ね、リグレットも見てみない?」


 大木の上から楽しげに眺めていたノエルが尋ねる。隣にはバルバスもいる。下には木登りができないリグレットがふて腐れていた。


「ふん、結構ですよ。知ってますか? 馬鹿と煙は高いところが好きらしいですよ。貴方たちにはお似合いの場所ですね」

「まーたはじまりやがったぜ!」

「それじゃ、リグレットもこっちに来た方が良いんじゃないかなー。ま、登れたらだけどね!」


 嫌味を返されたリグレットの顔が真っ赤になる。しかし、登れないのは事実なので何も言い返せない。


「ははっ、違いねぇ! しかし隊長も中々言いますな」

「あはは、なんだか似てきちゃったみたい。さーて、そろそろ皆が帰ってくるから、逃げる準備を始めよっか!」

「はっ!」


 ノエルは大木から飛び降りると、退却準備にとりかかる。そして、火付け任務から帰還した白蟻党と合流後、撤収を開始した。

 ノエルは切り札として残しておいた燃焼石の大半を、このカルナス城塞の火計に費やしてしまった。だが、それだけの効果があると考え、渋るバルバスを説得して実行に移した。迂闊に突っ込んできたらこうなるぞと、強烈に見せ付ける事で、敵の士気、そして進軍速度の低下を図ったのだ。


 ノエルの策は当った。以降、バハール軍は無抵抗の拠点でも慎重に動かざるを得なくなったのだ。どこに悪鬼の手先が潜み、再びあの煉獄を再現しようと企んでいるか分からない。悪鬼は拠点ごと焼き尽くすのだ。だから、寝返ってきた領主達にも疑いの目を向け、綿密に調査を行うことを徹底した。カルナスが破壊されたとはいえ、バハールの優勢はなんら変わることはなかったが、ノエルの目論見通りに進軍速度は低下した。


 この場にいたバハール兵、そして裏切ったコインブラ兵たちは、後々まで悪鬼の幻影に脅えるようになる。『悪鬼ノエルは神出鬼没、逆らう者は全て煉獄に叩き落される』、『裏切った者は祟りにより、必ず悲惨な末路を遂げる』などという怪しげな流言まで広がりはじめた。これは、ノエルが仕掛けたものではなく、リグレットが捕虜を使って勝手に仕掛けたもの。

 ウィルム、そしてバハールの将たちはなんとか静めようとしたがそれは完全に徒労に終わった。噂というのは、鎮めようとすればする程信憑性が増していく。しかも、実際に目撃したという兵も大勢いる。結果として、ノエルの名は更に広まっていくこととなった。


 ノエル本人は、悪鬼という異名はあまり気に入ってはいなかった。悪いことをしている気はさらさらなかったからだ。とはいえ、特にやめさせようというつもりもなかった。仕方がないと笑うと、ノエルは手製の鬼の面――夜中に見たら悲鳴をあげそうなほど不気味な角付き白仮面を被り、休憩中のリグレットをからかいにいくのだった。――こちらも、効果は抜群だった。

 

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