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第十六話 ねじれた紐

「今言ったように、俺はノエル隊長についていくことにした。次の白蟻党の首領はお前らで勝手に決めてくれ」


 口に付着した血を拭うと、バルバスはその場にいる堀師たちに大きな声で告げた。

 呆然と聞いていた堀師たちは、ようやく言葉の意味を理解すると慌ててバルバスに詰め寄ってくる。


「親方、そりゃいきなりすぎやしませんか」

「そりゃそうだろ。ついさっき決めたんだから」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ここが上手くまとまってたのは親方のおかげだ。アンタの代わりが勤まる人間なんていやしねぇ!」

「買いかぶりすぎだ。俺だって勢いでやってきただけさ。なーに、次の奴もきっと上手くやるだろうぜ」


 バルバスは軽く手を振るが、堀師達は納得できる訳がないと口々に抗議の声を上げる。


「今さら見捨てるなんて、そりゃないぜ!」

「あー、うるせぇ奴らだなぁ。俺にどうしろってんだ」


 バルバスが困惑して腕を組んでいると、


「じゃ、じゃあさ、俺たちも連れていってくれよ。それなら、問題ねぇや」

「なんだって?」

「そこのガキ――いや、娘さんは、親方を部下にするつもりでここに来たんだろ? なら、俺たちが一緒に行ったっていいはずだぜ。だろ?」

「おいおい、それこそ無理を言うな。全部で何人いると思ってんだ。こんな大所帯を丸ごと雇ってくれる訳がねぇ。そうだろ、ノエル隊長」


 眉を顰めながらバルバスが同意を求めると、


「私は別に構わないけど。仲間はたくさんいた方が楽しそうだし。それに、なんだか賑やかでいいよね」


 ノエルは特に問題がないとあっさり了承する。そして地面に落ちていた金貨袋を拾い上げると、バルバスに無造作に手渡した。


「それじゃこれはお金ね。はい、どうぞ」

「……俺にこいつをどうしろと?」


 金貨の重みに困惑した表情を浮かべるバルバス。


「ついてくる人達で全部山分けしちゃっていいよ。私はそんなにいらないしね。持ってると、うっかり無駄遣いしちゃいそうだし」

「こんな大金、本当にいいんですか? こいつらに分けちまったら、二度と返ってきませんぜ」

「別にいいよ」


 全く関心がないといった様子のノエル。金の価値が分かっているのかいないのか。バルバスには判断できない。分かった上で言っているのなら、よほどの馬鹿か大物である。


「ところで、俺たちをどう扱うつもりなんで? 堂々と州都なんかに顔をだしたら、いきなり処刑されてもおかしくねぇ」


 バルバスは口に出してから、大いにありうる話だと考える。ノエルは嘘を言っていないだろうが、コインブラのお偉方は別かもしれない。捕らえられて縛り首なんてのは冗談ではない。


「それは心配しないでいいよ。私が一人で行って太守に説明してくるから。貴方達は街の外で待機してれば、何かあったら逃げられるし。だから、絶対に大丈夫だって約束してあげる」


 安全は絶対に保証すると強く頷く。そして、「うるさく言われたら大暴れして、さっさと私も逃げればいいし」、などと物騒なことを小声で呟いている。腰にぶらさげた無骨な鉄槌をゆっくりと擦りながらだ。

 そこに赤黒いものが付着しているのが実に恐ろしい。既に何人かの命を吸っているようだった。バルバスは顔を引き攣らせながら、「ならば、全部隊長にお任せします」、と言うほかなかった。


「じゃ、そろそろ行こうよ。おなかも空いて来ちゃったしね。とりあえず皆でボルボの街に向かおっか」


 汗を拭って赤髪をかき上げた後、ノエルは入り口に向かって悠々と歩き出した。唖然としていた護衛兵たちと、副官らしき陰気臭い女も、それに従っていく。まるで白昼夢でも見ているかのような表情で。


(散々コインブラの連中を悩ませた俺たちを、たった一人で降したとなりゃそんな顔にもなるか。たかが小娘にやられるなんて実に情けねぇが、俺は本気の本気だった。……あの娘についていきゃ、相当面白いことになりそうだ)


 そんなことを考えながら、バルバスは堀師たちを見回す。


「……という訳で、ノエル隊長からお許しがでたぞ。ここにいない連中にも報せろ。今日をもって俺はここを離れる。俺についてくるか、それとも残るかは好きにして構わん。どちらにせよ、餞別ということでこの金は全員で分配する」

「分かりました!」

「俺はもちろん親方についていきます!」

「おいおい、ちっとはその頭で考えろこの馬鹿共が。あの隊長についていくってことは、コインブラ軍に入るってことなんだぞ。命を粗末にしたくねぇ奴は、絶対に来るな。後からの文句は絶対に受けつけねぇ」

「へっ、堀師なんて仕事を選んだときから、とっくに覚悟はできてるぜ。それに俺達は百戦錬磨の白蟻党だ」

「その通りッ!」


 浅黒く日焼けした堀師達は何の問題もないと笑う。確かに、守るべきもの、帰るべきものがある人間は既にこの場を去っている。バルバスを含めてやるべきことを見出せなかった連中がここに残ってその日その日を生きてきただけだ。ノエルの到来が転機だとバルバスが思ったように、堀師たちもそう考えたのかもしれない。

 バルバスは仕方ねぇ連中だと呆れ気味に呟いた後、頷いた。


「念を押すが、死んでも隊長を恨むんじゃねぇぞ。そのための金だからな。後でぐだぐだ文句を言いやがったら絞め殺してやる」

「多分その時は恨むと思いますが、文句を言わないように努力しますぜ」

「ならいい。精々黙って死にやがれ」


 バルバスが言い放つと、そいつはひでぇと堀師たちが豪快な笑い声をあげる。


「じゃあ出発の準備にかからせますぜ!」

「頼む。あー、それと在庫の燃焼石は持てるだけ持っていくぞ。何かの役に立つかも知れん」


 バルバスは現在のボルック鉱山の特産品をノエルにプレゼントしてやることにした。ノエルはあれだけの大金を何の疑いもなく渡してきたのだ。その信頼に応えるためには、白蟻党の切り札を提供する以外にない。

 今後、ノエルはこの圧倒的な武力でコインブラ軍で頭角を現してくるはずだ。ならば、ここの燃焼石がその後押しになることは間違いない。上手く使いこなせるかはノエル次第だろうが。

 学のないバルバスや堀師には、坑道掘削以外に画期的な発想は思いつかなかった。だが、迂闊に外に出すのは危険だということは理解していた。


「も、持てるだけですか? ありゃ相当な量で、運ぶのはかなり骨ですぜ」

「持って行くぞ。後、採掘場の入口は上手く隠して置けよ。誰も来ないだろうが、バレたら色々と面倒だ。それに、在庫がなくなったらまた掘りにくるからよ」

「分かりました!」


 頼むと告げ、バルバスは使い古した大剣を持って、主の後を走って追いかけた。

 ノエルを呼び止め、例の採掘場まで連れて行って白蟻党の切り札を見せてやった。もちろん見せるのはノエルだけである。

 燃焼石の特徴を説明し、その威力を岩盤相手に見せてやるとノエルは目を丸くして驚いた。「凄い凄い」と大喜びして一通りはしゃいだ後、これを使えばきっと凄いことになると満面の笑みを浮かべた。

 その表情は年相応のものだったが、バルバスは思わず寒気を感じてしまった。無邪気さの裏に潜む、暗いモノが垣間見えてしまったからだ。

 ――子供というのは、無邪気な分だけ残酷なのだ。




 ボルボの街に戻ったノエルたちは、街にある酒場や宿を占領して大宴会を行なった。金はもちろんノエルが渡した金貨の一部である。生活費に当てようなどと考える殊勝な人間はとっくに鉱山を去っていたため、意識を失うまで全員が飲み続けた。

 遠慮することを知らないノエルは即座に彼らと打ち解け、バルバスたちと共に酒瓶を片手に大騒ぎした。護衛兵も戸惑いをみせていたが、やがては一緒に歌を歌い酒を酌み交わし始める。立場は違えど同じコインブラ人、しかも貧しい生活は似たようなものだった。

 リグレットだけは、不機嫌な表情でとっとと自室に戻ってしまったが。

 その際の「下賎な連中、しかも白髪猿なんかと愉快に酒を酌み交わすなんて、絶対にありえない。死んでもご免よ」という台詞は、バルバスとの関係を決定的に険悪なものとした。猿と嘲られたバルバスなどは、激昂して斬りかかりかねないほどだった。その下賎な連中の仲間にいれられたノエルは、楽しそうに笑っているだけだったが。

 ちなみに、ノエルが最近はまっている趣味は、人間観察だ。どんな人間でも特徴があって飽きないが、特に尖った人間ほど面白い。一番面白いのはシンシア、その次にリグレットだ。それをバルバスに話すと、珍妙なものを見るような目つきをされてしまう。


「あー、俺から言わせりゃ、隊長が一番尖ってますがね。ずっと見ていても、多分飽きませんよ」

「それはね、私が皆とは違うからじゃないかなぁ」

「確かに、隊長の腕っ節は化け物、あーいや千人力ですが」

「あはは、そうじゃなくて」

「じゃあどういうことです?」

「私はね、一人だけど一人じゃないんだ。それはつまり、私には私がないということの証左でもある。私は私であると同時に、私達なんだ。だから、貴方から見た私が本物の“私”なのかは分からない。あはは、私にも分からないんだけど」


 空虚な目で静かに呟くノエル。バルバスはノエルを凝視した後、その背後へと視線を移している。その脅えたような目には、一体何が見えているのだろう。ノエルはそんなことを考えながら、酒を飲み干す。


「た、隊長?」

「あはは、ただの冗談だよ、冗談。バルバスだって、見ていて飽きないと思うな。これから、一杯よろしくね」


 そう妖艶に微笑むと、ノエルはバルバスに酒を注いでやった。溢れるほど、一杯に。




 大宴会を終えた翌日。柄の悪い500名をつれて威風堂々と凱旋したノエルは、州都マドレスの城門で、早速衛兵に見咎められる。いきなり攻撃されなかったのは、コインブラ軍旗が掲げられていたからに過ぎない。傍目から見ればただの盗賊団の一行であるから仕方がないのだが。

 暫く待機させられた後、グロールから出頭するように命じられたノエルは、早速登城する。


「ノエル百人長、任務を完了し帰還いたしました!」


 謁見の間に入るや否や、即座に敬礼して得意気な顔を浮かべるノエル。今日も眼鏡を掛け、悪びれもせずしっかりと背筋をピンと張っている。横に控える武官や文官たちは、困惑している者と憤っている者に分けられるだろうか。


「……任務ご苦労と言いたいところだが、これは一体どういうことか」

「何がでしょうか?」


 すっとぼけるノエル。だが、グロールは見逃さない。


「とぼけるでない。私は賊を鎮圧せよとは命じたが、味方に引き入れろとは言っていない。なぜ奴らがマドレスの近くにいるのか、私には理解できん。ノエルよ、詳細を直ちに報告せよ」


 グロールが腕組みをして眉を顰める。既に衛兵から報告を受け、大体の事情は掴んではいる。本来は怒声をあげたいところではあるが、厄介な連中を降したことは事実である。ここは褒めるべきだとは思うが、ウィルムを筆頭とする武官たちは納得がいかない様子だった。


「はっ、最初は殺そうと思っていました。ですが、実際にこの目で見て考えが変わりました。彼らの鍛えられた身体能力、統率力は、非常に役に立ちそうだったので。使える者は使わないともったいないですし。殺すだけなら、いつでもできます」

「何を戯けたことを。奴等は悪名高き白蟻党、そんな下賎な連中をこのマドレスに入れるなど冗談ではないわ! 太守、直ちに兵を差し向けて殲滅いたしましょう! 今ならば容易く皆殺しにできますぞ!」


(あーあ、またウィルム将軍か。私が嫌いで嫌いで仕方がないみたい)


 ウィルムが激昂してグロールに意見するのを見て、ノエルは赤毛を指で軽く弄る。

 州都に入ることを許されていないバルバス以下500名は、現在マドレスの城外で待機している。時間通りに戻らなければ、直ちに逃げろとノエルは予め命じてある。その時はノエルも出奔したいところだが、エルガーとシンシアとの約束がある。それを守るにはコインブラにいなければならない。約束は絶対だ。約束を破る者に幸福は訪れない。ノエルの信念であり唯一の宗教だ。


(ウィルム将軍の怒った顔は見ていて面白いけど。さて、どうしようかな)


 横目でちらりと怒れるウィルムの顔を眺める。ウィルムの脳天をかち割れば、なんだか全てが上手く行きそうな気がする。逃げるときについででやってしまおうか――そんなことを考えながら、ノエルはグロールの決断を待つ。



「……白蟻党は我がコインブラ軍の物資を幾度となく略奪した悪党だ。法に照らせば、縛り首か斬首が妥当な処分となる。能力があれば用いると私は言ったが、我らに害を為す者を活用する気はない。……それを踏まえてノエルよ、他に申したきことがあれば聞こう」

「太守、ノエルの意見を聞く必要などありませんぞ! ただちに処断の命令をお与えください!」


 ウィルムが問答無用だと進み出るが、グロールは手でそれを制する。


「まぁ少しは落ち着け、ウィルムよ。私はノエルの意見も捨てがたいと思っている。ノエルが一兵も失わずに賊を降して見せたことは確かだ。並の人間にできることではないと思うが?」

「……そ、それは、確かに」


 ウィルムが言葉を詰らせる。


(……珍しく冷静に判断しおるわ。いつものように喚き散らしていればよいものを)


 今まで何度となく討伐隊を差し向けたが、白蟻党はそれから悉く生き残って見せた。そんな一筋縄ではいかない連中がノエルに従っている。その危険を承知の上で、白蟻党はここまでやってきたのだ。何の利もない行動、ウィルムには理解し難い行動だった。


(後でリグレットから詳細を聞く必要があるか。全く、実に厄介な娘だ)




「……それで、どうなのだノエルよ。遠慮なく申せ」

「はっ。彼らは賊に身分を落としましたが、元々は善良なコインブラの民でした。道を踏み外していたとはいえ、国を愛する気持ちは変わっておりません。その証拠に彼らは先の反乱に参加せず、赤輪軍からボルボの街を守り抜きました。無論、略奪を行なった罪は決して許されることではありません。故に、彼らにはこのコインブラに尽くさせることで償わせるのが最善だと考えます」


 ノエルは真面目ぶった顔で長々と進言する。ついでに眼鏡をくいっとあげて。こうすると頭が更によく見えるらしい。難しい言葉が次々に浮かんでくるのは、あのクソみたいな場所での日々のお蔭なのだろう。感謝する気はさらさらないが、先程いった通り使えるモノは何でも使う。それが一番だとノエルは考えた。


「詭弁を並べおって! 奴等に罪を償うつもりなどある訳がない。太守、信賞必罰は守らなければなりませぬ。疎かにすれば軍規が乱れるは必定。今後の治世のためにも、どうか正しきご判断を」

「ウィルム様の言う通りでございます。法を捻じ曲げることは災いをもたらしますぞ」

「私も同意見です。太守、正しきご判断を!」


 ウィルムが言い放つと、半数以上の武官がそれに同意する。いわゆるウィルム派とでも呼ぶべき者達である。それ以外の者は、判断し難いといった様子だ。


「うーむ、それも一理ある。難しいところだな」

「私は彼らを助けると約束しました。その代わりに、彼らは私に仕えてくれると誓ってくれました。私には約束を破ることは絶対にできません。何があろうともです」

「そのような約束、我等の知ったことではない。百人長如きが偉そうな口を叩くな!」

「失礼いたしました。ウィルム将軍のお考えはよく分かりました。出すぎたことを言って、申し訳ありません」


 ノエルは頷き、一歩下がる。そしてチラリと横壁の窓へと目を向ける。時計は持っていないので、僅かに覗く太陽で時間を計る。腰につけた鉄槌を左手で擦る。宝物の槍は部屋においてきてしまっている。


(よし、もういいや。殺そう)


 やはりこうするのが最善のようだ。目障りなウィルムの頭をかち割ってしまうのがてっとり早い。静かに微笑みながら標的を捕捉する。そんなに近寄る必要もない。ここから鉄槌を投擲すれば確実に殺せる自信がある。始末したあとは逃走し、バルバスと合流すれば良いだろう。シンシアとエルガーとの約束は時間をおいてから果たせば良い。グロールの次にこの州を継ぐのはエルガーなのだから。全部が上手く行くかはしらないが、なるようになる。そういうものだ。



「……ノエル百人長、私に何か言いたい事でもあるのか? 言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうだ」

「いえ、もう何もありません。私の存念は全て申し上げましたので」

「そ、そうか。ならば良いのだが」


 ウィルムはその押し殺した強烈な殺気を感じ取り、僅かながら冷や汗を流し始めた。小娘と侮ってはいるが、実力は未知数。いや、リスティヒを生け捕ったことは事実だ。それが目に濃密な殺意を宿らせながらこちらを眺めている。歴戦のウィルムだが思わず気圧される。まるで餓えた獣に狙いを定められているかのようだったから。


「――しばしお待ちを!」


 ただならぬ気配を感じ取った文官のペリウスが、前に進み出て折衷案を提示する。この男はウィルムからの根回しを断っているため、何かに縛られることはない。


「太守、ウィルム様たちの仰ることももっともです。そこで、ここは一旦様子を見てはいかがでしょう。私に一つ考えがあります」

「言ってみよ」

「はっ、最近バハールとの国境付近に不審な集団が出没するとの報告が入っております。そこで、彼らに調査と迎撃任務を与えその本心と忠誠心を計るのです。命を惜しむような連中ならば、これ幸いと逃げ出すに違いありません」

「……なるほど、一度試してみるのも悪くないか。確かに信賞必罰も大事だが、戦力となる兵を手放すのも惜しい。ここは臨機応変の判断も必要であろう。ノエルよ、ペリウスの申した通りで良いか?」

「はっ! ありがとうございます!」

「ウィルムも、それで構わぬか? 法を重んじたいお前の気持ちは痛いほど分かるが、ここは私に免じて機会を与えてやって欲しい」

「は、ははっ、太守がそこまで仰られるならば」


 グロールの言葉に、かしこまるウィルム。ノエルから向けられていた殺気が弱まり、大きく息を吐く。獰猛な獣に、延々と睨みつけられているのと変わらなかったからだ。下手をすれば、喉下を食い破られていた気がしてならない。

 ウィルムはノエルに対する警戒を強めることを決める。口が多少回る小娘などと侮っては致命傷を負いかねない。説得すればよいなどという甘い考えは完全に捨て去る。獣に言葉は通用しないからだ。


「よし、では追って任務を言い渡すことにしよう。白蟻党の者には、近くの屯所で待機させておけば良いだろう。ノエル、本日は下がってよい。任務ご苦労であった」

「了解しました。それでは、失礼致します!」


 ノエルはグロールに敬礼した後、ウィルムに対し再度視線を向ける。ウィルムの目には敵意がありありと浮かんでいる。その陰険な視線だけはリグレットと良く似ているなと思った。ノエルは特に嫌われるようなことをした覚えはないが、そういうこともあるだろうと納得する。何もしてなくても、憎まれることなど大したことではない。――世の中、理不尽なことばかり起こるものだから。

 ノエルがあのクソみたいな場所で死にそうな日々を送ったこと、一人だけ生き残ってしまったこと、各地を彷徨いようやく腰を落ち着けた場所で、反乱に巻き込まれてしまったこと。その仲間から口封じのために殺されそうになったこと。

 実に不思議で理不尽に満ち溢れている。それに比べれば、ウィルムから嫌われることぐらいは大したことではない。

 ノエルは挑発するように薄ら笑いを浮かべると、踵を返して謁見の間を後にした。

 

 


 バルバスと白蟻党の者達を近くの屯所まで連れて行った後、ノエルは士官室へ戻り昼寝をしようと考えた。大あくびをして自室へと向かう途中、兵舎塔の廊下で思わず足を止めた。

 腕組みをして壁にもたれかかっているのは金髪長身の人物――女騎士シンシアだ。シンシアが片手を挙げて挨拶すると、ノエルはごほんごほんと咳払いをした後、気づかないフリをして踵を返す。

 早足で歩きだしたところで、猪の如き凄まじい勢いで駆け寄ってきたシンシアに、肩を思いっきり掴まれてしまった。


「おい、なぜ無視をする。今、確かに私と目があっていたはずだ。挨拶もできぬとは、騎士として恥ずべき行為だぞ」

「あはは、ちょっと太陽の光が目に入っちゃって。それと、忘れ物があったから取りに行こうと。うん、私は別に、やましいことなんてないし」


 ノエルは適当なことを言って誤魔化した。


「忘れ物とはなんだ? 私も一緒に取りに行ってやろう」


 シンシアが嘘は全てお見通しとばかりに鼻を鳴らす。


「あー、なんだったかな。ちょっと、ど忘れちゃったよ」


 あはは、とノエルが笑うが、シンシアの目は全く笑っていない。

 面倒なことになりそうだと即座に分かったから、ノエルは逃げようとしたのだ。シンシアは常識に外れた行動を特に嫌う傾向がある。命令違反をしてしまったノエルは格好の獲物に違いない。

 この前自分も抜け駆けしたじゃないかなどと、痛いところを突いて反論すれば、更に酷い目に遭うだろう。


「では、思い出すまで少し付き合ってもらおうか。ああ、そういえば、ボルック鉱山では随分と活躍してきたらしいじゃないか」

「ううん、全然そんなことないよ。普通の普通だったし」

「ハハ、謙遜することはない。お前の護衛についていた者から色々と武勇伝を聞いているぞ。たった一人で賊の本拠地に乗り込み、敵の首領と一騎打ち、更には悪名高き白蟻党を手下に従えてしまったとか」

「え、えへへ」

「笑うしかないとはこのことだろうな。ちなみに、それを聞いたときは思わず眩暈がしたぞ。ははは」


 顔を引き攣らせながらも、無理に笑うシンシア。


「あはは、それは大変だったね」

「笑っている場合か!」


 鬼の形相になると、肩に乗せられていた右手がノエルの頬へと回され、そのまま思いっきり抓られる。


「ぐむっ。ちょ、ちょっと、痛い――」

「痛くしているのだから当然だ! いいか? そんな無茶をしていては命がいくつあっても足りない。よって、今日は騎士の精神だけでなく、軍人としてのありかた、そして遵守すべき軍規をお前に徹底的に叩き込むことにした。時間については心配するな。夜が明けるまでみっちり付き合ってやる」

「お、お腹が痛くなってきたからまた次の機会に。それじゃあまたね!」


 ノエルはお腹を押さえて呻いた後、すっと魔の手から逃れる。今は眠くて仕方がないので、長話を聞いている場合ではない。よって、全力で自室に逃げ込もうとしたのだが。


「――ぐえっ」


 後ろ髪を掴まれてしまった。グイッと容赦なく引っ張られている。なんだか首が嫌な音がした。


「何も問題はない。私に遠慮せず漏らして構わんぞ。お前の部屋で説教――ではなく講義を行なうからな。私の部屋ではないので、いくら汚れようと私は全く気にならない」


 私が気にするよとノエルはちょっと引いた後、別の言い訳を述べる。


「えーと、そうだ、今日はちょっと眠いんだよね。任務の後だし、まだ昨日の宴会の疲れもあるし」


 そう言って遠慮したところで、シンシアが顔を顰める。ある独特の臭いが鼻に突き刺さったからだ。


「……おい、お前、なんだか酒臭いぞ」

「だから、昨日、白蟻党の皆と大宴会をね。後、今朝も一杯つきあっちゃったり。ヘヘ」


 誤魔化そうと笑みを浮かべるノエル。


「まさか、その有様で太守に謁見したというのか」


 シンシアの眉が危険な角度に上がっていく。規律、軍規、礼儀を重んじるシンシアにとっては言語道断である。

 藪蛇だったとノエルは後悔するが、とき既に遅し。


「……し、失礼なことはしなかったはずだけど。た、多分」

「本当は三時間で済ませてやるつもりだったが、気が変わった。先程の言葉通り、日付が変わるまでやることにする!」


 シンシアはそう宣告すると、うなだれるノエルの首根っこを掴んで、部屋へと入っていった。

 



 ――強引に入り込んだノエルの部屋。

 先日まで殺風景だった士官室は、ノエルの手によって鮮やかな装飾が施されていた。ついこの前までは兵棋演習用の木盤しかなかったのに。今では、訳の分からない壺、明らかに贋作と分かる名画もどきや、太陽を象った彫刻品、動物の人形やらコインブラの紋章が刻まれた高そうな絨毯までひかれている。整理されてはいるが、とても軍人の部屋と呼べるものではない。

 唖然と眺めていたシンシアは、目元を押さえて深い溜息を吐く。


「……これは、お前の仕業か? いや、聞くまでもなくそうなんだろうな」

「もちろん。私の部屋だから、これでもかと飾り付けてみたんだけど。最近は景気が悪くて品揃えがいまいちだって街の人は言ってたけど、結構面白い物があったよ。ほら、このぐるぐる回る太陽の置時計。ね、すごいよね」


 そう言って、えいっと赤い球体を回すノエル。台座で固定されているその球体は、回っているうちに高々と上っていく。遠心力を用いた仕組みらしい。太陽の浮き沈みを表現しているようだが、シンシアにはがらくたにしか見えなかった。時計として使うには、肝心の時間がさっぱり分からない。数字が刻まれていないのは、これが芸術品だからということだろうか。


「こんなに沢山のがらくたを買い込んで、一体いくら使ってしまったんだ。確認するが、太守から頂いた金貨は一体いくら残っているんだ?」

「聞いたら驚くから、聞かない方が良いと思うな」


 沈んでいく太陽を見ながら、おどけるノエル。


「お前が何をしようが、今更驚かないから気にするな。さぁ、言ってみろ」

「えっとね。昨日宴会した後、私の有り金全部白蟻党の皆に渡しちゃったから、いまは何にもない。綺麗さっぱり、金貨どころか一枚の銅貨もない。こういうのを、素寒貧ていうんだっけ」

「ぜ、全部、全部渡しただとッ!! お前はあの金貨の価値を分かっているのか!!」

「あれでバルバスや白蟻党の皆が直参になってくれるなら安いものでしょ。命はお金じゃ買えないのに、皆ついてきてくれるって」


 ノエルは全く問題ないと言い切る。叱りつけようとしたシンシアもその意見には強く反論出来ない。

 白蟻党は悪名高いとは言え、その実力は確かだ。金を払って解決できる相手ではないことは、交渉に赴いた文官が半殺しにされたことで証明済み。まるごと部下にできるなら安いものなのかもしれない。

 が、独断専行をしたことは許されるべきことではない。今回の件も下手をしたらノエルは罰せられる可能性もあった。何の許しもなく賊を傘下に加えるなど軍の常識ではありえないからだ。


「……それで、素寒貧になったお前は、一体どうやって生活していくつもりなんだ。俸給には生活費も含まれているんだぞ? 明日の食事はどうするのだ」


 任務中であれば当然ながら糧食が支給される。だが、それ以外を面倒見てくれるほど甘くはない。安くはない俸給が支払われているのだから当たり前ではあるが。


「近くの森に狩りに行ったり、海や川で釣りをしたり。食べていくだけならなんとかなるよ」


 素手で弓を引くポーズをしてみせるノエル。実物を持っていないのに、それなりに様になっている。確か、ゾイム村では狩人をしていたと聞いている。もしかすると弓術にも心得があるのかもしれない。それはともかくとして。


「……お前は騎士なんだぞ。コインブラの名に傷がつくから、頼むから自重しろ。今月の食費ぐらいは面倒を見てやる」

「やったね。えーと、こういうの何て言うんだっけ?」


 ノエルは喜んだ後、考え込みながら首を捻る。


「……何がだ」

「金のないろくでなしが、綺麗な女の人に面倒を見てもらうこと。えーと、たしか、ヒモ――」


 言葉の途中で頬を抓りあげて強引に中断させる。一般常識には疎いくせにどうでもいいことは知っている。先が思いやられるが、シンシアは自らに課せられた任務を果たす事にした。


「余計なことは言わなくていい。とにかく、お前は軍や世間の常識についてあまりに無理解がすぎる。だから」

「ねね、シンシアってもしかして暇なの? そんなに暇なら、何かして遊ぼうよ。天気もいいし、一緒に散歩でも」

「……私はとても忙しいが、お前を教育して立派な戦力にすることは他の何よりも優先されると思う。何よりも規律や常識を叩き込むことがだ。今改めてそれを認識したところだ!」


 ノエルの頭に拳骨を落す。ノエルは赤い髪の毛を押さえて蹲る。


「め、目が回る」

「私は、お前が立派な騎士になれるように全力を尽くす。その日が来るまで努力は一切惜しまないつもりだ。――シンシア・エードリッヒの名に賭けて約束しよう」

「い、いいよ別に名前は賭けなくて。立派な騎士になんかなりたくないし。私は幸せになれたらそれで――」

「約束は破ってはいけないのだろう。お前が日頃言っていることだ。という訳で、早速講義を始めるとしようか。分かるまで何度でもしつこく説明してやるから、遠慮なく言うように」


 逃げようとするノエルを拘束して座らせる。何度か繰り返したところで根負けしたのか、ノエルはようやく大人しくなった。頬はぷくーっと膨れていたが。

 シンシアは騎士、そして軍人としてのありかたを一から百まで説き始めた。作法や心構え、そして振舞い方を中心に。色々と話をしているうちに、ノエルの知識は兵法や軍略に偏りがあることが分かった。一体どこで身につけたのか尋ねたが、ノエルは笑って誤魔化すことしかしなかった。そこには絶対に喋らないという強い意志が見えたため、シンシアは追及を諦めた。ノエルの強さの正体が分かるかもしれないという期待はあったが、無理強いすることは騎士の振る舞いとしては失格である。

 途中、ノエルが居眠りを始めると、強烈な拳骨をお見舞いし強制的に覚醒させる。それが数十回繰り返された頃には、日付も変わり、ノエルの顔は完全に青褪めて死にそうになっていた。

 満足気な顔でノエルの部屋から立ち去ろうとして、シンシアは言い忘れていたことをふと思い出す。


「そういえば、一つ言い忘れていたんだが」

「――軍人たるもの居眠りをするべからず。つまみぐいをするべからず。がらくたを部屋に持ち込むべからず。私は騎士、私は騎士、私は騎士、私は騎士。あれ、騎士ってなんだっけ」


 祝詞でも唱えるような口調で言葉を繰り返したあと、ぐるぐると目を回し始めるノエル。壊れかけの騎士の体を揺すり、意識を覚醒させてやろうとする。


「おい、しっかりしろ」

「思い出した。騎士たるもの緊張して口下手になるべからず。シンシアは緊張すると舌が回らない。つまり、シンシアは騎士失格――」

「う、うるさい! あれはしっかり考えて、間違いのないように発言してるだけだ!」

「いたっ」


 軽く頭を叩くと、ノエルはようやく意識を取り戻した。


「全く。それで、言い忘れていたのは、お前の副官のリグレット殿のことだ。今朝方見かけたとき、やけに思いつめた顔をしていたぞ」

「リグレット、リグレット。あー、私に似ているリグレットね。舌打ちが凄い上手いんだよ。まさに舌打ち娘だよね」


 ふらつきながら、朦朧とした意識でぽんと手を叩くノエル。あははーと目を回しながら微笑んでいる。いきなり全力でやりすぎたかとシンシアは少し反省するが、特に気にしない事にした。明日が晴れならば、このお天気娘は確実に元気になっているだろうから。


「どこがお前に似ているのかは知らんが、少し気をつけた方が良いと思うぞ。副官との信頼関係を築くことはとても重要なことだ」

「うん、良く分かった」

「本当に分かったのか?」


 ノエルは分かった分かったと繰り返しながら、ベッドに向かい、そのまま倒れこんでしまった。気力と体力が尽きたようだ。勲章がついた真新しい軍服のままベッドに埋もれ、身動き一つしない。


「……まるで子供だな。しかし、この娘の強さは本物。人は外見では分からないという事か」


 自分を倒し、エルガーを救い、敵の奇襲を見抜いて反乱軍首領を拘束してみせた。さらには白蟻党を傘下に収めるという考え難いことまでやってみせる。

 シンシアは布団をノエルに被せてやり、ふう、と小さく息を吐く。


「ただ幸運なだけの馬鹿なのか、それとも歩き始めたばかりの英雄なのか。私には全く判断がつかないが――」


 シンシアは言葉をきり、その人物を見下ろす。――ノエルは安らかな顔で眠りについている。


「長い付き合いになりそうなのは確かだな。それまでには答えも出ていることだろう。ふふ、退屈とは無縁の日々になることだけは間違いないな」


 思わず苦笑を漏らし、シンシアはノエルの賑やか極まりない部屋を後にした。

ペリウスが出てこなければノエルはサクッと出奔していました。

ちょっとしたことで、歴史は変わります。そんな感じ。

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