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第二十二話 狡猾狸と悪戯兎

 ノエルがホスロを討ち取るのと同時に、攻城梯子を上って一斉に味方が殺到してきた。先頭のバルバスは大剣を振るって、バハール兵をなぎ倒していく。周囲の敵は守将を討ち取られた事で、戦意を殆ど失っている。白蟻党は一人に対し複数で襲い掛かり、確実に敵の数を減らしていく。


 ノエルは近くのバハール兵の頭をかち割ると、一息ついて鉄槌と槍の血糊を払う。背後を振り返ると、リグレットがおっかなびっくりで梯子を上ってくるのが見えた。突撃に参加できなかったリグレットは、必死に突撃ラッパを吹いていたのだ。その音を聞いている者は残念ながらいなかったが。


「遅いよリグレット。もう敵将は討ち取っちゃった。後は旗を掲げて勝ち鬨をあげれば、敵は一気に崩壊するね」

「はぁ、はぁ、じゃ、じゃあさっさとやってください! そもそもこんな乱戦じゃ、ラッパの音なんて誰も聞いちゃいないわよ!」

「あはは、声はいつも通りなのに、顔が死体みたいで面白いね。ね、大丈夫?」

「うるさい! 貴方がやらせてるんでしょうが!」


 金切り声をあげるリグレット。乱れ飛ぶ血飛沫に死体の山を間近見てしまったせいか、その顔は本当に真っ白だった。いつまでも待たせるのはかわいそうなので、ノエルは大きく息を吸い込み、戦場全体に響き渡るような大声を轟かせた。


「コインブラ軍ノエル百人長、敵将を討ち取った!! 残った敵兵は全て叩き落とせ!!」

「聞いたか野郎共ッ、ノエル隊長が見事に敵将の首をあげたぞ! これがその首だ、勝ち鬨をあげろ!」


 ノエルが放り投げた首を受け取ると、バルバスは櫓の上によじのぼり、首を高らかに掲げて叫ぶ。白蟻党の面々が、ノエル隊の二槌の旗を誇らしげに振りかざす。

 その光景を見てしまったバハール兵達の士気は一気に下がり、混乱状態に陥ってしまう。元々、ホスロの人望と統率力で支えていたようなものであり、その柱が打ち崩されれば脆かった。死は覚悟していたとしても、戦意がくじけてしまえば戦い続けることはできない。蓄積されていた疲労が一気に襲い掛かるからだ。


『ノエル百人長が敵将を討ち取ったぞ! 遅れを取るな、一気に攻め寄せろ!』


 逆に、敵将討ち取りの声を聞いたコインブラ勢は俄然勢いを増していた。ディルクが兵を鼓舞すると、先ほどまで及び腰だった兵達が、我先にと城門、城壁にとりつき敵兵へと剣を向けていく。最早カルナス城塞の勝負は決したも同然だった。

 城内の敵の残党をあらかた討ち取った後、ノエルは死体が散乱する城壁の上に座りこみ、真夏の陽射しを浴びていた。晴れの日は負けるきが全くしない。今日も傷ひとつない。やはり晴れの日は良い。


(でも、長い戦いは、少し疲れるな。相手の動きを見続けるのは、結構大変)


 ノエルは瞬発力を活かした戦いが一番自分に合っているという自覚がある。常に先手を打ち、速攻で寄せて敵の頭を潰す。逆に苦手なのは持久戦だ。長い間緊張を維持するのはとても疲れるし、身体もだるくなる。遊んでいるときはそうでもないが、戦いに集中していると、本当に疲れるのだ。


「……やっぱり、失敗作ってことか。でも、私は頑張らないと」

「何が失敗作なんだ?」


 ノエルが溜息を吐いて黄昏ていると、後ろからシンシアに声を掛けられた。シンシアは剣についた血糊を払うと、鞘に入れている。


「ううん、なんでもない。それより、さっきは援護してくれてありがとう。私が上るとき、敵の弓隊の注意を引き付けてくれたでしょう。一瞬だけ隙ができてたから」

「大したことではない。むしろ、お前の槍の投擲の方が効果的だったようだ。敵の動きが完全に止まっていたぞ。うむ、本当に見事な一撃だった」

「へへ、凄いでしょう。だって、これは不思議槍だからね。いや、あっちから見れば悪鬼の槍かな?」

「悪鬼の槍? それは一体なんのことだ」

「さっきの敵将が、私の事を“悪鬼”だって。鬼ってとっても強いし、なんだか格好いいよね。昔絵本でも見たことがあるし」


 鬼は強くて恐ろしい。一人では勝てない。だから、絵本のウサギは皆と協力し、知恵を巡らせて、鬼を退治する。鬼を退治したウサギは、助けた人々と一緒に幸せに暮らす。

 倒された鬼は省みられることはない。一見、鬼は悲惨な末路を遂げたように思える。だが、退治されるまで、きっと鬼も幸せだったのではないだろうか。最期まで自分らしく生きられたのだから。

 そんなことを考えてノエルが嬉しそうに笑うと、シンシアは呆れた顔で首を横に振った。


「笑っている場合か。相手を鬼と呼ぶのは、『人に非ず』という最大の罵倒だ。まぁ、それだけ、お前が恐ろしかったということだろうが」

「そういう意味だったんだ。うーん、なんだか趣深いね」

「趣深くない。いいか、敵の捨て台詞など、さっさと忘れてしまえ」

「別にいいよ。一杯人を殺さなきゃいけないのが戦争だし。一応、降伏したらって呼びかけたんだけどね。断られたから殺したんだ」

「戦いの最中なのだから、それが正しい。殺さなければ殺される。相手が意地を通した以上、お前が気にする事は何もない」

「うん、そうだよね」

「……それより、この城塞は完全に我らの手に落ちた。身なりを整え、太守に報告に行くぞ」


 シンシアの言葉に頷き、立ち上がる。自分の姿を確認すると、確かに酷い事になっている。自慢の赤髪は返り血で嫌な感じに固まり、顔や手は血糊が乾いてごわごわする。新品の鎧に傷はないが、ちゃんと拭いて手入れをしないと駄目になってしまうかもしれない。それと鉄槌もだ。不思議な槍は勝手に燃えて綺麗になるから、手入れ不要で楽である。


「うーん。なんだか気になってきた。ね、近くに川があったから、水浴びしてきてもいいかな。これも手入れしたいし」

「わざわざ川に行かなくても、城塞にある井戸を使えば良いだろう」

「いや、それじゃちょっと。冷たい川に浮かびながら昼寝、じゃなくて瞑想しようかなって。ほら、人の世の儚さとかを考えようかなーなんて。……あはは」


 思わず本音を漏らしてしまいそうになり、慌てて誤魔化す。だが、シンシアはばっちり聞いていたようだ。眉が不機嫌に斜めになっている。となると、次にくるのは拳骨である。手加減された一撃を戴いた後、ノエルは「残念」と一言呟いた。こんなに良く晴れた暑い日は、冷たい水の中で昼寝をするのが最高なのに。

 そう、まるで魚、或いは死体のようにぷかぷかと浮かんでいると、なんだか世界が白くなり、気分がとっても楽になる気がするのだ。死ぬならば水の中が気持ち良さそうだ。後で体は膨らみ、ひどいことになるが、死んでしまえばどうでもよいことである。

 


 

 突貫作業で死体や瓦礫が片付けられたカルナス城塞、軍議の間。城郭にはコインブラの天秤旗が誇らしげに翻っている。バハールの三剣旗はすべて引き摺り下ろされ、兵の死体と一緒に焼却された。

 グロールは設けられた席につくと、満足そうに深々と頷いた。


「諸君、まずはご苦労だった。バハール討伐の初手は成功したと言えるだろう」


 グロールは初日の総攻めで一気に押しつぶすつもりだったのだが、見込みと異なり三日も費やしてしまった。戦死者数は三百弱、負傷者数は千を越え、とかなりの痛手である。とはいえ、ここを越えれば残るは防御が薄い砦や街が殆どだ。また、コインブラが名高い要塞を落としたという事実は、バハール領主達への圧力になるだろう。


「太守、おめでとうございます。この城塞で一旦兵を休ませた後、調略を行ないながらベスタを目指しましょう。抵抗する者がどうなるかは、このカルナスの陥落によって知らしめることができました」


 ウィルムの進言に、グロールも同意を示す。そして、ガディスに視線を向ける。


「……うむ。ちなみにガディスよ、お前も同じ意見か?」

「は、ははっ、私も全く同じ考えであります」

「そうか。……それにしても、今回のお前の戦いぶり、実に情けないものであった。あの時の決意が見せかけだったと、私は信じたくはない。良いか、次こそ我が期待を裏切らぬようにせよ!」

「ははっ、かしこまってございます!」


 ガディスは顔を歪めながらも、改まって平伏する。


「それに比べて、ノエルの働きは実に見事なものであった。単身での城塞突入、更には敵将の首級を上げた。まさに豪傑と呼ぶに相応しかろう。次の戦いでは是非先陣を任せたいものだ」


 グロールが上機嫌で褒め称える。端の方でたたずむノエルに、全武官の視線が集中する。ウィルムが憎々しげに睨み付けるが、ノエルは素知らぬ顔である。ノエルにしてみれば、なぜ恨まれているのかさっぱり分からない。

 しばしの間を置き、ノエルの上司にあたるディルク千人長が、一歩前に進み出る。


「太守、恐れながら申し上げたきことがございます」

「ディルクか。改まって何事か」

「確かに、ノエル百人長の武勇は凄まじきものでした。此度の戦いにおける武功は第一等、疑いようもありません。しかし、この者は歩調を合わせろという命令に背きました。はなから抜け駆けを狙っていたようで、脇目も振らずに先行し、梯子をかけて乗り込んだのです。手柄を上げれば命令に背いても良い、などという慣例を作ってはならぬかと。真似をする者が増えれば、軍規に乱れが生じます」


 ディルクとしては、ガディスと同じ轍を踏むことを恐れ、戦力の一斉投入による攻城を目指したかった。だが、ノエルは前進の合図が下るや否や、一気に梯子をかけて城壁に乗り込んでいってしまった。成功したからよかったものの、万が一失敗していたら士気に影響が出ていただろう。

 ちなみに、ディルクはバルバス率いる白蟻党の撹乱戦法に苦戦し続けてきた男である。北部出身の貴族だが、面倒見が良く、貧しさを共有していることから部下からの人望はある。欠点は融通が効かず、頭が固すぎること。今回もノエルの活躍を内心喜んでいるのだが、一言釘を刺さずにはいられなかった。


「お前の言葉はもっともだが、この城塞は見事に落す事ができたのだ。ならば、多少のことは良いのではないか。むしろ、よくやったと褒めてやりたいくらいだ」

「――太守。軍規というのは、兵を律するための鎖なのです。何人たりとも、これに背くことは許されず、また許してはなりません。軍規を粗末にすることに慣れてしまえば、兵達は我先にと手柄を争うようになり、命令に従う事はなくなります。それでは賊と何ら変わりありません」

「……ううむ、確かにお前の言葉にも一理あるが」

「太守、ディルク千人長の申すことも尤もかと」


 ウィルムが同調すると、グロールが眉を顰める。


「お前も同じ意見か。……確かに、信賞必罰の遵守は、軍隊の礎となると兵法書にもあるが。ノエル百人長、こちらへ来るが良い」


 グロールは顎を擦ると、ノエルを呼びつける。眼鏡を掛けたノエルが悠然と歩み寄ると、一礼してから恭しく跪く。


「失礼致します。出すぎた真似をしたこと、お許し下さい」

「此度の働き、賞賛に値すると私は思っている。本来ならば、直ちに昇進させ勲章を授けてもよいほどだ。しかし、ディルクのいう事もまたもっともだと思う。……今回の件について、なにか言いたい事はあるか?」

「…………」

「ノエルよ、黙っていては分からんぞ」

「はい。今回の戦で勝敗を分けるのは“時”と考えておりました。故に、軍規に違反することを知りながらも、先走ってしまいました」

「なるほど、事情は分かった。だが、時が重要というのはどういうことか。バハールの主力がこちらに戻るには、まだ三カ月はかかるだろう。ここで多少遅れようとも命取りになることはないと思うが」


 グロールが怪訝そうに尋ねる。ノエルはウィルムをちらりと横目で見た後、自分の考えを述べ始める。


「……恐れながら、バハール公は本当にまだ帝都にいるのでしょうか」

「うむ、奴は今頃布告文を受け取った頃であろう」

「それは、間違いないのですか?」

「帝都に潜ませてある密偵からの報告だ。そうであったな、ウィルムよ」

「はっ。三日前の報告によれば、バハール公は現在も帝都にて昇陽の儀の準備中だったとのこと。布告文は渡っているでしょうが、今からでは、どれだけ急がせても三カ月はかかるでしょうな。仮に強行してきたとしても、疲弊した軍勢など恐れるにたりませぬ」

「…………」


 言おうかどうしようか悩むノエルに、グロールは多少の苛つきを覚えながらも尋ねる。


「ノエル、言いたい事があるならはっきり言うがよい。嘘偽りなく、お前の考えを述べてみよ」

「はっ、私の考えを述べさせて頂きます。私は、周辺の砦や街は無視して、全力で街道を東進し、州都ベスタのみを目指すべきと考えます」


 ノエルの意見に、周囲の武官がざわめき出す。軍の方針転換を、百人長ごときが進言したからだ。


「……実に大胆な意見だが。なぜそう思うのか?」

「太守、そのようなことは聞く必要はありませぬぞ! 今更方針の転換などありえぬこと!」

「落ち着け、ウィルムよ。聞くだけならば良いではないか」

「今回の作戦の方針は、バハール領主の調略を行ないながら、着実に州都ベスタへ迫ることかと思われます」

「その通りだ」

「ですが、それでは時間がかかり過ぎます。今ベスタに急襲をかければ、敵は絶対に救援に間に合いません。そうと分かっていても州都はバハール公のお膝元。見捨てることはできないので、慌ててやってくるでしょう。そこで対峙して、決戦を挑むのです。敵に疲労を強いる事ができ、有利な条件で戦えます。今は、巧遅よりも拙速を重視すべきかと」


 はっきりと言い切るノエル。ウィルムが余計な事をと、あからさまに顰め面を浮かべる。アミルが最も避けたいのは、戦が長期化し泥沼に陥る事だからだ。それを避ける為に、ウィルムは手を尽くしている。未来の栄光を掴む為に。

 バハール軍主力が途中で転進し、到着するまでの空白の時、これがこの作戦の最大の弱点だった。


「……ふむ」

「何を言うかと思えば。太守、耳を貸す必要は全くありませぬ」


 強く言い切るウィルム。一拍入れて、ノエルを見下しながら言葉を発する。


「ノエルよ、敵の主力がすでに戻ってきているという確かな証拠でもあるのか? ガディス殿の密偵からも同様の報告はきているのだ。我らの掴んだ情報が虚偽というのならば、今すぐ証を見せるが良い!」

「それは全くありません」

「ふん、そうであろう! 良いか、ノエルよ。戦略の基本は、味方の犠牲を減らし、いかに敵に打撃を与えるかを考える事だ。まずは真綿で締め付けるようにベスタ周辺の領主を調略、或いは攻略する。彼らの協力を得られれば、堅城のベスタといえ労せずして我らの手に落ちるだろう。こちらにつくという密書も、既にかなりの数が来ているのだ」

「…………」


 聞き入るグロール。ノエルは表情を変える事はない。


「お前の言う強硬手段を取れば、戦わずとも済む者たちを相手に回さなければならぬ。カルナスの比ではない犠牲もでる。つまり、功を焦って急戦を仕掛ける必要は全くないのだ。分かったならば、今後は憶測で意見を述べることは控えよ!」


 ウィルムが跪いたままのノエルを激しく痛罵する。その言葉に同調するように、他の武官たちも強く頷いている。

 グロールも、同じ考えだ。ノエルのベスタ急進策はリスクだけが大きく、得るものが少ないとしか思えない。

 こちらにつくという領主達との折衝交渉さえ終われば、彼らはコインブラ側で参戦する。大軍で囲めば、ベスタの攻略も捗ることだろう。なにしろ、味方だと思っていたら連中が敵に回るのだ。士気の低下は著しいはず。

 そもそも、敵の主力はバハールにいないのだから。ウィルムだけでなく、ガディスが放った密偵の報告も同じなのだ。ノエルの考えが事実ならば脅威だが、それは杞憂というもの。空想の敵に怯えていては、戦などできない。


「ノエルよ、私もウィルムの考えが正しいと思う。密偵の報告という何よりの証拠もあるのだ。……仮にお前の言う通りに脇目も振らずベスタに向かったとしよう。万が一にも攻略に手間取るようなことになれば我らは終わる。ベスタは堅城、いくらお前の武勇があっても容易くは落ちまい。更に、補給線は伸びきり、周囲が敵だらけでは戦にならん」

「ですが、ベスタはバハールの急所です。今が最大の好機なんです。突けば、必ず何かが起きます。全軍が駄目ならば、私の隊だけでも、先行させてください」

「……ううむ」

「己の分を弁えぬか! 百人長ごときが勝手な行動を取る事は許されん! 第一、州都が急所なのは当たり前であろう!」

「……ウィルム様は白黒ゲームを知りませんか? 私は結構上手いのですが。あれは角が急所ですよね」

「な、何をいきなり」


 唐突なその言葉に、ウィルムを始め、場にいる者達は面食らう。そんな空気を全く気にせず、ノエルは淡々と言葉を続ける。


「角を取ったからといって勝ちにはなりませんが、角を容易に見過ごしているようでは絶対に勝てません。どれだけ支配圏を延ばしても、後で全て引っくり返されてしまいます。――ですから」


 眼鏡を触りながらノエルは続けようとした。と、それを遮るように笑い声が響き渡る。子供の遊戯に例えた話を聞いた武官の殆どが、嘲笑、或いは苦笑する。

 ノエルは言いたい事は言ったからもういいやと考え、特に反論することなく引き下がる。リグレットを真似て舌打ちしそうになったが、シンシアに怒られるからやめておく。なるほど、こういうときに舌打ちはするものなのだ。一つ勉強になった。

 本当はもっとはっきりと言ってやりたいのだが、残念なことに証拠がない。だから、言えない。でなければ、こんな遠まわしには言わない。もっと偉くなりたいなぁと、ノエルは思った。


「ふん、実に馬鹿馬鹿しい話を聞かされたものだ。戦はゲームなどではない。命を削り、己の血を流してようやく勝利を得られるのだ! 太守、このような者の言葉、決して聞き入れてはなりませんぞ。多少腕は立つようですが、所詮は卑しい出自の者です!」

「左様、かような発言を認めては我らコインブラ騎士の恥となります! いや、百人長などという地位も既に分不相応かと!」


 ウィルムに続き、ガディスが罵倒する。ノエルは両者を見据え、再び俯いた。


「そこまで言わずともよかろう。ノエルは騎士になってからまだ日が浅いのだ。……ノエルよ、これから学んでいけば良いのだ。お前は私の命令に従い考えを述べたに過ぎぬ。今の事は気にするな」


 ノエルの武勇を買っているグロールは擁護の言葉を掛ける。それを甘いと感じた武官の一人が進言する。


「……太守、カルナス城塞は落としたのです。この際、ノエルを更迭なされてはいかがでしょうか。最早この者は必要ありません」

「その必要はない。あまり出すぎたことを申すな!」

「も、申し訳ありませぬ!」


 グロールが一喝すると、武官は慌てて謝罪して引き下がる。


「……だが、今後は命令に反することは許さん。ノエルよ、ディルクの言葉には必ず従うようにせよ。ディルクの忠実な働きぶりは必ずや参考になるはずだ」

「了解しました!」


 グロールが釘を刺すと、ノエルは立ち上がり敬礼した。約束するとは言っていない。言っている言葉は理解しましたという返事に過ぎない。できない約束を強要されそうなときは、言葉を濁して曖昧に対処する。ノエルの処世術である。

 



 軍議の間から退出すると、ノエルはシンシアに即座に呼び止められる。首根っこをつかまれて、城塞地下、使用人の部屋だったと思われる場所に強引に引きずりこまれた。


「馬鹿者が! 本当に、お前の頭には何が詰っているのだ! 折角大手柄を立てたというのに、あれでは全てが台無しではないか! こんなことにならぬようにお前に教育を施していたというのに!」

「考えを述べろって言うから、素直に言っただけだよ。凄い馬鹿にされちゃったけど。皆から嫌われるっていうのも、珍しい経験だよね。えーと、針のむしろってやつだっけ?」


 あははと、ノエルが頭をかくと、強烈な拳骨が飛んできた。今度は手加減なしだ。


「軍議の場で、白黒ゲームを例えになど出すからだ!」

「シンシアはあのゲーム弱いもんね」

「大馬鹿者ッ!」


 拳骨ではなく頬を抓られた。本気で怒っているときはこれである。心から反省するまで解放されることはない。ノエルは心の底から反省していますと情けない顔をする。だが離してくれない。両手を挙げて降参を示すが、駄目だった。

 一分後ようやく解放された。きっと、頬は赤くなっている事だろう。シンシアはすまなそうな顔をしている。


「痛たた。反省してたのに」

「す、すまん、ついさっきのことを考えてしまって」


 人の頬を抓りながら考えないで欲しいと思ったが、ノエルは黙っておいた。なんとなくだが、怒られる気がする。


「さっきのこと?」

「……うむ。お前の意見が万が一事実なら、大変なことになると思ってな」

「他に良い例えが思いつかなくて。何の証拠もないただの憶測だしね。馬鹿にされるのは慣れてるからいいんだけど。でも、なんか苛々するのはどうしてだろうね」

「……それが、当然の感情だ。あのような扱いを受ければ、私とて腹を立てる」


 そう言って大きく息を吸い込むシンシア。


「シンシア?」

「いや、もっと怒ってもよいぐらいだ! お前の働きを直に見た者ならば、あのように嘲笑うことなどできなかろうに! ああッ、本当に悔しい、やるせない、腹立たしいッ! 大体なんなのだあの言い草は!! ノエルの意見を考慮すらせず一蹴するとは! 本当に敵の罠であったならば、我らは窮地におちいると言うのに!」


 シンシアが近くにあった棚を、篭手つきの拳で粉砕する。ノエルよりも怒りが激しいらしい。かなりの大声が響き渡るが、幸い人は近くにいないようだった。かなり際どいことを言っていることに本人は気づいていない。ノエルを信じるということは、ウィルムの報告が嘘ということになる。


「ね、なんでシンシアが怒ってるの?」

「友を侮辱されれば怒るのは当然だ!! やつらが上官でなければ半殺しだ! 自分達はカルナス攻略に失敗した分際で!」


 シンシアは顔を真っ赤にして地団太を踏んでいる。ノエルは目をまん丸にしてそれを眺めていた。

 友――友達。ノエルはシンシアのことをそう思っていたが、シンシアもそう思っているかは分からなかった。それが確認できたノエルはなんだか嬉しくなったので、先ほどのムカつきは完全に消えてなくなった。


「本当にありがとう、シンシア。私の事で怒ってくれる人なんてはじめてだから、ちょっと嬉しいかなぁなんて」

「そういう問題ではない! この収まらぬ憤りを私はどうすればよいのだ!」

「あはは、一度深呼吸して落ち着こうよ。大丈夫、まだどうなるかは分からないし。コインブラにはシンシアと若君がいるし。コインブラが勝てるように、一生懸命戦うよ。私は絶対に、約束を守る」


 ノエルは鼻息荒いシンシアの肩を宥めると、穏やかに微笑んだ。

 ノエルには政治のことは良く分からない。だが、バハール領に攻め込んでしまったのは悪手だと分かる。奇襲のつもりで攻めかかったのだろうが、相手は完全に待ち伏せているだろう。そうなるように仕向けた敵の作戦勝ちとも言えるが。

 有り得ないだろうが、これがノエルの考えすぎだったのならば話は簡単だ。このまま進めば勝てる。だがそうはならないと思う。


「……お前は、変な所で大物ぶりを発揮するな。馬鹿なのか、頭が良いのか本当に判断に悩む」

「あはは、褒めてくれてありがとう」

「別に褒めていない」


 先ほど、ノエルはシンシアのために言葉を選んだ。『その密偵の報告は、本当の本当に正しいのですか? ウィルム将軍が捏造した可能性は考えましたか?』、などと言えば、ノエルの教育係であるシンシアをも巻き添えにしてしまう。だから、やめておいた。それぐらいのことは、ノエルにも判断できる。ノエルは逃げ出せば良いが、シンシアはそうはいかない。

 相手を強引に盤上に引き上げる急襲策は却下されてしまった。かといって、このままのんびりしていたら、敵の思惑通りに事が進んでしまう。特に、コインブラを勝たせたくないらしいウィルムが、自分に目をつけている。腰の鉄槌に手が伸びそうになるが、ぐっと堪える。

 ――世渡りというのは、本当に難しい。


「あーあ、なんだか天気もいまいちになっちゃったね」

「一雨来るだろうか。行軍に影響がでないと良いが」

「それは大丈夫じゃないかな。そういう感じじゃないし」


 先ほどまで照り付けていた太陽は、薄黒い曇に覆われて掻き消えてしまった。だが、まだ雨は降っていない。

 




 

 ノエルが野営地に戻ろうとすると、見知った顔が二人ほど目に入った。一人は痩身で厳しい顔つきの中年。先ほどノエルの命令違反を厳しく批判したディルク千人長だ。傍にいるのは、ノエルの部下のバルバスである。

 そのまま通り過ぎても良かったが、一応挨拶しようと考えて近づいていく。上官への挨拶は忘れるなと、シンシアに厳しく躾けられている。


「ディルク千人長、先ほどは申し訳ありませんでした!」

「ああ、ノエル百人長か。いや、謝罪したいのはこちらの方だ。あのように辱めるつもりはなかったのだ。ウィルム様を始め、ガディス様も貴官を毛嫌いしているようでな。あの方々が北部の者に冷たいのはいつものことだが、それにしても今回は酷かった」

「北部、というと?」

「ああ、貧しい北部出身者は見下されるのが常でな。コインブラの要職を占めているのは南部の者ばかり。貴官もゾイムの出身と聞く。つまりはそういうことだ」

「…………」


 なるほどと、ノエルは思った。だから皆自分のことを見下していたのだろう。リグレットがあからさまに不服そうな顔をしたのも、それが根底にあるのかもしれない。

 隣のシンシアもつらそうな表情だ。そういうことがあると、教えたくなかったのかもしれない。だが、ウィルムとガディスが自分を嫌うのはそれだけが理由ではないだろう。


「手柄を立てたというのに、すまなかった。私も場を選ぶべきだった。そのことで、丁度バルバスに文句を言われていたところだ」

「そりゃそうだぜ。折角ノエル隊長が大手柄を立てたってのに、アンタのせいで水の泡だ。しかも屑どもに馬鹿にされるなんてありえねぇ。ったく、南のお偉方は何の不満があるってんだ!」

「手柄を上げれば、全てが許されるという訳ではない。南北出身を問わずな。それが軍というものだ。中にはそう考えない者もいるようだが、私は見逃す事はできない」

「この石頭め! だからいつまでたっても千人長どまりなんだ。一応は貴族様のくせによ!」


 バルバスが舌打ちして白髪頭を掻くと、ディルクが苦笑する。言葉遣いはかなりひどいのだが、特に気にしている様子はない。もしかすると、ノエルとシンシアのような間柄なのだろうか。


「所詮は没落した家柄、それにかまけて生き方を変えるつもりはない。……ああ、この男とは顔見知りでな。鉱山地帯が賑わっていた頃からの腐れ縁だ。ちなみに、先日までは私が白蟻党の討伐任務を請け負っていた」

「手心を加えてくれると思ったら、とんでもねぇ。ま、お堅い性格だからこっちもやりやすかったけどな」

「もうすぐで殲滅できたものを、本当に運の良い奴だ」

「何言ってやがる。苦戦続きで更迭寸前だったじゃねぇか!」

「この戯け者め! あれはお前達を油断させるための演技、苦戦していた訳ではないわ!」


 ディルクがバルバスの背中を勢いよく叩く。


「二人は、仲が良いんですね」

「ったく、本気で殴りやがって。ただの腐れ縁って奴です。まぁ、本気で殺し遭ってた訳じゃない。この親父は、俺たちを出来る限り生かして捕らえようとしていたんだ。だから、俺たちはそこにつけ込んだのさ」

「同じコインブラ人、殺しあう必要などどこにもないと私は信じていた。……しかし、まさか、この悪党どもがコインブラに仕えることになろうとは夢にも思わなかったが。それだけ、貴官に信服しているということだろう。この乱暴者を従えさせた手腕、実に見事だ」

「ありがとうございます!」

「……うむ。ところで、貴官はシンシア上級百人長と懇意にしているようだが」

「はい!」

「真に分かり合える友というのは得がたいもの、その縁、大事にするようにな」

「はっ、大事にすることをお約束します!」


 ノエルは背筋を伸ばして敬礼した。シンシアは外に出てからの初めての友達。ミルトや村の皆は大事な仲間だったが、友達ではなかった。

 コインブラに来てから味方は一杯増えた。仲間はノエルの回りにいてくれる。だけど友達はあんまりいない。だから、できた友達は大事にしたいとノエルは思った。


「返事が元気で実に宜しい。……もしも、軍の作戦方針について何か考えがあるならば、今後は私に申し出ると良い。貴官の武力は、確かなものと心得ている。信じない者もいるようだが、偶然や奇跡で敵将の首は取れまい。貴官は若く、未来もあるのだから、功を焦る必要はない」


 そう言ってノエルの肩を優しく叩いてくる。ノエルは出世がしたくて焦っている訳ではなかった。勝つために最善だと思うことをしただけだ。だが、それは認められなかった。太守たちは、将軍のウィルムの意見のほうが正しいという認識でいる。

 こういう場合は、どうすれば良いのか。ノエルには分からない。ノエルの手勢は、白蟻党が五百に、兵卒が二百のあわせて七百人。これではベスタを陥落させることはできない。だから、ノエルは正直に自分の考えを述べた。


「ディルク千人長、明日は私の隊に、敵の残党の追撃を命じて頂けないでしょうか」

「残党追撃、か。……だがそれだけではないのだろう。また抜け駆けをしようと考えているのか?」


 眉を顰めるディルクに、ノエルは懐から地図を取り出し、ある地点を指し示す。


「はっ、山岳地帯にあるラインの街、その周辺の“屯所”を襲撃したいと考えていました。どうかお許し頂けないでしょうか」


 ノエルは黙ってここを狙うつもりだったが、ディルクに許可をもらうことにした。バルバスの友ならば、もしかしたら分かってもらえるかもしれないと思ったから。


「その辺りは我らの制圧予定には入っていない。ベスタまでの道を着実に固めろというのが太守のご指示でもある。今のは、それを踏まえた上での発言か?」

「はい。ここを攻撃する事は、決して無駄になりません。戦略的に無価値に見えますが、敵の背後を脅かすことで心理的に追い詰めることもできます。目障りな屯所を今の内に焼き払って置けば、後の侵攻にも役立ちます」

「……よし、分かった。私から太守に申し上げておこう。だが、隊に壊滅的な被害を出すことは避けるように。あくまで牽制程度に留めるのだ。カルナスを落とした英雄が敗走したなどと、噂が立つのはまずい。役目を終えたら、すぐに帰還せよ」

「はっ、了解しました!」


 隣のバルバスとシンシアは良く分からないという顔をしている。だが、ノエルにとっては極めて重要なことだった。

 ラインの街というのは、街道から外れた場所にある小さな都市だ。背後にはバルケス山脈が連なっている山麓の街でもある。ちなみに、街道を更に東に行くと、三街道の合流地点である交通の要衝トリドの街、それを越えて東進すれば、州都ベスタにたどり着く。

 トリドは要衝ということもありそれなりの防御力を備えるが、ラインはそうでもない。山岳地帯の町であることを除けば、取り立てて特徴のない拠点である。

 ノエルの狙いは、ここを落として足がかりとし、一気にバルケス山脈を越えてベスタを襲撃することにある。この地理関係を見る限り、地元民だけが知るような抜け道はあるはずだ。もしなければ、強引に押し通るまで。それが可能な事は、ノエルがあの教会から逃げおおせる際に証明済みだ。人間、やろうと思えばなんでも出来る。自分にできて、他の者にできないはずがない。


 山を無事越えた後は、収穫前の田畑、ベスタの城下町に火を放ち大半を灰燼とするのだ。それで、息を潜めている連中を炙り出せる。万が一主力が近くにいて、慌てて防御の為に出てきてくれでもすれば儲けもの。少数なのを活かして再び山を越えて撤収すれば良い。

 そうなれば、なんとか決戦に持ち込むことができる。決戦で狙うのは敵の撃破ではなく、戦いを長期化させての泥沼化だ。両者甚大な被害を出すだろうが、一方的な敗戦ではない。痛みわけでも恩の字である。そのためにも、ラインは落とさなければならない。

 これらを正直に話したとしても、誰も真面目に聞いてくれないのは先ほどの件で分かっている。ウィルムに馬鹿にされるのが関の山。あれはコインブラが有利になることが気に入らないらしい。本当に頭をかち割ってやりたい。


 ――という訳で、ノエルは黙って勝手にやることに決めた。シンシア、エルガーとの約束を守るためには、仕方のない事だ。彼らと一緒に幸せを探していくには、コインブラが健在でなくてはならない。ノエルと違い、身一つで逃げられるような性格ではないだろうから。

 一番の問題は、手勢の七百人だけで出来るかどうかだが。それはノエルと皆の頑張り次第であろう。


「なんたる気迫。うむ、次なる戦いに向け意気込んでいるようだな。バルバス、お前の隊長は実に勇ましいな」

「そりゃそうだぜ。敵兵から何て呼ばれてると思う? へへっ、聞いて驚くなよ? ――悪鬼だぜ、悪鬼。そのうち、バハールの連中は悪夢にうなされる事になるだろうよ」

「戦場の悪鬼か、なんとも恐ろしいこと。いや、頼もしいと言うべきか。鬼といえども、我が娘と変わらぬ年頃、戦が終わったらそちらの方も紹介せねばなるまいな」

「ディルクのおっさんよ、そりゃ余計なお世話だろ」

「なにを言うか。騎士といえども、子をもうけ、次の時代に名を継がせていくというのも大事な使命。忘れてはならんことだ」

「まーた小言がはじまりやがった。お節介のお見合い親父め!」

「お前は口の聞き方を少しは直すようにせよ! 軍人になったのであろうが!」


 バルバスとディルクが文句をいいながら、強めに小突きあっている。なんとなくだが、どこかで覚えのある光景だ。

 見ていて面白いので飽きないが、やる事が他にもあるのでノエルは立ち去る事にした。やる事というのは二つ。――ご飯を食べて、明日に備えてさっさと寝る事だ。なんだか天気もよくないので、それが一番である。

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