第9部 1話 散った命 闇から生まれた漆黒の鬼
今、神城 楓の全てが終わった。
五年前のあの日から始まった悪夢、それは楓を強くした。
それでも――……彼には届かなかった。力も――想いも――。その他全てのモノが、彼には届かず消滅する。
彼と過ごした日々の思い出が音をたて崩れていった。
粉屑となった瓦礫が、雪の様に空から舞い降りる。
大きく窪んだ地面、そこには楓の姿は無く、一丁の銃だけが転がっていた。全てを呑み込んだ光りは、全てを消滅させ、全てを奪い去った。
そして、そこに残ったのは――、
「ッ……テメェ! ゆるさねぇ! 絶対に――」
怒りと憎しみ。
「そ…そんな……。楓さん……」
悲しみと絶望。
不適に笑う遼。その頬に一筋の光りが煌いた。それが、何なのかその場に居る者には分からない。そして、遼本人すら分からないモノだった。
呻く洸。嘆く結衣。二人の声だけが聞こえる中、遼が両肩を僅かに震わせる。
「フハハハハッ……これで……これで、僕は――」
両手を広げ大声を張り上げる。その声が洸を更に苛立て、結衣の心の奥底で暗黒の闇を生んだ。闇は次第に膨れ上がり、結衣の体からゆっくりとだが溢れだしていた。それが、この場の空気を大きく変える。
突如として張り詰める空間に、遼すらも動きを止める。耳障りな雑音がその場を呑み込み、生暖かな風が吹き荒れる。恐ろしい静寂が続き、張り詰めた空気を突き破る様に空間に裂け目が現れた。それは、夏帆が開くのとも、鬼が現れる時に出来るのとも違い、無理矢理抉じ開けた様な不規則な裂け目だった。
『ズハァァァァァッ――……ウッ、ウアアアアアアッ!』
裂け目から聞こえる不気味な声が、大気を振動させ洸と遼の体を僅かに震わせた。ピリピリとした空気に遼が一歩後退り、額から薄らと汗を滲ませる。
「な、何だ……。何が起こっている?」
「今すぐ……解け! 今すぐ俺を解放しろ!」
突然、洸が叫ぶ。だが、その言葉に反応は無く、質問だけが戻ってくる。
「奴は……何だ? 一体……」
「てめぇは、触れてはならない領域に手を出した。そして、奴を目覚めさせた……」
「触れてはいけない……領域だと?」
驚きの声を上げる遼に刻々と洸は告げる。
「知っているか……。自らの心に鬼を住まわせる一族の事を……」
「ふざけた事を言うな。そんな頭の可笑しな連中が居るはずないだろ」
馬鹿にした口振りだが、明らかな動揺が見て取れた。瞳孔は開き、表情まで固い。僅かにだが指先も震えていた。
感じ取ったのだろう。放たれる殺気と凍える様な冷たいオーラ。自然に生まれる鬼や遼の生み出した鬼とは全く別物で、それは明らかに桁が一つ二つ違う程だった。
『ズハアアアアアッ……。永き眠りより……ようやく……』
不気味な声がこだまする。その場を一瞬にして凍り付かせてしまう程の冷たく感情の無い声に、全身の毛が逆立つ。
「早くしろ! 今なら間に――」
「フ……フハハハハッ! これは大きな誤算だ。まさか、狙っていた獲物よりも、より強大で凶悪な獲物が釣れるとは、僕はとっても運がいい」
「ば、馬鹿! お前の手におえる相手じゃない! 早くこいつを――」
洸の声など当に聞こえておらず、遼の高笑いだけが響く。
亀裂が広がる。時間の経過と共に、声と亀裂が大気を侵す。
以前に増して禍々しい気配に、洸も焦りを感じていた。優作の居ない今、アイツをどうやって封じればいいのかと、不安だけが洸の思考を蝕んでいく。
「さぁ、出て来い! お前を、僕の手で最高の鬼に改造してやるよ」
『ガハアアアアアッ……。面白い……ガキだ……。ならば……相手をしてやろう』
裂け目が砕け、強靭な引き締まった腕が現れた。鬼と言うよりも人間に近いその腕は、遼の作り出した鬼、檄に似ている。だが、裂け目の奥から覗くその眼は強い殺意をむき出しにしていた。
ゆっくりと裂け目から体が姿を現す。どす黒いオーラを身に纏う漆黒の体には、肩口から腹に掛けて描かれた金色の太い線があり、それが背中で一つに結ばれている。額に突き出る一本角は、彼の全てを物語り、赤黒い瞳は幾多もの血を吸った事を示していた。指先から伸びる鋭く頑丈な爪がアスファルトへと食い込む。
『久方振りの外の空気。随分と変わったようだな』
二本の牙をむき出しにして不気味に笑う。
その横で、結衣の体がドサッ、と音を起て倒れた。奴が目覚めた為、意識を失ったのだろう。
奥歯を噛み締め拳を握る洸は、真っ直ぐに遼の背中を睨む。
遼は自惚れていた。自らの力を――術を過信している訳ではない。ただ自信はあった。奴を自分のモノにする。
「磔の十字架!」
立ち尽くす奴に、間合いを詰めた遼が右手を突き出す。氣が手の平から放たれ、相手の体を細い糸状の物が拘束する。それは、一瞬の出来事――だったはずだった。
「な……なぜ……」
『脆いな』
遼の体が崩れ落ちる。真っ赤な血を流しながら。
「クッ……ううっ……」
『その程度で我をどうこう出来るとでも、思っていたのか?』
「がはっ……」
背中を踏まれ血を吐く。爪が背中へと食い込んでいるのだ。
「ウアアアアッ……」
『我君臨する。全てを破壊する王。虫けらどものに用は無い!』
「グッ……貴様が王なら……僕は神だ! 絶・衝波!」
光りを放つと同時に、左手から氣が衝撃を打ち出す。轟く爆音と巻き上がる土埃が全てを覆う。
確かな手応えと背中の痛みが薄れている事に、遼は笑みを浮かべた。だが、次の瞬間、その表情は一変する。
「ぐああああっ!」
悲鳴に近い叫び声がこだまし、遼の体が地面へと減り込んだ。亀裂が走り乾いた土が陥没する。爪は背中を押さえつけ、抵抗できぬ様肉を抉る。
「うがああああっ!」
『喚くなガキ。時期に楽にしてやる』
「ふざ……け――うあああああっ!」
爪が更に背中へと食い込み、シャツの上から血が淀みなく溢れる。断末魔の叫び――そう呼ぶに等しい声だけが響く。
不適に笑う鬼は視線を静かに洸の方へと向けた。まだ幼さの残るその顔を僅かに記憶の隅に覚えており、不気味な笑みを浮かべて問う。
『貴様、以前に会った事があるな。確か……あの時の滅破が連れていたガキか?』
「覚えてもらえるとは、光栄だな」
『忘れるわけが無いだろう。あの日の屈辱と怨みを――』
「バカか? 俺等を怨む前に、自分の犯した罪の重さを知れ」
拘束から解き放たれ、洸が静かに地に降り立った。ゆっくりと感覚を取り戻す様に右手を握る。腕に巻かれた封鬼符が僅かな光りを放ち、鋭い眼差しが鬼に向けられた。
強い意志の表れ。それにより、鬼も不気味に――それでいて嬉しそうな笑みを口元に浮かべた。