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火輪を抱いた少女  作者: 七沢またり


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第十四話 笑顔の別れ

 ノエルが騎士叙勲を受けた次の日。シンシアは大きな手荷物を携えてノエルの士官室の前に立っていた。一度咳払いの後、ノックをしてから声をかける。


「ノエル、いるか」

「はーい、いるよ。今開けるね」


 間の抜けた声と共に扉が開かれる。真新しい軍服に、銀冠勲章を誇らしげにつけたノエルがニコニコとした表情で現れた。太陽のような赤髪は相変わらずだ。だがその髪型は綺麗に切り揃えられている。今までは自分で手入れをしていたようだが、先日の叙勲式の際にシンシアが係の者を手配してやったのだ。黙っていれば貴族の娘に見えないこともない。性格はすっ飛んでいるが、外見は整っている。


「おはよう、あーシンシア――様。今日も外はいい天気だよ。でも、山向こうに雲があるのが嫌な感じだけど」

「…………」


 相変わらずの脳天気ぶりに、シンシアは思わず溜息をついてしまう。


(一応は騎士の端くれになってしまったのだから、本当に頭が痛い。……もしもこいつが失態を犯したら太守の名を傷つけることになる。私が教育を徹底せねば。……あー、本当に先が思いやられる)


 シンシアはなんだか胃がジンジンと痛くなってきたのを感じる。別に世話役ではないのだが、ノエルを太守に引き会わせてしまったのは自分だ。責任の一端は間違いなくあるだろう。


「ね、どうしてずっと黙ってるのかな。なんだか目が据わってるけど。それに胸を押さえたりして、お腹でも空いた?」

「……いやなに、先のことを考えていただけのこと」

「そっか」

「それより、今日は大事な用件をお前に伝えにきたんだ」

「大事な用件。なんだろう、騎士にしたのは実はなにかの間違いだったとか。それだったら驚くよね。アハハ」


 気楽なノエルの言葉を受け流し、シンシアは指を突きつける。そのままノエルの額をぐりぐりとやる。


「笑っている場合か! お前は百人隊長となり、更に恐れ多いことに騎士の身分まで手に入れてしまった。何かの間違いだと私も思いたいが疑いようのない事実だ。それは同時に、自分の部下を持つということを意味する」

「部下?」


 一言だけ呟いてノエルが首を傾げる。


「そうだ。有事の際に太守からお預かりする兵とは別――つまり、直参の兵を雇えるということだ。当然、お前の給料で面倒を見なければならないが。それでも信頼のおける部下というのは何にも代え難いものなのだ」


 直参直参と何回か呟いた後、勢いよく手をポンとうつノエル。ようやく理解できたらしい。


「つまり、気に入った人を雇っていいってことだよね。仲間の中の仲間ってことか」


 少し違うような気もしたが、大筋は合っているので頷いておくことにする。細かく説明していると間違いなく日が暮れるだろう。


「ま、まぁ一応はそういうことだ。ちなみに、私も父の代から仕えてくれる者達を雇っている。経験豊かな彼らの言葉で、何度も助けられてきた」

「もうちょっと早く言ってくれれば良かったのに。ミルトも、兵隊としてじゃなきゃ残ってくれたかも。残念」


 ノエルと同村のミルトは、故郷の村に戻るといってマドレスから既に立ち去っていた。他の者はこちらの方が良いと軍に残ったが。

 シンシアは、その時の光景が強く印象に残っている。

 


『俺は、やっぱり村に戻る。キャルも心配だし、クラフトが死んだことも伝えなきゃいけない』

『そっか。ちょっと、寂しくなるね』

『…………もしも、だけど』

『何?』

『ここで何も見つからなかったら、村に戻って来いよ。あそこにはお前が望む、幸せはないかもしれないけれど。それでも、あそこにはさ、お前の家があるんだから』

『…………』

『俺は、あそこで待ってるよ。キャルと、一緒に。その日が来るまで、あー、いや、お前からするとそうならない方がいいんだろうけどさ』

『……そうだ、これをキャルに渡してあげて。大事な絵本だけど、キャルが欲しがってたから、あげる』


 ノエルが、ぼろぼろになった絵本を手渡す。常に大事そうに持っていた、滲んだ絵本。


『それは、お前の』

『いいんだ。私はもう十分、元気を貰ったから。キャルが持っていても、私の宝物なのは変わらない。だから、あげる。その方が、きっと皆も喜ぶし』

『分かった、必ず渡す。……それじゃあ、今は、さよならだ。また、な』

『うん、これでお別れだね。今まで親切にしてくれて、本当にありがとう。ばいばい、ミルト』


 ノエルは、笑っていた。

 シンシアには、何を考えているのかをそれを読み取ることはできなかった。だが、多分悲しんでいたのだと思う。そんな気がした。



「……機会があったら、いつか声をかけてみればよいだろう。別にそれほど遠いわけじゃないんだ。永遠の別れではない」

「ううん、やっぱりいいや。ミルトにここでの生活は無理だよ。……でも、お別れは寂しいものだね」

「……あーなんだ。天気も良いんだから、いつもの元気を出せ。お前がへこんでいると、調子が狂う」


 シンシアは励まそうとしたが、上手くいかなかった。


「はは、ひどいね。でも、うん、そうだよね」

「……お前の元気を出す手助けになるかは分からんが、これを受け取れ」


 シンシアはそう言った後、手に持っていた大きな布袋をノエルへと手渡す。


「やけに重いけど、なにこれ?」


 ノエルが片手で持ち上げて、ぶらぶらと揺らす。その度に中に入ったものがジャラジャラと擦れる音がする。


「太守からお前への褒美だ。前の戦での褒賞と、騎士になった祝いを兼ねてとのこと。謹んで受け取り、決して無駄遣いしないようにな」


 袋一杯につまった金貨。グロールは相当ノエルのことが気に入ったようだ。幾ら騎士になったとはいえ、これほどの額をあげてしまうのはやりすぎだ。農民一人ならば、節制すれば一生働かずに食っていけるだろう。非難する気はないが、財務担当の文官はさぞ渋い顔をしたのは間違いない。


「うーん、お金か」

「なんだその顔は。まさか、額が不満なのか? それだけの金貨があれば大抵の物は買えるぞ」

「だってお金は使うとなくなっちゃうし、持っててもそんなに嬉しくないしね。多かれ少なかれ、皆持っているじゃない。だから宝物にはならないかなぁと思って」


 ノエルは金貨を一枚取り出して、親指で弾いてみせる。黄金色に輝く真新しい金貨だが、ノエルのめがねにはかなわなかったようだ。

 確かに金というものは皆持っているから希少価値はないだろう。だが沢山あって嫌な顔をするなど、この大馬鹿者ぐらいだけである。人は金のために働いている。そして、金のために人を殺すこともできる。嫌な考えではあるが、それだけの価値が金にはある。


「金があれば好きなものが買える。ならば宝と同じことではないのか」

「お金じゃ買えないものも沢山あるんじゃないかな」


 まるで聖人のようなことを言ってのけるノエル。これでシスターのような真摯な表情なら心打たれるのだろうが、残念ながらそれとは正反対のものだった。


「……お前にしてはやけに含蓄のある深い言葉だな。少し感心した」

「そう?」


 ノエルが聞き返してくる。このままだと話が進まずに日が暮れるので、シンシアはさっさと話を進めることにした。ノエルとの会話は退屈はしないが、時間は有限である。


「とにかく、それを元手に部下を雇うと良い。繰り返すが、絶対に無駄遣いするな。街でくだらない物を買うなど言語道断だからな」

「あはは、そんなこと、しないよ。私は百人長だし。あははは」


 図星をつかれたノエルがすっ呆けて視線を逸らす。お金じゃ買えないものもある、などと偉そうなことを言っておきながらこれだ。何も言わなければ間違いなくガラクタを買っていたに違いない。

 その頬を両手でがしっと掴み、シンシアは目一杯顔を近づける。


「無駄遣いをするなよ。返事はどうした、ノエル百人長」

「は、はい、分かりました」


 歪んだ顔で頷くノエル。後で使い道を報告しろと再度釘を刺してからその場を立ち去る。背後から疲れたーと溜息交じりの声が聞こえるが無視をする。懐中時計を取り出すと、既に一時間以上経過している。時間は有限だ。

 別にそこまで気にする義務もないのだが、放っておくと何をしでかすか分からない。騎士に抜擢したグロールの面子に泥を塗るような真似をさせる訳にはいかない。


(……やはり不安だ。執務が終わったら、後で様子を見に行くとしよう)




 午後になり溜まっていた仕事を終えたシンシアは、マドレスの城下へと出かけることにした。いつの間にか雨が降りだしており、広場の商人達は今日は店じまいと慌てた様子で露店を片付け始めている。

 その広場の一角で、真新しい鎧を着た数名の兵がしゃがみこんでいた。雨が降りしきる中、ただ座り込んでいるその集団は一際異様を放っている。シンシアは集団に近づき、中央で力なく肩を落している、切り揃えられた赤毛が特徴的な人物に声をかけた。


「……何をしてるんだお前は」

「…………」


 俯いたままのノエルからは返答がない。濡れた髪がべっとりと張り付き、妙な色気を醸し出している。これで性格が善良なら男共が放っておかないだろう。残念な事に中身は陽気な餓狼である。

 しばらく待ったが返事がない。軍に残ったノエルと同村の若者が、空気を読んで代わりに答える。


「えーと、その。ノエル隊長は部下を募ろうとしたのですが。小娘のいう事を本気にする人間はいなくて。まぁ当然なんでしょうが」

「こ、ここでか?」

「はい、朝からずっと募集してました。野次馬は結構来たんですが、肝心の志願者は一人も集まりませんでした」


 私の部下になりたい人は集まれ、などといって簡単に乗ってくる愚か者もそういないだろう。普通は見込みのありそうな人間に礼を尽くして声を掛け、丁寧に勧誘するのが筋というものだ。軍隊の行なう募兵ではなく、優秀な直参を雇うためなのだから。

 ノエルの勧誘活動を見た住民達は、さぞかしコインブラ軍が頼りなく見えたことだろう。ノエルの武が優れているのはシンシアは分かってはいるが、外見だけでは判断できない。初見ではただの小娘としか思えない。


「なるほど。それが理由で、コインブラ軍の百人長、しかも騎士ともあろう人間が、道の片隅に座り込んでがっかりしていると。そういうことで間違いないな?」

「は、はい。全くもって間違いありません」


 おどおどしながら敬礼する若者。ノエルは座り込みながら雑草を引き抜いている。完全にふて腐れているようだ。


「……誰も私の話真面目に聞いてくれなくて。なんだか疲れちゃったし、糞みたいな雨は降ってくるし。本当今日はついてないよ。あーあ、雨なんて死ねばいいのにね」


 ノエルは引き抜いた草をポイっと放り投げた。シンシアは一度薄暗い空を見上げた後、息を吐きだしながら声をかける。


「ああ、ノエル。お前にはこれから更についてない出来事が起こるんだが、覚悟はできているか?」

「……なんで?」

「なんでかその頭で考えてみろ」

「全然分からないし、雨降ってるから考えたくない」


 ふて腐れたノエルの返答。シンシアは一度微笑んだ後、拳骨をノエルの頭にお見舞いする。ぐえっと蛙の潰れたような声が響く。


「私がこれから説教するからだ、この大馬鹿者が! 騎士、そして軍人としての心構えをその愉快な頭に一から叩き込んでやる!! コインブラの名誉にかけて、今日は徹底的にやるぞ!」

「やっぱり今日はついてなかったよ。ね、みんな?」


 ノエルは自分の兵に助けを求める視線を送るが、全員顔を逸らす。巻き添えはごめんとばかりに。


「あれ、なんで目を逸らすのかな。隊長が窮地なんだけど」

「他の者は解散して良い! 行くぞ!」

「誰か、助けてー」


 シンシアはノエルの首根っこを掴むと、そのまま城に向かって歩き始めた。反抗する気力のないノエルをずるずると引き摺りながら。

 ――六時間後、ようやく解放されたノエルの目は完全に虚ろで、まるで死神に魂が抜き取られたかのようであった。

 

 

 次の日、ノエルは太守のグロールから呼び出しを受けて登城した。シンシアは自分の仕事で忙しいので、ノエル一人である。説教で飛んでいった魂は無事に戻ってきたので、ノエルはいつもの調子を取り戻している。何よりも、今日は晴れである。元気一杯だった。

 衛兵に案内されて城主の間へと入ると、将軍のウィルム、ガディス、その他武官、文官の視線が一気に集中する。


「おお、ノエルか。待っていたぞ。遠慮せずにもっと近くに来るがよい」

「はっ、失礼致します!」


 上機嫌なグロールの言葉に従い、背筋を正したまま近づいていく。こういうときは普段のだらけた態度を取るのはまずいと、流石のノエルも分かっている。今日も自慢の眼鏡を掛けて大人しくしていることにした。先日のシンシアの教育の成果でもあるが。静かに数歩進み出たところでゆっくりとひざまずく。


「わざわざ呼び出したのは他でもない。実は、武勇に優れるそなたを見込んで、重要な任務を与えたいのだ」


 ノエルは顔を上げ、言葉を待つ。機嫌の良いグロールとは対照的に、両隣にいるウィルムとガディスは渋い表情だ。


「太守、わざわざ新参のノエルを遣わせるまでもないかと。懸案の件については、ディルク千人長が鎮圧作戦を遂行しております」

「そう言ってから、一体何ヶ月経ったと思っているのだ」

「慎重を期しているのではないでしょうか」

「それだけではあるまい。ディルクは北部の出身、それゆえ賊相手にも情けをかけてしまうのだろう。だが、後ろの憂いを断たねば、先を考えることなどできぬ。故に、ここはノエルの武勇が奴等に通じるか試してみたい。我が息子、エルガーのお気に入りでもあるようだからな」


 グロールは身を乗り出すと、いよいよノエルに任務を伝え始める。


「よいか、我がコインブラ領の北部には廃棄された鉱山地帯がある。……かつては良質な金を採ることができたのだがな。そこに賊となった元鉱夫たちが集まり根城を築いているのだ。そなたにはそやつらを鎮圧してもらいたい」

「はっ、了解しました!」


 ノエルは立ち上がるときびきびとした動作で敬礼を行なった。その後で、得意気に眼鏡をくいっと直して見せる。

 任務への不安など微塵も感じられない、歴戦の将のような堂々たる態度だ。少しでも臆したら嘲ってやろうと考えていた武官たちも思わず息を呑む。

 グロールは満足気に頷くと、ウィルムへ視線を送る。


「良い返事だ。兵については必要なだけ貸し与える。ウィルム、手筈を整えてやれ」

「――承知しました。ノエル百人長、相手は賊とはいえかなりの規模だ。その数はおそらく500は下るまい。奴等は中々の手練で地形を利用して姿をくらませることを得意とする。今まで何度となく討伐隊を差し向けたが徒労に終わっているのだ。たかが賊と侮り、足元を掬われることがないように注意せよ」

「分かりました」

「太守、経験の浅いノエルには補佐役が必要かと。我が娘、リグレットを副官として就けようと思うのですが宜しいでしょうか?」


 ウィルムの思わぬ提案に、グロールが首を捻る。


「……それは構わんが。だが、そなたの娘の階級も百人長だったのではないか。しかも、近衛の任に就いていたはず。それを解き、ノエルの補佐役でというのは納得しないのではないか? 他の者をつけたほうが良いかと思うが」


 グロールが腕を組んで懸念を示す。冷静なときは、比較的物事を正確に見る事ができる。先日の勝利でいつもの苛々が収まっているため家臣を気遣う余裕があった。


「心配は無用にございます。無論、序列は弁えさせます。我が娘の武はさほどではありませんが、知識だけは豊富。必ずやノエルの役に立つことでしょう」

「分かった。ならばお前の言う通りにリグレットを副官に付けるとしよう。ノエル、副官とよく相談の上、必要な兵を申告するように。準備ができしだい出発せよ。我が息子共々、朗報を待っているぞ」

「太守の仰られた通りだ、ノエル百人長。後程リグレットを貴官の下に向かわせる。太守の御期待を裏切る事がないようにするのだ」

「はっ、了解しました!」


 ノエルはきびきびとした動作で敬礼を行なった。その顔には不安を感じさせるようなものは一切なく、ただ飄々としたものだけが浮かんでいた。

 


 父ウィルムから呼び出しを受けたリグレットは、顔を限界まで歪めて不快を露わにしていた。それを見たウィルムもまた苛々を募らせていく。だが、憤懣やるかたないリグレットは相手の様子に気付くことができない。人の感情の機微に疎いのが、リグレット最大の欠点である。


「申し訳ありませんが、私は納得できません。私はお父様の言いつけ通りに働いてきました。今の私は栄えある近衛隊の一人。それがなぜ隊を取り上げられた挙句、新参者の副官に就けようとなされるのですか。私に失点があったというならば、教えてください」

「ふん、近衛だろうがどこだろうが、隊を率いるだけならば誰にでもできるわ。偉そうな言葉は、ロイエの如く隊を自在に動かせるようになってから言え。お前がやっているのはただ偉そうに指図しているに過ぎん」


 小声で、あの無能な太守のようにな、と付け加えるウィルム。側で控えている弟のロイエは侮蔑の表情を隠そうとしない。


「私は古来の戦術通りに指揮を行なっております。そのように貶される覚えはありません」

「それで満足しているならば、今すぐ軍など辞めてしまえ。お前の代わりなど幾らでもいるのだ」

「…………ッ」


 顔を歪めて抗議を表すが、ウィルムは歯牙にもかけない。


「もう一度言うぞ。近衛を辞し、ノエル百人長の副官に就け。これは命令だ」

「どうしてもと、仰るのですか?」

「無論だ。とはいえ、未来永劫副官でいろと言っている訳ではない」

「…………」


 リグレットが疑わしげな視線を向ける。約束を破る事など、目の前の男にとっては日常茶飯事だからだ。


「それに、今はお前にサーラ様の周りにいられては困るのだ」


 グロールの妻であるサーラ。リグレットは州都マドレスの近衛隊指揮官の一人であり、サーラからは同じ女性ということで目を掛けられてもいた。その立場を利用し、父ウィルムの言いつけ通りに色々と動いてきた。負傷したサーラに、ウィルムの意を汲む医師を手配したのもリグレットだ。“何か”あったときに、疑念を向けられることがないよう遠ざけたいのだろう。

 父がバハールと誼を通じているだろうことは、リグレットは薄々気がついている。だが、言葉には出さない。出せば、確実に殺される。その予感があったから。

 太守グロールを裏切り、恩義を受けたサーラを裏切ってまで、父の言いつけ通りに動いてきた。その結果が臭いものには蓋と言わんばかりの更迭。リグレットにはどうしても納得がいかなかった。


「はは、何を迷われるのですか姉上。マドレスの守りはこの私が全て引き受けます。姉上は安心して、太守が見出された英雄殿に従われると良いでしょう」


 ロイエが嘲りながら見下してくる。弟でもあるこの男は、一応同じ父と母から生まれてきたのだが、全く似ているところがない。誰からも好かれる性格で、文武両道、まさに武人になるために生まれてきたような男だ。一方のリグレットは陰気な性格で、身体も弱い。物覚えは良いが、それを発展させた思考ができない。典型的な文官タイプで、武人肌のグランブル家では完全に浮いた存在だった。


「ロイエ、なにがそんなにおかしいの? 姉の不幸がそんなに面白いの?」


 長い黒髪を苛々したように掻いた後、リグレットが吐き捨てる。


「姉上の栄達を喜ばぬ弟がどこにいるのですか。ははっ、実に姉上に相応しい職務だと思いますが」

「私に、相応しいですって?」

「そもそも姉上が精鋭たる近衛にいることがおかしな話だったのです。グランブル家の名にいつ泥を塗るのかと不安でしたからな。ですが、今日からこのロイエ、心穏やかな日々を過ごせそうですよ」


 嘲りを浮かべるロイエ。リグレットは思わず腰の剣に手を掛ける。


「言わせておけばッ」

「似合わぬことは自重された方がよろしいかと。頭の良い姉上ならば分かるでしょう。百回、いや千回戦ったところで私には勝てませんよ。私との腕の差は覚えておいででしょう」


 殺意を込めて睨みつけるが、ロイエには通用しない。勢いのまま斬りつけてやろうかと思ったが、剣術では全く歯が立たない。それが嫌というほど分かっているから、憎々しげに睨みつけることしかできない。

 リグレットは人より頭が働くのだが、それ故物事への諦めが早い。努力が徒労に終わることを恐れて、行動を避ける悪癖がある。それを仕方のない事だと割り切るのがリグレットの処世術だ。

 だが、頭では理解していても、心が納得できていないので負の感情だけが募っていく。それが表情に露骨に現れてしまうため、人々から疎まれる。身内からもだ。気にしないで付き合ってくれるのは、温和な性格のサーラぐらいのものであった。

 それを裏切った自分は、本当に救いようがない。リグレットの精神は、負の螺旋をぐるぐると下降していく。


「情けない奴だ。ここまで罵倒されたら、私ならば問答無用で斬りかかっているがな」

「父上、姉上をけしかけるのはおやめください。私も身内を斬り捨てるのは少々心が痛みますので」

「ふん、まぁ良い。人には器というものがある。リグレット、お前の新しい任務は、あのどこぞの田舎者の監視だ。……だが、あの小娘については、少しばかり気に掛かることもある。妙な動きをしたら逐一報告するように」


 ウィルムが顎鬚を擦る。リグレットは口惜しそうに唇を噛み締める。手は剣に掛かっているが、どうしても抜くことができない。これが器なのだと、改めて思い知らされて絶望している。それを冷静に自覚できてしまう自分に心底嫌気が差していた。


「…………」

「返事はどうしたリグレット。グランブル家から勘当されたくないのなら、私の指示に従え。お前の最大の幸運は、我が娘として生まれてきたこと。我が最大の不幸は、お前を娘に持ってしまったことだ。実に忌々しいが、簡単に見捨てることもできんからな」


 ウィルムが静かな声で恫喝すると、リグレットは目を伏せて一度だけ頷いた。


「……承知、しました」

「ロイエ、これからはお前がリグレットの隊も率いよ。合わせて三千の部隊となる。階級もそれに相応しいものを用意せねばなるまい。明日にでも太守に上申するつもりだ」

「ははっ、ありがたき幸せ」


 ウィルムとロイエが談笑しながら部屋を退出していく。それを見送った後、リグレットはその場に崩れ落ちる。口惜しそうに拳を握り締めた後、無言で嗚咽を漏らした。

 

 

 数時間後、気分の落ち着いたリグレットは、余計なことを考えるのを止めてノエルの士官室を訪れることにした。機械的に職務に尽くすことで雑念を振り払おうとしたのだ。ノックの後、返答を確認してから中へと入ると、ノエルとシンシアが木盤を挟んで座り込んでいた。


「失礼します。本日付で貴方の副官になることを命じられましたリグレット・グランブル百人長です。以後よろしくお願いします」

「リ、リグレット殿がノエルの副官だと? それは何かの間違いではないのか。貴方は近衛の一隊を率いていたはず」

「いえ、全くもって誤りではありません、シンシア上級百人長。近衛の職務は解かれ、ノエル百人長の補佐をするようにと命じられました。階級は同じ百人長ですが、序列は絶対です。今後はノエル隊長と呼ばせていただきます」


 刺々しい口調とともにシンシアに視線を送る。同じ女士官で、シンシアはサーラの護衛、リグレットはマドレス城内を守備する近衛。近しい立場ではあったが、リグレットは意図的にシンシアを避けていた。彼女の武官としての模範的な働きをを見ていると、醜い嫉妬や劣等感が心中に沸きあがってくる。自分にない素質、才能を全て持っているからだ。彼女のような人間ならば、父ウィルムは自分を蔑ろにすることはなかっただろう。

 そんなことを考えた後、いつも凄まじい自己嫌悪に襲われて死にたくなる。だが死ぬ覚悟もなければ度胸もない。結局自分はどうしようもない人間なのだと再認識し、陰気な性格は更に深まっていく。

 当のシンシアも、避けられていることを感づいているはずだ。現に、普段碌に会話もしたことのない人間相手に、どう話したらよいか悩んでいる。


「……そ、そうか。ノエルよ、彼女は軍歴も長く知識も豊富だ。きっとお前の助けに……って、おい聞いているのか?」

「あー、これで私の勝ちだ。もう何をどうやっても私の勝ちだから、後は適当にやってていいよ」


 ノエルがビシッと駒を木盤に叩きつける。どうやら彼女達は兵棋演習を行なっていたようだ。演習といっても、一種の頭脳遊戯ではあるが。大陸が統一され、中々実戦を踏む機会のない士官のために作られた盤上遊戯。先を読む力と、冷静な判断力を養うことができるというのが謳い文句だ。実戦に模した形式で、本陣と兵糧庫の位置、兵力の割り振り、そして騎兵と伏兵の使い方が重要となる。これが実際に役に立っているかまでは分からない。


「おい、ふざけるな。なぜ圧倒的優勢の私が詰みなのだ。お前の本陣はもうすぐ落ちるだろうに!」


 負けを宣告されたシンシアが、眉を顰めて再び座り込む。


「だってわざと負けてたんだもの。シンシアはまんまと誘い出されてしまったってわけ。ほら、横から私の伏兵が一杯でてきたよ。どこに逃げても、私の本陣到達前に討ち取るからね」

「……詰み、だと? ば、馬鹿な。そんな大兵力をこんな僻地に伏せるなど有り得ないだろう。私がその経路を通らなければなんの意味もないというのに!」

「だから、そうなるように煽ったんじゃない。シンシアは頭に血が上ると目が曇るでしょ? じゃ、そういうことで遠慮なく討ち取るね」


 しばらく唸った後、負けを認めざるをえなくなったシンシアは、木盤に力なくうなだれてしまった。リグレットが遠目から見る限り、確かにノエルの逆転勝利のようだった。

 勝者となったノエルが立ち上がり、グッと拳を握って天へと掲げた。勝者と敗者の姿。

 満足したらしいノエルはこちらへと笑顔で歩み寄ってくる。


「私の名前はノエル・ヴォスハイト。貴方は、私のはじめての副官。これから、よろしくね」


 馬鹿っぽい顔で握手を求めてくる。馴れ馴れしい態度に苛々したが、袖にするのも角が立つ。軽く舌打ちしたあと、ぶっきらぼうに握手を返した。敬愛などある訳がない。


「はい、精々よろしくお願いします。長い付き合いにならないことを祈ります」


 毒を交えて返すが、ノエルが理解した様子はない。思わず舌打ちする。


「そうだ、暇なら遊んでいく? シンシアは当分駄目みたいだから」

「だ、駄目とはなんだ。これは、間違い、そう、なにかの間違いだ」


 亡霊の如き怨嗟の声が聞こえてくるが、リグレットは聞かないふりをして返事をする。


「いえ、私は忙しいので遠慮しておきます。それと、上官を呼び捨てにするのは如何なものかと」

「ここは私室だから別にいいってシンシアが」

「そうですか。ならば結構です。早速ですが、今回の任務について何か助言は必要でしょうか」


 感情を込めずに淡々と問いかけると、ノエルはうん?と首を傾げる。後ろでうなだれていたシンシアがすくっと立ち上がり、代わりに問いかけてくる。


「リグレット殿。任務とはなんのことだ?」

「はい、ノエル隊長が太守より命じられた任務は、北部鉱山地帯で闊歩する賊の鎮圧です。その補佐として私が就けられました」

「北部鉱山地帯の賊というと、まさか、白蟻党のことか!? 流石に、ノエルにはまだ荷が重い任務ではないのか?」

「私に言われても困ります。太守が直々に命じられ、ノエル隊長が引き受けられただけのこと。荷が重いかどうかまでは私の知るところではありません」


 リグレットの素っ気無い返答に、思わず鼻白むシンシア。そうなるように応対しているのだから当然だろう。ノエル本人は全く気分を害した様子はないが。嫌味を理解しない程馬鹿なのかもしれない。ウィルムは気に掛かると言っていたが、所詮は寂れた村出身の人間だ。それに兵棋演習で破れたシンシアもつまりは同等ということだ。リグレットがふんと鼻を鳴らすと、ノエルは面白そうな顔をした。


「ね、白蟻党って面白い名前だよね。名前の通り、家を食い尽くすのかな」

「廃鉱の坑道を利用して身を隠すことから、その名がついたようです。身を隠すだけでなく、襲撃にも用いるため討伐隊は手を焼いていたようですね」

「我が軍の屯所が幾度となく襲撃を受けていてな。義賊を名乗っているが所詮は賊の集りだ。容赦なく殲滅といきたいのだが、大部隊でいくと鼠のように姿を掻き消す。本当に厄介な連中なのだ」


 シンシアが腕組みをして不快気に眉を顰める。討伐隊として参加したことはあるが、成果をあげることはできなかった。


「そっか。じゃあ一度偵察にいってみようかな。逃げられちゃうと、面倒だし」

「ちょっと待て、お前一人で行く気か」


 ぎょっと目を見開くシンシアに、ノエルが当たり前でしょと返す。


「大勢で行ったら見つかっちゃうからね」

「ならば私もお供します。道案内ぐらいならできますから」

「それじゃあ早速明日行くとしようかな」

「分かりました。それでは準備は整えておきます」


 リグレットが慇懃無礼に敬礼を返そうとすると、それを遮って声を掛けられる。


「ね、同じ階級なら別に敬語じゃなくてもいいけど」

「そういう訳には参りません。貴方は太守に目を掛けられている特別で素晴らしいお方です。反乱軍の奇襲を幸運にも阻止することができた選ばれし人間。私のような屑が舐めた口を聞くことなどできません」


 長々と皮肉を混ぜながら褒め称えてやる。大抵の人間は嫌な顔をした後、二度とリグレットには近づかないようになる。そしてこちらも近づかない。


「そっか、ならいいや。それじゃまた明日ね」


 白い歯を見せて朗らかに笑うと、形式どおりの完璧な敬礼を行なってみせる。軍歴が浅いくせに、やけに色気のある敬礼だと思わず見とれてしまったため、リグレットは慌ててその場を立ち去ることにした。


(本当に変な女だ。でも頭が良いようには思えないから、父の考えすぎだろう。あの厄介な白蟻党の討伐が上手くいくわけもないし。さっさとこんな任務から解放されたい。そしてもう一度近衛隊に戻って見せる)


 そんなことを考えるが、もう近衛隊には戻れないだろうとも分かっている。この任務から外されたら後はどこか閑職にでも回されて、厄介払いのように政略結婚の駒となるだろう。あとは怠惰で退屈な生活が待っているはずだ。


(くだらない。本当にくだらない。生きていても死んでるのと同じなら、とっとと死んだ方がマシか。馬鹿馬鹿しい)


 いつもの後ろ向きな思考に浸りつつ、リグレットは長い黒髪を弄りながら、のそのそと歩き始めた。

 

 


 一方、ノエルの部屋。


「彼女が副官とは本当に驚きだ」

「顔が凄い白かったね。もっと日光を浴びた方が良さそうだけど」

「あまり外に出るのは好きじゃないようだ。それと、性格は見ての通りだ。……なんというか、些か難がある人物なのでな」

「そうなの?」

「そうなのって、今話していて何も感じなかったのか? 明らかに気難しそうな人間だっただろう」


 不思議そうなノエルに、シンシアが呆れる。


「うーん、別に。なんか面白いなとは思ったけど。話してて思わず笑いそうになっちゃったよ。凄かったね、アレ」


 どこか笑いどころがあっただろうかと考え、すぐに首を振り払う。考えるだけ損なのが明らかだったからだ。


「……ああ、すまない。お前はもっと問題のある人間だったのを忘れていた。些か程度では何も感じないのだろう」

「じゃあシンシアと一緒だね」

「お前と一緒にするな!」


 シンシアが全力で否定しながら、ノエルの頬を抓る。全く堪えていないので、シンシアは溜息を吐きながら解放する。リグレットとの会話で精神が疲弊しているのだ。これ以上疲れる事態は避けたかった。

 楽しそうな様子のノエルに、シンシアは尋ねてみる。


「それで、彼女とはうまくやっていけそうか?」

「うん、一緒にいると退屈しなさそう。きっとうまくやれるよ」


 ノエルは木盤の駒をつまみ上げると、指で高く弾いて見せた。くるくると回った駒は、見事にノエルの赤い頭の上に着地した。


「やったね」

「ああ、馬鹿なことは止めてさっさと片付けようじゃないか。さっきの勝負はなかったことにする。ただの間違いだ」

「うん、そういうことでいいよ。さっきのは何かの間違いだよね。別に私はいいんだ。じゃあシンシアの勝ちということで」

「……いや、やっぱりありにしよう。負けは負けとしっかり認めなくてはな。誇り高い騎士として失格だ、うん」


 ノエルの哀れむような生温かい視線を堪えながら、シンシアはなんとか声を絞り出した。

内緒の話

ミルトさん生存ルート。おめでとうございます。

本当は、と思いましたが、暗くなるので変えました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすい、テンポよく充実した文章は素晴らしい。ありがとう。
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