第二十一話 Childhood friends〈幼年期の終わり〉
【前回までのあらすじ】
[1分でわかる第一章『イシャータの受難』]
N区。イシャータ、メスのシャム猫、捨てられる。ノラ。空腹。1000円拾う。小学生に奪われる。ボス猫ギノス。食い物を恵んでやるが首輪をよこせ。グシャッ。悔しい。
イシャータ五尾の魚拾う。食べてしまえばそれまで。四匹の野良猫たちの知識と交換。残った一尾、捨てられてた仔猫にあげる。仔猫を佐藤と名付ける。
佐藤がお腹痛い。泥棒するしかない。ナナ、飼い猫時代の後輩の家。恥ずかしい。ギノス。缶詰。笑う。
屋根の上で観察。知識。イシャータ、成長。小学生とギノスにリベンジ。すっきり。
ペイザンヌ。変な猫。馬場トミオ。変な魚屋、猫嫌い。知能犯で魚ゲット。
仔猫の佐藤、飼い猫になんねん♪。白猫のギリー。淡い初恋。猫屋敷。猫いっぱい飼ってる出口のお婆さん。イシャータ、佐藤、その一員へ。
お婆さん亡くなる。
[1分でわかる第二章『ヴァンブランの帰還』]
三十匹の集団野良猫。ヴァン=ブラン帰ってくる。銀色の猫。歌が上手い。
猫屋敷のリーダーの黒猫フライ。ヴァンとフライがリーダー争い。フライの息子ハッシュは佐藤とバトル。賭け。ハッシュ負け。ヴァンがリーダーとなる。フライ悔しい。メタボチックはデブ。
佐藤、ギリーが好き。でもギリー、ヴァンが好き。しかしヴァンはイシャータが好き。
過去の回想。イシャータを口説くヴァン。100日、歌えば考えるとイシャータ。。ヴァン、苦しい。99日で断念。去る。
フライの妻、三毛猫クローズ。ヴァンは昔クローズが好き。フライと恋争いをしたが負けたらしい。
佐藤はヴァンに嫉妬。ヴァンには勝てへんよ。犬。でかい。でかさは関係ない。傘。ヴァン、犬に勝つ。佐藤、ボク強くなんねん。
ヴァン、独立国家計画。公園。ザンパノに交渉。ダメならS区ごともらっちまえ。縁の下。イシャータ、泣く。なんでいなくなったんだよぉ! ヴァン、まだ間に合うか?
ザンパノ、隣のS区のボス。子分のシースルー、予言。“鳥の名を持つものがあなたを押し潰す”。回避する方法は“第三の目を持つ猫を待て”。
そして[第三章『佐藤の試練』]へ ……
猫は一日の半分は眠ると言われるが、もし猫に不眠症というものがあるとするならシースルーはまさしくそれであった。
常に眠そうに微睡んではいるのだが生まれてこのかた渡り鳥やキリンのように脳の半分が寝て半分が起きている“半球睡眠”のような生活を常に送っている。ただ、一度の眠りがとても深く、日に二時間ほど訪れるまとまった睡眠時間の後に彼の予知能力は活発さを増すことが多かった。
ボスであるザンパノの危険を予見した①“鳥の名を持つものがあなたを押し潰す”という予言も、その危険を回避するための②“第三の目を持つ猫が訪れるのを待て”という予言も、その深い眠りの最中にお告げのように夢の中に現れてきたものである。
経験上、おそらく今回も的中率は高い。
ただし、②の予言が現実になれば①の予言は外れることになり、①の予言が当たるのであれば、②の予言の存在価値がわからない。
シースルーは考えた。いわば彼の頭は将棋をさす棋士のそれに似ていた。
相手が打ってくる一手から様々な未来を予測し頭の中で最善の“棋譜”を練り上げる。
ただ……。
──それとは別に、今回の予言には何か得体の知れない“異物”が混じっている。
シースルーはそうも感じていた。ザンパノにこそ伝えてはいないが、ここ二三か月の間で、本来“あるはずのないもの”が突如混入し未来が急激に揺らぎ始めているのを。
その“異物”の正体をつきとめないことにはこの勝負はどちらに転んでもおかしくはない。恐れや不安というよりむしろ、シースルーは久しぶりに強敵に出会った時のような高揚感を覚えて、ぶるりと武者震いをした。
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N区のボス猫、ギノスは肉球をペロリと舐めるとゴシゴシ丹念に顔を洗った。
「で?」
しつこい“目やに”がなかなか取れない。
「何だっけ、ザンパノの居場所だったな」
ギノスは目の前に鎮座するヴァン=ブランと黒猫のフライを交互に見た。視線を落とすとそこには子猫の佐藤の姿もある。
「ん? おまえひょっとするとイシャータのとこにいたあの時のガキか?」
ギノスに睨みつけられ佐藤はヴァン=ブランの後ろに半分隠れた。
「わはは、覚えちゃいないか! 俺様なぁ、おまえが腹を空かせて死にそうになってる時、缶詰をくれてやったことめもあるんだぜ? ん、ボウズ?」
「ボ、ボウズちゃう! ボクは佐藤や!」
ギノスはまたガハハと笑った。
広いS区の中でザンパノを見つけるのは至難の業だ。だがN区のボス猫、ギノスのネットワークを利用すればその手間も少しは省ける。
ヴァンはそう考え事前に手を打っておいたのだ。
「ロキ!」
「ふぁい、ヒノフふゃま……」
ギノスの手下、泥棒猫のロキが何やらズルズルと引っ張りながら現れた。強烈な悪臭に三匹とギノスは顔をしかめた。
「な、なんだそりゃ?」
「へぇ? だって残飯を探せとかなんとか……」
「ロキ……」
「なんでげしょ」
「俺はザンパノを探せと言ったんだ」
「…………………ああ! なるほど」
「惜しかったなぁ……」
「惜しかったですねぇ……」
「バカッ! もういい、次っ!」
ヴァンとフライは互いに顔を見合わせて苦笑した。佐藤はまるで寄席でも見るようにケタケタと笑い転げている。
「ええぞええぞ、もっとやれ!」
しかし、もう一匹の手下による情報は確かなようだった。
「ザンパノってのは極端に外出を嫌うらしいんで苦労しやしたが、現在S区の酔いどれ横丁の一角にある『どら猫』という居酒屋を塒にしているようでやんす」
「居酒屋?」
「へえ。いや、もちろん人間はいねえでやすよ。閉店しちまって、今では空き家になっちまってるらしいんで」
「確かか?」と、今度はヴァンが口を挟む。
「驚いたなこりゃあ……おめえヴァン=ブランじゃねえか! 本当に帰ってきてやがったんだな。今度は何をおっぱじめようってんだ? S区の連中と抗争でもやらかす気か?」
「バカ言え、引っ越しだよ。引っ越し。で、今の情報、信じていいんだな?」
「おおよ、S区に忍ばせてる二三匹からもちゃんとウラは取ってある。信用できる情報だ。でもよ、ホントにケンカじゃねえでやんすか? なんだったらおいらも加勢するぜ。ようよう」
ヴァンがあっはっはと笑い飛ばす。
「てめえはもういいからすっこんでろ!」とギノスが一喝すると手下の猫は「ひひ……」と、ばつが悪そうに愛想を振り撒いて去っていった。
「そういうことだ。これでいいだろう、ヴァン。まったく。舐められたもんだぜ。久しぶりに舞い戻ってきたかと思えば、仮にもN区のボスである俺様を情報屋扱いするとはな」
「まあそう言うなって、昔の“好”だろ。ところでギノス、ザンパノってのはいったい何者なんだ。 オスか? メスか?」
「知らん」
「知らん?」
「実際、俺様もツラを合わせたことがないんだ。さっき言ってたように極端に外出を嫌ってるらしいしな、いろんな噂だけが飛び交っていてはっきりしたことがさっぱり掴めん」
「ふむ。いや、わかった。十分だ。恩に着る。行くぞ、フライ、佐藤」
二匹のやりとりをハラハラしながら見ていたフライは後ろからヴァンに小声で囁きかけた。
「あのギノスがよく言うことを聞いてくれたな……いったい何をしたんだ?」
「別に。場合によっては“矛先”をS区からN区に変更するぞ──と言ったまでさ」
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三匹はファストフードのゴミ捨て場で食料を調達し、ギンザ通りを少し下ったところにある氷川神社の境内で早いランチをとることにした。
「さて、これでおおよその手筈は整ったわけだが……おさらいだ、フライ」
出来損ないのバーガーにかぶり付きながらフライはモグモグとぶっきらぼうに言う。
「今回の交渉において『だったら』『それなら』『そのかわり』、この三つは断じて御法度。毛の先も向こう側が見返りを求めることを許すな、だろ? わかったよ。わかってるって」
「いや、ここは大事なところだから何度でも言うぞ。一つ許せば奴らは必ず付け上がる。俺たちはS区の配下に入るわけじゃない。それを忘れるな」
「はいはい“独立国家”だろ。わかってるって言ってるじゃないか。 さあ、他に何かご指示はございませんかね? リーダー。なんなりと仰せのままに……」
ヴァンは鼻から息を吐いた。
「本当におまえ一匹だけで大丈夫か?」
「もちろんですとも、こんなことに我が将であるヴァン=ブラン閣下のお手を煩わすなど畏れ多い。この忠実な僕、フライに全ておまかせを……」
「なあフライ。どうしておまえはそう“肩書き”にこだわる? それさえなきゃおまえはいい奴なのに 」
「ボクも行く!」
佐藤が名乗りをあげるがヴァンはキッパリと言い切った。
「駄目だ」
「えぇ~? なんでぇな?」
「これは遊びじゃないんだ。ギノスのとこに連れていってやっただろ? ん?」
「遊びだなんて思ってへんよ!」
「ダ・メ・だ」
「チェッ……」
佐藤はプーとふくれる。
「フライ、俺はリーダーとしてなんかじゃなく同じ猫屋敷で育った仲間として…… いや、そんなかたっくるしいもんでもないな、友達として言ってるんだぜ」
「…………」
フライはその黄色の虹彩でヴァンを見た。真っ黒な顔にポツリと二つ開いたその目とは別に、額に一ヵ所だけ存在する特徴的な白い斑点はまるでもう一つの目のようにヴァンを睨み付けているようだった。
「……じゃあ、もう、行くぜ」
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腹を満たした三匹はおのおの別行動に移った。
フライはザンパノのもとへ。
ヴァンは一旦猫屋敷へ戻り、そして佐藤といえば「ボク、ちょっとギリーと約束があんねん」と、どこかへ行ってしまった。
──ふーん、佐藤とギリーのやつめ。いつの間にかいい仲になってきてるじゃないか。
そんなことを考えながら帰宅したヴァンを迎えたのはイシャータ、クローズ、そして当のギリーだったのでヴァンは少し驚いた。
「んぁ?」
「おかえり、ヴァン」と、振り向いたイシャータに遅れをとってなるものかとギリーもそれに続く。
「おかえりなさい、ヴァン!」
もちろんイシャータはそんなギリーの小さな対抗意識などに気付くはずもなく、ごく自然にヴァンに歩み寄った。
「何か食べたの? お腹すいてない?」
「いや、途中で食ってきた。ジャンクフードもたまには悪かないな」
そんな二匹の会話にクローズは何かを察知したのかフフンとほくそ笑む。
「それよりギリー、おまえ佐藤と何か約束があるんじゃなかったのか? 」
「佐藤? ……ううん、別に」
ギリーは何の話だと言わんばかりに首を横に振る。
してやられた……。
──あいつめ、まさか……。
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佐藤はどうしても好奇心を抑えることができなかった。
“犬よりもデカく仔猫を喰らう”というS区のボス、ザンパノ。そのザンパノがどうしても見たくなったのだ。
──本当なのだろうか?
一方フライはまさか佐藤が自分を“つけて”きているなど夢にも思わず、まったく別のことを考えながら歩いていた。
──ヴァン=ブラン……。ふざけやがって! ふらっと帰ってきたかと思えば皆の前で俺に恥をかかせ、リーダーの座を奪い、挙げ句の果ては“どうして肩書きにこだわる? ”ときた。
まあ、いいさ。ザンパノとの交渉がうまくいけばあいつの出る幕もなく手柄は全て俺のものだ。その暁には皆、誰が本当のリーダーであるのかを理解してくれるに違いない。
その思いを心に刻み付け、フライは気を引き締めた。
──この交渉、何としても俺が成し遂げてやる。
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ヴァンは屋根の上でゴロリと仰向けに寝転がって空を眺めていた。その視界へ逆さまのクローズの顔がにゅっと入ってきたが、別段ヴァンは驚かない。
「どうした?」
「何かあったんでしょ?」
興味津々といった具合のクローズがニヤニヤと顔を近付ける。
「ナニカって……何が?」
「またまたぁ、すっとぼけちゃって。ねえねえ、イシャータとさ、何かあったんでしょ? さっきはいい感じだったじゃない。まるで……」
「バーカ、何もねえよ」
「何、照れちゃってんのよ、まったく」
クローズはケタケタ笑ったが、それをよそにヴァンはゴロリと横を向く。
「……クローズ、フライが屋敷に来た時のこと覚えてるか?」
「何よ、突然」
「あいつは何でも自分から率先してやった。みんなの面倒見も良くて、婆さんからも一目置かれて……そして遂にはおまえまであいつに盗られた」
「ちょ、ちょ。全っ然話が見えないんだけど……」
ヴァンは飛んでくる羽虫をしっぽで払いのけると寝転がったまま意味もなくカリカリと爪で瓦を掻いた。
「俺さ、ホントはあいつが羨ましかったんだと思う。嫉妬してたんだなきっと。そのくせ何処か一方ではあいつみたいになりたいって憧れもあったりして……」
クローズは眉間に皺を寄せた。
「まさかあんた……だから今回フライの鼻をへし折ってやりたいとか思ってたんじゃないでしょうね」
「違う!」
急に鎌首をもたげたヴァンにクローズはたじろぐ。― まるでやってもない罪を誰からも信じてもらえず救いを求めている少年 ― クローズにはヴァンの顔つきがそんな風に見えた。
「ヴァン……」
「そうじゃない。それは違うんだ」
きっと本来であればこれは最近ギクシャクしているフライに向けて言いたかった言葉なのだろう。ヴァンはそのことを誰かにわかってほしかったに違いない。クローズはそう察した。
「クローズ、俺な、今回のことがどう転ぼうと最終的にはあいつにリーダー権を返そうと思ってるんだ」
「?」
「そもそも俺はハナから誰かの上に立てるなんてガラじゃない。平和さえ戻りさえすればリーダーってのはフライみたいに温和で皆に気を配ってやれるタイプの方がやっぱり適任なんだよ」
クローズがヴァンを睨み付けるような表情に変化はない。
「あんたがそうしたいならそうすればいいんじゃない? ただ……」
「な、なんだよ」
「そんなのはヴァンらしくないっ。なにさ、グチグチグチグチ変に大人ぶっちゃって。『へへ~んだ! リーダーになんかなったら遊べないや!』なんて言って笑いとばしてるヴァンの方が全っ然ヴァンらしいっ」
「むむ……」
「さあほれ、笑ってみろよ! ヴァン=ブラン!」
クローズはヴァンの上にのし掛かると腹をくすぐり、脇を撫で回し始めた。
「バカ、やめろ! やめろっつの! うははは、うひゃひゃひゃひゃ!」
「ほーれほれほれ。こんなとこをイシャータに見られたら大変なことになっちゃうよ。ラノベみたいな展開になっちゃうよ?」
「わかったよ、わかったから! 降参だ、うはははは!」
そうやってじゃれ合うヴァンとクローズだったが、ふと視線が重なった瞬間、まるで時計の歯車がカチリと止まるように動かなくなってしまった。
「でも、もっと早く……」
「ん?」
「もっと早く……さっきみたいに、素直に弱さを見せてくれてたら、ひょっとしたら私、ヴァンを選んでたかもしんないね」
「…………」
しばしの静寂の後、クローズはくすりと笑うとまるで子供がおもちゃに飽きた時のようにスクッと起き上がった。
「あーあ、あの頃みたいに戻れるといいね。早く」
ヴァンもそれに習いむくりと起き上がると視線をS区の方へ向けた。
「大丈夫さ。フライならきっとうまくやってくれる」
“あの頃”になど決して戻れはしない。
そんなことはヴァンにも、そしてクローズだってわかっている。だけどあの頃とは違う今の自分たちの生活を持続していくためには一つ、また一つ、と大きな壁を乗り越えて行かなければならない。
そんなヴァンたちの思いも今はまだ残暑の風にただ揺られているだけであった。
今回、ヴァンたちの会話にあったことは、ヴァン=ブランの幼少期を童話風に描いた『子猫のヴァン=ブラン』(同・N区の野良猫ペイザンヌシリーズ)の方で詳しく書いております。ヴァンが猫屋敷にやってきた時のお話で『イシャータの受難』とも接に関係しております。そちらの方も併せて読んで頂けるとこの先の展開がより面白く感じると思われますので、お暇があれば何卒よろしくお願いいたします。
ー ペイザンヌ ー




