第7部 4話 無限方位
大量の矢が降り注ぎ、砂埃が立ち込める。
完全に檄の姿は砂埃の中へと消え、夏帆は静かに楓の方へと移動した。
横たわる楓は、ゆっくりと体を起き上がらせると、先程の起きた現象について尋ねる。
「アレって、どうやったわけ?」
傷が疼き、一瞬楓の表情が歪む。それでも、楓は無理に笑みを見せていた。
一方、表情を変えない夏帆は、立ち込める砂埃の方に目を向けたまま答える。
「空間の裂け目は……結構、応用が利くから」
一点を見据えた状態の夏帆に、納得したように軽く頷く楓は、誰にも気付かれない様にポケットから特殊な銃弾を取り出した。封鬼符に描かれた様な文様の描かれたその銃弾を、銃に込める。それから、ハンマーを引き、静かに氣を集中した。
空間の裂け目をもう一度開いた夏帆は、矢を一本取り出すと、ゆっくりと弦を引く。砂埃が消え視界が鮮明になる。だが、そこに檄の姿は無く、無数の矢が地面に突き刺さっていた。
「消えたわね」
「そう……ですね」
「どうする」
「手は……幾らでもあります。まずは、矢を回収します」
夏帆はそう言うと構えていた弓を下ろすと、地面に突き刺さった矢を抜く。何本かは檄を捉えたらしく、数が放った数より少なくなっていた。
辺りを警戒する楓は、グリップを握り締めたまま、ゆっくりと立ち上がる。左脇腹からの出血が酷く、激痛が体を駆け巡った。意識が吹き飛びそうな程の痛みに耐える楓は、銃を左手に持ち替え、右手で傷口を押さえる。
「ハァ…ハァ……。どう、奴の気配は……」
「今の所……感じません。でも、近くに居るのは……確かです」
「そう……」
疲れ切った声で返事を返す楓は、右手の指の合間から溢れる血の生暖かさ。それが、実感させる。自分の体から血が溢れているのだと。血で右手はヌルヌルとしていた。
肩で息をする楓の様子に、夏帆は限界を感じていた。これ以上戦いが長引けば、楓の命に関わるだろう。その為、次の攻防が最後になると、夏帆は確信していた。
矢を全て回収した夏帆は、空間の裂け目を作り出すと、そこに向って無数の矢を放ち、そのまま入り口を閉じた。これが、さっきの矢の雨の正体だ。事前に打ち込んだ矢を、別の空間の裂け目から出す、と言う夏帆にしか出来ない離れ業だ。
「準備は……終わりました」
一本だけ矢を残し、夏帆は楓の方に体を向ける。
苦しそうに呼吸をする楓は、そんな夏帆の目を真っ直ぐに見据え答えた。
「そう。それじゃあ、次が最後になりそうね」
分かりきっていた一言に、夏帆は静かに頷く。
気配を探る様に、夏帆が目を閉じる。微風が砂塵を舞い上げ、静かに通り過ぎた。その音に紛れ、かすかにだが足音が聞こえ、夏帆はゆっくりと目を開く。
徐々に近付く足音。それが、何処からかは分からず、辺りを見回す。すると、音が途切れた。夏帆も楓もその瞬間に気付く。檄が頭上にいる事に。
「上ね!」
「第二陣!」
楓が上空を見上げると同時に、夏帆の声が響き、空間の裂け目が地上から上空に向けて開く。そして、先程放った矢が、二人の上空にいる檄に向って発射された。かわす事など不可能な状況の檄に、矢が無数襲いかかる。何本の矢が檄の体を貫いたのか分からないが、微粒子が空から大量に降り注ぐ。
目を細める夏帆は、楓の方に目を向けた。力が入らないのか、銃を持つ左手が震えている。その為、照準が定まらない。
そんな楓を見かねたのか、夏帆が小さな声で言う。
「大丈夫……。外しても、私が、当てる」
「ありがとう。夏帆ちゃん」
すぐに言葉の意味を理解し、楓は笑みを浮かべ引き金を引いた。
轟く銃声が大気を震わせ、銃口から飛び出した弾丸が風を裂く。その弾丸は、一直線に檄の右太股を貫いた。
その時、突如檄の声が背後から響く。
「残念ダッタナ。俺ハココダ!」
その声に驚く楓は、振り返る。そこには檄が仁王立ちしており、不適な笑みを浮かべていた。空中に浮かんだ物体を睨み付ける夏帆は、小さく唇を動かす。
「終ワリダ!」
「終わるのは、あんたよ」
楓は檄の方に銃口を向ける。だが、引き金を引く前に、檄が間合いを詰め楓を殴り飛ばした。
「クハッ」
血が吐き出され、楓の体が地を転げる。砂埃が舞い上がり、所々に血痕が残った。苦しそうに蹲る楓は、咳き込み何度も血を吐き出す。体が限界を迎えた様だ。動く事すら出来ず、視線だけを檄の方に向けた。
不気味な笑みを浮かべた檄は、静かに夏帆の方に体を向ける。背中には先程受けた矢の傷が無数残っており、砂状の粉が大量に流れ出ていた。この瞬間、楓は気付く。檄の体が限界なんだと。
しかし、楓の方も体が限界だった。指一つ動かす事が出来ず、ただ見ているだけしか出来なかった。銃さえ手元にあれば、何とかできるのだろうが、殴られた時に何処かへ飛んでいってしまい、武器すら持っていない状況だ。
夏帆の唇が動きを止める。視線をゆっくりと落とすと、静かに右腕を檄の方に向って伸ばす。その行動に、檄は足を止める。何かを感じ取ったのだろう。怪訝そうな表情を見せ、辺りを警戒する。
(何をする気……)
「第三陣――」
静かにそう呟くと、檄を囲う様に前後左右四方向に空間の裂け目が現れる。
「グッ! 何度モ同ジ手ヲ!」
鼻筋にシワを寄せた檄は身の危険を感じ、咄嗟にジャンプした。だが、それと同時に、空間の裂け目が檄を追う様に斜め上を向き、空にもう一つ大きな空間の裂け目が現れた。
「無限方位」
夏帆の声と同時に、矢が無数に飛び交う。下から撃ち出される矢が、空に出来た空間の裂け目に吸い込まれ、また撃ち出される。何度も何度も。
矢が全て檄の体を貫き全てが終わると、空間の裂け目は自動的に塞がり、檄の体が地面に落ちた。粒子状の粉が零れ落ち、今にも消滅してしまいそうだ。しかし、まだその姿を保ったままの檄は、ゆっくりと顔を上げ体を起こそうとする。
「ウグッ……。キ……キサマ……」
「少しでも動けば、体は砕ける」
「黙レ!」
怒声と共に、檄が立ち上がり夏帆の方へと突っ込む。崩れかけた体の檄だが、消滅する様子も無く、右拳を振り上げる。死に物狂いの檄の目は充血し、瞳孔は開ききっていた。その目と夏帆の視線がぶつかる。だが、檄はそれすら分からぬ程の精神状況だった。
目の前で拳を振り上げる檄を見据える夏帆は、何も言わず空間の裂け目を開き、右手を入れる。そんな行動にすら気付かない檄が右拳を振り下ろすと同時に、何か鋭いモノが目の前を通過する。
「ソンナバカナ!」
拳を完全に振り抜いたが、その拳に手応えが無い事に驚く檄。
それもそのはずだった。檄の振り抜いた右拳は、肘から切断され檄の背後に転がっていたのだ。
「グオオオオッ! ナ、何故ダアアアアッ!」
右腕が切断されている事に気付き、叫ぶ檄は左拳を振り上げた。
俯く夏帆。もう檄の目すら見ない。そんな夏帆が右腕を振り抜くと、鋭い風音が聞こえ、檄の左腕も肘から切断される。
「グアアアアアッ」
今度は痛みを伴い、檄の苦痛の叫びが響く。冷やかな視線を向ける夏帆の右手には、刀が握られていた。鋭利で美しい刃が輝き、柄頭から伸びる赤い緒が三本揺れ動く。
「もう終わり」
冷やかな声と同時に、夏帆は檄の胸に刃を突き立てた。檄の背中から突き抜けた切っ先。苦しそうな呻き声を上げる檄は、最後に夏帆の顔を見据え消滅した。その瞬間、僅かに唇が動いた事に、夏帆は気付いていた。そして、それが『ありがとう』と言う感謝の言葉だと、夏帆は分かった。