第1部 2話 依頼人と化物
制服姿のまま洸は、メモ用紙を右手に持ち町をブラブラと歩いていた。メモ用紙には、手書きで事細かく地図が書かれてある。既にサラリーマンやOLが道を往来し、道路は多くの車が行き来していた。こんな所をこんな時間に高校生が歩いているのは、少々不思議な感じで、多くの人の目を惹いていた。
高層ビルばかりが建ち並び、差し込む日差しが妙に蒸し暑い。まだ春だと言うのにこの暑さ。夏は相当暑くなると、洸は確信した。
ポケットからハンカチを取り出した洸は、汗を拭きもう一度メモ用紙の地図を確認する。確かに地図ではこの辺のはずだが、待ち合わせた人の姿は見当たらない。
「ったく、依頼者が遅刻かよ……」
まだ少し寝癖の残る髪を掻く洸は、足元を見据え腰を下ろす。行き交う人々と自動車を真っ直ぐに見据える洸は、目を細め静かに息を吐く。一見平和に見えるこの光景の裏では、無数の鬼達がうごめいているのだと、洸は心で思っていた。
そして、今この時も誰か鬼を生み出しているのだと考えると、頭が痛かった。右手で頭を押さえ、深々とため息を吐く。すると、背後から女性に声を掛けられた。
「すいません……」
「はい?」
声に咄嗟に返事をし、振り返る。ウェーブの掛かった茶色の髪の女性。歳は二十代前半程で、とても若々しい顔つきをしている。この女性が依頼者の矢吹だ。
洸は丁寧に名刺を取り出し、矢吹にさしだす。
「鬼滅屋の責任者の神村 洸です」
「はぁ……。私は、矢吹――」
洸は矢吹が言い切る前に右手を矢吹の口元に伸ばし、「結構ですよ。矢吹さん」と小さな声で言う。それに矢吹は「はぁ……」と、困った様に呟き微かに頷く。しかし、矢吹は怪訝そうな眼で洸を見据え、何度も首を傾げる。
洸もその事を知っていたが、気にはしていなかった。これはいつもの事だからだ。大抵依頼をしてきた人は、洸と会うと怪訝そうな目をする。多分、この歳で本当に責任者なのかと、思っているのだろう。だから、洸は依頼者に必ずこう言う。
「大丈夫ですよ。依頼は必ず成功させます。あなたに危害は与えませんから」
だが、大抵はこう切り返される。
「本当ですか? あなた、どう見ても高校生じゃないですか」
毎度毎度の事で呆れてしまう洸だが、目を細め静かに答える。
「えぇ。現役高校生です。ですが、今は鬼滅屋の責任者です。お話し聞かせてもらえませんか?」
「は…はい……」
少々圧倒され矢吹が返事をする。
それから、公園へと移動し話を聞く。矢吹の話では、最近身の周りでおかしな事ばかり起きているとの事だ。この時点で、洸は鬼が関係していると判断し、更に詳しい話を聞く事にした。それは、一体どのタイプの鬼なのか探る為だ。
「それで、どんな事が起きてるんですか?」
メモ帳を取り出す洸は、ペンをメモ帳へと下ろす。矢吹は不安そうな表情を見せる。誰だってそうだ。こんな高校生が責任者だと言うのだ、不安にもなる。その不安からか、矢吹の声が震えていた。
「えっと……。男友達と電話で話してたら、その男友達が事故にあったり。街でナンパされそうになった時、看板が落ちてきたりと、他にも色々……」
その話を聞き洸はメモ用紙にペンを走らせる。そして、次の質問を口にする。
「最近、大切な人が亡くなったりしてませんか?」
「最近……。人じゃないですけど、可愛がっていた猫が……」
それを聞くなり、洸はメモ帳を閉じ静かに腰を下ろし、地面に右手を着ける。瞼を閉じ静かに息を吐き出す。いきなりの事で困惑する矢吹は、周囲の視線を感じながらオドオドとしていた。
それから暫くして、「結!」と洸が叫ぶと、空気が変り何か薄い膜の様なモノが半径二十五メートル四方を包み込む。別の空間に隔離された様な状態に、矢吹は更に不安になる。一体、この先何が起こるのかと。
「矢吹さんは、そこを動かないで下さい。今から、矢吹さんの周りで起きる奇怪な現象の正体を暴きますから」
「は、はい」
矢吹の返事を耳にし、洸はポケットからロール状の奇妙な文様の描かれた符、封鬼符を出す。封鬼符は氣を通し易く、滅破にとっては必需品なのだ。その封鬼符を右手で引き伸ばし、宙に素早く投げる。封鬼符はクルクルと何かに巻き付き、空間が避けた。
「さて! そろそろ姿を見せてみろよ!」
洸が封鬼符を引くと、空間の裂け目から鋭い爪と大きなゴツゴツとした手が現れた。その腕には先程、洸が投げた封鬼符が巻かれており、血管が浮き上がっている。洸の氣が封鬼符を伝い、その太い腕を強く締め付け、封鬼符が今にも千切れそうな音を起てていた。
目の前で起きている事に、腰を抜かす矢吹。驚きのあまり声も出ず、口を開いたまま膝をガクガクと震わせていた。そりゃ、驚くのも無理は無い。目の前でこんなにも非現実的な事が起こっているんだ。誰だってこうなってしまう。
空間の裂け目は徐々に大きくなり、その中から一体の化物が姿を現す。それは、洸よりも数十倍の大きさの化物で、猫の様な姿をしていた。大きな口を開き、鋭い牙を洸の方にむけ毛を逆立て威嚇する。
「ウガアアアアッ!」
その行動に、洸は微かに微笑み、化物の腕に巻きついた封鬼符を引き戻し、自分の右腕へと静かに巻く。これは、少量の氣を膨張させ、より大きな破壊力を生み出す為だ。巨体を揺らす化物は、「ギャアアアアッ」と、声を上げながら右腕を振り下ろす。鋭い爪は洸と矢吹に向って来る。
「破ッ!」
腹から響くその声と同時に、洸の右拳が化物の振り下ろされた右手に直撃する。重々しい音が辺りに響き、洸の立つ地面が砕け砕石が宙を舞う。そして、振り下ろされた化物の右腕は、弾かれ大きく体が仰け反る。
右拳を引く洸は、奥歯を噛み締め力を込めた。拳の中で薄らと光が放たれるが、それは外には漏れていない。そして、仰け反り無防備になった化物の腹に向って拳を突き出す。
「絶!」
拳が化物の腹に減り込む。そして、光が減り込んだ拳の間から吹き出る。洸の右拳から、化物の体に氣が大量に流れ込む。腹の中に流れ込む氣が、化物の体をボコボコと膨張させ、爆音を轟かせ破裂した。
肉片が辺りに飛び散り、腹に大きな穴が開く。だが、血は出ていない。肉片もすぐに粉となり消滅する。元々、鬼には血は通っていない。体もこの世には存在しない。その為、すぐに消えてなくなってしまうのだ。
「ウガアアアアッ!」
苦しそうな悲鳴を上げる化物は、口から涎を滴らせる。貫通した腹の向こうに、向かいの風景が映っていた。洸は右手を引き、拳を何度か開いたり閉じたりする。そして、首を微かに傾げて不服そうな表情を見せ呟く。
「う〜ん。今日は絶の調子が悪い。所謂、絶不調って奴?」
急にくだらない駄洒落を言う。もちろん、この状況で笑いなど起きるわけもなく、辺りは静けさに包まれる。この静けさに聊か不満そうな洸は、「結構、ウケルと思ったんだが……」とボヤキため息を吐く。この状況で笑えと言う方が無理である。
「そろそろ、止めと行くぞ」
ゆっくりと右手を握り締める。そして、大きく息を吸い込み声を腹から吐き出す。大気が震え、ピリピリとした空気が辺りを包み込む。洸の右腕に巻かれた封鬼符が、氣を搾り出す様に右拳へと氣を圧縮する。
「終わりだ! 壊!」
洸は力を込め右拳を突き出した。その時、化物の首から綺麗な虹色の鈴が落ちた。