第2部 5話 何で…
足元から吹き上がる風塵が、洸の白のワイシャツを激しくはためかせる。右拳の中には強い光が溢れ、指と指の合間からその光が漏れていた。一方、左拳の方は、右拳よりも若干弱めの光を包み込んでいる。右腕に巻き付く封鬼符は、腕を締め付け更に氣を絞り出す。
外撥ねした洸の髪が、足元から吹き上がる風で、僅かに逆立つ。米神に浮かび上がる青く太い血管は、洸がどれ程まで硬く歯を食い縛っているのかが分かる。
だが、鬼は洸には全く目もくれず金成の首を締め付けていく。既に意識を失っている金成の顔色が、徐々にだが青白くなっている。これ以上首を絞められると、本当に不味いと思った洸は、目に角を立て口を開く。
「いい加減にしろよ……。俺をあんまり怒らせるんじゃねぇよ!」
力強く右足のつま先が床を蹴る。素早く鬼との間合いを詰めた洸は、右足を踏み込む。その瞬間、鬼の瞳が微かに動く。確実に洸と目が合った。洸もその事に気付いたが、気にせずに踏み込んだ右足に力を込め、腰を回転させながら左拳を突き出す。
「絶!」
洸がそう叫び、左拳が真っ直ぐ鬼に向っていく。だが、その拳を鬼の左手が受け止め、真下へと叩き落す。その刹那、洸がニヤリと笑みを浮かべ、左手を素早く引く。
「甘いんだよ! 壊ッ!」
左手を引いた反動を利用し、上半身を回転させ右拳を鬼の腰に向って突き上げる。完全に反応が遅れる鬼は、それを防ぐ術は無かった。鬼の横っ腹を抉る様に、洸の右拳が鬼の体に減り込む。
その刹那、洸の右拳から光が解き放たれ、凄まじい衝撃が洸の右腕を襲い、肩から突き抜けた。激痛が右肩に圧し掛かり、洸は表情を歪める。洸の拳が減り込む鬼の体の表面に、細い亀裂が無数広がった。そして、その亀裂から光が漏れ、皮膚が剥がれ落ち、肉片が辺りに飛び散る。
今まで表情一つ変えなかった鬼の顔が歪む。砕けた肉片はすぐに粉となり消滅した。そして、破壊された鬼の体の傷口からは、微量の粉がサラサラと落ちる。
「どうだ……ハァ…ハァ……さすがに、これは効くだろ?」
僅かに呼吸が荒い。寝不足な上、絶と壊を同時に発動した為だろう。それに壊は絶と違い、術者にも凄まじい衝撃を与える破壊力重視の術。その副作用とも言える突き抜ける様な衝撃を受けた右腕は、既に限界だった。微かに痙攣し、指先一つ動かす事が出来ない。
そんな洸へ視線を向ける鬼は、右手に持った金成を投げ捨て、洸の方へと体を向ける。そして、『やばい』と思った瞬間には、洸の体は激痛を伴い、防犯ガラスへと背中から叩き付けられた。
「ぐはっ!」
衝撃で鈍い音が響き、防犯ガラスに亀裂が走り僅かに窪む。口から血を吐く洸は、床に両膝を落とし、腹部を右手で押さえ、左手を床に落とす。壊を受けて体半分が崩れているはずなのに、これほどまでの力をだすとは――。洸ですら予測していなかった状況だった。
「ハァ…グウッ……。壊を受けてもなおこの世界にその身を留めるか……」
苦しそうに呼吸をする洸は、右目を僅かに閉じ、血を口から滴らせる。体も限界だと言う事が、洸にも分かった。だが、洸は立ち上がり左拳を強く握り、痛む右腕を無理に動かし、封鬼符を取り出す。
「壊で……倒せねぇなら、壊よりも強力な奴をぶち込まなきゃ行けねぇようだ……」
痛みに表情を歪めながら洸は、左腕に封鬼符を更に巻く。
「ぐふっ……」
突如、鬼が口から白い粉を吹き出す。その行動に洸は手を止める。やはり先程の壊は、少なからず鬼の体にもダメージを与えている様だった。安心した様に微かに笑みを浮かべる洸は、封鬼符を千切り、ロール状の封鬼符をポケットにしまう。
「やっぱ、お前の体もボロボロなんじゃねぇかよ……。手間かけさせやがって……」
「ぐううっ……。た…助けて……くれ……」
掠れた声が洸の耳に届いた。その瞬間、洸は鼻筋にシワを寄せ、小さく舌打ちをする。
「くっそ! やっぱりか……」
目を伏せ、奥歯を噛み締める洸。そして、悲しげな表情を浮かべ、洸は鬼に問う。
「何で……何で娘の所へ行ってやらねぇんだよ! 何で、こんな奴の所にいんだよ!」
悲しい瞳を浮かべる洸に、鬼が苦しそうな表情を見せ、助けを求める様に右腕を洸の方へと伸ばす。奥歯を噛み締める洸は、左拳を握り締め、鬼を真っ直ぐに見据える。
「たす……け……」
「黙れ! ふざけんな!」
怒声を響かせる洸は、左拳に体内の氣を全て集める。先程までとは比べ物にならない程の光が拳の中に集まり、手の甲までが輝いて見えた。風が足元から吹き上がり、外撥ねした黒髪が逆立つ。怒りが体から滲み出ていた。
「あんた、分かってんのか……。あんたの娘は、あんたの事を心配してるんだぞ!」
「た…す……」
「ふざけんなよ! この野郎!」
洸は走り出し鬼に向って拳を突き出す。拳が鬼の体に減り込み、光が放たれる。鬼の体は粒子と化し、静かに消滅した。
翌日――。
「ふぁ〜っ……」
相変わらず、寝癖で外撥ねした頭の洸は、眠そうな表情で体育館裏に立っていた。呼び出されたのだ。もちろん、告白でもカツアゲでもない。呼び出したのが、郁美だからだ。朝早くにいきなり「放課後、体育館裏に来て欲しい」と、伝えられたのだ。
もう一度眠そうに欠伸していると、向うの方から郁美が慌てて走ってくるのが見えた。呼び出した者が、遅刻してくるのはどうだろうと、内心思う洸は目を細めたまま口を開く。
「今日は何の様だ? 前も言ったが、依頼なら受けないぞ」
「うっさい! 誰があんたに頼むか」
「じゃあ、話って何だよ? まさか!」
「告白じゃないからな!」
洸が言う前に、郁美が人差し指で洸の顔を指差しながらそう言い放った。苦笑する洸は、右手で頭を掻く。
「早く帰りたいんで手短に頼む」
「わ、分かってるわよ! そ、それより、笑わないでよ!」
「いや……話によるけど?」
不安そうな表情を見せる洸に、少々頬を赤らめる郁美。そして、恥ずかしそうに口を開く。
「あのさ……昨日の夜帰ってきたの」
「帰ってきた? ウルトラマンか?」
その刹那、郁美の右拳が洸の腹を抉った。「はぐっ!」と、短音の声を吐く洸は、腹を抱え蹲る。
「じょ……冗談じゃないか……」
「うっさい! こっちは真剣な話をしてんだよ!」
「和まそうとしてだな……」
「その必要はない!」
そう怒鳴り、腕を組んだ郁美は蹲る洸を見下ろす。それから暫くして、洸の腹の痛みも無くなり、郁美が話しの続きを始める。
「お父さんが帰ってきたのよ」
「へぇ〜っ。よかったじゃねぇか」
「でも、幽霊だったんだ……」
「……はい? お前、それは、除霊に行った方がいいぞ。まぁ、幽霊なんているわけ無いけどな」
大笑いする洸に、ムスッとした表情を見せる郁美。さすがにヤバイと感じたのか、洸は喉を鳴らし笑うのを止める。そんな洸に郁美は真剣な表情で言う。
「ありがとうね」
「はい?」
突然の事に唖然とした表情を見せる洸に、恥ずかしそうに頬を赤く染める郁美は焦りながら言い放つ。
「べ、別に、私はありがとうなんて思ってないわよ。お父さんがあんたに助けられたって、だからそのお礼よ。勘違いしないでよ」
それだけ言うと、郁美は洸に背を向け走り出した。洸はそんな郁美の背中を見て、僅かに微笑む。すると、背後から声を掛けられた。
「洸兄……ごめん。私……」
「何だ結衣。見てたのか?」
突如現れた結衣に少々驚きつつも、洸は優しく微笑む。
「結衣。盗み聞きは良くないぞ。止めた方がいいと思うぞ」
「ぬ、盗み聞きなんかしてないよ! ただ、通り掛かっただけ……」
苦しい言い訳の結衣に、暖かい眼差しを向ける洸は何も言わずに歩き出した。そんな洸に「チョット待ってよ!」と、叫んで結衣は後を追う。だが、洸は眠そうに欠伸をして、「眠いんだ。早く家に帰りたい」と言うと、「えぇ〜っ、これから買い物付き合ってよ」と洸は無理矢理結衣に連れられ買い物に行く事になった。