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イシャータの受難  作者: ペイザンヌ
第三章 佐藤の試練
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第二十三話 Othello〈白と黒のゲーム〉


──どういうこっちゃねん?


“ヴァンを倒す方法? ヴァンの息の音を止める?”


 崩れたビールケースから身体を起こすと佐藤は一目散に走り始めていた。後ろからは黒いかたまりが物凄い勢いで追いかけてくる。


「待て、佐藤。話を聞け!」


──フライや……。


 子猫の脚では到底振り切れない。佐藤は減速するとフライを振り返った。


「来んなっ!」


 フライは佐藤から少し距離を置いてゆっくりと停まった。


「佐藤……」

「こっちに来んなっちゅうねん! この裏切り者っ!」


 朱に染まりかけた空を背景に二匹の猫は肩を揺らしながら対峙した。白いビニールの袋が空高く風に舞い上げられる。


「聞けっ。何を誤解してるか知らんがあれは作戦なんだ。ザンパノの仲間になったふりをして油断させているだけだ」

「作戦……?」


 佐藤はふっと肩の力が抜けるような気がした。


「そうさ、これはヴァンの作戦なんだよ。いってみりゃスパイさ。知ってるだろ? スパイ……ん?」


 フライはゆっくりと近付いていく。


「ヴァンの……?」


「そうだ、ヴァンのだ。相手を油断させておいて──」


 佐藤の体がふわりと浮いた。


──しまった!


 いつの間にか後ろに回り込んでいたザンパノの手下シースルーに首根っこをくわえられている。


「油断させておといて……捕まえる。おい、あんまり手荒なことはしないでやってくれ」


 これほど冷たい表情のフライを見るのは佐藤にとっても初めてだった。


「佐藤、話をどこまで聞いた……」



 ▼▲▼▲▼▲



 目の前のガラスに佐藤は両脚の肉球をペタリと押し付けた。


「出せーーっ! アホ! ボケ! うんこたれーーっ!」


 ザンパノのねぐらはもと居酒屋である。その名残りであるビール瓶や一升瓶を収納する冷ケースの中に佐藤は閉じ込められてしまったのだ。


「小僧、おまえの名は何と言う?」


 そのザンパノの問いかけにに答えたのはフライだった。


「サトウだ。安心しなよ、鳥の名前じゃない。人間の名前だ」


 シースルーは念のため頭の中の鳥類図鑑を開く。

 

 南アジア産の“さとうインコ”というのがいるにはいるがまあこれは無視していいだろう。“鳥の名を持つもの”はヴァン=ブランで決まったようなものだ。名前さえわかればあとはその名を呼び瓢箪ひょうたんに吸い込むだけ、とは何の物語だったか。ただ──

 

 この予言に含まれた“異物”。その正体が未だ不明であることがシースルーの頭には引っ掛かっていた。


「佐藤、ヴァンはこのことを知っているのか?」


 フライはガラス越しに問い詰める。


「ボクが勝手についてきたんや。ヴァンは関係あらへん」


 フライは少し安堵した。


「なら、おまえが屋敷に戻らなくても怪しまれる心配はないわけだな」


 一方、正直に本当のことを言ってしまった佐藤は後悔していた。


──しもうた。ヘタこいた。アホやなボクは。


「黒猫、この小さいのは少しここで預かることにするよ? 保険としてね」

「あ゛?」

「君を信用していないわけじゃない。ないが、もし、もしもだけどね、君が裏切った場合はこのサトウとやらを解放する。そうすると… どうなるかはわかるよね?」


──俺の裏切り行為が皆にバレる……。


 フライの頭の中を見透かしたシースルーは“よくできました”とばかりにニコリと笑う。


 用心深いヤツらだ。これではたとえ策略が成功したとしても結局はもう一匹……佐藤の口まで、封じなければ駄目じゃないか……。


 佐藤は無垢な眼差しでフライをじっと見つめている。まるで息子のハッシュに見られているような気がしてフライは胸が締め付けられるようだった。


──くそ! なぜ、ついてきたりした? 佐藤……。


 嘘が嘘を呼ぶように、まるで悪意が悪意を芋づる式に招いているようだった。


「さあ、黒猫。話をしよう。僕らが望むものを与えてくれさえすれば決して悪いようにはしない。共に倒そうよ、そのヴァン=ブランって奴を」



 ▼▲▼▲▼▲



 がし……がしがし…………


 ヴァンは片脚を使い地面に小さな穴を掘る。別に意味などはない。考えごとがある時の癖みたいなものだ。


──できれば考えたくないが。


 フライの交渉がうまくいかなければザンパノと闘うことになるのは必至だ。自分より体のデカいやつとどう“相見あいまみえる”か? ヴァンは旅の途中で目にしてきたボス猫たちのバトルを思い返しイメージトレーニングしてみる。


 ざしゃ、ざしゃざしゃ…………


 今度は掘った土をもとに戻す。掘っては埋めてを三度ほど繰り返した時、門の方でどよめきが起こった。フライが戻ってきたのだ。


「フライだ」

「どうだった? フライ」

「ザンパノを見たの? やっぱりデカかったかい? 怖くなかったかえ?」


と、群がる猫たちだったがヴァンが現れるや否やフライに続く道をモーゼの“十戒”の如く割って開いた。


「ヴァン、すまん。皆も聞いてくれ。ザンパノとの交渉は……決裂した」


 そのフライの言葉は一滴の雨粒のように音もなく周りに波紋を拡げていった。やがてその水面に静けさか戻った時、誰かがポツリと呟いた。


「でもさ……すげぇよ。一匹でザンパノに会いに行ったんだろ?」

「そうよ。私だったら怖くてとても…… 立派よ、フライ」


 なぐさみかもしれないが皆が皆そう言ってくれることにフライは驚いた。このところ蚊帳の外が多かったため、こうしてチヤホヤされるのも久しぶりだなと思う反面、『この数時間のうちにオレは何度嘘をついたのだろう……』とも考えずにはいられなかった。


「仕方ないさ、フライ。まだ想定内のことだ」


 ヴァンは言った。


「そうだよ、ヴァンならやってくれるさ!」

「そうよ、ヴァンにまかしときゃ間違いないわ」


 そう──。そしてこうやって最後にはまたヴァンに全てかっさらわれてしまうのだ。


『ひょっとしてヴァンはこれを狙ってたんではないのか? 最初から俺が失敗するだろうと踏んで……』と、生臭い心の闇がまた侵食を始める。それを敏感に察知したフライは首を振って必死に自分に言い聞かせた。


──ヴァンがまともに勝負したって負けてしまえば“ゼロ”だ。何も得られん。だがヴァン一匹を生贄いけにえにさえ出せば100%公園が手に入るんだ。そうさ、これは皆のためなんだ!


 だがその考えすら所詮は闇の手先であることにフライはまだ気付いていない。


「そうだフライ。佐藤のやつを見かけなかったか?」


 フライの心臓が跳ね上がった。


──きた……。


 フライは平静を装い、おおげさにならないようにサラリと演じる。


「佐藤? おまえと一緒に帰ったんじゃなかったのか?」

「いや。おかしいな、俺はてっきり……」


 言葉尻が下がったことをいいことにフライはヴァンの耳に口を近づけた。


「それよりヴァン、ザンパノからの伝言を持ち帰ってきている」


“向こうで話そう”と首で合図を送りフライは歩き出す。


──これから先、俺はいつまでこんな嘘をつき続けなければならないのだろう……?』


 そんなことを考えながら。



 ▼▲▼▲▼▲



 ざらついた舌で水をすくい上げる。エサ場で喉を潤したフライが一息ついた。


「ふーーっ。もう陽が沈んだってのに暑いな、今日は。ヴァン、覚えてるか? おまえとクローズをめぐってバトった日もこんな暑い日だったっけ……なあ」


 ヴァンはきょとんとフライを見つめている。


「な、なんだよ」

「いや、おまえがそんな風に一方的に喋るなんて珍しいなって思っただけさ」


 フライは一瞬ドキリとしたがヴァンの悪意のない苦笑を見て胸を撫で下ろした。


「き、急に緊張がほぐれたからかな……」と、言い訳のようなことをまたペラペラ喋り出しそうになったのでフライは口を閉ざした。


──いかんいかん、いつもと違う言動は疑心のもとだ。


 フライはガードを固め本題に入った。


「ザンパノはボスの座をかけた勝負を受けるそうだ。日時は明日の夜、十時。場所はオレたちが今日、昼飯を食ったところだ」

「氷川神社か?」

「そうだ」

「ふむ」

「どうした?」

「妙だな」

「な、何がだ?」


 フライの目が泳いだ。


「だって氷川神社はN区だろ? どうして自分のテリトリーのS区を選ばない? 通常ボス猫ってのは“アウェイ戦”を嫌う。いらんプレッシャーやストレスを感じるから勝率が下がるんだ」


──さすがに鋭いな。


 フライは腹の中で舌打ちした。


「よほどの自信があるのか、それとも……何か企んでいるのか……?」


 実のところザンパノにこの提案をしたのはフライだった。この策をより磐石にするためにはS区よりN区の方が理想的なのだ。


 だが、疑念を持たせはしたもののヴァンはこの策略の核心にはまったく到達しきってはいない。それで十分だった。



 ▼▲▼▲▼▲



 夜になると皆は宴を始めた。それは、この『猫屋敷』で夜を明かすのはひょっとしたら今日明日が最後になるかもしれない──そういう感傷もあってのことだったが、フライにしてみればとてもそんな気分にはなれなかった。


 ヴァンといえばつい先ほどまで食っては笑い、歌っていたがいつの間にかその姿はなかった。


 フライはのそりと起き上がり、ヴァンを探し始めた。


『ヴァンを見つけてどうしようというんだ、俺は?』


 やはり──


『やはり俺には無理なのではないか? あいつを裏切るなんて、そんな大それたこと……』


 その時、誰かが叫んだ。

「おーい、佐藤じゃないか! どこ行ってたんだ?」


 フライは全身の毛が逆立った。

──まさか……!


 だが、振り返ってみるとどうやらそいつは他の子猫と佐藤を勘違いしただけらしい。


 ドキドキしていた。


──今ならまだ遅くない。今だったら… 全て本当のことを話して佐藤を救出できる……! その結果、皆に白い目で見られようが、どれだけ罵られようが……。


 そんなことを考えながら歩いている時、フライはヴァンの姿を見つけ、その勢いで「ヴァン……!」と、歩みだそうとした。──が、フライの目に映ったのはヴァンと楽しげに話をしている妻のクローズの姿だった。



 ▼▲▼▲▼▲



 少しばかりほろ酔いとなってしまったがヴァンは群れから離れ一匹佇んでいた。満月に一番近い月。その圧倒的な力を得たいがために夜空を見上げていたのだ。


──とにかく……皆を救うためだとか大切なヤツらを守るためだとか、そんな大層なことを考えるのはやめにしよう。ただ、本能に従い、闘って、そして勝つ。勝つ。俺は勝つ……!


 そう、結果など所詮は“行動”の後ろにぶらさがってついてくる“おまけ”でしかないのだ。ヴァンはそう腹をくくった。


「縄張りだのプライドだの……オスってのは本当に面倒くさい生き物ね」


 クローズがそばにやってきたのはそんな時だった。


「その“面倒くさいオス”をポンポン産むのはおまえらメスだろ」

「怖いんでしょ?」

「そりゃ怖いさ。できることなら代わってほしいくらいだ」


 クローズは屈託のない顔で笑った。


「本当だぞ。おまえが闘った方がまだ勝つ見込みがあるかもしれん」

「“子供”の喧嘩に母親が出ていっちゃ反則でしょうに」

「まあ、そりゃそうか」


 ヴァンも笑った。あっはっはと笑った。



 ▼▲▼▲▼▲



 妻のクローズのあんな笑顔を見たのはいつ以来だろうとフライは思い出そうとしていた。


──オレと一緒にいる時にはもう決して見せてくれない顔だな。なのに、ヴァンの前では、あんなに……。


 オセロ。その最後の一枚が盤上に置かれた気分だった。


──ヴァン……。


 フライは自分の中に残されていた“白”の陣地がパタリパタリとどんどん“黒”にひっくり返されていくのを感じずにはいられなかった。


──わかったよ。みてろ……ヴァン。必ず貴様に吠え面をかかせてやる……!



“闇の力”はこの時、フライを完全に支配したことを確信した。





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『イシャータの受難』の次はこちらもどうぞ。只今連載中、ヴァン=ブランの名前の由来ともなったダークファンタジー『ヴァンブラン・ボイス』はこちらから。よろしくお願いします──
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