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第二十一話 悪鬼

 ――夏も盛りを迎えようとする頃。コインブラ太守グロールは、帝国全土に檄を飛ばすと同時に、バハール州へ宣戦を布告した。檄文の内容は次の通りである。


 一つ、卑劣な策を弄して賊を煽動し、コインブラの民を殺戮したアミルの罪は決して許されるものではない。

 一つ、少しでも恥を知る者、ましてや貴族の一員であるならば、その罪を潔く認め許しを乞うのが当然である。しかしながら、罪を認めぬばかりか、厚顔にも昇陽の儀を行なうなどと妄言を吐く始末。断じて許しがたい。

 一つ、太平の世において過剰なまでに軍備を増強し、コインブラに対し挑発行為を繰り返していたのは、武力をもって己の非道な野望を正当化し、正義の声を屈服せしめんと企んだからである。

 一つ、皇帝陛下はかねてよりアミルの所業を憂慮しておられた。近頃では、アミルに内通した奸臣どもの専横により、悲嘆の声を上げることすら封じられている。

 一つ、不肖ではあるが、偉大なる太陽帝ベルギスの末裔たるこの身としては、アミルの非道を見逃すことはできない。

 一つ、我らコインブラ州臣民は、奸賊アミル、及びその一党に対し宣戦を布告し、彼の者の凶行を阻止すると共に帝国の禍根を取り除くべく行動する。我らの正義に同調する者は、奸賊共を撃滅するための行動を、即座に実行すべし。

 



 グロールはコインブラのほぼ全軍を率いて州都マドレスを出発、カナン街道を東進する。その数はおよそ五万。マドレスには留守部隊として五千を残している。総勢五万というのは正規兵と臨時に徴兵された兵を併せた数であり、コインブラの持つ戦力を総動員したといえるだろう。練度、士気はさほど高くないが、数だけはかなりのものとなっている。

 海上方面はロイエ率いる船団が、バハール所属の軍船を牽制するために出港した。本来ならばリベルダム海軍にも警戒しなければならないが、密約により交戦を回避できる算段がついている。警戒すべきは、リベルダム港に滞在するバハール軍船のみ。リベルダムに中立を維持させることで、コインブラは陸上に主眼をおいて行動することができた。




 グロールは城壁から不安そうな顔で見送っているエルガーに手を上げる。留守部隊は老兵、傷病兵を中心とした者達である。指揮官には一応ペリウスを置いてはいるが、実際に戦うことはないだろう。いわゆる飾りである。

 グロールは後ろ髪を引かれながらも馬首を返し、隣に並ぶウィルムに話しかける。


「ウィルム、檄文は間違いなく各州へと出したのだな?」

「はっ、早馬を出しました故、今頃は各州太守の方々に届いていることかと。グロール様の決意は、必ずや伝わるかと。大義は我らにありますぞ」

「リベルダムの動きは?」

「異常はありませぬ。先の約定通り、彼らは中立を守っております」

「――よし、もはや後には退けん。なんとしてもカルナスを攻め落とし、バハール領に押し入るぞ。初戦が最も肝心であろう」

「我らにお任せあれ。バハール領主達を切り従えながら、バハール州都ベスタへ、太守をお連れ致しますぞ。既に何人かは調略も完了しております。カルナスを落として我らの力を見せつければ、調略は更に順調に進むでしょう」

「流石はウィルムだ。……思えば長き付き合い、迷惑の掛け続けであったな。すまぬが、今回も私に力を貸してくれ」

「もったいないお言葉。このウィルムめも、太守にお仕えできて果報者にございます」

「……うむ、頼りにしている」


 ウィルムの言葉に感極まるグロール。そして、前方を行くガディスの隊列を指差す。


「はは、見るがよい。ガディスめも気張っているようだ。奴はロックベルでの失態を、ここで一挙に晴らすつもりなのだろう」

「ガディス殿も、先の太守の演説を聞き、覚悟を決めておられました。此度は、死力を尽くして戦われるかと」

「実に頼もしい事だ。今まで私は天運に見放されていたが、家臣には恵まれていたようだ」


 グロールは上機嫌に笑いながら、先頭を進む集団を眺める。コインブラ五万の軍勢は、ガディス隊を先頭に威風堂々行進している。風にたなびく天秤の旗の群れが、実に壮観だ。後ろを見れば、兵を養うための大量の物資、そしてカルナスを始めとした多数の城を攻め落とすための攻城兵器が付き従う。大半が友邦のゲンブ、ギヴからの援助によるものだ。

 大軍のため進軍速度はあまり速くはないが、特に問題はないとグロールは判断している。


(布告文が届いたとき、アミルめはさぞ慌てふためくであろう。だが、その時は既に手遅れだ)


 昇陽の儀を執り行う際は、持ち得る限りの兵を率い、皇帝に披露しなければならない。密偵の報告によれば、貴族、商人たちを集めて式の準備にかかりきりとのこと。実に腹立たしい限りだが、今となってはむしろ好都合である。

 バハールの危機を聞けば、全力で引き返してくるであろうが、それも無駄なこと。帝都フィルーズからバハール州都のベスタまでは、どんなに急いでも二カ月はかかる。帝都に駐留しているバハールの主力が、いかに精兵揃いだとしてもだ。

 戦支度を考えれば三カ月の余裕はみてもよいだろう。それだけの時間があれば十分である。バハール領主達を降し、ベスタを陥落させることなど容易い。後は焦らなければ良い。焦って、寡兵の敵に敗退を喫するような真似は、絶対に避けなければならない。コインブラは弱兵という不快な評判を信じる者は、いまだに少なくないのだ。一度の敗戦で、バハール領主がこぞって抵抗するようになれば目もあてられない。

 重要なのは、確実に足元を固めながら慎重に兵を進ませ、アミル一党を完膚なきまで粉砕する。これが今作戦の方針である。


「太陽神もようやく私に味方してくれた。足元を掬われたアミルの面子は丸潰れ、皇太子の話は掻き消える。無謀にも決戦を挑んでくるようならば悉く粉砕してくれるわ!」


 強行軍で疲弊しきった軍勢など、赤子の手を捻るより容易い。どう転ぼうとグロールの勝利は揺るがない。


(一言でも謝罪があれば、私は許したかも知れぬ。だが、もう遅い。アミルよ甘んじて己の罪を受け入れるが良い!)


 グロールは汗を拭うと、掛け声を発して街道を駆け始めた。慌てて親衛隊が続いてくる。


「これはアミルに鉄槌を下す正義の戦だ! 手柄を立てた者は、階級の区別なく望みの褒美を授けようぞ!」


 兵達を鼓舞すると、大歓声があがる。士気は旺盛、大義は我らにある。グロールは危篤状態のサーラの顔を思い浮かべた後、剣を掲げて兵の声に応えた。

 



 ――コインブラ軍の進撃が始まった。

 バハール州境に設けられている関所を、力攻めで難なく突破すると、コインブラ軍はカルナス城塞へと迫った。カルナス城塞は大陸統一前に建築された要塞で、その堅固な守備力は現在も健在だ。

 とはいえ、現在のバハール守備隊の数は千人に満たない。バハール軍の主力は、帝都にいるのだから。

 カルナス城塞からの抗議の使者を追い返すと、グロールは全軍に総攻めを命令した。


「カルナスは堅固と名高い要塞だが、我らを止めることは決してできぬ。コインブラの強さを思い知らせよ!!」



 栄えある先陣、攻城部隊第一波は汚名返上を狙うガディス将軍。その数は一万人である。まずは様子見と、破城槌を持たせた隊を繰り出して攻めかかる。だが、実戦経験の少ない兵が多く、いざとりつく段になると及び腰になる者が続出。そこを城壁から狙い討たれ、先陣の隊は阿鼻叫喚の様相となった。

 そんなことを何度か繰り返した後、ガディスはようやく本隊を投入、櫓を用いての攻城を開始した。

 


 ディルク千人長の指揮下に入れられたシンシアとノエルは、攻城部隊第二波として兵を並べて待機していた。

 第二波のディルク、他の千人長を組み合わせた八千名は、後詰的なものとして考えられている。グロールはお気に入りのノエルを、第一波の先陣に組み込もうとしたのだが、ガディスに『先陣を新参者に取られるなど、コインブラ軍の恥辱となる』と断られてしまった。ウィルムや他の武官もそれに同調したため、グロールも、ならばガディスに一任すると頷いたのだった。

 だが、ガディスが攻め始めてから本日で三日目。第一陣の兵達の疲労と消耗も高まっている頃合だ。グロールの忍耐もそろそろ制御がきかなくなってきていた。


「しかし、敵もかなり粘るな。今日こそは決まると思ったのだが」


 シンシアがしかめっ面で呟くと、ノエルがそれに応える。


「時間稼ぎが目的なら、最後まで死力を尽くすだろうね。多分、全員決死隊じゃないかな」

「決死隊?」

「そう。ここで少しでも時間を稼げば、きっと良い事があるんだよ。ほら、どこかの国の諺に、時は金なりっていうのがあるでしょう」


 なぜか眼鏡を掛けているノエルが、知ったような口をきく。本性を知らなければ、知性溢れる女参謀と見間違えてしまうかもしれない。残念ながら、シンシアはその正体を知ってしまっている。本当に残念だった。


「良い事、か。敵の狙いが何なのか、お前にはわかっているのか?」

「ううん、さっぱり分からないよ。なんだろうね」


 あっけらかんとしたノエルに、一瞬あっけにとられるが、すぐに気を取り直す。いつものことなので、気にしていたら日が暮れてしまう。なにより、今は戦の最中だ。


「聞いた私が馬鹿だったようだ」

「あはは、本当だよね」

「お前が言うな!」


 一発拳骨を落すシンシア。その拍子にノエルの眼鏡がずれ落ちそうになると、ノエル隊の兵たちから笑いが漏れる。シンシアは咳払いして緊張感のなさを咎めつつ、ノエルに話しかける。


「……ところで、なんで眼鏡をかけているんだ」

「まだ戦わなくて良いみたいだから。たまには知性を強調してみようかなって」


 それを聞いた兵たちが思わず吹き出す。知性のある人間はそんなことを言わない。こんな様では兵の指揮など覚束ないだろうと、シンシアは不安だったが杞憂に終わった。女の指揮官というだけで舐められてもおかしくないのだが、ノエルはよく隊をまとめている。荒々しい白蟻党が隊の大半を占めるというのに、彼らは大人しくいう事を聞いていた。

 シンシアも当初は本当に苦労させられたので、それだけは褒めてもよいかもしれない。調子に乗るので、今は褒めないが。


「……気に入っているのはわかったから、兜をつけていろ。ここにも、流れ矢が来るかもしれないんだぞ!」

「んー、暑くて頭が蒸れるから、いらないかな。それにほら、お日様の光を浴びると、気分がいいし。その点、眼鏡はあんまり邪魔にならないもんね」


 ずれた眼鏡を得意気に持ち上げるノエル。悔しいが様になっている。

 確かに、この夏の日差しは強烈でとても暑い。汗を拭っても拭ってもキリがない。この時期に鎧兜を着て長時間の戦闘というのは拷問に近いものがある。徴兵された兵たちからすれば、何を言っているんだという話であろうが。彼らの防具は粗末な皮鎧と質の悪い兜、武器は数打ち物の剣や槍だ。防具に関しては、本当にないよりはマシな部類である。


「だが死ぬよりはいいだろう。兜が嫌なら、せめてこの額当てをつけていろ。ほら、動くな!」

「えー、私はいらないって。ね、ちょっと」


 もがくノエルを押さえ、頭に鉄の額当てを強引に巻きつける。防具としては頼りない事このうえないが、眉間への致命傷は避ける事ができる。


「これでよし。うん、中々似合うじゃないか」

「うーん、なんか落ち着かないけど、一応ありがとう。これ、大事に使うね。また宝物が増えちゃった」

「大事に使わなくていいから、命を第一に考えろ」

「あはは、戦争なのに無理を言わないでよ」


 ノエルは苦笑しながら額当てを確認するように触る。ノエルの装備は、額当てに眼鏡、動きやすい軽鎧、腰には鉄槌を携え、その手には漆黒の二叉槍が握られている。一般兵とは明らかに異なる装備、そして特徴的な赤毛はさぞ戦場で目立つ事だろう。目立つという事は、敵に狙われやすいということだ。


「ノエル隊長、ありゃ今回も駄目ですな。寄せるのに完全に尻込みしちまってます」


 ノエルの後ろに控えていたバルバスが、遠眼鏡で覗きながら呟く。シンシアも副官から遠眼鏡を借り受けると、カルナス城塞を確認する。


「あれでは格好の的ではないのか。何故一気に城壁を上らないんだ」

「そりゃ、一番に突っ込んで死ぬのはご免でしょうな。かといって、城門の方も当然防御が堅い。ま、相手は待ち構えてるんだから、どこを攻めてもこっちの犠牲は増えますわな」


 城門に取り付いた兵は破城槌で突破しようとしているが、極めて悲惨な状態に陥っている。門の上に開けられた穴から煮えたぎる油が撒き散らされ、その上で火矢が打ち込まれるのだ。逃げようとした者には城壁から狙い済まされた矢が打ち放たれ、容赦なく射殺されていく。

 城壁を乗り越えようとしている隊はどうかというと、こちらも全く捗っていない。先頭を行くのは当然、身分の低い兵たちだ。強引に駆り立てられた兵に高い戦意を求めるのは酷であろう。攻城梯子を設置する作業にてこずり、上から浴びせられる矢で釘付けにされてしまっている。

 第一波の攻城部隊を指揮するガディス将軍も、これではどうしようもないだろう。しかも危険を避ける性分が裏目に出てしまっている。総攻めの命令とはいえ、初戦で大きな犠牲を出すのは避けたいはず。攻勢を続ける事で敵の士気を挫き、門を開けさせたいのだろうが。

 もしくは、城外に伏兵が潜んでいる可能性を考慮しているのかもしれない。時折、要塞内部から狼煙が上がるのだ。ガディスはその度に角笛で兵を戻し、警戒態勢を敷いた。コインブラの戦術書には、攻城時は強攻を避け、また城外との連携に注意せよと記されている。それを遵守した堅実な戦法だが、これではいつまでたっても要塞を落せない。

 ――とはいえ、シンシアが指揮官だったとして上手くいった気がしない。机上での計画と、実戦とでは全く違う。


「ね、総攻めの命令のはずなのに、なんで小出しにするんだろうね。しかもちょくちょく後退させてるし」

「……兵の損害を極力避けたいのだろう。圧力をかけることで、自ら門を開けさせるのを狙っているのだと思う」

「一人が死んだら十人、十人が死んだら百人、それも死んだら千人で攻め続ける。総攻めならそれが当たり前なのに?」


 ノエルが心底不思議そうに首をひねる。


「そりゃ、誰だって死ぬのは嫌ですからね。腰がひけるのも無理はありません。お前から死ねと言われて、素直に行く馬鹿はいませんぜ」

「でも、結構死んでるみたいだけど」

「……いや、まぁ、そうなんですがね」

「何かさ、出し惜しみしているような感じだよね。攻め方もやる気を感じられないし。もしかして、落とす気がないんだったりして!」

「何を馬鹿なことを。大事な初戦だ、ガディス将軍が慎重になるのも無理はない」

「うん、そうだよね」


 ノエルが適当に相槌を打つ。


「それと、問題になりそうなことはあまり言わないようにしろ。それでなくてもお前の出世の早さを妬んでいる者もいるんだ。敵を増やす事はない」


 ノエルは気にしていないようだが、聞くに堪えない罵詈雑言はあちこちから聞こえてくる。中にはすれ違いざまに嘲笑する者もいるほどだ。その全員がウィルム派であり、ノエルは完全に目をつけられてしまっている。

 階級が下の人間の場合は、その都度注意をするのだが、上の場合はそれもできない。


「隠れて私の悪口を言う人多いもんね。その点リグレットは面と向かって言ってくれるからいいよね!」


 ノエルがリグレットに笑いかけると、凄まじい舌打ちの音が聞こえた。


「シンシア様、馬鹿のいうことは放っておいた方が宜しいかと」

「……う、うむ」


 シンシアは言葉を濁して聞かなかったことにした。


「それと、先ほどの話ですが、私達コインブラ軍に攻城経験のある者などいません。ですから、ガディス将軍が躊躇うのも無理はないかと。ここは包囲を続け、降伏を迫るのが正解です。将軍もそのおつもりなのでしょう。どこぞの、脳内お天気娘や白髪猿ではないのですから、私達は頭を使うべきです」


 リグレットが口元を歪めながら、ちらりとバルバスに視線を送る。


「てめぇ、そりゃ俺と隊長のことか!」

「さぁ、心当りがあるなら、きっとその人なんじゃないかしら。猿どころか、ノエル隊長でも分かることよね」


 リグレットが他人事のように言う。バルバスが敵意を込めて睨みつけるが、怯むどころか逆に睨み返すリグレット。ノエルがいなければ、本当に殺し合いになりそうなほどの険悪さである。


「隊長、この糞女本当にやっちまいませんか? そうだ、この女を盾に貼り付けて前進しましょうや。進軍ラッパ代わりにさぞ囀ってくれますぜ」

「できるもんならやってみなさいよ。あー、本当に思考が野蛮で嫌になるわ。それと、お願いだから口を塞いでおいて。卒倒しそうだから」

「はい、仲良く遊ぶのもそこまで」

 二叉槍を地面に突き立て、言い合いを強引に遮るノエル。その勢いに気圧されて両者は口を噤む。


「バルバス、リグレット。私達はまごついたら駄目だよ。無駄死にしたくなかったらね。あと、味方同士で足を引っ張るようなことをするのもね」

「も、申し訳ありません」

「ふん、私は謝罪するようなことをした覚えはないわ。第一、コインブラが誇る偉大な英雄のノエル隊長なら、まごつくことなく最前線を行くんでしょう?」


 慇懃無礼にノエルを挑発するリグレット。毎度のことだが、この喋り方にシンシアは慣れることができない。会話の中に、皮肉、嫌味、自分をことさら卑下したりと必ず負の感情を入れてくる。

 それを気にすることが全くないノエルは本当に大物である。自分ならば、即座に副官の転属依頼を出すであろう。


「リグレット、私が合図したら突撃ラッパをかき鳴らして。その後は、弓兵で攻城部隊の援護を宜しく。バルバスは白蟻党を連れて一気に攻城梯子を掛けてね。私が皆の先頭を行くから、その後に続けば良いよ」


 ノエルが腕組みをして、淡々と命令を伝える。だが、城塞を睨みつけるノエルからは強烈な殺意を感じる事ができる。かつて、ノエルと対峙した際に感じたものと同様の類だ。


「あ、貴方、本当に先陣を切るつもり? 頭だけじゃなく目までおかしいんじゃないの! 真っ先に矢に当って死ぬわよ!」

「隊長、この馬鹿女の言う通り、危なすぎます。俺が行きますんで――」

「あはは、その大きな体じゃ上にたどり着く前に針ねずみだよ。私は結構素早いからね。一気に駆け上って守将を討ち取り、邪魔な弓兵を蹴散らせば落としたも同然。そうでしょ?」

「ま、待てノエル! 抜け駆けは厳禁、歩調を合わて攻めるとディルク千人長から言い付かっているんだ! 我らだけ突出するわけにはいかないぞ!」


 シンシアは慌てて制止するが、ノエルは全く聞く耳を持たない。


「歩調を合わせてるだけじゃ要塞は落ちないよ。味方が無駄に死ぬのを見てるだけなんて、私は嫌だな。シンシアもそう思わない?」


 どうしたものかとシンシアは悩む。言っている事は分かるが、命令違反なのは確実。とはいえ、カナンの戦いでは命令に違反したことで太守の命を救う事ができた。それに、ノエルの戦闘力の高さは疑いようがない。ここは、シンシアの隊もノエルと同調するのが良いのかもしれない。


(総攻めで城塞を落せという太守の命令には、確かに違反していない。ならば、なんとかなる……のか? うーむ)


 シンシアは真剣に悩みながら、考えをめぐらせる。ノエル隊は白蟻党が五百、それに最近徴兵された者を合わせて七百余り、シンシア隊は正規兵が千人だ。総勢千七百での一点突破はかなりの威力があるだろう。


「……よし、ならば私も乗ろう。このままでは一週間経っても落ちそうにない。こんな入り口で手間取っていては、ベスタ攻略など夢物語だ」

「やったね。今回もきっと成功するよ。シンシアと一緒のときに、負けたことは一度もないもんね」


 ノエルが心から嬉しそうに微笑んだ。

 その時、低い角笛の音が戦場に鳴り響く。第一波の隊への撤退の合図。ディルク千人長の隊から、進撃の戦鼓が打ち鳴らされる。ガディス隊と交代して前に出なければならない。


「あーあ、折角覚悟を決めたのに無駄になっちゃったね。ま、歩調を合わせないから怒られるだろうけど」

「……私は少し安心したぞ。勝手に攻勢を掛けるのは重大な命令違反だからな!」

「あはは、よく言うよね」


 ノエルはそう言って二叉槍を地面から引き抜くと、頭上で数回転させてから城塞を指し示した。


「それじゃあ、行こうか。――ノエル隊、出撃するよ!!」

「応ッ!!」

「我らも行くぞ! 一気にカルナス城塞を攻め落とす! ノエル隊の連中に遅れをとることは許さんぞ!」


 シンシアも負けずに声を出し、部下に出撃を命じた。





 ――バハール軍、カルナス城塞。守備隊千人を率いるのは、ホスロ千人長だ。齢58ながら身体は剛健、何より、その壮烈な忠誠心は太守のアミルも認めるところであった。この場を最後まで死守する役目を、ホスロはその顔を紅潮させて強く志願したのだった。死を覚悟せねばならぬ壮烈な任務であることは承知の上だ。

 守備隊兵は全て古参の直卒のみで固められ、士気は大いに高揚していた。グロールからの降伏勧告を一蹴した後は、十倍に及ぶコインブラの寄せ手を頑強に跳ね返し続けていた。既に攻城戦が始まってから三日、本来なら一日ももたずして落城していてもおかしくはない。

 自ら弓を手にして戦うホスロは、擦れた声で怒声を上げる。


「耐えて耐えて耐えるのだ! ここで時を稼げば、アミル様の勝利はますます揺ぎ無いものとなる! 我らはそのために喜んで捨石となろうぞ!」

「ホスロ隊長の名を輝かしき太陽帝国の歴史に残すのだ! 一人でも多く逆賊を殺し、一秒でも長くここを守るぞ! 三剣旗の誇りと勇ましさを、逆賊どもに見せつけてやれ!」


 副官がバハールの旗を示して鼓舞する。大中小が交差する三本剣、これがバハールの軍旗だ。戦になれば、老若男女、誰もが剣を取るという意味を持つ。太陽帝に最後まで抗った最も勇ましき兵の歴史と栄誉を備えた誇り高き紋章だ。


「――逆賊め、死ねッ!!」


 ホスロは引き絞った弦を離し、城門にとりついているコインブラ兵の首を射抜く。敵は燃え尽きた破城槌を除去し、新しいものと交換しようとしているらしいが、動きが鈍い。


「矢を城門に集中させよ!」

「弓隊、放て!!」


 乱れ飛ぶ矢が及び腰のコインブラ兵の頭上に降り注ぐ。破城槌の残骸が城門を遮る障壁となってくれている。敵兵の様子を見る限り、命を張って障害を取り除こうという勇士はいないであろう。

 戦においては、物資、練度は重要だが、何より肝心なのは兵の士気を高く保つことである。兵の士気を高める方法はいくつかあるが、ホスロが実践してきたのは“常に部下と生死を共にする”ということだ。言葉だけでは人の心は動かない。行動で示す事で人はついてくる。そういうものだと、ホスロは信じてきた。


(篭城してから既に三日。後一週間程度もたせれば、ここの役目としては十分であろう。我が命と引き換えに開城しても不忠にはあたるまい。太守のご命令は、最低でも三日は死守せよとのもの。兵は予想以上の働きを見せてくれた)


 兵達の士気は非常に高く、降伏勧告の使者を叩き斬るほどである。指揮官として実に誇らしいことである。だが、任務を十分に達成してからならば、責める者は誰もいないはずだ。


(古参兵ばかりだが、助けられるのであれば、それが良い。例え今は納得できなくとも、アミル様と共に栄光の時代を歩けるのだから)


 ホスロが自らの意志を副官に打ち明けようとしたとき、右手側から耳を劈くような悲鳴が上がる。ホスロが慌てて視線をそちらに向けると、内壁に兵の身体が括りつけられていた。黒槍で腹部を貫かれた兵の腹部からは、夥しい量の血液と無残な臓器が溢れ出ている。次の瞬間、何かが弾けるような音と共に、一気に死体は炎に包まれる。人間の焼ける臭いが充満し、兵達の動きが僅かに鈍ってしまった。火矢でもないのに、何故火の手があがるのか。全く理解出来ない。


「な、なにごとが――」

「ホスロ様、敵の第二波が仕掛けてきました! 一隊が突入して――」


 城外から高らかなラッパの音が響き渡ったかと思うと、報告しようとしていた兵の頭が叩き割られた。散乱する脳漿と血液と共に現れたのは、血塗れの敵兵。手には長剣ほどの長さの鉄槌が握られている。


「コインブラ軍ノエル百人長、カルナス城塞一番乗り。やったね!」


 笑みを浮かべて名乗りを上げる若い女。額当てを身につけたその女の身体は真っ赤に染まっている。元来の赤髪は血飛沫を浴びたことで、妙に艶かしい真紅の輝きを放っている。


「こやつをただちに叩き落せ! 後続になだれ込まれてはならぬ!」


 兵達が槍を繰り出し、強引に落下させようと試みる。ノエルと名乗った女は槍をなんなくかわすと、それにあわせていくように、リズム良く鉄槌を叩き込んでいく。兵たちは悲鳴を上げる事無く、絶命する。

 たまらず弓を放とうとした副官にノエルは何のためらいもなく鉄槌を投擲した。恐ろしい勢いで放たれたそれは副官の頭蓋を粉砕し、そのまま兵の一団をなぎ倒していった。


「貴様、よくも我が部下をッ! 絶対に許さん!」

「そっちだって私の味方を一杯殺したんだから、おあいこでしょ。だって、これは戦争なんだから」


 まるで世間話のように返答してくると、内壁に突き立った黒い二叉槍を引き抜くノエル。二叉の先端を持つその槍は、見る者を自然と圧倒する。

 手強いと見たホスロは弓を投げ捨てると、腰に携えた愛剣を抜き放つ。今すぐこの女を殺さなければならない。城壁の一画を破られた事で、兵達に動揺が走っている。わずかな穴でも、城を守る際には致命傷となる。寡兵ならばなおさらだ。一度挫けた士気を上げるのは至難の技、ここで絶対に抑えねばならない。


「コインブラの兵にしては勇敢なようだ。だが、お前のような娘を駆り出さねばならぬほど、人材に困っているらしい。世の評判は正しかったらしいな!」


 とそこまで言ってから、暁計画で作られた化物達を思い出す。黒陽騎に属するレベッカは、それを体現したような人間だった。レベッカは女ながら獣の如き戦闘力を発揮し、バハールの兵達に畏怖を与えたものだ。そして、化物たちを悠然と制御してみせるファリドは更なる化物に違いないと、ホスロは背筋を凍らせた覚えがある。

 それと同じ感覚を、今ホスロは味わっている。命のやりとりに、男女の区別などない。先ほどの言葉は、自らを鼓舞する為に叫んだだけだ。


「戦うのに、性別は関係ないよ。もちろん年齢も容姿も人種もね。大事なのは、殺すか殺されるかだよ」

「確かに、お前の言う通りだッ!!」


 ノエルが槍を弄んだ一瞬の隙を衝き、ホスロは一気に迫り突きを繰り出す。槍の利点は射程の長さにある。肉薄すればその長さが最大の欠点となる。ホスロの狙いはノエルの胴体。鎧の上から一撃浴びせて怯ませたところに、止めを放つ。

 剣先が胸部に達しようかというところで、ノエルの篭手によって強引に剣先をずらされる。


「――まだまだッ!」


 動じずに袈裟斬りを放つが、今度は二叉槍の先端によって阻まれた。この巨大な槍を、ノエルは易々と扱ってみせる。凄まじい膂力の持ち主。ホスロは両手に力を込め、槍ごと押し込み、ノエルを叩き斬ろうと歯を食い縛る。


「お前は、ここで殺すッ! バハールのためにも殺さねばならぬ!」

「ね、降伏する気はない? そうすれば時間もかからないで済むんだけど。色々と話もしてみたいし」

「戯言をッ! 貴様らのような逆賊に降るはずがなかろう!」

「でもさ、このままだと貴方達の大事な仲間や家族が酷い目にあうと思うよ」


 ノエルが試すように問いかけてくる。


「黙れ、我らの勝利は揺るがぬ! そのためならば、喜んでバハールの礎となろう!」

「バハールはもぬけの殻なのに、どうしてそんなに勝利を確信しているのかな。本当に不思議」

「逆賊に待ち受けるのは破滅のみだからだ!」

「あはは、誤魔化しても無駄だよ。本当は、これまでのこと全部、コインブラ軍を引き寄せるためのお芝居だったからでしょう。ね?」


 ノエルが白い歯を見せて笑う。絶句するホスロに、ノエルが続ける。


「帝都に行ったと見せかけて、主力は途中で引き返してるんじゃない? 昔ベルギスとかいう人が使った大誘引の計だっけ。太陽帝の偉業を再現して、皇帝になるときの箔をつけたいんだよね?」

「し、知らぬ! 私は何も知らぬッ!」

「ま、いいや。どうしても降伏しないなら、これ以上は時間がもったいないし。バハールの街全部焼け野原にしちゃえば、隠れてる主力も慌てて出てくるよね」

「な、なにを――」

「バハールの旗は、誰もが剣を取るという象徴なんでしょ? だったら老若男女、従わない者は皆殺しにしないと。うん、戦争だから、仕方がないよね」

「こ、この化物、いや、悪鬼め! バハールを貴様などに荒らされてたまるか!!」


 ホスロが憎悪を込めて刃を押し付けようとしたとき、腹部に激痛が走る。途切れそうになる意識を堪えて状況を確認すると、ノエルの左拳がみぞおちに突き刺さっていた。鎧の上からだというのに、凄まじいまでの衝撃。更に信じ難い事に、ホスロが全力を出した剣撃を片手一本で凌いでいる。


「ぐ、ぐうっ、あ、悪鬼めが――」


 苦悶の表情で、くの字に折れ曲がるホスロ。頭上で何かが回転する不吉な音が聞こえるのと同時に、ホスロの意識は急速に暗闇に沈んでいった。

 ――最後に聞こえてきた言葉は。


「前もそんな風に呼ばれたっけ。でもさ、悪鬼って、良く考えると格好いいよね。私ね、鬼ごっこって好きなんだ。だって、いつまでも遊んでいられるし」


 全て聞き終えることなく、ホスロの首はぼとりと落ちた。

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