第2部 1話 依頼
平凡で平和な神村町。村なのか、町なのか微妙な所だ。
ついでに、洸達の苗字である神村は、この町の名前からとったものだ。そして、この町は洸達の育ての親のふるさとでもある。もちろん、今は洸達家族のふるさとでもある。
そんな平和な神村町の森川高等学校、一年A組。廊下側から三列目の前から五番目の席に、神村 洸の姿があった。そして、廊下側から五列目、窓際からは二列目の前から三番目の席には神村 結衣の姿もある。二人は同じクラスなのだ。
相変わらず、外撥ねした髪の洸は、今回の依頼の資料と睨みあっていた。今回は少々険しい表情を窺わせる洸は、肘を机に着いたまま右手を額に当て、前髪を掻き揚げる。
「う〜ん……」
唸り声を上げる洸は、資料を捲り次のページに目をやる。依頼人の様々な情報がその資料に載っていた。依頼人は、金成と言う男。歳は五十後半。大手の会社の社長だ。何者かに命を狙われているらしい。依頼は、その犯人を見つけて欲しいとの事だ。
表向き、鬼滅屋は探偵事務所と言う事になっている。その為、鬼とは関係無い依頼も沢山来るが、こんな依頼は初めてだった。いつもなら、浮気調査とか、人探しとか、もっと楽なモノだ。第一、こんな依頼を遂行する技術など、洸に持ち合わせているはずは無い。
「う〜ん……やっぱ、断るか……」
「何やってんだ? 神村」
悩む洸の背後から声を掛ける男子生徒。癖毛の黒髪に、眼鏡の奥に見える切れ長の目。身長は洸と同じ位だ。名前は白井 涼助。中学からの洸の友達だ。
突然の涼助の声に、咄嗟に資料を閉じた洸は、涼助の方に顔を向ける。眼鏡の奥の切れ長の目が、洸の目を真っ直ぐに見据え、不思議そうな顔をする。
「な、何だよ。その目は……」
涼助の眼差しに洸は引き攣った笑みを見せ対応した。その明らかにおかしな洸の対応に、涼助は疑いの眼差しを向け、洸の手に持つ資料に目をやる。一応、洸が事務所をやっている事を知っている涼助は、ため息混じりで口を開く。
「何だ……。また、依頼の資料を学校に持ってきてるのか? 人に見られると色々と大変だぞ? 分かってんのか?」
声を張り上げる涼助に、苦笑いを浮かべる洸は落ち着いた様子で答える。
「分かってるって。ってか、何でお前に心配されにゃならん」
目を細めて涼助を見る洸に、呆れた様にため息を吐き首を左右に振る涼助は、薄ら笑いを浮かべて答える。
「お前の心配してるんじゃねぇよ。俺が心配してるのは、結衣ちゃんの事だよ」
「はぁ? 結衣の事?」
「ああ。お前の仕事の事が、学校に知れて探偵事務所たたまれたら、結衣ちゃんまで路頭に迷ってしまうからな」
大手を開きそんな事を言う涼助に、失笑する洸は右手で頭を掻く。そんな洸と涼助の話を聞いていた女子生徒が居た。背中まで伸ばした長い黒髪に、すっきりとした輪郭。唇の右下に小さなホクロがある。そんな女子生徒は、両手を組みチラリと洸の方を見た。洸はそんな視線に気付くわけも無く、涼助と他愛も無い話をしていた。
それから時は流れ――放課後。
部活に入っていない洸は、身支度をしていた。教室には他にも数人の生徒が残っており、その大半は帰宅部だ。結衣は既に教室にはいない。きっと、一足先に帰ったのだろう。今日は近くのスーパーで、卵の特売があるのだ。その為、結衣は先に帰ったのだ。
鞄に教科書を詰め込んだ洸は、席を立ち大きな欠伸をする。眠そうな目を右手で擦る洸は、左手に鞄を持ち歩き出す。すると、洸の前に一人の女子生徒が立ちはだかった。
背中まで伸びた長い黒髪に、唇の右下の小さなホクロ。それは、洸と涼助の話を聞いていた女子生徒だった。洸はこの女子生徒と話をした事は無く、顔は知っているが、名前は知らなかった。
「あ〜っ……確か……」
「桑田 郁美。チョット話があるの」
「話……? えっと……」
戸惑う洸は、郁美と目を合わせ様としない。何か嫌な予感がしていたのだ。実際、女子から声を掛けられる事が少ない洸。しかも、話を掛けられる時は、大抵何かをさせられるのだ。今日は帰ってのんびりと依頼の事を考える予定だった洸は、この場をどうにかして回避しようと頭を働かせる。だが、考えがまとまる前に郁美の方が洸の右手首を掴み歩き出す。突然の事に慌てる洸は、そのまま郁美に着いて行く形になった。
暫く郁美に引かれるがままに歩く洸は、目を細め全てを諦めた。一体何をさせられるのかと、頭に過らせる洸だったが、連れてこられた場所は意外な場所だった。
その場所と言うのは、体育館裏。この瞬間、洸の頭に不安が過り、背を向ける郁美の方に目を向け口を開く。
「お、お前まさか、告白か!」
恐る恐る叫ぶ洸に、郁美が大焦りで振り返り怒声を響かせる。
「違うわよ! 何であんたなんかに告白するのよ!」
「じゃあ、一体なんだ? 体育館裏に呼び出して……はっ! そうか、カツアゲか!」
思いついた様に、郁美の顔を指差しそう叫ぶ。ムスッとした表情を見せる郁美は、洸の顔を思いっきり引っ叩いた。
「はぐっ!」
澄み良い音が響き、洸の頬に郁美の手の痕が残る。薄らと涙を浮かべる洸は、右手で頬を摩っていた。軽い冗談のつもりだったのに、まさかこんなに手痛い一撃を貰うとは、本当に予想外だ。
相変わらず、ムスッとした表情の郁美に、洸は戸惑いながらも口を開く。
「それで……何? 告白でもカツアゲでもないなら」
その言葉に胸の位置で拳を握る郁美は、微かに額に青筋を立てる。そして、喉から声を吐き出す。
「もう一発殴られたい?」
「いえ……。結構です」
洸は丁重にお断りする。
その後、沈黙が続いた。目をキョロキョロとし、落ち着かない様子の郁美。何かを迷っている様にも見える。腕組みする洸は、郁美が何を迷っているのかを考えた。元々、郁美と洸の接点など無い為、洸の考えはまとまらない。その為、静かに郁美の方に目を向け静かに口を開く。
「それで、結局話って何だよ。教室で聞かれちゃ不味い事なのか?」
腕組みをしたままの洸に、郁美は眉毛を八の字にする。まだ、迷っている様だった。その様子に、流石の洸も呆気にとられ、右目を軽く細める。そして、深々とため息を漏らし、苦笑し言い放つ。
「あのさ……。話が無いなら、俺帰りたいんだけど?」
「えっ!」
突然の洸の言葉に驚く郁美は、咄嗟に洸の右手を掴んだ。その瞬間に、洸は両目を細めて変な顔をする。それは、まだ帰してくれないのかよと、言いたそうな顔だった。そんな洸の表情に、悲しそうな表情をする郁美。先程までとは、明らかに違うその表情に、洸はもう一度深々とため息を吐き、少し優しめの声で聞く。
「分かった。分かったよ。まだ帰らない。だから、話があるなら、早く話してくれ」
結局、洸は郁美の話を聞くことになった。正直、面倒な事に巻き込まれるのは嫌だった。面倒な事は鬼滅屋の仕事だけで十分だと、感じていたからだ。その為、洸も真面目に郁美の話を聞く気は無かった。
やる気の無い洸は、右手で頭を掻く。そんな洸に、意を決した様に真剣な表情になる郁美は、口を開いた。
「依頼したいの!」
と――。




