06 潜む闇
視界が歪み、僕は道路の上に背中から落ちた。
当然だけど、落下距離を短くしても痛いことに変わらない。
「ぐっ…」
背中の痛みに呻く僕に、さらに痛みが襲いかかってきた。
「ぐえっ……」
本当は受け止めて、もう一回跳ぶつもりだったんだけど失敗したな。
僕が考えた方法は、かなり危ない賭けだった。
まず怪物に爆発の余波を浴びせ、ユーナを手放させる。魔法でユーナの落下する先に移動して空中で受け止める。
ユーナを受け止めれなかったら、彼女を死なせてしまったはずだ。それに、落下しながら探す僕も死ぬ可能性があった。
「ずいぶん無茶したな…。成功したから結果オーライかな?」
そう結論付けながら起き上がり、自分の上に落ちてきたユーナを見た。気を失ったままの彼女にケガは無い。
「よかった……」
そのことに安心しながら、ユーナを横抱きにして立ち上がった。背中を何度も打ちつけたせいか痛い。すごく痛い。
「とりあえずログアウトしないとな」
さっきの爆発で、怪物がどこに行ったのかわからない。
確かにダメージは与えられたと思うけど、爆発の余波だけで死ぬとは思えなかった。
ユーナは気絶しているし、爆発の余波と背中の痛みで集中できない。こんな状況で襲われたら守り切れる自信は無い。
「って、近くにガラス無いな……」
ゲームのログインとログアウトには、ケータイと指輪、それと〈ゲート〉になるガラスが必要だ。
だけど、周囲にガラスは見当たらない。
ほとんどが割れているどころか、壁ごと崩れて瓦礫に埋もれているみたいだ。
「この近くにあるかな…?」
手を横に振ってコンソールを開いた。MAPのコマンドに触れると、ここ周辺の地図が表示される。
「〈ゲート〉表示」
指示を出すと地図に変化があった。地図上に三つの三角形がある。これは〈ゲート〉の位置だ。
表示された位置を確認した僕は脱力した。三つとも地図まで行かないと無い。
「……はぁー」
深々とため息をついた僕は、とぼとぼと地図を見ながら歩き始めた。
距離があるとはいえ、ログアウトするためには〈ゲート〉を通り抜けないといけない。
魔法を使う方法もあったけど、見える範囲でしか移動できないんだ。それに、移動した先に怪物がいないという保証が無かった。
魔法の発動にはタイムラグがあるし、呪文を唱える前に攻撃されたら死ぬかもしれない。
「それにしても、〈ゲート〉の数が少ないな……」
このゲームには、プレイヤーがログアウトするために窓が現実より多く設置してある。だけど、この地図に表示されている〈ゲート〉は少なすぎる。
「なんで、こんなに少ないんだ?」
文句混じりに疑問を口に出した。でも、誰も答えてくれない。
「…フィールドの、特徴です」
返ってくると思っていなかった答えが聞こえたので、驚いて地図から視線を動かす。
いつの間にかユーナが目を覚ましていた。うっすらと目を開いて、ぼんやりと僕を見つめている。
「ユーナ、大丈夫か?」
「…はい、直撃する前に魔法を使ったので……」
「そっか、よかった……。――っ!?」
安心した僕の視界に、とんでもない光景が映った。
確かにユーナにケガは無かった――けど、ところどころ服が破けている。特に胸の部分の生地が大きく破けていて、水色の布が少しだけ見えていた。
「隼人、どうしたんですか?」
「い、いや、何でもないから」
ユーナが子犬のように首を傾けて聞いてきたので、答えながら思わず視線を逸らした。
とてもじゃないけど直視できる状況じゃない。
「それよりフィールドの特徴って、どういうことなんだ?」
とりあえず話をそらして、できるだけ意識しないようにしよう。
そんな僕を見て、ユーナは不思議そうに首を傾げた。
「まず、コンソールのFieldを開いてください」
指示に従い、僕はコマンドを押して開く。ずらりと項目が表示され、その中から自動で選択されて情報が表示された。
さっきは見ている途中で消えたので、最後まで見ることができなかったんだ。改めて最初から目を通していく。
すると、書かれている情報の途中で目がとまった。そこには、『オブジェクトの建物は壁が壊れており、〈ゲート〉は少ないのでログアウトは困難』と書いてある。
「フィールドの特徴に関しては、ゲームが始まるまでに目を通しておいてください」
「……今後は気をつけるよ」
僕が退場した後にできたルールらしい。
つまり、フィールドによって〈ゲート〉の数は変わるわけだ。事前にフィールドの情報を知っておかないと、怪物に狩られてゲームオーバーになるというわけだ。
ランダムに変わるフィールド、それに合わせて増減する〈ゲート〉の数。僕が退場した前と後で、だいぶルールが変更されたらしい。
「ずいぶん難易度が上がったな…。何かあったのか?」
ここまで大幅にルールが変更されることは珍しい。僕が退場するまでは一回しかなかったし、その時はゲームからアカウントが急減少したことが理由だった。
つまり、このゲームで大幅なルール変更がされる場合、大きな理由があるということだ。
なら、その理由は何なんだ?
僕の疑問にユーナは首を横に振った。
「わかりません。…私が知る限りでは、このゲームが異常だというぐらいです」
「……このゲームが異常なら、それに参加する僕たちも異常だな」
ユーナが言ったことは、僕たちプレイヤーが常に感じていることだ。
そして、その異常から目を背けてまでゲームに参加する僕たちプレイヤーも、異常と言わざるをえない。
ゲームにクリアすれば願いが叶う。願いとは一方で夢であり、もう一方で野望である。両者の違いは紙一重で、一歩間違えれば夢は野望に変わってしまう。
野望はプレイヤーを暴走させ、ゲームという枠内で非情さを発揮させる。僕を狩った女の子のように。
「だから、異常な僕たちは正しい選択をしないといけない。少しでも正しくあるために」
この言葉は戒めであり、自分を正すためのルールだ。
非情さを発揮すれば心は磨耗していき、最後には何も感じなくなってしまう。そうなってしまえば自分が自分でなくなってしまう。
他人が間違えた道を進んでいるなら、それを全力で止めてやらないといけない。それをしなければ、僕たちは間違えた道を進んだプレイヤーと同じだ。
こうやって偉そうに考えてるけど、僕は止めることができなかった。でも、もし次に彼女が襲ってきたなら止める。
それが正しい道だと信じているから。
「…異常なゲームで異常が起こった。それでも、僕たちは正しい道を進まないとダメだ」
何が変わろうと、この戒めだけは変わらない――変えてはいけないんだ。
理屈っぽすぎて、思わず自分で笑いそうになった。言葉が理屈っぽくなっているのは、常に冷静であろう知識の壁を作ってきたからだ。
「…そうですね。私もそう思います」
冷静さも何も無い、僕の理屈っぽい言葉にユーナは賛同してくれた。
あるのは理屈だけで、僕が努力して作り上げた個性は薄っぺらすぎる。いくら理屈をつけても、結局は信念の無い我儘だ。
「…そうですね。私もそう思います」
冷静さも何も無い、僕の理屈っぽい言葉にユーナは賛同してくれた。
そんな我儘を通そうとする僕に、誰もついて来るはずがない。
「……いいのか? 君が、こんな僕の我儘に付き合う必要は無いんだ」
「…そうですね。私もそう思います」
冷静さも何も無い、僕の理屈っぽい言葉にユーナは賛同してくれた。
思わず自分の耳を疑った。今、彼女が何を言ったのか理解できない。
僕の我儘に付き合って、ユーナが得る利益は無い。何よりも僕に付き合う義理なんて無いはずだ。
どこまでも理屈っぽく考える僕をよそに、彼女は笑顔を向けてきた。
「いいも悪いも無いです。隼人の言葉も信念も、私を支えてくれましたから」
言いながら地面に降り、彼女は呪文を唱えて〈魔装〉を解放した。
銀色の銃を手に握り、その銃口を僕に向けてくる。その予想外の行動にギョッとした。
「再会したときに、私が言った言葉は覚えていますか?」
驚きすぎて、すぐに思い出せなかった。
そんな僕にユーナは銃口を押し付け、顔にはさっきと違う笑顔を浮かべている。確かに笑顔なんだけど、目が笑っていないから怖い。
「隼人は、ほとんど攻撃魔法を使えません。いわば剣を持たない戦士です」
魔法陣が展開し、後は呪文の詠唱さえあれば魔法が発動する状態だ。
それを見て思わず後ずさったけど、ますます銃口を押しつけながらユーナは続ける。
「剣が無い戦士は戦えません。だから、私は隼人の剣になります」
剣という言葉を聞いて思い出した。
――私の名前を、あなたは知っている。だって、私はあなたの剣だから。
あの時は記憶を失っていて、思い出せなかった。だけど、似たようなことを前にも言われたことがある。
――私が隼人の剣になります。
それを聞いた僕が断っても、ユーナはあきらめなかった。そんな彼女の見せる芯の強さに負け、僕は受け入れる代わりに条件を出したんだ。
「君が僕の剣になるなら、僕は君の盾になる。だったかな……」
今、改めて言ってみると恥ずかしい。
これを聞いたユーナは、銃口を離しながら言う。
「そうです。ここまで約束したのに、私に遠慮する必要なんてありません」
銃を下してユーナは微笑み、付け足した。
「何よりも、私が好きでやってることですから。隼人に何を言われても、勝手について行きます」
銃を押し付けられる威圧感から解放され、僕は安心して息を吐いた。それから、ユーナの意志の強さを知って苦笑する。
僕もかなりの我儘だけど、彼女の方も負けていなかった。このことに喜ぶべきなのか、悩むべきなのかわからない。
だけど、ユーナのことが頼もしく見える時点で、僕は彼女を巻き込むしかない。
「……わかった。そこまで言うなら、僕の我儘に付き合ってくれ」
剣になると言ってくれた少女に、僕は遠慮することなく頼んだ。ここで遠慮なんてしたら、まっすぐ僕を見つめる彼女に対して申し訳ない。
「はい。私は隼人の剣、隼人は私の盾です」
見つめ合い、互いの意思を確認した僕たちの瞳に赤いカーソルが映った。
弾かれたように、その場から僕たちは飛び退く――と、さっきまで立っていた場所で爆発が起こる。
着地した瞬間、光弾が目の前に迫って来ていた。
このタイミング、魔法陣の展開も呪文の詠唱も間に合わない。光弾の直撃を受けて視界が白く染まった。
「……ツイスト! ワープ!」
咄嗟に二つの魔法を同時に発動した。ツイストで衝撃を拡散し、ワープで拡散できなかった衝撃を別の場所へ移す。
全くダメージを受けなかったわけじゃない。HPのゲージは半分減ったし、直撃を受けた時の衝撃で後ろに倒れた。
赤いカーソルの方向を起き上がりながら見ると、さっきの怪物がいる。
――キィィィッ!
怪物は鳴き声と共に羽を散らし、その羽が輝き始める。まずい、あれは魔法の一斉攻撃 を放つ前兆だ。
「ユーナ、こっちに来い!」
僕の説明の無い指示を聞き、ユーナが駆け寄ってくる。
羽の放つ光が無数の魔法陣を描き、その中心から光弾と閃光が放たれた。
魔法陣の展開が間に合い、駆け寄ってきたユーナの手を掴んで呪文を唱える。視界が歪んで僕たちは跳んだ。
跳んだ先は怪物と同じ高さの空中。下で爆発が起こり、建物が一気に崩壊していく。
「怪物を確認。撃ちます」
淡々とした口調で言い、ユーナが銃口を向けた。それを見た僕は彼女の意図を察する。
「ライトニング!」
呪文の詠唱が聞こえ、魔法陣から雷が放たれた。雷は魔法陣から連射され、縦横無尽に空中を駆ける。
ユーナが使える広範囲の殲滅魔法だ。残っていた彼女のMPがゼロになる。
相手は一体だ。いくら高速で移動しようと、全てを避けることはできない。雷が次々と怪物に突き刺さって貫いた。
「ツイスト!」
さらに僕は魔法を使い、直撃せずに駆けていく雷の軌道を空間ごと曲げた。空中で身動きのできない怪物に突き刺す。
――ギイィィィッ!
高電圧の電流に焼かれて怪物は断末魔を上げた。怪物のHPが一気にゼロへと近づいていく。
僕は最後の一撃を与えるために魔法陣を展開した。
「ブラスト!」
呪文を唱えた瞬間、怪物を中心とした空間が歪んで黒く染まる。光さえも届かないほど歪んだ空間、それが大爆発を起こした。
怪物のカーソルとHPが消滅する。
僕たちは爆風に巻き込まれて吹き飛ばされ、かなり離れた場所にあった建物の屋上に落下した。
「っ……!」
本日三回目の背中の痛みに、僕は歯を食いしばって耐えた。
このゲームで痛みを感じる時、何で痛覚まで再現されているのか恨めしく思う。ゲームの製作者に悪意があるとしか考えられない。
現実の世界を模倣した世界も悪趣味すぎる。この世界を壊すということは、自分たちの住んでいる世界を壊すことになるからだ。
いったい、このゲームは何のために作られたんだ?
「隼人…、大丈夫ですか?」
背中の痛みに対する苛立ちが疑問の変わり、思考に入りかけていた僕の意識が、心配そうなユーナの声で現実に引き戻された。
「…うん、背中を打ったけど。……ユーナの方は?」
背中は痛いけど、それだけだ。それより心配してくれている彼女の方が心配だった。
「隼人が庇ってくれたので大丈夫です。……だから、その、手を放してください」
「手?」
そういえば、さっきから何か柔らかい物に触れていた。いったい、これは何なんだろう?
小ぶりで丸みがあり、スポンジみたいに柔らかいそれを僕は撫でてみた。
「ひゃうっ――!」
僕の上で悲鳴を上げ、ビクッと体を震わせた。……悲鳴?
おそるおそる手を放すと、ユーナが逃げるように僕の上からどいた。そして、自分の体を抱きしめるようにして震える。
……この状況から察するに、僕が触っていたのはユーナの胸だったらしい。
非常に気まずい空気が、僕と彼女の間に生まれた。何か言わないといけないんだろうけど、残念なことに言葉が出てこない。
『〈リアル・ワールド〉にアクセス。識別名〈空隙〉と〈閃光〉を自動的にログアウトさせます』
音声が聞こえたかと思うと、デパートの裏に僕たちはいた。
気まずさを消すための話題を見つけ、救われた気がする。
「……えっと、怪物を倒したからログアウトさせられたんだよな?」
「…そうですね」
ユーナは心ここにあらずという感じで、僕の質問に答えた。
……うん、気がするだけで救われてない。
ガラスに写る彼女の顔が赤くなっているのは、夕焼けのせいだけじゃないだろう。涙目になっているのを見て罪悪感が増す。
謝る以外に解決方法を思いつかなかった。
庇う為とはいっても胸を掴んだのは事実だ。しかも、確認のために撫でてしまった。顔をはたかれても文句を言えないし、警察に突き出されても仕方ない。
「……隼人」
「……はい」
「………えっちです」
「………本当にすみませんでした」
言い訳のしようもないし、する気にもならなかった。
頭を下げるだけでは足りないかもしれない。これで許してもらえなかったら、土下座してでも謝るつもりだ。
「……触ってもわからないぐらい小さかったですか?」
「えっ…?」
予想外の質問に、僕は思わず聞き返してしまった。すると、ユーナは振り返って少し怒ったような声で問い詰めてくる。
「撫でなければわかりませんでしたか?」
「…隼人、えっちです」
「わ、悪かったよ。でも、わざとじゃないって」
「わざとだったら犯罪です。それに、さっきの発言は間違いなくセクハラですよ」
自分から聞いてきたくせに、答えを聞いて怒るのは理不尽だと思う。でも、質問に答えた僕も僕なので何も言えない。
涙を浮かべた瞳で睨まれ、うなだれる以外のことはできなかった。
「……識別名〈空隙〉の復活が目的だったのか」
男が呟きながらタブレットを操作すると、そこに映像が映し出された。
それは現実を模倣した世界、そこで怪物と闘う少年と少女の姿。それを見る男の目は真剣そのもので、まるで無邪気な子供のようだ。
「ルール違反だけど、これはこれで面白い事になりそうだ…。しばらく泳がせてみるか」
男はおもちゃを与えられた子供のように笑い、映像を停止させてズームさせる。
映っているのは、お人好しそうな少年と人形のような銀髪の少女。その二人をタブレットの停止した映像で見る男の瞳は、爛々と無邪気さを宿していた。
「…泳がせついでに、あれを試してみるのも面白そうだな」
「あれを試すの?」
どこからともなく聞こえてきた声に、男は振り返りもせず何かを投げた。
投げた先には少女が立っており、何かを少女は受け止める。
「それを例のエリアにセットしてきてくれ」
「いつも思うけど、あなたって異常よね……」
指示を出す男に、まるで友人のような口ぶりで話す少女。これだけでも充分なのだが、この部屋に並べられている機械の多さのせいで余計に奇妙だ。
「…僕は正常だよ。正常に異常なのさ」
男から返ってきた答えに、少女はため息をつきながら部屋を出て行った。
それを気にも留めず、男は次の作業へと入って行く。男を突き動かすのは好奇心という無邪気さだけだ。
この男の目には、映像の中にある世界しか映っていない。異常なほどの無邪気さは、少しずつゲームを侵食していく。
「さて、楽しませてくれよ〈空隙〉の魔術師」
男は画面に映っている少年を見ながら、真剣な表情でキーボードを弾く。