第10部 4話 決着
声が聞こえた。
優しく暖かな懐かしい声が私に告げる。
目を開けろ、手を伸ばせ、武器を取れ。
頭の中にそんな言葉が繰り返し流れた。
何も考えず、言われた通り瞼を静かに開く。ぼやけた視界に僅かに映る鉄の塊に手を伸ばす。それが武器なのか分からないが、精一杯に手を伸ばした。
そして、手に触れたのは、冷たくて重いモノ。何か理解するまで時間が掛かったが、無意識にそれを手に握り締めていた。
グリップが手に馴染み、その重さを腕に感じる。ゆっくりと体を起すと、光りの中に黒い何かが見えた。暖かく眩い光りに見覚えがあり、すぐに黒い物体が何か理解する。
『結衣! 氣を込めろ! 意識を集中しろ!』
その声に私は手に持ったモノに氣を集中した。体中の氣の流れが腕に伝わり、一点に集まるのが分かる。初めての感覚だった。氣が膨れ上がり、破裂しそう。私にこんなに氣が残っていたのだろうか。
フラフラと腕を上げ持っていたモノの先を、黒い物体へと向けた。カチャと金属の擦れる音が耳に届き、右手の人差し指にゆっくりと力を込める。
『何も考えず、引き金を引け!』
その言葉で私は手に持っているモノが、楓さんの銃である事に気付いた。その瞬間、目から熱い物が零れ落ち、唇を噛み締め引き金を引く。
重々しくも甲高い銃声が轟く。
一つではなく、無数の音が間髪入れずに連続で鳴り響き、カチッカチッと空砲が鳴るまで続いた。
その音にいち早く反応を示したのが、夏帆だった。一番近くにいたからだろう。痛む体にムチを打ち上半身を起き上がらせる。
それに遅れて俊也も音に気付く。結衣の目から流れる涙と、撃ち出された弾丸を目視した。氣を纏い輝く弾丸に、それほどスピードは無い。だが、確実に幻轟の背中へと突き刺さった。
『ウゴッ……ガハッ……』
幻轟が吐血する。
「な、何だ?」
突然の事に困惑する。銃声は幻轟の叫び声で聞こえず、結衣の姿も見えない。その為、何が起こったの分かっていなかったが、幻轟の力が弱まったのは分かった。
『洸! 一気に押し切れ!』
「んな事、分かってる!」
背後から聞こえた優作の声に、歯を食い縛りながら答えた洸は、地に着いた膝を上げ、拳を幻轟の腹へと捻じ込んだ。刹那、右腕を襲う青白い炎が火力を増し、完全に洸の右腕に巻かれていた封鬼符を焼け切った。
「グッ!」
炎の熱が高まり、洸の拳が僅かに黒ずむ。激痛は更に強まり洸の顔が歪み、封鬼符が焼け切られた事により、止血していたはずの傷口がむき出しとなり血が溢れ出す。ドロドロとした血液が完全に洸の腕を赤く染め、青白い炎を纏いながらポタリと地面へ滴れる。地面は黒く焦げ、異臭が漂う。
「くっ……そ……野郎ォォォォォォッ!」
吼えながら左足を踏み込み、全体重を掛ける様に拳を捻じ込む。
『グオオオオッ! 我は……我は――』
幻轟が最後の抵抗を見せようと拳を握る。限界の近い洸はその最後の抵抗に耐え切れず、僅かに足元がグラついた。その瞬間に僅かながら不気味な笑みを浮かべる幻轟は、見下した態度で言い放つ。
『クッ…ハハハッ……。貴様も……限界の……様だな』
返す言葉が無かった。幻轟の言う通り洸の体は限界だ。これ以上氣を練る事も出来なければ、踏み込む力すらない。それでも強気な態度は変えず、不適な微笑みを見せ答えた。
「限界? な、めんじゃねぇよ!」
『力を込めろ! お前の力はそんなものじゃないはずだ!』
突然、優作の声が響き、洸は奥歯を噛み締め全ての氣を右拳に集中する。拳の光りが強まり炎の火力が更に強まり洸の右頬までを侵食した。
『グオオオオオッ! この程度で――』
更なる抵抗を見せ様とした幻轟だが、破裂音が幾数聞こえ幻轟の背後に眩い光りが映った。その光りに洸の右拳を包む炎が引火し、幻轟の体を炎が包み込んだ。俊也と夏帆が注ぎ込んだ氣が、更に炎を活性させた。
「これで……終わりだ……」
洸が捻じ込んだ拳を一気に引くと、幻轟の体は灰となり、青白い炎は僅かに火の粉を舞い上げ消滅した。指先の残った微かな炎を腕を振り消した洸は、その場に仰向けに倒れこんだ。
全ての氣を出し尽くした様な、そんな疲労感を感じていた。痛みを伴いながらも、右手を空にかざす。黒ずんだ手を真っ直ぐに見据え、家族を守れた事を実感し、自然と笑みを零した。嬉しかったのだ。結衣を縛る忌まわしい呪いを解けた事が。
だが、そんな洸の喜びも束の間だった。
『洸……もう一つ仕事が残っている』
渋く優しい声。それが、洸の表情を引き締めた。洸も分かっていたのだ。やらなきゃ行けない事を。
静かに体を起し、声のする方へと体を向ける。そこに、消えかけの優作の姿があった。
「先生……」
『お前も、立派な滅破になったな』
「どんな理由があれ、鬼には決してなるな……」
俯いたままそう告げる。これは、優作が一番最初に洸に教えて事。そして、優作が毎回鬼を消す時に言う台詞でもあった。洸は何度と無くその言葉を優作の口から聞いていた。その為、今回こんな事になりショックを少なからず受けていた。
皆を助ける為と言え、自分の言い聞かせていた事を守れなかった優作に、僅かながら怒りすら感じており、俯いたまま更に言葉を続ける。
「俺は、あんたからそう教わった」
『……そう、だったな』
低いトーンで優作が答えたが、それ以上言葉を発しない。優作も分かっていたのだ。鬼となってしまった自分の罪を。散々、鬼に言って来たはずなのに、いざ死んでしまえば、自分も鬼になってしまう。そんな情けない事は無い。
両者の間に流れる沈黙に、遂に終止符が打たれる。
「さよなら。せん……せい……」
大粒の涙を零しながら、洸は左手を優作の頭の上に乗せ、小声で「浄」と唱えた。
消滅していく優作の笑顔は少しだけ寂しそうであり、嬉しそうでもあった。そして、洸が最後に聞いたのは、
『すまん』
と、言うたった一言だった。