第二十四話 A Tiny little wing〈牢獄の天使〉
誰かが救いの手を 君に差し出してる
だけど 今はそれに気付けずにいるんだろう
前にヴァンはこう言った。
(ならばみんなどうだろう? 三日考え、四日後に結論を出す、五日目に準備し、六日目に行動を起こす、一週間後には結果が出ているという筋書きは──)
そして明日はいよいよ“行動”の六日目がやってくる。ザンパノとの決戦の日だ。
──明後日の朝、私たちはいったいどこで、どんな風に目覚めることになるんだろう?
宴が終わった後イシャータは微睡みの中でそう考えた。少なくともそれはある朝突然“捨て猫”となり、目の前に全く知らない世界が広がっていたあの朝とは違うはずだ。今度は自分たちの意志で掴みにいくのだ。
目を閉じたままイシャータは苦笑する。
──問題は常に立ちはだかるな……。
それは一匹の時だってそうだったし集団になったからといってそれが突然霧散するわけではない。そこに大きい小さいなどはなく、ただ“問題”があるだけだ。
世界に存在している数多の大きな問題よりも、、今、目の前にあるメザシをどうやって得るかの方が遥かに重大な瞬間というのは嫌になるほどある。そう、それは哀しいくらいに。
そう思うと私たちは所詮一匹一匹の集合体でしかないのだなとイシャータは改めて思い知る。
ひょっとしてまず一匹が自分の問題に勇気を持って立ち向かえば私たち猫の世界に問題は無くなるのかな?
だってその問題を解決できたら今度はまた別の一匹の問題を一緒に解決してあげられるかもしれない。そしたら今度は二匹で別の一匹の問題を解決してあげるんだ… そしてそして、今度は三匹で別の一匹の問題を……。
なんだか羊を数えてるみたいな気がしてイシャータはうとうとと眠りに落ちていった。
──私は、少しだけでも強くなれたのかしら?
そう自分に問いかけながら。
▼▲▼▲▼▲
真夏の冷蔵ケースの中は決して快適な場所ではない。電気が通ってないから冷凍猫にならずにすむものの空気が循環しないから半端なく暑い。 そしてさらに悲しいことにその暑さを忘れさせてくれる程に半端なく臭い。
日付が変わり、猫屋敷では宴も酣になってきた午前二時頃、佐藤はザンパノと二匹きりになる機会があった。シースルーが夜の街に食糧を調達に行ったのだ。ザンパノはただ一匹カウンターテーブルの上を広々と陣取っていた。
佐藤は思い切ってザンパノに話しかけてみることにした。
「なあ、おっちゃんはいつもこんな暗いとこで一匹でおるんか?」
「…………」
「ボス猫なんやろ? みんなを集めてパーティーとかしたらええやん。めっちゃ楽しいで、きっと」
ザンパノはちらりと佐藤の方を見たが何も答えずに横に寝かせた空のウイスキーボトルをクルクルっと回しただけだった。佐藤は小さく溜め息をつく。
「なんで縄張りのことなんかで争うんかオトナのやることはちっとも分からへんわ。別にみんなで仲良う住んだらええんとちゃうん?」
ガチャン!──
ザンパノはボトルを前脚で床に払い落とすとカウンターから佐藤の幽閉されている冷蔵ケースの前にトンと降り立った。
「小僧……ザンパノは仔猫を喰らうっていう噂を聞いたことがないのか?」
「ま、まぁまぁ、子供の言うことにいちいちそないムキにならんでも……」
ザンパノは開いた方の右目を冷ケースのガラスに押し付けて中を覗き込んでくる。
「サトウとか言ったな。ふ~ん、実に可愛い顔してやがる」
「い、いやぁ、それほどでも……」
「可愛くて、愛嬌があって、よく鳴く……。それに撫で回したくなるようなフサフサの毛並みだ。さぞかし──」
ザンパノは舌舐めずりした。
「さぞかし今まで何の苦労もなく生きてこれたんだろうな」
「苦労してそんな“ねがちぶ”になるくらいなら別に苦労なんかしたくあらへんわ……」
佐藤がボソリとそう呟くと、ザンパノは右目に代わって今度は潰れた方の左目をベタリとガラスに押し付けてきた。
「ひっ!」
「どうした? もっと楽しそうに踊れよ。俺とパーティーがしたいんじゃなかったのかよ?」
佐藤は一歩後退するがすでにそこは壁である。
「え、どうなんだ? こんな顔のヤツとパーティーがしたいと思うか? 答えろよ、いったい誰がこんな顔とパーティーなんかしたがるっていうんだ!! あ?」
そう一息に言ってしまってザンパノは自虐的に笑った。
「…………」
佐藤はうつむいていた顔を上げ、そろりそろりとザンパノに近付いていく。
「……ん?」
そしてガラス越しに押し付けられているザンパノの傷付いた左目をペロリと舐めた。
驚いたのはザンパノの方だった。
「ボクや」
今度はザンパノがビクリとなり一歩、また一歩と後退する。
「?!── ?!── ?!── 」
「ボクはおっちゃんと一緒にパーティーしたいと思うてる。少なくともケンカなんかするよりナンボかマシや」
佐藤は真っ直ぐにザンパノの顔を見つめる。
「ふん、心にもないことを言うな。おまえはそこから出してほしいから今そう言ってるだけだ!」
「そんなんちゃうってば! そや、ボク友達になったるよ。そしたらさ自動的にボクの友達はおっちゃんの友達やんけ? ボクなこう見えても友達いっぱいおるねんで」
「うるさい! 黙れ!」
「イシャータとかギリーとか……メタボチックもな、デブやけどおもろいやっちゃねんで、もちろんヴァンも──」
「黙れ」と、まるで子供のような声が響いた。今度そう言ったのはいつの間にか戻ってきていたシースルーだった。
「シースルー、そのガキを俺の見えないところへどかせ! 声の届かない場所に移せ! そんなガラス張りの冷蔵ケースなんかじゃダメだ。そっちの──」
ザンパノは隣接された厨房に設置してある作業用の冷蔵庫に首を向けた。
「そうだね、どうもその方がいいようだ」
シースルーはパッキンに爪をかけ扉を開けると手際よく佐藤の首をくわえてコールドテーブルへ放り込んだ。
「おっちゃん!」
「小僧、よく覚えておけ。友は必ず去る。そして仲間ってのは必ず裏切る」
「おっちゃん……」
「おまえも見ただろう? あの黒猫のようにな」
「フライは裏切らへん! 絶対、絶対、裏切らへ──」
佐藤のその言葉は無惨にも迫りくる鉄の扉によって断ち切られた。
▼▲▼▲▼▲
──それにしてもおかしい。
さわやかな夜明けの風がギリーのヒゲを揺らす。
──佐藤ったらこんな大事な日に帰ってこないなんて。
ギリーは何匹かの猫たちと戯れている巨漢のデブ猫メタボチックの姿を見つけた。
「佐藤? いんや、そういや見てないなあのチビスケ。いっちょまえに朝帰りかい?」
「あ、朝帰りっていうか、朝になっても帰って来ないから心配してるんでしょ!」
「朝は朝でいろいろ……うひひ、ホレ、なあ?」
「あんたホントに馬鹿でしょ? デブで馬鹿だと救いようないわよ、マジで」
「あ、それよりギリーもどうだ? 一口、 トトカルチョ」
「トトカルチョ?」
「さ~て、ヴァンが勝つか? ザンパノが勝つか?」
ギリーはガリッとメタボチックの鼻の頭を引っ掻く。
「い、いてーじゃん! おまっ……あにすんだよっ!」
「あんたねぇ! 本気でキレるわよ!」
「面白そうだな。ひとつ俺も乗っかるか」
そう言ってぬっと顔を突っ込んできたのは他ならぬヴァンだった。
「ひっ!」
「ふーん、こりゃどういうこった? メタボ」
メタボチックが赤い骨と白い骨を提示する。
「ヘ……へへへ、赤い骨がザンパノ、白いのがヴァンさ。大穴を狙うなら今は赤だぜ?」
「へえ、みんな随分俺を買い被ってるんだな。よし、だったら俺はひとつザンパノが勝つ方に賭けてみるか。でっかく狙うぜ」
「おいおい、当の本人が裏目に張ってどうすんだよ! 大丈夫かな……まさか手を抜くつもりじゃないだろうな」
「バカ言え、そんなつもりは毛頭ないがいかんせん勝負は水ものだからなぁ。何が起こるかわからん」
ギリーは『はぁ』と溜め息をついた。
時々ヴァンの考えていることが本当にわからなくなる時がある。
「その大穴、俺も乗るかな? いくらおまえでもあのバカでかいのに勝てるとは思えんしなあぁ」
寝ぼけ眼でそう言ってきたのはフライだった。
「おっ、さすがフライだ。そうこなくっちゃな」
ヴァンはあっはっはと笑った。
「ちょっとヴァン! フライまで……もう!」
ギリーはその時ふわりと佐藤の匂いを感じた。
──ヴァン……? いや、違う。フライの方からだろうか。
最もヴァンもフライも昨日の昼過ぎまで佐藤と一緒にいたわけだから別段不思議がることではないのだが。
「どうした?」
「う、ううん。夜の天気はどうなるのかなぁって思ってただけ……」
「おいおい、ピクニックじゃあるまいし、天気なんかどうだって……」
「いや、ひょっとすると今夜の本当の敵はザンパノなんかじゃなくそっちかもな」
「雨でも降るのかい?」
「いや、雨よりもっとたちが悪い。これは」
ヴァンは顔を天に向け鼻をヒクヒクさせた。
「これは風の匂いだな」
▼▲▼▲▼▲
──まいった……。
ここに比べればさっきまでいた冷蔵ケースは天国や。
佐藤はそう思っていた。
少し眠ったのでちょっとだけ体力が回復したように思える。ただ、時間の感覚がさっぱり分からない。
──今、いったい何時くらいなんやろ?
フライとザンパノのやりとりを聞いていた佐藤は全てのからくりを把握していた。
「ヴァンがそんな策略に引っ掛かるもんか。でも……ひょっとしたら……」
佐藤はうだるような暑さと永遠に続くかのような暗闇の中で考える。
──いくらヴァンいうたかて今回はヤバいんちゃうやろか? そうや、ヴァンを救えるんはボクや。ボクしかおらへんちゃうか?
ぐうと鳴る腹の虫を押さえ佐藤はこうも思った。
──あ~、めっちゃギリーに会いたいな……どうしてんやろな、ちょっとはボクのこととか心配してくれてるんやろか?
寝起きなので頭がリアルに働いていない。だが、いくら子猫の佐藤といえどもそれが寝起きのせいだけではないことに気付くのにさほど時間はかからなかった。
「なんか、ここ、空気が薄くなってきてんとちゃう……?」
フッフッと呼吸を整えながら佐藤はぐっと立ち上がってみたがすぐにドサリと横たわってしまった。
「ヤ、ヤバいわ……これはちょっと、マジでヤバいんちゃうか?」
猫は夜行性である。しかし実は光源が無く完全に密閉された空間では人間と同じで何も見えなくなってしまうのだ。自分の体すら見えない完全な闇──そんな中に長時間いると闇に対する恐怖とは裏腹に肉体以外の部分がどんどん覚醒されてくるのがわかる。
今、佐藤の目にはみんなの顔が見えていた。一匹一匹の姿が鮮明に浮かんでは消えてゆく。その間隔はどんどん狭まっていき、やがて連続したフラッシュのようにチカチカと目の前で瞬き始めていた。
人間であればこれが走馬灯なのかと疑うところである。
だが佐藤がそんなことを考えていたかといえばそれは“否”であった。佐藤はただ純粋にこう思っていただけである。
──イシャータに会いたい……もう一度ヴァンに会いたい……。ギリーに会って『ボクはギリーのことがめっちゃ好きなんや!』と伝えたい!
ただそれだけであった。




