普通会計と俺
校庭の隅っこ、木が植えられている辺りで犬がちょこまかと動いていた。その犬の写真を撮るために何人もの生徒が犬を囲んでがやがやと楽しそうにしている。
さっきから外がやけに騒がしいと思ったらあれが原因か……。先生に見つかってケータイ没収されちまえ。
「どうしたんですか先輩?なんか怖い顔してますけど……」
俺から見て右の席に座る会計の悠季清子、通称清子ちゃんが俺の顔をのぞき込んでくる。
俺はその心配が消え去るように普段使わない筋肉総動員で満面の笑みとついでに嘘を作り上げる。
「今度のテストの事考えてただけだよ」
「あー、テストそろそろですよね……」
「一年生は四時間の日とかあるんだっけ?」
「はい……テスト一週間前になったら生徒会出れないかもしれないです……」
「大丈夫、清子ちゃんの分は一つ残らず城我崎にやらせるから!」
「会長に申し訳ないですよ!」
「清子ちゃんは優しいね」
「いやいや、これは普通だと……あ」
清子ちゃんは自分で言った「普通」という言葉にダメージを喰らったようにテンションを下げる。
そう、清子ちゃんは自らの普通さが好きではないのだ。
成績は中の上、運動は球技ならそこそこ出来る。
染めたこともなさそうな黒髪は肩あたりで揃えられていて、ぴっちりと着こなされた制服との相乗効果で真面目さが伝わってくるが、見た目にこれといった特徴はない。ザ普通。
「清子ちゃんてさ、なんで普通が嫌いなの?」
「嫌い……というわけでもないんですけど、やっぱりほら、個性とか欲しいじゃないですか」
「その可愛さは充分個性だよ」
「か、可愛いだなんて……」
「あ、ごめんつい癖で」
「ど、どうしていっつも私ばかり褒めてくれるんですか?」
この生徒会に入ってはや二ヶ月前後。
最初こそ「テキトーな人間関係築いときゃいいや」と思っていた俺だが、気付けば清子ちゃんのことだけはよく口説くようになっていた。
ふむ、理由か……。
「好きだからじゃない?」
「!?」
なぜか一瞬にして顔をゆでだこのように真っ赤にした清子ちゃんを視界の端に捉えながら、考えを淡々と整理していく。
「清子ちゃんの普通さってこの生徒会じゃ癒やしだからね、俺はその普通さが好きなんだと思うよ」
俺の最終結論を聞いた途端、なぜか清子ちゃんのテンションががた落ちしたように見えた。いや、見えたっていうか絶対がた落ちしてる。
書類を整理してた手の動きが逆に疲れるんじゃない?ってくらいゆっくりになってるもん。非効率に非効率をかけたような作業だ。一周回って凄……くもないか。
「私って……そんなに普通ですか……?」
「え?うん、超普通」
「うぅ……」
彼女の手がつい止まる。まあほとんど止まってたようなもんだけど。
「なんでそんなに個性が欲しいの?」
「だって個性もなにもないなんて、そんなのなんか……人の中に埋もれそうじゃないですか」
「ふーん」
「先輩は考えたりしないんですか?個性とか……自分らしさとか」
自分らしさ……か、考えたこともなかったな。
少し、自分らしさについて考えてみるが全く答えが出ない。そんなどうでもいいはずのことに意外なほど焦っている自分に驚く。
しかし、その焦りはすぐに泡のように弾けて消えていった。
「……考えたことないかな。そんな答えの出なさそうなことに時間割くのは非効率な気がして深く考えたことはないよ」
「非効率……」
「生産性がない、とも言えるけどね」
軽くそう言い換えると、なぜか清子ちゃんは黙って考え込んでしまった。
しかしそれも数秒のことで急にぱっと顔を上げたと思ったら真剣な表情で質問してきた。
「先輩はその個性を、どうやって手に入れたんですか?」
「……いや俺個性的じゃないし」
「……」
ものすごく不満そうな顔をされてしまったため、急遽頭の中で解答を作り出す。
「そもそも個性って手に入れようとして手に入れるものじゃない気がするんだけど」
「そ、そんな……あの先輩がそんなに普通の回答をするなんて……」
あれ、俺なんかひどいこと言われてない?
「……まあ、個性なんてない方がいいよ」
「なんでですか?」
「んー……清子ちゃんの考えるような個性ってのを持って、まともな人間関係を保ててるやつを俺は見たことがないから、かな」
「えー……」
顔全体で遺憾の意を表しながら視線で何かを求められる。俺エスパーじゃないんで分からないっす。
「……でも、この生徒会の皆さんは個性的な方ばかりですよね」
「そうだね、悪い意味で個性的な人間ばっかりだよ」
「そ、そんな……自分のことそんな風に言っちゃだめですよ!」
皆さんの中には俺も入ってたのかよ……。
自分は普通だと思いこんでいたばかりに個性的と言われたのが意外だった。
っていうかちょっとショック。
「はあ…………個性欲しいなぁ……」
おそらく無意識にぼそっと呟いたのだろうが、真横で仕事している俺には丸聞こえだった。
うーん……。
「清子ちゃんは無理して個性つける必要ないと思うよ?」
「このまま地味でいても……」
「その地味の基準が分からないんだけど……皆と同じなら地味なの?」
「えっと……多分そうです。皆と同じだったら地味ってことだと思います」
「なら大丈夫だよ。清子ちゃんは普通だけど地味じゃない」
「え?」
清子ちゃんはあと少しで終わる仕事を止めてこちらを見てくる。
いつもなら仕事を進めつつ、口が動くままに適当なことを言うだけだが、今回は彼女の方をちゃんと見る。
清子ちゃんが相手なら、これくらい誠実にやらなきゃね!
「清子ちゃんはすごく普通だよ。どこにでもいる高校生だ」
「うぅ……」
「でも変わろうとした。そして実際に行動してこの生徒会に入ってきた。それってさ、凄いことじゃない?」
「凄いこと……ですか?」
いつのまにかペンを机の上に置き、体ごと俺に向けてきていた清子ちゃんが、言葉に不安を滲ませながら聞いてくる。俺も体を清子ちゃんに向けて、その不安を塗りつぶすようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「たいていの人って、変化より停滞を望むんだよ。そっちの方が楽だから。でも清子ちゃんは違うでしょ?頑張って努力して変わろうとしてる。それは普通ではあっても地味なんかじゃないよ」
「……じゃあ、先輩から見て私ってどんな後輩ですか?」
清子ちゃんの質問の意図はよく分からなかった。もし分かったとしても、きっと同じ回答しかしないのだろうと思いながら俺は口を開く。
「憧れの後輩だよ。君ほど憧れた人間は多分いないんじゃないかな」
「……憧れ?」
清子ちゃんは全く予想していなかった回答に戸惑っているみたいだったけれど、まあなんていうか、これを解説するのはちょっとアレだ。
ということで自分の仕事に意識を戻し、いつも通り効率よく終わらせていく。横から「憧れってどういう意味ですかー」と詳細を求める声が飛んでくるが心を鬼にして無視しておいた。
「おーわりっ、と」
最後の書類に軽くペンを走らせ、仕事を終わらせる。この時期はイベントも何もないから仕事が少なくて助かる。
でもそろそろ体育祭だからな……忙しくなりそうだ。役員が全員揃うことを期待しておこう。
「そっちはどう?終わった?」
「あ、はい。だいぶ前に終わってます」
だいぶ前に終わってるのに帰ってないってことは、もしかして「先輩と帰りたかったんです!」的なあれかな。
いつのまにそんなに好感度上げてたんだろ。凄いな俺。やればできるじゃん俺。
「じゃあ一緒に帰ろうか」
「そ、その前に!憧れってなんですか!」
「えー、それまだ聞く?同じことにずっと拘泥するのは効率的とは言えないよ」
「だって気になるんですよ……」
諦める気を感じさせない視線を受け、俺の心が折れてしまった。まあ……少しだけなら言ってもいいかな。
「はあ……。えっと、一言にまとめると」
「まとめると?」
「清子ちゃんは俺にとって、凄く魅力的な女の子ってことだよ」
「……ひゃい!?」
ゆでだこリターンズ、といった感じで再び清子ちゃんが顔を真っ赤にした。この赤さは絶対普通じゃないよな……。
「清子ちゃん大丈夫?もしかしてまだインフル完治してないんじゃ……」
「い、いえ!大丈夫でしゅ!」
明らかに危ないだろこれ。
「……今日は家まで送っていくよ」
「え、あ、はい!」
二人でテキパキと後片付けをして生徒会室を出る。鍵をかけ、職員室に鍵を返してから二人で仲良く帰路につく。
「こうやって誰かと二人で帰るなんて久しぶりかもしれないです」
「そうなの?もしかして清子ちゃんも俺みたいに一人で帰りたいタイプ?」
「いえ、友達と数人で帰ることが多いので……っていうか、一人で帰りたかったんですか!?私迷惑じゃ……」
「可愛い後輩と一緒に帰ることを迷惑だなんて思わないよ」
笑顔で話しかけてくる清子ちゃんに、俺も普段は同級生や生徒会役員にも見せないような笑顔と軽い言葉で応対する。
しかし、俺は頭の片隅で全く違うことを考えていた。
今日、清子ちゃんと話してようやくその姿を現した、俺の心を静かにかき乱していた悩みについてだ。
さっき弾けて消えたはずの言いようのない焦燥感は、その爪痕を頭の端っこに小さく残していた。それが今になってはっきりとした悩みへと姿を変え俺に問いかけてくる。
俺らしさとはなんだ?と。
自分の欲望に従って自分を確立させた榊原さん。
憧れに近づくために自分を確立させた野月。
個性を求めることで自分を確立させた清子ちゃん。
皆がそれぞれ自分らしさを持っている。
きっと最近会っていない狼会長も、生徒会を手伝ってくれる蒼麻も自分らしさを持って、それに従って生きているのだろう。
でも俺には自信を持って「俺らしさ」だと言えるものがない。
知り合いに聞けば色々と答えてくれるだろう。
でもそれがどこか空しく感じるのは表面上のものだからではないのか。
それはきっと、俺らしさではない。
ただのキャラ設定だ。
「先輩?聞いてますか?」
「……ああ、ごめん。清子ちゃんに見惚れてた
」
「もう!……本気にしちゃうじゃないですか」
「あはは、ごめんごめん」
空々しい言葉を口にしながら歩を進める。
この言葉は俺らしいのか、それともらしくないのか。そんな小さなことが無性に気になる。
「ここが私の家です」
周囲を確認すると見慣れない場所だった。清子ちゃんの指差す一軒家の表札には「悠季」と書かれている。
「送ってくれてありがとうございました。……あの、お茶でも飲んでいきませんか……?」
「そうしたいのは山々なんだけど、このあとちょっと予定があってね」
「そうですか……」
「ごめんね。もし次があったら飲ませていってもらうよ」
「ぜ、ぜひ!」
「うん。それじゃ、また明日」
「はい、また明日!」
軽く手を振って歩き出す。いつもなら来た道を引き返して、見覚えのある場所まで戻るのだけれど、今日はなんとなくいつもと違うことをしたくて、知らない道を進んでいった。
時間の心配はいらない。予定なんて無いんだから。
可愛い後輩に意味もなく嘘を吐き、目的もなく道に迷う。
空を見上げれば太陽が空で幅を利かせている。
今の季節のこの時間は、まだまだ明るい。
今日はなぜか、自らの存在を主張するかのように轟々と燃え盛っている太陽が忌々しく思えた。




