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イシャータの受難  作者: ペイザンヌ
第一章 イシャータの受難
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第九話 Magic or treat〈何かくれないと魔法をかけちゃうぞ〉


 故ジョン・レノンは名曲『GOD』の中でこう言った。

“神とは概念であり、我々の痛みを計るためのメジャーなのだ”と。


 だが、わしゃは神でも人間でもない。

 N区にねぐらを持つペイザンヌというただの野良猫だ。


 何事も否定するのは実に容易い。その気になれば今日にでもこの世の全てを否定してみせよう。


 しかし、それはやめとく。

 いつでも出来ることなら、そんなのは死ぬ間際にでもすればいい。


 故アンネ・フランクはこう言った。

“私はどんなことがあっても人間の〈善〉を信じている”と。


 あの年齢であの状況下、これだけのことが言えたのはたいしたものだと思うが、わしゃはただの野良猫なのでよくわからない。


「こんにちは!」


 それはそれ、人間同士で確かめ合ってもらう他にゃい──


「こ~んに~ちは!」


 そんなことを考えながらお気に入りの場所で日向ぼっこをしていた時のことだ──


「こんにちはっ!」


 あ~、イシャータ?


 これはまだ枕文マエガキであり本編ではないんだがなぁ。


 しかも久々にわしゃ単独のカッコイイ『語り』の場面だというのに。



「こんにちは!」


 ボーッとしていたせいかわしゃはイシャータが近づいてきたことなど全く気が付かなかった。


「こ、こ、こ、こんにゃちは」

「いい天気ね」

「いい天気だね」

「私もよくここで日向ぼっこするの。あなたも?」

「ふ~ん、わしゃもよくここで日向ぼっこするんだ。へえ、キミも?」


 これはもはや二の句を継ぐというよりも挙げ足を取るに近いなと我ながら思う。


「あなた、ペイザンヌよね」

「うむ」

「私のことは……知ってるわよね?」

「イシャータ」

「私ね、『ノラ』になったの」

「知ってる」


 どうにもわしゃは会話を終わらせるのが得意らしい。

 イシャータもどう接触していいのか考えあぐねているようだ。


「ねえ、ペイザンヌ……ペイって呼んでも怒らない?」

「うむ」

「あなた、お腹空いてる?」

「空いてない…………と、いえば嘘になる」


 イシャータはそんな、言葉を発しながらも、目は下界に据えたままだった。ターゲットを絞り込むノラの目だ。


「今なら残り物じゃなくって“新鮮な”魚が食べられるかもよ」

「んぁ?」

「ついてきて」


 イシャータはそう言うと屋根から飛び降り、わしゃも思わずそれに続いた。だが次の瞬間、イシャータの標的を知ってわしゃは驚いた。そこはN区でも最もガードが固いと言われる魚屋だったからだ。


 馬場トミオ、三十三歳、独身──彼の営む“鮮 魚 馬 場”に手を出して無傷で戻った猫は少ない。カエルにヘビ。キングコブラにマングース。そしてネコにはババ。と、言われるほど我々にとっては最大にして最強の天敵ラスボスなのだ。

 かくいうわしゃだってつい最近、特大の出刃で大事なヒゲをバッサリやられたばかりだ。


「あ~、イシャータ。君はまだN区のことをよくわかってない。ここはだな……」

「いいから」


 イシャータは笑みを浮かべるとわしゃについてこいと促す。まあ、多少痛い目をみるのも人生、いや猫生経験かもしれない。

 わしゃはいつでもダッシュできる準備を整え、さりとて内心ヒヤヒヤしながら、イシャータに続いた。


 馬場がいない時を狙うならまだしも今は夕方のカキイレドキだ。


──ありえにゃい!


 自殺行為である。こんなことは猫を大好物とするポッテカ族のど真ん中に葱を背負って行くようなものだ。


 だが、イシャータは『くださいな』と言わんばかりにストレートに行った。それはそれは可愛らしく『うにゃ~……にゃ~ぐる』と、馬場に面と向かって鳴いたのだ。


 馬場と店の前に群がる客の目が一斉にこちらを向いたその時──見間違いではない! わしゃは見たのだ、包丁を握っている馬場の右腕に太い血管が浮かんだのを。


 わしゃは見るに見かねて前足で目を塞いだ。が、耳に飛び込んできたのは意外な言葉だった。


「あ~ら、これはこれは、ネコちゃん二匹がごらいて~ん」


 客がどっと沸いた。


「今日は活きのいいのが入ってるよ! サバにスズキに……お財布が許せば“イカやアワビ”なんかも……どうかしらん?」


 また、買い物かごを下げた主婦たちが揺れる。だがイシャータは『イカやアワビ』という言葉に『殺気』を感じ取ったらしくブルブルと首を横に振った。どうやら『トラップ』は回避できたらしい。


「アワビはお嫌い?! こりゃ失礼しましたっ。シャムちゃん、人生の半分損してるよっ。よし、持ってけ泥棒! 脂の乗ったハマチだ、ほれっ」


 馬場は柵になったハマチをひとつ、景気よく、そしてにこやかにこちらへと投げた。


「二匹で仲良く分けるんだぞ。火事と喧嘩はよそでやってくれ。ここは天下のN区だ!」


 ありえない。

 あの馬場が売り物の魚をネコに放るなんて──天変地異が起こってもそんなことはありえない。


「まいどありっ。さぁさ、奥様方もこのネコちゃんたちに負けず劣らず活きのいいのジャンジャン持って帰ってよね~!」



……よね~、よね~、よね~ …………


 馬場の声がまだ耳に木霊している。


「さあ、食べて」

 イシャータはとろりと脂の乗ったハマチを差し出した。

「私はさっきいろいろ食べたからいいの。フランクフルトやらなんやら。ま、引っ越し蕎麦みたいなものだと思って」


 わしゃはなんとも納得いかず、魚を爪で突っついた。毒や爆弾が入っていないとも限らない。いや、むしろ入っていてくれた方がまだ納得がいくような気がする。


「これからもよろしくね、ペイ!」


 そう言うとイシャータは満足気に走り去った。


 故ジョン・レノンは名曲『GOD』の中で言った。“私は魔法マジックを信じない”と。

 だが、今日のこれはいったい何なのだ? ジョン。


 もちろんこれが魔法マジックではなく手品トリックであるならば、そこには必ずタネ明かしがあるはずだ。


 これは後々、偶然入手したある人物の日記の一篇なのだが、今回は特別にその答えを知りたい方のために後書きのスペースに“後記”としてそれを載せておいた。


 但し、謎は謎のままにしておくことが醍醐味であるという方はそのまま次の話にジャンプして頂いてもいっこうに構わない。が、物語というものには得てしてこういう一見どうでもよさげなところに伏線が張られていたりすることも多いので、読んでおいて損はない……んじゃないかな~とも思う…………。





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 後記:『馬場の受難』



 私の名は馬場トミオ。三十三歳、独身だ。

 私は今、猛烈に恋をしている。


 相手は、はす向かいのパン屋“メゾン・ワイパー”に新しく入ってきた美しい女性店員だ。


 彼女は仕事が休みの日に時々私の店に買い物に来てくれる。


 そんな時、私は……。ああ、母さん。すまない。売り上げとは関係なく破格のサービスをしてしまうこともあっちゃったりなかっちゃったりすることもあるのだ。


 そして彼女がいつもペットとして連れているのが──ああ、神よ、私の天敵である、“猫”ではないか!


 んで、私といえば、


「可愛いネコちゃんですね~。え、私? 私もねぇネコ大好きなんですよ、これが!」


 なんて、言っちゃったりしちゃったりするわけなのです。


 この葛藤──

 わかっていただけますか? 母さん。

 これも神が私に与えた試練、いや、運命なのですよ。


 今日も彼女が私の店に来てくれました。テヘ。


 そんな時!!


 こともあろうに、二匹の薄汚い野良猫が私の魚を物欲しげに見てるではありませんか?!


 私は包丁を持つ腕に力が入りました(殺)


 しかし、彼女のあの微笑ましく猫を見る目──

 そして私を見つめるその瞳──


 ええ、バカな男だと思ってください。私はプライドをいっさいかなぐり捨て、愛を選んだのです。


 ええい、持ってけ泥棒(猫)!


 私は──


 私は魔法マジックを、奇跡ミラクルを信じる!



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『イシャータの受難』の次はこちらもどうぞ。只今連載中、ヴァン=ブランの名前の由来ともなったダークファンタジー『ヴァンブラン・ボイス』はこちらから。よろしくお願いします──
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