第二十七話 天秤崩れ
トライス川上流地帯。雨が降りしきり、視界は酷く悪い。騎乗したアミルが、小高い丘の上からコインブラ軍がいるであろう場所を見下ろす。僅かに明かりを確認することができ、敵がどこかということを示してくれている。彼らは、川の増水が引くのを待っているのだ。
(ここで雨が降ってくれるとはな。最早、我が勝利は揺ぎ無い)
同じく馬に乗っているファリドに視線を送ると、頷いてくる。時は来たれりということだ。
「……アミル様」
「ああ。……諸君、この戦で、我らは栄光の座へと駆け上る」
一度言葉を切り、全員の顔を見渡したあと、自らの心を打ち明ける。
「私の体にはヴァルデッカの血が流れている。諸君らの国を滅ぼした憎むべきホルシードの血だ。……だが私の魂はバハールと共にあり、彼らの誇りを受け継いだと信じている」
『…………』
「バハールは太陽帝ベルギスの手によって敗北を刻み込まれた。だが、その屈辱を糧として、大陸でも有数の発展を遂げた。そして、バハールの太守である私が皇帝になることこそ、諸君らの屈辱を晴らす事に繋がると確信している!」
『そうだ、アミル様は我らの同胞だ!』
『アミル様は、バハールを発展に導いてくれた!』
兵の声を受け止めた後、アミルは拳を握り締めて前に掲げる。
「私が帝位を掴んだ暁には、必ず諸君らの忠勤に報いると約束しよう。更なる繁栄を同胞にもたらそう。私は決して嘘をつかない。それは諸君らがよく知っているはずだ。私は約束した事は、必ず実行してきたのだから。――そうであろう!」
『応ッ!』
「ならば、私のために力を貸してくれ。お前達の命を私に預けてくれ。逆賊コインブラを打ち破り、共に栄光の座へと登りつめようではないかッ!! 勝利を掴もうではないか!!」
アミルが立ち上がり剣を抜き放つと、全家臣、兵がそれに応える。雨風の中を、夥しい量のバハールの三剣旗が一気に立ち並ぶ。
『アミル様に勝利を!』
『バハールに栄光を!』
『ホルシード帝国を継ぐのは、アミル様こそ相応しい!』
ファリドの黒陽騎が整列し、突撃準備に備える。掲げる旗は飛龍の紋章。人馬共に黒い武装で統一されている。兵は暁計画を生き抜いた者たちで編成され、バハール最強の部隊となっている。
「アミル様、ご命令を!」
「バハール全軍突撃開始! コインブラの逆賊共を皆殺しにせよ!! 進めッ!!」
「今こそ黒陽騎の力を世に知らしめるぞ! アミル様を栄光の座へお連れするのだ!」
アミルの号令とともに、ファリドは先頭を切って駆け始める。この日、この時のために黒陽騎は厳しい鍛錬を積んできた。全てはアミルを栄光の座へと導く為に。並走するレベッカは、舌なめずりをして大剣を握り締めている。いや、レベッカだけではない。全騎兵が、血を求めて殺気をギラつかせている。
馬蹄を響かせながら、一気にバハール軍が駆け下りる。騎兵が主体だ。途中何人かが落馬して脱落するが、止まる者は誰もいない。敵陣に到達すれば蹂躙できる。皆がそう確信していた。
先頭を行くのはファリド。雨の中、目を凝らして目標に狙いを定める。泥を跳ね上げ、嘶きをあげながら騎馬の群れがコインブラ陣目掛けて殺到する。コインブラ兵のほとんどは、雨を避ける為に粗末な天幕の中で身を隠している。完全に油断しきっており、武装している者はほとんどいない。
唯一見張りに立っていたコインブラ兵がようやく異変を感じたらしく、松明の明かりを掲げてこちらに向き直った。
「な、なんだお前ら――」
顔面に槍を突き刺すと、悲鳴が轟いた。一番槍は黒陽騎のファリド・アライン。同時に角笛、そして敵を威圧する銅鑼と戦鼓の音が響き渡った。
――トライス川の中流で、戦いが始まった。いや、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的なものだった。ファリド率いる黒陽騎が、コインブラ軍の中陣を一気に食い破ると、アミルの本隊がその地点へ突入、先陣、後陣へと隊を分けて襲い掛かる。
同時にミルズ率いる戦車隊が、迂回してカナン街道に展開。コインブラ軍の退路を強引に断ち切った。バハールが所持している戦車とは、馬二頭に引かせた鉄で覆われた馬車のようなもの。兵は、この中から身を隠して弓を狙い打つ事ができる。戦車を横に並ばせれば、即席の野戦築城にもなる。欠点となるのは莫大な費用と、小回りが利かない点ぐらいである。
トライス川下流――南方からは、バルザック将軍率いる二万の兵が襲い掛かる。南北からの挟撃、更に後方の退路を絶たれた事で、コインブラ軍は大混乱に陥った。指揮官たちは何が起こったかを把握することもできず、右往左往するばかり。兵達は自らの判断で、戦うか、或いは逃げるかを選択するしかなかった。当然ながら、後者を選ぶものばかりである。
「ま、待て! 直ちに隊列を整え、槍を構えよ! 敵は少数のはず、落ち着けばなんでもない!」
「あれのどこが少数だ! 見渡す限りバハールの旗じゃねぇか!」
「いいから持ち場を離れるな! 命令違反だぞ!」
「うるせぇ! 邪魔だ!」
「おい、押すな! この先は川だぞ!」
「いいから早くいけ! 突っ立ってたら殺されるぞ!」
周囲には夥しい数の敵兵、そして前面には増水して荒れているトライス川。どちらに逃げるのが正解なのかは誰にも分からない。だが、敵の刃に向かうくらいならばと、自らトライス川へと飛び込む者が続出した。
コインブラ軍、本陣にいたグロールもようやく異変に気付く。悲鳴と剣戟の音があちらこちらから聞こえ、何が起こっているのか分からない。だが、間違いなく危機にあることだけは理解できた。ひどく視界が悪いなかでも、バハールの三剣旗だけは確認することができたからだ。
「何だ。何が起こっている! 敵の奇襲ならば直ちに撃退せんか! くだらぬことで悪評を広められれば、バハール領主たちが動揺する!」
「わ、分かりません。ですが、前方にいる兵が次々に逃げだしております! 恐らく、既に交戦しているのではないかと」
「戯けが! 交戦しているのに、何故逃げ出すのか! 伝令を出し、詳しい状況を調べさせろ!!」
「は、ははっ!」
「それと、逃げ出す卑怯者に原隊に戻れと厳命せよ! 逆らうようなら軍規に基づき処断して構わん! 我らは五万の軍勢、容易く迎撃できる!」
「承知しました!」
家臣が慌てて駆け出していく。それと入れ替わりに、シンシア、ディルクが駆け込んでくる。本陣の周囲に配備されていたことで、混乱には巻き込まれていなかった。
「太守、敵は騎兵を先頭に我らの陣を荒らしまわっております!」
「じょ、上流と下流、敵は南北から挟撃を仕掛けてきております。直ちに対処せねば、総崩れとなります!」
「敵は一体何人いるというのだ! 何故少数の敵兵にこうまで掻き回される!!」
「どう見ても少数には見えません。私の見たところ、北方だけでも一万の敵はいるかと存じます!」
シンシアが雨で濡れた顔を拭いながら、声を荒げる。
「一万だと? それほどの敵が近づいていながら、誰も気がつかないとはどういうことだ! 上流側に展開させていたウィルム、ガディスは何をしている!!」
「そ、それは分かりませんが」
ディルクが顔を曇らせる。はっきりいって、何がどうなっているかなど誰にもわからない。伝令を出すといっても、どこに誰がいるのかも分からない。降りしきる雨と吹き付ける風で視界と聴覚を奪われ、命令が行き届かない。そして、行軍中だったために縦列陣形だったことも混乱に拍車をかけることとなっている。途中途中を敵に分断されているらしく、各個で状況を判断することを強制されている。このような状況に慣れているコインブラ指揮官など、片手にも満たないだろう。故に、脱走する兵が続出し、半潰走状態にまで追い込まれている。まだグロールには伝えてはいないが、すでにこの本陣も安全地帯ではないのだ。早く逃げなくてはならないのかもしれないが、それを判断する証拠もない。ただ、敵の声が迫っているというのが分かるだけだ。
「たわけどもが! それでもコインブラの軍人か!! ただちに敵を追い払えと命令を出せ! ディルク、シンシア、本陣周辺の兵を纏めて応戦せよ!」
グロールが地面を蹴飛ばすと、汚泥が舞い上がる。そこに、息を荒げた伝令が態勢を崩しながら駆け込んできた。
「た、大変で御座います! ウ、ウィルム将軍、ガディス将軍の隊はすでに戦線を離脱! バハールの旗を掲げて敵方と合流した模様!!」
その報告に、一瞬時間が止まる。家臣達は呆然自失したまま動けない。グロールも唇をわなわなと振るわせるばかりだ。だが、徐々にその顔色は青白くなり、そして激昂する。
「馬鹿を申すなッ!」
「ですが、間違いなく――」
「まだ戯言を申すか!! 仮にも将の地位にある者たちが、裏切りなどと卑怯な真似をする訳がない!!」
「し、しかしながら。ウィルム様の兵が、各隊に投降を呼びかけております! このような文が、大量に投げ込まれているようです!」
泥水に塗れた書状を伝令が手渡すと、グロールが奪い取ってそれに目を通す。
――内容は次の通りだ。
此度の戦は、コインブラに大義などなく、全てはグロール・ヴァルデッカの私怨により起こされたもの。このような行為は、皇帝陛下に対する反逆行為にあたるものであり、それに加担すれば逆賊と見做されるであろう。その罪は、決して許されるものではなく、一族郎党に害が及ぶと考えるべし。良識あるコインブラ兵たちよ、直ちに剣を納め我らに合力せよ。共に真の逆賊を討ち果たすべく、正義に従い行動すべし。
「な、なんだこれは――」
「恐れながら、太守。裏切りは事実なのかもしれません。そうでなければ、この本陣にまで敵が押し寄せるはずがありません。本陣の防壁となるべき、ウィルム、ガディス隊が離脱しているのならば」
グロールの呟きに、ディルクが考えを述べる。書状に押されている印は、まさしく将軍ウィルムのもの。ガデイスがそれに連ねて署名している。そういえば、ウィルムに近い武官達の姿も見えない。彼らの兵は、手勢だけでも五千を超え、徴兵された者を合わせれば一万を確実に越える。それがバハールと合力したとなれば、絶体絶命だ。
「まさか、そんなはずはない。しょ、将軍の地位にあるものが、う、裏切りなどと」
「太守、しっかりなされませ! 直ちに対処しなければ――」
ディルクがグロールを必死に揺さぶるが、己を取り戻す事はない。その間にも、悲報は次々と飛び込んでくる。
「申し上げます! キルス、ダヌシュ、ロスタム千人長戦死! 飛龍の旗を掲げた騎兵に蹂躙され、各隊は総崩れにございます!」
「我らに加わっていたバハール領主たちが離反しております! バハール旗を掲げて攻撃を仕掛けて参りました!」
「ゲイル、ラップ、ドルス隊が命令に反して戦線を離脱いたしました! トライス川先陣部隊は完全に壊滅です!」
「……ば、馬鹿な。こんな、はずが」
戦死したのは北部の将、逃走したのは南部の将。グロールが冷遇してきた者が死に、優遇してきた者が裏切った。派閥の力関係、政治を円滑に進めるためには止むを得なかった。だが、結果はこの通り。
「……わ、私は」
「太守、これからどのように動くか、貴方が決めねばなりません! 貴方が総指揮官なのですぞ!」
「か、街道後方に敵の戦車隊が現れました! 撤退する兵達が射殺されております! 我らは退路を断たれました!!」
己に絶望したグロールはその場に跪くしかなかった。泥を握り締めると、様々な感情が入り混じった呻き声をあげる。
「ああっ、うあああああッ」
その様相を見たディルクが立ち上がる。そして、険しい口調で告げた。
「太守、ここは一度後方に退き、なんとしても態勢を立て直さねばなりません。貴方は最後まで生き延びねばならないのです。まだお分かりになられませんか!」
「デ、ディルク」
「敵の総勢は分かりませんが、恐らく相当な数がいると思われます。私の隊は今だ健在ゆえ、全力で防ぎ時間を稼いでみせます! どうかその間にお逃げ下さい!」
「な、ならば私もお供します! 我が隊は千人なれど健在です! 最後まで戦う覚悟は出来ております!」
「わ、我らも残ります!」
「ディルク様、我らも共に!」
シンシアと武官たちが志願するが、ディルクは首を横に振る。
「貴官らは、太守を先導して退路を切り開くという任務がある。我が隊は正規兵三千と徴兵された者二千を混合した五千名。この数では、とてもではないが、騎兵から逃げ切れるとは思えん。ならば、踏みとどまり時間を稼ぐ側に回るしかない」
「し、しかし、それではとても防げません!」
シンシアが反対するが、ディルクは強く拒絶した。
「悪いが言い争っている時間はない。直ちに退き、街道上のどこぞの拠点で兵を再集結させよ。雨が止めば、敵の総勢も分かるだろう。そこで改めて対策を練るように進言するのだ!」
「わ、分かりました。シンシア上級百人長、太守と共に後退いたします!」
「よろしい。それと、ノエル百人長に謝っておいてくれ。やはり、彼女の言葉は正しかった。身内に潜む敵にも気付いていたはずだ」
ディルクのその言葉に、グロールははっと顔を上げる。ノエルは当初から急進策に拘っていた。何をおいてもベスタを落せ、もしくは一撃を与えよと。それを嘲笑し、頑強に反対したのはウィルム。当然ながら、グロールは最も信頼するウィルムの意見を採用した。だがウィルムは裏切りその本性を露わにした。ということは。
「全てが、ウィルムの罠だったというのか! いや、アミルがまた裏で手を引いていたのか!?」
「残念ですが」
「……川の手前で軍を止めさせたのも奴の進言だ。追従した者どもはウィルムとガディスの一派。ノエル内通の疑義も、全ては奴の流言だったということかッ」
ラインを少数で落としたノエルを、グロールは疑い、愚かにも更迭してしまった。グロールが持つコインブラ最強の駒をだ。敵の急所を突こうと自ら動いた駒を、グロールは盤上から外してしまった。結果として、今グロールは死地に追い込まれている。かつてのカナン街道の戦いのように。あの時と違うのは、もうノエルは助けにはこない。愚かな自分が、カルナスへと更迭してしまったからだ。
「なんたることだ。わ、私は、自ら、敗北への道を進んでいたのか……」
「太守、今はここを離れましょう! 我が隊が先導いたします! 近衛兵、太守をお守りしろ!!」
「はっ!」
「……ディルク様、どうか御武運を」
「君もな、シンシア上級百人長」
ディルクは頷くと、剣を抜き放ち天幕を出て行った。
シンシアは、力なくうなだれるグロールを強引に立ち上がらせると近衛兵へ引き渡す。そして、指揮を執る為に自らの隊へと駆け始めた。この死地から脱出するため、道を切り開かなければならない。
本陣に残り殿をかってでたディルク隊は、凄まじい混乱の中、必死の奮闘を見せた。ディルク隊のほとんどが北部コインブラ地帯の人間であり、以前の反乱の借りを返してやろうと戦意が高かったからだ。
「我ら北部の兵の力を見せてやれ! 我らは最後まで戦い抜くぞ! 故郷を荒らした賊は奴等の方だ!」
「デ、ディルク様! 間もなく敵がここまで来ます! 我らが残ります故、どうかお下がり下さい!」
「ははは、その気遣いは嬉しいが最早手遅れだ。やつらの主力は騎兵なのだから。ならば、ここで少しでも時間を稼ぎ同胞を助けようぞ!」
「し、しかし!」
「もう言うな! 第一、お前達を置いて行ける訳がない!」
ディルク隊は奇跡的な粘りを見せた。一度だけ敵騎兵の突撃を跳ね返しても見せた。だが、この混乱状態で善戦したとしても焼け石に水。状況は悪化するばかりであった。
グロールとシンシアが撤退してから、既に一時間は経っただろうか。本陣の周辺はバハールの三剣旗に完全に包囲され、ディルクの手勢も既に千を切るまでに数を減らしていた。四方を包囲する敵を相手に、よくもったと言えるだろう。
「ハアッ、ハアッ、た、隊列を組みなおせ! 壁を作るのだ!」
『黒陽騎、一気に駆け抜けよ! この戦、我らの手で決着を着ける!』
そこに、勢いを着けた敵騎兵隊が突撃してくるのが見えた。バハール兵達が道を開けると、飛龍の旗を掲げる異様な騎兵隊が現れる。黒一色の騎兵隊だ。まるで蜘蛛の子を散らすようにコインブラ兵を斬り伏せ、一直線でグロールの旗が上がるこの場所へと接近してくる。
「なんたる強さか、まさに太陽帝の率いた兵が如し。だが、まだ時間を稼がねばならん。全員、馬を狙え!! 槍を構えて馬を突き刺せ!!」
ディルクはそう言い放ち剣を抜くと、肩を上げて構えを取る。騎兵を殺すには、まず馬を殺す。態勢を崩して、馬上の敵を討ち取るのだ。だが、そんなに上手くいくものではない。
馬に槍を繰り出そうとした兵達は、馬上の兵に先に串刺しにされてしまった。頭を大剣で叩き潰される者もいる。そして、ディルクの元には、黒馬黒鎧に黒兜、長槍を持つ炎のごとき赤髪の若い将が肉薄してきた。そのままの勢いで突撃してくるかと思ったが、一旦停止して馬首を巡らすと、その男は大声で名乗りを上げた。
「敵将とお見受けする! 私は黒陽騎指揮官のファリドだ!! その首頂戴する!」
「見事な戦いぶり、相手に不足なし! 私はコインブラ軍千人長ディルクだ。いざッ!」
「――参る!!」
ディルクは左手を突き出し、牽制する。槍を突き出してきたなら、左手を盾に強引に接近するつもりだった。右手で剣を構え、馬に狙いを定める。ファリドが動いてこないのを確認すると、ディルクは一気に剣を走らせた。
だが、届かない。剣先は馬の喉下手前で強引に止められてしまった。右肩に、いつの間にか槍が突き刺さっている。右手から剣が落ちそうになる。
「――ぐッ。だ、だがまだだッ!!」
ディルクはすぐさま身体を後退させ、左手に剣を持ち変える。
「コインブラは、コインブラは負けぬッ!!」
ディルクは最後の力を振り絞り相打ち覚悟で斬りかかったが、それは叶わなかった。
ファリドが槍を全力で薙ぎ払うと、無防備だった首が跳ね飛んだ。ディルクの胴体が、その場に力なく倒れる。顔には無念の形相が刻まれていた。
(弱兵と侮られるコインブラにも、このような戦士がいる。やはり、最後まで油断はできない。徹底的に壊滅させなければ!)
ファリドが心中で健闘を讃えた後、槍で首を突き刺す。屍に鞭を打つようだが、士気を上げるためにもやらなければならない。
「敵将ディルク、討ち取ったり!! コインブラ本陣は、我ら黒陽騎が壊滅させた! 逆賊グロールの旗を焼き捨て、勝ち鬨をあげろ!!」
ファリドが槍を掲げると、戦意高揚著しい騎兵たちは激しい雄叫びを上げた。
本陣陥落では満足できない黒陽騎、そして徹底的に叩くと決心したファリドは、独断でグロールの追撃を開始した。ミルズの戦車隊が街道の退路を絶っていたため、グロールたちコインブラ軍は、険しい間道を行くほかなかった。思うように速度が上がらないコインブラ軍は、激しい追撃により夥しい犠牲者を出していく。任務に忠実な者が真っ先に屍となるのだ。兵の士気は低下する一方、脱走する者、投降する者が相次ぎ、最早軍隊の形を為していないといっても良かった。
コインブラを発ったときには五万いた軍勢は、今では五千をきる有様。ほとんどは戦わずに降伏したとはいえ、死傷者数は二万を越えている。死傷者の大多数を占めるのは、やはり復讐戦に燃えていた北部のコインブラ人だった。このことは後々まで禍根として残り、裏切りを行なったウィルム、そしてガディスの両将は、北部の人間に蛇蝎の如く嫌われ、恨まれ続けることになる。
このトライス川におけるコインブラの大敗は、後に“天秤崩れ”と称される。コインブラの天秤旗の名誉が完全に失墜したことが由来だ。天秤は完全にバハールへと傾き、最早戻ることはないと、広く世に知らしめた。
太陽帝の策を再現して見事な勝利を収めたアミルは、帝位獲得の権利を名実共に手に入れた。目覚しい戦果を上げたファリドと黒陽騎も、バハール最強の兵としてその名を高めることとなった。
一方、グロールは愚将として歴史にその名を記された。自らの失政から招いた反乱の咎をバハールに擦り付けるに飽きたらず、帝位を狙ってアミルの妨害を企み、挙句には私怨から同じ帝国の州であるバハールに戦を仕掛けた大罪人と。
正義というのは、声が大きい方の声がまかり通るもの。そして、勝者の声は常に大きいのだ。勝敗が異なっていれば、立場は逆となっていただろう。図らずも、世界はノエルの言う通りに進んでいくのであった。――本人は特に嬉しくもないであろうが。
※コインブラ・バハール地方地図
http://13873.mitemin.net/i139131/
※リベリカ大陸地図(縮小版)
http://5954.mitemin.net/i139108/
大陸地図はあくまでイメージです。
頑張ったのですが、これが限界でした。
ノエルの出番がなかった。
今は部屋で蟄居中。遊んでいます。




