Ch.1 出会えたのは、必然か偶然か。(2)
(この小説は亀更新です。 申し訳ございません。)
門の衛兵から紹介された宿は、良く言って歴史のある趣を携えていた。 正面から見た限りでは、窓は小さいものが二つしか無く、扉も無駄に重そうで、中は薄暗く息の詰まるものであると声高に主張している。 また、その宿がある場所も大通りからは遠く、入り組んだ路地をいくつか通った先に隠れるようにして立っていた。 お世辞にも、過ごしやすそうな宿とは言えない。 だが、その宿は、衛兵から言われた通りの名前【宵入りの星】の文字が書かれた看板を掲げている。
「ぼろっちいねー……」
青年は極力表情を顔に出さないようにした。 白い少女はそんな二人を見て、不思議そうな顔をしている。 彼女は二人とは違い、こういう建造物を好むようである。 現に、彼女の口元は綻んでいた。
「君、いい趣味してるねぇ……まあいいけどさ。 どうせこういう時って中身は良いってのがお約束だし。 ……だよね?」
顔を見合わせた後、ここで立ち尽くしている訳にはいかないとばかりに三人は宿に入った。 外よりは損傷の少ないその中にある物は全て、一見同じようにボロに見えるが、良く見れば隅々まで手入れがされている事がわかる。 それほど人が来るようにはとても見えないのに、扉から入った所は広く、酒場か食事処でも兼ねているのかテーブルと椅子が所狭しと、料理を運ぶのに差し障りのない程度の幅を設けられて乱立していた。 そんな下部とは裏腹に、天井には梁と、今は使われていない明かり用の松明がいくつかあり、屋根の中心にはたっぷりと太陽の光を齎している大きな三つの天窓が嵌めこまれている。
そして左の奥にある階段の横には、やる気など欠片も無さそうな、焦げ茶の無造作な髪の中年の男と、その男がもたれかかっているカウンターがあった。 その上には帳簿らしきものが乗っており、彼の後ろの壁には鍵が幾つか掛かっている上金庫が埋め込まれている所からして、そこが受付のようである。 中年は三人が彼を認めたのを見ると、姿勢を正すことなくその無精髭が生えている顔に笑みを乗せた。
「いらっしゃいませ~」
中年の声も今ひとつ締まりがなく、だらけて伸びていた。 オリアンは挨拶を返し、二人を連れて受付に歩いて行った。
「すいません、部屋開いてます?」
「ええ、全部開いてますよぉ~。 三部屋で良いです?」
「いえ、三人で泊まれるような大きい部屋、ありますか?」
「ありますが、隣の子は女の子でしょ? 別々じゃなくて良いんです?」
「この子、言葉分からないんですよ」
「あーなるほど。 そりゃ保護者と一緒が良いですね。 というかそっちの猫さんもそれでいーのかい?」
「んー、別に良いよね?」
青年は頷いた。 彼にとって、この二人と同室で特に困る事は無い。
「……ふーん、なんか面白いですね。 いーです、気に入りました。」
宿の主は、よっこらせっと言いながら体を起こした。 彼は特に大きくもなく小さくもなく、中背中肉で、あまり特徴のない顔立ちをしていた。 服装も特に奇抜でもなく、普通のシャツとズボンを着ている。 ここまでくると、オリアンにはわざとやっているかのように思えた。 ただし、机の下から紙を取り出し、説明を始めた彼の言動は特にそうでもなかった。
「これに代表の名前を記入してください。 食事と酒は毎日三食格安で提供してるから、腹減ったら下りてきてくださいね。 あ、今ならいっぺんに泊まると割引のサービスがありますよー。 代金はこの張り紙に書いてあるから、字が読めなかったら言ってね! ちなみに出てく時でおっけーだから気軽に何泊でもしていいのよ、足りなかったら体で払わすし! あ、夜のご奉仕でもいーのよ?」
「……あ、はい、そうですね、考えておきます。」
「わお、大人の返し! おっさんしびれたわー」
「何言ってるんですか貴方」
「んー、ちょっと久々のお客さんに興奮しちゃったみたいな?」
「まあ今のような言動ばかりだったらそりゃ客減りますよね」
「わりと冷たいね君」
「ありがとうございます」
「褒めてないよ全然」
鍵を貰い部屋にたどり着いた三人は、とりあえず休みをとる事にした。 部屋はそれほど広くはなく、ベッドが三つと椅子が三つ、そして小さなテーブルが一つだけある質素な部屋だ。 少女は柔らかいベッドに興奮しきりで転がったり軽く飛び跳ねたりしていたが、男組は少しだけ休んだ後、直面した問題……そう、少女の風呂をどうするか、と悩み始めた。 言葉で説明する事も不可能かつ、短いながらも見てきた全ての行動からして一般的な常識に疎い事も分かっている今、一人で放り込んだら何をしでかすか分かったもんじゃない、というのが二人の総意である。
最終的に、少年は年が近いのでどうあっても無理なのを踏まえ、青年が入れる事に決まった。 そこで問題が一つ片付いた安堵感からか、青年の腹が鳴る。 少年は己も空いたと言い、疲れて寝転がっていた少女を起こした。 三人はなにやら賑やかな音が聞こえてくる事に顔を見合わせながら階下に歩を進め、そのまま雰囲気をガラッと変えた広間に目を見張る。 昼間とは違い、夜のそこは酒とつまみと大声が飛び交う酒場になっていた。 宿屋としては最悪の部類だが、酒場としては最高の類らしく、出入り口付近にはもう宵も更けないうちからハイペースで色んな物をかっ食らっている集団が居る。 少年と青年は目と目を合わせ、どちらともなく一番静かな隅の方に速やかに向かった。
席について待っていると、やがて給仕が三人にメニューを持ってきた。 オリアンはとりあえずアイスティーを人数分頼み、持って来られる合間に自分と少女の分を決める。 青年は猫のくせに野菜の方が好きなのか、肉のページは見向きもしなかった。
「隣、良いですか?」
食事中、掛けられた言葉に三人が顔を上げると、十つぐらいの胡桃色の髪の少女と黒髪灰目の男が立っていた。 オリアンはいつの間にか埋められた周りの席を見渡し、了承する。 少女は灰色の目を緩め、とてもかわいらしく笑った。 二人の服装は共に濃い灰色で纏められており、少女の髪を結んでいる一本のリボンだけが赤色だった。
「ありがとうございます。 私、ブライアーって言います」
「ザカライア、だ」
「宜しくね、俺はオリアン。 ブライアーってあれ、野バラとかのつんつんした植物だっけ? 可愛い名前ー」
「あ、ええ、良く知ってますね、そのとおりです。 強く美しく逞しく育ってほしい、って想って付けたって母が言ってたんですよ」
「へー、良いお母さんだね」
「ええ、自慢のお母さんです。 オリアンさんも良い名前だと思いますよ? 昔の英雄、オリアナ様に因んだ名前でしょう。 確か、金色の夜明けって意味だったかと。 そういえば、あなたの眼の色と同じですね。」
「そうなんだけどねー、適当に目についた名前付けただけなんだって。 なんでも、最後の最後で気が変わったらしくてー、まあ自分で決めた名前じゃないし、やっぱ親としては他人が勝手に決めた名前なんてヤだったしーとか言われてさ。 んでそれからまだ幼い俺に嫁姑戦争の話を始めたんだぜ、信じられるー?」
「あらー、どこにでもあるんですねそんな話。 私の母も良く言ってましたよ、自分は普通の人でラッキーだったけど、隣の奥さんの場合は旦那さんまで「義母さんには悪気ないから許せー」とか言ってたって」
「わ、最低。 それめんどくさいだけじゃんね、配偶者は他人である義父母との調停者になる義務があるのに放棄してるじゃん」
「ですよね。 私もそれ聞いてから、お嫁に行くの怖くなりましたよ」
「怖くなるのが普通だよねー。 俺も行く時は気をつけなきゃ」
「え、貴方女の方なんですか?」
「いや、専業主夫になろうかと」
「……そ、そうですか」
そんな事を二人が話していると、四人組が相席して良いかと話しかけてきた。 二人はそれぞれの連れに了承を取ると、四人組に頷いた。
「ありがとうね、もうどこにも空きが無くてさー。 あ、俺エドマンド! エドって呼んでね、宜しくー」
鳶色の髪の青年が、琥珀色の片目をつぶりながら言った。 続いて喋ったのは、くすんだ赤毛に白が混ざった婦人。 適当な色合いの服を着たエドマンドとは裏腹に、婦人は緑色を基調としていた。 婦人は柔らかい笑みを顔に載せ、テーブル組に優しく言葉をかけた。
「私はナインと申します。 エドさんの飼い主ですわ」
「……いや、だからね、」
「ええエドさん、以前から言ってる通り、働かないヒトを、世間様ではヒモもしくはペットと呼ぶのですよ」
「貴方の護衛は仕事でないと申すのかい?」
「その分の報酬はちゃんと払っていますでしょう? 仕事してると仰りたいのなら、外貨を稼いできてください。」
「うわきっつ」
そのナインの言葉に反応したのはエドではなく、薄い色の青年だった。
「きついとはおっしゃりますがね、これぐらい言わないとこのヒト一日中寝てるかだらけてるかしかしないのですよ。 ジークさんでしたっけ、貴方もちょっとそこの、ウェイドさんから聞いたんですけど、あまり仕事に積極的ではないんですって? 貴方達二人は一体全体その若い身空で何を考えていらっしゃるのです? 仕事というのは……」
ナインが説教を始めたのを見て、巻き込まれていない、ウェイドと呼ばれた男がオリアンとブライアーの方に話しかけてきた。 ウェイドはありふれた茶色の髪と目を持っていたが、彼の服は全身黒一色だった。 逆にジークと呼ばれた青年は、外套こそ焦茶色ではあるものの、自身の色に合わせて明るめの色を好んで着ているようである。
「……うるさくしてすいません」
「いえいえ、賑やかで楽しいですよ」
「そうそう。 というかこっち、三人も喋らないヒト居るからねー。 一見お通夜かもしれないぐらいに静かだし、良い感じになったと思うよ」
「そう言っていただけると助かります。 あ、僕はウェイドと言います。」
「ああそうそう、俺はオリアン。 そこの猫の人アンド女の子と一緒に旅してるんだ。」
「私はブライアー、こっちの同じ色の目をした方はザカライアです。 ここには仕事で来ました。」
「ブライアーさんと、ザカライアさんと、オリアンさん、ですね。 始めまして。 ……あの、オリアンさんのお連れの方の名前も伺って宜しいですか?」
「あ、そういえば私の時も言ってなかったですね」
「あーうん、別にわざとじゃないんだけどね。 名前知らないんだよ、なんか二人共喋らないし。 意思促通は出来てるんだけどねー」
ウェイドとブライアーは驚いた顔をした。 二人にとって、今の御時世に名前すら知らない相手に旅の間中、命を預けるなんて考えられない事であるからだ。 ザカライアは表情を動かさず、どちらかと言うと納得したが、二人が硬直しているのを見て助け舟を出すことにした。
「オリアン、だったか?」
「うん? あ、うん、そうだよ。」
「普通は、素性も気性も、ましてや、名前も知らない相手と、旅を……えっと、しようと、は、思わない。 最近は、物騒、だから。 二人、が、えー……驚いて、いるのは、そういう事。 ……あー、私、はザカライア、だ。」
「あ、そうなんだ。 凄いびっくりされたからこっちがびっくりしちゃったよ。 ま、なんというか……感でこう、信じられると思ったんだ。 だから一緒に居る。」
ザカライアが止まらずに長文を喋れたことに密かに感動していると、オリアンがさらっと口説きとも取れる文句を口にする。 言葉が分からない少女は自身の皿に集中していたが、青年は嬉しかったのか若干頬を染めて尻尾を振った。
「え、ええ、まあ、あなた達がそれで良いのなら、私達に何も言う権利はありませんし。 ごめんなさい。」
「そうですね、事情なんて人それぞれです。 僕も謝ります、すいませんでした。」
「え、いやいや何謝ってるの! 一般的には君達のほうが正しいんだし、気にしないで気にしないで! ね?」
「なになに、何の話?」
オリアンの真横に鳶色の髪の毛が出現した。 ナインの説教から開放されたエドマンドが覗きこんだのだ。
「んー、十人十色のお話?」
「なるほど、理解した。」
「ほんとーにぃ?」
と言ったのは、いつの間にか最初の位置に戻っているどころか食事を始めているジークである。 オリアンが良く見ると、彼は髪の毛や肌の色だけでなく、何色か分からない程に眼の色も薄かった。 ジークがそこに居ることに気づかなかったブライアーが、可愛らしい悲鳴をあげてザカライアの方に身を寄せる。 ジークはそれを見て、少し満足気な顔をした。
「ほんとですーマジな話ですー」
「ほんとかなー?」
「あなた達、しつこいですよ」
「「申し訳ございませんでした!」」
「ったく」
傍から見ると、ナインは二卵性の双子の世話に手を焼く母親そのものだ。 若いころは見事であったろう赤髪に白髪が混ざっている所もそうだが、順当に年をとった者特有の凛とした雰囲気と、二人の子供っぽさがそう見せている。 オリアンには、ナイン、ウェイド、ジーク、そしてエドマンドの四人は、とても長く共に居ると思わせるほどの信頼関係を築いているように思えた。