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第十五話 白き蟻の群れ

 ノエルとリグレットは護衛の兵士三名を引き連れて、マドレスから北に伸びる街道を馬車で進んでいた。その途中にはかつて黄金郷と呼ばれたボルボの街がある。そこで情報を集め、準備を整えるのが最善とリグレットが進言したのだ。

 護衛はいらないとノエルは渋ったが、リグレットが独断で参加させた。野盗に襲われて悲惨な末路など冗談ではないからだ。まだ反乱軍の残党が潜んでいる可能性もある。今のご時勢、用心は幾らしても足りないのだ。

 それを全く分かっていないこの馬鹿女は、護衛兵相手にのんきに談笑している。ノエルが死ぬのはどうでも良いが、道連れはご免である。


(反乱軍を打ち破った英雄だかなんだか知らないけれど。頭に何が詰っているのか見てみたいわね)


 心休まらないリグレットとは異なり、マントに身を包んだノエルは楽しげに護衛兵たちと談笑している。それが妙に癇に障り、リグレットのイラつきは増していく。何度か話しかけられたが、無視を決め込んだ。任務だから従うだけで、信頼関係を築くつもりなど欠片もない。


「あー、それにしても馬車は楽でいいよね。寝てても平気だし」

「しかし、街道の整備が完璧でないので、揺れが酷すぎます。とても寝ていられませんよ」

「ゆりかごみたいで気持ちよくない?」

「……いえ、残念ながら私は」

「私も同意見です」


 護衛兵が苦笑いを浮かべて否定すると、他の者も疲れた顔で頷いた。


「そうかなー」


 ノエルが意見を求めるようにこちらを見てきたので、舌打ちして顔を背ける。


「あはは、リグレットは舌打ちが上手いよね。ね、貴方もそう思わない?」

「……いや、その、そう言われれば、そうですね」

「うん、熟練の技って感じ。こんなに上手に舌打ちする人、初めて見たよ。舌打ち娘だね!」


 嬉しそうに笑うノエル。

(この田舎娘、黙ってれば好き勝手言いやがって!)


 リグレットは顔を顰める。このまま放っておくと、舌打ちのやり方を教えてくれと言い出しかねない。仕方がないので、話題を変えてやりこめることにした。


「……そういえば、ノエル隊長はシンシア様と親密なようですね。実に羨ましいことです。何か気を引くような物でも送ったのですか? 彼女はコインブラでは名のある家の出身ですから。そのツテがあれば太守からの覚えもさぞ良かったことでしょうね」


 暗にノエルの出世の早さにケチをつけてやる。その顔が少しでも歪めば小さな復讐は成功なのだが、特に怒るような様子はない。


「ううん、別に何も送ってないよ。ただ、助けてあげた代わりに褒美をもらったの。これなんだけどね」


 懐から小物入れを取り出し、その中にある作りの良い眼鏡をいきなり掛け始める。切りそろえられた赤髪、黒縁の眼鏡。ただそれをつけただけというのに、雰囲気が知性溢れる参謀のようなものに変化する。


「眼鏡、ですか」

「そうだよ、リグレット百人長。ね、私もこれで少しは頭が良く見えるかな?」

「……そうですね。外見だけは良く見えるんじゃないでしょうか。内面までは知りませんが」


 リグレットは嫌味を交えつつ返答する。


「太守にお目通りしたときは、この眼鏡を掛けていったんだよね。そうそう、貴方のお父さんに会った時だよ」


 父と聞いて思わず顔を上げてしまったため、目が合ってしまった。ノエルはニヤリと口元を歪めてみせる。レンズ越しに映る瞳は全く笑っていない。こちらの心底を覗き込むような、底知れなさがある。気圧されたリグレットは再び目を背けてしまった。


「あはは、貴方のお父さんは、私の事が嫌いみたいだね」

「…………」

「――と、これは大事な宝物だから、壊れないようにしまっておかないと。割れちゃったら大変だ」


 そう言って微笑むと、眼鏡を大事そうにしまいはじめる。先ほどまでの威圧感は鳴りを顰め、いつもの脳天気な女に戻っている。その変貌ぶりを見て、ウィルムが警戒する理由がようやく分かり始めてきた。初対面で今のような威圧感を放っていたら、警戒するのは当然だ。どちらが素なのかは分からないが、リグレットは油断しないよう心がける事にした。

 リグレットが黙り込んでいると、ノエルが身を乗り出して話しかけてくる。


「ね、私も一つ聞いていい?」

「……なんでしょうか」

「リグレットって、なんだか幸薄そうだよね。陰気臭いし、世界を憎みながら生きてるような。うん、まさに日陰者って感じ」

「…………」


 護衛兵たちの息を呑む音がする。

 身内以外から面と向かって罵られるのは久々だったので新鮮だった。だが、気分が良いはずもないので、分かるように舌打ちした後、わざとらしく溜息を吐いてやる。ノエルの方が序列は上だが、階級は同じだ。馬鹿を相手に遠慮する必要は何もない。


「だからね、昔の私と似てるなって思ったんだ」

「……は?」

「だから、私とリグレットは似てるなって」


 暫し呆然とした後、沸々と怒りが湧いて来る。全然似ていない。似ている訳がない。お前は何も考えていなさそうな馬鹿な田舎者で、こちらは名高きグランブル家の長女。生まれが違えば性格もまるで違う。髪の色も違う。なにもかもが違う。


「生憎、私は全くそう思いません」

「別にいいよ。大事なのは私がどう思うかだから。じゃ、そういうことで」


 そう言って立ち上がると、ノエルは大きな袋を持って馬車から飛び降りていく。我に帰った護衛兵たちもそれに続く。いつの間にか目的地であるボルボの街に到着していたらしい。

 直ちに追いかけて自分との違いを徹底的に叩き込んでやりたいが、それよりもまず宿をとる必要があるだろう。陽はまだ暮れていないが、今から鉱山地帯に乗り込むというのは危険すぎる。到着するころには確実に夕暮れ時だ。

 馬車から降りて御者に合図をした後、ノエル達を急いで探す。何故か街の入り口ではなく、鉱山地帯の方角目掛けて歩き始めている。護衛兵たちもどうしたものかと慌てているが、引き止めることはできていない。

 リグレットは慌てて駆け寄り、ノエルの肩を掴む。


「お待ちください! ……今日は街で宿を取り、少し情報を集めましょう。今からでは、鉱山地帯に着くまでに確実に陽が暮れます。今回は偵察に来たのですから、危険を冒す必要は全くありません」

「だから良いんじゃない。昼間だと相手にこちらの姿が丸見えでしょ」

「貴方はどこまで偵察する気なんですか。今回は地形の下調べだけで十分です。更に細かい情報が欲しければ、手練の斥候を放てばよいだけです」

「それじゃ意味がないんだよね。とにかく私は行くから。あー、リグレット達は帰っていいよ。ここまで見送りご苦労様」

「帰っていいって――」


 そこまで言ってから、ノエルの姿が異様なことに気づく。鎧を身につけ、腰には鉄槌、背中には二又の槍と完全武装だ。馬車の中では、マントに包まれていたので気がつかなかった。一方のリグレットたちは軍服姿。今回は戦闘するつもりはないのだから、当然軽装である。

 そして、ノエルの左手には大きな布袋が握られている。馬車にあったのは気づいていたが、中に何が詰っているかは分からない。興味もなかったし、ノエルと積極的に話すつもりもなかったからだ。


「……一体、貴方は何をする気なんですか。いや、そもそも何を考えているんですか、そんな重装備で」

「今はまだ何もしないよ。考えるのは、白蟻党と実際に会ってからかな。その方が楽しそうだし」


 それじゃあねと呟くと、ノエルは鼻歌交じりに一人で歩いていってしまった。内部に乗り込んで限界まで偵察を行なう気なのだろうか。危険極まりない行為だ。とはいえ、副官として諫言はしたのだから、これ以上付き合う義務は全くない。


「リ、リグレット様。どうしますか?」

「追いかけないとまずいのでは」

「…………」


 宿を取り、次の日に帰ってこないようなら引き上げると言うつもりだった。新参のノエルが死のうと気にする者もいまい。独断先行なのだからグロールに責められることもない。それが正しいだろう。

 ノエルの後姿を眺める。ひょこひょこと長い槍が揺れている。恐れを全く抱いていないのが見て取れる。その不遜ともいえる自信がどこから来るのか、ほんの僅かだが気になった。そして、自分と“似ている”と言ったあの言葉も。


「リグレット様?」

「……馬車から荷物を取ってきなさい。もう少しだけ、隊長についていくことにする」

「し、しかし。先ほど危険とおっしゃられていたではありませんか。私達も同意見です」

「嫌なら見捨てて帰っていいわ。別に軍規違反には問わない。だから自分の頭で決めなさい。折角大層な物がついてるんだから、たまには使いなさいな。飾りじゃないんでしょ?」

「……はっ、はい。了解しました!」


 リグレットが馬鹿にしたように告げると、護衛兵たちの顔に僅かながら怒りの表情が浮かぶ。だが、すぐにそれを消して敬礼すると、馬車目掛けて駆け出して行った。

 結局は上官に従わなければいけないのが兵士というものだ。軍隊では階級が絶対である。見殺しにしたと分かれば、後で罰が与えられるのだから。


「……本当に腹立たしいわ。あの糞ガキ、勝手な行動ばかりしやがって!」


 リグレットは罵声を吐いて長い後ろ髪を掻き毟ったあと、舌打ちと共に地面を蹴り付ける。最大までイラついたときはこうして不平不満を解消するのだ。今回は自分の理解しがたい判断に対しての行動への八つ当たりも含まれている。


(別に興味がある訳じゃない。ただ父からの命令に従うだけよ。そう、あの不愉快極まりない馬鹿女を監視しなければいけないしね)


 遠く前方で眩しそうに太陽へ手を翳すノエルの姿を、リグレットは思い切り睨みつけてやった。

 


 

 コインブラ北部に位置するボルック鉱山地帯は、かつては掘れば必ず金が出ると呼ばれるほどの大金鉱だった。すぐ傍にあるボルボの街には各地から出稼ぎの鉱夫達が集り、彼らを目当てにまた商売人がやってくる。金と人が常に行き交い、活気に溢れる賑やか極まりない街。その様相はまさに黄金郷と呼ぶに相応しいものだった。

 だが、金が枯れてしまった今では、完全に過去の栄光となってしまった。街には廃墟と化した住居や店舗が溢れ、疲れた表情をした人間をたまに見かけるぐらいである。鉱山はといえば、長く深い坑道が何本も掘られたままで放置されている。そう、現在のボルック鉱山とボルボの街はすでに終わった場所、夢の残滓に過ぎないのだ。

 それでも諦めきれない者、他に行く宛のない者は、この鉱山地帯に残りひたすら穴を掘り続けていた。

 鉱夫の中でも古株に当る、この筋骨隆々とした白髪頭の大男もその一人だ。男の名はバルバス、他の州からコインブラへと出稼ぎに来て、そのまま定住してしまった人間だ。年齢は38と若い部類に入るのだが、残った者達からはいつからか“親方”などと呼ばれるようになっていた。生来の奔放な性格と、面倒見の良さがそう呼ばれることになった主な原因である。


「……ったくつまんねーな。相変わらず金は出ねぇしよ。一体いつになったら出やがんだ」


 バルバスは金色の煙管を吸って、退屈を紛らわせる。周囲には鉱夫――自分たちは“掘師”と呼んでいる――が剥き出しの地面に腰掛けて同じようにくつろいでいる。金が出ないのは当たり前なので、今更がっかりすることもない。だが、毎日毎日同じようなことをしていれば飽きる。退屈する。それでも他にやりたいこともないので掘り続ける。

 そんな生活にバルバスはそろそろ嫌気が差していた。とはいえ長年の付き合いである堀師たちを今更見捨てるつもりもないが。いわゆる腐れ縁でも、長く付き合えば情も湧く。それが人間というものだ。


「親方ァ、握り飯いりますか? ちょいと塩がキツいですが」

「いらんいらん。俺はこれでいい」


 煙管を上げて遠慮しておく。そうですかいというと、声をかけてきた男は握り飯に齧りつく。


「掘っては食って、掘っては食って。俺達はモグラだったかな」

「モグラってよりは、ちっせぇ蟻ンコですぜ」

「自分で言ってりゃ世話ねぇぜ」


 金が出ない鉱山でこんな馬鹿なことをやっていて、本来ならば生活できる訳がない。それでも食事に困ったことはほとんどない。それは何故か。――ある連中から頂いているからだ。

 このボルック鉱山には堀師が大体500人ほどはいる。たまに狩りをしたり、農作業をすることもあるが、基本的に食料はボルボの街で購入している。その資金の出所は、我らがコインブラ州のお偉方である。といっても資金を供給してもらっている訳ではない。徒党を組んで襲撃し、存分に奪い取っているのだ。

 バルバスたちボルックの堀師には、鉱夫とは別の顔がある。“白蟻党”を名乗る武装集団という顔だ。

 採掘作業で鍛えた体力、腕力のおかげで、コインブラの弱兵如きならば大抵は打ち負かす事ができる。襲撃対象は屯所、荷馬車、貴族一行、たまに食糧貯蔵庫などだ。今まで散々薄給でこきつかってくれたのだ。多少奪い返して文句を言われる筋合いは全くない。偉大な太陽神も見逃してくれるだろうと、バルバスは心底から思っている。


「そういえば、例の反乱軍はもう制圧されたらしいですよ。さっき街で聞いたんですが」

「へぇ、そうかよ。まぁ、見境なく襲いまくってたからな。自業自得だろうなぁ」


 反乱軍が決起した情報はこのボルック鉱山にも届いていた。当初は参加するかと堀師たちと相談したのだが、連中がボルボの街に襲い掛かったことからそれはご破算となった。バルバスたちは襲撃対象をコインブラ軍、及びそれに仕える者に限定している。貧しい連中から搾り取るような真似はしないと誓っているからだ。それを破った者には、バルバスは容赦なく制裁を加えてきた。義賊を気取る訳ではないが、人間としての最低限の誇りだけは守りたいと思ったからだ。

 という訳で、バルバスたち白蟻党は、ボルボの街を守る為に剣を取り、略奪を行なっていた反乱軍を徹底的に叩き殺した。それが終わったら再びこの鉱山で穴を掘り続ける。日常が変わることはなかった。


「参加しなくて良かったですね」

「全くだな」

「ところで親方、またアレが大量にでてきたんですが」

「あー、いつものように水練り班に回しとけ。ったく、肝心の金が出なきゃ仕方ねぇのによ」


 アレというのは、この暗い生活で唯一明るい気分にさせてくれる“石”のことだ。明るくなるといっても、金に換わるからではない。物理的に明るく派手に照らしてくれるのだ。


「でも堅い岩盤を吹っ飛ばすのは気分爽快ですぜ」

「ま、それぐらいしか楽しみはねぇわな。間違えて事故らねぇように気をつけろよ」

「もちろんです。あんな目に遭うのはもうこりごりですぜ」

「わかってりゃいいさ」


 はーと口から煙を吐き出す。本来ならこの程度の少人数の集団は、コインブラ軍にすぐに討伐されていてもおかしくない。それが数年の間逃れ続けてきたのは、この枯れた鉱山で先ほどの“石”を発見をしたからだ。金はでなかったが、それを掘るのに役立つもの。その“石”を上手く活用して、バルバスたち白蟻党は討伐隊から逃げおおせているのだ。

 その“石”をバルバスたちは“燃焼石”と呼んでいる。


「あー、やっぱりつまらん! 酒も煙草も惰眠を貪るのも飽きた!」

「お、親方?」

「掘っても掘っても金は出てこねぇ! 何かこう、頭が弾けるような強烈なモンは出てこねぇのか!?」


 バルバスが煙管を叩き付けて、近くにあった岩石を粉砕する。その勢いに気圧される堀師たち。酒を持って宥めようとするが、バルバスはいらんと喚く。


「なら、在庫の燃焼石で一発いっときますか? へへ、こうドカンと鉱山を吹っ飛ばしましょうや! 数年は語り継がれますぜ!」

「大馬鹿野郎ッ! さっきこりごりって言ったのはてめぇだろうが!」


 更に大声で喚こうとしたとき、坑道の入り口から血相を変えた堀師が駆け込んでくる。鉱山入り口付近の見張り番の男だ。


「お、親方、大変だっ!」

「なんだなんだ、金が遂に出たってか!? そいつはすげぇ! この前みたいに間違いだったら、てめぇの両手両足叩き折ってやるから覚悟しろよ!」

「ち、違うって! いきなりコインブラ軍の連中がやってきたんだ! すぐそこまで来てるぜ!」


 その言葉を聞いて、周囲の堀師たちが腰の剣を抜き放ち臨戦態勢に入る。普段はふざけていても、一応は武装集団の端くれ。やるときはやる。

 バルバスはやれやれと呟いた後、壁に立てかけておいた大剣を手に取る。現在、コインブラ軍で白蟻党討伐の任に当っているのは、北部出身のディルクという年配の指揮官だ。何度かやりあったので、性格は大体把握している。コインブラ軍人にしては珍しい善良な硬骨漢なのだが、頭が固くて融通が利かない。臨機応変に対処するのが苦手ならしく、バルバスは撹乱戦法で何度も手玉にとっていた。そろそろ血管がぶちぎれるかもしれないと、敵ながら心配してやっていた。ああいう分かりやすい男は嫌いではなかった。


「ディルクのおっさんもそろそろ正念場ってことか。数はどんぐらいだ。今回は気張ってるだろうし、千はいるか?」


 討伐隊の数は、大抵百から千程度が相場だ。舐めきった馬鹿は百でくるし、度胸のない腑抜けは千の大所帯でやってくる。前者は待ち受けて叩きのめし、後者はちんたらやっているうちに姿を晦まして相手にしない。そうやってバルバスは何度もコインブラ軍を手玉に取ってきた。最初はヘマを踏むこともあったが、場数を踏んでいくうちに判断を誤ることはなくなった。


「い、いや、それが」

「なにをぐだぐだしてやがる。こういうときは、時間が勝負の分かれ目になるのは知ってるだろうが。ほら、とっとと言いやがれ」

「えーと、五人だけなんです。しかも二人は女でして。実は、もうすぐそこにいるんですが」


 見張りの男がポリポリと頬を掻くと、入り口方向から何者かが現れた。先頭にいるのは、鎧を身につけた赤髪の散切り頭をした娘。見覚えのある堀師の首根っこを掴んでずるずると引き摺っている。目は閉じているが、気を失っているだけのようだ。

 その後ろからは、抜剣した人間が四人。男三人と女が一人。顔は青褪め完全に引き攣っている。いつものコインブラ軍といっていいだろう。


「おいおいおい。こりゃどういうことだ。俺には全然意味がわからんが」

「いや、この赤毛の女、何度警告しても聞きゃしないし、教育してやろうと先走ったゴランの馬鹿はあのザマです。どうも腕っ節には自信があるみたいで。流石に囲んで嬲り殺すのもどうかなぁと思ったんで、親方に聞こうかと」


 『最低限の仁義を守り、決して弱者を甚振るな』という方針を掲げる白蟻党としては、世間知らずの女を囲んで叩きのめすという選択はできなかったのだろう。だからといって、この本拠地に通してよい理由にはならない。


「……あのな、見張りの役目は侵入者を発見することとは言ったが、一番の目的は本拠地への侵入を阻止することだろうが。それをわざわざ連れてきやがって。適当に足でも圧し折って、放りだせば済む話じゃねぇか」

「面目ねぇ。ただ、あの赤毛、見た目より強いですぜ。ほら、あの力自慢のゴランが引き摺られるくらいなんで」

「あー分かった分かった。今の俺は最高に機嫌が悪いんだ。とっとと片付けて、服をひん剥いて放り出すことにする。素っ裸で精々反省してもらおうか」


 首の骨を鳴らしながら、赤毛女の前へと立つ。女はこちらを興味深そうに観察したあと、手に持っていたゴランという間抜けを放り投げた。地面に顔から落ちるとぐぇっという声がする。再び伸びたようだ。


「よう、こんなとこまでやってくるなんて勇敢じゃねぇか。それだけは褒めてやるよ」

「ね、凄いね、この山の坑道。本当に蟻の巣みたいで驚いちゃった」


 人懐っこい笑みを浮かべる赤毛。思わず脱力してしまいそうになるが、腰には鉄槌、背中には鋭利な二又の槍を持っている。あまり気を抜くわけにもいかない。世間知らずのようだが、腕は多少立つとのことだ。そういう人間に限って早死にするのも世の中というものだが。


「まぁ、それが俺たち堀師の仕事だからよ。お前らコインブラの連中から金や食い物を奪うのは、いわば副業みたいなもんだ。分かったら――」


 有り金置いてとっとと出て行け。そう言いかけたところで、赤毛が手に持っていた大きな布袋を放り投げる。地面に落ちた衝撃で封が解けて中の物がばらまかれる。――大量の金貨だった。これだけあれば、白蟻党の人間が細々とだが一年は食っていけるだろう。


「なんだよ、すげぇ大金じゃねぇか。わざわざやってきてこんなに金貨を置いていってくれるなんてよ。お前は女神みたいな女だな」


 拝んでやろうかと嘲ると、赤毛が首を横に振る。


「あげるんじゃなくて、これは賭け金だよ。あなたが白蟻党の首領なんでしょ? 私と勝負して勝てたら、これを全部あげる」

「――ああ?」

「ただし、私が勝ったら言うことを聞いてもらうからね。これは約束」

「あ、貴方、何を馬鹿なことを言ってるのよ! 気でも狂ったの!?」


 後方にいた陰気臭そうな女が金切り声を上げる。坑道の中なので高い声が響いて不快極まりない。殺気を込めて睨みつけると、女は体を竦ませる。ノエルと呼ばれた女は、もちろん正気だよと笑っている。


「もし私がおかしいなら、ここまでついてきたリグレットも変人だよね」

「に、逃げたくても、包囲されちゃって逃げられなかったのよ! この狂人がッ! お前のせいで私は犬死よ! 死んでも恨んでやる!」

「いつになく元気がいいね。大丈夫、今日はいい天気だから、死なないよ」


 そう言ってノエルがこちらへと向き直る。顔は穏やかだが、先ほどとは目が変わっている。隙を窺う狩人のようなものに。


「最後まで聞いてやるが、勝負ってのは何をやるんだ? まさか俺が嬉しくなるようなことじゃねぇだろうな」

「じゃあ殴り合いで、降参したほうが負けにしようか。ね、分かりやすいでしょ?」


 そう言うと、装備していた武器を放り投げ、素早く鎧も脱ぎ捨ててしまった。鎧の下は薄手の服のみ。


「女のお前が、俺と殴り合いだと? そこの陰気臭い女も言ってたが、本当に頭がおかしいんじゃねぇか?」

「ずっと前はおかしかったけど、今は普通かな。前と違って毎日楽しいしね」


 白い歯を見せて笑いかけてくるノエル。しばらく呆気に取られていたが、徐々にバルバスの中に怒りの感情がこみ上げて来る。コインブラの弱兵、しかもたかが小娘に舐められているのだ。どういうことなのかは分からないが、舐められているのは間違いない。近くにいた部下達に手で合図し、入り口を固めさせる。そして大剣を放り投げた後、両拳を激しく打ち鳴らす。


「弱い者いじめは好きじゃねぇんだ。自分が心底情けなくなるからよ。だが、舐めた屑を叩きのめすのは別だ。一応気をつけるが、死んでも恨むなよ?」

「うん、分かった」


 口元を歪めて頷くノエル。いい度胸だと唾を吐き捨てた後、バルバスは突如としてノエル目掛けて飛び掛った。


「一発目でいきなり泣くんじゃねぇぞ、小娘ッ!!」





「おらっ!!」


 全力で振るった拳が空を切る。これで何度目だろうか。当れば倒せるのは間違いない。だが一発も当てられない。

 肉薄して押し倒そうとすると、体を入れ替えられて連打を浴びせられる。一撃一撃は軽いのだが、続けざまに打たれればダメージは蓄積していく。呼吸をするたびに脇腹が軋む。


(舐めていたのは俺のほうとでもいうのか? この小娘、俺の攻撃を完全に見切ってやがる)


 そう、まるで、攻撃が“見えている”かのように待ち受けてカウンターを入れてくるのだ。

 既に三十分は殴り合いを続けているが、全く有効打を与える事ができない。ノエルは疲れ知らずで獣の様な動きで翻弄してくる。剣を使った勝負だったら既にバルバスの命はない。


「……糞ッ」


 血の混じった唾を吐き捨てて、一歩後退して距離を取る。最初は煽っていた堀師の連中も、今では固唾を飲んで見守る事しかできないようだ。バルバスは白蟻党の中でも一番の強者。それが完全に手玉に取られているのだから、心中穏やかではないだろう。


「ね、そろそろ降参しない?」

「へっ、逃げ回ってるだけの小娘相手に負けを認められる訳がねぇだろうが。さっきから腑抜けた攻撃ばかりしやがって。そんなんじゃ俺は倒せねぇぞ」


 唾を吐き捨てて強がって見せる。荒れる呼吸に気が疲れないように、努めてゆっくりと息を吸い込む。


「じゃあさ、一発当てていいよ。本気の本気、ぶっ殺すつもりで殴りかかってきて。そろそろ夜になりそうだから、勝負を決めようよ」


 誘うように両手を広げてみせる。罠か、それとも本気なのか。バルバスには判断がつかない。だが、そろそろ体力的にきついというのも本当だ。


「……面白れぇ。俺の渾身の一撃に耐えられたら、お前のいう事を何でも聞いてやるよ。だが、もし避けたりしたら許さねぇぞ」


 挑発してカマを掛けて見る。ノエルは心外であるとばかりに口を尖らせる。


「私は、約束は絶対に守るよ。それが私が私である証だからね。それじゃあ、来ていいよ」


 ノエルは腕を十字に交差させて防御態勢を取る。本気でバルバスの一撃を受けるつもりらしい。


(この糞アマ、腕ごとへし折って、その飄々とした顔面叩きのめしてやるぜ)


 バルバスは腰を落とし、両脚に力を込める。右拳を限界まで握り締めながら大きく息を吸い込み、標的を睨みつける。


「――いくぜッ!!」


 掛け声と同時に息を吐き出し、地面を一気に踏みきる。振りかぶった右拳を、顔の前で腕を十字に構えるノエルへと叩きつける。

 命中すると同時に、鈍い衝撃がバルバスに伝わってくる。重い。やったという手ごたえは全くない。まるで、鉄の塊に打ち付けてしまったかのような違和感が残るだけ。

 交差させた腕の奥から、ノエルの目が見えてしまった。野性の猫のように標的を見定める瞳。先程の狩人の目に、殺意が混じっている。その目には苦悶の表情を浮かべるバルバスが映っている。


(――ヤバイッ。だが、その前に潰すッ!!)


 危機を察知したバルバスが慌てて左の追撃を繰り出そうとした瞬間、


「なっ――」

「約束は一発だけだったよね。それじゃ、これはお返し」


 いつの間にか十字の防御を解いたノエルが、右拳で鋭い突きを放ってきたのだ。それはバルバスの鳩尾へと深々と突き刺さる。ぐえっと体が折れたところに、頭部めがけてノエルの両拳が勢いよく振り下ろされた。

 顔面から地面へとたたき付けられたため、視界が乱れる。腹部に強烈な蹴りを入れられた後、背中に何かが当てられた。


「う、ぐうッ!」

「約束通り降参するなら解放してあげる。負けを認めないならこのまま踏み抜く。ね、貴方はどうするの?」


 倒れたままなんとか見上げると、偉そうに腰に手を当て、右足で自分を踏みつけているノエルの姿がある。その右足は背骨の部分に正確に当てられており、徐々にだが圧迫が強まっていくのを感じる。この女は“約束は絶対に守る”と言っていた。つまり、バルバスが負けを認めなければ背骨を粉砕して殺すつもりでいる。一見人懐っこく幼い表情をしているが、この女は間違いなくやるだろう。目を見ればその人間の本質を垣間見る事ができる。この女の本質は、餓えた獣。人間の皮を被った化け物に近い。


「う、うぐッ」

「ね、約束を守るの、それとも破るの?」


 首を傾げながら、落ち着いた口調で問いかけてくる。圧迫はいよいよ強まり、地面に接触している腹部がミシミシと嫌な音を立て始めた。もはやこれまでかと、バルバスが目を見開いたとき、


「――親方ッ!」


 先ほどから隙を窺っていた堀師の一人が、矢を放った。隠し持っていた短弓で、ノエルの背後から撃ちぬいたのだ。

 ノエルは全く慌てる事なく、まるでそこに来ることが分かっていたかのように、矢を素手で掴みとってしまった。視線は相変わらずバルバスと合ったままだというのに。


「ひ、ひいっ! な、な、な、なんで」


 矢を射掛けた堀師は、腰を抜かしてへたりこんでしまった。他の者たちも同様だ。


「これが最後。ね、降伏する?」

「……わ、分かった俺の負けだ。約束は、守る」

「そっか、良かった。これで皆殺しにしなくて済むね」


 掴んだ矢を圧し折ると、ノエルは心から嬉しそうに微笑んだ。バルバスはあまりに無邪気なその表情につい見とれてしまっていた。先ほどまで感じていた怒りと敗北感が掻き消えていく。圧迫されていた体を解放されたからかもしれないが。顔にへばりついた泥を落としながら、バルバスはゆっくりと立ち上がる。


「……俺の負けだ。あの一撃を正面から受け止められちゃ、言い訳もねぇ。それに、今のもだ。お前、本当にとんでもねぇ女だな」

「でも、さっきのは結構痺れちゃったよ。ほら、腕が真っ赤だし」


 袖をまくって両腕を見せてくる。確かに、受け止めた箇所は真っ赤に腫れあがっている。痛みもあるだろうに、その顔には全く表れない。


「……約束は約束だ。お前の言う事を聞いてやらなきゃいけねぇ。出頭しろってんならどこでも行く。別にこの場で首を刎ねてもらっても構わんぜ」

「お、親方!」


 動揺する堀師たちを一喝する。


「うるせぇ! 負けは負けなんだ。負けた人間に文句を言う資格はねぇんだよ。分かったら大人しくすっこんでろ」


 バルバスが観念してみせると、ノエルは困ったように首を傾げる。


「えーとね、出頭というか、私についてきて欲しいんだけど」

「……だから、どこへでも行くって言ってるだろう」

「うーん、簡単に言うとね、私の直参の部下になって欲しいんだ。そのためにわざわざここまで来たんだから」


 そう言うと、埃を叩いた後、バルバスにその手を差し出してくる。


「白蟻党の首領であるこの俺を、直参の部下にしたいだと?」

「うん。直接見てから決めようと思ったんだけど。貴方、面白そうだから。面白い人達と一緒なら、色々と楽しそうでしょ?」

「……お前、やっぱりイカれてるぜ」

「そうかなぁ」

「ああ、間違いない。俺も一種の狂人だからな、良く分かるんだ」

「そっか。それじゃあ、駄目なのかな」


 ノエルが残念そうに呟き、差し出した手をひっこめようとしたので、バルバスは慌てて左腕で遮る。


「待て待て待て、そうじゃねぇ! お前がいらねぇって言うまで、どこまでもついていってやる。そう、どこまでもだ。約束は約束だからな」


 バルバスは右手でノエルの手を握り締める。焼けるように熱いノエルの掌を、力強く握る。契約の証と示すために。


「それじゃあ私が幸せになれたら、お裾分けしてあげるね。私も約束は守るし」

「ああ、頼むぜ、あー、お前じゃなくて隊長さんよ」

「うん、これからよろしくね」


 そう言ってその場に座り込むノエル。疲れたーと呑気に足を伸ばしている。バルバスは一つ気になることがあったので、たずねてみる事にした。


「なぁ、もし俺が約束を破って、言うことを聞かなかったら、一体どうしてたんだ?」


 答えは想像できるが、敢えて尋ねる。尋ねてみたかった。自分の勘を確かめるために。

「約束を破るような人間は、私の仲間にはいらないかな。だから、生かしておく必要はないよね」


 そうでしょ? と同意を求めてくるノエル。求めていた答えが聞けた事に、バルバスは多いに満足した。


(……これだ。俺の待っていた、頭のハジケそうな強烈なもの。へへ、燃焼石なんて目じゃねぇ。少しばかり強烈すぎたが、まさに天からの贈り物だ!)


 最後に待ち受けるのが何かは予測出来ないが、退屈だけはすることはなさそうだ。未だ疼く腹部の痛みを堪えながら、バルバスはそう思った。


「そうだ、ちゃんと自己紹介しないといけないよね。私の名前は、ノエル・ヴォスハイト。素敵な名前でしょ?」

「ノエル、か。いい名前だな。あー、俺の名はバルバス・バウ。えーと、こ、これから、どうぞよろしく頼みます」


 バルバスは、新しい主に向かって初めての敬礼を行なった。慣れない敬語と、ひどくぎこちない動作で。

 それを見たノエルは、驚くぐらい敬礼が下手だねと腹を抱えて笑い出した。その笑い声は洞窟内に響いたが、先程とは違いバルバスは特に不快には感じなかった。

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