第二十五話 賢者の選択を
グロールに使者を送ってから既に三日。ノエル隊は相も変わらず、ラインの街で休息を取っていた。略奪等は厳しく禁じたので、住民たちとの諍いも起きなかった。ノエルたちは長居するつもりはなく、住民達もいずれはバハール軍が奪還にくると信じていた。故に、お互い余計な干渉を控える形に自然になったという訳だ。
しかし、暇を持て余したノエルは大人しくなどしていられなかった。色々な話を聞きたくて仕方がなかったので、住民に積極的に声を掛けまくり、そして迷惑そうな顔をされていた。まともに話の相手をしてくれたのは、子供たちと館の使用人ぐらいのものである。
子供達から話を聞き終えたノエルは、館に帰った後もご機嫌に鼻歌を歌っていた。大声で歌わないのは、近くで事務作業をしているリグレットが舌打ちするからである。これ見よがしに何回も。
「ふんふんふーん」
「やたらとご機嫌ではないか。何か良い事があったのならば、それがしにも教えてくれぬか」
カイが声をかけてくる。ノエルは歌を中断すると、手を叩いて返事をする。
「この街の子供達から山登りの歌を教えてもらったんだ。これが凄く楽しい歌で、さっきまで皆で一緒に歌ってんたんだよ」
「……ふん、どっちが子供だか分かりゃしないわ」
舌打ちしながら、リグレットが陰口を叩く。
憎むべき敵方の指揮官、しかも領主を殺したノエルに、子供が近づくことを良しとする親などいない。だが、子供の湧きあがる興味を止めるのは誰にもできないものだ。親の目を盗んでノエルに近づくと、すぐさま仲良くなってしまったのだった。ノエルの格好はとても凛々しいもので、子供達からすれば英雄のように見える。それが気さくに話しかけてくるのだから、一躍人気者だ。
「太守の援軍が到着次第、バルケス山脈を登るでしょ。そのときに、皆で歌おうと思って。だから、忘れないように練習をしておかないと」
「ノエル隊長、私達は遊びにいくのではありません。その足りない頭によく叩き込んでください。第一、まだ山越えの許可は下りていません。早合点しては、また馬鹿にされて嘲られますよ」
「相変わらずぎゃあぎゃあうるせぇ糞アマだな。その減らず口は余計なことばかり囀りやがる。おい、邪魔臭いから石でも詰めておけよ」
「白髪猿にとやかく言われる筋合いはないわよ。賊の分際で、私に気安く話しかけるんじゃないわ」
「てめぇが俺の視界に入るからだろうが。目障りだから隅でずっといじけてろよ」
いつものようにバルバスとリグレットの罵りあいが始まる。ノエルも特に止めたりはしない。面倒だし、仲良くしろといっても聞きはしない。ちゃんと命令に従ってくれれば、それでいいとは思っている。仲間同士殺し合いなどを起こさない限りは、特に怒ったりもしない。
「頂上から見る景色は、最高だろうね。前登ったときは、落ち着いて見る暇なんてなかったし」
ノエルの独り言に、カイが反応する。
「ノエル殿は、バルケス山脈に登ったことがあるのか?」
「ここだったかは覚えてないけど。山に登った記憶はあるよ。あの時は逃げるのに必死だったからね」
「ふむ、誰に追われていたのか聞いてもよろしいか?」
「誰だったかなー。良く覚えてないや。でも、私から宝物を取り上げようとする糞みたいな連中だったよ」
あははと笑いながら、ノエルは答えをはぐらかした。
「なるほど。では、盗賊の類ということにしておこうではないか。……ところで、以前から聞こうと思っていのだが、そなたはどこで兵法を身につけたのだ? 聞いた話では、コインブラに仕える前は村で狩人をしていたとか。それにしては、理にかなった指揮を行っている。それがしは、不思議でならなくてな」
カイが、探るような目つきで問いかけてくる。言い合いをしていたバルバス、それにリグレットもいつの間にかこちらに視線をむけてきている。別に誤魔化す理由もないので、ノエルは正直に答える事にした。
「私がもっと小さかった頃、糞みたいな教会でちょっとね。太陽帝ベルギスが残した兵法は全部暗記させられたし、死ぬ寸前まで戦い方を叩き込まれた。太陽帝に逆らうな、絶対の忠誠を誓えって、何度も何度も何度も何度も唱えさせられた。あそこにいた仲間は私以外、全員死んじゃったけど」
「……またいつもの作り話ですか? 太陽神に祈りを捧げるのが教会。神父や修道女はそのために厳しい修練を積んでいる者ばかりです。そのような聖なる場所で、邪教徒のごとき行いがされている訳がない」
「あはは、別に信じなくてもいいよ。今更誰が何を言っても、何も変わらないしどうしようもない。今、大事なことは――」
ノエルはそう言ってから、全員に視線を送っていく。
「私が皆の分まで幸せになること。一人生き残った私が、皆の分まで幸せに生きなければならない。生きて生きて、最後まで生きぬかなくちゃ。そのために私はコインブラの兵になり、一生懸命戦っている」
いつになく真剣な様子のノエルに、カイ、バルバス、リグレットは思わず絶句した。
言いたいことを言い終えたノエルは、戸を開けテラスに出て、両腕を挙げて空を見上げる。天気は素晴らしいほどに快晴だ。だが、いまいち良くない。
「……あーあ、これは駄目だな」
「何が駄目なのだ? そなた好みの、輝かしい太陽が見事に昇っているではないか」
気を取り直したカイも外に出てきた。
「雨の臭いがする。うん、間違いなく雨になるよ」
「それがしには、そうは思えぬがなぁ。まぁ、山の天気は変わりやすいとも言うが」
「私には分かるんだ。あーあ、本当、雨なんて死ねばいいのに」
ノエルは舌打ちして室内に戻った後、殺気を発しながら絨毯の上に横になった。さらさらの肌触りも、今は嬉しくない。嫌なことを忘れるように目を閉じ、大人しく災厄が過ぎるのをノエルは待つ事にした。
――コインブラ軍、野営地。カルナス城塞を発ったグロールは、計画通りに街道を慎重に東進し、その間に周辺の拠点の制圧を念入りに行なっていた。特に武力で威圧することなく、降伏勧告の使者を送るだけで、領主たちは我先にと従ってきた。侵攻を開始してからわずか二週間だというのに、既にバハールの三割ほどは、コインブラの天秤旗の支配下にある。
気を良くしたグロールは、降ってきたもの全ての所領を安堵するという、寛大な処置を行なった。実際、グロールが排除したいのはアミルのみであり、帝位を獲得できればほかの事はどうでも良いのだ。
「都市ラルドー領主、バーンズが我らに従うと密書を送ってまいりました!」
「よし、所領を安堵する代わりに、我らの軍に加わるように伝えよ」
「はっ!」
「ウィルム、アミルの奴が今どうしているか、密偵から報告は入っているか?」
「はっ、報告によりますとようやく帝都を出発したとのこと。急の出兵のため、多大な混乱が生じている様子。更には食料の調達にも苦労しているようですな」
「なんたる無様な。皇帝を狙おうとする輩が、日々の食料にすら苦労しているとはな。ははは、なんとも笑わせてくれるものではないか!」
「全く、太守の仰る通りにございます。太守とバハール公では、器が違いすぎます。我ら、素晴らしき主にお仕えできて光栄にございますぞ」
ガディスが世辞を言うと、グロールは哄笑する。
「あまり褒めても、何もでぬぞ。それよりウィルム、お前の読みでは、奴等がバハールに戻るまでどの程度かかると思う?」
「そうですな。混乱した兵を率いての行軍というのは多くの時間を浪費することになりましょうな。私の予想では、やはり三ヶ月といったところかと」
「ふはははッ! ベスタを落すのに二ヶ月もいらぬところを、三ヶ月も猶予をくれるというのか! これでは我らはバハール全域を制圧してしまうではないか」
「作戦は至って順調ですぞ。バハール主力は確実に疲弊しています。それを待ち受けて決戦に挑めば、勝利は間違いありますまい」
「ふふっ、太陽神は、ようやく私に味方する気になってくれたようだな。この分ならば、皇帝の座も遠くはあるまい」
上機嫌でウィルムをはじめとする家臣と、祝杯を挙げはじめたところに、ノエルからの使者が到着した。
「……ふむ。どうやらノエルはラインを見事に落としたようだぞ。反抗した領主のベロッテは討ち取ったと書いてある。あの手勢でよく落としたものよ。流石の武勇だな」
「太守、こちらがベロッテの首になりますが、確認なされますか?」
「いや、いい。せっかくの酒が不味くなるからやめておこう。しかし、領主が反抗してくるとは珍しいな。我々が使者を送った拠点は、全てが大人しく剣を捨て、コインブラの旗を挙げることに同意したというのに」
「それも太守のご威光によるものにございましょう。余計な血を流す結果となりましたが、ラインを落とせた事は重畳かと。おめでとうございます」
ガディスが追従を述べる。グロールは薄ら笑いを浮かべると、手にしていた書状の続きを読む。
「それで、ノエルが申すには、都市ラインからバルケス山脈を越えて、ベスタに一撃を加えたいらしい。出来れば増援を願うと言って来ておる。できれば、シンシアの隊だけでも寄越してくれとな」
さて、どうしたものかとグロールは思案する。はっきり言って、今回ノエルのしたことは無駄に思える。あんな僻地は手を出さなくても、ベスタを落せば勝手に従っていたはずだからだ。だが、あの寡兵でラインを陥落させたこと自体は褒めても良い。それに、山越えをしてベスタに一撃加えるのも、そこまで悪手とは思えない。上手く領主達の動揺を誘えれば、侵攻は更に楽になるだろう。
「……よし。シンシアに補給物資を持たせて、ノエルのもとに向かわせよう。敵に動揺を与えるには丁度良かろう」
名前を挙げられたシンシアは、慌てて返事をした後、緊張した面持ちで敬礼する。グロールは苦笑しつつ、楽にしろと述べてから、命令を伝えようとする。
――だが、それに異を唱える人物がいた。グロールが最も信頼する人間、将軍ウィルムだ。
「太守、恐れながらそれはお待ち下さい。何の備えもなしに派遣すれば、間違いなくシンシア上級百人長を失う事になりますぞ」
「なんだと? それは、どういうことか?」
怪訝な表情を浮かべ、ウィルムに先を促す。命を失うとは穏やかではない。
「太守のお心を悩ませてはと思い、内々に調査を行なうつもりだったのですが。……これをご覧ください」
ウィルムが側に寄り、懐から書状を取り出してくる。封蝋にはバハールの三剣旗の紋章があった。中を開けると、一枚の手紙。その筆跡は、グロールも見覚えがある。実の弟、アミルのものに間違いない。
グロールがそれを読み始めると、上機嫌だった顔が一気に歪む。
「なんだこれは。ウィルム、このふざけた書状は一体なんだッ!?」
この書状は、バハール太守アミルからノエルへと宛てられたもの。内容は次の通りだ。
――かねてよりの命令通り、コインブラ太守グロールの首を取れ。それが不可能ならば、コインブラ軍の勢いを削ぎ戦力を分散させるべし。手段は問わない。二度の裏切りは、決して許されないと心得よ。支度金として追加の金を送る。
怒り狂ったグロールは書状を引き裂き、目の前にある杯を地面へと叩きつけた。
「あ、あの恥知らずの小娘がッ! あれだけ目をかけてやったのに、この私を、たばかりおったというのかッ!!」
シンシアが半分に裂かれた書状の内容を確認すると、動転しながらも急ぎ発言する。
「お、お待ち下さい太守! このような裏切りを、あのノエルがする訳がありません!」
「おそれながら、私もそう考えます。ノエル百人長が裏切るとはとても思えませぬ」
シンシアとディルクが庇おうとするが、グロールの怒りに油をそそぐ結果となってしまう。
「ならばこの書状はなんだ! ウィルム、これは一体どこで手に入れたのだ!!」
「はっ。リグレット百人長が、味方陣に潜んでいた怪しげな男を捕らえ、密かに入手したとのこと。すでにご存知かと思いますが、我が娘リグレットはノエルの副官にございます。つまり、この書状は信憑性があるものと考えられます。その密偵は、大量の金も所持していたと報告が入っております。恐らくは工作資金でしょうな」
ウィルムが顎を擦りながら、重々しく呟く。ウィルムの娘であるリグレットの言葉、しかもノエルの副官となれば、既に疑いようのない情報ということだ。武官達も、北部出身の平民を信頼できるわけがなかったのだと、次々に陰口をたたき始めている。
シンシアは机を両手で叩き付け、強引に一同を沈黙させる。その顔は怒りで真っ赤であり、こめかみには青筋が浮かんでいる。
「お待ち下さいッ! リグレット殿が入手した書状が、敵の罠ということも考えられます。現に、我々は既にその真偽を疑おうともせず、ノエルに裏切りの烙印を押そうとしています。太守、これはノエルを排除しようとする敵の流言です!」
シンシアは目を大きく見開き、ノエルの無実を訴える。だが、ウィルムが直ちに反論する。
「しかし、この筆跡は間違いなくバハール公のもの。更には三剣の紋章まで記されている。……それにだ、私は太守の身に万一があってはまずいと考え、ノエルの素性を以前より調べていたのだ。あの者は、ゾイム村の出身と言っていたそうだが、それは全くの虚偽。ゾイムの村長に聞いたところ、ノエルは“東方”より来たということだ。コインブラより東方の地、それはバハールしかありえぬではないか!」
そこで一度言葉を区切り、場の一同に向かって腕を広げて大いに強調する。
「そもそも、ノエルは我らを苦しめた白蟻党を容易く降し、直参とした。あの卑しき人間たちが大人しくノエルに従うのは何故か。答えは一つ。ノエルがバハールの人間であるならば、全て納得がいく。コインブラに害を為すという目的は一緒なのだから。つまり、奴等は、我らが隙を見せるのを短刀を忍ばせ待ち構えていたのだ!」
ウィルムの言葉を聞くと、次々と納得する武官たち。異議を唱えようとしているのは、シンシア、ディルク、そして一部の北部出身の武官のみ。
そして、グロールも、ウィルムの言葉に納得してしまっていた。白蟻党がノエルの部下となったとき、グロールは僅かながら違和感を覚えていた。何年も反抗していた人間達が、何故こうも大人しく従うのか理解できなかった。それに、ノエルの素性に付いては考えた事がなかった。考えてみれば恐ろしい話である。誰とも分からぬ輩を、何の警戒もなく目の前まで近づけさせていたのだから。
「そんな、そんな馬鹿なことはありえません! よく思い出してください。若君とサーラ様を救ったのはノエルではないですか。カナンで窮地にあった太守を、救ったのもノエルです。そんな怪しげな書状で、今までの功を全てなかったことにするなど、道理が合いません!」
「……むう。確かに、それも一理あるか」
最初の怒りが少し収まってきたグロールは、シンシアの話も尤もだと考える。どちらの言い分も、正しく思えてくる。判断に迷う。いずれにせよ、放置しておく事はできない。士気に関わるどころか、軍の致命傷になりかねない。
「怪しげな書状とは聞き捨てならん。我が娘リグレットを愚弄するつもりか!」
「今もっとも誇りを傷つけられているのはノエルではありませんかッ!」
シンシアはウィルムを真正面から睨みつける。ウィルムの発する威圧感を、ものともせず怒気を露わにしている。追従していた武官たちもそれに気圧されて縮こまってしまった。
ウィルムは一度視線を逸らし、苦々しげな表情を浮かべる。ウィルムとしてはシンシアまで内通の罪で連座させる気は毛頭ない。友シドニアの忘れ形見であり、その実直な性質を気に入っている。いずれはロイエと結ばれればとも考えているほどだ。それがここまで強行に反対してくるのは想定外の出来事で、ウィルムはどう論破したものかと頭を必死に巡らせていた。
「よいか、シンシアよ。ノエルの働きは、全て、我らの懐に入り込むための芝居だったのだ。刺客として育てられた者ならば容易なこと。人の良い貴官は、ノエルに上手く騙されているのだ」
「私はそこまで愚かではありません! 第一、ノエルはバハールの将リスティヒを捕らえ、ホスロやベロッテを討ち取っています。それすらも芝居と仰るのですか!? 敵に通じているのなら、あのような働きを見せるのはおかしいではありませんか!」
「ノエルが刺客ならば何も不思議ではない。リスティヒを捕らえる事で、ノエルは我らの懐へともぐりこんだ。一度はこちらに仕える気になったが、バハール公の誘いに乗り再び変心したのだ。手紙の“二度の裏切り”とはそのことに違いない。それに、己の保身のためならば、ベロッテの首ぐらい簡単に落としてみせるだろう」
「そ、そんな」
「……貴官はやけにノエルを庇っているが、まさかバハールに内通しているのではあるまいな? いや、貴官は我が友シドニアの忘れ形見。そのようなことは万が一にもないと信じてはいるが」
「内通などしておりませんッ!」
「ならば、疑われるような言動は慎まんかッ!」
ウィルムの挑発に思わず詰るシンシア。もとより、シンシアは口下手で、このような場所で喋るのは苦手中の苦手。弁舌を戦わせるより、剣を振るうのが本分と自らも弁えているぐらいだ。だが、ノエルのためにも負けていられないと気合を入れなおす。
「太守、私はこの半年、ノエルの側で教育を施してまいりました。裏切るような素振りを見せたことなど一度もありません。それどころか、いずれ若君のために働くことを心より楽しみにしていました。あの者は、若君と約束したからです。そして、ノエルは絶対に約束を破りません! 私が保証します!」
「そんなものは何の証拠にもならぬ。……太守、直ちに討伐隊を編成し、ノエルを討ち取りましょうぞ。我らが騙されているふりをしてラインを強襲すれば、いかに豪の者といえ容易く討ち取れまする」
ウィルムが強硬策を提示すると、シンシアは首を強く振って反対する。
「絶対にいけません! どうしてもというのであれば、せめてノエルに申し開きの機会をお与えください!」
「手ぬるい! 裏切り者には死あるのみだ! シンシア、貴官も騎士のはしくれならば弁えよ!」
「もし本当に奴が裏切っていたならば、私がノエルを殺します! その上で、私も責任を取り自決いたします!!」
シンシアが剣を抜き放ち、地面に深々と突き立てる。コインブラ騎士道における、決意表明の現われだ。何が起ころうと、必ず実行するという絶対の意思表明。これを破るということは、騎士であることを放棄するのと同義になる。
グロールは呻きながら長く思案した後、ようやく結論を出した。
「……私にはどちらが正しいか、判断できぬ。だが、シンシアが嘘を申しているようにも思えん。第一、赤輪軍に奇襲を受けたとき、ノエルがいなければ私は死んでいた。あれが演技であったとはとても思えぬのだ」
「その通りです。ノエルは裏切ってなどおりません!」
「だが、人間の心は変わるもの。私はそのことをを誰よりも良く知っている。ウィルムの言うように、一度は私に仕える気になったが、再び変心したのかもしれん」
「間違いありません。私を信じていただきたい」
「……故に、ノエルは一時的に前線より更迭し、カルナス城塞の守備を命じることとする。この命令に背くようならば、直ちに誅さねばならぬ。本格的な取り調べは、戦の後に慎重に行なおうぞ」
グロールは答えを先延ばしにすることにした。裏切りが事実かどうかは分からない。冷静に考えると、ノエルが裏切るとは思えない。取り立てたのは自分、間違いだと信じたい。だが、あの恐るべき武力が自らに降りかかってくることを考えると、本当に恐ろしい。勝利が近い以上、万が一の禍根を取り除きたくなる。何より、最も信頼するウィルムの言葉を見過ごすこともできない。
万が一、これが流言であることを考えると、早まった決断も選べない。これが誤りだった場合、ノエルを殺せば、自分は愚か極まりない行為をしてしまうことになるのだから。事実、歴史を振り返れば流言や讒言で地位を追われた者は多いのだ。
どちらかを判断できず、またするのを恐れたグロールは、“結論の先延ばし”という曖昧な決断をすることしかできなかった。
「……太守のご決断とあらば、このウィルム従いまする。シンシア、貴官も納得できるな?」
「くっ!」
シンシアは不服であり、憤懣やるせない。ノエルが裏切る事など、ありえないのだ。なぜ無実の人間が更迭されなければならないのか。だが、ここで抗ってもどうにもならない。なんとか場が収まりそうなのに、騒いだりしたら余計こじらせる可能性すらある。裏切りが確定して処刑されないことだけが不幸中の幸いなのかもしれない。
シンシアは口惜しげに歯軋りした後、深々と頷き、無言で敬礼した。
「ノエルの調査は、ディルク、戦が落ち着いた後にお前が行なえ。白か黒か、徹底的な調査をするように」
「かしこまりました。軍規に従い、公平な調査をお約束いたします!」
「では、ラインには入れ替えの部隊を送るといたしましょう。兵は万が一に備えて千人、見張りのため憲兵隊もつけさせまする」
「……うむ、それでよい。結果がはっきりするまでは、ノエルを私の側に近づけさせるな。今は大事なとき、余計な不安材料は取り除いておきたい」
「ははっ!」
グロールは深々と息を吐いた後、どこか疲れた様子でその場を後にした。自分の決断が本当に正しかったか自信がもてなかったからだ。
残された武官達も、思い思いの表情で立ち去っていく。
シンシアはその場に跪き、突きたてた剣を口惜しげに握り締めるしかできなかった。ウィルムが何故ノエルを憎み、排除しようとするのか分からない。ウィルムはシンシアの亡き父シドニアの親友であり、自分もまた可愛がられてきた。尊敬できる立派な騎士であり、有能な将軍でもある。それが何故、ノエルを邪魔者とばかりに陥れようとするのかどうしても理解できない。身分と出身の差がそうさせるのか、それとも他の思惑があるのか。どれが正しいのかは分からないが、一つだけ分かることがある。
ノエルは約束を守る。若君と、自分を裏切るような真似はしない。共に幸せになろうと約束した。約束を破る事は、ノエルにとって絶対にしてはならない禁忌。だから、裏切りはありえないのだ。それを他の者に上手く説明できないのが心から口惜しい。
(いや、まだだ。ウィルム様に直接話し、分かっていただければ、あるいは――)
シンシアは急ぎウィルムの天幕を訪れ、説得を図る。
「……先ほどの決定に、貴官は異議を唱えるつもりか?」
「そうではありません。ですが、ノエルを排除すれば敵を利するだけです。どうか、更迭の指示をお取り消しください」
「それはできん。悪いが、貴官のように私は奴を信じる事はできぬ。将たる者、大局的な視点で物を見て、一時の感情に流されることは避けねばならぬ。貴官も上を目指すのであれば、それを理解するのだ」
ウィルムは聞き分けのない娘を諭すように述べた。シンシアはこれ以上の説得は無意味と悟る。
「……なぜ、そこまでノエルを排除しようとするのか、お尋ねしてもよろしいでしょうか。ノエルが仕官したときから、ウィルム様は敵視されているように思えます」
「そう、見えたか?」
「はい」
「私は、あれが北部出身だから憎んでいる訳でも、手柄を立てているのが武人として妬ましいからでもない。ただ――」
「……ただ?」
「邪魔なのだ。太守が栄光を掴むのに、あれは邪魔な存在となった。だから、一時的に取り除いた。……調査はディルクにより公平に行なわれる。その結果次第では、再び返り咲くこともできるはずだ。これが、誰にとっても納得がいく結果だと思うが」
「……分かりました。シンシア上級百人長、任務に戻ります」
「うむ。決戦の時は近い。貴官も決して命を粗末にせず、精一杯コインブラのために働くように!」
「……はっ!」
シンシアはウィルムの天幕から出て、空を見上げる。太陽を覆う、黒雲がシンシアの心中を表しているかのようだった。
「……ノエル、私が無力なばかりに。本当に、すまない」
汝は人狼なりや? というゲームをやったことがあります。私が占い師のときは、自信満々に考えを述べる人間を第一に占いました。あれは疑心暗鬼を体験できる良いゲームです。全員が嘘つきに見えてきます。
でも、メモを取って証言を全て検証してと、脳が疲弊するので、最近はやっていません。ゲームなのに、本当に疲れるのです。面白いけど、疲れる。
そして、30万文字の壁を突破。自分の中でのポイントです。大体ここら辺で息切れするのですが、今回はしなかったです。やったね。