第8部 1話 洸との絆
檄が消滅し、粉だけが残った。
人の魂の抜け殻。それが、この粉だ。
やがて、その粉は風に吹かれ空へと消えた。
全ての人生を終え、ようやく天に召されたのだ。
空に舞う粉が、夕日を浴び星の様に輝き消える様を見据える夏帆は、静かに刀を空間の裂け目にしまう。
「何とか勝てたわね」
体を起した楓は、夏帆の方に目を向けた。少しばかり疲労の窺える夏帆は、額から溢れる汗を拭い、ゆっくりと頷く。疲れているのか、夏帆は声を出さず荒い息を吐き出していた。返事は無いものの、夏帆が何を言いたいのか分かった。
傷口を押さえる楓は、立ち上がると地面に転がる銃を回収する。まだ銃弾がニ、三発残っていた。それを確認した楓は、ホルスターに銃をしまい、夏帆に手を差し伸べる。
「大丈夫? 相当、疲労してるみたいだけど」
「大……丈夫……。少し……疲れた……だけ」
右手で額を押さえる夏帆は、呼吸を整えながらそう言う。やはり辛そうな夏帆を心配する楓は、夏帆の隣りに屈みこんだ。少しここで休む事にした。
「刀も持ってたんだね」
「あ、あれは……先生が……俊也にって。私は、弓術だけ……だから……」
途切れ途切れの口調に、楓は苦笑する。だが、弓術だけと言う言葉に引っかかった。檄との戦いで見せた刀の使い方からして、相当のてだれだ。それに、楓にはその刃の動きが見えなかった。多分、檄にすらあの太刀捌きは見えていなかっただろう。もし見えていたならば、かわす事が容易だろうからだ。
アレだけの能力差があったのだ。当然と言えば当然だ。だが、それをさせなかった。それゆえ、楓は夏帆の太刀捌きに驚きを感じていたのだ。
「でも、あの太刀捌きは凄かったわよ。誰にならったの? 優作さんは剣術とか使えなかったでしょ?」
その言葉に夏帆は小さく頷く。
確かに優作は武器の類を持っていない珍しい滅破だった。しかし、術一つ一つの破壊力は、武器を扱う者の何十倍もの威力があり、滅破でもそれなりに有名だった。その理由は直接氣を鬼にぶつけるからだと言われている。
頷いた夏帆が、もう一度刀を出す。そして、ゆっくりと楓の方に顔を向けた。
「私の家……元々剣道場だったから……ある程度は」
その言葉で楓は納得した。
「それで、ある程度剣術が使えるわけね」
激しく首を振る夏帆。家が道場だったから、剣術が使えると言うわけでは、なかったらしい。更に疑問が深まり、渋い表情を見せる楓は尋ねた。
「それじゃあ、どうして剣術を?」
「洸兄が、護身術だって、教えてくれた」
「洸が? でも、洸って武器とか持ってないよね」
やはり不思議そうな楓に対し、夏帆は落ち着いた口調で言う。
「洸兄、優作さんを目標としてたから、武器は使わないって」
「ふーん。頑固だね」
「そうじゃないと思う」
俯く夏帆は、一瞬暗い表情を見せた。何か思いつめたようなその表情に、楓は更に疑問を深めた。
夏帆がここまで剣術が使えるのなら、それを教えた洸は更に剣を使えるはず。なのに、何を頑なに拒んでいるのか、何故そこまで優作に固執するのか、楓には分からなかった。きっと、楓には理解できない絆が、神村家にはあるのだと、悟った。
刀をもう一度空間の裂け目へと戻す夏帆は、辺りを見回し静かに息を吐く。呼吸は大分落ち着いた様だ。
「ハァ…ハァ……」
「何処へ行くつもりですか?」
雨森が俊也にそう尋ねた。
まだ体が思う様に動かないハズの俊也は、壁を伝い歩いている。何処へ行くつもりなのかは、雨森も分かっていた。それでも、確認の為にそう尋ねたのだ。
振り向きもしない俊也は、息を荒げながら答えた。
「俺は行く。洸兄との約束だ……」
思っていた通りの返答に、雨森は呆れた様なため息を吐く。暴走したあの体で、本気で洸達の所に行くつもりなのだろうか、と雨森は疑問に思い、問いかける。
「その体で、何が出来るというのですか?」
俊也の動きが止まる。雨森はそんな俊也の背中を真っ直ぐに見据え、更に言葉を続ける。
「今のあなたが行っても、足手まといになるだけですよ」
「それでも、行く。洸兄との約束だ」
呆れ返る雨森は、ため息を吐くと、怒った様な口調で言い放つ。
「約束……ですか? それは、あなたの体よりも大切な事なんですか?」
その言葉に、俊也は僅かに顔を後ろに向け静かに答えた。
「ああ……。大切な事だ……。洸兄は、俺を信頼してくれた。だから、俺はその信頼に答えなきゃならない……」
「そうですか……。なら、どうぞ好きにしてください」
「ああ……。好きにさせてもらうさ」
俊也はまた歩みを進める。壁に左手を付き、一歩一歩ゆっくりと。
そんな俊也の背中を見据える雨森は、ため息を漏らすと、バッグから代えのメガネを取り出し、それを掛け口を開く。
「一つ忠告です」
「忠告?」
足を止め、振り返る。すると、雨森の真剣な眼差しと目が合う。
数秒ほどの沈黙。
そして、ゆっくりと雨森の口が開かれた。
「彼は強いわ。洸君よりも遥に――」
「何が言いたい? 洸兄が負けるとでも、いうのか?」
右目を閉じ、左目で雨森を睨む。しかし、真剣な眼差しを崩さない雨森は、そんな俊也の目を真っ直ぐに見つめながら言葉を続ける。
「そうね。負けるわ。完璧に」
「クッ! ふざけるな!」
俊也の怒鳴り声が響き、鋭い眼差しが雨森をジッと見据える。
洸が負けるはずが無い、と言う気持ちがそうさせたのだろう。だが、あくまで冷静な雨森は、小さく首を左右に振ると、ゆっくりと話を進める。
「確かに洸君は強いわ。けど彼はまだ発展途上。それに比べ、相手は術を改良し、その上鬼を製造する。そんな相手に、三人も庇いながら戦えるとでも?」
「……」
俊也は何も言わない。雨森に言われなくても、相手の力量は知っている。あのすれ違った一瞬だけで、奴の強さを実感していた。多分――いや、間違いなく洸よりも強い。遥に。
それでも、自分に何かが出来る気がしていた。何が出来るか分からない。本当は出来る事なんて無いのかも知れない。それでも、行かなければならない気がした。
何も言わない俊也の気持ちを察したのか、雨森は小さく息を吐くと、ゆっくりと俊也の方へと足を進めた。
「そこまで言っても、諦めないと言うのでしたら、私が連れて行ってあげましょう。あなたが歩くよりも遥に早いですから」
「何だよそれ」
「さぁ、掴まりなさい」
雨森は俊也の肩に腕を回すと、そのまま体を支えて歩き出した。
「な、何してんだよ!」
大慌てでそう怒鳴る俊也に対し、落ち着いた口調で答える。
「言ったでしょ? 私が一緒に行くと」
「連れてってくれるって言っただけで、一緒に来るって言ってネェだろ!」
「あら、連れてくって事は、一緒に行くって意味じゃないの?」
「全然違うだろ……普通」
「そうかしら?」
「そうなんだよ」
乱暴にそう言う俊也は、恥ずかしそうに頬を赤くしながらも、雨森の肩を借りて歩いていた。