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第十七話 釘をさす

 バハールとコインブラの州境。両州を結ぶ街道には睨み合うように関所が設けられ、州境には堅固な柵が連なるように設けられている。

 両州ともホルシード帝国に属す以上、本来ならこのようなものはいらないのだが、疎遠な関係にある両者には必要なものであった。

 コインブラの金鉱が枯れる前は人の往来も盛んであり、関係は良好であったが、グロールとアミルがそれぞれの太守になってからは関係が極度に悪化した。

 その両者の仲を表すかのように、バハールとコインブラを隔てる関所の武装化は進み、現在は一種の要塞といっても差し支えないものとなっていた。

 通行や交易の制限はされていないが、対峙する衛兵たちは常に緊張感を漂わせている。“戦が近い”という噂が流れている今は特にそれが顕著である。

 その関所から少し南、海沿いに広がる森林地帯に、バハール軍の小隊50名程が身を潜めていた。ある任務のためにいつもより増強された編成だ。軍装はバハールのものではなく旗も掲げられていない。統一の取れていない武具で身を包む彼らは、良く言えば傭兵団、悪く言えば盗賊の集まりと形容できる姿である。

 その集団を率いる年配の男――小隊長が、広げた地図の一箇所を指し示す。


「今日の目的地はこの村だ。各自、不測の事態に備えて退路を確認しておけ。作戦行動中にはぐれたら探しにいくことはできないからな。その時は頭を使って何とかしろ」

「もちろん分かってますよ」

「コインブラの奴らじゃあるまいし、迷うような間抜けはしません。我等は栄えあるバハール工作隊です」

「分かっているならば良いんだが」

「行きはいつも通り、帰りは馬車で一眠り。全く問題ありません」


 兵の一人が自信ありげに笑う。工作隊に属する彼らは、この一週間の間に3度の偵察任務、そして2度の略奪任務を成功させている。綿密な偵察を重ねた今、コインブラ軍の連中以上に地理は詳しいという自負があった。

 バハール側の州境には、物資運搬用の荷馬車が隠された上で用意されている。物資を奪いそこまで戻る事ができれば任務は完了だ。


「頼もしいが、油断はするなよ。逆上した人間は侮れん。村人に殺されるなど犬死もいいところだからな。この地域で3度目となれば、流石に警戒しているだろう」


 この界隈の略奪の件はコインブラ州都に報告されているだろう。それが何者の手によるものまでかは分かっていないだろうが。反乱軍残党、もしくは野盗の類と判断されているかもしれない。


「確かに、結構警備はきつくなっていますね。とはいえ、夜はザルですが」

「安い俸給で不眠不休で働く兵士なぞそうはいないからな」

「じゃあ、俺達は模範的な兵士ってやつですか。」


 兵の一人が軽口を叩く。贔屓目に見ても贅沢できるほどは貰っていない。とはいえ、それでも他の州の水準よりは上だが。


「ウチは恵まれている方だぞ。第一、任務の度に特別手当が出ているだろう」

「それとこれとは話は別です。俺達は命を掛けてるんですから。アミル様が皇帝になったらもっと貰えるようになるといいっすね」

「アミル様は我等の働きをよく見てくれている。働きは必ず報われるはずだ。お前達はまだ若い、功を積み重ねて更に上を目指していけ」


 こんな州境付近で略奪行為を繰り返せば、愚鈍な連中でも流石に気づく。そして統率の取れた動きのできる野盗などそうはいない。バハールの仕業だとは気づいているはずだ。州境を巡回するコインブラ兵の数は増えてきている。

 そんな中で再び略奪に赴くなど挑発行為以外のなにものでもないが、バハール総指揮官たるアミルはそれを狙っているらしい。

 すぐにでも暴発すると思われたコインブラ太守グロールだが、予想に反しいまだ動く気配はない。根回しに慎重になっているのか、それとも軍備を増強しているのかは分からないが。

 いずれにせよ、アミルとしては“相手から侵略を仕掛けてきた”という事実が欲しいのだ。その上で“逆賊を誅する”という大義をもって徹底的に殲滅する筋書きだろう。


「まだ若いというのに、本当に容赦のないお方だ。いや、だからこそ帝国を率いるのに相応しいのか」

「何か言いましたか、隊長」

「……いやなに、アミル様には皇帝としての資質があると思ってな」


 戦になれば太陽帝国に所属する州同士の争い、いわゆる内乱そのものと言ってよいのだが、皇帝ベフナムは両州に介入する素振りをまるで見せない。どちらが後継者に相応しいかを見定めているかのように、傍観を続けている。

 ベフナムも皇帝の座を得るまでに兄弟を蹴落としてきた過去がある。栄光の地位を掴むのに血を流すのは当たり前と考えているのだろうか。平民出身の自分には理解できそうにない考えだ。

 いずれにせよ、間違いなく戦になる。用意周到なアミルのこと、グロールがどのような行動にでようと対処する算段をつけているはずだ。自分たち兵士はそれにつき従うだけで良い。最初で最後の大戦、できれば生き残って楽隠居したいものだと考えながら。

 両頬を叩いて余計な思考を振り払った後、小隊長は部下達に告げる。


「よし、陽が落ちた頃を見計らって移動を開始するぞ。それまでは身体を休めておけよ。言わなくても分かっているだろうが――」

「静かに目立たぬように、しかし緊張感を保ちつつ、ですよね。分かっています」

「油断して痛い目に遭うのはご免ですからね」

「分かっているならいいんだ。さっきも言ったが油断はするな。慣れてきたころが一番危ないからな。先達の教訓は実に為になる。だから俺は何度も同じことを繰り返すんだ」


 小隊長が兵の顔を見渡すと、口調とは違い真剣な表情で頷いている。

 小隊の兵たちは程よい緊張感を保っており、士気も高い。財政難に苦しむコインブラとは違い、バハールには余裕がある。兵たちへの俸給も十分に与えられ、戦死しても家族の生活は保障される。士気が上がらない訳がない。

 今回の任務も成功は疑いようがない。部下を見回した小隊長は満足そうに頷く。

 成功を積み重ね経験を積んでいけば、若い部下たちは更に上を狙うこともできるだろう。自分はもう50に近く限界が見えているが、若い者はそうではない。若きバハールの指導者アミル、そしてその右腕のファリド。彼らの台頭は若者に夢と野心を抱かせるのに十分だ。幼きアミルがバハールに遣わされたときは、とんだ貧乏くじだと思ったものだが、世の中というものは分からない。アミルにこれほどの才覚があったとは夢にも思わなかった。

 見事に皇帝の座に着けば、バハールはアミルのお膝元となる。ホルシード帝国自体が強力な後ろ盾となるのだから、栄華は約束されたようなもの。そこで暮らすものたちは更なる繁栄を迎えるに違いない。

 割を食うのは、反アミル筆頭のコインブラ、そしてバハールとは疎遠の関係にあるゲンブやギヴといった州だ。ゲンブやギヴの使者が最近頻繁にバハールを訪れるのは、次期皇帝と誼を結びたいという焦りの表れだろう。彼らはかつて、グロールを御輿として担いでしまっていたから。

 そのグロールはといえば、先の赤輪軍による反乱をアミルの策謀だと喧伝してまわっているが、徒労に終わるに違いない。真実がどうであれ、落ち目のコインブラに肩入れする者などいない。それが世の中の常である。


「……これもいわゆる、運命ってやつか。それとも太陽神の思し召しか。一寸先は闇、実に恐ろしい話だな」

「何がですか、隊長?」

「いやなに、コインブラの行く末に同情してやってたのさ。待ち受けるのは更なる地獄だろうからな」

「へへっ、そりゃお優しい。でも、同情を寄せる相手から奪うってのはどうなんですかね」

「じゃあ、今回は情けをかけてやりますか?」

 軽口を叩く兵士たち。無論そんなつもりはさらさらない。

「仕事は仕事だからな。全力を尽くさなければならん。世の中というのはそういうものだ」


 声を押し殺しながら笑ってみせる。自分の仕事は、一兵も失うことなく任務を成功させること。そして、退役した後で、彼らの立派になった姿をみることができれば、自分の苦労も幾分かは報われることだろう。

 顎の無精ひげを抜いた後、小隊長は草むらを背にして仮眠をとることにした。月は欠けることなく頭上に輝いている。今日の任務の成功を暗示しているかのようだった。




 ――コインブラ、州境近くの村。

 明かりは消え失せ、人の気配は全くない。襲う村の名前など覚える必要はなかった。既に物資を奪った拠点か、そうではないか。ただそれだけだ。小隊長は手で合図を送り、兵達を呼び寄せる。皆殺しにする必要はないが、抵抗したら殺す事に一切の躊躇はない。

 村に見張りなどいる訳もなく、侵入は容易く成功した。後の手筈はいつも通り。住居に火を放ち、住民を叩きだして錯乱状態に陥らせる。一箇所にまとめて男達を縛り上げ、村長を脅迫する。あるだけの物資を出させて、撤収する。本物の野盗ならば女を攫うのだろうが、足手まといは必要ない。奪うのは物資だけだ。


「……よし、分散して俺の合図で火をつけろ。村人たちを叩き起こしてやれ」

「はっ」


 小隊長が指でそれぞれを配置につかせると、兵達は予め起こしておいた火種を取り出す。腰から油の入った筒を取り出し、木造の家屋にぶちまける。

 緊張する瞬間だ。唾を飲みこみ、兵達に視線を送る。全員頷き、準備が完了したと報せてくる。――作戦開始だ。


「よし、火を――」

「そこまでだ、火付け盗賊共!! 指一本動かすんじゃねぇぞ!!」


 野太い声と同時に、村の家屋の上から松明を持った人間達が次々に現れる。それは村の入り口、いや周囲全てが煌々と照らされている。火をつけようとした家屋からは、扉を乱暴に開けて武装した男達が続々と現れてくる。どこに隠れていたのかというほどの人数だ。


「くそっ!」


 血相を変えた部下の一人が、火を放とうとした瞬間、その額に矢が突き刺さる。鏃は頭部を貫通し、家屋へと打ち付けられた。口をパクパクとさせたあと、舌を出して息絶えた。


「バルバスがせっかく警告してるんだから。動いたら駄目だよ。声は聞こえてるんでしょ?」


 屋根の上から若い女の声が聞こえてきた。思わず見上げると、武装した女がおり、弓には次の矢が番えられていた。放ったのはこの女のようだ。夜でも判別できる特徴的な赤い髪は、松明の明かりに照らされてまるで血のように赤黒く見える。


「隊長、皆殺しでいいんじゃないですか? 俺が言うのもなんだが、こんな腐れた屑どもを生かしておく必要はねぇと思うぜ」

「ま、そうなんだけどね。折角だし、話をしてからでも遅くないかなって。殺したら口を利けないでしょ?」

「本当に隊長は物好きだな。まぁ、だから俺はこうして生きているんだが」

「色々な人と話すのは面白いよね。ほら、人と話すたびに自分の世界が広がる気がしない?」

「俺はあまりしないな」

「そっか」


 既に勝利を確信しているかのような会話。小隊長は相手の様子を観察する。コインブラ軍の兵かと思ったが、どうも装束が違う。どちらかというと、自分達と同じ盗賊のような格好だ。装備の統一がなされていない。コインブラの鎧を身につけているのは唯一この女だけ。自警団か、村人に雇われた傭兵くずれか。周囲を見る限りでは、敵兵は村の中に100名、村を包囲しているのが300強といったところ。とても逃げられる囲みではない。

 交渉の余地があるかは分からないが、とりあえずは様子を見るのが最善だと小隊長は判断した。部下達に剣を抜くなと手で合図して、屋根上の女に話しかける。


「おい、まずは話し合おう。俺達はここら一帯を縄張りにしている盗賊団だ。もしかして、獲物が被っちまったのか?」

「人の家を漁るドブ鼠を捕まえに来たの。私達の獲物は貴方だね。ほら、私達はコインブラ軍だから。あ、バルバス達は私の直参で、ちゃんとした正規兵じゃないんだけど」


 弓の弦を鳴らして女が威嚇してくる。その顔は凶暴なものに変化している。先ほどまではにこやかに微笑んでいたはずなのに。


「……なら、分け前をやるから見逃してくれってのはどうだ? コインブラじゃ、どうせ碌な俸給を貰ってねぇんだろ?」

「貴方達を捕まえれば褒美がもらえると思うし。だから別にいらないかなぁ。というか、それは貴方達のお金じゃなくて、村の人達のものだよね」 


 『そうでしょ?』と告げた後、女は左手を上げる。同時に取り囲んでいた敵兵が部下達を組み伏せ、縛り上げていく。それは自分も例外ではなかった。最悪の状況だが、まだ自分達がバハール軍所属ということはバレていない。とはいえ、このままでは縛り首だ。なんとか隙を見て逃げ出すほか手段はない。


(どうする? どうするのが最善だ?)


 考えている間に、屋根上から女が颯爽と飛び降り、目の前までやってきた。


「私はコインブラ百人長、ノエル・ヴォスハイト。これから、貴方達の尋問を始めるね。――バルバス!」

「――はっ。てめぇら、その馬鹿共をこっちに連れて来い!」

「く、くそっ、どけッ!!」


 一人の部下が強引に拘束を解き、松明の明かりが薄い方向へと全力でかけ始めた。その隙を突いて他の二名もそれに続く。


「なにやってんだ馬鹿野郎が! おら、早く追いかけろ!」

「あはは、鬼ごっこだね」

「呑気なこと言ってる場合じゃないですぜ!」

「うん、あのまま逃げられちゃうと、面倒だもんね」


 ノエルと名乗った女は、弓を構え、焦りも動揺も見せず、流れるような動作で矢を放つ。放たれた矢は、先頭を行く部下の喉下を貫いた。射抜かれた兵は、数歩あるいたところでくずおれる。間髪入れず、残りの二名の部下も難なく射殺してしまった。


「す、すげぇな。隊長は弓も使えたんですか。まさに、熟練の射手って感じでしたぜ」

「あんまり好きじゃないんだけどね。弦が切れたり、矢がなくなったら戦えないから。んー、やっぱり槍とか鉄槌のほうがいいよ。何度でも使えるし、頑丈だし、急所を突けば一撃で殺せるしね」


 そう言って、ノエルは腰につけた鉄槌を取り出す。背中には漆黒の二又の槍。一体こいつはなんなんだと、小隊長は恐怖に駆られる。人を殺す前も、その後も、まるでなんでもなかったかのような態度。


「な、なんなんだ、お前はッ」

「何だって、ノエルって言ったでしょ。それでね、貴方達バハール軍の人だよね? 今まで奪った物資はどこに運んだのか教えてほしいなと思って」

「な、何を言って。ち、違う、俺達はただの――」

「あ、黙りこんだり、嘘をついたら、一つずつ罰を与えていくね。バルバス、さっき村の人から貰った鉄釘を頂戴。それと、その人の口に猿轡をしておいて。夜中にうるさいと、この村の人に迷惑だろうし。寝れないもんね」

「……本当にやる気で?」

「あっちにいてもいいよ。私がちゃんとやるから」

「い、いや、そういう訳にはいかねぇ」

「そっか。じゃ、体をちゃんと抑えてね」


 そう言って屈むと、隣で拘束されていた部下の右足にいきなり鉄製の長釘を打ち込む。続けざまに3本だ。哀れな部下が形相を変えて身をよじる。悲鳴は猿轡によって抑えられているが、その激痛は察するに余りある。


「な、なんてことを!」

「その人が死んだら次の人にいくから。心の準備しておいてね」

「馬鹿なことはやめろッ!」

「次は左足。その後は両膝、両手、両腕。あ、ついでに肩にも一杯打ちつけよう。最後は、頭にやるから、話すなら早くしたほうがいいよ」


 そう言って、左足に錆びた鉄釘を打ち込む。哀れな部下は必死にもがくが、拘束は厳しく解く事はできない。目は充血し、身体は痙攣し、脂汗がだらだらと流れ落ちている。猿轡がなければ、恐ろしい悲鳴が上がっていた事だろう。あの様子では、途中で死んでしまうに違いない。


「ほら、さっさと来い! 次はお前の番だからな。隊長の言った通り、覚悟を決めておけ!」

「や、やめてくれ!」


 次の生贄が隣へと運ばれてくる。目の前で惨劇を見せ付けられた部下は、嫌だ、死にたくないと泣き叫んでいる。普段の戦で命を賭けるのとは全く違う。処刑台につれてこられて、平静でいられる人間などそうはいないだろう。現に、自分の歯もガチガチと震えている。


「やめて欲しいなら早く言えばいいのに。本当のことを言ったら、隊長の貴方以外はすぐに解放してあげる。これは約束。それで、今まで奪った物資はどこに運んだの?」

「う、し、し――」


 知らないと答えようとすると、ノエルが口元を歪める。楽しそうに鉄槌を手に打ち鳴らして弄んでいる。知らないと言ってしまえば、再び釘が打ち込まれる。ならば話してしまうか。貯蔵場所を教えたところで何もできはしないだろう。部下の命がそれで助かるならば、安いものかもしれない。


「隊長、こいつ、本気で俺たちの頭に釘を打ち込む気ですッ!」

「……わ、分かった。は、話す。俺の知ってることは全部話す! 俺の懐に地図が入っている。貯蔵場所を、教えるから、それで勘弁してくれ!」

「どれどれっと」


 バルバスと呼ばれていた白髪頭の男が、懐に手を入れ、地図を取り出す。震える手でそれに場所を記す。当然ながら許されるべき行為ではない。だが、これ以上の犠牲を出さないためには止むをえない。責任は、自分が取るしかない。

 バルバスはその地図をノエルに見せると、頷いて立ち去っていった。ノエルは後ろを振り返り、フードを被った人物に声をかける。


「リグレット、後のことは任せるね。私はちょっとでかけてくるから」

「……貴方はどこにいかれるんですか? まさかとは思いますが、物資を取り返しにいこうなどと――」

「うん、まずこの人たちの荷駄隊を潰して、近くの屯所を潰す。その後で、貯蔵庫からありったけの物資を貰っていくつもり」

「な、なにを馬鹿なことを! 私達の任務は物資奪還ではないでしょう!」

「あはは、ついでだよ、ついで」


 そう言うと、ノエルがこちらへと近づいてくる。


「ね、それにしても随分と余裕だったみたいだね」

「な、何が?」

「あんなところでのんびりと休憩してるから。貴方たちが森に入ってからずーっと見張ってたんだよ。ね、気づかなかった?」


 目の前に来て、ノエルが頬を両手で挟んでくる。優しい笑みを浮かべてはいるが、その手は血でべっとり染まっている。ぬるりとした感触が脳を焼いていく。思考が乱れる。


「ず、ずっと、だと?」

「そう。貴方が気持ち良さそうに眠っていたところも見てたよ。いつでも殺せたんだけど、おびき寄せてからの方がいいかなって。あまり騒ぐと、荷駄隊に逃げられちゃうしね。いつも、馬車で奪った物資を運んでるんでしょ? 森の近くに新しい車輪の痕が残ってたし。ちゃんと調べたんだ」

「そ、そんな、馬鹿な」


 身体が震える。目の前の化け物が、暗闇の中からこちらを窺っていた。首筋に刃を突きつけて。

 小隊長が恐怖に顔を引き攣らせていると、ノエルが命令を下す。


「それじゃ、この指揮官ぽい人だけ太守のところに連れて行こうか。多分証拠にはならないだろうけど。リグレット、この人はよろしく」

「――分かりました。しかし、貴方がしようとしていることは全て報告しますよ。これは明らかに独断専行です」


 舌打ちしながらも敬礼するリグレット。


「隊長、出発準備ができましたぜ。ああ、このクソうぜぇ女をぶっ殺せって命令ならいつでもどうぞ。部下ともども喜んで参加させてもらいます。ものはついでだ、今やっちまいましょうか。名誉の戦死ってことで片付きます」


 バルバスがリグレットに敵意を露わにしながら、ノエルに敬礼を行なう。リグレットは再び舌打ちして、わざとらしく口元を抑える。


「ねぇ、白髪頭の浮浪者さん、お願いだから臭い息を吐かないでくれない? 饐えた臭いで脳が腐りそうだから」

「死ぬ程陰気くせぇクソ女に言われちゃお終いだ。力もなけりゃ頭も働かない、まさに無駄飯くらいって奴だ。お前がいなくなりゃ、クソ高い税金も少しは安くなるだろうよ。そうだ、今すぐ自害しろよ。お互い顔を見なくて済むし、いい事尽くめだろ」

「隊長にぶちのめされた負け犬の分際で。精々背中には気をつけなさい」

「お前みたいなクソ女に刺されるほど耄碌はしてねぇぜ。隊長はお前の万倍は強いからよ」

「盗人風情が偉そうに。野蛮な猿はお山で屑石でも掘ってなさいよ。餌は何がいいかしら」

「俺たちの仕事を馬鹿にするんじゃねぇ、雌狐がッ! 今まで、俺達が掘った金で散々贅沢してきたくせによ!」

「フン、馬鹿みたいに掘るしか脳がないからでしょう? 野蛮な猿は私達貴族の言う事を大人しく聞いていればいいのよ」

「てめぇ、ぶっ殺してやるッ!」


 リグレットとバルバスが剣呑なやり取りを延々と繰り広げる。暫くの間ノエルは面白そうに眺めたあと、はいはい終わり終わりと強制的に中断させた。


「ね、仲が良さそうなのはいいんだけど、今は凄く忙しいんだよね。朝までにやらなきゃいけないこともあるし」

「な、仲が良いですって? ノエル隊長、貴方の目は腐っているんじゃないですか? そもそもこの盗賊共を部下にするなんて、確実に腐っているとしか思えませんね。その小汚い眼鏡のついでに、目も念入りに洗った方が良いかと思いますよ。もう手遅れでしょうが」


 矢継ぎ早に罵倒するリグレット。その体を押し除け、バルバスがはき捨てる。


「なぁ隊長、このクソ女解任しちゃいましょうや。そしたらすぐにぶちのめしてやります。一人じゃ何もできねぇ癖に、俺たちを差別しやがって! 我慢ならねぇ」

「ね、時間がないって言ってるんだけど。もしかして、私の言葉が聞こえないのかな? もしそうなら、聞こえるようにしてあげようか?」


 ノエルの表情から笑みが消え真顔になると、バルバスとリグレットは顔を強張らせて背筋を正す。ノエルの手には鉄槌と、鉄釘が握られている。


「バルバス、100人で先行して盗賊の荷駄隊を潰して。私は残りを連れて屯所を潰すから。そうしたら合流して貯蔵庫に行くよ」

「そ、そいつはちょっと大雑把すぎませんかね。大胆というか、なんというか」

「相手は絶対油断しているからね。今すぐなら、きっと上手くいくと思うよ。むしろ、今しかないかな」

「隊長がそう言うなら、仕方ないですがね。その場所に何にもない可能性だってあるんですぜ? 死を覚悟で嘘をつくってことも」

「何にもなかったら、きついお返しをするから。だから、ま、どっちでもいいよ。駄目なら散歩だね」


 ノエルは笑っている。もしも嘘を教えていたら、どんな目に遭わされていたことだろうか。想像するのも恐ろしい。


「あと、約束とはいえ、こいつらを逃がすのはまずくないですかね。解放したら直ぐに仲間に知らされますよ」


 バルバスが、部下の背中を強く蹴り飛ばす。


「約束は約束だし、ちゃんと解放してあげないと。ま、その後のことは知らないけれど」


 ノエルの含みのある言葉に、小隊長は思わず激昂する。部下を助けてくれるという約束だから、大人しく従ったのだ。そうでなければ機密を漏らす訳がない。


「おい、その後は知らぬとはどういうことだ!? 部下は解放すると、確かに約束したはずだろう!!」

「うん、約束通り私たちは見逃すよ。私は貴方達を許してあげる。でも、襲われそうになった村の人達はどうかなぁ? 貴方達のしてきたことは、ここらへんの噂になってたからね。恨みに思ってる人もいるかもしれないね」

「ふざけるな! 部下の無事を約束しろ!」

「あはは、そこまでは面倒見れないよ。それじゃ、私は忙しいから」


 頑張ってねとノエルは言い放つと、興味を失ったように歩き始める。

 それと入れ替わりに殺気だった村人達が現れる。手には鍬や鎌、鉈などの農具を持って。火付けをして糧を奪おうとした連中に対して慈悲の心などはないだろう。

 リグレットがこっちに来いと冷たく呟き、小隊長を連行していく。縛られたままの部下達は、村人たちに追い詰められていく。


「貴様、こんなことが許されると思ってるのか!? お前も武人ならば、情けぐらいあるだろう! 頼む、部下だけは助けてやってくれ!」

「私は約束通り、殺さずに解放してあげた。何の問題もないと思うけれど。――それに」


 ノエルは振り返り、白い歯を見せて愉快そうに笑った。


「この世界は理不尽なことだらけでしょ? ね、だから仕方がないよ。そう思わないと、とてもじゃないけど生きていけないもの」





 州都に戻り父への報告を終えたリグレットは、自室で一息ついたあと手帳を開く。父のウィルムは、まるで信じられないといった表情を浮かべていたが、報告している自分も馬鹿馬鹿しいとしか思えない。

 あの後、ノエルは白蟻党の連中を率いてバハール州境で待機していた荷駄隊を襲撃。これを奪取した後、巡回する兵たちの拠点である屯所に攻撃を仕掛けて潰走させる。更にはバハール軍の貯蔵庫にまで襲撃の手を伸ばし、物資の奪還に成功するという鬼神のごとき働きを見せた。

 それを聞いたリグレットは当然疑って掛かったが、荷馬車に満杯に詰め込まれた物資を見せられては信じざるを得なかった。物資は被害にあった村々に分配してもまだ余りうるほどの量であった。


「本当に、凄まじいほどの化け物ね。まるでおとぎ話に出てくる“鬼”みたい」


 太守グロールはノエルを手放しで称賛し、コインブラ十字勲章を授けるほどに上機嫌であった。次の任務に成功した暁には、上級百人長に出世させるというお墨付きまで与える始末。先日の反乱以来やられっぱなしだった意趣返しができたことが相当嬉しかったらしい。

 様子見扱いだった白蟻党も今回の働きにより、正式にコインブラ軍に参加することが認められた。ただし、ノエルの直参になるのはバルバスのみだ。500人程度いる元鉱夫達は、コインブラ軍所属の兵士の身分となる。百人長の俸給で全員を養えるわけがないのだから当たり前ではあるが。配置は当然ノエル隊になる。

 リグレットは溜息を吐いて手帳をしまった後、疲れきった表情で天井を見上げる。


「あの凄まじい武力、冷静な判断力、白蟻党をいきなり制御してみせた統率力。全て兼ね備えているあの田舎娘は、まさに英雄の素質ありってことか」


 貶してはいるが、リグレットには到底真似出来ないとも思う。ノエルに勝っているといえるのは、精々がウィルムの娘であるという血筋、家柄ぐらいか。他の能力は全て劣っている。認めざるを得ない。

 太守の信を得たノエルは、これから間違いなく軍で頭角を現していくだろう。そして、自分は副官としてそれをまざまざと見せ付けられなければならない。ノエルを監視せよというのが、父の命令だからだ。逆らうことはできない。

 とはいえ、ノエルが英雄でいられるのも短い間であろうが。父ウィルムはグロールに見切りをつけている。敵対関係にあるバハール公アミルに近づいているのがその証左。いずれコインブラ将軍という地位を利用して、なんらかの行動をとることだろう。その時がグロールの最後であり、英雄物語の幕が下りるときだ。ウィルムに対して親愛の情など抱いてはいないが、優秀な謀略家であることは疑いようがない。時機と手筈を見誤ることはない。

 リグレットはグロールに密告するつもりもない。上がどうなろうと興味もない。もはや、何もかもがどうでも良くなっていた。


「……馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しいわ」


 リグレットは懐から短剣を取り出し、自分の首筋に刃を当てた。今までもなんどか死のうと思ったことはある。だが、今日ほど己の矮小さと才能のなさを実感させられたことはない。これ以上生きていてもいいことなどある訳がない。ウィルムがコインブラの実権を握ったとしてもだ。父と弟には馬鹿にされ続け、周囲からはウィルムの不肖の娘として見られ続けるのだ。いつか自分というものを確立できると信じていたが、それはただの夢物語だった。愚か者はいつまでたっても愚か者。あの野蛮な白髪男、バルバスの言葉は全て正しい。ならばとっとと死んだ方がマシだと思った。


「私が死んでも、誰も悲しまないでしょうけど。ああ、本当に馬鹿馬鹿しい」


 今日はいつもと違い、これを実行に移せるような気がした。恐怖心よりも、倦怠感の方が上回っている。これもノエルのお蔭かと思うと実に皮肉なものだとおもった。

 ウィルムとロイエは清々したという表情を浮かべるに違いない。肉親だというのに実に憎らしい人間だ。リグレットは最後に盛大に舌打ちした後、刃を一気に滑らせようとした。


「ね、それがコインブラ式の自決方法なんだ。血が一杯噴出しそうだね。きっと掃除が大変だよ」

「――ッ!! ノ、ノエル隊長、なんで貴方がここに!?」

「ノックしても返事がないから。鍵は開いてたから勝手にお邪魔しちゃった。ごめんね?」


 隙を突いたノエルは早足でこちらに駆け寄ってきた。

 リグレットの短刀を握る手はノエルにより押さえつけられる。凄まじい力で全く動かす事ができない。ノエルは特に動じる様子もなく短刀を強引に取り上げると、えいっと言って壁に投げつけてしまった。短刀が壁に深々と突き刺さる。


「私が習ったのはね、喉下に刃を突き刺すやり方。そうすれば絶対に死ねるって。でもさ、あれって痛そうだよね」


 片目を閉じて喉を擦るノエル。リグレットは暫し呆気に取られていたが、沸々と怒りが湧いて来る。


「……コインブラの新しき英雄のノエル様が、一体何をしに来たんですか。この家柄だけが取り得の愚かな女を笑いに来たんですか?」

「えっとシンシアが、最近貴方の様子がおかしいから、気にした方がいいって。で、とりあえず止めてみたんだけど」

「では今すぐ出て行ってください。私が生きようが死のうが勝手でしょう。貴方には全く関係がない。はっきり言って、貴方の存在が心底目障りなんです」


 リグレットは舌打ちして追い払う仕草を取る。階級は同級とはいえ、自らの隊長に対して行なっていい態度ではない。もしかすると、腰につけた鉄槌で叩き潰されるかもしれない。それならそれで良いと、リグレットはわざと無礼な態度を取った。


「ま、そうなんだけど。ほら、こんな晴れた日に死ぬなんてもったいないかなって」


 ノエルはカーテンを開け放ち、窓から日光を取り入れる。確かに、腹立たしいほどの晴天だった。


「死ぬのに天気なんて関係ないでしょう! 馬鹿馬鹿しいッ!」

「凄い関係あるよ。私は晴れの日には死にたくないんだ。日向ぼっこしたり忙しいしね。晴れの日に死ぬなんて、絶対に嫌だなぁ」


 脳天気に笑うノエル。こんな馬鹿面をした田舎娘が、先日の武功を立てたのだから堪らない。反乱軍首領を捕らえるという手柄もいれれば既に二度目である。全く英雄に似つかわしくない。


「じゃあ雨の日に死んでください」

「それも無理。クソみたいな雨の日に死ぬなんて絶対に嫌だし。雨に打たれて死ぬなんて、死んでも嫌。あと曇りの日も嫌かな。中途半端だし」

「晴れも駄目、雨も駄目、曇りも駄目。それでは、貴方はいつまでたっても死ねないじゃないですか」


 リグレットが呆れて見せると、ノエルは深々と頷く。


「そうなんだよ。私は幸せになるまで死なないんだ。皆との約束は守らないといけないし」

「――幸せ、ですか。フン、貴方はよく幸せになりたいと言い回ってますが、どうしたら幸せになれるか分かっていないんでしたよね。馬鹿なんですか?」

「うん、だから探してるんだよ」

「何が幸せかも分からないで、幸せを探すなんて支離滅裂です。貴方、本当に頭がおかしいんじゃないですか?」


 リグレットが罵声を投げかけるが、ノエルは少し首をかしげた後、薄く笑う。


「あはは、そうかもしれないね」

「かもではなく、そうなんです。貴方は、頭がおかしいんです」

「でも“そう”させられたんだから、仕方がないよ。それに世の中は理不尽で一杯だしね」


 ノエルは楽しそうに呟くと、リグレットの髪を両手でぐしゃぐしゃと丸めてくる。


「な、何をするんですか!?」

「人の悪口を言ってるときと、舌打ちしてるとき。リグレットは凄い活き活きして、目が暗く輝いているよね。その性根の悪さは謀略家向きだね。お父さんにそっくり」

「私を遠まわしに馬鹿にしてるんですか?」

「ううん、褒めてるんだよ」


 リグレットはそうですかと呟き、立ち上がる。突き刺さった短刀を取りにいこうとしたが、暫く考えてから再び座りなおした。


「あれ、もう死ぬのは止めたの?」

「馬鹿と話していたら気力が尽きたので。死ぬのは当分延期にします」

「そうなんだ。じゃあさ、どうしたら幸せになれるか一緒に探さない? シンシアも探してくれるんだけど、三人ならもっと早く――」

「遠慮しておきます」


 一言だけ吐き捨てて却下する。ノエルは口を開けたまま、固まっている。数秒後、そっかと呟いて残念そうに肩を落とした。

 リグレットは指で自分の黒髪をぐるぐると巻いた後、イライラした様子で言葉を続けた。


「まぁ、貴方が私にも幸せをくれるというのなら、ほんの少しぐらいなら手伝ってあげないこともないですが」


 一拍後、自分は何を口走ってるんだと思わず口元を抑えてしまう。だが既に遅く、ノエルはとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「うん、約束する! じゃあ、一緒に幸せになろうね」


 まるで気障な男の口説き文句のようだと感じながら、リグレットは机にうつぶせになった。


(どうしてこうなったのか、まるで意味が分からない。死のうとしていたら、いつの間にか馬鹿のペースに巻き込まれてしまった。訳が分からない)


 ちらりと顔を上げると、ノエルは日向で日光を浴びながら大きく伸びをしている。元々赤い髪の毛は、日光を浴びて艶々と輝き始める。白い肌は赤みを帯び、全身から何か白い光のようなものが滲み出ているような錯覚に陥る。こいつは本当は人間ではなく、草花が化けた魔物の類なのではないかと、リグレットは一瞬本気で考えてしまった。


「あー、今日も、いい一日になりそうだね。あ、今少し幸せを感じたかも」

「私は既に最悪の一日です。ようやく楽になる覚悟ができていたのに。どこかの馬鹿のせいで台無しですから」

「それは残念だったね。じゃあ、楽しくなれるいいものをあげる」


 軽口を叩いた後、ノエルは腰に着けたラッパをこちらに投げてきた。それは、部隊に命令を伝える軍隊ラッパ。


「これを一体どうしろと?」

「私の大事な宝物。でも貴方にあげるよ。私の大事な副官だからね」

「折角ですが、いらないのでお返しします」


 ラッパを差し出すが、ノエルは首を横に振り受け取ろうとしない。


「一度あげた物はもう受け取らないよ。そういうものだからね」

「全く意味が分からないのですが。貴方の行動は本当に理不尽すぎます」

「そうかな?」

「そうです」


 リグレットは仕方ないと溜息を吐いた後、ラッパを腰にぶら下げる事にした。これ以上馬鹿に構っていては軍務に差支えが出る。大人しく持っていれば済むのであれば、それで良いだろう。そう判断したのだ。

 死のうと思っていた決意は、ノエルに対する呆れと怒り、そして馬鹿馬鹿しさで完全に塗りつぶされてしまっていた。

明けましておめでとうございます。

釘を刺される(物理)夢を見た事があります。

怖かった。


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