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第二十六話 ノエルの仲間達

 ラインの街に援軍が到着した。

 街の入り口で意気揚々と出迎えたノエルだが、顔色はすぐに曇る。シンシアではなかったからだ。やってきたのは千人の兵と、憲兵隊御一行。兵の指揮官はウィルム麾下の千人長。少し離れた場所から、こちらを侮蔑を浮かべて眺めている。


(……あーあ、ウィルム将軍にやられちゃったか。絨毯を自慢できなくなっちゃったみたい)


 新たに手に入れた絨毯を自慢するために待ち構えていたのだが、それができなくて残念である。まんまとウィルムに嵌められたことも、一応反省しておいた。

 憲兵を率いるのは、深緑の軍服に軍帽を被った顔色の悪い憲兵長だ。どうみてもシンシアではない。リグレットを男にしたら、こうなるかもしれない。そんな雰囲気がある。


「現時刻をもって貴官をバハール攻略任務より解任する。また、貴官が願いでていたベスタ襲撃は却下された。この命令に同意できない場合、貴官を拘束しなければならない。これが太守の命令書である!」


 ノエルは憲兵長の偉そうな口上を聞くと、表情を変えずに頷いた。

 命令書の内容は、カルナス城塞へ転進し蟄居せよとのもの。命令に抗った場合は反乱と見做し、厳罰に処すと書かれている。ラインは先程の千人長が防衛の任務につくようだ。つまり、ノエルはお払い箱だ。

 仕方がないと呟いた後、ノエルは表情を変えずに頷いた。


「……では、貴官はカルナスへの転進に同意するというのだな?」

「はっ。命令には従うようにディルク千人長からも厳しく申し付けられています。直ちに手勢を率い転進し、カルナスで蟄居いたします」

「実に協力的で宜しい。貴官については色々な評判があるが、我ら憲兵はこの目と耳で調べたことのみを信じる。故に、その協力的な態度は非常に好ましいものである。今後もそれが続くことを期待しているぞ」

「はっ、ありがとうございます」


 ノエルが敬礼すると、憲兵長も同じく敬礼を返す。


「昼過ぎまでに準備を整えるように。我ら憲兵隊も貴官と共にカルナスへ向かう事となる」

「はっ、了解しました」

「では、直ちに支度にかかるが宜しかろう! 我らは外で待機している!」


 キビキビとした動作で憲兵長は足を揃えて背筋を伸ばすと、憲兵たちを率いて街の外へと出て行った。全員面白いぐらいに足並みが揃っている。とはいえ、あまり強そうには見えなかった。顔は怖いが、身体は細い。とても鍛えているようには見えない。正面から戦えば白蟻党が確実に勝つだろう。もし試したら顔が真っ赤になって面白いだろうなぁ、などと考えながらノエルは館へと引き返した。


 大きな扉を開けると、騒然とした場がノエルを出迎えた。白蟻党の面々が、剣を抜き放ちリグレットを包囲しているのだ。使用人たちは青褪めた顔で肩を寄せ合っている。憲兵長と話しているわずか10分の間でこの有様だ。

 バルバスは態勢を崩しているリグレットの身体を蹴り付けると、大剣をその首筋に当てる。


「もう我慢ならねぇ。俺たちを悪く言うのは腹立たしいが我慢する。どう言い繕おうと、賊だったのは確かだからよ。だがな、何の非もねぇ隊長を陥れたことだけは絶対に許せねぇ。俺はそういう汚ねぇ真似が大嫌いなんだ!!」

「わ、私は何もしていないわ! 嘘じゃない、私は本当に知らないの! ぜ、全部父が、あいつが勝手にやったことよ!」

「へっ、何も知らねぇだと? ――嘘をつくんじゃねぇ! てめぇがウィルムに命じられて、隊長の監視をしていたことぐらい分かってんだ! あることないことでっちあげて、隊長を見事に更迭させたってこともな」

「ま、待って。は、話を聞きなさい。私は何もでっちあげたりなんていない!!」

「屑の言い訳なんざ聞きたくもねぇ! 最後は強引に押し込めて処刑に追い込む腹だろうが、そうはいかねぇぞ。薄汚ねぇ雌狐が!」


 剣先でリグレットの顎を持ち上げるバルバス。リグレットは半狂乱で、違う、誤解だ、私は知らないと繰り返し叫んでいる。いつもの傲岸な態度は影も形もない。顔は青褪め、身体はがくがくと震えている。死が目前に迫った事で、いつもの仮面が剥がれたのだろう。


「か、監視を命じられていたのは確かよ。それだけは認めるわ。だ、だけど、この人の内通をでっちあげたりなんてしていない! 今回だっていつも通りの報告を送っただけよ! 特に怪しい様子はなしって!」

「……本当に馬鹿なんだな、お前は。……いや、分かってて誤魔化してんのかもしれねぇ。いいか? てめぇが送った書状を、ウィルムの野郎がちょいと捏造するだけで全てが上手くいっちまうんだよ。いわば白紙の委任状みてぇなもんだ。お前が何を報告したかは問題じゃねぇ。監視をしていたこと自体が裏切りなんだ!」

「そ、そんな。そんなのはただの言いがかりよ! 第一、私が父に、将軍の命令に逆らえる訳がないでしょう!?」

「隊長に言いがかりをつけたのはてめぇの親父だ。ウィルムの屑が隊長を目の敵にしてやがるのは知ってるんだぜ? そしてお前がその犬ってこともだ。……隊長、この裏切り者をさくっとぶっ殺して、コインブラからひとまず逃げましょうや。あんな雑魚憲兵どもは、俺たち白蟻党が蹴散らしてみせますぜ」

「もちろん、俺達は隊長と親方に従います。お二人とならどこにでもお供しますぜ。そもそも、コインブラ軍に尽くす義理は欠片もねぇや」

「ってことです。なに、ノエル隊長の腕がありゃ、どこの州でも引っ張りだこだ。今よりもっと出世できます。……コインブラ軍の連中はどいつもこいつも、隊長の強さが分かってねぇんだ。そうだ、カイ殿のゲンブにでも行きましょうや」


 バルバスがノエルにそう語りかけてくる。


「ノ、ノエル隊長。私は本当に、嘘の報告はしていないのよ。信じて、ほ、本当に――」


 涙と鼻水で、リグレットの黒髪がべっとりと頬にくっついている。ノエルに救いを求めるように、必死に手を伸ばしてくる。だが大剣を突きつけられているので、それ以上は動けない。


「よし、言い残す事はそれだけだな? じゃあ、そろそろおさらばしてもらうか。癇に障る金切り声を二度と聞かなくてすむかと思うと、心の底から清々するぜ!」


 バルバスが大剣を持ち上げた後、何の逡巡もなく振り下ろした。ひっ、と叫んで頭を抱えるリグレット。だが、血飛沫があがることはなかった。刃は、届いていない。


「…………」

「……流石はバルバス。重い一撃だね」


 ノエルは二叉槍で強引に阻止した。衝撃が柄を伝わって体に響いてくる。


「……俺には分からねぇな。なんでこんな奴を庇うんです? 全く理解できませんぜ」

「私の大事な副官だからね。それに、裏切ってないならまだ仲間だし。ね、リグレット。貴方は裏切っていないんでしょう?」

「は、はい! 私は、本当に、本当に裏切っていません! ……た、確かに監視はしていました、けれど。――けれど!」

「じゃあもういいよ。監視してたことも気にしない。お父さん、しかも偉い将軍に命じられたんなら仕方がないよ。それに、私は別に悪い事はしてなかったでしょう?」


 ノエルはリグレットの頭を撫でると、優しく笑いかけた。リグレットはぐしゃぐしゃになった顔で、ノエルの足にしがみついてくる。普段は冷静なくせに、いざ死を前にすると脅えてしまうらしい。

 ノエルは、本当に昔の自分によく似ていると思った。


「――で、お優しいノエル隊長は、この後どうするんです? まさかとは思うが、呑気にカルナスへ戻るんじゃないでしょうね」

「うん。命令通り、カルナスへ戻るよ。そこでしばらくのんびりしてようかなーと思って」

「馬鹿馬鹿しい! 悪いが俺はごめんだ。ウィルムの屑に難癖つけられた挙句、処刑に追い込まれるに決まってるぜ。俺だけならともかく、部下まで巻き添えにするわけにはいかねぇ!」


 バルバスが唾を吐いて、大剣を床に叩きつける。


「最初のときと同じだけど、危なくなりそうだったら貴方達だけは助けるよ。今回も約束する。私が約束を守るのは、バルバスも知っているでしょう?」

「…………」

「何かあったら、私が大暴れしているうちに貴方たちは逃げればいいし。ね、それでいいでしょ? だから、一緒にカルナスに戻ろうよ」

「そんなに上手くいくわけがねぇ! 隊長がいくら強くたって――」

「あはは、絶対に上手くいくよ。だって、私が全力で頑張るからね」


 ノエルが催促するように手を差し出す。バルバスは暫く悩み、唸り、喚いて暴れた後、白髪頭を掻き毟り、ようやくその手を取った。


「ったく、アンタは本当に底抜けの馬鹿だな。それでいて、馬鹿みたいなお人よしだ。こんな雌狐を庇うなんて、本当にありえねぇ!」

「そうかなぁ? だって、大事な仲間だし」

「あー、わかった、わかりましたよ! ここまで乗りかかったんだ、最後まで見届ける! その雌狐の首は隊長に預ける! 好きにしやがれってんだ!」


 バルバスは吹っ切れたように大剣を鞘に戻した後、腕組みをしてその場に座り込んだ。リグレットは相変わらずノエルの腰にしがみついている。なんだか邪魔臭いと思ったが、蹴り飛ばすのも可哀相なので、後数分だけ我慢する事にした。


「……なかなか趣き深いやりとりであったな。もしそれがしだったなら、その場で憲兵とリグレット殿を斬り捨て、主のもとに乗り込み談判するところだ。何の咎もなく更迭させられるなど、武人としての誇りに関わる。刺し違えてでも撤回させるだろう」

「あはは、カイらしくていいんじゃないかな。でも、私がそれをやったら、皆を巻き添えにしちゃうし。……それにね」

「それに?」

「納得いかないことばかりなのが、世の中でしょ。だから、これも仕方ないのかなって」


 ノエルが薄く笑うと、カイは少しだけ苛ついたような表情を見せる。一度咳払いをした後、鋭い目つきをした。


「前々から言おうと思っていたのだが、たまに見せるそなたの諦観が実に気に食わん。いや、気に食わぬどころか、腹立たしいことこの上ない。何故諦めるばかりで抗おうとしないのだ。なんでも“仕方がない”で済ましていては、生きている意味などなかろう!」

「生きている意味がない?」

「そうだ。ただ流されるままに――」


 カイは言葉を続けようとしたが、思わず止めてしまう。目の前の女から、凄まじい殺気が放たれていたから。自らに向かって。次の瞬間にも、二叉槍が繰り出されそうなほどだ。


「ねぇ、誰が抗わないなんて言ったの? 上手くいかない世の中でも、私は最後まで全力で抗うよ。足掻いて足掻いて、足掻きまくってやる」

「ノ、ノエル殿?」

「誰にもその邪魔はさせないし、文句も言わせない。意味があろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。私は私の思うようにやるだけ。その結果悪鬼と呼ばれようが、全然気にしない。一番大事なのは、私が生き続けること。そうじゃないと――」


 ノエルは今までにない勢いで捲し立てる。そして、言葉を切る。


「……でないと?」

「死んでいった皆が報われない」


 そう冷たく言い放つと、ノエルはリグレットを強引に引き剥がした。相も変わらず泣きじゃくるリグレットを立たせてやった後、バルバスに向かって撤収の命令を下す。ついでにリグレットの面倒も押し付ける。気圧されたバルバスは、素直に敬礼してそれに従う。


「カイ、私達はカルナス城塞に向かうことにした。もう貴方は好きなようにしていいと思う。用件は済んだなら、グロール様のところに戻ってもいいだろうし。ここに残っても別に構わない。だって、貴方はゲンブの軍人だからね」

「……いや、それがしはまだそなたのことが気になって仕方がない。仕方がないのなら、それがしもそれに従うまでだ。もちろん、そなたが否と言わなければだが」

「私は別にいいけど。ただし、何があっても文句は言っちゃ駄目だよ。巻き込まれてうっかり死んでも、私のせいにしないでね」

「死ぬつもりは毛頭ないが、承知した!」


 カイの馬鹿でかい声が館中に響いたので、ノエルは思わず笑みを漏らした。脅える使用人たちを横目に、ノエルは部屋に入って、お気に入りの絨毯を丸め始める。これだけは持って帰らないといけない。お日様の光を浴びながら、この上で昼寝すると最高に気持ちがいいからだ。シンシアにも見せびらかさないとなるまい。

 


 ――正午過ぎ。街の子供達に盛大に見送られたノエル隊は、ラインの街を出立した。大人たちは心から安堵した表情を浮かべていた。


「すげぇ人気でしたね、隊長。まさに、英雄って感じでしたぜ」


 いつもの調子にもどったバルバスが、ノエルに馬を並べて語りかけてくる。子供達に手を上げるのをやめ、振り返った後、ノエルは馬の背に括りつけた絨毯にもたれかかる。


「また会えるといいね」

「俺なんて、ずっと脅えられたままだったんですぜ。なんかコツでもあるんですか?」

「似た者同士なら、勝手に仲良くなれるもんだよ。つまり、私の内面は子供ってことだね」

「それを自分で言いますか」

「別に子供のままでもいいんじゃないかな。大人だからって、良いこともそんなにないっぽいしね。むしろ、余計な苦労が増えるだけかも」


 ノエルは言い放つと、また空を見上げる。先日までの雨は止んでいるが、太陽は見えない。曇天だ。臭いから察するに、またすぐに降り始めるだろう。折角の絨毯が、雨を被っては大変なことになる。さっさとカルナスに向かわねばなるまい。


「…………隊長、私は」

「リグレット、ラッパを吹いてよ。ほら、あの山登りの歌。折角だから、元気よくいかないとね」


 まだ引き摺っているリグレットが、おずおずと近づいてくる。完全に己を喪失しているようで、実に弱々しい。白蟻党の面々からは相変わらず敵意を向けられている。仮に今ノエルが戦死でもしたならば、確実に殺されるのは間違いない。それほどまでに恨まれるというのもリグレットの才能なのだろう。本人には嬉しくないだろうが。


「……わ、分かりました」


 リグレットが、ラッパを取り出すと元気のない音が響く。バルバスはその陰気な旋律に不快そうな顔をしたが、ノエルは気にしない。それにあわせて、ラインで覚えた山登りの歌を口ずさみ始めた。

 最初は消沈していた兵達も、段々我慢できなくなってきたのか、歌を歌い始める。行進の速度が徐々に上がる。気分が高揚しはじめてくる。ノエル隊の二鎚旗が高らかに掲げられ、まるで凱旋するかのように自信に満ちた表情で歩を進める。


「いつか、また戻ってこれるといいよね。ね、バルバス、リグレット」

「そうなるといいですな」

「…………」

「約束じゃないけど、これは希望かな。希望を抱くのはタダだからね。皆もどんどん希望を持つといいよ」

「希望を裏切られたら余計にへこみませんかね」

「その時はその時。こうやってまた皆で騒げばいいんだよ。だって、私達は仲間だからね!」


 あははと陽気に笑い飛ばすと、ノエルは大声で歌い始めた。それは、同行する憲兵長に怒られるまでの三時間ほど続く事になった。

 一週間後、ノエル隊はカルナス城塞へと到着した。途中、コインブラ本隊とすれ違ったが、太守への目通りは不要とあらかじめ釘を刺された。誰かと接することも駄目らしく、シンシアと会話することもできなかった。


「やっぱり駄目か。残念!」

「仕方ありません。どうします?」

「今は大人しくしてよう。怒られちゃうしね」

「今は、とはどういう意味か、ノエル百人長!」

「私は馬鹿なので良く分かりません!」

「笑いながら言う奴があるか! もっと反省した態度をだな! ――そもそも」


 憲兵長の怒鳴り声は、コインブラ本隊にまで届いてしまった。注意する伝令がやってくると、憲兵長は平謝りする。ノエルが気にしないほうがいいよと慰めると、憲兵長は泡を吹いて気絶してしまった。いろいろと限界を超えてしまったようだ。色んな人がいて、実に面白い。話をすると世界が広がっていく。ノエルは痙攣する憲兵長を尻目に、満足そうに頷いた。

 

 

 伝令の話によると、グロール率いるコインブラ軍は順調に支配圏を拡大しているようだ。そして、ようやく街道を東進することに決めたらしい。先にはアルトヴェール平原が広がり、街道を横切るようにトライス川が流れている。それを越えるとトルドの街だ。この街を落せば、州都ベスタまではかなり接近したことになる。だが、かなり長い道のりなので、コインブラ軍本隊は今頃トライス川を前にした頃ぐらいか。何かがあるとすれば、そこら辺であろう。シンシアの武運を心の中で祈っておく。

 ノエルは何をしているのかといえば、大人しくカルナス城塞に篭っている。それが憲兵長の指示であり、破れば反逆行為とみなすと厳しく言い渡されたからだ。別にどこかに行こうという気もないし、太陽も出ていないので散歩する気も起きない。

 しかし、今のうちにできることはしておくかと突如思い立ち、憲兵長に許可を貰った上でバルバスに指示を与えた。

 ――近くの木を伐採し、乱杭用の丸太をできるだけ大量に用意せよと。憲兵長には、前線に送る防御用のものと説明したが、そんなつもりは毛頭ない。州境の森林地帯に備えておき、いざとなったら敵をおびき寄せようと考えている。

 リグレットには黒塗りの縄を用意させている。それと物資の準備だ。全て州境の森林地帯へと運び、隠しておく。処刑されそうになったときの逃げ道と食料も確保しておかなければならない。それがバルバスとの約束だからだ。リグレットはこういった作業は得意なようで、上手い事憲兵長をやりこめてくれた。


「全く、貴官の副官はどうなっているのだ! 我ら憲兵まで駆り出して、あまつさえ、縄に色を塗らせる作業をやらせるとは!」


 リグレットとは名指しせず、副官という曖昧な呼び方で文句を言い始めた憲兵長。ようやく調子を取り戻したリグレットにより、こき使われているらしい。将軍ウィルムの名を上手く利用しているようだ。

 リグレットは、武力もなければラッパも下手糞。兵を統率することも苦手だし、口を開けば嫌味と皮肉と悪口ばかり。だけど命じられたことを効率よく実行する能力には長けている。それしかできないとも言えるが。あと、相手の弱みを見つけるのと、怒らせるのが本当に上手い。これは天賦の才である。

 そんなことを考えていると、憲兵長がノエルに指を突きつけてくる。


「それもこれも、貴官の隊の規律がなっておらぬからだ!! 全て貴官が悪い!」

「嫌なら嫌って言えばいいのに」


 あまりの大声に、耳を押さえながらノエルがぼそっと呟く。憲兵長はそれを聞き逃さなかったようで、キッと睨みつけて来る。


「そのようなこと言えると思うか! なぜならば、リグレット百人長はウィルム将軍のご息女! つまり、これらの雑事は、ウィルム様直々のご指示という可能性も考えられる。それを考慮すれば、例え道理の通らぬ頼みであろうとも、できうることであれば引き受けねばなるまい!」

「そうかなぁ。私なら面倒だから断るけど。憲兵のくせに、将軍やその娘には弱いんだね。情けないなぁ」


 ノエルがリグレットの真似をしてみると、また憲兵長が怒り出した。やはり効果抜群だ。


「だ、黙れ! 我ら憲兵とて逆らえぬ者もあるのだ! うむ、世の中というのはそういうものだ!」


 なにやら偉そうに語っているが、あまり格好よくはなかった。権威に負ける憲兵など軍には不要である。でも、口には出さなかった。それは自分の仕事ではない。


「でも、暇つぶしには丁度いいと思われます! そうだ、私も手伝ってきていいでしょうか?」

「ならん! 貴官はこの部屋で謹慎していなければならない! それが太守からの命令だ!」

「えー、どうしても?」

「どうしてもだ!」

「憲兵長はケチなんだね」

「私は命令に忠実なだけだ! 貴官のように命令に違反したりしたことなど、一度もない!」


 憲兵長は自慢気に胸を張っている。その際に軍帽がずれおち、禿げ上がった頭が見えてしまった。顔を赤らめて慌てて被りなおすと、ゴホンと咳払いをする。

 第一印象は嫌な人間だったが、話してみると意外と面白かった。反応が一々大きいので、飽きがこない。そう正直に言えばまた怒ると思うので、ここはぐっと我慢する。


「とにかく、大人しくしていろ! 貴官の分まで、私が働いてきてやる! 憲兵たるもの、仕事は迅速に行なわねばな!」

「はい、分かりました」


 ノエルは空返事をすると、扉を閉めてベッドに向かって歩き始める。城塞だけあって、なんの飾り気もない部屋だ。一応士官室らしいが、狭いし暗いし埃っぽい。マドレスのノエルの部屋とは大違いである。あの部屋は、ノエルの宝物で溢れているのだから。あそこにいるだけで、幸せな気分に浸れる。


「あーあ、暇だな。でも、外に出ちゃ駄目だって言うし。そうだ、久しぶりに絵本のことでも思いだそうかな」


 ノエルはキャルにあげてしまった絵本の内容を思い浮かべる。150番の少女がくれた、大事な絵本のことを。ここにはないけれど、ノエルの大事な宝物。

 ノエルの一番のお気に入りは、主人公の兎が鬼退治に行く話だ。

 海や川や山を冒険し、色々な動物を仲間にした兎は、見事に鬼を退治して宝物を手に入れる。そして、兎は改心した鬼を許して友達になり、最後は皆で仲良く幸せになるという話だった。


「……あれは面白かったけど、世の中、そんなに上手くいかないよね」


 ノエルは嘆息する。皆が幸せに暮らす世の中など不可能だ。誰かが幸せになれば、その分割を食う者が現れる。その仕組みはコインブラの旗にある天秤のようなものなのだろう。勝者と敗者、大きく分ければその二つ。均等になることなど、有り得ない。

 きっと、誰もが幸せになりたいと考えているから。だから、争いはなくならない。どのような手段にせよ、戦いに勝たなければそれは得られないのだ。敗者は勝者を羨み、その立場を得る為に、力をつけて争いを仕掛ける。世界はこの繰り返しで成り立っている。そんな気がする。


「うーん。でも、羨ましいと思えるほど幸せそうな人には、まだ会った事がないかなぁ」


 羨みは妬み、嫉みといった邪な感情へと繋がると、どこかで聞いた。あれはあの教会だっただろうか。だから、無心で陛下のために働けば良い、などと言われたような気もする。全く従う気はないが、最初の言葉は正しいのかもしれない。

 そういった邪な感情も、昔はノエルにも沢山あったと思うが、最近、段々と希薄になっている気がする。誰かが自分を悪鬼と呼んでいたが、それは人間味がなくなってきている証拠なのかもしれない。こんなことを考える事自体が普通ではないのか。それは誰も教えてくれないから良く分からない。シンシアに聞いたら、きっと拳骨が落ちてくるだろう。


「あーあ、幸せになりたいなぁ。この世界で、一番。そうすれば、皆にも分けてあげられるのになぁ」


 ノエルは、誰にともなく呟いた。きっと、ノエルの側にいるであろう、大事な仲間達に向けて。

 固いベッドで寝返りをうった後、なんだか憂鬱になったノエルは、勢いをつけて立ち上がり、窓を開ける。窓から空を見上げると、やっぱり太陽は姿を隠したままだった。もう何日太陽を見ていないだろう。とても、不快で陰鬱で心細い。


「また、雨が降る。あの時と同じ、嫌な臭いがする」


 どこからか死臭が漂ってくる気がする。仲間達の死に顔が、ノエルの脳裏に鮮明に思い出される。崩れ落ち、蛆虫に蝕まれたひどい顔だ。皆が虚ろな瞳で、どこか一点を見つめている。それは、唯一生き残ったノエルだったのかは分からない。だが、彼らはどこかを、ひたすら見つめていた。ノエルは、こうなってしまった皆が可哀相だと心から思った。そして、雨はまるで汚いものを包み隠すように降っていた。雨水が泥を押し流し、彼らの体に降り注ぐ。自分の身体にも。二度と外に出てくるんじゃないと言わんばかりに。だから、ノエルは雨が嫌いだ。


「…………」


 ノエルは、リグレット仕込みの舌打ちをして、窓を勢い良く閉めた。

 ――これから降る雨は、ただの雨じゃない。あの時と同じくらい、最悪の雨になる。

リグレットさん、命拾いの巻

これで性根が直るようならば苦労はないのです。

そういうものです。

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