第二十七話 Sinclonicity〈シンクロニシティ〉
“怪物”は時代によって姿を変える。
ある時は巨大なドラゴン。ある時は微小なウィルス。
そしてある時は目に見えない“情報”や“噂”。
それらは時に見えないものを突然出現させ、そしてまた時には見えているものを惑わす。
物語はしばしフライがザンパノの塒を訪れた時間に少しだけ遡る──
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最初フライはカウンターの上に放置された巨大なゴミ袋が動いたのかと思った。
ゴミ袋から手が生え、そして脚が生える。爛々と光る目が開きのそりと起き上がった時にようやくフライは自分が誰に会いに来たのかを思い出した。
──こいつが……ザンパノ。
「黒猫、名前は何だ? おまえの名を名乗れ……」
「お、俺の名はフライ……」
「フライ……? フライ=“飛ぶ”=鳥、鳥、鳥っ!!」
「落ち着きなよザンパノ。どちらかといえばフライは“蝿”だ。鳥の名じゃないよ」
興奮するザンパノをシースルーが少年のような声でなだめる。
──なんてこった!
フライは言葉が出なかった。あまりの驚きで心臓が破裂しそうだったが必死に足の震えを隠した。
そうである──
フライがこの時驚いたのは目の前にいる猫があまりに巨大だったからというわけではなかった。
(落ち着きなよザンパノ。どちらかといえばフライは“蝿”だ。“鳥の名前”じゃない──)
そう言葉を発したのが“目の前にいる巨大な猫の方”だったからだ。
「え……? え……?」
つまり、フライが勝手にザンパノの手下だと思い込んでいたこの隣に座っている“小さなサビ猫”。彼こそが──
──ザンパノ?! こいつがザンパノなのか?!
だが、とにかく今は成すべきことを成さねばならない。フライは(本物のザンパノの方へ)“体勢を整え直して”告げた。
「俺はN区のヴァン=ブランの使いでやってきたものだ」
フライに“黒い考え”が浮かんだのはその時だった。
──待てよ。
N区でこの事実を知っているのは今のところ俺だけに違いない。N区のボス猫ギノスだってザンパノの正体を知らない。猫屋敷の連中だって“ザンパノ” = “デカい”という噂を鵜呑みにしているヤツらばかりだ。
だが、その本当の姿、まさに虎の威を借りる狐こそが、S区のボス“ザンパノ”の真実の姿だったとは誰も気づいていない。
──こいつぁ、うまくやればヴァンの“隙”をつけるかもしれないな……。
そんな邪な考えが頭をかすめた絶妙のタイミングで誘いを持ちかけてきたのがシースルーだった。
「黒猫、君は彼の弱点、もしくは彼を倒す方法を知ってるね? それと引き換えならあの公園くらいくれてやってもいいって僕らは言ってるんだよ、ねえ、ザンパノ」
フライは頷いた。頷くというよりは、目をきつく瞑ってただ首を縦にゆらゆらと動かしているだけのようにも見える。
「確かに……この方法ならヴァンを九割がた倒せる。だが倒すだけじゃダメだ。確実に、息の音を……止めてもらう。これが条件だ」
その後は知っての通りである。
猫屋敷に帰り付いてからのフライの仕事といえはザンパノを表す言葉の節々に“デカい”という単語を意識して付け足すように勤めることだった。
それはもちろんヴァンに誤った思い込みを定着させるためだ。
闘いの舞台をS区でなくN区にしたのも余計な情報をヴァンの耳に入れたくなかったからに他ならない。些細な“ほつれ”からザンパノの正体がバレるようなことはしたくなかった。
『ヘンだな……』と勘ぐられはしたもののヴァンはこの“からくり”の根本的なところに辿り着いてはいない。
──オレを信用しきっている。もしくはオレに“裏切り”なんて大それたことなどできやしないとタカをくくってやがる。
あとは勝負の初手でヴァンが勘違いをしてくれることを祈るのみであったがこればかりはまさに賭けだった。フライはザンパノに念を押した。
(いいな。ヴァンが最初に仕掛けてくるまでは決して“こちらから”手を出さないこと──)
案の定、ヴァンはホイホイと“シースルー”を“ザンパノ”と勘違いして飛び掛かっていった。これはあくまでヴァンの“落ち度“なのだからルールを破ったことにはならない。
デカい図体の割に喧嘩慣れしてないシースルーにしてはよく善戦してくれた方なのであろう。ヴァンの体力を奪えるだけ奪った後、本物のザンパノが一撃必殺をくわえる。
シースルーの”予言“を信じるわけではないが、ここまで脚本通りにことが運ぶと何かしら目に見えない力が働いているような気になってくるから不思議だ。
(ヴァン、俺の勝ちだ──)
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『コイツがザンパノ?』
ヴァンはぐらりと揺れる視界の中でフライの顔を捉えた。
『フライ……』
フライは何度も言っていた。
(どうやってあの“デカいヤツ”と闘うつもりだ、ヴァン?──)
(いくらおまえでもあんな“バカでかいヤツ”に勝てるとは思えんがね、ヴァン──)
どういうことだ?
『なぜだ? フライ……なぜだ?!』
喉笛に喰らいついた牙をつたってザンパノのせせら笑いか聞こえてくるようだった。
「俺は予言に打ち勝った! さらばだ、“鳥の名を持つもの”よ!」
ザンパノは顎にぐっと力を込めた。
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「ヴァン!」
手水舎の陰で闘いを見守っていたイシャータが居ても立ってもおられず飛び出した。すぐさまクローズもそれに続いたが、その二匹よりもさらに滑りくる速さで参道を駆け抜けていくものがあった。
佐藤である。
追い風が味方したか、しまいにはまるで空中を飛んでいるかのような勢いでヴァンもろともザンパノに激突した。
「ヴァン!」
どたりと放り出されたヴァン=ブランにイシャータが駆け寄った。
素早いフットワークで体勢を立て直すザンパノに佐藤は弾丸のごとくぶつかっていく。
「ボケ! カス! このクズ猫がっっ !!」
滅茶苦茶ながらもザンパノに息つく暇も与えない。
「せっかく、友達になったるって言うたのに! おまえとなんかな、おまえとなんかな、もう遊んだらへんわっ!」
「よ、よせ…………サトー」
ヴァンがヒューヒューと抜けるような声で告げる。
「そ、そうだこのガキ、勝負はもうついたんだぞ!」
だが、佐藤の怒りは収まるところを知らない。それどころかその嘲笑を聞いて佐藤の中で何かがブチリと切れた。
「そんならボクがやったるわいっ! S区のボスの座をかけて“ボク”が今、ここで、おまえに挑んだるっ! どやっ、それなら文句ないやろがっ!」
「佐藤!」
イシャータが叱咤する。
「イシャータ、それよりあいつや。フライや! あいつが裏切りよってん」
「!」
フライは自分が目の当たりにしている光景が歪んでいくのをかんじた。
──な、なんだ、この展開は? あいつ、いったいどうやって抜け出して来やがった?
「フライ……なんでやねん……アホ! 信じとったのに、アホ、どアホ!」
罵倒しながら佐藤は目頭が熱くなってきた。それがフライに対してなのかフライを少しでも信じていた自分に対してなのかわからない。ただ、とにかく悲しかったのだ。
その隙にザンパノはとにかくその場を仕切りそう直そうと逃げ出した。
「あっ! 待たんかいっ!」
もはやアドレナリンだけが佐藤を動かしていた。逃げるザンパノに飛び掛かり、二匹はそのまま神社の階段を転げ落ちた。
『フミャッ、シャッ! ゴルルルル…… 』
一方、フライも尻尾をまくった。
──マズい! イシャータまでいやがる。くそ、くそっ!
だが──フライが逃げ出した方向には彼が一番顔を合わせたくない者が立ちふさがっていた。アーモンド型のその目がじっとこちらを見ている。
「……クローズ」
クローズはこれ以上ないくらいほどの哀しみを帯びた顔でフライをじっと見つめていた。
「フライ……」
「クローズ、違うんだ。これは」
「フライ……フライ、フライ………」
彼女はまるでそれしか喋ることができない猫の人形のように繰り返した。クローズは首を振るとゆっくりと語り出す。
「前にヴァンは言っていたわ。全てが片付いたらあなたにリーダーの権利を返そうって思ってるって。平和さえ戻ればリーダーはあなたのように穏和で優しい者の方が適してるって……」
「…………」
フライは震え出した。ガクガク、愕愕震え出した。その姿はまるで急に“憑き物”が落ちた時の様であり、表情さえも変わっていく様がありありと見てとれた。
「フライ、私はあなたの妻だった。だからね、フライ……私はね、きっと許せたと思うの。それがきっとどんなに酷いことであっても、どんなに卑劣なことであったとしても。それがもし“私に対して”のことだったなら……だけど…………」
「クローズ、そうじゃないんだ! これは──」
「これは? “これは”何なの? そう“これは”許されない。許されることではない!」
「クローズ、オレは──」
「さよなら。フライ」
──俺は、ただおまえに笑いかけてほしかっただけなんだ。ヴァンに微笑んでたように。
だが、その言葉を口に出すことさえクローズは許さなかった。
「もう、口もききたくないの」
心はツカミドコロがなく、時にすれ違う。
しかし、それを乗り越えたり受け止めたりする“勇気”と“寛容”さ。神様は我々を造り出すうえでそれらを調味料として必ず埋め込んでいるはずなのだ。それが《取り返しのつかない失敗》である以外は──
ひょっとするとフライがやったことはその《取り返しのつかない失敗》だったのかもしれない。たとえそうであったとしてもフライの前には道が続く。歩き続けるしかないのだ。
フライはがくりとうな垂れ、か細く頼りないその道をよろよろと歩き出した。
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階段を落ちきった佐藤とザンパノは住宅街を走り出した。
ゴゴウと風の勢いが強まる。
──くそ! ガキ一匹にいつまでも逃げ回ってられるか!
葬儀場のあたりでザンパノはくるりと立ち止まった。飛び掛かってくる佐藤の顔面へ振り向き様に素早い動きでカウンターを浴びせる。
『ミャオン!──』
「俺に挑むだと? はっ? 十年早いわっ! このガキッ!」
正直、ザンパノと佐藤に体格の差はそれほどない。だが、バトルの年期と経験で言えば二匹には格段の差が生ずるのは否めない。
佐藤は必死にガードを続けるが、ざくりざくりといたずらに傷を増やすだけであった。
『ミャウ! みゃおぉぉぉぉぉん!──』
「おら! さっきまでの威勢はどうした? 俺と同じ顔にしてやろうか? あ?」
(ボクが友達になったるよ──)
「…………!」
そんな佐藤の言葉がザンパノの耳に甦る。
──そんなことを言ったやつと……なんで俺は闘ってるんだ?
ふと、そんな疑問が脳裏をかすめる。
(ボクや。ボクが一緒にパーティしたいって思うてる!──)
「くそっ!」
佐藤はザンパノの攻撃が一瞬弱まったのを感じた。
──今や!
するり抜け出すと佐藤はガードレールの上に飛び乗った。
「しまった!」
ザンパノが我に返るよりも一瞬速いか、佐藤は渾身の力を込めてその“紐”を口でぐいっと引っ張る。蝶結びにされていた紐がほどけ、その瞬間、物凄い勢いで風がゴッと“それ”をあおった。
“風”はチャンスとばかりにニヤリと笑う。
《おい野良猫、さっきはよくも“そよ風”だとか言ってくれたな! “そよ風”かどうか思い知れっ!!──》
“それ”は葬儀の際、ガードレールなどに結びつけられている〈〇〇家・葬儀式場〉と示された立て看板だった。それはまさについさっきまで行く手を阻み敵対し続けていた“風”と“佐藤”との見事な連係プレーだったといえる。
──!!!!
S区のボス猫ザンパノは頭上を見上げる暇もなく物凄い勢いで倒れてくる“それ”の下敷きとなった。
[大鳥家・葬儀式場]と示された立て看板に。
かくしてザンパノはシースルーの予言通り“鳥の名を持つもの”によって“押し潰された”のであった。




