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第二十三話 ライン攻略戦

 ――翌朝、ノエルは兵たちと一緒に、出発準備を行なっていた。ディルクから許可をもらっているので、とやかく言われる心配もない。ノエルは鼻歌交じりに食料を馬に括りつけていく。

 騎乗するのは、ノエル、バルバス、リグレットのみだ。騎兵隊ではないから仕方がない。他の兵たちは腰に物資を提げる形となる。白蟻党を騎兵にしたところで、今は得る物は少ないだろう。


「ノエル」

「あー、シンシア。おはよう! 今日は良い天気で良かったよね」


 ノエルはとびきり元気な声で挨拶をした。今日は雲ひとつない快晴。いいことが起こりそうな予感がする。だが、シンシアはどこか影のある表情をしている。


「ああ。それより、本当に行くつもりか?」

「それはもちろん。バハールに勝つための第一歩だね」

「なぜあのような僻地の屯所を攻めにいくんだ? もし何かがあってもすぐには救援にいけない。わざわざ危険を冒す必要があるのか?」

「うん、必要があるんだよね。あの街はなんとしても落としておかないと。次に繋がらないんだ」

「……おい、ちょっと待て。まさか、ラインを攻略するつもりでいるのか!? お前は屯所に一当てして帰還すると言っていたではないか!」


 シンシアが目を剥いて大声をあげる。ノエルは人差し指を口元に当て、静かにしろと必死に合図を送る。周りに知られると、なんだか面倒くさいことになりそうだから。


「あはは、目標は大きくないとね。もちろん無理そうなら、予定通り一撃当てて帰ってくるよ」

「悪いが全く信用できない。お前の事だ、何があろうと絶対に攻め入るつもりだろう!」

「そこまで無理はしないよ。死んだらなんにもならないし」


 ノエルは誤魔化したが、シンシアの視線は揺らがない。


「どうやら、私もついて行った方が良さそうだな。今から許可されるかは分からないが。無茶を見逃す訳にもいかない」

「それは駄目だよ。あまり大所帯だと目立つし時間がかかるから。一気に押し入らないと、今回は駄目なんだ」


 シンシア隊は千人。ラインの街を落としたあとならば、是非協力して欲しいところだが、今はまだ必要ない。大人数だと、敵が守りを固めてしまう。こちらが少数であると、敵に侮らせる必要があるのだ。


「しかしだな――」

「ふむ。ならば、それがしがお供いたそう」


 シンシアの後ろから、頬に傷のある大男が現れた。ゲンブの武官、カイ百人長である。その後ろには、特徴的な陣笠をかぶった兵達が立ち並ぶ。カイの話では、機動力に優れた足軽という兵種とのことだ。防御が薄い分、俊敏で、奇襲任務を得意とするらしい。


「カイ殿か。いや、貴官が参戦するのは色々とまずいのでは。今回の戦に、ゲンブ州は正式に参戦を表明していないはず。外交上、厄介なことになりかねないぞ」

「心配はご無用。ゲンブの旗を立てるつもりはないし、証拠を残すつもりもない。太守殿にも一応の許可を頂いた。何より、ノエル殿の働きを間近で見られるのならば、多少の危険は安いもの」


 グロールとしては、ゲンブ人が戦いに加わることに異はないだろう。やめてくれと叫びたいのは、ゲンブの指導者であろうが。

 ノエルは首をかしげた後、一応最後の確認を取る。その上で是というのであれば、問題ない。全ては自己責任である。


「うーん、本当にいいの? 後で何かあっても怒らないでね」

「勿論だとも。先のカルナス一番乗り、実に見事としか言いようがなかった。恥ずかしながら、それがし思わず身震いしてしまったほどだ。あの戦いぶり、まさに鬼と見まがうばかり。是非もう一度、この目に二鎚の旗の戦いを焼き付けさせていただきたい」


 そう言って頭を下げるカイ。足軽たちもそれに続いて頭を下げる。なんとも異様な光景である。


「――だってさ。ね、本当にいいのかな?」

「……良い訳はないと思うが、カイ殿の行動に口を挟む権限が私にはない。太守が許可を出しているのであれば尚更だ」


 シンシアは困ったように首を横に振る。


「じゃあ、一緒に行こうか。あ、自分の食料はちゃんと持ってね」

「感謝する。者共、自分の飯はもっているだろうな!」

『応ッ!』


 腰に下げた食糧袋を誇るように掲げる足軽達。カイに似て、豪快な人間ばかりのようだ。


「というわけで細かな心配は一切不要。我らはノエル殿の後に付き従いますので、先導をお願いいたす。貴方が隊の指揮官だ」

「うん、分かった。じゃあ、そろそろ私達も出発しようか。リグレット、進軍ラッパを。バルバス、先頭をお願いね」

「了解です。――全員、俺に続けッ! ノエル隊出発するぞ!!」

「……ちょっと。なんでまた私がラッパ吹きなのよ。他の奴にやらせりゃいいのに」

「おい糞アマ、さっさと出発のラッパを吹きやがれ! お前にはそれぐらいしか仕事がねぇんだからよ!」

「うるさいわね、この白髪猿ッ! 今からやるところよ!」


 煽られたリグレットが非常に不機嫌な様子で出発の合図を吹き鳴らす。騎乗したバルバスが意気込んで出発すると、白蟻党五百が後に従う。続いてコインブラ兵二百、そしてゲンブの足軽百人。ノエルが率いるのは、合計八百名となる。

 全員が出発したのを見送ると、ノエルはシンシアに話しかける。


「よし、それじゃあ私も行くね」

「ノエル、本当に気をつけるんだぞ。ここは敵の勢力圏、コインブラとは全く勝手が違う。油断は禁物だ」

「うん、気をつける」

「次に会うときは、我らも相当先に進んでいるはず。共にベスタに攻め入ることを楽しみにしている。また、お互い無事で会おう!」

「もちろん!」


 ノエルが頷いて敬礼すると、シンシアも応えてくる。馬に飛び乗ったノエルは、勢い良くコインブラ軍の野営地を飛び出した。しばらく駆けると、天秤旗とノエル隊の二槌旗を掲げる集団にすぐに追いつく。


「お待たせ!」

「……随分長かったようですね。そんなに別れの名残を惜しんでいたのですか?」


 皮肉めいた口調でリグレットが声をかけてくる。


「うん、大事な友達だからね」

「はいはい、そうですか」


 舌打ちするリグレットに、ノエルは笑いかける。


「リグレットも大事な仲間だし、きっと良い友達になれると思うけど」

「……ふん、それはどうも。ですが、私は遠慮しておきます。色々と迷惑ですので。そういう馴れ合いは、あの野蛮な白髪猿とやっていてください」

「そっか、残念。あ、ちょっとラッパ借りてもいい?」

「貴方のですから、どうぞご勝手に」


 吹き口をリグレットは丁寧にふき取ると、ぽいっと放り投げてくる。

 ノエルはラッパを受けとると、思い切り吹き鳴らし始めた。まだこの辺りに敵兵はいないので、特に問題はない。もうしばらくしたら慎むつもりだが。次に吹くのは突撃の時である。

 ちなみに、ラッパの曲目はノエル隊進軍曲。作曲はノエル、軽快なリズムで思わず足が進んでしまうような感じにしてみた。いつか歌もつけたいななどと考えつつ、ノエルは馬を駆り先を進んでいく。兵達も音色に併せて元気良く行進する。とてもいい感じである。ちなみに、隣を進むリグレットは、口をへの字にしてずっと不機嫌なままだった。

 


 

 ――ラインの街。領主ベロッテの館。


「……コインブラの悪鬼、だと?」

「はい。カルナスから逃げてきた兵の間で噂になっているとか。いや、私も又聞きなので、詳しいことまでは分かりませんが」

「なんとも馬鹿馬鹿しい。カルナスが落ちるのは織り込み済みのこと。ホスロ殿には気の毒だったが、彼は承知で捨石となってくれたのだ。全てはアミル様が日輪の栄光を手にする為にな。悪鬼などというのは、コインブラの流言に決まっている!」


 ラインの街を治めるベロッテ伯爵が、不機嫌に吐き捨てる。

 バルケス山脈に連なるこのライン周辺は、お世辞にも豊かな土地とは言いがたい。それでも、ベロッテは田畑を耕し、商いを奨励する事で民を餓えさせることがないよう必死に勤めてきた。アミルの側近、ファリドやミルズのように輝かしい働きはしていないが、バハールへの忠誠では劣っていないという強烈な自負を抱いている。

 アミルがバハールにやってきた当初は、ただ皇帝の血縁というだけで何の期待もしていなかった。だが、それは良い方向に裏切られた。アミルの行なった改革は、質実剛健という言葉で誤魔化していたバハールの財政を回復させ、新たな貿易ルートまで開拓してみせた。今では、バハールの太守はアミルこそが相応しいと強く思っている。今は亡き先代の太守も、アミルの才を認めたのだから間違いない。

 主君アミルが計画通りに皇帝になれば、バハールは更に豊かになるだろう。皇帝の故郷になるのだから。新しい太守にはファリドか、近しい者が任命されるだろうが、そんなことはどうでも良い。大事なのは、バハール、そしてラインの民が幸福になること。それが肝心なのだ。

 そのためにも、アミルにはこの戦に勝ってもらわなければならない。僻地のラインが戦に加わることはないと予測していたが、いざ戦となれば命を懸けて戦うつもりでいた。


「バハールの勝利は近い。敵の流言に乗り、惑わされることがないようにせよ」

「しかし、流言にしてはかなり具体的でしたが。交差する二鎚の旗印、血のように赤い髪をした、死人の如き白面の女であると。二又の槍は煉獄の炎を撒き散らし、巨大な鉄槌で人間を叩き潰すとか。……実に恐ろしい話でした」

「戯け者が! くだらんことを言っている暇があったら、周囲の見回りでもしておれ! お前のような輩がいるから、そのような馬鹿げた噂が蔓延するのだ!」

「も、申し訳ございませぬ」


 慌てて謝罪する従者を一瞥した後、椅子に深く腰掛ける。この様子では、ラインの住民の間にも流言が広まっている恐れがある。一度触れを出した方が良いかなどと考えていると、扉を忙しなく叩く音が聞こえてくる。


「何事だ!」

「ベ、ベロッテ様、大変ですッ! 敵が、コインブラ軍がやってきました!」

「お前まで何を馬鹿なことを言いだすのだ。奴等はカルナスで態勢を整えている最中と報告が来ている。例え侵攻を開始したとしても、ここに来るのはまだまだ先だ!」


 何よりも、街道から外れた僻地であるこのラインに兵を向けるとは思えない。アミルからも、周囲を調略した後、グロールは必ず街道を東進するであろうと書状が届いている。カルナス周辺の領主たちには、時間を稼いだ後は降伏しても罪に問わないと予め伝達されてもいる。


「しかし、コインブラ軍の兵から、矢文が撃ち込まれてきました。――こちらです!」

「――直ちに街の門を開け、我らに降伏せよ。逆らわば皆殺しと心得るべし。血気に逸り判断を誤ることなかれ――だと? 逆賊共がふざけおって!」


 文を床に投げつけた後、足で何度も踏み潰す。そこに、更に部下が駆け込んでくる。


「ベロッテ様、道沿いの屯所二箇所がコインブラに襲撃されました! 敵は二鎚の旗印、指揮官はノエルと名乗った模様!」

「つまり、虚報ではなかったというのか。しかも二鎚の旗印だと? 噂の悪鬼がこんな僻地にまでやってくるとはな!」

「しかし、敵の数はそれほどでもないようです。屯所は破壊されましたが、人的被害は軽微。逃げおおせた者の話によると、敵は精々三百程度と」

「たった三百だと? それは本当か?」

「はっ、近くにも見当たらなかったそうですが」

「……いや、念のために斥候を出す。陥落した屯所周辺を徹底的に調べろ。このラインを攻略するつもりならば、最低でも二千はいるはずだ」

「かしこまりました! 直ちに斥候を向かわせます!」


 ライン周辺の屯所には、各数十名程度しか配置していない。僻地でもあり、普段警戒するのは精々野盗や猛獣ぐらいのものだからだ。故に敵が三百程度でも壊滅させられるのも当然だ。

 一番の問題は、このままこちらにやってくるのかということだ。矢文などを撃ち込んでくるということは、攻略するつもりでいるらしいが。ただの嫌がらせの可能性もある。


(まぁ、おそらくは牽制であろうが。もしも向かってくるならば、返り討ちにしてくれるわ)


 ――三時間後、放った全ての斥候が帰還した。敵は屯所を破壊した後、このラインを目指しているらしい。やはり、その数は三百。指揮官は騎乗した赤髪の女士官。二鎚の旗を掲げ、悠然と行進しているとのこと。


「……たかが三百人程度でこのラインを落すつもりでいるのか。悪鬼だかなんだか知らんが、このベロッテを侮りおって!」


 屈辱と怒りでベロッテがわなわなと震える。万が一、コインブラ主力がこちらに向かってきたら、時間を稼いだ後降伏するつもりではいた。アミルからもその許しは得ている。

 だが、たかが三百となれば話は異なる。ラインには常備兵は三百だが、臨時に徴兵すれば千は掻き集められる。それだけいれば、確実に迎撃できるだろう。バハールの人間は、負けず嫌いな者が多い。土地柄でもあり、過去の武功を誇りに思っているからだ。弱兵のコインブラになど、負けるはずがない。例え悪鬼が率いていようとも。戦いは、兵の数と士気が決め手となる。一人が少々強くても、数の力を覆す事はできないのだ。


「ベロッテ様、どうなさいますか? まさか、降伏に応じるなどと仰るのでは」

「……少し待て」


 念のためにベロッテは考えを巡らせる。ここで降伏するという手も一応はある。だが、流石に三百相手にそんなことをすれば、アミルも許してはくれまい。

 コインブラとの戦は、ほぼ間違いなくバハールの勝利に終わる。一見、コインブラは勢いよく支配圏を拡大しているように見える。そうアミルが仕向けているのだから当然なのだが。そしてコインブラ軍が満を持してベスタへと侵攻する時、グロールはこの世の地獄を味わう羽目になるであろう。アミルが立てた策は、その時にこそ完成を迎える。聞くところによれば、既にコインブラの有力者を裏切らせることに成功しているとのこと。ベロッテが見る限り、状況はこちらが圧倒的有利だ。

 となれば、ベロッテとしても武功の一つぐらいは欲しいところである。噂の悪鬼を討ち取ったとなれば、名も上がる。アミルの覚えも良くなるだろう。褒美として、領地を加増してくれるはずだ。


「ベロッテ様!」

「言わずもがなだ。敵の本隊ならまだしも、三百程度に脅えて剣を捨て跪くなど、末代までの物笑いの種。……よし、民から兵を募れ。最低限の守備兵を残して出陣するぞ。この街で防衛する手もあるが、戦禍に巻き込みたくはない。周囲の田畑を巻き添えにすることも避けたいからな」

「ははっ!」

「迎え撃つのは西の丘陵が良かろう。高所に当る我らが有利になる。敵は寡兵とはいえ、念には念を入れるぞ。兵の集合を急がせろ!」


 あと二ヶ月で収穫の秋を迎える。余計な被害を避けるためにも、この丘陵で迎え撃つのが最良だった。コインブラ軍がラインに来るには、この丘陵を避けて通ることはできない。


「はっ、直ちに出撃準備を整えます!」

「我らバハール人の強さ、コインブラの愚か者共に思い知らせてやるわ!」


 ベロッテは立ち上がると、拳を握り締めて怒声を上げた。

 

 


 ベロッテ率いる千人が丘陵に到着すると、眼下に休息を取っている集団が目に入る。コインブラの天秤旗、そして噂になっている二鎚の旗が突き立てられている。


「……敵地でこうも堂々と休息を取っているとは。あやつらは、どれだけ我らを侮っているのだ!」

「ベロッテ様、ただちに襲撃いたしましょう! 見る限り、伏兵がいる気配はありません。今ならば一撃で蹴散らせますぞ!」

「うむ、三百程度、我らが攻勢を掛ければ容易く屠れるはず。よし、行くぞッ!」


 騎乗したベロッテが剣を抜き、一気に振り下ろす。千のバハール兵が一気に丘を駆け下りて、コインブラの一団へと襲い掛かる。敵も気がついたようだが、今から隊列を整える時間はない。混乱状態でこちらに向かうか、尻尾を巻いて逃げるかのどちらかだ。


「て、敵襲! バハール軍の敵襲だ!」

「一人も生かして返すな! 我らの街を襲おうとした逆賊どもだ、情けなど無用!!」


 後方に控える弓隊の矢が、敵の一団へと降り注ぐ。騒がしいほどの悲鳴をあげながら、コインブラ兵が我先にと退却していく。手にしていた武器を放り投げ、コインブラの天秤旗まで置き去りにする有様。なんとも無様な光景に、ベロッテは嘲笑を浮かべる。


「ふん、これが悪鬼の部隊だと? ただの腰抜けの集りではないか!」


 意気あがるベロッテが、先頭を駆け抜けると、慌てて騎乗したらしき女士官の姿が目に入る。兵を置き去りにして、自分だけ馬で逃げようとしているらしい。


「ぜ、全員撤退して! 敵はこちらの倍以上だ! 私は先に逃げるから、出来る限り時間を稼ぎなさい!」 

「待てっ! 貴様が兵達の噂になっている、悪鬼と称されし者であろう! 貴様も騎士のはしくれならば、潔く戦ったらどうだ! 兵を置き去りにして我先に逃げるなど、指揮官としての誇りはないのか!」

「う、うるさい! 誇りなんてどうでもいいのよ! 先手を打たれた以上、ここは逃げるが勝ちよ! 何してるの、早く防ぎなさい!!」


 舌打ちしながら、ノエルが吐き捨てる。コインブラ兵は全く統率が取れておらず、留まる気配などない。なにより、こんな指揮官の為に命を投げ出す者などいないだろう。


「話にならぬ! こんな愚かな女が悪鬼などと、悪い冗談にも程があるわ! 直ちにその首叩き落してくれる!!」

「逃げるが勝ちよ!」


 騎乗したノエルは、全力で馬を走らせはじめる。コインブラ兵たちもそれに続いて、前方にある小さな林目指して一目散に駆けて行く。

 こんな連中が、自分に降伏勧告を送ってきたことを思い出すと、堪え難い怒りが湧いて来る。罵声を上げながら追撃を命じる。

 だが、想像以上に敵の足が速い。しばらくの間、全力で追いかけたのだが、結局林の奥へ逃げ込まれてしまった。部下達も流石に息が荒い。


「糞ッ、なんという逃げ足の速さだ! まるでドブ鼠のようだ!」

「はあっ、はあっ」

「全員、追撃中止だ! 一旦態勢を整えるぞ!」


 ベロッテは馬を止め、林の中で隊を停止させる。潰走中の敵など、捉えるのは容易いと考えていたが、予測に反して逃げ切られてしまった。敵の損害も、最初の弓撃での死者しか出ていない。四散して逃げ惑うことなく、一方向に逃げられたのが原因だ。口惜しさに歯噛みするが、追い続けるのにも限度がある。一度息を整え、隊列を組みなおさなければならない。


「ハアッ、ハアッ、ベ、ベロッテ様、どうなさい、ますか。て、敵も疲れているはず、追撃すれば必ず追いつけます! なにせ、ここはバハール領です!」

「その意気やよし! 小休止の後、直ちに追うぞ! ここは我らの庭、奴等がどこに逃げようとも追い詰めてやるわ! 悪鬼の正体はすでに見切っている。あの女を討ち取った後は、晒し首にしてくれるわ!」


 汗を拭い、水筒から水分を補給する。馬にもくれてやり、態勢を整える。兵達も同じく深呼吸を繰り返し、迅速な体力回復に努めている。この分なら、後五分もすれば行動できるだろう。

 そう考えていたとき、バハールの旗を持った騎兵が血相を変えて駆けてきた。


「――至急の知らせです! ラインにコインブラの大軍が襲来! 必死に防戦するも守備隊は壊滅、我らの街は陥落致しました!!」

「――な、何?」

「ラインは陥落いたしました!!」


 騎兵は、必要以上の大声で叫ぶ。部下達にもその声が届き、ざわめき始める。


「お前は何を言っているのだ。敵はこの先に追い詰めている! そんな大軍がいるわけがなかろう! 夢でも見たのではないか!」

「しかし、現にラインには敵の旗が翻っております!! あれをごらんください!」


 伝令が指差す方向を睨みつける。ラインの街の方角から、夥しい量の黒煙が上がっている。これが意味するのは、街で略奪や火付けが行なわれているということだろう。腰に提げた遠眼鏡で確認すると、ベロッテの屋敷にはバハールの三剣の紋章ではなく、コインブラの天秤旗が掲げられている。俄かには信じがたいが、この僅かな時間の間に、ラインは陥落してしまった。


「ま、街は一体どうなってるんだ!?」

「煙が上がってるってことは……。まさか、残してきた連中は皆殺しに――」

「おい、早く帰るぞ! 戻って俺たちの家族を守るんだ!」


 ラインで臨時に徴兵した者たちが、動揺した様子で立ち上がる。ベロッテは落ち着くように声をかけようとするが、伝令によって遮られる。


「ラインを落としたコインブラ勢は、ベロッテ様を捕らえるためこちらに向かっています! 直ちにお逃げ下さい! 私は近くの村々に知らせてまいります!」


 言うだけ言い切ると、馬を反転させて伝令は走り去っていく。完全に浮き足立った兵達は、ざわめきながら動き始めていく。


「れ、冷静にならんか! まだ落ちたと決まった訳ではない!」


 ベロッテは曖昧に誤魔化して兵の士気を保とうとするが、納得する者などいようはずがない。


「どうみても落ちてるだろうが! 俺達が出撃した隙を狙われたんだ! 伯爵、全部アンタのせいだぞ!」

「そうだそうだ、とっととコインブラに降伏してりゃ良かったんだ! おい、早く街へ戻ろうぜ!」

「貴様ら、誰に向かって口を聞いているのだ! たかが平民が無礼であろうが!」

「街を落とされておいて、伯爵も糞もあるか馬鹿野郎!!」


 ベロッテの側にいた兵が制止するが、全く聞く耳を持とうとしない。いや、こうしている間にも、後方の兵たちが離散していく。このままでは部隊を維持することは不可能だ。一体どうすれば良いと、必死に頭を巡らせていると。


「て、敵襲! 敵襲ッ!!」


 悲痛な叫び声の後に、火矢の雨が容赦なく降り注いでくる。炎を纏った矢は兵の鎧を貫通し、多くの者が悲鳴をあげながら倒れ伏せていく。そして、何かが破裂するような音がしたかと思うと、林中が一瞬で火によって埋め尽くされる。


「――な、なんだこれは! 火の回りが尋常ではないぞッ! まさか、油でも撒かれていたと言うのか!?」

「いえ、油ではなく、何か、塊のようなものが破裂しているようです! と、とにかくここは危険です、今すぐ林を出ましょう!」

「わ、分かった。全員、急ぎ後退しろ! 急がねばこの業火に飲み込まれるぞ!!」


 襲い掛かる熱波に耐えながら、ベロッテは馬を捨て、部下に肩を抑えられながらなんとか脱出しようとする。火の壁を避け、焼死した兵の屍を踏み越えながら、火の中を潜りぬけていく。バチバチと弾ける音、掠れた人間の声が赤い世界で木霊する。立ち止まれば、確実に火の波に飲み込まれる。一瞬の間に、静寂に包まれていた林が大火へと姿を変えたのだ。


「く、くそっ。なんたる熱さだ! む、胸が、焼けそうだ!」

「ベロッテ様、口を開けてはなりません! ご覧ください、も、もうすぐ出口です!」

「ううっ! なぜこんなことに!」


 これほど深く入り込んだ覚えはないというのに、出口が遠すぎる。後を付き従う部下はどれだけいるのか。それすらもう分からない。


(い、一体何が起こっているのだ。本当に訳が分からん!)


 そして、ようやくたどり着いた火の海の出口で待ち受けていたのは――。


「凄いね。この業火の中で無事なんて。全員焼き殺すつもりだったんだけど。最後だけ運が良かったのかな?」

「き、貴様はッ!」

「伯爵、お下がりを!」


 ベロッテを支えてくれていた部下が、抜き放った剣で目の前に立つ人物へと斬りかかる。その刃は届く事なく、身体が止まる。背中からは、鎧を突き破って二本の鋭利な先端が突き出ている。部下は小刻みに痙攣した後、完全に動かなくなった。地面には赤い液体がとめどなく流れ落ちている。


「お、おのれ――ッ」


 ベロッテは憤ろうとしたが、宙を舞う灰が喉に絡み咽てしまう。目の前で二叉槍を持って立ち尽くしているのは、先ほど追いかけていたノエル。そしてその後ろには、二鎚の旗を掲げた兵達が槍を構えて立ち塞がっている。


「楽しい鬼ごっこはここでおしまい。罠にかかった貴方の負け。抵抗しなければ、命は助けるよ」

「わ、私の負けだと?」

「そう、私の勝ちで貴方の負け。これはね、昔の皇帝ベルギスが得意としていたんだって。色々と策を使って、敵を死地に誘い込むの」

「し、死地?」

「今回はわざと負けてみせたんだ。ほら、逃げられると追いかけたくなるのが、人間の性でしょ。何か変だなーって思っても、つい勢いで追いかけちゃうんだよね。昔、私も獲物を追いかけてて崖から落ちそうになったよ」


 無邪気に笑うノエル。ベロッテは、ゆっくりとした動作で、背後を振り返る。先ほどまで千を数えていた兵たちの姿は、最早十を数えるほどになっていた。兵達は完全に戦意を喪失してしまい、剣を構えることすらしない。

 他の兵は街に向かって逃走したのか、それとも林の中で物言わぬ焼死体になっているのか。今はそれすら分からない。


「……な、なんたること」


 ノエルは皇帝ベルギスの得意とする策と言った。確かに、大陸統一を成し遂げたベルギスは、敢えて自らを囮とし、敵を引きずり出して完膚なきまでに叩き潰す戦法を好んで使った。対峙した敵は、罠と分かっていても討って出てしまう。目の前の人間一人を殺せば、全てを覆す事ができるのだから。それこそがベルギスの狙いなのだが、抗えない。たった一撃で全てが終わるという誘惑、打ち勝つのは難しい。

 アミルが実行している大誘引の策は、これを模したもの。太陽帝の偉業を再現してみせることで、自らの名声を高めようとしているのだ。

 ベロッテはそれを小規模にしたものに、まんまと引っ掛かってしまったということだ。愚かさ極まると、いまさらながら後悔が押し寄せてくる。


「す、全て、お前の策だったと。私の前であのような醜態を晒したのは、この死地に我らを引き摺り込むための!」

「降伏勧告を出したり少人数で挑発して、相手を怒らせて誘き出す。しかも私みたいな小娘が相手だったら、確実にいきり立って出てくると思った。そして、別働隊で空になったラインを攻略。それを貴方達に知らせて動揺を誘い、その隙を突いて火計を実行したの。あ、陥落を知らせた伝令は、私の部下なんだ。勿論、大軍なんてどこにもいないよ。街も壊滅なんてしてないし」

「す、全て貴様の仕組んだ罠だったということか! このベロッテ、一生の不覚ッ!」

「うん、全部罠だよ。あの糞みたいな場所で教えられたことも、意外と役に立つんだね。こんなに上手くいくとは思わなかったし」


 ノエルは横に控えている不機嫌な女に、「ね、凄い?」などと言って自慢している。ベロッテは無意識のうちに腰の剣に手を伸ばす。


「最後にもう一度だけ聞くけど。降伏すれば命は助けるよ。私は約束を守る。色々聞きたいことや、話したいこともあるし。バハールの偉い人と話す機会なんて、今までなかったからね」


 ノエルは二叉槍を弄びながら、「で、どうかな?」と問いかけてくる。

 降伏などありえない。このような小娘に膝を屈するなど、貴族の誇りが許さない。何より、焼け死んだ部下のためにも、この女は殺さなければならない。


「――貴様も道連れだ、コインブラの悪鬼めッ!」


 ベロッテはノエルの胴体目掛けて剣を一閃させる。

 ノエルは身体を捻って剣撃を交すと、そのまま一回転して、二叉槍を突き刺してきた。ベロッテの喉下に、二叉槍の先端が突き刺さる。灼熱の痛みが脳を駆け巡る。悲鳴すらあげることができない。ヒューヒューという音だけが漏れる。


「それじゃ、仕方がない。貴方の首だけ、使わせてもらうことにするね」


 そう言うと、二叉槍を横に凪いだ。鮮血が木立に降り注ぐ。ノエルは転がって行く首を無造作に突き刺すと、一息つく。


「――ふぅ」

「ノエル隊長、お見事です。景気よく勝ち名乗りをお願いします! 皆、待ってますよ」

「一発お願いしますぜ!」


 白蟻党の面々が囃し立てる。


「うん、分かった。――敵将ベロッテ、ノエルが討ち取った!!」


 ノエルが首のついた槍を掲げると、歓声が木霊する。


「勝ったぞ、俺たちの勝ちだ!!」

「ノエル隊長がまた手柄を立てたぞ! 大手柄だ! おい、祝福の勝ち鬨をあげるぞ!!」

「流石はバルバスの親方が見込んだお人だ! ノエル隊長万歳!」

「ノエル隊長、万歳! 常勝ノエル隊に栄光あれ!」


 ノエルの強さに惹かれ始めた兵達が、自発的に勝ち鬨を上げ、誇らしげに剣を翳す。ノエルは目をぱちぱちとさせて少し驚いた後、心から嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。やっぱり、皆と一緒だとなんだか楽しいね。とっても危ないのに、どうしてだろう。本当に不思議!」


 そう呟いた後、ノエルは二槌の旗を掲げて歓声に応えた。降りしきる火の粉が、まるで太陽から落ちた雨みたいだった。

ジャーンジャーン


げえっ

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