第5部 4話 信用していないのか?
半球体の結の中で、俊也が青い鬼と戦っていた。
道路は砕け足場が最悪な中、俊也は右手を握り締める。既に数発の絶を放った為、俊也の氣も幾分消耗していた。もちろん、結衣も俊也のサポートで、大分氣を消耗している。それでも、青い鬼の体に傷付ける事すら出来ていない。
「ハァ…ハァ……」
「大丈夫? 俊也」
「全然……平気……」
掠れた声で答える俊也は、右目を閉じて青い鬼を睨む。辛そうな俊也は、右手を半開きにすると、氣を練り込む。だが、封鬼符なしでは、これ以上氣を練り込む事は困難だった。僅かに手の平に球体の光が集まるが、既に消えそうな程の光だ。
慣れない素手での戦い。絶の乱発。封鬼符無しでの氣の練り込み。これらの事から、すでに俊也に残された氣は、僅かしかない事は確かで、その事を知っている結衣には、焦りが見えた。
(どうしよう……このままじゃ……)
一瞬、結衣の注意が逸れた。それを、鬼は見逃さず、二人の視界から姿を消すと、結衣の目の前へと姿を現す。巨体の鬼の影が結衣を覆い、右拳を振り上げる。
「結衣姉!」
「キャッ」
結衣は悲鳴を上げ目を伏せる。俊也も、振り返り走りだしたが、間に合わない。
「クッ! てめぇの相手は、俺だろ!」
「ウガアアアッ!」
振り上げられた右拳が、雄叫びと同時に結衣へと振り下ろされた。足がもつれた俊也は地面を転げると、結衣の方に顔を向け叫ぶ。
「結衣姉!」
虚しく響く叫び声に、鈍い音が混ざった。自分の無力さに、悔しそうに奥歯を噛み締める俊也は、右拳で地面を殴る。俊也の殴った場所は、僅かに砕け円形に窪んだ。そして、拳から血が滲み出た。
悔しがる俊也が現実から目を背ける中、突如鬼の悲鳴が辺り一帯を揺らす。
「グアアアアアッ」
砕けた岩が鬼の発する声に小刻みに揺れ、粉々に散る。何が起こったのか分からず、俊也は顔を上げた。そして、目の前の光景に驚愕する。
「ウグウウウッ……アガガガガッ……」
苦しむ鬼。
裂けた右拳。
そして、無傷の結衣の前には、黒いワンピースの女性が立っている。オレンジブラウンの長い髪が緩やかに揺れて、スカートがヒラヒラと風に靡く。
「随分とオイタが過ぎましたね」
ニコヤカに微笑む女性は、右手に氣を練り込んだ封鬼符を握っていた。棒の様に真っ直ぐに伸びた封鬼符は、それが符であると分からぬ程頑丈なモノと変化している。
息遣いの荒い俊也は、封鬼符のあんな状態を始めてみた。優作も洸もあんな風に封鬼符を使った事が無いからだ。その為、封鬼符は何かに巻いて使うのが、基本だと思っていた。
「あ、あなたは……」
顔を上げた結衣は、黒いワンピースの女性の背中を見て口を開いた。苦しむ鬼から目を離さない女性は、左手で髪を掻き揚げる。美しいオレンジブラウンの髪の合間から見えた女性の横顔。美人と言う言葉の似合う顔つきだ。
こんな状況だったが、結衣はその女性の顔に見とれてしまった。そんな結衣に、背を向けたまま女性は言う。
「いつまでも座ってないで、弟さんの所へ行ってあげなさい。まだ、戦いは続いているんだから」
「は、はい。す、すいません!」
立ち上がった結衣は、頭を下げると俊也の方へと走り出した。横目で結衣の姿を見た女性は、ゆっくりと鬼へと視線を移動させる。苦しみ悶える鬼の姿に、薄らと口元に笑みを見せる女性は、ボソッと呟いた。
「人工の鬼……やっぱり――」
その時、激しい爆音と共に結の一箇所に穴が開く。轟いた爆音に驚きを見せる結衣と俊也だが、女性の方は眉間にシワを寄せると、小さくため息を吐いた。
破壊された結の穴の向こうには、荒い呼吸の洸が立っている。鋭い眼差しで、女性を睨み付ける洸は、まだ痛む右拳を握り締めた。右腕に巻かれた封鬼符が光を放ち、右拳の中から光が漏れる。
「あら……随分と早いご到着ね」
洸の方に女性は笑みを向ける。だが、洸は怖い顔を向けたまま口を開いた。
「雨森! 何であんたがここに居る!」
「電話でも言ったでしょ? 今回、私は敵ではないわ」
「うるせぇ! てめぇの言う事なんて――」
「ま、待って洸兄!」
雨森に向っていこうとした洸を、結衣が止めた。
「結衣! 邪魔するな!」
「違うの! あの人が、私と俊也を助けてくれたの!」
「んなの、関係ねぇんだよ! アイツは先生を!」
「洸兄!」
怒鳴る洸に、俊也が殴りかかった。右頬を殴られた洸は、後ろに倒れ尻餅を付く。左手で頬を押さえる洸は、顔を上げると、鋭い目付きで俊也を睨んだ。
「てめぇ……何すんだ!」
勢い良く立ち上がった洸は、俊也を殴ろうとしたが、それをグッと堪えた。そんな洸を睨み返す俊也は、洸の襟首を掴む。
「ここに来たって事は、全て知ってんだろ! 何で、夏帆の方に行ってやらねぇんだ! それとも、そんなに俺達が信用出来ねぇのか!」
「黙れ! そんな体で、何が信用出来ねぇのかだ! 大体、封鬼符も持ってねぇ奴にとやかく言われたくねぇ!」
「んだと!」
「二人とも! 揉めてる場合じゃないでしょ」
二人の間に割ってはいる結衣だが、二人を止める事は出来ない。そんな状況に、呆れ果てる雨森は左手で髪を掻き揚げると、笑みを浮かべ言い放つ。
「全く。あの人の弟子はこんなのばっかりですか? ここは私が引き受けます。あなた方は揉めていないで、夏帆ちゃんの所へ行ってください」
「うるせぇ! てめぇの指図は受けねぇ!」
洸がそう怒鳴ると、襟首から俊也が手を放し、右手を差し出す。
「洸兄。封鬼符を貸せ。ここは、俺がやる」
「で、でも、俊也の氣はもう――」
結衣が言い終わる前に、洸がポケットから封鬼符のロールを取り出し投げ渡す。それを左手で俊也が受け取ると、洸は真剣な眼差しを向け口を開く。
「任せても大丈夫なのか?」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだ」
落ち着いた様子の口調の俊也は、右目を一度閉じ封鬼符を一メートル程引き出し千切った。一瞬、不思議に思う洸だったが、すぐに女性の手に持つものに気付き、納得する。しかし、結衣の方は納得行かない様で、心配そうな声で聞く。
「大丈夫なの? それじゃあ、腕に巻けないよ」
「大丈夫。腕に巻くんじゃない。こうするんだよ」
右目を閉じた俊也は、氣を右手から封鬼符に流し込む。すると、封鬼符の文様が光を放ち、ペラペラだったのが、徐々に真っ直ぐに伸びる。それを見ていた雨森は、少々驚いた表情を見せた。
それもそのはずだ。この氣を封鬼符に練り込むと言う芸当は、やろうと思って簡単に出来るものじゃない。もちろん、雨森だって、これを会得するのに一年は掛かった。それを、一度見ただけで、やってのけたのだ。驚いて当然と言えば当然だった。
氣の消耗の激しい俊也は、苦しそうに微笑むと、左手で洸の胸を叩き呟く。
「大丈夫だ。早く夏帆の方へ行け」
「ああ。任せる。結衣」
「うん。シュン。怪我しないでね」
「いや……怪我とかの問題じゃないよ……」
半笑いを浮かべる俊也に、結衣は微笑み「待ってるから」と、告げた。そして、洸と結衣は結から出る。洸は右手を翳すと、俊也の目を真っ直ぐに見据えた。
「さっきは、悪かった」
洸は呟き、静かに手の平に氣を集める。不思議そうな表情を見せる俊也が首を傾げると、洸は静かに「結」と唱える。洸の破壊した穴が、徐々に塞がっていく。そして、穴が塞がる直前、洸がまた口を開く。
「お前の事は信用している。だから、先にここに来た。お前なら、封鬼符を渡せば、必ず一人で何とかできると、思ったから」
洸がそこまで言うと、穴は完全に塞がった。俯く俊也は、口元に笑みを浮かべると、「ありがとう」と呟いた。