第7部 1話 現れた助っ人
「来た様だよ」
崩れかけたビルの屋上に居る少年が、そう呟く。
乾いた風が吹き、砂埃が舞う。その中を、一人の少女が歩む。制服姿のその少女は、黒く染めた長い髪を揺らし、右手には銃を持っていた。赤渕のダテ眼鏡の奥に見える目は鋭く、怒りの様なモノが見える。
歩みを静かに止める少女は、顔を上げると、ビルの屋上に佇む少年を睨んだ。そして、右手に持った銃の銃口を静かに少年の方に向ける。二人の視線がぶつかり、少年の方が不適に笑みを見せた。
「久し振りだね……。神城 楓」
その声に、一瞬表情を歪めた楓は、更に睨みを強め口を開く。
「馴れ馴れしく名を呼ばないで欲しいわ。遼。あなたとは既に縁は切れている」
「相変わらず、冷たい言葉だね。感情が無いって言うのかな? 本当に人間、キミって?」
あまりにも冷たい言葉に、遼と呼ばれた少年が馬鹿にした口調でそう言う。怒り以外の感情を押し殺す楓は、銃のグリップを力強く握り、照準を遼の額に合わせる。右手の人差し指が、ゆっくりと引き金に掛かった。
しかし、遼は表情一つ変えず、更に楓を挑発する様に大手を広げ、大声で叫ぶ。
「キミに僕が撃てるのかい? この僕を――」
銃声が響く。大気を裂き、弾丸が遼の頬を僅かに掠めた。
微かに飛び散る鮮血。
銃口から舞い上がる白煙。
頬から流れる真っ赤な血が、ポタリと地に落ちた。
表情を一つも変えない遼と、怒りの表情を崩さない楓の睨み合いが続く。楓の手が僅かに震えていた。銃を人に向けて撃ったのは、初めてだった。その為、心拍数が上がり、脈が普段よりも速く鼓動を打つ。
右手の人差し指で血を拭うと、それを舐め口元に笑みを見せる。
「まさか、本当に撃つとは、思わなかったよ。それに……久し振りに、自分の血を見たよ」
不敵な笑みに、楓は背筋を凍らせる。憎悪が漂い、殺気が楓の体を硬直させた。
静けさが更に恐怖を煽り、吹き抜ける風が楓の体を更に凍りつかせる。それが、楓の感覚を鈍らせた。
「主ヲ傷付ケル者ハ、死アルノミ」
殺気を放つ赤い鬼の声。それが、背後から聞こえ、初めて気付く。遼の横にいたはずの赤い鬼がいなくなっている事に。そして、自分の後ろにその鬼が存在する事を――。
「死ネ!」
濁った声と同時に、赤い鬼の左腕が空を裂く。横一線に振り抜かれた拳は、確実に楓の左脇腹を捉えた。鋭い爪が肉に食い込み、楓の表情が苦痛に歪む。
「うぐっ」
横腹から鋭い爪が抜け、血が舞うと同時に楓の体が吹き飛ぶ。血痕が飛び散り、楓の体が地を転げ砂埃が舞あがった。うつ伏せに倒れる楓は動かない。完全に意識が飛んだのだ。だが、暫くすると体を微かに震わせ、痛みに堪え体を起す。制服に滲む血の色が、鮮明に見えた。
苦しそうな表情を見せる楓は、咳き込み口から血を吐く。一撃で完全に体を破壊された。もう一撃貰えば、楓の命はないだろう。そんな事を考えながらも、楓は下唇を噛み締め顔を上げた。鋭い眼差しを赤い鬼へ向け、銃のグリップを握り締める。
「無様だね。楓。これが、数百年に一度の奇才と呼ばれた君の実力かい?」
廃ビルの屋上から聞こえる遼の声に、楓は視線を遼の方に向けた。見下す遼に、見上げる楓。両者の視線がぶつかった瞬間、楓は気付く。赤い鬼が拳を振り上げている事に。
瞬時に反応し、その場を飛び退く。が、傷が痛みすぐに動きが止まる。それを、赤い鬼が逃すはずがなかった。
右足を踏み込み、夏帆を握った右拳で楓を殴り飛ばす。その時、赤い鬼の右拳に痛みが走り、思わず夏帆を手放した。吹き飛ぶ楓は、夏帆の姿を確認すると、口角を緩め口元に笑みを浮かべる。
「人質は返してもらうわ」
強がりながらも、そう口にした楓は、銃口を赤い鬼へと向け引き金を引く。弾丸が爆発音と共に銃口から放たれた。そして、弾丸が減り込む鈍い音が聞こえ、赤い鬼の体が僅かに仰け反る。だが、赤い鬼は何もなかったかの様に体を起すと、左拳を振り上げた。
「檄には、そんな鉄玉は利かないよ」
「クッ!」
表情を歪める楓は、振り上げられた左拳を見据えたまま、更に引き金を引く。五回程爆音が響き、弾丸が両肩、腹部、両膝の五箇所に命中する。だが、全くダメージは無く鋭い眼光が楓に向く。
その眼光に臆する事無く、睨み続ける楓はその目に向って照準を合わす。
「あなたの拳と、私の弾丸。どちらが早いかしら?」
「黙レ! 女」
「射抜く」
「!」
弦音が聞こえ、風を裂く矢音が大気を震わせた。鏃が僅かに揺れながらも、赤い鬼・檄の振り上げた左肘を貫いた。間接に突き刺さった矢は、赤い鬼の左腕の自由を奪い、檄の表情が僅かに歪む。と、同時に銃声が轟いた。
「うぐっ……ハァ…ハァ……。ありがとう。助かったわ。夏帆ちゃん」
地に横たわる楓が、横に立つ夏帆に苦しそうに呼吸をしながらそう言う。しかし、左手に弓を持った夏帆は、真っ直ぐ一点を見つめたまま真剣な表情を崩さずに、「私も……助けてもらったから」と、小さく呟く。
素っ気無い夏帆の態度に、少しだけ笑みを零す楓は、ふと疑問に思う。夏帆は何処にあんな弓を隠し持っていたのかと。
「あなた……一体何処から――」
「私の……特技」
楓が言い終える前に、夏帆が静かに口を挟んだ。何が特技なのか、と疑問に思う楓だが、その意味をすぐに理解する事になる。
夏帆が右手を右方向へ伸ばすと、突如空間の裂け目が現れたのだ。そして、その空間の裂け目へと、夏帆の伸ばされた右腕が入っていく。目の前で起こった光景に、楓は言葉を失う。
元来、空間の裂け目とは、鬼たちの隠れる場所で、この時間とは別の空間と言う事になる。その裂け目が開くのは、鬼が姿を現す時だけで、人間がこの様に空間を容易に開く事は出来ないのだ。
それを、容易にしかも、自分の物までしまっている夏帆に驚き、楓は静かに口を開く。
「夏帆ちゃん……あなた一体……」
「先生が……これは、生まれ持った才能だって……」
静かにそう答えた夏帆は、ゆっくりと右手を空間の裂け目から抜く。その手には、矢が握られていた。その瞬間、ようやく楓も理解できた。夏帆が空間の裂け目を自由に扱う事の出来る希少な存在なのだと。一度だけ楓も師匠に聞いた事があったのだ。滅破の中には、空間の裂け目を道具入れにする者がいると。
それがまさか夏帆だったとは、思ってはいなかった為、多少取り乱したが、落ち着きを何とか取り戻し、楓も体をゆっくりと起す。左脇腹の傷が痛み、思わず表情が歪む。
「イッ……」
「動かない方が良い。傷が……開く」
「大丈夫よ……この位。それに、アレ、あなた一人じゃ無理でしょ?」
楓は目の前に佇む檄に目をやりながら、そう呟く。当然、夏帆だって一人で勝てる相手じゃない事は知っていた。その為、それ以上何も言わず、矢を弦に掛け静かに息を吐く。楓は苦しそうにしながらも、落ち着いて銃を構え、「二人とも遠距離タイプね」と、夏帆に尋ねる。小さく頷く夏帆は、「一応……近距離も出来る」と、少しだけ刺々しい言葉を告げた。楓は何と無く夏帆に嫌われていると感じた。