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第十八話 穏やかな日々

 世間は色々と騒がしさを増していたが、ノエルは相変わらず楽しい毎日を送っていた。陽が暮れるまで白蟻党の面々と訓練を行い、夜になれば酒を片手に大騒ぎ。もちろんラッパの練習も忘れてはいない。嫌がるリグレットを参加させ、各自が俊敏に動けるように耳を慣れさせる。二週間もすると、シンシアも目を見張るほどの動きをみせるようになっていた。


「素晴らしい。これがあの汚らしかった、いや、身なりが整っていなかった人間達とは思えないな。うん、立派なものだ」

「シンシア様、そりゃ言い方を変えただけで、何のフォローにもなってませんぜ」


 慌てて言い直したシンシアに、苦笑いしながら白髪頭のバルバスが声をかけてくる。その手には年季の入ったラッパが握られている。ノエルから、ラッパを託されているのは副官のリグレットとバルバス。リグレットはコインブラ兵、バルバスは白蟻党の纏め役となっている。


「すまん。気を悪くしたなら謝罪する」

「いえいえお気になさらず。リグレットの馬鹿に比べりゃ可愛いもんで。あの女、俺達のことをいまだに人間として見やがらねぇ」

「リグレット殿との関係改善は未だになっていないのか」

「へっ、猿呼ばわりしてきやがる女に、喜んで尻尾を振るほど落ちぶれちゃいません。それに、俺たちが認めてるのはノエル隊長だけだ。あの人との約束だから、俺たちはここにいる」


 敵意を露わにするバルバスに、シンシアは、ならば仕方あるまいと曖昧に頷くほかない。階級は自分の方が上だが、リグレットは将軍ウィルムの娘。親子の関係は悪いらしいが、面と向かって注意を与えるのは難しいのだ。何より、あの性格だ。はっきり言えば、シンシアも苦手である。口を開けば嫌味と皮肉。まともに話していると、思わず手を出しかねない。だから、シンシアは避けるようにしている。

 それを強引にとはいえ抑えているノエルは大したものである。


「……ところで、そのノエル隊長はどこにいるのか? 今日もお前達と訓練していると思って来てみたのだが」

「あー、隊長なら今日は若君に本を借りに行くとか言ってましたぜ。珍しい本を見せてもらう約束があるとかなんとか。兵の訓練は俺に一任すると」


 確かに、以前そんなことを言っていたような気もする。ノエルが大人しく読書をするなど想像することすら難しいが、人はみかけによらないとも言う。訓練を放り出してまでいく必要があるかは疑問だが、エルガーとの約束ならば仕方もあるまい。一任するなどと偉そうな言葉に対しては文句の一つも言ってやりたいが。


「なるほど、ならば私も顔を出してみるか。若君相手に無礼をしているといけないからな」

「へへっ、もう遅いかもしれませんな。それじゃ、俺は訓練に戻りますんで」


 そう言うと、バルバスはラッパを片手に歩き出す。高らかに集合ラッパを奏でると、剣を打ち合わせていた兵達が慌てて駆け寄ってくる。元々武装集団だったので、慣れるのも早い。この隊をノエルが先頭に立って率いれば、さぞかし活躍することだろう。

 剣呑に笑いながら馬を駆り、二叉槍を掲げる赤髪の将。それを想像すると、思わず身震いがする。


「あいつの行く末は果たしてどうなるのだろうか。うーむ、やはり、全く想像できない」


 シンシアは苦笑した後で、空を見上げる。最近は雨が少なく、快晴が続いている。今日もノエルの機嫌は良い事だろう。

 



 コインブラの書庫に入ると、奥から楽しげな声が響いてくる。ここはコインブラの史書やら兵法書に文学書、果ては貴族の手記までありとあらゆる本が詰め込まれている場所だ。今のところ特に活用されている様子もないが、記録というのは大事なもの。専属の司書の手により管理が行なわれている。

 声に誘われて、本棚の並びを抜けていくと、大きな筆を咥えながら腕組みをしているノエルの姿が目に入った。それを取り囲むようにエルガー、侍女、司書などが興味深げに覗き込んでいる。一体何をしているのかと思いこっそり近づいていくと、白い布にノエルが絵を描こうとしているらしかった。


「……これは一体。珍しい本を読んでいるのではなかったのか? 訓練を放り出して楽しくお絵かきとは、中々面白いことをしているじゃないか」

「うげっ、シンシア!」


 背後から声をかけると、ビクッとした様子で筆を口から落としてしまうノエル。慌てて言い訳しようとするのをエルガーが笑いながら宥める。


「そんなに慌てるな、ノエル。シンシアよ、約束の本については既に読み終えてしまったんだ」

「そうなのですか?」

「うん。コインブラの哲学者の書などを貸し与えたのだが。ノエルは半日も立たぬうちに読破してしまった。それだけでは飽き足らず兵法書やら歴史書まで読み漁っていたぞ」

「……本当なのか、ノエル? 若君を欺いていたのではあるまいな」


 エルガーの言葉に、シンシアは疑わしげな視線をノエルへ向ける。適当にパラパラめくって読みましたと自信満々に宣言しそうだからだ。この娘ならばやりかねないというより、平然とやるだろう。相手が太守の子息であったとしても。


「ちゃんと読んだよ。本を読むのは結構早いんだ。あんまり、私の目的に合いそうなのはなかったけど。でも、面白かった」

「ふむ」

「一番面白かったのは、コインブラの歴史の本だね」

「……面白いことなどなかっただろう。殆どが敗北の歴史だ」


 ホルシードに支配される以前、コインブラ王朝の歴史はほとんど残っていない。あるのは、いかに無様に負けていったかというものばかり。コインブラが弱兵と呼ばれる所以は、こういった事柄ばかりが誇張されていったからでもある。

 では、真実はどうだったかというのは、今のシンシアには調べようがない。


「結論から言うと、この国は色々とツいてなかったね。世の中そんなもんだよ。でも、大事なのはこれからだね」


 などと偉そうに顎を撫でながら語り始める。後継者たるエルガーに対しての非礼にあたるので、早速教育を行なう事にする。


「分かったようなことを言うな、この馬鹿者が!」

「痛っ」


 手加減をした拳骨をコツンとくれてやると、ノエルは情けない顔をしながら頭を抑えている。


「シンシア様、ここではお静かにお願いします。貴重な書が沢山あるので、万が一があってはいけません」

「こ、これは失礼を」


 痩身の司書に窘められ、シンシアは慌てて謝罪する。ノエルが隠れて得意気に笑っていることは当然見逃さない。


「あ、シンシアが怒られているのを見たら思いついた! さすがシンシアだね」

「おい」

「ささっと」


 大筆を一回転させて、ささっと白布へと走らせる。赤色が白布に染み込み、あっと言う間に形を成していく。

 書き上がったのは、交差する二本の槌の絵。なにかの紋章のつもりだろうか。意外と上手く描けており、このまま外に出しても恥ずかしくはない出来栄えだ。


「なんだこれは?」

「騎士は家紋を隊旗として掲げるんでしょ? さっき読んだ本に書いてあったんだけど。それで、私には家紋なんてないから、若君に考えてもらおうとしたんだけど」

「生憎、私もそういうことに疎くてな。紋章といえば、天秤以外に思いつかない。それ故、皆で集って知恵を絞っていたのだ。下手なものでは、ノエルの恥となると思って」

「ノエル様、その二本の鎚にはどんな意味があるのですか?」


 侍女が率直に疑問を投げかける。それに対し白布を手に取ると、誇らしげに翻した。


「この交差する二本の鉄槌は、私と若君の約束を表すんだ。つまり、約束の証がこの紋章ってこと。この二鎚の旗がある限り、私は全力で働くよ」


 得意気な顔で語るノエル。なるほどと感心した様子の侍女と司書。そして顔を真っ赤にして言葉を失っているエルガー。

 そのエルガーの様子を見て、シンシアの頭にある光景が浮かんでくる。成長したノエルとエルガーが壮麗な装束を纏い、民達に手を振っている姿。エルガーは太守の地位を受け継ぎ、コインブラ領を見事に発展させていく。ノエルはそれを支える妻として控えめに横に立つ。

 では、その時自分はどうしているのだろう。恐らくは、彼らの子供の護衛兼養育係として忙しい日々を――。


「……待てよ。ということは、私はノエルを奥方と呼ばねばならんのか?」

「ぼーっとしちゃって、どうかしたの?」

「あ、い、いや、なんでもない! うん、なんでもないのだ!」


 ぽかんとした表情で問いかけてくるノエルに、妄想を振り払い慌てて返事をする。いくらなんでも、身分が違いすぎるので実現することはないだろうが、エルガーがノエルに特別な感情を抱いてもおかしくはない。窮地を助けてくれたという強い印象。更に見栄えは良いし、腕も立つし、コインブラでは将来有望な若手の筆頭だ。それらを考えるとおかしくはないが、色々とまずいだろう。ノエルの性格的にだ。

 とりあえず釘を刺しておこうとしたとき、エルガーが表情を曇らせながら言葉を発する。


「よし、その紋章については私から父上にお願いしておく。……悪いが、今日はこれでお開きにしよう」

「うん、いいけど。なんだか今日の若君、元気ないね。笑ってる時もなんだか疲れてるみたいだし」

「……ああ、実は母君の体調があまり芳しくなくてな。新しい侍医もよくやってくれているのだが」


 エルガーは両目を瞑り溜息を吐く。まだ12歳というのに、その声はひどく疲れて大人びている。

 サーラはロックベルから脱出する際、矢傷を負っていた。それほど深手ではなかったので安心していたのだが。もしそれが原因ならばシンシアの責任である。


「若君。もしや、先日の矢傷が――」

「いや、それは違う。傷は完全に癒えたが、心労が祟り病を患ったと侍医は言っていた。近頃、このコインブラは色々なことがあったから、母上も疲れていたのだろう。……最近は、ろくに食べる事もできず、水しかとっておられぬのだ。身体は痩せ細っていく一方でな」

「そうでしたか……」

「なに、これも暑さゆえの一時的なものだと思う。ゲンブ州から薬や珍しい食べ物なども届いたので、間もなく良くなられるはずだ。母上がいなければ、父上も寂しいであろうからな」


 無理をして笑ってみせるエルガー。シンシアはなんと言って良いか分からず、静かに頷く事しかできない。それは侍女も司書も変わらない。

 だが、ノエルは静かに立ち上がると、エルガーの肩をポンと叩いた。


「うん、きっと大丈夫。お日様みたいに明るく元気にいこう。その方がきっと上手くいくよ」

「ノ、ノエル! 若君に対して無礼だぞッ!」

「……よいのだ。確かに、暗い顔をしてても母上は喜ばぬ。ならば私だけでもしっかりしていなければ。ノエルよ、礼を言うぞ」


 激昂するシンシアを制止し、エルガーが告げる。そして、何かを思いついた様子で言葉を繋げる。


「そうだ、先ほどゲンブから食べ物が届いたと言ったと思うが。実は、彼の州から使節団が参ったのだ。彼らを歓迎するため、明日は晩餐会が開かれる。よければ、そなたたちも出席するとよい」

「うん、分かった、じゃなくて分かりました!」

「ははっ、私は敬語でなくても気にしないが、シンシアが怒るからその方が良いだろうな」

「若君、ノエルを甘やかしてはいけません。この馬鹿は全く遠慮がなくなりますので、適度に締め付けねばなりません。いや適度というより容赦なくやるべきです」

「シンシアは締め付けすぎだよね。いつもいつも小言がうるさいんだ」

「誰のせいだ!」

「ね?」

「ははっ、お前達といると本当に退屈しないな。もっと話していたいのだが、そういう訳にもいかない。後は任せるぞ、シンシア。ノエル、また明日会おう」


 エルガーが手を上げると、侍女を引き連れて書庫を退出していく。それを見届けると、司書もまた己の職務に戻っていった。


「…………」

「…………」


 しばらくノエルと無言で見詰め合う。

 ノエルは先ほどの紋章が記された白布で頭を覆って背を向ける。隠れているつもりなのだろうか。こそこそと逃げ出そうとする背中、その後ろ髪のあたりをグイッと掴み、強制的に制止させる。


「ぐえっ」

「丁度良い。場所も問題ないので、今日はここで礼儀と言葉遣いについて復習をすることにしよう」


 布を取っ払って指を突きつける。


「で、でも訓練があるし。ほら、私は隊長だからね。あー忙しい忙しい」

「気にすることはない。バルバスがしっかりとやっていたぞ」

「あ、訓練についての報告書を書かなきゃ。催促されてたから急がないと!」

「全てリグレット殿に丸投げしておいて何を言うか! そうやってその場しのぎで何とかしようとする悪癖を直せ!」

「はい、完全に承知しました! シンシア上級百人長に心から謝罪いたします!」


 完璧なホルシード式の敬礼を行なうノエル。思わず惚れ惚れするような熟練の動きだが、この場ではなんの意味も為さない。逆に、シンシアの怒りに油を注いでいる。


「その言葉と敬礼だけは立派だが、顔が全く承知していないぞ。お前が何を言おうが絶対に逃がさないので、さっさと諦めて席につけ」


 シンシアが最後通告を行なうと、渋々といった様子でノエルは椅子に腰掛けた。別にシンシアも暇ではない。片付けなければいけない書類もある。だが、これも仕事の内だと深々と頷き、ノエルに対して主従とは何かを、懇々と説き始めた。

 ――そして3時間後。机に伏せているノエルに声を掛ける。


「肝心なことを忘れていた。お前は式典用のドレスを持っているのか?」

「もちろんもってないけど。ああいうヒラヒラしたのは動きにくそうだし、私には必要ないかな」


 興味なさそうに首を横に振る。


「ならば明日の晩餐会には一体何を着ていくつもりだ」

「この前貰った軍服。きんぴかの勲章をつけていくつもりだけど。どうせご飯食べるだけならあれでいいんじゃないかな。だって、軍務でしょ?」


 確かに、男性ならば軍服で何も問題ない。過去の栄光から派手なことを好むコインブラでは、女性はドレスが基本である。そもそも、女騎士などという存在自体かなり珍しいのだから、例外は存在しない。


「残念ながら駄目だ。コインブラでは、こういった催しにおいて女性はドレスの着用が慣例となっている。不本意ではあるが、世の中とはそういうものだから我慢しろ。お前の得意な口癖だろう」


 “世の中とはそういうもの”、“仕方がない”。ノエルの口癖である。投げやりな言葉は好きではないので直そうとしているが、なかなか矯正できていない。そのくせ、諦めるのが早い割に、“約束”に対しては異様なまでの執着を見せる。なんとも歪な性格をしているのだ。

 最大の悪癖は、守れそうにない、守るつもりのないことについては、“うん”、“分かった”などと適当に頷いて誤魔化すことだ。これは、『うん、お前の話は分かったが守るつもりは全くないよ』という現れである。平気な顔で詭弁を述べるので、注意しなければならない。


「うーん、でもドレスなんて持ってないよ。だから、私はこの軍服でいくね。大丈夫大丈夫、私の事なんて誰も気にしないよ」


 こいつは自分のことを何も分かっていないとシンシアは呆れる。ノエルは確実に注目を集めるだろう。コインブラに現れた未来の驍将、しかも、一見すると見目麗しい女と来ればなおさらだ。

 何せグロールはことあるごとにノエルの武勇を褒め称えているのだ。それほどまでにカナン街道戦の印象が鮮烈だったのだろう。

 そのノエルが失敗を犯したりすれば、グロールの面子が潰れることになる。故に、シンシアはノエルに厳しく士官教育を施している。


「私が気にするから駄目だ」

「いや、私は気にしない――」


 ノエルの言葉を遮り、シンシアは掌をポンと叩く。


「よし、これから急いで仕立て屋に行くとしよう。私のものを貸しても良いのだが、お前の丈に合いそうなものは流石にない。贅沢を言わなければ、一日でもなんとかなるだろう。あるものを手直しすれば良いのだからな」


 顔馴染みの店にいき、それなりの代価を支払えばなんとかなる。一から作り上げるとなると一朝一夕ではいかないが、手直しだけならば可能だろう。


「でも、シンシアに悪いし、今日はもう疲れてるし、お腹も空いたし、本音をいえば面倒くさいし」

「それは私も同じことだ。ほら、さっさと行かなければ店が閉まってしまうぞ!」

「ちょ、ちょっと待って。そんなに引っ張らないで――」


 抗議の声をあげるのを無視して、強引に腕を掴み上げて引き摺っていく。

 ノエルがこの城に来てから、毎日が本当に忙しい。忙しいだけでなく騒がしい。とはいえ、そんなに嫌ではない。小生意気な妹ができたような感覚だ。病で若くしてこの世を去った兄も、自分に対してこういった感情を抱いていたのだろうか。今となってはもう分からない。


(最初は敵として相対していたのが、まさかこんな状況になるとは。人生とは、本当に分からないものだ)


 シンシアは僅かに微笑むと、どんなドレスがノエルに似合うだろうかと脳を全力で回転させ始めた。

 ――それとは逆に、ノエルの目はぐるぐると回っていた。

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