邪悪会計と俺
桜色だった校庭は今や完全な緑色へと変化していた。
緑だけの校庭はやっぱり地味だ。クリスマスツリーでも植えればもうちょい派手になるかな……。
「何か考え事ですかぁ?せんぱぁい?」
俺の右斜め前からそんな間延びした声が聞こえる。二人いる会計のうちの一人、野月予美だ。
文字にすれば甘ったるい喋り方にも聞こえるが、ニュアンス的には不良の「ああん?」みたいな伸ばし方の方が近い。一年生だから俺の後輩だけど、ちょっと怖い。
「いや……なんでもないよ。ただ、いつになったらこの生徒会は全員揃うのかなって」
適当に言ったことではあったが、そのことを考えていたのも事実だ。
インフルエンザにかかっていた三人のうち、彼女が登校禁止期間を一番に解かれ、晴れて登校できるようになった。
本当なら榊原さんも入れて三人で作業……の予定だったのだが、あの変態すぎる駄目書記さんは極寒プレイを楽しんだ代償として、高熱を出し数日休むことになった。
あの人はホント……。
「そう落ち込まないでくださいよぉ。アタシがいるじゃないですかぁ、ギャハハ!」
唇の端を禍々しく歪めながら底冷えのするような笑い方をするラスボスみたいな野月予美。
その言動と彼女の容姿を改めて見てみるとなぜ彼女がなぜ生徒会に入れたのか小一時間ほど考え込みたくなる。
肩ほどで切りそろえられたサラサラしてそうな髪の毛は黒よりの赤に染められており、小さめの可愛らしい唇には、しかしその見た目と裏腹に、ニタァという効果音が似合いそうな笑みが浮かんでいる。
服装は見た目こそちょこっと着崩しているだけのようにも見えるが、膝下まで伸ばされたスカートの中には夢や希望ではなく刃物が詰まっている。
立場的に言えば絶対ラスボス。今の状況は勇者一行の中に当然のように魔王が入ってる感覚だ。なにそれ怖い。
ホントなんでこいつ生徒会に入れたんだよ……。
「それより最近どう?クラスで討伐されそうになったりしてない?」
「どこの世界にクラスメイト狩ろうとする人間がいるんですかぁ?」
「……」
……いたんだよなぁ、中学のころにそんなやつ。
「まあお前以外にこの学校でそんなことするやつもいないか」
「失礼ですねえ、どうして仲のいいクラスメイトを狩らなきゃいけないんですかぁ」
「それ、仲がよくなかったら狩るって言ってるようなもんだぞ」
「そう言ってるんですよぉ?」
背筋を正体不明の悪寒が走り抜ける。いや、間違いなく原因はこいつなんだろうけど……。
「まあ、先輩は『今のところ』仲はいいですからぁ、そんなに怯えなくてもいいですよぉ」
「今のところを強調するなよ。俺とお前はずっと仲良しだろ?」
「ぎゃはは」
またしても野月はニタァと口元を歪めた。それを仲良しの証拠と受け取れるほど、俺のメンタルは強くない。
なんか供え物でもしようかな……。
「まあ、そういうことにしておいてあげますよぉ。それにしてもどうしたんですかぁ?急にそんなこと聞くなんてらしくないですよぉ?」
「な、なんとなくだよなんとなく」
……話すことなさすぎて、なんて言えない。
誤解されやすいのだが、俺は話すことが嫌いな訳じゃない。むしろ意識の切り替えになるから、そこそこ好きだったりする。
けど、このラスボスの貫禄を持つ会計とは何を話すのが正解なのか分からないんだよ……。
今だってただの雑談のはずだったのに、実際には俺の将来の脅威が増える結果になったし。……俺の平和のためにこいつの好感度上げていかないとな。
うーむ、よし。こうなったらあの作戦でいこう。
「お前ってなんか好きなものとかあるの?」
「急になんですかぁ、供え物ですかぁ?」
「そ、それについては今度な。そうじゃなくてほら、お前の誕生日が来たときのためにプレゼントの選択肢を絞っておこうと思って」
適当にもほどがある会話にも見えるがこれは俺が困った時、たまに使う作戦だ。
誕生日プレゼントという単語を聞いて嫌な気分になる奴はそうそういないはず。それに好きなものを聞ければ話題も広げやすいし。これなら無難に好感度が上がるはず。
友達少ないからって会話力がないと思うなよ!
「そういやお前って誕生日いつだっけ」
「……前に言いましたけどぉ、アタシの誕生日って一昨日ですよぉ」
「…………」
好感度上昇作戦、大失敗。むしろ下がったんじゃね。
生徒会室の空気が重力魔法でもくらったかのように一気に重くなる。くっ、手が上手く動かない……!目の前に仕事があるのに!
「インフルエンザだからぁ、もちろん見舞いとかは期待してませんでしたけどぉ……誕生日のお祝いくらいはねぇ?」
ひ、一言一言が俺の心をえぐる!なんか好感度とか関係なくとてつもなく申し訳ない!
「先輩以外にも誰も祝ってくれなかったことだって別に……別に気にしてませんしぃ。それにぃ……」
一旦言葉を区切ったせいで生徒会室の空気がさらに重くなる。空気を吸い込むことすら難しく、腕に至ってはすでに動いていない。
彼女の口がゆっくり開く。
「両親にも親戚にも忘れられていたどころか、未だに思い出してもらえなくてもぉ……辛くないですしぃ」
俺は思わず口を手で抑える。漏れ出そうになる泣き声を必死で堪えていた。
か、可哀想すぎる……!可哀想なのは頭の中だけかと思ってたのに……。
「それでぇ、何の話でしたっけぇ?」
「い、いや、あの」
「確か好きなものですよねぇ?そうですねぇ……今は刃物と藁人形とか好きですよぉ」
「洒落になってないぞ……」
「……ククク」
弱々しく禍々しい笑いなんてものを器用に出しながら、野月は残り少ない仕事に手をつけ始めた。
なんだろう……いつもより身体が小さく見える……。
……俺も仕事しよう。
「…………」
いつもなら会話の後の静寂はリフレッシュも終わって、仕事に集中できるベストタイムのはずなのに……なんだこれ。リフレッシュどころかさっきより気持ちが濁ってるんだけど。俺が魔法少女ならもう魔女になってる。
「……あー、終わったぁ」
さっきよりは幾分か声に張りが戻った野月は、残り少なかった自分の仕事を終えたらしい。
そのまま手元の筆記用具を恐るべき速さで筆箱にしまうと、一分と経たないうちに帰宅の準備を整えてしまった。
「……それじゃぁ、アタシは帰りますねぇ」
「おう。……あ、いや、ちょっと待った」
席からすでに腰を浮かしかけていた彼女を呼び止めて、たまたま目に写ったバッグの中に入れてあるコンビニの袋を取り出した。
「なんですかぁ?まさか、ゴミを捨ててこいとか言うんじゃないですよねぇ」
「お前は俺のことをどんな人間だと思ってるんだよ」
そう言って俺は、野月の目の前にレジ袋を静かに置いてから、若干棒読み気味になりながらもできるだけ心を込めて言った。
「はっぴーばーすでー」
「…………はい?」
何を言われたのか理解できないという顔をした野月の顔を数秒眺める。こういうたまに見せる新しい表情がとても面白い。
「いやお前、一昨日誕生日なんだろ?だから誕生日プレゼント」
「で、でも忘れてたんじゃ」
「朝思い出して昼休みに買っといたんだよ。しかし、どうして俺は昼休みに買ってきたプレゼントを今の今まで忘れてたんだろうな」
「ほんとですよ!アタシの誕生日ってそこまで忘れやすいんですか!」
「うん。あとさっきからちょいちょいキャラぶれてるぞ」
「……!」
顔を伏せたはいいものの、垂れ下がった前髪の隙間からは薄紅色に染まった顔が覗いて見えている。
「こほんっ。まあでもぉ、ちゃんと想い出してくれたからぁ、許してあげますよぉ」
「おう。あ、それ食べ物入ってるからできるだけ早く持って帰れよ」
「食べ物?」
不思議そうな顔をして袋の中を覗いた邪悪な書記のの瞳が……一瞬にしてキラキラと輝いたものになった。
「い、いちごのケーキ……!」
声からは隠しきれていない喜びがめっちゃにじみ出ていた。
こいつ甘いもの大好きだからなー。
「なななんで!なんでアタシの一番好きなケーキ知ってるんです!?」
「いやだって、この前榊原さんが持ってきてたいちごのケーキをよだれ垂らして見てたじゃん」
「よ、よだれなんて……」
「まあよだれ垂らしては確かに少し盛ったけど、でもめちゃくちゃ欲しそうにしてたぞ。なのに榊原さんが食べるか聞いても頑なにいらないって言うし」
「うぅ……」
「あの榊原さんのあんなに困った顔初めて見たわ」
「も、申し訳ないやら恥ずかしいやら……」
「……っていうかずっと気になってたんだけど……そのキャラ設定はなに?」
そう聞くと今まで慌ただしく表情を変えていた野月がなぜか急に動きを止めて下を向いた。
あれ、もしかして聞いちゃいけないことだった?
「小学校の時に憧れてた先輩のキャラなんですよ」
顔をあげ、いつものキャラを外して野月が語り始めた。
「アタシみたいな作り物じゃない、本当にヤバい先輩が小学校の一個上にいたんです」
「お前がヤバいっていうんだから相当ヤバいんだろうな……」
「そりゃもう。なんせ小学生なのに二つ名が悪鬼羅刹でしたもの」
「違う意味でヤバいやつじゃねえの……?」
「かもしれませんね」
悪戯っぽく笑う野月に自然と視線が吸い込まれていく。
こいつ、こんな笑い方するのか……。
「つまり、そのキャラは憧れた人のキャラ設定の写しってことだな」
「簡単にまとめればそうですね」
身も蓋もないまとめ方を抵抗もなく認めながら、野月は小さく首を傾げた。
「でも、珍しいですね。先輩がこういうちょっと踏み込んだ質問するなんて」
「そうか?」
「そうですよ。なんからしくないです」
「…………らしくない、か。そうだな。まぁなんとなくだよ、気にしないでくれ」
「はあ、そうですか」
野月は本当に気にしないつもりらしく、改めてバッグを持ち直してから礼儀正しく頭を下げた。
「プレゼントありがとうございました。それじゃ、……今度こそ帰りますねぇ。きゃはは!」
「気をつけて帰れよー」
スライド式の扉を開き一歩進んでから、俺の方に軽い会釈をして閉める。
残されたのは俺一人、手元の仕事はのんびりやったところで10分とかからない。
いつもなら全力で取り組んで3分くらいで終わらせるそれを、今日は急いでやる気になれずただぼんやりと校庭を見つめた。
桜の散った木は全てが同じ茶色で構成されているはずなのに、それでも一本一本が与える印象は違い、どれもこれも個性的なものばかりだ。
きっとそれは全力で生きている証なのだろう。
「……人間とは真逆だな」
意識せずに口から漏れた言葉に苦笑する。仕事もせずに中二病めいたことを考えているなんて、確かに今日の俺は俺らしくないのかもしれない。
「…………ふう」
思考を無理やり停止させ、いつも通り手を機械のように動かしていく。なにも考えず、なにも感じない機械を意識して、今までの思考を頭の片隅へと弾いていく。
胸の中で渦巻いていた形の無い疑念は、手を動かしているうちにいつのまにか頭のどこかへ沈んでいった。




