大学一年生の時に出会ったホームレスのおじさんとの話(実話)
むかし東京に住んでいたころ、ぼくの近所の公園に男性のホームレスの方がいました。当時はホームレスを排除するような条例がなかったんでしょうね、その人はいつもぼろぼろの服を着て、長くてぼさぼさの髪をして、これまたぼさぼさの髭を生やして、公園の隅で、いつもワンカップ大関みたいなのを飲んでいました。
ぼくはいつもこの人臭いし、怖いし、なんかいやだなーと思っていました。
大学1年生の夏だったと思います。ぼくは以前から同じ部活の美人の先輩に激しく恋をしていて、いつかこの人を自分のものにしたいと思っていました。美人だけど、処女のような雰囲気のある潔癖な感じの人で、ぼくはきっとこの人は処女で、いつでもその人とするエッチなことを妄想しながら学校に通っていました。
で、あるときどうしても自分の気持ちを抱え込めなくなってその人に告白したわけです。
気持ちをありのまま、付き合ってほしいと。
しかし断られてしまいました。
理由は言ってくれず、とにかく君とは付き合えないからといわれました。
ショックでした。何がショックだったって、絶対初セックスはこの人だと思っていたのにそれが出来なくなったことが、しかも他人に取られてしまうかもという思いがぼくをなおつらくさせてとにかく苦しみました。
しかし最悪なことに話はそこで終わらず、別の先輩から、「あの人結婚してるよ」と伝えられたのです。
学生ですよ。しかも処女だと思ってた女の人がですよ、結婚してるって、
「ほんとなんですか!?」
とぼくはもう半狂乱になってしまって、学校にも行けずバイトにも行けず、崖から突き落とされたような気持ちで失意の日々を送っていたのです。
で、ぼくはアパートにいると一人ぼっちで余計さみしくなってしまうので、例のホームレスのいる公園で子供たちが遊ぶのを見たりして時間をつぶすようになりました。
夕方になって公園に誰もいなくなって、しょうがないからアパートに帰ろうかと思っていた時です。公園の隅にいたホームレスのその人がぼくに近づいて来たんです。
ぼくの方に向かって歩いてくるものだからぼくは怖くなって逃げようとしました。するとホームレスのその人が「逃げんでいい逃げんで。待ちんさい」といってぼくを引き留めるのです。
「なんですか?」
「まあ酒でも飲まんかね」
といってその人はぼくにワンカップを差し出しました。汚いビンで嫌だなーと思いましたがとりあえず受け取りました。ホームレスのその人は「あんたなんかあったんね?おれ若いころはいろいろあってね~」といいました。近づいて顔を見てみると伸びた髪の合間から意外と凛々しい顔をしていることがわかりました。
「あんた、あのマンション住んどるでしょ?あのマンション建てたのおれじゃ」
とぼくの住んでいるマンションは自分が建てたんだと言いました。
ぼくは信じていませんでしたが、とにかく彼の語るところによると自分は建設業をやっていて、あのマンションを建てたのは自分で、ところがバブルがはじけて建設業も人員削減が進んでリストラされ、しかもその時脳梗塞を患ってしまった自分は社会復帰が出来なくなり、もう20年もここでこうしているんだと語りました。言われてみると、少し言葉がたどたどしかったのを覚えています。
仕事はたまにある飯場の仕事。でもその仕事も最近はめっきりなくなり、いま所持金は100円。ここのところまともなものは食ってないとそんな話をしました。
いたたまれないような話でしたが、事実のようで、そしてぼくに
「兄ちゃんな、あんたまだ若い。体も健康そうじゃ。若いといろいろ苦しいこともあるけんど、兄ちゃんは大丈夫だで。これから幸せになれる」といって笑いました。
ぼくはその言葉がなぜかすごく嬉しくて、励まされたような気がしました。ぼくはワンカップを「これはおじさんが飲んで下さい」といってホームレスに返してその場を去ったのですが、なんかあの人見た目よりいい人だったな、そしてちょっとだけど傷心が癒えたような気がして、次の日の夕方、またその公園に行きました。
所持金が100円だといっていたのでコンビニで買ったコロッケを持っていきました。ぼくの姿を見るとおじさんはにっこりと笑いました。
「なに、酒でも飲みに来たのか?」
ぼくはいや、これどうぞといってコロッケを渡すとおじさんは目を真ん丸にして「いいんか?」といって「あげます」というと「ほんとか!」とバクバクとコロッケにかぶりついて、「こりゃ神様じゃ。こりゃ神様の恵みじゃ」といって喜ばれました。
その日ぼくは自分がフラれたことや、学校にもバイトにも行けなくなったことを話しました。
おじさんは「若いころはみんな何度もフラれるんじゃ。あきらめたらいかんで~。わしだって何度もフラれた。いまはこんなわしじゃけどな~。あんたは顔もいいし、これからいっぱいいいことがあるんじゃ。そんな女なんじゃい」といってぼくの肩をたたきました。
外から見れば変に見えたでしょうね。大学生とホームレスが語り合う姿。でもぼくはだんだんこの人と話すのが好きになって、それから度々コロッケを持っておじさんのところに行って、話を聞いてもらったのです。
ぼくは少し、失恋の傷も癒え、バイトにも行かれるようになり、ひと月ほど公園に寄らなかったのですが、そうだ、今日久しぶりにおじさんのところに行ってみようと思って、公園に行きました。
するとおじさんの段ボールがなくなっていて、おじさんもいなくなっていたのです。
ぼくはまさか追い出されてしまったのだろうかとひどく心配になって公園にいた人に聞いてみると
「ああ、あのホームレスなら、この間亡くなったよ。死んでたみたいだよ。朝」と言われました。
ぼくはびっくりして呆然と立ち尽くしました。
栄養状態がやっぱり悪かったのだろうか?それともだんだん寒くなってきてこの寒さに参ってしまったのだろうか?
と思い、またしても今度は喪失感に襲われたのです。
ぼくを慰めてくれたあのおじさんのことを思い出すと、胸が苦しくなりました。先輩もおじさんもぼくがうまく行きかけるとこうしてぼくの元からいなくなってしまう。
ぼくって結局こういうような人生をこれから歩むのだろうかと思いながら、おじさんの段ボールがあった場所にせめて何か供えてあげようと思って、おじさんが大好きだったコロッケをコンビニで買って公園に戻りました。
するとさっきは気が付かなかったけどおじさんの段ボールのあった場所にワンカップに一輪のコスモスとおじさんの吸っていた銘柄のタバコが置かれていました。
誰だろう、こんなことをする人がぼくのほかにもいるなんて、とぼくは思いました。
ぼくがそこに手を合わせていると、一人のおじいさんがぼくのところにやってきて、
「あんた、大学生?」と声をかけられました。
「そうですけど」
するとおじいさんは
「おれこの人の昔の仲間。あんたでしょ。コロッケ買ってきて、この人にあげてた人」といいました。
「おじさんコロッケなんてもう10年も食べてなかったって喜んでたよ」
その人は生けてあるコスモスの水をかえました。
「あんたと話すようになっておじさんちょっと生き返ったみたいになってたから。あんたのこと神様って呼んでたよ。あの人は神様だ。神様ありがとうございますって」
「そうだったんですね」
神様だなんて。ぼくはただおじさんとただ話をしに来ていただけだったのに。神様だなんて大げさな。
「ありがとうって伝えてくれって言ってたからね」
「そうだったんですね」
ぼくは出来ればこちらからありがとうといいたかったと思いました。ぼくの心はきゅーっとなりました。
大学を出て、ぼくは結婚をして、いま息子が一人います。それなりの幸せと呼べるものをぼくは手にすることができました。
今日、嫁が夕飯にコロッケを作ってくれました。ぼくが食べもせずそのコロッケを見つめていると、嫁が「どうしたの?」と聞いてきました。
「いやなんでもないよ。ただ美味しそうだなって思ってさ」
そう。これはぼくとあのおじさんだけの秘密のお話だから。